Fate/Ovary Overwrite 作:M・タマゴスキー
管制室。
平行世界が観測されてから、しばらく時間が経っていた。
回収された資料はすでに破棄され、カルデア内で起きている認識の変化について調査が進められている。
会議卓には、これまでに得られた観測結果が並べられていた。
オルガマリーは資料を確認しながら口を開く。
「わかっていることを発表してちょうだい」
「はい」
担当スタッフが立ち上がる。
「まず、観測対象についてです」
モニターに解析結果が表示される。
「観測されたのは、こちらとは別の平行世界です」
「そして、その世界には特異点が存在しています」
一度、スタッフが言葉を切る。
「……正確には、特異点が世界の一部に存在しているわけではありません」
別の解析画面が表示される。
「平行世界そのものが、特異点として成立しています」
「通常の特異点とは違うのね」
「はい。少なくとも、これまで確認されてきたものとは性質が異なります」
スタッフが解析結果を示す。
「現時点では、人理に対して発生した特異点というより……平行世界そのものに対する特異点ではないかと考えています」
オルガマリーは画面を見つめる。
「……分かったわ。続けて」
「次に、カルデア内で確認されている認識のズレについてです」
スタッフが別の資料を表示する。
「特異点反応が観測された前後で記録を比較したところ、複数の職員に認識の変化が確認されています」
「それまで当たり前だと考えていたことに違和感を覚える者がいる一方、以前とまったく変わらない者もいます」
オルガマリーの表情がわずかに曇る。
思い当たることはある。
自分自身が、まさにそうだった。
「具体例を挙げるには……その……」
スタッフが言葉を濁す。
「……少し、説明しづらい内容でして」
「……」
「その……」
なおも言い淀むスタッフに、オルガマリーが眉を寄せる。
「何なのよ。必要な資料なら出しなさい」
「……ですが」
「私が許可したんだから、いいでしょう。出しなさい」
「……はい」
スタッフは意を決して資料を表示した。
モニターに映し出されたのは、ナーサリーがカルデア内に貼ったままになっていた写真の一枚だった。
以前、食堂の入口に貼られていたポスターにも使用されていたオルガマリーの写真である。
「……っ」
オルガマリーの顔が一瞬で真っ赤になる。
写真の中のオルガマリーは、何の疑問も抱かず、堂々と卵巣を晒している。
ただし、今回の会議資料として使用するため、卵巣と顔には修正が施されている。
修正されているとはいえ、自分が堂々と卵巣を晒している姿を改めて見せられることが、耐え難いほど恥ずかしい。
しかも、それを大勢のスタッフが見ている。
死にたくなるほど恥ずかしかった。
オルガマリーは赤くなった顔を俯けながら、必死に平静を装う。
「……続けなさい」
「はい」
スタッフは写真を示しながら説明を続けた。
「この写真に対する反応を確認したところ、大きく二つに分かれました」
「現在の所長と同じように、卵巣を人前に晒していることを恥ずかしいと感じる者」
「そして、以前と変わらず、何もおかしいとは感じない者です」
スタッフが結果を表示する。
「現状では、後者――卵巣を見せることを当たり前だと認識している者のほうが多数を占めています」
「……そう」
「加えて、卵巣を神聖なものと考えることや、卵巣を見せることを日常的な行為として捉える認識についても、大部分は残ったままです」
オルガマリーは、赤い顔のままモニターを見る。
「つまり……私みたいに恥ずかしいと思う人間が出始めている。でも、それが正しいのかどうかは分からない」
「はい」
スタッフが次の資料を表示する。
「さらに、身体構造については別の傾向があります」
「卵巣は体外にあるものだという認識については、現在もほぼ共通しています」
オルガマリーが顔を上げた。
「……卵巣は体外にあるものでしょ?」
口にした直後、オルガマリーの表情が止まる。
卵巣を見せるのは恥ずかしい。
先ほどの写真を見るだけでも、まともに顔を上げていられなかった。
なのに、卵巣そのものは体外にあるのが当然だと思っている。
「……待って」
オルガマリーが自分の言葉を確かめるように呟いた。
「私は……見せるのは恥ずかしいと思ってるのに、卵巣は外にあるのが普通だと思ってる?」
「はい」
「……それ、変じゃない?」
「そこが、現在確認されている認識の食い違いです」
オルガマリーは黙り込んだ。
スタッフが続ける。
「卵巣が体外にあることを当然とする認識が正しいのであれば、卵巣を見せることも当たり前だと考えるほうが自然ではあります」
「ただし、それだけでどちらが本来の認識なのかを判断することはできません」
「……」
オルガマリーはしばらく考える。
「じゃあ……今の私の感覚のほうが間違っている可能性もあるのね」
「あります」
一拍置いて、スタッフが続ける。
「ですが、その逆も否定できません」
オルガマリーが視線を上げる。
「……立香ね」
「はい」
スタッフが頷いた。
オルガマリーには、その意味がすぐに分かった。
立香が卵巣を見せることを恥ずかしがっていたのは、今に始まったことではない。
以前から、周囲が当たり前として受け入れている行為に対し、立香だけが一貫して羞恥を感じていた。
検査のときも同じだった。
自分の検査画像を見られることを恥ずかしがり、オルガマリーの画像を見ることにすら居心地の悪さを感じていた。
その一方で、それらが普通の検査であり、この世界では当たり前のことだという認識そのものは立香も持っていた。
「立香がずっと恥ずかしがっていたことなら、知っているわ」
オルガマリーが言う。
「ええ。問題はそこではありません」
スタッフが資料を切り替える。
「今回調べたところ、認識のズレが確認された者には偏りがありました」
画面に管制室の見取り図が表示される。
「特異点反応が観測された際、管制室にいた職員に多く確認されています」
「特に、マスターの近くにいた者ほど、その傾向が顕著です」
「……立香の近く?」
「はい」
オルガマリーが画面を見る。
「偶然じゃないの?」
「現時点では否定できません。ただ、もう一つ気になる点があります」
「何?」
「マスターが『世界のほうがおかしいんじゃない?』と口にした直後から、認識の変化が確認されています」
オルガマリーの目がわずかに細くなる。
「……あのときね」
「はい」
「ですので、二つの可能性を考えています」
スタッフが一度言葉を切る。
「一つは、以前からマスターだけにあった認識が、あの瞬間をきっかけに周囲へ影響した可能性」
「もう一つは?」
「マスターの認識のほうが本来のもので、あの瞬間を境に一部の職員の認識が元に戻った可能性です」
室内が静かになる。
オルガマリーは何も言わなかった。
立香の認識が広がったのか。
それとも、それまでの認識のほうが変化していて、一部の人間だけが元に戻ったのか。
今はまだ分からない。
「……つまり」
オルガマリーがゆっくり口を開く。
「立香がおかしいのか」
一度、言葉を切る。
「それとも、私たちのほうがおかしかったのか」
「現時点では、判断できません」
オルガマリーはモニターを見つめた。
そこには、先ほどまで表示されていた自分の写真も残っている。
かつては何とも思わなかった姿。
今は、見るだけでも耐え難い。
けれど、どちらの自分が本来の自分なのか。
その答えさえ、まだ出ていなかった。
粗方の報告が終わり、会議室の空気が一度落ち着いた。
スタッフたちは手元の資料を整理し、オルガマリーも次の確認事項へ目を通している。
そのとき、立香がおずおずと手を挙げた。
「……あの」
オルガマリーが顔を上げる。
「何?」
「ちょっと……報告しておいたほうがいいことがあるんだけど」
「報告?」
「うん。その……今の話を聞いてたら、やっぱり関係あるのかなって思って」
立香の歯切れの悪い言い方に、オルガマリーが眉を寄せる。
「何があったの?」
「特異点が見つかったとき……私、『世界のほうがおかしいんじゃない』って言ったでしょ?」
「ええ」
「そのときなんだけど……」
立香は、あの瞬間の感覚を思い返した。
「なんて言えばいいのか分からないんだけど、世界にヒビが入ったような感じがしたの」
「……ヒビ?」
「本当に何かが割れたわけじゃないよ。管制室も何も壊れてなかったし。ただ……ビキッて、世界そのものに亀裂が入ったみたいな感覚がして」
オルガマリーの表情から、少しずつ先ほどまでの緩みが消えていく。
「それから、周りの音が急に遠くなったの。時間まで遠のいたような感じがして……一瞬だけ、私だけがそこから切り離されたみたいになって」
「実際に周囲は止まっていたの?」
「たぶん、止まってないと思う。戻ったときにはみんな普通に動いてたし、誰も変な反応してなかったから」
「……」
「それで、そのときに……」
立香は少し躊躇する。
「声が聞こえたような気がする」
「何て?」
「『お前もか』って」
会議室が静まり返った。
「……誰の声?」
「分からない。男の人だったような気はするけど、それもはっきりしなくて」
「他に聞いた人は?」
「たぶんいないと思う。周りは誰も反応してなかったから」
「……」
「だから、そのときは幻聴なのかなって思ってたんだけど……今の話を聞いてたら、私があの言葉を言った直後に特異点の情報が出始めたとか、周りの人の認識が変わり始めたとか……」
立香は困ったように頭を掻く。
「もしかして、これも関係あるのかなって」
オルガマリーは答えなかった。
腕を組み、目を閉じる。
「…………」
立香も黙る。
スタッフたちも、オルガマリーの反応を窺っていた。
しばらく無言の時間が続く。
「……所長?」
立香が恐る恐る呼びかける。
オルガマリーが目を開いた。
「そういうことは、もっと早く言いなさい!」
「えっ!?」
立香が肩を跳ねさせる。
「ちょ、ちょっと待って! 今ちゃんと報告したじゃん!」
「遅いって言ってるのよ!」
「ええっ!?」
「会議が始まる前に言えって話をしてるんじゃないわ!」
オルガマリーは机の上の資料を指した。
「この会議で何を聞いてたの!? あなたが『世界のほうがおかしい』と言った直後から認識の変化が確認された。変化した人間はあなたの周辺に集中していた。さっきから何度も、あなたと現象が関係している可能性が出ていたでしょう!」
「そ、それはそうだけど……」
「その時点で言いなさい!」
「だって、みんな報告してる途中だったし……」
「だから?」
「途中で話を遮るのもどうかなって思って……一通り終わってからのほうがいいかなって」
「遮りなさい!」
「ええっ!?」
立香が思わず声を上げる。
「世界そのものにヒビが入ったような感覚があった! 時間感覚までおかしくなった! そのうえ正体不明の声まで聞こえた!」
オルガマリーは一つずつ言い聞かせるように挙げていく。
「それが、あなたの発言直後に起きていたのよ!?」
「……はい」
「そして今、その発言と特異点と認識変化に関連があるかもしれないって話をしてたの!」
「……はい」
「なら、報告の途中だろうが何だろうが、その場ですぐ言いなさい!」
「でも、関係あるって確証はなかったし……」
「関係があるかどうかを判断するのはこっちの仕事よ!」
「うっ……」
「あなたが勝手に『たぶん関係ない』『幻聴かもしれない』って重要度を下げないで!」
「……ごめんなさい」
「最優先事項でしょう、こんなの!」
立香がしゅんと肩を落とす。
オルガマリーは大きく息を吐くと、すぐにスタッフへ振り返った。
「今の立香の証言、全部記録して!」
「はい!」
「発言時刻を可能な限り正確に特定! 特異点反応に変化が出た時刻、観測情報が追加された時刻、最初の認識変化が確認された時刻と全部照合して!」
「了解しました!」
「管制室の記録も再確認! 音声が残っているなら、立香が聞いたっていう声が記録されていないか調べて!」
「すぐに確認します!」
スタッフたちが一斉に動き出す。
その様子を見ながら、立香は小さく息を吐いた。
「……ちゃんと会議中に言ったのに」
「立香?」
「何でもないです!」
鋭い視線が飛んできて、立香は慌てて背筋を伸ばした。
立香の報告をきっかけに、会議室は再び慌ただしくなった。
管制室に残されていた記録が次々と呼び出され、発言時刻、特異点反応の変化、観測情報が追加された瞬間、認識変化が確認された職員の位置と時刻が照合されていく。
「音声記録、確認します」
「映像も同時に出して!」
「特異点反応の変化は――」
「そっちじゃない、その直前から!」
オルガマリーの指示が飛び、スタッフたちは端末を操作し続ける。
立香が感じたという世界の亀裂。
遠のいた時間。
そして『お前もか』という正体不明の声。
それまで存在しなかった情報が加わったことで、何か新しい手掛かりが見つかるのではないか。
誰もがそう考えていた。
だが。
「……音声記録、異常ありません」
「立香の発言以外に該当する声は?」
「ありません」
「映像は?」
「管制室内に停止、欠落、時間の飛びは確認できません」
「立香の周辺だけは?」
「同様です」
オルガマリーが眉を寄せる。
「特異点反応との時間差は?」
「非常に近いです。ただ、マスターの体感した現象との因果関係を証明できるものはありません」
「認識変化のほうは?」
「こちらも同じです。時刻と位置には相関が見られますが、それ以上は……」
次々と確認しても、結局それ以上のものは出てこなかった。
立香の体験が事実ではないと判断できる材料もない。
かといって、それを外部から観測できた記録もない。
平行世界から届く特異点反応についても、観測そのものは続いているが、こちらから干渉する方法は依然として見つからない。
長い調査の末、オルガマリーは椅子へ深く腰を下ろした。
「……結局、分からないことが増えただけじゃない」
誰も反論できなかった。
少なくとも現時点では、カルデアからできることはない。
通常のレイシフトでは到達できず、平行世界への干渉手段も存在しない。
立香の体験についても記録を残し、今後の観測結果と照合していくしかなかった。
「観測は継続」
オルガマリーが告げる。
「特異点反応に少しでも変化があったら報告。立香の証言と一致する現象が出た場合も同じよ」
「了解しました」
「認識変化についても定期的に調査を続けて」
「はい」
「……今のところは、それしかないわね」
こうして会議は終了した。
◇
その後も、平行世界の観測は続けられた。
だが、カルデアのすべてをいつまでも特異点調査だけへ割くわけにはいかない。
日々の業務は存在する。
管制、整備、医療、サーヴァントの管理。
それまで止まっていたものが一つずつ再開され、カルデアは次第に普段の日常へと戻っていった。
ただし、一つだけ。
以前とまったく同じには戻れない問題が残っていた。
認識の変化した者たちである。
卵巣を人前へ晒すことを恥ずかしいと感じるようになった者は、確かに存在する。
しかし、その人数は圧倒的に少なかった。
カルデアの大多数にとっては、今までと何も変わっていない。
卵巣が体外にあることも。
人前へ示すことも。
挨拶の際に互いに見せることも。
検査や手入れの話を日常会話ですることも。
すべてが今までどおりの常識だった。
もちろん、認識が変わった者への配慮は行われた。
嫌がっている相手へ無理に近づかない。
必要もないのに見せるよう求めない。
個人的な写真や検査記録の扱いにも注意する。
それでも、カルデア全体の生活様式そのものを少数派へ合わせて変えることはできなかった。
結果として、認識の変わった者たちのほうが、これまでどおりの日常へ合わせることになった。
その中でも、特に苦労していたのがオルガマリーだった。
「おはようございます、所長」
「お、おはよう」
廊下で職員とすれ違う。
相手はいつもと変わらず、ごく自然に挨拶する。
オルガマリーも反射的に身体を動かしかけて――止まる。
「……」
「所長?」
「な、何でもないわ!」
顔が熱い。
今まで何百回とやってきた普通の挨拶なのに、意識した瞬間に身体が動かなくなる。
相手の職員も事情は知っているため、それ以上は求めずに去っていった。
「……もう」
オルガマリーは小さく息を吐く。
別の場所でも同じだった。
会議へ入れば、女性職員たちはこれまでと変わらない姿で席についている。
廊下を歩けば、向こうから来たサーヴァントが何の躊躇もなく挨拶をする。
医療区画では、検査や手入れについて普通に話している。
食堂でも、以前と何一つ変わらない日常が続いていた。
そのたびにオルガマリーは視線の置き場へ困り、自分自身が見られていることを意識してしまう。
それでも。
「……ダメよ」
ある朝。
自室を出る前に、オルガマリーは一人で呟いた。
このまま周囲に配慮され続けるわけにはいかない。
自分はカルデアの所長だ。
しかも現時点では、どちらの認識が正しいのかさえ分かっていない。
自分たち少数派の感覚だけを基準にして、カルデア全体の生活を変えるわけにもいかなかった。
「私がこんなのでどうするのよ……」
頬がすでに少し赤い。
それでも、オルガマリーは意を決して扉を開けた。
◇
「おはようございます、所長」
最初に出会った職員が挨拶する。
「……おはよう」
オルガマリーは一瞬だけ躊躇した。
それから。
以前なら何も考えずにしていたように、挨拶の姿勢を取る。
「…………っ」
顔が一気に熱くなった。
職員のほうは、特に驚いた様子もない。
「今日の予定ですが、九時から管制班との打ち合わせが――」
「わ、分かってるわ!」
「はい」
「それと、そんなに見ないで!」
「……?」
「何でもない!」
顔を真っ赤にしたまま、オルガマリーは歩き出す。
数歩進んだところで、後ろから声が聞こえた。
「所長、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ!」
返事だけはいつもの勢いだった。
恥ずかしい。
できることなら今すぐ隠したい。
それでも、オルガマリーは足を止めなかった。
今のカルデアでは、こちらが少数派なのだ。
そして所長である自分が、まだ正しいとも間違っているとも分からない感覚だけを理由に、皆へそれまでの生活を変えさせるわけにはいかない。
だから少なくとも、必要な場面ではこれまでどおりに振る舞う。
そう決めた。
オルガマリーは真っ赤な顔のまま、足を止めずに管制室へ向かっていった。