第九話 金の鱗
古竜の咆哮が、山々を震わせていた。
巨大な顎が開く。
その奥から、凄まじい魔力の奔流が渦巻いていた。
対するヴィットリオは――。
「……」
笑っていた。
先ほどまでとは違う。
戦うことそのものを楽しんでいるというより、目の前にあるものの価値を計算しているような笑みだった。
ヴィットリオは古竜の巨体を見上げる。
頭部。
首。
胴体。
四肢。
翼。
そして全身を覆う巨大な鱗。
「……金」
ぽつりと呟く。
古竜の鱗は、ところどころ金属のような光沢を放っている。
長い年月を生きたことで魔力を吸収し続けた鱗は、単なる生物の外皮ではない。
金属とも鉱石ともつかない、不思議な輝きを帯びていた。
その中には、明らかに金色の部分まである。
さらに一部には、宝石のような鉱物まで固着している。
「……」
ヴィットリオの目が輝いた。
「これ、全部売れるよな?」
「……」
クラウディアが黙る。
レオノーラが呆れた顔をする。
「今、それを気にするの?」
「今だからだ」
「戦っている最中でしょう?」
「だからだ」
ヴィットリオは拳を握った。
「戦ってるついでに剥がせるなら、一石二鳥だ」
「素材として考えてるのね……」
「当たり前だろ」
セラフィーナが思わず頭を抱える。
「本当にお金のことしか考えてない……」
「違うぞ」
「何が?」
「力も欲しい」
ヴィットリオは古竜を見る。
「金と力」
そして。
「両方手に入るなら最高だろ」
古竜が動いた。
巨大な前脚が持ち上がる。
「来るわ!」
レオノーラが叫ぶ。
――ズンッ!!
巨大な爪が地面を叩きつける。
しかし。
そこにヴィットリオはいなかった。
「遅い」
次の瞬間には、古竜の側面。
ヴィットリオの拳が振り抜かれた。
――ドゴォン!!
鱗へ拳が叩き込まれる。
巨大な身体が揺れた。
「おらぁ!」
二発目。
三発目。
四発目。
拳が次々と古竜の身体へ叩き込まれる。
先ほどまでの模擬戦と同じだった。
大振り。
雑。
隙だらけ。
ただし。
相手があまりにも巨大すぎる。
拳が当たるたび、古竜の巨体そのものが揺れる。
「そこだ!」
ヴィットリオが跳ぶ。
空中で身体を捻り、脚を振り抜く。
――ドォン!!
蹴りが腹部へ入った。
古竜が一歩後退する。
「……」
レオノーラが目を見開く。
「押してる……」
「古竜を?」
セラフィーナも呆然とする。
「一人で?」
「そうみたいね……」
ヴィットリオは古竜の前脚を蹴り飛ばし、さらに胴体へ拳を叩き込む。
そして――。
拳が鱗へ食い込んだ。
「……ん?」
ヴィットリオが止まる。
拳の周囲。
金色の鱗に細かな亀裂が走っていた。
ヴィットリオはそれを見つめる。
「……剥がれるな」
ニヤリ。
「おい!」
クラウディアが嫌な予感を覚える。
「まさか――」
「回収しろ」
「何をです?」
「今剥がれたやつ」
ヴィットリオが叫ぶ。
「全部だ!」
「……」
「金色のやつは別にしろ!」
「はい?」
「宝石が付いてるやつもだ!」
部下たちが顔を見合わせる。
しかし、ヴィットリオの部下は慣れていた。
「承知しました!」
「お前ら!」
ヴィットリオがさらに叫ぶ。
「俺が剥がしたものは一枚も残すな!」
「はい!」
部下たちが動き出す。
戦闘の最中だというのに、まるで採掘現場の作業員のようだった。
レオノーラが呆れる。
「……本当に回収するのね」
「金になるからな」
「危険よ?」
「だから俺が戦ってる」
ヴィットリオは笑った。
「お前らは邪魔するな」
「でも――」
「この素材は俺のものだ」
「……」
セラフィーナが眉をひそめる。
「誰も取らないわよ」
「絶対だな?」
「取らないわよ!」
「ならいい」
その直後。
古竜が大きく身体を振った。
「――!」
巨大な尾が薙ぎ払われる。
ヴィットリオが跳んだ。
尾が頭上を通過する。
さらに古竜が身体を捻る。
巨大な爪が迫る。
ヴィットリオは真正面から受け止めた。
「おおおおッ!」
両腕で爪を押さえる。
地面が沈む。
「重てえな!」
ヴィットリオが笑う。
古竜が力を込める。
ヴィットリオの足が僅かに後退した。
「……!」
レオノーラが剣を構える。
「ヴィットリオ!」
「来るな!」
「でも!」
「邪魔するな!」
ヴィットリオは叫んだ。
「こいつは俺の獲物だ!」
古竜の爪を押し返す。
そして身体を捻る。
「――おらぁ!」
蹴り。
巨大な前脚を横へ弾き飛ばす。
古竜が姿勢を崩した。
その瞬間。
口が開く。
「まずい!」
セラフィーナが叫ぶ。
古竜の喉奥が赤く輝いた。
ブレス。
ヴィットリオへ向けて、巨大な炎の奔流が放たれる。
ヴィットリオは真正面から拳を構えた。
「またそれか!」
拳を振り抜く。
――轟!!
炎の奔流が大きく逸れる。
だが、古竜はそれを読んでいた。
ブレスの直後。
巨体が前へ滑り込む。
巨大な顎が開いた。
「……!」
ヴィットリオが横へ飛ぶ。
だが。
完全には間に合わない。
古竜の顎が迫る。
「くっ!」
ヴィットリオは両腕を突き出した。
上顎と下顎。
その両方を左右の腕で掴む。
――ズンッ!!
巨大な顎が閉じる。
しかし。
閉じない。
「……」
ヴィットリオの足が地面へめり込む。
古竜がさらに力を込める。
ヴィットリオの腕の筋肉が膨れ上がる。
「……へぇ」
ヴィットリオが笑った。
「力比べか?」
古竜が唸る。
巨大な顎と、ヴィットリオの両腕。
両者が真正面から拮抗していた。
「ヴィットリオ!」
レオノーラが駆け出す。
「手を貸すわ!」
「いらん!」
「でも!」
「いらねえ!」
ヴィットリオが叫ぶ。
「これは俺の仕事だ!」
セラフィーナも杖を構える。
「私が魔法で――」
「触るな!」
「何でよ!」
「素材が傷つくだろうが!」
「……」
セラフィーナが絶句する。
「そこ!?」
「そこだ!」
ヴィットリオは古竜の顎を押さえながら叫んだ。
「せっかくの古竜だぞ!」
「だからって……!」
「鱗も!」
ヴィットリオが古竜の身体を見る。
「爪も!」
さらに巨大な翼を見る。
「骨も!」
そして口元を見る。
「牙も!」
目が完全に金の亡者になっていた。
「全部俺のもんだ!」
「……」
レオノーラは剣を下ろした。
「……分かったわ」
「お姉様!?」
「本人がああ言ってるなら、もう任せましょう」
「でも……」
「それに」
レオノーラはヴィットリオを見る。
「手を出したら本気で怒りそうだもの」
「当然だ!」
ヴィットリオが即答する。
「この鱗、一枚いくらになると思ってる!」
「知らないわよ!」
古竜がさらに力を込める。
ヴィットリオの身体が沈む。
「……!」
だが。
ヴィットリオの口元が再び吊り上がった。
「いいぞ」
腕へ力を込める。
「もっと来い」
古竜が咆哮する。
「お前の心臓も――」
ヴィットリオの目が怪しく輝く。
「もらうんだからな」
古竜の咆哮とヴィットリオの笑い声が、同時に山中へ響き渡った。
その少し離れた場所では、ヴィットリオの部下たちが必死になっていた。
「こちら、金色の鱗!」
「宝石付きはこちらへ!」
「傷の少ないものは別に!」
「ヴィットリオ様! かなりの量が回収できています!」
「よし!」
ヴィットリオが叫ぶ。
「一枚も無駄にするな!」
「はい!」
レオノーラとセラフィーナは、その光景を眺める。
「……」
「……」
二人とも、同時にため息をついた。
古竜との死闘。
その最中だというのに。
ヴィットリオ・ヴァレンティアの頭の中にあるのは――。
金。
素材。
そして、七つ目となる古竜の心臓。
ただそれだけだった。