※この作品はR-18です。

異世界マフィア   作:山門門山

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第5話戦いの後で

第五話 戦いの後で

 

「……分かった。払う」

 

 ヴィットリオが渋々と呟いた。

 

 その言葉を最後に、訓練場にはようやく戦いの終わりを告げる静けさが戻った。

 

 床には無数の亀裂。

 

 壁には大きな拳の跡。

 

 砕けた石片があちらこちらに散らばり、魔法によって焦げた場所まである。

 

 つい先ほどまで、ここは魔王城の訓練場だった。

 

 今では、戦争の直後のようだった。

 

「……」

 

 セラフィーナはその惨状を眺める。

 

「……やりすぎたわね」

 

「お前が言うか?」

 

 ヴィットリオが言った。

 

「私だけじゃないでしょう!」

 

「そうだな」

 

 ヴィットリオはあっさり認めた。

 

 レオノーラも大剣を鞘へ収める。

 

「私たちも少し熱くなってしまったわ」

 

「お姉様まで……」

 

「でも」

 

 レオノーラはヴィットリオを見る。

 

「あなたも悪いわよ」

 

「俺か?」

 

「ええ」

 

「俺は殴っただけだぞ」

 

「その結果がこれでしょう」

 

 レオノーラが訓練場を指差した。

 

 ヴィットリオは辺りを見回す。

 

「……まあ、そうだな」

 

 反省しているのかしていないのか、よく分からない顔だった。

 

 クラウディアは深々と息を吐く。

 

「もう結構です」

 

「何が?」

 

「今日はこれ以上何もしないでください」

 

「分かった」

 

「本当に?」

 

「分かったって」

 

 クラウディアはヴィットリオの顔を見る。

 

 そして少しだけ目を細めた。

 

「……信用していいのでしょうね?」

 

「俺が何をするっていうんだ」

 

「それを私が考えなければならないこと自体が問題なのです」

 

「酷い言われようだな」

 

 クラウディアは返事をしなかった。

 

「レオノーラお姉様、セラフィーナお姉様」

 

「何?」

 

「はい?」

 

「先に浴場へどうぞ。汗もかいたでしょう」

 

「そうね」

 

 レオノーラが頷く。

 

「セラフィーナも行きましょう」

 

「うん」

 

 二人が訓練場を出ていく。

 

 ヴィットリオはその背中を見送った。

 

「……俺は?」

 

「あなたは後で」

 

「何でだ?」

 

「あなたは汗をほとんどかいていません」

 

「そうだな」

 

「それに、あなたが浴場に行くと狭くなります」

 

「……」

 

「事実です」

 

「分かったよ」

 

 ヴィットリオは諦めた。

 

 クラウディアはそんな夫を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 そして二人の王女は、魔王城の浴場へ向かった。

 

     *

 

 魔王城の浴場は広かった。

 

 王族が使用するためだけに設けられた区画だけでも、人間の宿屋なら数軒分の浴場が入るほどの規模がある。

 

 高い天井。

 

 石造りの床。

 

 壁際には湯気の立つ大きな浴槽。

 

 洗い場にも十分な広さがあり、侍女たちが使うための設備まで整えられている。

 

 セラフィーナは浴場へ入るなり、大きく息を吐いた。

 

「はぁ……」

 

「疲れた?」

 

 レオノーラが尋ねる。

 

「疲れたっていうか……」

 

 セラフィーナは肩を回す。

 

「身体がまだ変な感じ」

 

「雷を撃ったのはこちらでしょう?」

 

「そうなんだけど」

 

 セラフィーナは苦笑する。

 

「最後のヴィットリオの動き、覚えてる?」

 

「ええ」

 

「私、あれ本当に怖かった」

 

 レオノーラが少し驚いた顔をする。

 

「あなたが?」

 

「だって、私の防御魔法よ?」

 

「そうね」

 

「三枚とか五枚とかじゃないのよ」

 

 セラフィーナは湯に浸かりながら、指を折る。

 

「魔力をかなり使って、強度も限界まで上げた」

 

「それを一撃」

 

「そう。一撃」

 

 セラフィーナは湯面を見つめる。

 

「しかも、あの拳」

 

「ええ」

 

「お姉様、あれ受けてたでしょう?」

 

「受けていたわ」

 

「よく腕折れなかったわね」

 

 レオノーラは自分の腕を見る。

 

「かなり痺れたわ」

 

「やっぱり?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、やっぱり化け物じゃない」

 

「……否定はできないわね」

 

 レオノーラが苦笑した。

 

 セラフィーナは湯を掬って肩へかける。

 

「最初はただの大男だと思ってたのに」

 

「最初から大男だったでしょう」

 

「そういう意味じゃないの」

 

「分かっているわ」

 

 二人の間に少しだけ沈黙が落ちる。

 

 やがてセラフィーナが言った。

 

「でも、変だった」

 

「何が?」

 

「最初のヴィットリオ」

 

「ええ」

 

「ものすごく強いのに、動きは雑だった」

 

「本人も言っていたわね」

 

「『殴ればいい』って」

 

「ええ」

 

「本当にそのままだった」

 

 セラフィーナが笑う。

 

「大振りで、隙だらけで、力任せ」

 

「それでも当たれば危険」

 

「そう」

 

 セラフィーナは頷く。

 

「だから避けるしかない」

 

「あなたは後ろから魔法を撃つ」

 

「うん」

 

「私は前で受ける」

 

「そう」

 

「……」

 

「……」

 

 二人は顔を見合わせる。

 

「意外と相性いいわね」

 

 セラフィーナが言った。

 

「ええ」

 

「お姉様が前に出て、私が後ろから撃つ」

 

「いつもの形ね」

 

「でも相手がヴィットリオだと、ちょっと違う」

 

「そうね」

 

 レオノーラは湯に肩まで浸かった。

 

「彼は私の攻撃を受けても止まらない」

 

「私の魔法も」

 

「ええ」

 

「だったら――」

 

 セラフィーナが考える。

 

「もっと強い魔法を使う?」

 

「訓練場がなくなるわ」

 

「……」

 

「それに」

 

 レオノーラは静かに続ける。

 

「ヴィットリオは、こちらの攻撃に慣れていく」

 

「そう思う?」

 

「ええ」

 

「私も少し思った」

 

 セラフィーナは腕を組む。

 

「最初は鈍かったのに、途中から急に速くなった」

 

「怒ったからでしょうね」

 

「やっぱりそうよね」

 

「明確に痛みを与えた瞬間から変わったわ」

 

「雷撃の後?」

 

「ええ」

 

「……私、狙いすぎたかな」

 

 セラフィーナが少しだけ気まずそうに言う。

 

 レオノーラは首を振った。

 

「模擬戦だから仕方ないわ」

 

「でも、最後……」

 

「ええ」

 

「『死に晒せ』って」

 

「……」

 

 レオノーラは少し考えた。

 

「正直に言えば、私も少し焦ったわ」

 

「お姉様でも?」

 

「ええ」

 

「じゃあ私が怖かったのも仕方ないわね」

 

「そうね」

 

 二人はしばらく黙った。

 

「クラウディア、よく間に合ったわね」

 

 レオノーラが言う。

 

「うん」

 

「あと少し遅れていたら」

 

「……考えたくない」

 

 セラフィーナが顔をしかめた。

 

「私、死んでた?」

 

「可能性はあるわ」

 

「……」

 

「でも、クラウディアがいた」

 

「そうね」

 

 セラフィーナが小さく笑う。

 

「昔から、あの子って変なところだけ凄いのよね」

 

「変なところ?」

 

「戦えないのに、一番危ない瞬間に一番冷静」

 

「クラウディアらしいわ」

 

「私たちが熱くなってる横で、あの子だけずっと冷静だった」

 

「ええ」

 

「……三女なのに」

 

「妹だからこそ、かもしれないわね」

 

「私たちよりずっと大人に見えるときがある」

 

「それは否定できないわ」

 

 二人は顔を見合わせる。

 

「でも」

 

 セラフィーナが笑う。

 

「帰ったら、あの子がヴィットリオに文句言ってそう」

 

「でしょうね」

 

「『あなたは妹を殺すつもりですか』とか」

 

「言いそうね」

 

「で、ヴィットリオは『悪かった』って」

 

「言うでしょうね」

 

「……」

 

「……」

 

「なんか想像できる」

 

 二人は同時に笑った。

 

 湯気の向こうで、緊張がようやく解けていく。

 

「それにしても」

 

 セラフィーナが呟く。

 

「お姉様」

 

「何?」

 

「あの人、本当に訓練してないのかな」

 

「本人はそう言っていたわね」

 

「勿体ないと思わない?」

 

「思うわ」

 

「ちゃんと戦い方を覚えたら、もっと凄くなる」

 

「でしょうね」

 

「……」

 

 セラフィーナが少し笑う。

 

「もう一回やりたい」

 

「あなた、懲りないわね」

 

「次は勝つ」

 

「私も付き合うわ」

 

「本当?」

 

「ええ」

 

 レオノーラは凛とした笑みを浮かべた。

 

「ただし、次は訓練場を壊さないようにしましょう」

 

「それは……」

 

「セラフィーナ」

 

「……努力する」

 

「それでいいわ」

 

     *

 

 その頃。

 

 ヴィットリオは自室へ戻っていた。

 

「……」

 

 鏡の前に立つ。

 

 身体には模擬戦で負った傷が残っている。

 

 だが、本人は気にした様子もない。

 

 軽く身体を拭き、簡素な肌着だけを新しいものへ替える。

 

「これでいい」

 

 汗はほとんどかいていなかった。

 

 ヴィットリオにとっては、あれほど激しい模擬戦でさえ、身体を洗い流さなければならないほどの運動ではなかったらしい。

 

 そのまま衣装を整える。

 

 高級なシャツ。

 

 仕立ての良い上着。

 

 重厚な外套。

 

 そして、先ほど侍従に預けていた指輪や腕輪を身につける。

 

 一つずつ。

 

 どれも価値を知って選んだ品だ。

 

「……よし」

 

 最後に黒い宝石の指輪を確認する。

 

「傷なし」

 

 満足したところで扉が開いた。

 

「お待たせしました」

 

 クラウディアだった。

 

「おう」

 

「着替えたのですね」

 

「肌着だけな」

 

「それで十分でしょう」

 

 クラウディアは夫の姿を見て頷いた。

 

「では、お姉様たちを待ちましょう」

 

「腹減った」

 

「知っています」

 

 しばらくして。

 

「お待たせ」

 

 レオノーラとセラフィーナが戻ってきた。

 

「行きましょう」

 

「うん」

 

 四人は魔王城を出た。

 

     *

 

 王都の中心部。

 

 そこには、魔族の国でも屈指の高級レストランがある。

 

 大通りに面した巨大な建物。

 

 外観からして他の店とは明らかに違う。

 

 磨き上げられた石造りの壁。

 

 大きな窓。

 

 店先に立つ従業員たちは全員が上質な制服を身につけている。

 

 四人が近づくと、入口の従業員が深く頭を下げた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 そしてヴィットリオを見る。

 

「ああ、オーナー」

 

「今日、席は取ってあるか?」

 

「もちろんでございます」

 

 セラフィーナが眉を上げた。

 

「オーナーって……」

 

「俺の店だからな」

 

「知ってたけど、改めて言われると腹立つわね」

 

「何でだ?」

 

「何でもない!」

 

 店内へ入る。

 

 豪華な内装。

 

 高価な食器。

 

 磨き上げられた家具。

 

 落ち着いた照明。

 

 そして何より、食材の質が違った。

 

 魔族領は食料が豊富な土地ではない。

 

 だからこそ、この店では他国から取り寄せた食材が惜しげもなく使われている。

 

 エルディア産の小麦。

 

 エルディアの平野で育てられた野菜。

 

 海沿いの地域から運ばれた魚介。

 

 アルヴェリアから仕入れた香草や果実。

 

 さらに、亜人たちが育てた希少な家畜の肉。

 

 魔族の一般家庭なら一度の食事で使うことなど到底考えられないほどの量が、ここでは当たり前のように料理へ使われている。

 

「相変わらず凄いわね」

 

 レオノーラが店内を見回す。

 

「ここ、前にも来たわよね」

 

「ええ」

 

 クラウディアが答える。

 

「三人で何度か来ています」

 

「私も覚えてる」

 

 セラフィーナが頷く。

 

「この魚料理、美味しかった」

 

「今日はそれも出す」

 

 ヴィットリオが言った。

 

「本当?」

 

「あと、エルディア産の小麦を使ったパン」

 

「それ高いんじゃない?」

 

「高いぞ」

 

「なんで普通に出せるのよ」

 

「俺の店だからな」

 

「またそれ?」

 

 ヴィットリオは笑う。

 

 四人は個室へ案内された。

 

 席に着く。

 

 すぐに料理が運ばれてくる。

 

 前菜。

 

 焼きたてのパン。

 

 魚料理。

 

 肉料理。

 

 スープ。

 

 果物。

 

 そして酒。

 

 セラフィーナが目を輝かせる。

 

「……これ、全部?」

 

「ああ」

 

「エルディア産の食材も?」

 

「かなり使ってる」

 

「アルヴェリアのも?」

 

「もちろん」

 

 クラウディアが料理を眺める。

 

「この量を魔族領で揃えるのは大変でしょう」

 

「だから他国から買ってる」

 

「買っているだけではないでしょう?」

 

 クラウディアがちらりと見る。

 

 ヴィットリオは笑った。

 

「商売の話は食事中にするな」

 

「あなたが言うのですか?」

 

「食事は食事だ」

 

「……」

 

 クラウディアはそれ以上言わなかった。

 

 レオノーラが料理を口に運ぶ。

 

「……美味しい」

 

「だろ?」

 

「ええ」

 

 セラフィーナも一口食べる。

 

「……悔しいけど美味しい」

 

「何で悔しいんだよ」

 

「あなたが作った店だから」

 

「俺が作った料理じゃないぞ」

 

「分かってるわよ!」

 

 笑い声が起こる。

 

 ヴィットリオも豪快に笑いながら肉を食べる。

 

 つい先ほどまで、訓練場では拳と剣と魔法が飛び交っていた。

 

 それが嘘のようだった。

 

 四人は同じ卓を囲み、豪華な食事を楽しんでいる。

 

 そしてヴィットリオは、料理を眺めながら満足そうに頷いた。

 

「やっぱり、金ってのはいいな」

 

「またそれですか」

 

 クラウディアが呆れる。

 

「美味いものが食える」

 

「それだけ?」

 

「高い服が買える」

 

「……」

 

「高い酒も買える」

 

「……」

 

「高い宝石も買える」

 

 ヴィットリオは指輪を掲げる。

 

「最高だろ」

 

 レオノーラが笑う。

 

「あなたらしいわね」

 

 セラフィーナも呆れながら笑う。

 

「本当にどうしようもない男」

 

「褒め言葉か?」

 

「違うわよ」

 

「そうか」

 

 クラウディアはそんな二人を眺める。

 

 そして静かに料理を口へ運んだ。

 

 悪くない。

 

 今日も。

 

 戦いは散々だった。

 

 訓練場は壊れた。

 

 夫は妹を本気で殴りかけた。

 

 修繕費まで発生した。

 

 それでも今は、三人の姉妹と一人の男が、同じ食卓を囲んでいる。

 

 クラウディアはふとヴィットリオを見る。

 

「……」

 

「何だ?」

 

「いえ」

 

「そうか」

 

「……今日の食事代ですが」

 

「何だよ」

 

「修繕費から差し引くと言いましたね」

 

「ああ」

 

「この店の食事代も含めます」

 

「……」

 

 ヴィットリオの顔が固まった。

 

「おい」

 

「何でしょう」

 

「それは話が違う」

 

「同じことです」

 

「違うだろ」

 

「経費です」

 

「俺の店だぞ」

 

「だからです」

 

 レオノーラとセラフィーナが同時に吹き出した。

 

 ヴィットリオはしばらくクラウディアを睨んだ。

 

 だが――。

 

「……まあいい」

 

 肉を一切れ口へ放り込む。

 

「美味いから許す」

 

「そうですか」

 

 クラウディアは淡々と食事を続けた。

 

 その横で、二人の姉が笑っている。

 

 こうして、模擬戦という名の大騒動の一日は――。

 

 意外にも穏やかな食卓で終わろうとしていた。

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