※この作品はR-18です。

Fate/Ovary Overwrite   作:M・タマゴスキー

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第1話 いつもの朝 ③

午後

 

 

比較会の時間が近づき、立香は食堂へ続く廊下を一人で歩いていた。

 

 

足取りは重い。

 

 

「大きさ……形……左右差……表面状態……手入れ……」

 

 

昨日、三人が言い争っていた項目を思い返す。

 

 

自分で口にしたせいで、さらに憂鬱になった。

 

 

「……なんで参加するって言っちゃったんだろ」

 

 

今から断ろうか。

 

 

そう考えたものの、朝のメイヴの言葉が頭に浮かぶ。

 

 

皆と同じ条件で、一度ちゃんと比べてもらう。

 

 

そうすれば、本当にただの普通のことなのだと実感できるかもしれない。

 

 

「……普通のことなんだよね」

 

 

立香は自分へ言い聞かせるように呟き、食堂へ入った。

 

 

「……え?」

 

 

足が止まった。

 

 

比較用の机。

 

 

ネロ。

 

 

玉藻。

 

 

メイヴ。

 

 

審判役のブーディカ。

 

 

そこまでは聞いていた。

 

 

聞いていなかったのは、その周囲を埋めている大勢のサーヴァントとスタッフだった。

 

 

「…………」

 

 

立香は入口で固まった。

 

 

「奏者!」

 

 

ネロがすぐに見つける。

 

 

「来たか!」

 

 

その声につられ、いくつもの視線が立香へ向いた。

 

 

「……なんでこんなに人がいるの!?」

 

 

「観客だ!」

 

 

「観客!?」

 

 

食堂の端では、ナーサリーとジャックが嬉しそうに手を振っている。

 

 

「マスター!」

 

 

「がんばってー!」

 

 

立香は二人を見つめた。

 

 

「…………あとで話があるからね」

 

 

二人は揃って首を傾げた。

 

 

 

 

「……帰っていい?」

 

 

「ここまで来て?」

 

 

メイヴに言われ、立香はすぐに反論した。

 

 

「だって聞いてないよ! こんなに人に見られるなんて!」

 

 

「別にいいじゃない」

 

 

「よくない!」

 

 

ブーディカが苦笑する。

 

 

「本当に嫌なら、やめてもいいんだよ?」

 

 

「…………」

 

 

立香は観客を見る。

 

 

誰もこの状況を変だと思っていない。

 

 

三人が昨日の口論の決着をつけるために比較会を開く。

 

 

そこへマスターも参加する。

 

 

だから見物に来た。

 

 

皆にとっては、本当にそれだけのことだった。

 

 

メイヴの言った通り、自分だけが特別なことをするわけではない。

 

 

「……やる」

 

 

「本当に?」

 

 

「……ここまで来たし」

 

 

立香は諦めたように中へ入る。

 

 

「絶対、早く終わらせてね」

 

 

「努力するよ」

 

 

「……もう帰りたい」

 

 

まだ始まってすらいなかった。

 

 

 

 

比較会が始まった。

 

 

ブーディカは記録表を机へ置き、手をきれいにしてからネロの前へ立つ。

 

 

「まずネロからね」

 

 

「うむ!」

 

 

普段から露出している左右の卵巣を、ネロは審査しやすい位置へ整えた。

 

 

「やっぱり大きめだね。左右差もほとんどなし。形もきれい」

 

 

「当然である!」

 

 

ブーディカが右卵巣を下から持ち上げる。

 

 

掌へ保護粘液が薄く広がった。

 

 

「張りはあるけど硬すぎないね」

 

 

指腹で軽く押して弾力を確認し、続いて左側も同じように触れる。

 

 

「左もほぼ同じ。保護粘液の量も標準的で、左右差もほとんどなし」

 

 

「一晩整えた甲斐があったというものだ!」

 

 

「日頃の手入れを普通にしただけでしょう?」

 

 

玉藻が横から口を挟む。

 

 

「それこそが日頃の鍛錬である!」

 

 

ネロは得意満面だった。

 

 

 

 

「次、玉藻」

 

 

「はい。どうぞ」

 

 

玉藻も自然に審査を受ける。

 

 

ブーディカは右卵巣を支え、表面を確認した。

 

 

「ネロより少し細長いね。保護粘液も少し薄くて、粘度は軽め」

 

 

「あら、そうですか?」

 

 

「うん。でも左右はかなり均一。表面も滑らかだし、卵管采もきれい」

 

 

「手入れの均一さには自信がありますから」

 

 

反対側も確認するころには、ブーディカの掌へネロと玉藻の保護粘液が薄く重なっていた。

 

 

「こっちも問題なし。かなりいい状態だね」

 

 

「当然ですね」

 

 

「まだ余の方が上である!」

 

 

「結果が出るまでお待ちなさいな」

 

 

昨日の言い争いが再開しそうになり、ブーディカが二人を止める。

 

 

「まだメイヴとマスターが残ってるんだから」

 

 

 

 

「次は私ね」

 

 

メイヴが前へ出た。

 

 

「さっさと見てちょうだい」

 

 

「はいはい」

 

 

丸みが強く、張りの分かりやすい左右を、ブーディカが順に掌へ受ける。

 

 

「丸いぶん、手に収まりやすいね」

 

 

「言い方」

 

 

「比較だから仕方ないでしょ」

 

 

表面を軽く押して反発を確認する。

 

 

「張りも問題なし。左右とも状態は安定してる」

 

 

「当然よ。昨日あれだけ言われて、適当な状態で来るわけないでしょう?」

 

 

メイヴは満足そうだった。

 

 

そして立香を見る。

 

 

「ほら。次はマスターよ」

 

 

「…………」

 

 

立香は、ブーディカの手へ視線を落とした。

 

 

三人を順番に触診したため、掌から指先まで白濁半透明の保護粘液で薄く濡れている。

 

 

ブーディカ自身はまったく気にしていない。それどころか、粘度や触感の違いも比較材料として扱っていた。

 

 

「マスター?」

 

 

「……分かってる」

 

 

立香は前へ出た。

 

 

「……早く終わらせてね」

 

 

「もちろん」

 

 

左右を審査しやすい位置へ整える。

 

 

三人よりやや小ぶりで、素直な楕円形。大きな左右差はなく、表面も滑らかだった。

 

 

ただし、緊張のせいで普段より濡れている。

 

 

白濁半透明の保護粘液の上を、さらりとした透明な緊張性分泌液が細く流れていた。

 

 

「……マスター、ちょっと緊張してる?」

 

 

「言わないで」

 

 

「分かった」

 

 

ブーディカはそれ以上触れず、右卵巣を下から支えた。

 

 

「…………っ」

 

 

立香の肩がわずかに動く。

 

 

痛いわけではない。

 

 

検査や触診として普通のことだというのも分かっている。

 

 

それでも、すでに三人分の保護粘液で濡れているブーディカの掌へ、自分の卵巣が乗せられている。

 

 

しかも、それを大勢の人間が見ている。

 

 

その事実だけで顔が熱くなる。

 

 

「張りはちゃんとあるね」

 

 

指腹で軽く押して弾力を確認する。

 

 

「硬いところもない。大きさは三人より少し小ぶりだけど、それ自体は問題なし」

 

 

「……はい」

 

 

続いて左側。

 

 

こちらも状態を確認し、ブーディカは頷いた。

 

 

「左右差も少ないし、こっちも問題なし」

 

 

「……終わり?」

 

 

「個別の確認はね」

 

 

「個別の、って言った?」

 

 

嫌な予感がした。

 

 

ブーディカは手を軽く拭ってから、比較用の机を示した。

 

 

「じゃあ最後。四人を並べて全体比較するよ」

 

 

「まだあるの!?」

 

 

「昨日からそれが本番なのよ」

 

 

メイヴが言う。

 

 

「私は今日参加が決まったんだけど!」

 

 

「参加するなら同じ条件で比べないと意味ないでしょう?」

 

 

「それはそうなんだけど……!」

 

 

正論だった。

 

 

そして正論であることが、立香には一番困る。

 

 

 

 

ネロ、玉藻、メイヴが順番に比較用の机へ左右の卵巣を載せていく。

 

 

子宮や卵管へ無理な力が掛からないよう、それぞれ机との距離を調整する。

 

 

表面を覆う保護粘液が、机へ小さな濡れ跡を残した。

 

 

「マスター」

 

 

「…………」

 

 

立香は机を見る。

 

 

すでに三人分、六つの卵巣が並んでいる。

 

 

その向こうには大勢の観客。

 

 

「……分かってるってば」

 

 

真っ赤な顔のまま前へ出た。

 

 

自分の左卵巣と右卵巣も、そっと机へ載せる。

 

 

四人分。

 

 

八つの卵巣が、横一列に揃った。

 

 

こうして直接並べれば、確かに違いは分かりやすかった。

 

 

大ぶりで左右の形がよく揃ったネロ。

 

 

少し細長く、表面や保護粘液の状態まで均一な玉藻。

 

 

丸みと張りの強いメイヴ。

 

 

そして、やや小ぶりながら左右差の少ない立香。

 

 

表面から滲む保護粘液が、それぞれ机へ薄い湿りを作っていく。立香のものだけは緊張性分泌液も混ざっているため、少し水っぽかった。

 

 

「おお!」

 

 

ネロが嬉しそうに見比べる。

 

 

「こうすると実に分かりやすいな!」

 

 

「ネロ、そんな普通に見ないでよ……」

 

 

「比較するために並べているのであろう?」

 

 

「そうだけど!」

 

 

玉藻も横から眺める。

 

 

「確かに、個別のときより違いがよく分かりますね」

 

 

「でしょう?」

 

 

メイヴも頷く。

 

 

立香だけが縮こまるようにして俯いていた。

 

 

「……恥ずかしい」

 

 

「まだ言っておるのか?」

 

 

ネロが不思議そうに尋ねる。

 

 

「だって恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ!」

 

 

「皆同じことをしておるぞ?」

 

 

「それも分かってる!」

 

 

立香は真っ赤な顔を上げた。

 

 

「普通なのも分かってる! 卵巣を見せるのも普通! 比較するのも普通! こうして机に並べるのだって普通!」

 

 

「では何が問題なのだ?」

 

 

「問題じゃないの!」

 

 

思わず声が大きくなる。

 

 

立香は一度言葉を切ってから、絞り出すように続けた。

 

 

「……私が恥ずかしいだけなの!」

 

 

ネロも、玉藻も、メイヴも、そして観客たちも、似たような表情で立香を見ている。

 

 

誰にもよく分からないらしい。

 

 

メイヴも朝は「慣れるかもしれない」と言っていたが、実際に並んで比較されても立香の羞恥は消えなかった。

 

 

むしろ、大勢に見られた分だけ強くなったような気さえする。

 

 

「……やっぱり私の方なのかな」

 

 

立香は小さく呟いた。

 

 

 

 

結果発表。

 

 

「一位――ネロ」

 

 

「うむ!」

 

 

「二位、玉藻」

 

 

「あら、惜しかったですね」

 

 

「三位、メイヴ」

 

 

「次は勝つわ」

 

 

「四位、マスター」

 

 

「……うん」

 

 

立香にも拍手が向けられる。

 

 

「でも、かなり僅差だったよ」

 

 

ブーディカがそう付け加えたが、立香は疲れ切った顔で答えた。

 

 

「順位はどうでもいいの……」

 

 

夕方

 

 

自室へ戻る廊下を、立香はマシュと並んで歩いていた。

 

 

「今日はお疲れさまでした」

 

 

「疲れた……」

 

 

「比較会ですか?」

 

 

「うん」

 

 

「皆さん、楽しそうでしたね」

 

 

「マシュもああいうの平気なんだよね」

 

 

「はい」

 

 

即答だった。

 

 

「……だよね」

 

 

少し歩いてから、立香は再び口を開いた。

 

 

「ねえ、マシュ」

 

 

「はい」

 

 

「挨拶するときって、卵巣を見せるのが普通だよね」

 

 

「はい」

 

 

「左卵巣も、右卵巣も」

 

 

「そうですね」

 

 

「子宮も卵管も卵管采も体外にあるのが普通」

 

 

「はい」

 

 

「見るのも普通」

 

 

「はい」

 

 

「見せるのも普通」

 

 

「はい」

 

 

「汚れてたら手入れするのも普通」

 

 

「そうですね」

 

 

「比較するのだって普通」

 

 

「はい」

 

 

立香は胸元へ手を当てた。

 

 

「全部、私もそう思ってる」

 

 

マシュが立香を見る。

 

 

「今日の比較会だって、おかしいことをしてるとは思ってないんだよ。昨日三人が喧嘩になったから、ちゃんとコンディションを整えて公平に比べた。それだけだって分かってる」

 

 

「はい」

 

 

「ブーディカに触って確認してもらったのも、机に並べて違いを見たのも、普通のことだと思ってる」

 

 

それでも。

 

 

立香の声が少し小さくなる。

 

 

「なんで私は、こんなに恥ずかしいんだろ」

 

 

知識としては、何も間違っていない。

 

 

周囲と同じ常識を持っている。

 

 

それなのに、感情だけがどうしても一致しない。

 

 

マシュは少し考えた。

 

 

「先輩が恥ずかしがり屋だから、でしょうか」

 

 

「やっぱり、それかな」

 

 

「私はそう思います」

 

 

「……そっか」

 

 

それなら、今はまだ説明がつく。

 

 

「じゃあ、私が気にしすぎてるだけなのかな」

 

 

「そうかもしれません」

 

 

「……うん」

 

 

二人は再び歩き始めた。

 

 

今日もカルデアはいつも通りだった。

 

 

朝になれば、互いの左右の卵巣を確認して挨拶をする。

 

 

相手の大きさや形、保護粘液の状態を見る。

 

 

汚れていれば手入れをする。

 

 

必要なら触って状態を確かめる。

 

 

比較するときには並べて違いを見る。

 

 

誰も疑問には思わない。

 

 

立香も、その常識そのものを疑ってはいなかった。

 

 

ただ、見せるたびに、見られるたびに、どうしても顔が熱くなる。

 

 

「……やっぱり、私だけなのかな」

 

 

「何か言いましたか?」

 

 

「ううん」

 

 

立香は首を振った。

 

 

「何でもない」

 

 

いつもと変わらないカルデアの一日が終わっていく。

 

 

立香の胸の中にだけ。

 

 

どうして自分だけが恥ずかしいのか。

 

 

その小さな疑問を残したまま。

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