Fate/Ovary Overwrite 作:M・タマゴスキー
翌日。
カルデア中央管制室には、定例ミーティングに参加する者たちが集まり始めていた。
ネロ、玉藻、メイヴ、ブーディカ、マシュ。そして各部門から呼ばれたスタッフたち。
開始時刻まではまだ少しある。室内のあちこちでは言葉を交わすのと同時に、いつもの朝の挨拶が行われていた。
普段から体外にある子宮と、そこから左右へ伸びる卵管、その先の卵管采と卵巣。挨拶の際には身体の向きや位置を整え、左右の状態を相手が確認しやすいように示す。
「おはようございます、先輩」
「……おはよう、マシュ」
立香もマシュへ挨拶を返した。
昨日と同じように、左右が確認できるよう身体を向ける。ただし、必要以上に長くは続けない。マシュの視線が左から右へ移ったのを確認すると、すぐに普段の姿勢へ戻った。
立香の左右の卵巣はやや小ぶりな楕円形で、大きな左右差はない。表面には白濁半透明の保護粘液が薄く広がり、管制室の照明を受けて湿った艶を返している。
「…………」
たったそれだけなのに、やはり頬が熱い。
「先輩?」
「大丈夫」
「ですが――」
「本当に大丈夫だから」
「……はい」
マシュはまだ少し気にしているようだったが、それ以上は追及しなかった。
立香は自分の席につく。
昨日だけで、嫌というほど分かった。
ネロも、玉藻も、メイヴも、ブーディカも、マシュも。ナーサリーやジャックだって、自分の身体を見られることを立香のようには気にしていない。
それは朝の挨拶だけではなかった。
昨日の午後には、大勢の見物人の前で卵巣を触って状態を比較し、最後には四人分、八つの卵巣を机へ並べた。
それでも、恥ずかしがっていたのは立香だけだった。
比較会へ参加して、皆と同じように見てもらえば少しは慣れるかもしれない。
メイヴにはそう言われたが、結果は逆だった。
思い返しただけで顔が熱くなる。
「……全然慣れてない」
立香は小さく呟き、机の上の資料へ視線を落とした。
◇
やがて開始時刻になり、管制室の扉が開いた。
「お待たせしました」
オルガマリー・アニムスフィアが入ってくる。
そのまま迷いなく前方まで進むと、集まった面々を見渡した。
「それでは、定例ミーティングを始めるわ」
資料を机へ置き、まず参加者全員へ向き直る。
「おはようございます」
所長としての堂々とした朝の挨拶だった。
オルガマリーは身体の向きを整え、普段から体外にある子宮と左右の卵管、その先の卵管采、左右の卵巣までが参加者から確認しやすい姿勢を取る。
卵巣は丸みを帯びた楕円形で、右側が左より明確に少し大きい。とはいえ形や張りに異常があるわけではなく、左右とも健康そうだった。
表面には白濁半透明の保護粘液が行き渡っている。ただ、普段からかなり念入りに手入れをしているせいか、一部には少し落としすぎたようなところも見える。
「…………」
立香は一瞬だけ視線を逸らしかけた。
だが、すぐにオルガマリーへ戻す。
卵巣の色や張り、左右差、表面の状態。それを見れば、相手の体調をある程度確認できる。
朝の挨拶として何もおかしくない。
立香自身、そう思っている。
それなのに、他人のものを見ているだけでも妙に居心地が悪い。
「……またなのね」
「え?」
思わず顔を上げる。
オルガマリーは立香を見ていた。
「何でもないわ」
それ以上は言わず、姿勢を戻す。
「おはようございます、所長」
マシュが挨拶を返した。
「うむ! おはよう、オルガマリー!」
ネロも続く。
玉藻、メイヴ、ブーディカ、そしてスタッフたちも、それぞれ順番に朝の挨拶を返していった。
大きさも形も、卵管の長さも、保護粘液の状態も人によって違う。それでも、誰一人として周囲の視線を気にしてはいない。
いつものミーティング。
いつもの開始前の光景だった。
最後に立香の番が来る。
「……おはようございます」
昨日までと同じように、左右が見える位置へ身体を向ける。
そして、参加者の視線が向いたと分かるや否や、ほとんど一瞬で普段の姿勢へ戻った。
これでいい。
左右とも見えたはずだ。
挨拶はした。
「立香」
「……はい?」
オルガマリーがこちらを見ている。
「今の何?」
「え?」
「挨拶よ」
「……しましたけど」
「一瞬だったじゃない」
「でも、左も右もちゃんと見せました」
「見えたか見えないかの話をしているんじゃないの」
「…………」
「あなた、またそんな挨拶をしてるの?」
「そんなって……」
立香の視線が泳ぐ。
「ちゃんとしましたよ」
「挨拶なんだから、もっときちんとしなさい」
「…………」
嫌な予感がした。
「所長」
「何?」
「もしかして……」
「前に出なさい」
当たった。
「え?」
「もう一度、ちゃんと挨拶するのよ」
「ここで!?」
「ここで」
オルガマリーは当然のように答えた。
立香は周囲を見る。
ネロ、玉藻、メイヴ、ブーディカ、マシュ。そして大勢のスタッフ。
「……みんなの前で?」
「最初から皆の前でしょう?」
「そうですけど!」
一気に顔が熱くなった。
昨日の比較会が頭をよぎる。
大勢に見られ、触診され、最後には机へ並べることまでした。ようやく一日が終わったと思ったのに、翌朝にはまた同じように大勢の視線を浴びることになる。
「……嫌です」
「どうして?」
「どうしてって……」
「挨拶でしょう?」
「分かってます」
「なら問題ないじゃない」
「あります!」
「何が?」
「恥ずかしいです!」
思っていたより大きな声が出た。
管制室が静かになる。
「…………」
立香自身も固まった。
集まっていた視線が、今度は完全に自分一人へ集中している。
「……っ」
余計に顔が熱くなった。
そして、その緊張は身体にも表れた。
普段から卵巣表面を覆っている白濁半透明の保護粘液。その上へ、透明な液体がじわりと滲み始める。
粘りのほとんどない緊張性分泌液だった。
右側にも同じように透明な雫が浮かび、丸みに沿って下へ流れる。
やがて一滴が床へ落ちた。
「…………っ!」
立香はその音にまで反応してしまう。
「先輩……」
隣からマシュが小さく声をかけた。
「……見ないで」
「ですが……」
「みんなこっち見てる……」
もちろん、誰も奇妙なものを見るような目をしているわけではない。
皆が不思議に思っているのは別のことだった。
どうして立香だけが、そこまで嫌がるのか。
「奏者」
ネロが首を傾げる。
「昨日も言っていたが、どうしてそこまで恥ずかしがるのだ?」
「私にも分からないよ……」
「挨拶であろう?」
「分かってる」
玉藻も穏やかに続けた。
「マスター。私たちは別に気にしていませんよ?」
「それも分かってるんだけど……」
メイヴが肩をすくめる。
「むしろ、そこまで恥ずかしがる方が目立ってるわよ」
「言わないで……」
昨日、自分を比較会へ誘った本人に言われてしまい、立香はさらに小さくなる。
オルガマリーはしばらくその様子を見てから、小さく息を吐いた。
「立香」
「……はい」
「あなたが恥ずかしいと感じていることは分かったわ」
「はい」
「でも、これが普通なの」
「……分かってます」
「あなた自身も、そう思っているんでしょう?」
「思ってます」
「なら、やってみなさい」
「…………」
「長々と見せろとは言ってないわ。普通に挨拶すればいいの」
「……普通に」
「そう」
立香はゆっくり顔を上げた。
皆がこちらを見ている。
昨日の比較会とは違う。今日は勝負でも遊びでもない。
カルデアのマスターとして、定例ミーティングの始まりに皆へ挨拶をする。
それだけだ。
何もおかしくない。
立香自身も、それは分かっている。
「……よし」
小さく息を吸い、席を立った。
前へ出る。
顔はすでに熱いし、できることなら今すぐ自分の席へ戻りたい。
それでも今度は、一瞬で終わらせない。
参加者全員から左右の状態がきちんと確認できるように立ち、身体の向きを整える。
「……おはようございます」
左右の卵巣は、ネロやメイヴと比べれば少し小ぶりだった。
素直な楕円形で左右差は少なく、表面にも傷や腫れはない。白濁半透明の保護粘液が全体を薄く包んでいる。
ただ、その上を先ほどから増え続けている透明な緊張性分泌液が流れていた。
一筋が右側の丸みに沿って落ち、続いて左からも雫が床へ落ちる。
「…………っ」
音がするたびに立香の顔が赤くなる。
それでも姿勢を崩さない。
左も右も、卵管采も含め、皆が十分確認できるだけの時間を取る。
「……なるほど」
オルガマリーが小さく頷いた。
「え?」
「思っていたより綺麗に整っているのね」
「しょ、所長……!」
オルガマリーは立香の反応など気にせず、ごく普通に観察を続ける。
「左も右も形が素直ね。大きな左右差もないし、輪郭も崩れていない。表面に傷や腫れも見当たらないわ」
「…………っ」
「卵管采の状態も問題なさそう。保護粘液も十分に出ているし――」
そこで透明な雫がまた一つ落ちた。
「緊張性分泌液はかなり出てるけど」
「そこまで詳しく言わなくてもいいじゃないですか!」
「何よ。挨拶でしょう?」
「そうですけど!」
「それに、ちゃんと手入れもしてるのね。見た限りでは状態はかなり良さそうよ」
「…………」
「いつも確認する前にすぐ姿勢を戻すから、ここまでちゃんと見たことがなかったのよね」
「…………っ!」
「ふふん!」
横から妙に得意げな声がした。
ネロだった。
「余は昨日、すでによく見ておるぞ!」
「ネロ!」
「比較会でな!」
「言わなくていいから!」
「ブーディカが左右とも触って確認しておったしな!」
「それ以上言わないで!」
「最後には四人分を机に並べて――」
「ネロ!」
「む?」
「もう黙って!」
「なぜだ?」
「なんで分からないの!?」
ネロは本当に分からないらしい。
その横で、オルガマリーが少し意外そうな顔をしていた。
「……昨日、そんなことしてたの?」
「うむ!」
「立香も参加して?」
「当然だ!」
「…………」
オルガマリーの視線がゆっくり立香へ戻る。
「……それだけしっかり比較会には参加できたのね」
「違います!」
立香は即座に否定した。
「あれも最初から最後までずっと恥ずかしかったんです!」
「そうなの?」
「そうです!」
ブーディカが苦笑する。
「昨日も本当にずっと真っ赤だったよ」
「ブーディカまで説明しなくていいから……」
「ご、ごめん」
立香は完全に俯いた。
「……もういいですか?」
オルガマリーは小さく息を吐いた。
「ええ。ちゃんとできたんだからいいわ」
「……はい」
ようやく解放された。
立香は逃げるように自分の席へ戻った。