第一話 戦争は金になる
グラディオス魔王国、王都ヴァルガンド。
黒い火山岩で造られた街並みの一角に、周囲の建物とは明らかに格の違う屋敷が建っていた。
ヴァレンティア邸。
魔王城からほど近い一等地に建つ、巨大な三階建ての邸宅。
屋敷というより、もはや小さな城だった。
正門から玄関まで続く石畳の両脇には魔石灯が並び、夜だというのに昼間のように明るい。
広大な庭には、この国では珍しい緑が溢れていた。
アルヴェリアから運ばれた植物。
エルディアから買い付けた果樹。
温度を維持する魔法陣を組み込んだ巨大な温室。
中央には噴水まである。
食料生産に適した平野が少なく、冬になれば食料の確保すら難しくなるグラディオスで、これだけの庭を維持するのは莫大な金が必要だった。
だが、この屋敷の主にとっては些細なことだった。
金がある。
なら買えばいい。
ただそれだけだ。
最上階。
屋敷でもっとも豪華な大広間では、今夜も宴が開かれていた。
巨大な魔石灯。
金細工の施された柱。
壁に掛けられた高価な絵画。
床を覆うアルヴェリア製の絨毯。
長大なテーブルには料理が所狭しと並び、酒瓶が何本も置かれている。
その中央に、一人の男がいた。
ヴィットリオ・ヴァレンティア。
ヴァレンティア・ファミリアの首領である。
魔族の中でもかなり大柄な男だった。
広い肩。
太い腕。
赤黒い肌。
後ろへ流した黒髪と、整えられた短い髭。
黒を基調とした高級な服には金糸の刺繍が施され、太い指には宝石のついた指輪がいくつも嵌められている。
その左右には何人もの女が侍っていた。
「ヴィットリオ様、どうぞ」
女が酒を注ぐ。
「ああ」
ヴィットリオは酒杯を受け取り、一口飲んだ。
「……うまい」
「エルディア産でございます」
「やっぱりか」
ヴィットリオは満足そうに笑った。
「人間の国は、食い物と酒だけは本当にいい」
「お気に召しましたか?」
「気に入った」
酒杯を揺らす。
「また買ってこい」
「はい」
「……いや」
ヴィットリオが笑う。
「買う必要もないか」
女がくすりと笑った。
「ヴィットリオ様らしいお言葉です」
その時だった。
大広間の扉が開く。
「失礼いたします」
入ってきたのは四十代ほどの魔族だった。
黒い服。
片眼鏡。
分厚い帳簿。
ヴァレンティア・ファミリアの会計と各部門を管理する男、カルロである。
「来たか」
ヴィットリオが手を上げる。
「座れ」
「報告がありますので」
「なら酒を飲みながらやれ」
「仕事中です」
「俺も仕事中だ」
「……」
カルロは少し考えたあと、諦めたように椅子へ腰掛けた。
女が酒を注ぐ。
「では、今月の収益報告を」
「始めろ」
カルロが帳簿を開く。
「まずは薬物部門です」
ヴィットリオの口元が僅かに上がった。
「いくらだ?」
「純利益、金貨八百二十枚」
「ほう」
「先月より一割ほど増加しています」
「理由は?」
「アルヴェリア側から供給される原料が安定したためです」
「売れ行きは?」
「非常に好調です」
「当然だ」
ヴィットリオは酒を飲む。
「一度ハマった客は、そう簡単には離れない」
この世界における薬物は、単なる薬草を乾燥させたようなものではない。
魔法薬の知識。
薬草。
魔石。
錬金術。
そしてアルヴェリアの高度な加工技術。
それらを組み合わせて作られる、人工的な薬物だった。
強い高揚感や鎮痛作用を持つもの。
疲労を一時的に忘れさせるもの。
恐怖や不安を麻痺させるもの。
その代償として強い依存性を持つ。
戦争によって疲弊した兵士や傭兵、労働者、そして娯楽を求める者たち。
需要は尽きない。
「製造拠点の一つで、取り締まりが強化されています」
カルロが続ける。
「アルヴェリアか?」
「はい」
「なら別の場所で作れ」
「すでに手配済みです」
「さすがだ」
ヴィットリオが笑った。
「次」
「大麻です」
「いくら?」
「純利益、金貨三百九十枚」
「悪くない」
「アルヴェリア側の森林地帯から安定して供給されています」
「自然が豊かな国は便利だな」
ヴィットリオは笑う。
「土地がある。植物もある。エルフもいる。ドワーフもいる」
「そして鉱物資源は少ない」
「だからこそ、こっちと揉める」
ヴィットリオは酒杯を置いた。
「こっちは山の中に鉱石が腐るほど眠ってる」
「ですが、深く掘る技術がありません」
「そうだ」
ヴィットリオは頷く。
「掘れない」
「加工する技術もありません」
「そう」
ヴィットリオは笑う。
「だからアルヴェリアが欲しい」
グラディオス魔王国には豊富な鉱物資源が眠っている。
火山。
雪山。
険しい山岳地帯。
地下には鉄や銅だけではなく、魔石や希少金属まで存在すると考えられている。
だが、それを十分に利用できない。
ドワーフがほとんど存在せず、深い坑道を掘る技術がない。
さらに、掘り出した鉱石を精錬し、合金にし、武器や魔道具へ加工する技術も乏しい。
一方、アルヴェリアにはその技術がある。
ドワーフによる採掘。
ドワーフによる精錬。
エルフによる魔法技術との融合。
だからグラディオスはアルヴェリアを狙う。
鉱物資源が欲しいのではない。
自国にある鉱物を利用するための技術が欲しいのだ。
「ポーション部門は?」
「金貨五百六十枚です」
「それも増えたな」
「戦争による需要増加です」
「中身は?」
「薬物部門と同系統の合成魔法薬です」
「なるほど」
ポーション。
名前だけを聞けば、傷を治す普通の回復薬を想像する。
しかしヴィットリオたちが扱うものは違う。
魔力を利用した化学的・錬金術的な合成薬。
鎮痛。
覚醒。
疲労軽減。
精神高揚。
場合によっては身体能力の一時的な増強。
効果が強いものほど依存性も強くなる。
「戦争が続けば、兵士が使う」
ヴィットリオは笑う。
「兵士が使えば、また欲しがる」
「はい」
「いい商売だ」
カルロは黙って頷いた。
「次は武器です」
「アルヴェリアからの分か」
「はい」
「どうだ?」
「かなりの量を確保しました」
「状態は?」
「一部に使用痕はありますが、実用上問題ありません」
「魔王国軍への引き渡しは?」
「すでに始まっています」
「代金は?」
「予定通り」
ヴィットリオは笑った。
アルヴェリアから奪った武器を、グラディオス魔王国の軍部へ流す。
その間にファミリアが利益を取る。
魔王国軍は正規の流通では手に入りにくい武器を得られる。
ファミリアは金を得る。
双方に都合がいい。
「アルヴェリアは技術力が高いからな」
ヴィットリオが言う。
「ドワーフの武器はいい」
「ええ」
「エルフの魔道具もいい」
「はい」
「だったら奪えばいい」
「実に単純ですね」
「商売なんてそんなものだ」
カルロが次のページを開く。
「食料です」
「待ってました」
ヴィットリオが身を乗り出す。
「今月は?」
「小麦、豆、干し肉、家畜など。かなりの量を確保しました」
「利益は?」
「純利益、金貨千三百枚ほど」
「最高だ」
ヴィットリオが大笑いした。
「エルディア様々だな」
エルディア王国。
広大な平野。
豊かな農地。
海。
圧倒的な人口。
三国最大の食料生産力。
グラディオスとは正反対の国だ。
「警備の薄い国境地帯を狙う」
カルロが説明する。
「村や街道沿いの倉庫などから食料を確保し、こちらへ運び込んでいます」
「そして高値で売る」
「はい」
「いくらで?」
「相場の二倍程度です」
「三倍にしろ」
「……三倍ですか?」
「売れるだろ?」
「売れます」
「なら三倍だ」
ヴィットリオは笑った。
「腹を空かせた奴は値段なんて見ない」
そして、最後のページ。
「人身関係です」
「何人だ?」
「現在二十三名」
「内訳」
「一般人十八名。兵士四名。貴族一名」
「貴族?」
ヴィットリオの顔が嬉しそうに歪んだ。
「誰だ?」
「エルディア南部の男爵家の次男です」
「当たりだ」
「すでに家族へ連絡しています」
「いくら?」
「金貨三百枚から交渉を開始しています」
「五百にしろ」
「払いますかね?」
「払う」
「根拠は?」
「貴族だからだ」
ヴィットリオは笑う。
「長男じゃないところもいい」
「……」
「長男なら家を継ぐ」
「はい」
「三男以下なら諦める家もある」
「はい」
「だが次男は惜しい」
ヴィットリオは酒を飲む。
「五百だ」
「では五百で」
「払ったら返せ」
「奴隷として売るという選択肢もありますが」
「俺は奴隷商人じゃない」
ヴィットリオは即答した。
「身代金を取った方が儲かる」
「ですが、エルディアには奴隷制度があります」
「知ってる」
「ならば買い手は――」
「一回しか金にならないだろ」
ヴィットリオが指を一本立てる。
「身代金なら一人から一回、大金を取れる」
「はい」
「しかも貴族なら、払った後に恨まれる」
「当然でしょう」
「だったら次に捕まえた時、もっと高く売れる」
カルロが苦笑する。
「随分と気に入られそうですね」
「俺は金が好きだからな」
ヴィットリオは笑った。
「ファミリーのため?」
「違う」
「では?」
「俺が金を好きなんだ」
ヴィットリオはテーブルに積まれた金貨を眺めた。
「金が好きだ」
一枚を拾う。
「利権も好きだ」
別の一枚。
「酒も好きだ」
酒杯を持つ。
「女も好きだ」
隣の女へ笑いかける。
「だから稼ぐ」
そして笑った。
「それだけだ」
カルロが帳簿を閉じる。
「では、今月の純利益は――」
少し間を置く。
「金貨五千四百八十枚です」
「……」
ヴィットリオが固まる。
「五千……」
口元が震える。
「四百八十……」
次の瞬間。
「ハハ……」
肩が揺れた。
「ハハハハハハ!」
ヴィットリオは腹を抱えて笑い始めた。
「ハッハッハッハッハッ!」
大広間に笑い声が響き渡る。
「薬が売れる!」
一本指を立てる。
「ポーションも売れる!」
二本。
「大麻も売れる!」
三本。
「武器も売れる!」
四本。
「食料も売れる!」
五本。
「人間まで金になる!」
ヴィットリオは酒杯を掲げた。
「戦争最高だ!」
女たちが笑う。
カルロも呆れたように息を吐いた。
「ヴィットリオ様は、本当に戦争がお好きですね」
「違う」
ヴィットリオは笑いながら首を振った。
「戦争は嫌いだ」
「では?」
「戦場なんか行きたくない」
酒を飲む。
「俺が好きなのは――」
金貨を指で弾く。
「金だ」
――その頃。
エルディア王国、王都。
王宮では怒声が飛び交っていた。
「また食料が奪われただと!」
軍務卿が机を叩く。
「南部の農村から小麦と家畜が大量に持ち去られました!」
「魔族か?」
「恐らく」
「被害は?」
「村一つだけではありません。国境沿いの複数地域で同様の被害が出ています」
「兵士は?」
「追撃しましたが、国境を越えられました」
国王は深く息を吐く。
「またグラディオスか……」
「それだけではありません」
別の大臣が報告書を差し出した。
「住民が複数名、行方不明です」
「人攫い?」
「はい」
「身代金要求は?」
「すでに届いています」
国王は拳を握る。
「魔族の犯罪組織か」
「ヴァレンティア・ファミリアと考えられます」
「……あの男か」
名前だけで、室内の空気が悪くなる。
しかしエルディアには、エルディア自身の問題もある。
奴隷制度。
それは国内では長年存在している。
奴隷を所有すること自体は、社会的に完全な禁忌ではない。
むしろ法と慣習の隙間にある、誰もが見て見ぬふりをする制度だった。
そして、それがアルヴェリアとの関係を決定的に悪化させた。
特に――
エルフ上層部の娘が人間側に攫われ、性奴隷として扱われた事件。
あれ以来、両国の対立は修復不能なところまで進んでいる。
「我々は魔族とも戦っている」
宰相が呟く。
「アルヴェリアとも戦っている」
国王は答えない。
「三つ巴です」
その言葉だけが、王宮に残った。
――アルヴェリア連邦。
「また武器が奪われただと!」
議会ではドワーフの議員が怒鳴っていた。
「工房から軍用武器が大量に消えています!」
「エルディアか?」
「可能性はあります」
エルフの議員が答える。
「人間は我々の技術を欲しがっている」
「そしてグラディオスは?」
「我々の採掘技術と加工技術です」
議場が静かになる。
「グラディオスには鉱石がある」
ドワーフが言った。
「だが、深く掘れない」
「そして掘り出した鉱石を、十分に加工することもできない」
「だから我々が狙われる」
アルヴェリアには豊かな森林がある。
自然の恵みも多い。
しかし鉱物資源そのものは乏しい。
だからこそ、技術を持っている。
そしてその技術が、三国すべてから狙われている。
「人間は我々の魔法と加工技術を」
「魔族は採掘と加工の技術を」
「……」
「本当に、嫌な時代になったな」
誰かが呟いた。
――グラディオス魔王国。
魔王城でも戦況報告が続いていた。
「エルディア方面、食料不足が深刻です」
「分かっている」
「アルヴェリア方面では鉱山開発の遅れが問題となっています」
「技術者が不足している」
「はい」
「アルヴェリアから奪うしかない」
魔王は報告書を見る。
「ドワーフの採掘技術を手に入れれば、我々の鉱山を本格的に開発できます」
「加工技術も必要です」
「分かっている」
魔王は椅子に深く座り直した。
「ならば奪う」
そして別の報告書を見る。
「食料は?」
「ヴァレンティア・ファミリアからの供給があります」
「価格は?」
「高騰しています」
「……」
魔王は少し黙った。
「だが、供給されているならいい」
その言葉の裏側で、誰が利益を得ているのか。
魔王は知らないわけではない。
だが、問い詰めるつもりもなかった。
「それと、軍部への武器供給も順調です」
「ヴァレンティアか?」
「はい」
「なら問題ない」
その言葉で報告は終わった。
――再び、ヴァレンティア邸。
「ヴィットリオ様」
カルロが戻ってきた。
「何だ?」
「新しい案件です」
「聞こう」
「エルディア国境付近で、大規模な食料確保が可能です」
「量は?」
「かなりの量です」
「やれ」
「それから、人身についても」
「貴族か?」
「今回は商人一家です」
「何人?」
「四人」
「身代金は?」
「調査中です」
「高く取れそうなら連れてこい」
「承知しました」
「ただし」
ヴィットリオが指を立てる。
「傷つけるな」
「はい」
「死なせるな」
「はい」
「飯は食わせろ」
「はい」
「金を払えば返せ」
「承知しました」
カルロが頭を下げる。
ヴィットリオは満足そうに酒を飲んだ。
屋敷の外では、また警鐘が鳴っている。
遠くでは戦闘が始まったらしい。
エルディアでは兵士が武器を取る。
アルヴェリアでは工房が武器を作る。
グラディオスでは兵士が山へ向かう。
三国が、それぞれの理由で戦っている。
食料。
技術。
鉱物資源。
報復。
奴隷。
そして積み重なった憎悪。
誰もが、自分たちには戦う理由があると思っている。
だが、その戦争によって生まれた隙間に、一人の男が入り込んでいる。
薬を売る。
ポーションを売る。
大麻を売る。
武器を売る。
食料を売る。
人間を攫い、身代金を取る。
そして、それぞれの利益をさらに別の商売へ投資する。
戦争が続く限り、需要は消えない。
むしろ増える。
ヴィットリオはそれを理解していた。
だから、どの国にも忠誠を誓わない。
魔族だから魔族の味方をするわけでもない。
エルディアを憎んでいるわけでもない。
アルヴェリアを滅ぼしたいわけでもない。
ただ金になるから利用する。
ただ利益になるから戦争の隙間を歩く。
「なあ、カルロ」
「はい」
「戦争って、いつ終わると思う?」
カルロは少し考えた。
「分かりません」
「俺もだ」
ヴィットリオは笑った。
「でも――」
金貨を一枚、指先で転がす。
「終わらない方が、儲かるよな?」
「……まあ」
「だったら、俺には関係ない」
ヴィットリオは金貨を机へ置いた。
「明日も稼ぐぞ」
「承知しました」
再び酒杯が満たされる。
屋敷の外では、戦争が続いている。
王宮では首脳たちが頭を抱えている。
兵士たちは命を懸けて戦っている。
村人たちは家族を失っている。
工房では職人たちが武器を作り続けている。
そして、そのすべての間を縫うように――
金が動いている。
その流れを誰よりも楽しんでいる男がいた。
「ハハハハハ!」
ヴィットリオ・ヴァレンティア。
彼にとって戦争とは、憎しみでも正義でもない。
ただの巨大な市場だった。