Fate/Ovary Overwrite 作:M・タマゴスキー
席へ座り、資料を開く。
だが、書かれている内容がなかなか頭へ入ってこない。
――思っていたより綺麗に整っているのね。
先ほどの言葉が蘇る。
――左も右も形が素直ね。
「…………っ」
立香は資料を少し持ち上げ、口元を隠した。
さらにネロの声まで思い出す。
――余は昨日、すでによく見ておるぞ!
昨日の比較会が一緒に蘇ってきた。
大勢の観客の前で、ブーディカに左右を触って確認されたこと。四人分を並べ、自分のものまで皆から見比べられたこと。
そして今日は、中央管制室で再び大勢の前に立った。
昨日より少しは慣れるどころか、意識する材料ばかり増えている気がする。
「それでは、今度こそミーティングを始めるわ」
オルガマリーが資料を開いた。
カルデアの運営状況、サーヴァントの状態、魔力供給、観測機器、物資、医療班。それぞれの担当者から報告が続いていく。
立香もどうにか意識を仕事へ戻そうとした。
だが、気づくと同じ行をもう一度読んでいる。
周囲がページを進めたのを見て、慌てて自分も捲る。
普段なら聞き逃さないような報告にも、反応が一歩遅れた。
前方では、オルガマリーがそんな立香を何度か見ていた。
それでも会議中には何も言わず、そのまま通常議題を進めていった。
◇
一通りの報告が終わる。
「では、通常議題は以上ね」
オルガマリーが資料を閉じた。
立香は小さく息を吐く。
ようやく終わった。
「立香」
「はい?」
「その前に」
「……?」
嫌な予感がした。
オルガマリーがこちらを見ている。
「あなた、今日のミーティング、ずっと上の空だったでしょう」
「…………」
立香は固まった。
「気づいてたんですか」
「気づくわよ。普段のあなたなら、もっとちゃんと報告を追ってるもの」
「……すみません」
「さっきの挨拶のことを考えてたの?」
「…………はい」
「まだ?」
「まだです……」
答えながら、また顔が熱くなる。
「所長があんなに詳しく言うから……」
「状態を見ただけでしょう」
「ネロも昨日のこと言うし……」
「余は事実を言っただけだぞ!」
「ネロはちょっと黙ってて!」
「うむ?」
ネロは本当に不思議そうに首を傾げている。
立香は額を押さえた。
「……自分でも、こんなに引きずるとは思ってなかったです」
「そう」
オルガマリーは少し考えると、閉じたばかりの資料を再び開いた。
「なら、その件について確認しましょう」
「今ですか?」
「今よ」
「…………」
立香は露骨に嫌そうな顔をしたが、席を立ちはしなかった。
「まず確認するわ。あなたは、卵巣が体外にあることをおかしいと思う?」
「思いません」
即答だった。
「子宮から左右の卵管、卵管采、卵巣までが体外にあることも?」
「普通です」
「卵巣を見ることは?」
「普通だと思います」
「見せることは?」
「普通です」
「挨拶の際に、左右の卵巣を相手へきちんと示すことは?」
「当たり前です」
「昨日のように、触って状態を確認したり、比較したりすることは?」
「……普通です」
最後だけ少し顔が熱くなったが、答えそのものは迷わなかった。
オルガマリーが頷く。
「つまり、常識そのものは私たちと同じなのね」
「そうです」
「でも、恥ずかしい」
「……はい」
「どうして?」
「それが分からないんです」
立香は困ったように眉を寄せた。
「普通だって思ってます。見せるのが悪いとも思ってません。昨日の比較会だって、おかしいことをしてるとは思ってないんです」
一度言葉を切る。
「でも……見られると恥ずかしいんです」
管制室が少し静かになった。
ネロが腕を組む。
「やはり奏者が特別に恥ずかしがり屋なのではないか?」
「その可能性はありますね」
玉藻も頷いた。
「マスターの性格と言われれば、それだけでも説明できなくはありません」
「でも」
マシュが立香を見る。
「先輩は、相手が誰でも同じ反応をされています」
「そうなのよね」
オルガマリーが応じる。
「一対一でも、大勢の前でも」
「……はい」
「それに、自分が見られるときだけじゃないでしょう?」
「え?」
「さっき私が挨拶したときも、あなたは顔を赤くしていたわ」
「…………はい」
「他人の卵巣を見ることにも、恥ずかしさを感じる?」
立香は少し考えた。
「……自分ほどじゃないですけど」
「けど?」
「あります」
「そう」
オルガマリーは指先で机を軽く叩いた。
ここまで来ると、単純に「人前が苦手」というだけでは説明しにくい。
「ところで、立香」
「はい?」
「最近、変な夢を見なかった?」
「……夢?」
「ええ。妙に鮮明だったり、知らない場所にいたり、自分ではない誰かの視点だったり」
立香は記憶を探る。
「特には……」
「起きたあとまで妙に記憶に残っているものは?」
「ないと思います」
「誰かに呼ばれたとか、知らない声を聞いたとか」
「それもないです」
「そう」
オルガマリーは小さく頷いた。
「一応確認しただけよ」
「夢まで調べるんですか?」
「カルデアでしょ?」
「……確かに」
立香も納得した。
ただの夢にしか思えなかったものが、魔術的な現象だった。
そんな出来事はカルデアでは珍しくない。
「先輩、もし何かおかしな夢を見たら報告してください」
「うん。分かった」
オルガマリーはさらに確認を続けた。
「今のところ、日常生活に明らかな身体的不調はないのよね?」
「はい」
「睡眠は?」
「普通です」
「食事は?」
「問題ありません」
「記憶がおかしいと感じたことは?」
「ないです」
「魔力の流れに違和感は?」
「特には」
「卵巣や卵管に痛みや違和感は?」
「ありません」
「分泌液の量は?」
「…………」
立香が少しだけ視線を逸らした。
「……人より少し多いかな、くらいです」
「あなたは少しどころじゃないでしょ」
「…………」
即座に突っ込まれた。
「所長」
「何?」
「もう少し言い方ありません?」
「事実でしょう?」
「そうかもしれませんけど……」
「少なくとも、普段から他の人より多めなのは自覚してるのね?」
「……はい」
「緊張したときは?」
「もっと増えます……」
「それはさっき確認できたわね」
「…………」
立香の顔がまた赤くなる。
「そこは言わなくても……」
「問診でしょう?」
「……はい」
オルガマリーはそこで一度考え込んだ。
身体的な異常を本人は感じていない。
睡眠、食事、記憶、魔力循環にも自覚症状はない。
体外にある器官そのものについても、立香は周囲とまったく同じ常識を持っている。
違うのは、感情だけだった。
「今のところ、はっきりしているのは羞恥だけね」
「……はい」
「それが単純にあなたの性格なのか」
一拍置く。
「それとも、別の原因があるのか」
立香は黙って聞いていた。
「一度、調べましょう」
「調べる?」
「ええ」
オルガマリーはスタッフへ視線を向ける。
「これまでの健康記録、魔術的な状態、記憶、霊基情報を確認して」
「了解しました」
「身体記録については、子宮、左右の卵管、卵管采、左右の卵巣の過去データも含めて比較を」
「了解」
「それで何も分からなければ、詳細検査へ進むわ」
「分かりました」
「えっ」
立香が反応した。
「詳細検査?」
「当然でしょう」
「どんな……?」
「身体面も含めて一通りよ」
「…………」
表情が固まる。
「何よ」
「……検査って」
「検査よ」
「その……卵巣も?」
「原因を調べるんだから、当然でしょう」
「…………」
またじわじわと顔が赤くなる。
オルガマリーは呆れたように立香を見る。
「あなた、まだ何も始まってないのに、どうしてもう赤くなってるのよ」
「だって……」
「左右の卵巣を見るだけで終わるとは限らないわよ。必要なら卵管や卵管采、子宮も確認するでしょうし」
「所長!」
「何?」
「詳しく言わなくていいです!」
「検査内容でしょう?」
「分かってます!」
「必要なことよ?」
「それも分かってます!」
「なら何?」
立香は少し俯いた。
「……恥ずかしい」
「…………」
オルガマリーは額へ手を当てた。
「本当にそればっかりね、あなた」
「私だって好きで恥ずかしがってるわけじゃないです……」
「分かってるわよ」
オルガマリーは資料をまとめる。
「とにかく、まずは記録確認。それから必要なら詳細検査。これで決まり」
「……はい」
立香は小さく息を吐いた。
周囲では、ネロたちがまだどこか不思議そうにこちらを見ている。
検査を受けることも。
子宮や卵管を調べることも。
卵管采や左右の卵巣を触って状態を確かめることも。
必要なら画像や記録を残すことも。
立香自身、医学的に必要なら当然受けるものだと思っている。
それなのに。
実際に自分が受ける場面を想像しただけで、また顔が熱くなった。
「……私、本当に変なのかな」
「先輩?」
隣のマシュが振り向く。
「ううん」
立香は首を振った。
「何でもない」
まだ誰にも分からない。
ただ恥ずかしがり屋なだけなのか。
それとも、別の理由があるのか。
少なくとも今は、調べてみるしかなかった。