呪いの装備を拾った女がフェラチオすることになる話。

 一人を好む女冒険者のイブキは、優れた剣術を武器にして特に不自由ない生活を送っていた。しかしある日、隠し通路で見つけた一本の魔剣が、彼女の人生を変えることになる……。

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舐め舐めソード

 ここは、なんかざっくり異世界RPGっぽい世界。世界征服を企む魔王やそれを打倒する勇者はいないが、人智を超えた存在や未知のダンジョンは普通にある。で、わりと人類は平和にやっている。そういう世界である。

 そんな世界のとある地域に、一人の女冒険者がいた。名前はイブキという。歳は20代前半、戦闘スタイルは近接系物理タイプ。男顔負けの剣術の才能を活かして一人でクエストをこなしている珍しいタイプである。

 複数人で挑むことが前提の大きいクエストには参加しないから、特別に大きな報酬にありつくことはない。そのかわりそこそこのクエストを一人で難なくこなして、そこそこの収入を独り占めする。そして一人で人生を楽しむ。それが彼女の生き方だった。……もし彼女に剣の才能がなかったら、ぼっち気質だけが残って危なかったかもしれない。傍から見ている者がそう思うことは多いらしく、ギルドに通う他の常連冒険者からの視線は、少しの尊敬と少しの気まずさが半々といった具合だった。

 そんなイブキがある日、とっくに踏破されて地図が市場に出回っているような浅い初心者向けダンジョンの中で、まだ誰も見たことがない隠し扉を発見した。ダンジョンに入って間もない地点の壁にポツンと現れたそれが、いったいなぜ今まで見つかっていなかったのか。露骨に不可解ではあるものの、とにかく何度手元の地図を確認してみても、その扉の存在は載っていなかった。

 彼女はそのまま、扉の先にある物もギルドへの報告に含めようと判断して、のこのこ一人で未開の地に踏み入ってしまう。

 扉の先は細い通路で、敵や罠の類はなかった。そしてその通路の先に今度は狭い部屋があり、そこには宝箱が置いてあった。その部屋が通路からの行き止まりで、部屋自体に特に仕掛けがある風でもない。ということはつまり、あの隠し扉はこの宝箱を隠す物だったと見て間違いないだろう。

 イブキは宝箱を開けた。こういう場所にある宝箱にはレアな品物が入っていると相場が決まっている。……そして実際そこには、見たこともないほど美しい剣が眠っていた。

 美しいというのは、装飾的な意味でもそうだし、機能的な意味でもそうだ。あまりの出来の良さに見ただけでも分かる。研ぎ澄まされた刃、頑丈な刀身、長い間置かれていただろうに各部の輝きはくすずるどころか煌めくようで、それに何やら魔力が滲み出ていることまで感じる。これは一騎当千の魔剣に違いない。イブキは確信して、その剣を手に取った。

 ……彼女は、たとえばもしそれが剣ではなく日本刀の形をしていれば、手に取ることは躊躇っただろうか?

 魔剣という言葉が頭に浮かんだなら、妖刀という言葉も思い出すべきだったかもしれない。

 剣を手に取り、その異様な軽さに感動したのも束の間。彼女は同じく宝箱の中にあった鞘を手に取り、剣を収めて、それを腰に装備した。……全て無意識の行動だった。

 流れるような所作からふと我に返った彼女は、あれ、何か変かもしれない? そう思った時にはもう、その剣を手放すことに強い恐怖を感じるようになっていた。普通なら未知の品は一度ギルドの鑑定に回すのが冒険者の筋なのだが、とんでもない、全くそんなことをする気が起きない。食事中も、入浴時も、眠る時だって、絶対に手放したくない、肌身離さず置いておきたい、誰かに預けるなどもってのほかだ。イブキはそう強く思った。……幸い、自分がおかしくなりつつあることの自覚はあった。

 噂に聞いたことがある。この世には呪いの装備なる物が存在すると。それを手に取ってしまった者はその装備を身につけることに執着するようになり、やがて呪いの効果によって衰弱して死を迎えるのだと。

 今自分が手にしてしまったこの剣は、どうも明らかにその呪いの装備の一つであるらしい。解呪は教会で行えると聞くが、教会も全ての呪いを必ずしも解けるわけではない。呪いによる衰弱死の話が有名な噂になっていること自体が、解けない呪いがこの世のどこかには実在していることを言外に物語っている。

 この剣の呪いが、その解けない呪いだったら……。イブキの背中に嫌な汗が伝う。が、よく考えてみると今のところは、体調に一切の変化がない。呪いとは遅効性なのだろうか? あるいはただ手放せなくなるだけで、死に繋がる効果はない呪いも存在する……?

 精神衛生のために楽観的に捉えつつ、イブキは来た道を引き返す。出口がなくなっている……なんてこともなく、普通に隠し扉まで戻ってきた。

 すると本来の道筋である広い通路の向こうから、へにょへにょ声の女の悲鳴が聞こえてくる。

「た、たすけてくださ〜い」

 なぜそれで冒険者になろうと思ったんだ? というくらいびっくりするほど遅い走りで、魔術師っぽい大きな帽子を被った女が駆けてくる。その背後にはゴブリンの群れが迫っていて、もうあと数秒で追いつかれそうだった。

 女がゴブリンに捕まった場合、単に殺されるよりも酷い目に遭うことはこの世界の常識である。イブキはもちろん助けに出た。

「任せて!」

 さっそく腰から魔剣を抜く。一番近くに迫っているゴブリンに向けて一閃……するつもりだったし、実際そうしたのだけれど。イブキはその時、なんともいえない違和感をその身に受けた。

 狙った対象に、狙った攻撃をした。……そのはずなのに、まるで誰かに体を操られたような感覚がしたのだ。

 すると背後から、少量の水をパシャッとかけられたような妙な感触があった。なんだ……? と、深く考えずに振り返ると……。

「…………え」

 そこにはすでに、ゴブリンの死体の山があった。群れが全員死んでいる、切り殺されている。床の血の海はまだ広がっている最中で、切られたことに気づいていないのか、真っ二つになったまま威勢のいい雄叫びを上げている個体までいた。

 イブキが背中にかけられたと思った水は、ゴブリンの返り血だったのだ。

「す、すごい! すごいすごい! 一瞬で全部切ったんですか!?」

 街で曲芸でも見たかのようにのんきな賞賛の声が魔術師から上がる。それを受けてイブキもようやく、目の前の光景が自分のやったことであるらしいと理解した。

 ふと、さっきまで隠し扉があった場所に目をやると、もうそこはただの壁になっていた。呆然としながら、イブキは手の中にある剣を見つめる。ゴブリンの群れを切り伏せたはずなのに、血の一滴も付いていない。しかし確かに、少なくとも一匹を切った手応えはあったのだ。

 イブキは理解する。この魔剣の恩恵は切れ味だけではない。この魔剣は、使用者すら知覚できないほど高度に、使用者の戦闘力を上げてしまう物なのだ。一匹を切る感覚で全員を切れてしまうほどに。

 幸いなのは、魔剣が敵味方の区別をつけてくれるらしいことだ。そうでなければ今頃は魔術師まで真っ二つだった。

 気を取り直して、イブキは魔術師に向き直る。

「あ、あぁ、まぁね、今日は調子が良かったかな。……それで? 貴方はどうしてこんなところに一人で?」

 自分が言うのもなんだけれど、女一人でダンジョンに潜るなんてそうそう聞かない話だ。何か事情があると見た方が良い。

 案の定、魔術師は命懸けの逃亡から分泌されていたアドレナリンが切れたのか、途端にしおらしくなって泣き始めた。

「仲間と来てたんですけど、私たちまだ初心者で、蘇生魔法とか使える人もいなくて、それでっ、それで……」

「あー、うんうん。大体分かった、大丈夫だから安心して」

 要は初心者パーティーが初心者用のダンジョンに潜るも、不意打ちなのか初歩的な罠にかかったのか、とにかく不覚をとってメンバーが何人か死亡。そのまま劣勢になり、唯一の五体満足の生き残りだった魔術師ちゃんが逃げ帰ってきた……というわけだ。

 この世界において、寿命以外の理由で死亡した者は蘇生魔法で生き返らせることができる。ギルドにはそれ専門の部隊が複数控えているので、申請さえすれば死体回収→蘇生の流れを(有料で)責任をもって請け負ってくれる。死体が跡形もなくなった場合は霊体にアクセスして蘇生することが可能なので、冒険者の死が不可逆的に取り返しのつかないことになる可能性はまずないのだけど……。それにしたって死にたくはないのが人情だろう。ましてやゴブリンに嬲られた末に死ぬなんて御免に決まっている。

 ちなみにギルドでの蘇生は、死体回収を冒険者が自力で行った場合その分だけ安くなる。逆に霊体からの蘇生には一般人の平均年収の数倍みたいなとんでもない費用がかかる。よって死体の回収は「死体その物が失われるリスクを避ける」という意味でも、冒険者にとって大きな意味を持つ行為になるわけだ。

 そしてイブキは、一人が好きではあるが善人でもある。

「じゃあ私は貴方の仲間たちを探してくるから、貴方は自分たちのパーティーにどんなことがあったのかをギルドに帰って報告しといて」

「えっ。あの、でも」

「大丈夫、私強いから」

 特に、この魔剣を持っている今は、ものすごく強い。

 魔術師から大体の場所を聞いて、イブキはダンジョンの奥の方へ進んでいく。道中現れる魔物は相手にならないなんてものではなく、視界に入ったと思った瞬間にはもう真っ二つになっていた。

 難なく見つけた哀れな死体を無事に回収して出口に向かうと、おーいと手を振る声が聞こえた。魔術師と、それから蘇生部隊の人たちがもうそこまで来ていた。蘇生部隊は肌の露出を極端に減らした砂漠の民のような象徴的な装備で統一されているため、遠くから見るだけでもすぐにそれと分かる。

 隠し扉があったはずの場所を見ると、やはりそこにはただの壁があるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呪いの何たるかをイブキが思い知ったのは、彼女が街に帰ってからだった。……いや違う、本当は蘇生部隊を見た時に分かっていたのに、気のせいだと自分に言い聞かせていた。

 全力疾走をした直後のように心臓がバクバクと暴れている、息が上手く吸えない。ハッ……ハッ……と危うい呼吸をしながら、彼女は大通りを歩いていく。通行人たちが怪訝な顔でこちらを見ている。その視線の一つ一つをイブキは確認せずにいられなかった。どの視線がどんな人物からの物なのか、本人の意思に関係なく目で追って確認してしまう。

 彼女が向かっているのはギルドではない。彼女は民間のアイテム鑑定所を目指している。そこでの鑑定はギルドの公的なものと違って金がかかる分結果が出るのが早く、またその場で直接売買のやり取りもできる。が、売買に関しては今のイブキにとってはどうでもよく、とにかく素早くその場で終わる鑑定だけが今の彼女の求める物だった。

 呪いによって、通行人の視線の出処を全て確かめてしまう。いやそれだけでなく、こちらを見ていない者の存在まで確かめてしまう。誰がどこで今何をしているのか……。それを「確かめる」とはどういうことかといえば、つまりは「性別を確かめる」のである。

 イブキは今、とにかく誰が相手でもいいから、フェラチオがしたくて仕方がなかった。

 自分でも頭がおかしいと分かってはいる。嫌悪感もある。彼女にはそもそも男性経験がないし、前向きに興味を持ったこともない。男の物を咥えるどころか、肌同士で触れることすら可能な限り避けたいと思っている。仮に万が一、どこかで意外にも自分が恋に落ち、将来誰かと結ばれることになったのだとしても、フェラなんて汚い行為だけは絶対にしたくないとまで思っている。

 にも関わらず彼女は今、フェラがしたくてしたくてたまらない。どんな馴れ初めでもいいからとにかく男の物を咥えたい、今すぐ口に含みたい、舐め回したい、精液を飲みたい。飲んだことなんて一度もないのに……。

 彼女は全てを理解していた。呪いによる衰弱死とはこれのことだ。もしこの呪いが永遠に続く物なら、自分はやがて衝動に負けて男の物を咥えるだろう。淫乱を装って誰彼構わず誘い、時も場所も選ばずとにかくしゃぶり続けるだろう。……そうなれば自分は間違いなく首を吊る。男の玩具になり下がらなければ生きられない人生なんて耐えられない。衰弱とは精神の衰弱を指していたのだ。

 それに加えて、あの隠し扉……! あれは、あれがなぜ今まで見つからなかったのかは、分かってみれば簡単なことだった。あの扉は「女が一人でいる時」にしか現れないのだ。あの魔剣は、今も腰に差してある、この忌々しい……この期に及んで絶対に手放したくないと強く思ってしまうこの魔剣は、女の手に取られることを望んでいたのだ。

 蘇生部隊の尽く露出を抑えた装備は、装備者の性別をシルエットと声以外では判別困難にする。おかげでイブキは呪いの衝動を「気のせい」と思うことが出来た。しかし街に戻ればどうだ。当然ながら通行人は誰しも、女はどう見ても女だし、男はどう見ても男だ。視線を向ける先を選ぶ自由すら奪われて、呪いの本領がイブキを誘惑し続ける。

 気が狂いそうになる衝動を抑えながら、荒い呼吸に構わずなんとか歩を進める。前へ、前へ、早く鑑定所へ。この魔剣の正体を突き止めて、そしたら次は、教会に解呪に向かわないと。いや、むしろこのまま教会に行った方がいいのか? アイテムの詳細が分からないままではつつがない解呪作業が行えようはずもないけれど、でも、一秒でも早くこの呪いを……。

 と、衝動と思考の渦に我を忘れそうになりながら足だけはなんとか動かしていた時、ちょうど彼女が前を通りがかった酒場のドアが開いた。中からほろ酔いの男二人が談笑しながら出てきて、イブキとぶつかりそうになる。

「おっと。悪い、大丈夫か?」

「ッッッ……!!!!!!!!」

 自分より一回り以上高い背丈、広い肩幅に厚い胸板、低く響く声。……相手の顔から順に、それが男だということを認識しながらイブキの視点は、下へ下へと落ちていって……。

 ……気がついたら駆け出していた。地面を蹴る衝撃が一歩ごとに心臓を殴りつけてくるみたいで苦しい。勝手に出てくる涙で前がよく見えない。甲高いトチ狂ったような叫び声が聞こえた気がして、それが自分の声だと認めたくなかった。

 衝動に負ける寸前のところで、呪いに屈しかけている自分自身への恐怖をエネルギーに変えて駆け出したイブキは、ついに鑑定所にたどり着くことが出来た。店になだれ込んだ彼女は、しかしカウンターを見て絶句する。そこに座っているのも男だった。それも自分の父親くらいの年齢の。

 しかし、もはや、なりふり構っていられない。彼女は腰に差していた剣を鞘ごと取り外し、それをカウンターの上に叩きつけた。

「頼むから今すぐちんぽをしゃぶらせてくれ!!」

「…………は?」

 頼むから今すぐこれを鑑定してくれ……と言ったつもりだった。

 店内の空気が凍る。ひそひそと蔑むような声が周囲から聞こえてきて、イブキは、自分が今何を口走ったのかを少しずつ理解していく。気のせいだ……と一瞬のうちに何百回自分に言い聞かせても、目の前の店主の異常者を見るような目が、この場の空気を形成する全てが、何が真実であるのかを物語っていた。

 イブキは前後不覚のまま店を飛び出した。意識したわけでもないのに、魔剣はいつの間にか自分の腰に戻っていた。

 そして彼女はついに、通りを歩いていた見ず知らずの人間にぶつかってしまう。それも思いきり、お互いが尻もちをつくほどの勢いで。

「痛ってぇなッ!! どこ見てんだボケが!!」

 怒気を存分に含んで響いたその怒鳴り声は、明らかに男の声だった。見ると転んだ男の隣には他にも二人の男が並び立っていて、三人の男の視線がイブキを射殺すように向いていた。

 ……もう限界だった。

「……お、お願いします、おちんちんしゃぶらせてください。お詫びに、その、ぶつかったお詫びに、ちんちんしゃぶらせてください、お願いします……」

 涙をぼろぼろ流しながらそんな言葉を口にするイブキは、見るも明らかにまともではない。まともな人間がそれを見れば何か事情があるのではと気遣ってくれたかもしれないし、そこまで察してくれなくても怖くなって逃げ出すくらいはしてくれたかもしれない。

 けれど、日頃の行いはむしろ良い方であるはずなのに、この時ばかりはイブキに運がなかった。

 ニヤリと口角を上げた三人の男たちによって、イブキは絶望に脱力した体を引きずられるようにして、路地裏へと連れ込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男たちはイブキの必死な奉仕を、「コイツ泣きながらイラマしてる」と笑った。イラマ……というよりは、イブキはただ路地裏の地べたに膝をついて、当然シャワーなんて浴びられないまま知らない男の物を咥えては、衝動に強制されるまま奥へ奥へと飲み込んでいただけなのだけど。

 彼女が泣いているのは苦しいからではなかった。汚い、臭い、気持ち悪い……全て心では思っているはずなのに、体は少しもその行為を拒絶しない。するすると喉の奥まで入って、舌まで勝手に動いた。

 イブキはただ、自分が無様に思えて泣いていた。これからずっと自分はこんなことをして生きていくのかと思うと、人間以下の家畜か何かになったような気がしてみじめだった。「助けて」すら言えないのだ。言おうとしても別の言葉が口に出て、終いには口そのものを自ら塞いでしまう。

 一生しないつもりの行為だったのに。いざ咥えてみれば、これがもしも自分の意思で……自分の選んだ相手にしたことならどんなによかっただろうと思ってしまう。下卑た男たちに笑われ、頭を押さえつけられ、潰れたカエルのような声を出しながら胃液混じりの唾液を垂れ流すのは……それを望ましいと体だけが示してしまうことは、屈辱という言葉では表しきれないほど手酷く彼女の尊厳を踏みにじった。

 イブキに咥えさせている男が射精した。彼女は出された物をごくごく飲んでしまう。吐き出したいと思っても体がいうことを聞かない。それどころか頬が勝手に緩み眉は垂れ下がり、媚びるような笑顔で男のことを見つめてしまう。まるで自分の体はとうに他人に乗っ取られて、自分の人生なんてものはもう二度と取り戻せなくなったように彼女には感じられた。

 ……が、さらに不幸なことに、呪いの衝動はそこで一度途切れる。どうも男を射精させるなり精液を飲むなりすれば、抗いがたい衝動は一時的に収まるようだ。しかしそれは体のコントロールが彼女自身に完全に戻るということ。「体で感じることの全て」を一分の一のスケールで、正しく自分事として彼女自身が感じるようになってしまうということ。

 大通りからの視線を隠すように……この行き止まりの路地裏を遮るように立っている男は三人いる。一人を射精させたらハイおしまい……なんてことは、あるはずがない。

 次は俺のを頼むわ、と二人目の男がベルトを解いて汚い物を取り出し、一時的な解呪に呆然としているイブキの眼前に突きつけた。

 臭いが鼻についた途端、吐きかけた。思わず彼女が後ずさる。

「む、無理……っ。あの、もうおしまい。おしまいにして……」

「あ? 何を訳わかんねぇこと言ってんだ、自分から誘っておいて」

「それは……」

「泣いて喜びながらしゃぶってたじゃねぇか。さっさと俺のもやってくれよ」

「い、イヤ……嫌だぁ……」

 イブキは力なく首を振る。絶対にしたくないのに、拒否する権利が自分にあると自信を持てていないような弱々しさだった。

 頑なに拒否する彼女に機嫌を損ねた男が、仲間に目配せする。

「……おい、コイツやっちまうか」

 嘲るように同意の笑みを浮かべた男たちが、一斉にイブキに迫る。無理やりさせられる……いや、もはやそれどころで済むとすら思えない。

 そして魔剣のもたらす力は、こういう時に限って持ち主の味方をしない性質をしていた。

 誰か助けて! ……そう叫ぼうとした時には、イブキの口はゴツゴツした大きい男の手で塞がれていた。

 …………一方その頃、路地裏の入口にて。ふとその強姦現場に気がつき、足を止めた者がいた。獣人の若い女だった。猫の耳がぴくぴく動いて微かに漏れてくる声を拾い、特徴的な形の目がぎらりと光る。

 彼女の名前はニナ。窃盗・詐欺・脱獄、その他諸々の罪状で指名手配されている犯罪者だ。ただし手配書はまだ山二つを超えた先の彼女の母国にしか出回っておらず、彼女は現在、自分を知る者がいない地に逃げ延びての逃亡生活を謳歌している。

 盗品を売り捌いて稼ぐことが得意な彼女の審美眼(あるいは野生の勘)は、三人がかりで強姦される哀れな女ではなく、その女の傍らにある珍しい剣の方に注目していた。あれは間違いなく高く売れる。しかも幸いなことにその持ち主は今、自力では抜け出せない地獄の中にいる。そこから救い出してやれば、恩返しということであの剣をもらえることだってあるのではないか? あるいは暴漢たちと格闘するどさくさに紛れて剣を盗んでもいい。何にせよ黙って立ち去るという手はなさそうだった。

 さてそうなると、問題をあの女を助けるのか否かだ。助けた恩として穏便に剣をもらうのがベストではあるが、足手まといを助けようとして自分が怪我をしたのでは話にならない。剣を持っているということは冒険者なのだろうけど、果たして彼女を助けることはリスクになるのかどうか……。

 ニナがじっくり考え込んでいたその時、今にも押し倒されようとしているイブキと彼女ははっきりと目が合った。……イブキの目は「助けて」と明確に訴えていた。そしてそのSOSサインは、「私は助かる気がある」と豪語するような、まだ事を諦めていない者の鋭さでもあった。

 あいつは足手まといにはならない。そう判断したニナが、男のうち一人を背後からの奇襲で蹴り飛ばす。そして残りの二人が呆気にとられているうちに、一切の躊躇がない金的蹴り込みを食らわせて、あっという間に三人をダウンさせた。ただし蹴り飛ばされただけの一人は呻きながらもすぐに起き上がろうとしている。

 ニナがイブキの手を取る。

「逃げるにゃ! 剣は……」

 持った? と確認しようとしたその時にはもう、剣を片手にしたイブキがむしろニナよりも早く駆け出していた。離すに離せない呪いの剣だ。そしてその持ち主は本来それなりに手練の冒険者で、身を守るための判断の速さは誰にも負けない。

 衛兵の目が行き届く場所まで逃げ延びた二人は、まずはお互いにホッと胸をなで下ろした。二人とも息は切れていない。獣人であるニナは元々運動が得意で、イブキは魔剣の持ち主だから。その恩恵がもたらす身体能力の向上は、性行為から遠ざかるほど本来の力を取り戻していた。

「助けてくれてありがとう。本当に……本当に助かった……」

「いやいや、当然のことをしたまでにゃ。……でもなんであんなことになってたんだにゃ? あんた、見る限りだと結構強そうにゃけど」

「う、それは……」

 現場を見られた上で隠していても仕方がない……というよりも、同性である誰かに相談したいというのが今のイブキの本心だった。が、一人を好んできた彼女には友達と呼べる相手がいない。目の前の獣人娘は蜘蛛の糸だった。

 落ち着いて話せる場所に行きたいとイブキは言う。ただ男がいる場所は嫌だとも。それでイブキは結局、知り合ったばかりのニナを自宅に上げることになった。

 彼女はそこで話す。この剣が呪いの装備であること、その呪いがどんな物か、自分がどれだけ苦しんだか……。

 ニナにとってその話は、悲報でもあり朗報でもあった。悲報は、持ち主が絶対に手放したくないという衝動に駆られている以上、その剣を売り捌く線はほぼ消えたこと。そして朗報は、弱みを持った女ほど利用しやすいものはないということ。

 真剣に話を聞いてくれたニナのことを、イブキはもう信用しつつあった。人嫌いが弱って人を求めるようになると、こうも容易い性格になってしまうものなのか。彼女は自嘲気味に笑いながら、ほだされた声音で「そういえば」と切り出す。

「まだ名前を聞いてなかった。私はイブキ、あなたは?」

「ニナ。……ねぇイブキ、よく聞いてほしいことがあるにゃ。物は相談なんだけどにゃ……」

「うん?」

「実はわたしは、魔法や魔物全般を独学で研究してるんだにゃ。呪いの装備もその研究対象の一つにゃんだけど……イブキが持ってる物は初めて見たにゃ。でも、調べれば絶対に解呪方法が分かるはずにゃ」

「えっ! そうなの?」

「そうにゃっ。だけどその、研究にはお金が必要だから……。……解呪を約束するのと引き換えに、その、協力してくれないかにゃあ……?」

「それは……もちろんいいけど」

「ほんとにゃ!? な、なんか信用してもらえてる感じがして嬉しいにゃあ」

「えぇ? 信用するに決まってるでしょ、命の恩人なんだから」

 にへへ、とニナは照れくさそうに笑う。もちろんそれは演技で、彼女の発言は全て嘘である。彼女は研究者などではないし、解呪なんか出来っ子ない、何の知識も持たないし学ぶつもりもない。ただ魔剣の力を持つ女を利用して荒稼ぎする気だけがある。

 ただイブキの方も、お人好しではあっても世間知らずではない。解呪は教会がする物だということは知っている。だから聞いた。

「でも、解呪なら教会にお願いした方がよかったりしない……? ニナに協力したくないって意味じゃなくてね?」

 その質問に、待ってましたとばかりにニナは答える。最後の詰めだった。

「それにゃんだけど……。イブキは今、ギルドや教会にとって未知のアイテムをゲットしたのに、その提出を拒んでる形ににゃってるでしょ……? 譲渡しろって言われてるわけでもにゃいのにその対応をしてるってことになると、のこのこ出て行ったらどんな罰を受けるか分かったものじゃないにゃ……」

「そ、そんな……」

「調べるからその剣をしばらく預かるって言われて、ちゃんと渡せるにゃ……?」

 イブキがぶんぶんと首を横に振る。死んでも嫌だと言わんばかりに。実際、呪いによって泣きながら自ら辱めに飛び込んでいったくらいだ、同じく呪いによって執着している剣を奪われるとなったら、泣く泣く人の一人や二人殺してしまってもおかしくない。

「だよにゃあ。その点、わたしの研究はイブキの傍で出来るにゃ。それにゃらイブキも安心でしょ?」

「なるほどね」

 イブキは完全に納得してしまった。さすがにギルドの鑑定士だって事情が事情ならちゃんとこちらの意見を汲んでくれるのでは……とか、もうそういうところまで頭が回らなかった。イブキは疲れていた、今日はいろいろあったから。

 ……その日から、イブキのちょっとした伝説が始まった。今まで一人用のクエストだけを受けていた彼女が、パーティーを組まないまま複数人前提のクエストを受けるようになった。そして受けたクエストを次々とクリアしていったのだ。魔剣の力はそれほどに凄まじかった。

 一方でニナは、研究には時間が必要だからとずっと留守番していた。魔剣の現物がなくても出来ることはあるだとか適当なことを言って。そしてイブキが稼いだ報酬金のほとんどを受け取り、こっそり豪遊しながら面白おかしく生活していた。

 そして彼女は毎晩、イブキに「安全な男」をあてがう。呪いによるフェラチオの衝動はどうやら、大体一日に一度発散すれば収まるようだったから、イブキは信頼できる相手との行為を毎晩取りつける必要があった。その点、恩人であるニナが選んだ男なら安心だ。それにニナは行為中に必ず同席してくれる。見られるのが恥ずかしくないといえば嘘になるけど、万が一のことがあった時にまた助けてくれるという安心感の方がずっと大きかった。……ニナは裏でイブキを売り物にした売春斡旋料を男たちからせしめていたのだけれど、イブキは当然それを知らない。

 何度繰り返しても、衝動に身を任せるがままに咥えることの屈辱に慣れなれたわけではなかった。けれど一日目と違って、その生活には希望があった。いつか解呪方法が見つかるかもしれない。心細くなれば相談相手がいるし、明日の生活をどうしようと悩むこともない。もしニナがいなかったらと思うとゾッとする。何の目的もなく強さを持て余し、信頼できるか分からない男に屈辱を飲み込んで自ら声をかける、いつ終わるかも分からない孤独な日々に苦しむことを想像すると……。

 そうして偽物の希望と紛い物の安心に浸りながら、これでいいんだと自分に言い聞かせながら生きているうちに、あっという間に一ヶ月が経ってしまった。解呪研究に進捗はない。さすがのイブキもその点は怪しみ始めていた。が、彼女はすっかりニナのことを信頼していて、今は「もしかすると、努力はしたけど解呪の見当もつかなくなっていることを、私に気を遣って言い出せないのかもしれない」と考えている。そしてそれなら、彼女が言い出してくれるまで待とうとさえ思っている。

 ……が、一ヶ月もの時の中で、二人以外の全ての者が魔剣の存在に勘づかなかったかといえば、そんなことはなかった。突然異様な活躍を見せ始めた女冒険者、なぜか過剰に剣を隠そうとするその振る舞い、それらに目をつけた者がいる。それは諜報活動も兼ねる教会からの使いと、その使いから情報を得た神官……要するに教会の幹部だった。

 装備品を隠したがる者の動機は大体決まっている。それが盗品であるか、禁忌の品であるか、あるいは未発見の物であるにも関わらずギルドに未報告の品であるか。単なる盗品で劇的な活躍ができるとは思えず、強力な武具の窃盗被害届も確認されていない。となれば自ら生み出した禁忌か、あるいはどこかから発見された未知の品か。……その正体が呪いの装備である可能性が残っている限り、解呪の技術向上と実行の義務を背負う教会としては見過ごすわけにいかない。

 その件に関して任を受けたのは一人の中級神官だった。中級神官とは、まぁざっくり言って、教会内の中間管理職ポジションのことだと思ってもらえればいい。今回任を受けたその神官は女性で、名前をルゥララという。ルゥララは諜報に長けた使いの者を数名駆り出し、イブキを見張らせることにした。それが約一ヶ月前の話。

 それから半月ほど経って情報が集まり始めた頃、彼女は部下のまとめた書類の中に面白い話を聞いた。イブキという女は、ニナという女に騙されていること。なぜか進んで売春行為に手を染めていること。民間の鑑定士から聞いたイカれた女の話が関連していそうなこと。そしてニナという人物は遠い国から逃げ延びてきた罪人であるということまで、ルゥララは知った。

 後半の半月、ルゥララは自ら調査の現場に乗り出した。私服姿でギルドの食事処を利用しながらイブキの様子をその目で確かめる。

 ところでそれはそれとして、ルゥララという人物はあどけない顔立ちの美人であり、分かりやすく巨乳でもある。

「お姉さん一人? 今って暇してる?」

 一人でちびちび食事していたルゥララに声をかけてきたのは、軽薄そうな男の二人組みだった。

 冒険者ギルドといえばこの世界の公的機関の一つであり、この世界の人類は概ね平和に暮らしているが、それはそれ、これはこれである。戦争がなくても治安がいいとは限らないし、衛兵は昼間から起こる一介のナンパに割って入るほど暇とは限らない。

 が、ギルドの常連の中には、ルゥララの正体を知っている者も少なくなかった。教会といえばある種の巨大な権力団体だ。中級神官という役職は要人とまでは呼べないかもしれないが、ナンパの相手としてはあまりにも無謀なことは間違いない。彼女の正体を知る者たちは「あいつら終わったな……」と気まずそうに事態を傍観していた。

 その中でルゥララは、ナンパされる自分に対して異様な視線が一つだけ向いていることに気づいた。神官という正体を知る者の気まずさでもなく、気の毒な女を見る者の気まずさでもない、もっと別の何か。異様な執着を感じさせる鋭い眼光が場違いにもこちらに向けられている。その視線の主はイブキだった。

 それを受けて、あの女は一見まともそうに見えてその実すでに正気ではない……とルゥララは確信する。そして神官である彼女は知っている、呪いの装備は主に精神を蝕むものだということを。

 とはいえ何にも気づいてないフリをして、彼女はナンパ男たちの方に向き直った。

「暇ですよぉ。奢ってくれますかぁ?」

 せっかくならもっといい店で奢らせてくれよ、そうのたまう男たちに連れられて、ルゥララはギルドを出た。ギルド内には他の諜報員もいたが目配せすらしない。この程度の出来事は完全に想定内であり、目立たないように立ち回ることは暗黙の了解になっている。

 三十分程度でルゥララ一人だけがギルドに戻ってくる。あの男たちは戻ってこない。あぁしょっぴかれたんだな……と、事情を知る者は粛々と理解する。正確には、事情を半端に知っている者が、理解した気になっただけなのだが。

 戻った頃にはとっくにイブキの姿はなかった。クエストに出かけたのだ。まだ日は高かったが、ルゥララは食事処でビールを注文して一気飲みした。ぷはぁと美味そうに飲む姿は可憐な容姿と良い意味でのギャップを演出し、それゆえに目立ち、後日彼女は上司から「神官としての自覚を持て」と真面目に怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イブキとニナの偽物の友情が始まってから丸々一ヶ月が経ち、二ヶ月目に突入しようとしていた頃。イブキの家に朝から客人が訪ねてきた。部下を大勢連れたルゥララである。今日の彼女は、蘇生部隊の服装からフードを取り除きより分厚い生地にして色味も変えたような教会の正装を身につけており、首からは中級神官の身分を証明する紋章をぶら下げている。

「おはよ〜ございま〜す。教会から来ましたぁ、中級神官のルゥララといいますぅ」

「は、はぁ……。何か……?」

 玄関で応対しつつ、イブキは怪訝そうに尋ねる。その腰にはまるで剣にマントを着せるようにして人目から隠された魔剣が差されている。

 ルゥララの声は子どものようだし、喋り方も気が抜けている。顔立ちも幼く、背は低く、やたらと胸元ばかりが目立つ。紋章を首から下げていたとしても、率直に言ってあまり威厳を感じられる人物ではなく、だからこそ不気味だった。そんな女がぞろぞろと部下を引き連れて、一介の冒険者の自宅まで訪ねて来るとは。何か用があるならギルドを通せばいいはずなのに。

 ルゥララは布に隠されたイブキの腰元の剣を一瞬だけ見てから、困り顔で答えた。

「実はですねぇ、イブキさんが呪いの装備を持ってるんじゃないかって情報が入りましてぇ。もしかしてお困りなんじゃないかなぁ〜と思いましてぇ、お訪ねしたんですけどぉ」

「……いや、呪い? 知りませんけど」

「あ、怒ってるわけじゃないんですよぉ? 解呪のために教会を訪れてないのもぉ、何か事情があってのことなんでしょうし〜。我々はイブキさんの意思を尊重しますからぁ」

「……あの、だから、何の話をしてるのかもよく分からないんですけど」

 ニナの話を信じきっているイブキにとって、教会の者は自分を脅かすおそろしい権力者に見えている。彼女は腰の剣に手を当てた。まさか実力行使で抵抗なんて、後先を考えれば出来るはずないが、それでもそこに無敵の魔剣があることを確かめずにはいられなかった。

 そして彼女の頼りはその剣だけではなく、背後にももう一つある……いやもう一人いる。

「イブキ〜? 朝っぱらから何を……にゃ?」

 いかにも熟睡を経て目覚めただろうボサボサ頭のニナが玄関先に出てくる。教会の人間が大挙している光景を目にして、寝ぼけていた頭はすぐに冴えた。「まずい」と。ただしそれは自分の悪事がバレることではなく、金ヅルが取り上げられることへの危惧だった。彼女は自分の指名手配情報がこの国の教会に割れているとは、まだ夢にも思わなかったのである。彼女の罪状に脱獄がある(つまり捕まったことがある)のは、そういう詰めの甘さに由来することだろう。

 ニナの姿を認めたルゥララは、小鳥を慈しむ乙女のような微笑みを浮かべた。ただそれは見映えの話でしかない。

「あ、みなさ〜ん、ニナがいましたよぉ。確保〜」

 部下たちが一斉に拘束魔法を唱える。ニナはあっという間もないうちに楕円形の結界内に捕らえられた。

 にゃっ!? と声を上げた彼女が内側から結界を叩く、獣人特有の鋭い爪を立てる。しかし傷一つつかない。音は通すようで、くぐもった声の彼女が「なんにゃこれぇ!?」とパニックになりつつある様子が結界の外から観察できた。

 拘束された本人と同じくらい狼狽えたのは、イブキだ。

「なっ、はっ!? え、なに、なんですか!? なんでニナのこと……!」

「あのですねぇ。彼女、指名手配されてる犯罪者なんですよぉ。ここから山を二つも超えなきゃいけない、遠い国の出身なんですけどねぇ」

 取り寄せた手配書を部下から受け取り、ルゥララがイブキに見せつける。人相は間違いなくニナ。書かれている罪状は……読み進めると目眩がしてくる。

「ニナちゃんにはねぇ、解呪なんて一生かかっても出来ないし、そもそも研究なんかしてないんですよぉ。それに毎晩のアレ、ニナちゃんは男から斡旋料をもらってるの、知ってましたぁ? ひどいですよねぇ」

「に、ニナ……? 嘘だよね……?」

 震え声のイブキがニナを振り返る。結界の中でニナは必死に叫んだ。

「う、嘘に決まってるにゃ! これは、なっ、何かの……これは陰謀で……。……イブキ、信じて?」

「ニナ……」

 その時イブキは見てしまった。ニナの冷や汗を垂らした顔。どこかで見覚えのある、こんな時に思い出したくなかった物のこと。

 イブキは一端の冒険者だ。クエストとして犯罪者を追い詰めたことも何度かある。そうして場数を踏むうちに知ったこととして、後がなくなった犯罪者の慈悲を乞う言葉は様々だったけれど、表情は一種類しかなかったことを覚えている。……今のニナとちょうど同じような顔だ。

 ニナはそんなことしない……とは、イブキにも言えなかった。現に解呪の成果は欠片も出ていないし、言ってしまえば一ヶ月前に突然知り合った仲でしかない。ニナの過去なんてよく知らないし、それでこれだけの情報を突きつけられれば、あぁ騙されてたんだなとすんなり思えてしまう。

 ……だけどそれでも、イブキにとってニナは恩人だった。路地裏で助けてくれたことも、相談に耳を傾けてくれたことも、生活に希望をくれたことも。全てが金のためだったとしても、寄り添われて救われた気持ちが消えるわけじゃない。

「……ニナのこと、許してくれませんか」

「へ?」

「私、ニナに助けられたんです。騙されてたのかもしれないけど、それでもニナのおかげで立ち直れたんです。一人でいるより、騙されてる方がずっとよかった。今私がこうして普通に話せてるのも全部、ニナのおかげなんです。だからどうか、お願いします……」

「……あらら〜」

 イブキに頭を下げられたルゥララが、さすがに少し困った顔をした。まるで子どもに敬語で駄々をこねられたかのように。

「え〜とですねぇ。まぁ、じゃあイブキさんへの詐欺行為については〜、今回は不問ということにしてもいいんですけどねぇ。でも、指名手配なので〜。逮捕は逮捕なんですよぉ」

「そ、そこをなんとか……!」

「なんともなりませんよぉ。……でもまぁ、そうですねぇ。国に送り返すのだけはやめてあげられるよう、配慮してもいいかもですねぇ。きっと向こうでは相当恨まれてますし〜」

「そっ、恨まれ……? じゃあやめて、やめてください、送り返すとか」

「はいはい。じゃあ送り返すかわりに、この国で責任を持って収容することにして〜、イブキさんを助けた功績に免じて、収容環境も出来るだけ良い物にするよ〜ってお約束します。それでいいですかぁ?」

「う……」

 これ以上の譲歩はできない。と、ルゥララは言外に言っている。イブキは結界に捕らわれたニナを振り返った。視線で問う、どうしたらいい? どうしてほしい……?

 ニナは、涙に潤む目をして頷いた。その条件でいい、ありがとう……と。自分を庇ってくれたイブキに心を打たれて、まるで改心したかのように。

 が、実際のところ彼女はまったく改心なんてしていない。大抵の悪党がそうであるのと同じように、彼女は次の一手を考えていた。イブキは思っていたよりも輪をかけてお人好しだ、脱獄してきて「ひどい扱いを受けた」とか適当なことを言って頼れば、次の逃亡生活に協力してくれるはず。ここは「同情に値する人物」を演じておいた方がいい……と。

 そんな悪巧みは露知らず、ルゥララに向き直ったイブキが頭を下げる。

「ニナのこと、よろしくお願いします」

「あら。はぁい、任せてくださいねぇ。……それでイブキさん、呪いの剣のこと、認めてくださいますかぁ?」

「……っ」

 それはまるでニナを人質にとった交換条件だった。冒険者ギルドの登録者がクエスト内でみつけた未知のアイテムを隠蔽することは、窃盗とまではいかなくとも明確に犯罪である。犯罪者かつ非協力的な人間との約束なんて、法の運用に口を出す権限を持つ教会からすれば反故にも出来るのだぞ……という、緩やかな脅し。

 イブキが腰元の剣を鞘ごと手に取る。悪目立ちする煌びやかな装飾を隠すためのマントがめくれて、鞘に収まった状態でも明らかにただものではないと分かる魔剣が姿を現す。漏れ出る異様な魔力についても、教会の者たちは正しく危険な物として感じ取った。

「間違いありませんねぇ」

 ルゥララが手のひらを差し出す。寄越せ、と。白くて華奢で、戦闘なんか一度も経験したことのなさそうな女の子の手だった。冒険者であるイブキから見れば世間知らずの手にも見えたかもしれないが、相手が聖職者であることを思えばいっそ神々しくもある。

 彼女に剣を差し出すことは、理屈で考えれば惜しくもなんともない。隠蔽していたことを水に流してもらえるならむしろ万々歳だ。……が、淫らな衝動が収まっている今この時も、「手放したくない」と思わせる呪いは生きている。

 差し出された手に、鞘に収まった剣を捧げるように乗せた。乗せたが、ルゥララがそれを掴んでも、イブキは剣から手を離すことができなかった。それどころか頭の片隅に、その剣を抜刀して、邪魔者を全て切り捨てる選択肢が浮かんでくる。選ぶはずがない選択肢が、しかしどうしても脳裏にこびりついて消えてくれない。

「……大丈夫ですよぉ、イブキさん。ここで解呪しましょう? 遠くに持っていったりなんてしないですからぁ。ね?」

「え……?」

 解呪、できるの……? という衝撃もあったけれど。それ以上にイブキは、自分の心を読まれたかのようにかけられた配慮の言葉に驚いていた。

 教会側はどうやらずいぶん自分のことを調べたらしいと思ってはいたけれど、まさかそこまで察してくれるとは思わなかった。あるいは情報として把握はされていても、こんなに当然のように配慮してくれるとは思わなかった。

 その時点でイブキの中から、教会と敵対する選択肢は消えた。行動の意味だけではなく精神的にも、教会は自分の味方なのだと確信できるようになった。

 彼女の震える指が、なんとか剣から離れる。ルゥララは聞き分けのいい子どもに接するかのように微笑んだ。

「解呪は少し時間のかかることなので〜、お邪魔してもいいですか〜?」

 イブキが了承して、ルゥララとその部下たち全員がぞろぞろとリビングに押し寄せる。ニナを捕らえた結界は術者がいれば動かすことも容易なようで、結界ごと同じくリビングに同席させられる形となる。解呪はルゥララ一人が行うとのことで、部下たちの役割はニナをこのまま逃がさないことだった。

 ルゥララは剣を足元に置き、膝をついて両手をかざす。魔力由来の暖色の光がポワポワと灯り出して、何やら呪文を唱え始める。専門的な知識がなければ解読不能な何らかの言語らしき物を仰々しく読み上げていく。

 五分が経ち、十分が経っても、その光景は変わり映えがしなかった。不安そうに見守っていたイブキに、教会の部下の一人が声をかける。

「一時間ほどかかるかと」

「えっ。そっ、そうなんですね」

 様々な感情がイブキの中を吹き抜ける。一時間このままなのは長いという気持ち、逆に一時間程度で呪いが解けてしまうのかという半信半疑な喜び。そして、話しかけてきたのが男だったことによる、もう身に染み付いてしまった警戒心。

 教会の男は、イブキが強ばったことに目ざとく気づいた。そして彼女の境遇に同情したが、それを表には出さなかった。

 一方で、結界の中のニナは内心「一時間!?」と絶望している。狭い結界の中で一時間なんて窮屈だし、何より退屈だ。しかしその内心を表に出せば(特にイブキへの)心象が悪い。彼女は根性で、解呪の成功を祈る健気な女を演じ続ける。長期戦に耐える心は脱獄計画で磨いた。

 ふと、呪文を途切れさせたルゥララが顔を上げる。休日の昼下がりみたいな、気の抜けた表情をしていた。

「あ、時間かかるのでぇ、どうぞおやつでも朝ごはんでも食べててもらって〜。教会の皆さんも〜、休憩タイムで〜す」

 一同が困惑の様子で顔を見合わせる。え、そういう感じ? ていうかその呪文って途中で途切れても大丈夫なやつなんだ? おやつタイムって言っても初対面すぎて気まず〜……と、いろいろな困惑が飛び交う。

 とはいえ一時間棒立ちは素直につらいので、菓子とお茶を用意して本当に休憩タイムが始まった。菓子が人数に対して明らかに足りないとなって、じゃあ俺買ってきますよと買い出しに出る部下までいる始末。

 ルゥララのぽわぽわボイスで得体のしれない呪文が読み上げられることをBGMに、妙な時間と妙な面子によるティータイムが始まった。

 落ち着いてよく見れば、ルゥララの部下には様々なタイプの者がいた。男、女、人間、獣人。ただどの人もみんなそれなりに若い。

「あの、ニナだけ仲間外れだとさすがに可哀想なんですけど……。この結界、少しだけ解けたりしませんか……?」

「あー……」

 教会の者たちが顔を見合わせる。結果、拳一つなら通せる程度の小さな穴が結界に開いた。菓子やティーカップがそこを通してニナにも渡される。

 ありがとにゃあ……と愛想よく感謝するニナは、かつて奴隷として飼われていた頃の檻の中での生活を思い出して、内心穏やかではなかったけれど。どのみちしばらくは罪人として牢の中に入るのだからと自分に言い聞かせた。

 クッキーをかじりながら、紅茶を飲みながら、イブキはちらちらと何度もルゥララの様子を確かめる。それは解呪の調子を確認するというよりは、剣の所在を確かめたがる衝動だった。ルゥララのことを信頼していないわけでは断じてないつもりだけど、それでも長時間目を離すことには本能的な不安を感じてしまう。この衝動が本当に一時間で消えるのだろうか……と、二十分、三十分、四十分と経っても、イブキはいつまでも不安なままだった。

 とはいえ今はひたすら待つしかない。気を紛らわせるために菓子をつまみ続け、そのうち教会の人たちとの世間話も軌道に乗ってきた頃。「んーっ」と伸びをする声が聞こえたかと思えば、ルゥララが立ち上がっていた。

「おわりましたぁ。解呪完了〜ですぅ」

「えっ。……本当に?」

 テーブルに向かっていたイブキも思わず席から立ち上がる。解呪されたことの実感はない。思わず床に寝かされたままの剣を見る。その視線の動きが自分の意思によるものなのか、もはや自信が持てない。

 ルゥララがその剣を指さして、穏やかに言った。

「じゃあこの剣は〜、教会が引き取らせてもらってもいいですかねぇ? 危険な物なので〜」

「あ、はい。どうぞ」

 イブキの即答に、解呪を成功させた神官が微笑んだ。

 イブキは思わず自分の口を手で押さえた。言ってはいけないことを口走ったわけでもないのに、ただあまりにも「信じられない」と感じたから。あれだけ執着していた剣を、二つ返事で「はい、どうぞ」と言えた。言えたのだ。

 感動で涙が出るかと思ったが、そうでもなかった。なんだかあまりにもあっけなくて感情が追いついてこなかった。ただ彼女は、それこそまるで衝動に突き動かされるかのように、ルゥララに向かって頭を下げた。

「あの、ありがとうございました……!!」

「いえいえ〜」

 快く謙遜した彼女が、そのまま自然な所在でしゃがみ、床に置いたままになっていた剣をその手に取った。

 ……女であるルゥララが、その魔剣を、手に取った。

「……えっ」

 ホッとしていたイブキの顔から一瞬で血の気が引く。乱高下する感情の中、高速で思考が渦巻く。

 え、手に取った、触った。解呪されて所有者がいなくなった剣を、つまりあの宝箱の中から発見された時と同じ状態の剣を、女であるルゥララが触った。彼女が所有者になる。彼女が呪われる。え、なんで、知ってるはずなのに、凡ミス? 自分で自分の解呪はできる? それとももしかして、鞘に収まっている状態なら所有者には確定されないとか……?

 脳内はパニックになり、体はフリーズするイブキ。そんな彼女をさらに動揺させることが、次の瞬間にはもう起きていた。……視界に映る物が変わったのだ。

 背後から、パリンと花瓶が割れるような音がした。そう思った時にはもう、さっきまで拾い上げた剣を眺めていたはずのルゥララが、ニナの首根っこを掴んで捕らえていた。しかもニナの両手は縄で縛られていて、しかもルゥララの口からはクッキーを咀嚼するような音が鳴っていて、しかも彼女の手には抜刀された魔剣が握られている。鞘は床に落っことされていた。

「おぉ〜。これはいいですねぇ」

「……なんっ、えっ、なに? え?」

「あ、ごめんなさぁい、びっくりさせちゃいましたよねぇ」

 捕らわれたニナもイブキと同様に、何が起きたのか分からなさすぎて思考がパニックを起こしフリーズしていた。背の低いルゥララと身長差のある彼女は首根っこを掴まれたことでその場にしゃがみこむような姿勢になっている。思考がまとまるまで、そこから身動ぎ一つもしようとも思えない。……そして彼女の思考は、イブキよりもひと足早くこの状況を理解して、それゆえに本人の顔色を青ざめさせた。

 逆らったら殺される。圧倒的な力を持つ者に捕らわれたニナは、本能でそう感じたのだ。

「ちょっとこの剣の性能をですねぇ、確かめてみたくてぇ。それで〜、これは思った以上に名品ですねぇ〜」

 ぽわぽわと、暴力とは無縁の人生を送っていそうな声と微笑みで、ルゥララが言う。

 つまり彼女のしたことは、抜刀し、結界を切り裂き、ニナの手を縛り、ついでにテーブルの上に余っていたクッキーを口に詰め込んで、ニナを連行しながら元通りの位置に戻ってきた……ということ。それを、視認できないどころか「動いた」とすら認識できない速度で完結させたということ。

 魔剣の持ち主だったからこそ、イブキには分かる。その動きはいくらなんでも異常だ。自分がゴブリンの群れを切った時、確かに全滅させたことは自分自身ですら認識できなかったが、最初の一匹を切ったことだけは間違いなく知覚できていたのだ。今ルゥララがした仕事量の全てを「動いたこと自体が認識できない速度」で行うのは、魔剣の力をもってしても不可能だ。速すぎるだとか、もはやそういうレベルの話を逸脱している。

 彼女は本当に同じ人間なのか……? イブキが畏怖の目を向けるけれど、ルゥララはそれを意に介していないようだった。いつも通り優しげに微笑んでいるだけで。

「それじゃあ〜、私たちはこれで失礼しますねぇ。皆さ〜ん、帰りますよ〜」

 床に落ちた鞘を拾って納刀して、反抗する意思の折れたニナのことを引っ張りながら、ルゥララは部下たちをぞろぞろ引き連れて撤収していった。イブキは呆然とそれを見送るしかなかった。

 ただ、呪いの元被害者として、彼女にはどうしても気になることがあった。無意識のうちに耳を澄ませる。だってあの神官の部下には、男が何人もいたから。

「じゃあ〜、あなた。帰ったらお相手、お願いしますねぇ」

 そんな声が、遠ざかる背中から聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルゥララはサキュバスである。

 サキュバスとは、下腹部に浮かび上がる淫紋を除けば人間と何ら見た目の変わらない異種族である。またその特徴としては、性別が女性しかなく、人間よりも遥かに長い寿命、遥かに優れた身体能力、不死身の頑丈さ、そして性行為から得られる特別な「魔力」を糧にしなければ生きられないという点が挙げられる。

 それに加えて大抵のサキュバスは人間に好意的である上、社会性も備えている。ゆえに彼女らは人間社会に紛れ込んで暮らし、裏でこっそり円満かつ同意の上で、男たちと交わっていることが多い。……それに関しては教会の構成員さえも例外ではないというわけだ。

 さすがに印象が悪いので、大衆に対しての隠蔽はされているが、優れた能力を持つ協力的な者が門戸を叩くことを教会は基本的に拒まない。人間はもちろん、獣人でもサキュバスでも、採用に値する者は採用する。権力の維持とは、それなりの強かさを必要とする物なのである。

 そもそもこの世界において、処女でなければ神の声が聞こえないだとか、聖なる魔法は穢れなき者にのみ扱えるだとか、そんな決まりは一切ない。「魔法や魔物の研究をしているから解呪も守備範囲である」とニナに言われたイブキがあっさりそれを信じたことからも分かる通り、聖職者の扱う領域と魔術師の扱う領域とに明確な区別はない。どれも魔法、どれも学問である。教会という組織が巨大な権力を有しているのは、あくまでも「学問が未発達だった時代の名残りの維持」に過ぎない。よってイメージ戦略の面を除けば、サキュバスが聖職者になることには何の問題もない。

 イブキを監視していたルゥララに声をかけたあの時の男たちは、二人合わせて三十分足らずで精液を搾り取られた末に「このことを口外したら〜、相応の対処をさせてもらいますからねぇ?」と脅されただけで、実質的には危害を加えられていないどころか、ルゥララとしては穏便に事を済ませるついでに彼らのナンパの目的を満たしてやったに過ぎなかった。彼女の部下たちは彼女のことをよく知っているから、気まずそうに見送る他なかったのだけど。

 そもそも魔剣の調査がルゥララに任されたのは、彼女がサキュバスだからだ。サキュバスは魔力が尽きない限り不死身の生き物である。呪いの装備が持ち主を衰弱死させる物なら、サキュバスが持てば少なくとも死のリスクは帳消しにできる可能性が高い。そういった役を割り当てられるからこそ、解呪と呪物の管理を生業とする教会においてサキュバスは重宝されるのだけど、その中でも今回の件は特別に相性がよかった。

 呪いの装備らしき物を持っている女が毎晩売春行為を望んで行っているという報告が入った時、彼女は目を輝かせた。何せもしもそれが呪いの効果なら……「逆らえない性的衝動による精神の衰弱」こそが効果なら、サキュバスである自分はそれを完璧に無効化することができる。しかも催淫系の呪いに関しては、ただの人間よりもサキュバスである彼女の方が知識に馴染みがある。それはつまり、もしかすると強力なリスクとリターンを伴う武具のリターン部分だけを扱えるようになるかもしれないということ。だとすればそれは中々に稀な幸運であり、調査も前のめりにならざるを得なかった。

 そして結果として、彼女は見込んだ通りの成果を得たのだ。持ち主の身体能力を飛躍的に向上させる上に衰えることのない抜群の切れ味を誇る剣、それを無事に回収した。そして身をもってその呪いの詳細を知る。なるほど、性的衝動を強める物である可能性が高いということまでは調べがついていたが、まさかフェラチオ特化だったとは。事前に(完全に趣味で)部下たちの性癖を把握していたことが幸いだった、相手選びには困らない。

 サキュバスにとって一日一度の性行為はやって当たり前の日常生活でしかない。呪いのリスクは日常生活のついでに発散される。その上、どうやらその剣が向上させるという身体能力には上限がない。元々人間よりも遥かに優れた身体能力を持つサキュバスがそれを持てば、まさに鬼に金棒だった。教会はこれでとてつもない戦力を得たことになる。魔剣の持ち主は暫定的とはいえ、ひとまずそのままルゥララであるということに正式に決定された。

 ところで新種のアイテムを見つけた場合、発見者に名称を命名する権利が与えられる。本来の命名権はイブキが持っているはずだが、一応確認したところ彼女は辞退したので、ルゥララが名付けることになった。

「じゃあ〜、フェラしたくなる呪いの剣だからぁ、舐め舐めソードで〜」

「……いやそれはちょっと」

 鑑定を勤めた中年の男はさすがに否定した。人名の命名と同じように、いくら命名権があるとはいえこの世界にも倫理に則ったルールがある。たとえば「気に入らねぇ奴ぶっ殺しソード」とかは登録できない。

 しかしそこで意外にも……というか鑑定士がドン引きするほどに、ルゥララは食い下がった。

「なんでですかぁ? 舐め舐めは下ネタじゃないですよねぇ。暴力的でもないし〜」

「いや、でもさぁ……」

「もしこの剣がペロペロキャンディの見た目をしてたら〜、その時も、今の命名に反対します〜?」

「いや、うーん……。……する、うん、反対するよ。だって呪いの効果が効果だし、資料にはそれも記載するんだから」

「なら〜、名前から効果が連想できるのはいいことじゃないですか〜? 連想はできるけどぉ、言葉としては下ネタじゃないし〜。ダサい響きだと、使いたい〜って人も少なくなるからぁ、安全にも貢献できるかもですよぉ?」

「いや、だからそのダサい響きも問題でさ。あんまりそういうのは」

「でもでも〜、スロウの状態異常が付与できる斧にぃ、ノロノロアックスって名前がついた前例がありますよねぇ?」

「いや、それは、そっちも未だに物議を醸してて……」

 ……と、なんやかんや押し問答があった末に、根負けした鑑定士が正式な資料に「舐め舐めソード」を登録してしまった。ルゥララは鑑定士に感謝して、彼が満足するまで彼の物をしゃぶってから帰った。

 その後、この世界にこれといって大きな事件が起こることはないまま、舐め舐めソードの正式登録から約一ヶ月が経過した。その間、イブキはニナの面会に通い続けていた。最初の面会での話題は、別れの言葉も満足に言えなかったことを悔いることから始まった。

 ニナはイブキが面会に欠かさず現れるたびに安心した。友情を確かめることで心細さが紛れるからではない、脱獄後の当てが消えていないことを確信できるからだ。

 ニナの刑務所生活は、ルゥララが約束した通り破格の環境を与えられていた。牢は牢という名の清潔な個室で、日々課せられる労働も軽微なもの。風呂は毎日入れるし、出てくるご飯は思ったよりおいしいし、怒鳴られたり暴力を振るわれたりすることもない。母国に送り返される心配も、どういうわけか本当になくなったようだ。……そうなると、リスクを犯し手間暇かけて脱獄して、コソコソと逃亡生活を送り、次に捕まれば地獄のような環境に放り込まれるかもしれない可能性に怯えること……を思えば、本当に脱獄するべきなのかと考え直したくもなってくる。

 けれどやはり、長年に渡って染み付いた思考回路は簡単には変えられないということなのか、彼女はすでに根っこが犯罪者気質になっていた。脱獄するしない以前に、気づいたら脱獄の方法を考えているし、僅かでもチャンスがあればそれが目についてしまう。それはまさに呪いのようなもので、悪魔の囁きが常に脳内にこだましているに等しいことだった。

 ……が、結局、彼女は脱獄をしないことに決めた。そのきっかけとなるニュースが、獄中の彼女の耳にまで入ってきたから。

 この世界の人類が、人類同士で概ね争わずに平和に暮らしていられるのは、戦争をしたくなるほど世界が狭いわけでもなければ、人類の最大の敵が人類となるほど世界が優しくないせいでもある。

 大陸から遠く離れた海上に、国一つ分の面積を誇る大きな島がある。が、その島に上陸して生存していられた者は一人もいない。島の自然環境が厳しすぎるというわけではなく、ただ一匹の支配者が縄張りとしてそこを牛耳っているせいだ。

 光をねじ曲げるほどの重力を操る龍、黒龍バルホルス。それがその島の開拓を妨げている理由の全てだった。

 ……そのバルホルスを、三日前、教会から派遣された中級神官のルゥララが単独での討伐に成功した。未来永劫間違いなく語り継がれることになるであろう大ニュースである。そのニュースを耳にしたニナは、ルゥララにだけは絶対に不義理を働いてはならないことを思い出したのだ。

 ルゥララは瞬く間に時の人となり、間もなくして彼女の功績は教科書にも載ることになった。開拓が始まった島には近い将来彼女の像が立つだろうし、その可憐な容姿と独特なトークがアイドル的にもてはやされる日も当然来る。「出世にはあまり興味がなくてぇ」と中級神官の座を維持し続ける彼女に、世間で少し賛否の論が沸いたりもするかもしれない。

 しかしそれはそれとして、教科書には彼女の名前だけではなく、彼女がその功績を上げるために必要不可欠だったあの魔剣の名前も載ることになった。慣例的に、載せないわけにはいかなかった。

 人々はルゥララの功績に畏敬の念を払い、そしてそのネーミングセンスに関しては、シンプルに軽蔑したのだという。

 

 

 


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