第十二話 古竜を持ち帰る
古竜の巨体を前に、ヴィットリオは葉巻をくわえたまま腕を組んでいた。
山の一角を埋め尽くすほどの巨体。
その身体から剥がされた金色の鱗。
地面へ積み上げられた爪。
一本一本が巨大な武器になりそうな牙。
そして、魔力を帯びた骨。
少し離れた場所では、部下たちがそれらを種類ごとに分け、傷の有無を確認しながら梱包している。
「……すげえな」
ヴィットリオが呟いた。
「何がです?」
部下の一人が尋ねる。
「全部だ」
ヴィットリオは古竜の死骸を眺める。
「金になる」
「……はい」
「武器にもなる」
「はい」
「防具にもなる」
「はい」
「魔導具にもなる」
「はい」
「食える部分もある」
「……はい」
ヴィットリオは満足げに頷いた。
「最高だな」
その横でセラフィーナが呆れた顔をする。
「さっきからそればっかりね」
「実際、最高だろ」
「古竜一匹よ?」
「だから最高なんだろ」
ヴィットリオは煙を吐き出す。
「こんなもん、一匹丸ごと手に入る機会なんてそうそうねえぞ」
レオノーラも周囲を見回した。
「確かに……」
改めて見ると、凄まじい量だった。
古竜の鱗だけでも相当な量がある。
爪。
牙。
角。
骨。
翼膜。
尾。
そして大量の肉。
そのすべてが、通常の魔獣とは比較にならない価値を持っている。
「これを全部持って帰るつもりなの?」
セラフィーナが聞く。
「当然だろ」
「……」
「捨てる理由がない」
「でも、肉なんか持って帰る前に腐るでしょう」
「だからクラウディアを呼んだんだ」
「え?」
クラウディアが少し離れた場所から歩いてくる。
「お呼びですか?」
「ああ」
ヴィットリオは古竜の死骸を指差した。
「腐りそうなところ、全部凍らせろ」
「全部ですか?」
「食えるところは全部だ」
「保存用に?」
「そうだ」
クラウディアは古竜を見る。
巨大な肉塊。
翼膜。
内臓の一部。
その他、時間が経てば傷み始める部位。
「……確かに、この量を通常の方法で運ぶのは難しいですね」
「だろ?」
「ですが、私の凍結魔法なら保存できます」
「じゃあ頼む」
クラウディアは杖を掲げた。
淡い冷気が周囲へ広がっていく。
古竜の死骸から切り分けられた肉へ冷気が集まり、表面が瞬く間に白く染まっていく。
さらにその周囲。
腐敗しやすい骨や組織にも魔力が行き渡る。
やがて、それらは完全に凍結した。
「これでしばらくは大丈夫です」
「よし」
ヴィットリオは頷いた。
「じゃあ氷室へ送れ」
「もうですか?」
「早い方がいいだろ」
「分かりました」
クラウディアが別の魔法陣を展開する。
凍結された肉塊が一つずつ魔法陣の中へ移されていく。
光が瞬く。
そして消える。
向かう先は、ファミリアが所有する大規模な氷室だった。
魔石による冷却設備と魔法陣を組み合わせた、食料や薬品などの長期保存を目的とした施設である。
「これで肉は?」
ヴィットリオが尋ねる。
「順次送っています」
「全部頼む」
「はい」
ヴィットリオは満足そうに頷いた。
その一方で、凍結の必要がない素材は次々と分類されていく。
「鱗、こちらです!」
「金の部分は別に!」
「宝石が固着しているものは絶対に傷つけるな!」
「骨はこちらへ!」
「牙は一本ずつ包め!」
部下たちが忙しく動き回る。
セラフィーナがその様子を見ながら呟いた。
「……なんか、本当に採掘現場みたい」
「実際、似たようなもんだろ」
ヴィットリオが答える。
「違うのは鉱山そのものが死体になってるだけだ」
「言い方」
レオノーラが苦笑する。
ヴィットリオは気にしない。
彼の視線は、地面へ並べられた金色の鱗へ向いていた。
中には、表面だけでなく内部まで黄金の輝きを帯びたものがある。
さらに宝石が自然に固着したような鱗まであった。
「それは別だ」
ヴィットリオが即座に指差す。
「はい!」
「そっちも」
「了解!」
「それも傷をつけるな」
「承知しました!」
セラフィーナが横から見る。
「……本当に細かいわね」
「売値が変わる」
「結局それ」
「当然だろ」
ヴィットリオは葉巻を口から外した。
「傷物より無傷の方が高く売れる」
「まあ、それはそうだけど」
「なら丁寧に扱う」
「合理的なのか、ケチなのか分からないわね」
「金を無駄にしないだけだ」
やがて、地面に残されるものが少なくなっていった。
肉は凍結され、氷室へ転送された。
鱗は分類され、牙や爪、角もそれぞれ梱包されていく。
骨も一本ずつ整理されていく。
そして――。
「……で」
セラフィーナが周囲を見る。
「これ、どうやって運ぶの?」
「馬車」
「……」
「馬車だ」
「どれだけいると思ってるのよ」
「知るか」
「あなたが全部持って帰るって言ったんでしょうが!」
「だから馬車を使うんだろ」
ヴィットリオは当然のように答えた。
その時。
「ヴィットリオ様」
部下の一人がやって来た。
「準備は整っております」
「何が?」
「運搬用の馬車です」
「……」
セラフィーナが部下を見る。
「準備してたの?」
「はい」
「いつから?」
「戦闘前からです」
「戦闘前?」
レオノーラも目を瞬かせる。
部下は淡々と説明した。
「ヴィットリオ様が古竜と遭遇した場合、まず間違いなく『全部持って帰る』と言い出すだろうと判断しましたので」
「……」
セラフィーナがヴィットリオを見る。
「読まれてるじゃない」
「俺の部下だからな」
「威張るところ?」
「当然だろ」
部下は続ける。
「通常の荷馬車では到底足りないと判断し、輸送用の馬車を手配してあります」
「何台?」
「魔馬十頭引きが五台」
「……五台?」
「はい」
「それと、ヴィットリオ様用の一等馬車を一台」
ヴィットリオの顔が明るくなる。
「最高だ」
「でしょうね」
セラフィーナが呆れる。
「魔馬十頭引き五台って……」
「ファミリア所有の馬です」
レオノーラが首を傾げる。
「あなた、そんなに魔馬を持っていたの?」
「持ってるぞ」
「何のために?」
「競馬」
「……」
今度は三人全員が黙った。
「競馬?」
「ああ」
ヴィットリオは何でもないことのように言う。
「馬主になって稼ごうと思ってな」
「あなた……」
セラフィーナが頭を抱える。
「どこまで金儲けするつもりなのよ」
「稼げるなら何でもいいだろ」
「それで?」
「馬は買った」
「うん」
「育てた」
「うん」
「で、いざ走らせようとしたら――」
ヴィットリオの顔が少しだけ不満そうになる。
「既存の競馬関係者から猛反発を食らった」
「……どうして?」
「俺が参入したら勝負にならねえってな」
「それは……」
レオノーラが言葉を濁す。
ヴィットリオの組織が金に物を言わせて揃えた魔馬。
血統。
育成。
餌。
装備。
何もかも既存の馬主とは規模が違う。
ヴィットリオ本人は純粋に「勝てる馬を買って稼ぐ」つもりだったのだろうが、周囲からすれば競争そのものが成立しなくなる。
「だから部下たちが嫌がった」
「はい」
部下が頷く。
「既存の競馬場との関係が悪化する可能性が高く、また興行そのものが成立しなくなるとの判断から、馬主としての参入は見送っていただきました」
「……それで馬だけ余った」
「その通りです」
ヴィットリオが腕を組む。
「もったいねえよな」
「だから今こうして役に立っています」
「そうだな」
ヴィットリオは満足そうに笑った。
「結果的に古竜を運ぶのに使える」
「最初からそういう用途ではありませんでしたが」
「細かいことはいい」
部下は苦笑する。
「では、積み込みを始めます」
「頼む」
運搬作業が始まった。
魔馬十頭が牽く巨大な荷馬車。
一台。
二台。
三台。
四台。
五台。
それぞれに、分類された素材が積み込まれていく。
鱗。
骨。
爪。
牙。
角。
翼膜。
その他の加工可能な素材。
重量のあるものは複数人がかりで慎重に載せられていく。
特に巨大な頭骨が姿を現した時には、部下たちが一度作業を止めた。
「……これは?」
部下の一人が尋ねる。
「それは別だ」
ヴィットリオが答えた。
「傷つけるな」
「はい」
「魔王城へ持って帰る」
「承知しました」
レオノーラが頭骨を見る。
「やっぱり贈るのね」
「ああ」
「お父様たちに?」
「そうだ」
ヴィットリオは胸を張る。
「義理の父親と母親への土産だ」
「……」
セラフィーナが笑いを堪える。
「何よ」
「いや……」
「言いたいなら言え」
「あなたが『義理の息子として威厳のある土産を』とか言ってるのが面白くて」
「何がおかしい」
「だって素材が古竜の頭骨よ?」
「最高だろ」
「まあ……お父様は喜ぶでしょうね」
レオノーラも笑う。
「お母様はどうかしら」
「骨だけじゃねえ」
ヴィットリオが答える。
「装飾品にする」
「装飾品?」
「古竜の骨で置物を作る。金も使う。宝石も使う」
「随分と豪華ね」
「当たり前だ」
ヴィットリオは真顔になる。
「親への贈り物だぞ」
その一言だけは妙に真っ当だった。
セラフィーナとレオノーラが顔を見合わせる。
「……そこだけは本当に普通なのよね」
「何言ってんだ」
「いや、普段が普段だから」
「失礼な奴だな」
ヴィットリオは鼻を鳴らした。
「ケチケチしてどうする」
そう言ってから、積み込まれていく素材を見渡す。
古竜一匹分。
金色の鱗。
宝石。
牙。
爪。
角。
骨。
そして頭骨。
その大半が、今や彼の所有物だった。
「……悪くねえ」
ヴィットリオは笑った。
さらに自分の胸へ手を当てる。
そこには、七つ目の心臓が吸収されている。
元々、魔族の中でも化け物じみた力を持っていた男。
そこへ六つの古竜の心臓を取り込んだことで得た、異常な体力と再生力。
そして今。
七つ目。
「力も手に入った」
葉巻を口へ戻す。
「金も手に入った」
煙を吐く。
「土産までできた」
ヴィットリオは満足げに笑った。
「今日はいい日だな」
「……本当にあなたは最後までそれなのね」
セラフィーナが呆れる。
「何が?」
「何でもない」
やがて積み込みが終わった。
五台の大型荷馬車には、古竜の素材がぎっしりと積まれている。
凍結された肉などはすでに氷室へ転送済み。
残った価値ある素材は、可能な限り傷をつけないよう梱包されていた。
そして中央には、一台だけ明らかに格の違う馬車がある。
黒を基調とした車体。
金属製の装飾。
内部には柔らかな座席。
長距離移動を前提とした設備まで整えられた、ファミリア所有の一等馬車。
ヴィットリオがそれを見る。
「俺はあれだな」
「当然でしょうね」
セラフィーナが即答した。
「お前らも乗れ」
「いいの?」
「古竜の素材を運ぶのを手伝った駄賃だ」
「……」
セラフィーナが少し笑う。
「じゃあ遠慮なく」
「私もいいの?」
レオノーラが尋ねる。
「当たり前だ」
「ありがとう」
クラウディアも荷物を確認する。
「凍結した肉はすでに氷室へ転送済みです」
「よし」
「残りの素材も問題ありません」
「よし」
「では帰りましょう」
「ああ」
ヴィットリオは豪華な馬車へ乗り込む前に、一度だけ振り返った。
そこには、かつて山そのもののように横たわっていた古竜の巨体があった。
だが今はもう違う。
巨大な死骸は解体され、価値ある素材へと姿を変えた。
そしてその大部分が、ヴィットリオのものとして荷台へ積まれている。
「……」
ヴィットリオは笑った。
「古竜一匹で、これだけ儲かるとはな」
部下が聞く。
「帰還後、すぐ査定を?」
「ああ」
「売却先は?」
「高く買うところから順番に当たれ」
「承知しました」
「ただし――」
ヴィットリオが頭骨を見る。
「これは売るな」
「はい」
「金や宝石も一部残せ」
「装飾品用ですね」
「そうだ」
ヴィットリオは満足そうに葉巻をくわえる。
「義理の父親と母親に、最高の土産を作る」
魔馬が嘶いた。
五台の荷馬車がゆっくりと動き出す。
その後ろを、一等豪華な馬車が続く。
そしてヴィットリオは車内の柔らかな座席へ身体を沈めた。
セラフィーナとレオノーラも向かいに座る。
クラウディアは窓の外を確認しながら、最後の転移準備を進める。
山道を進む長い一行。
その荷台には、古竜一匹分の財宝とも言える素材が積まれていた。
「……」
セラフィーナが窓の外を見る。
「本当に全部持って帰るのね」
「当然だ」
「欲張り」
「金が好きなんだ」
「知ってる」
レオノーラが笑う。
「でも、七つ目の心臓まで手に入れたんだから、今回は本当に大収穫ね」
「だろ?」
ヴィットリオは葉巻を吹かす。
「だから言っただろ」
「何を?」
「金と力」
ヴィットリオは窓の外へ目を向ける。
「両方手に入る仕事は、いい仕事だ」
その顔には、戦いを終えた戦士の疲労などほとんどなかった。
あるのはただ――。
予想以上の利益を手にした商人の、満足そうな笑みだけだった。