Fate/Ovary Overwrite 作:M・タマゴスキー
検査から数日が経つ。
カルデアの医療区画では、その間も藤丸立香の検査結果について確認が続いている。
先日の詳細検査だけではなく、これまでの健康診断や治療記録、魔術回路の測定結果、精神や記憶に関する検査データまで遡って照合したらしい。
一通りの調査結果がまとまり、立香はマシュとともに報告を受けるための会議室へ向かう。
「先輩、少し緊張されていますか?」
「……ちょっとだけ」
「今日は検査ではなく、結果の確認だけですよ」
「うん、それは分かってるんだけどね」
検査台へ乗る必要はなく、卵巣を触診されたり、混卵液を採取されたりすることもない。
ただ話を聞くだけなのだから、前回ほど身構える理由はないはずだ。
それでも、自分だけが感じている羞恥について改めて話し合うと思うと、どうしても落ち着かない。
そんなことを考えているうちに、会議室へ着く。
中ではオルガマリーと医療担当者がすでに待っている。
「すみません、遅くなりました」
「時間には間に合ってるわ。座りなさい」
「はい」
立香とマシュが席につくと、机の上には人数分の冊子が用意されている。
表紙を見る限り、先日の検査結果と、その後の追加調査をまとめた報告資料らしい。
「では始めます」
医療担当者の言葉に合わせ、全員が資料を開く。
立香も最初のページを捲り、身体検査、魔術回路、魔力循環、精神状態と並ぶ項目へ順番に目を通していく。
数ページ進んだところで、指が止まる。
「…………」
そこに載っているのは、先日の検査で撮影された自分の写真だった。
左卵巣と右卵巣をそれぞれ撮影したものに加え、左右の比較画像、子宮から左右へ伸びる卵管と卵管采、その先の卵巣までを収めた全体像もある。
立香はゆっくりと顔を上げる。
「……これ、全員に配ってるんですか?」
「はい」
「写真も?」
「画像所見も検査結果の一部ですので、参加者全員が同じ資料を確認できるようにしています」
医療担当者の答えには、何のためらいもない。
「検査結果について話し合うんだから、写真が入っていて当然でしょう?」
オルガマリーまで不思議そうに首を傾げる。
「それは分かってますけど……私の卵巣の写真ですよ?」
「あなたの検査結果なんだから、あなたの写真になるでしょうね」
「……そうなんですけど」
理屈では何も間違っていない。
検査写真を医療資料として関係者へ配布することは、この世界では何も特別な行為ではない。
立香自身も、そう理解している。
けれど、今この場にいる全員が、自分の左右の卵巣を撮影した写真を手元に持っている。
そう意識した途端、頬が一気に熱を帯びる。
「先輩、また顔が赤くなっています」
「言わないで……」
資料へ視線を戻しても、目の前には大きく印刷された自分の左卵巣がある。
ページを捲れば右卵巣、その次には左右を並べた比較画像まで続く。
閉じてしまいたい気持ちはあるものの、これから使う会議資料なのでそうもいかない。
立香は何も考えないようにしながら、黙ってページを押さえる。
緊張に反応して、左右の卵巣表面には透明な緊張性分泌液が薄く滲んでいる。
白濁半透明の保護粘液の上をさらさらと伝い、やがて一滴が床へ落ちる。
ぽたっ。
小さな音なのに、立香にはやけにはっきり聞こえる。
マシュもオルガマリーも医療担当者も、特に気にすることなく資料を確認している。
その自然な態度がかえって恥ずかしく、立香はさらに顔を伏せる。
◇
「まず、先日の検査結果について改めて確認します」
前方の大型モニターに、検査結果の概要が表示される。
今回は細かな写真を次々と映すのではなく、各項目の判定をまとめた一覧が中心になっている。
「藤丸さんの身体について、今回の検査で異常は確認されていません」
「はい」
「子宮、左右の卵管、卵管采、左右の卵巣についても同様で、今回の羞恥反応へ直接結びつくような病的所見はありません」
モニターへ検査項目が順番に並ぶ。
「分泌量にはかなり個人差がありますが、性状はいずれも正常です」
「混卵液もですか?」
「はい。採取量は極めて多いですが、卵子由来の魔力成分や濃度、魔力反応に異常はありません」
「つまり、量が多いのは本当に体質なんですね」
「現時点では、その判断になります」
立香の左右の卵巣はやや小ぶりだが、各種分泌能力は高い。
特に混卵液の産生量は明らかに多いものの、それ自体は病気ではない。
「……最後だけ、何度見ても目立つなあ」
「だって本当に多かったもの」
「所長」
「事実でしょう?」
「言い方の問題です」
医療担当者は二人のやり取りには構わず、次の項目へ進む。
「魔術面についても、魔術回路と魔力循環の双方に異常はありません」
「精神や認識への干渉は?」
オルガマリーが尋ねる。
「通常の検査で確認できる範囲では、外部から継続的な干渉を受けていることを示す反応は検出されていません」
「記憶はどうなの?」
「明確な欠落や、不自然に接続された領域も確認されていません」
そこで参考資料として、立香の左右卵巣を並べた比較画像が大型モニターに表示される。
「…………」
手元の冊子だけでも落ち着かないのに、大画面にまで自分の検査写真が映っている。
立香が思わず身を縮めると、オルガマリーが横目を向けてくる。
「本当に分かりやすいわね、あなた」
「所長、ほっといてください」
幸い、画像はすぐに検査データへ切り替わる。
立香は小さく息を吐き、再び資料へ目を落とす。
◇
「今回、追加で過去の記録についても照合を行っています」
医療担当者に促され、立香たちは資料の後半を開く。
そこには、これまでカルデアで受けてきた健康診断や治療、魔力測定などの記録が時系列で整理されている。
「現在の身体状態と、保存されている過去の記録との間に大きな不整合はありません」
「途中で急に身体の構造が変わったような記録は?」
「ありません」
「記録と本人の記憶が食い違っている箇所はどうですか?」
今度はマシュが尋ねる。
「問診で確認した範囲では、藤丸さん本人の記憶と記録はおおむね一致しています」
立香自身にも覚えがある。
以前から健康診断では子宮や左右の卵巣を確認されてきたし、混卵液の定期採取も何度も受けている。
挨拶の際に相手へ左右の卵巣を示すことも、他人のものを見ることも、記憶の中では昔から普通のことだ。
少なくとも、自分の過去と現在の間に、はっきりとした断絶は見当たらない。
「……本当に何もないんだ」
「何もないというより、あなたが心配していたような異常が見つからないということよ」
オルガマリーは資料を捲りながら答える。
「それは分かってるんですけど」
比較対象として、オルガマリーの検査結果も簡単に確認される。
右卵巣が左より少し大きいことや、日頃の手入れで保護粘液を落としすぎる傾向はあるが、どちらも正常な個人差の範囲だ。
「私も正常、立香も正常」
オルガマリーが二人分の結果を見比べる。
「数値や形が完全に同じじゃなくても、それは個人差でしかないわ」
「……ですよね」
返事をしながら資料を見ると、また自分の検査写真が目に入る。
立香は少し迷ってから、隣のマシュへ声をかける。
「マシュ」
「はい?」
「これ見ても、やっぱり何とも思わない?」
「先輩の検査画像ですか?」
「うん」
マシュは冊子へ視線を落とす。
「検査に必要な記録ですので、特には」
「そっか……」
「まだ聞いてるの?」
オルガマリーが呆れたように口を挟む。
「だって気になるんですよ。所長は自分の検査写真が皆に配られてても平気なんですか?」
「検査画像でしょう? それ自体の何を恥ずかしがるのよ」
「でも、右が大きいって皆の前で言われたときは恥ずかしがってたじゃないですか」
「それは別よ!」
返事だけは即座に返ってくる。
「自分の卵巣を見られることと、右が大きいだの手入れをしすぎてるだの、個人的なことを皆の前で指摘されることは違うでしょう!」
「……その違いが、私にはよく分からないんですよね」
「どうしてそこが分からないのよ……」
オルガマリーは困ったように眉を寄せる。
立香にも、どう説明すれば伝わるのか分からない。
資料へ視線を落とせば、やはり自分の写真がある。
やはり恥ずかしい。
◇
会議が終わる頃には、結論もほぼ出揃っている。
「以上から、現時点では藤丸さんの羞恥反応を直接説明できる身体的、魔術的、精神的な異常は確認できません」
「……はい」
「過去の記録についても、今回の反応を説明できる不整合は見つかっていません」
医療担当者は資料の最後のページを示す。
「必要に応じて経過観察は続けますが、医療上ただちに処置を必要とする状態ではありません」
「分かりました」
立香は資料を閉じず、そのまま検査結果を眺める。
身体には異常がない。
魔術にも問題はなく、記憶も過去の記録と一致している。
最初は、自分が人より恥ずかしがり屋なだけなのだと思っていた。
周囲の誰も気にしていないことを自分だけが恥ずかしがっているのだから、自分の感情の方がおかしいと考えるのが一番自然だった。
けれど、その理由を探してこれだけ調べても、自分の中からは何も見つからない。
もし自分がおかしいのなら、どこかに原因があってもよさそうなものだ。
それなのに、検査結果は何度見ても正常を示している。
立香は顔を上げる。
マシュは自分の検査写真が載った資料を、ごく普通の医療資料として読んでいる。
オルガマリーも、自分自身の写真が資料として扱われることにも、立香の写真が全員へ配られていることにも疑問を持っていない。
医療担当者にとっても同じだ。
必要なら検査写真を資料へ載せ、大型モニターへ表示し、関係者全員で確認する。
そして立香自身も、それがおかしいことだとは思えない。
卵巣が体外にあることも、挨拶で左右を示すことも、検査で触れられることも、撮影した写真を医療資料として共有することも、すべて普通のことだと知っている。
それなのに、感情だけが一致しない。
自分の写真を見られれば恥ずかしい。
他人の卵巣を見ても、ときどき居心地の悪さを覚える。
今までは、その食い違いの原因を自分の中だけで探していた。
けれど、自分をどれだけ調べても本当に何もおかしくないのなら、考える場所そのものが違うのではないか。
――もし、私がおかしいんじゃなかったら。
そこで初めて、問いの向きが逆になる。
自分に原因がないのなら、原因はどこにあるのか。
立香は会議室を見渡す。
誰も、この状況を不自然だとは思っていない。
自分だって、頭では同じように思っている。
それでも、自分の中にだけ受け入れきれない感覚が残っている。
だったら。
――もしかして、世界のほうがおかしいんじゃないの?
そう考えた直後、けたたましい警報が会議室に鳴り響く。
「!?」
全員が一斉に顔を上げる。
大型モニターから検査結果が消え、画面いっぱいに赤い警告表示が現れる。
『緊急報告! 特異点反応を検出!』
「特異点!?」
オルガマリーが即座に立ち上がる。
「座標を出しなさい!」
『確認中です!』
管制室から送られてくる観測情報が高速で更新されていく。
しかし、通常ならすぐに表示されるはずの発生地点が出てこない。
『……座標、特定できません!』
「何ですって?」
『反応値は確実に存在しています! 特異点反応で間違いありませんが、発生地点を捕捉できません!』
「反応があるなら、どこかに発生源があるでしょう!」
『通常観測、該当なし!』
別の職員の声が重なる。
『補助観測にも反応源なし! 観測範囲を拡大します!』
「急ぎなさい!」
オルガマリーが端末へ身を乗り出す。
マシュもすぐに立ち上がり、送られてくる情報を確認している。
『反応は継続しています! ですが、依然として発生地点を特定できません!』
「反応だけあって、特異点そのものが見つからないっていうの?」
『はい!』
先ほどまで検査結果について話していた会議室の空気が、一瞬で緊迫したものへ変わる。
「管制室へ行くわ。観測系を全部回して」
『了解!』
「マシュ、立香も来なさい」
「はい!」
「分かりました!」
三人はそのまま会議室を出る。
背後の大型モニターでは、今も赤い警告表示が点滅を続けている。
特異点反応は確かに存在する。
それなのに、どこを探しても発生地点だけが見つからない。