Fate/Ovary Overwrite 作:M・タマゴスキー
「では次に、混卵液の定期採取を行います」
「…………」
表情が固まる。
「……今日やるんですか?」
「採取時期です」
「あと何日かくらいなら――」
「駄目です」
即答だった。
「前回のように、恥ずかしがって先延ばしにした挙句、混卵液を床に撒き散らすのは勿体ないです」
「…………っ!」
一瞬で立香の顔が真っ赤になった。
「ちょっと!」
「何でしょう」
「それ、ここで言う必要あります!?」
「採取履歴ですので」
「履歴でも言い方があります!」
「前回は実際にかなりの量を失っています」
「もう言わなくていいです!」
オルガマリーまで口を挟む。
「そもそも予定通り採取していれば、そんなことにならなかったでしょう」
「所長まで!」
「事実よ」
「もう嫌……」
◇
スタッフが混卵液の定期採取に使う器具を準備する。
細い穿刺針と、その内部を通す細径カテーテル。採取された混卵液は透明なチューブを通って専用容器へ集められる。
その容器を見た立香が眉を寄せた。
「……それ、結構大きくないですか?」
「マスターの過去の採取量を考慮しています」
「聞かなきゃよかった……」
左卵巣が下から支えられる。
普段の保護粘液に加え、緊張性分泌液や触診によって増えた刺激性分泌液で、表面はかなり濡れていた。
「穿刺部位を清拭します」
ガーゼで粘液を取り除き、消毒が行われる。
まだ針は触れてすらいないのに、立香の身体はすでに強張っていた。
「先輩」
「大丈夫」
「ですが……」
「いつものだから」
立香は一度息を吸った。
「始めます」
「……はい」
針先が左卵巣の表面へ触れる。
ちくっ。
「……っ」
立香の指が検査台の端を掴んだ。
針がゆっくり押し込まれる。
「っ……!」
「痛みは?」
「……大丈夫、です」
声はわずかに震えていた。
必要な深さまで針が進むあいだ、立香は目を閉じて呼吸を整える。
「続けても大丈夫ですか?」
「……続けてください」
穿刺の刺激に反応し、卵巣表面へ白濁した刺激性分泌液が増えていく。
だがスタッフは必要な処置だけを淡々と進めた。
「カテーテルを挿入します」
「……はい」
穿刺針の内部を細いカテーテルが進む。
ぬぷっ。
「……っ!」
立香の眉間に力が入り、検査台を掴む指へまた力が入る。
さらに少しずつ送り込まれる。
ぬぷぅ……。
「っ……う……」
腹部がきゅっと強張り、片方の膝が小さく動いた。
「先端位置を確認します。少し動かします」
「……分かり、ました」
カテーテルの先端が内部でごくわずかに方向を変えた。
採取しやすい位置を探るように、数ミリずつ小さく動かされる。
くにゅ……。
「ひっ……!」
立香の身体がびくりと強張る。
「痛みはありますか?」
「痛いってほどじゃ……ない、ですけど……」
「もう少しだけ確認します」
「……はい」
先端がもう一度、わずかに位置を変える。
くにゅ……。
「っ……!」
立香は息を止め、検査台の端を強く握った。
数秒後、スタッフの手が止まる。
「採取位置に到達しました」
その言葉を聞いて、立香がようやく細く息を吐いた。
「採取を開始します」
「……お願いします」
しばらくして。
透明なチューブの内部を液体が進み始めた。
水のようにさらさらしているわけではない。透明だが、わずかなとろみがあり、チューブの内壁に沿ってゆっくりと流れてくる。
混卵液だった。
最初の一滴が採取容器へ落ちる。
とぷっ。
「混卵液を確認しました」
続いてもう一滴。
さらに一滴。
やがて流れは少しずつ増していった。
透明な混卵液が途切れずチューブを通り、採取容器へ注がれていく。
「…………」
立香は容器を見ないように顔を背けた。
「流量、増加しています」
「言わなくていいです……」
採取は続く。
容器の底に溜まった混卵液の液面が、目に見えて上がっていく。
「まだ……?」
「まだです」
「…………」
流れはなかなか弱まらない。
スタッフが測定値を確認する。
「採取量――極多量」
「…………」
立香はさらに顔を背けた。
「極多量?」
オルガマリーが聞き返す。
「はい。通常の採取量を明確に上回っています」
「……そこまでなのね」
「…………」
「立香?」
「聞こえてます……」
「何も言ってないでしょう」
「その反応だけで十分です……」
マシュも容器へ目を向けたが、立香の様子を見て何も言わなかった。
採取された混卵液について、スタッフが魔力成分を確認する。
「卵子由来の魔力成分を確認。濃度正常、魔力反応も良好です」
立香が顔を背けたまま尋ねた。
「……だから、勿体ないんですよね」
「はい」
混卵液は魔力資源として利用できる。
周期的に排出されるものを定期的に採取し、保管することも普通のことだ。
それは立香も知っている。
分かっているのだが、自分から採られているところを所長やマシュに見られるのは、やはり恥ずかしかった。
「……分かってます」
立香は小さく呟いた。
しばらくすると、ようやく流量が落ちてくる。
一滴。
もう一滴。
最後の数滴が容器へ落ちたところで、スタッフが端末を確認した。
「採取終了です」
「……終わった……」
「カテーテルを抜きます」
「…………」
ゆっくり引き戻されるカテーテルに、立香の指がまた検査台を強く掴む。
「っ……」
「もう少しです」
「……はい」
カテーテルが抜け、続いて穿刺針も取り除かれる。
「終了です」
「では、続いて右卵巣から採取します」
「……ですよね」
立香は一瞬だけ力の抜けかけた顔をしたが、すぐに諦めたように検査台へ頭を戻した。
右側も、基本的な手順は左と同じだった。表面を清拭して消毒し、右卵巣を固定する。
ちくっ。
「っ……」
穿刺針が入り、その内部から細径カテーテルが進められる。
ぬぷっ。
「……っ!」
立香の指が再び検査台の端を掴んだ。
採取位置を確認するため、カテーテルの先端が内部でわずかに動かされる。
くにゅ……。
「ひっ……!」
「もう少しです」
「……はい……」
左側ほど時間はかからず、すぐに位置が定まった。
「右卵巣、採取を開始します」
やがて右側からも透明でわずかにとろみのある混卵液がチューブを流れ始めた。こちらも量は多く、しばらく連続して採取容器へ注がれていく。
立香はもう何も言わず、赤い顔のまま反対側を向いていた。
流量が落ちるのを待って採取を終了し、カテーテルと穿刺針が順番に抜かれる。
「左右とも、混卵液の定期採取を終了しました」
「……やっと終わった……」
立香は今度こそ大きく息を吐いた。
すべて抜けたあと、立香は数秒動かなかった。
やがて指から力が抜ける。
「……終わった……」
採取を終えた左右の卵巣は、穿刺とカテーテルの刺激に対する防御反応で、白濁した刺激性分泌液に覆われていた。
「刺激性分泌液はかなり増えていますね」
立香が少し不安そうに顔を上げる。
「これって……正常なんですか?」
「通常時より多いですが、穿刺とカテーテル挿入の直後です。この程度の一時的増加であれば問題ありません」
「……よかった」
「ただし、普段から同程度の量が出るのであれば、一度詳しく――」
「出ません」
反射的に答えた直後。
ぽたっ。
今度は透明な緊張性分泌液が落ちた。
「…………」
スタッフが立香を見る。
オルガマリーも見る。
「……たぶん」
ぽたっ。
「…………」
「何ですか、その目」
「別に」
オルガマリーは平然と答えた。
「何も言ってないわよ」
「その目が言ってます!」
結局、今回は採取刺激による一時的な反応として記録されることになった。
密閉された採取容器には、立香から採取された極多量の混卵液が収められている。
「本日の混卵液の定期採取、完了しました。以上でマスターの検査工程は終了です」
「……やっと終わった……」
立香は検査台へ身体を預け、大きく息を吐いた。
身体、魔術回路、記憶領域。
子宮、卵管、卵管采、卵巣。
そして各種分泌反応。
分泌量にはかなり特徴があるものの、それも現時点では立香固有の体質として説明できる。
立香が卵巣を見られることを恥ずかしいと感じる原因は、何一つ見つかっていなかった。
「では、次は私ね」
オルガマリーが検査台へ視線を向ける。
立香が顔を上げた。
◇
立香が使った検査台では、スタッフが吸水シートを交換し、器具を片付けていた。
かなり濡れたシートを見た立香は、すぐに視線を逸らした。
「……そんなに見ないでください」
「誰に言ってるのよ」
「その……全体的にです」
「片付けてるだけでしょう?」
「分かってます……」
新しいシートが敷かれると、オルガマリーは何のためらいもなく検査台へ腰を下ろした。
「……所長、本当に平気なんですね」
「またその話?」
「だって、これから私と同じ検査を受けるんですよ」
「比較検査でしょう。さっさと始めるわよ」
◇
通常の身体検査と魔術的検査は、立香と同じ工程で行われた。
結果は正常。
詳細検査に移っても、オルガマリーの態度は変わらない。
左右の卵巣は丸みを帯びた楕円形で、右が左より明確に少し大きい。保護粘液の状態は標準的で、形状や組織にも異常はなかった。
スタッフが間近から観察する。
立香も横から見ている。
それでも。
「……出ない」
「何が?」
「緊張性分泌液です」
「緊張してないもの」
「……そんな簡単に」
「ただの検査でしょう?」
視線を向けられても、撮影準備が始まっても、オルガマリーの卵巣表面にはほとんど変化がない。
立香との違いは明らかだった。
触診でも、刺激性分泌液は一般的な範囲に収まった。
「正常範囲です」
「なら問題ないわね」
「…………」
「何よ」
「所長の反応が普通すぎるなって」
「普通なんだから当然でしょう」
「私だって身体は普通のはずなんですけど……」
立香は小さく呟いた。
◇
「次に微弱電流で神経反応を確認します」
「ええ」
オルガマリーが平然と答える。
立香の口元が少しだけ上がった。
「所長」
「何?」
「私はそんな反応しない、でしたっけ」
「言ったわね」
「まだ撤回できますよ」
「する必要ないわ」
「そうですか」
左卵巣へ電極が取り付けられる。
「開始します」
「どうぞ」
刺激。
「ひぅっ!」
オルガマリーの身体が大きく跳ねた。
「…………」
スタッフは何事もなかったように端末へ入力する。
「神経反射、正常」
「…………」
オルガマリーの顔がゆっくり赤くなった。
立香は必死に笑いを堪えている。
「立香」
「はい」
「笑ったら怒るわよ」
「まだ笑ってません」
「今にも笑いそうでしょう!」
「だって所長が――」
「何よ!」
「……何でもないです」
「絶対何か言おうとしたでしょう!」
右側の検査でも、分かって身構えていたにもかかわらず肩が跳ねた。
左右とも神経反応は正常。
オルガマリーはしばらく天井を見たあと、立香へ言った。
「忘れなさい」
「それは無理です」
「でしょうね!」
◇
画像撮影も立香と同じように行われた。
左右の卵巣、左右比較、子宮と卵管を含めた全体像。
オルガマリーは撮影そのものには何の抵抗も示さない。
「本当に、撮られるのは平気なんですね」
「検査画像でしょう? 形状や状態を確認するための記録を残して何が恥ずかしいのよ」
「……やっぱり違うんだ」
「何か言った?」
「何でもないです」
検査そのものは順調に終わった。
ただし、二点だけ注意事項があった。
「右卵巣が左より大きいですね」
「……やっぱり?」
「個人差の範囲です。機能的な問題はありません」
「ならいいわ」
「それと、手入れを少し控えた方がいいでしょう」
「…………」
オルガマリーの表情が止まった。
「手入れ?」
「清潔にしようとして保護粘液を必要以上に落としている形跡があります。現在は問題ありませんが、洗浄しすぎるとかえって表面へ負担をかけます」
「……そんなに?」
「少し控える程度で十分です」
「…………分かったわ」
先ほどまで堂々としていたオルガマリーが、ほんの少し視線を逸らした。
立香はそれを見逃さなかった。
「所長」
「何よ」
「今、ちょっと恥ずかしがりました?」
「違うわよ」
「でも顔が――」
「自分の卵巣を見られるのが恥ずかしいんじゃないわ!」
「はい」
「右が大きいだの、手入れをやりすぎてるだの、そういう個人的なことを皆の前で指摘されるのは別でしょう!」
「なるほど……」
「そこで納得しないで!」
立香は少し笑った。
オルガマリーにも恥ずかしいことはある。
だが、卵巣を見られることそのものではない。
そこだけは、やはり自分とは違っていた。