1話 青天の霹靂
裕樹自身にも、その理由を言語化することは難しい。
そのきっかけはおそらく、幼少期に父親と一緒に連れ回された古本屋のせいだろう。
色んな古本屋を巡っていた当時の記憶が、今でも鮮明に残っている。
四畳半ほどの店内に、雑多に積まれた雑誌や書籍。
ジャンルはバラバラで、綺麗に整理された書店とは大きく異なっていて、店内もどこか埃っぽさがあった。
当時はまだ、今ほど規制が厳しくなく、個人経営の店主が、律儀に成人向け雑誌を隔離しているわけではなかった。
そのため、日常生活で本来は子供に触れさせないような──
豊満な女性が表紙の雑誌が、店内のあちこちに無造作に置かれていた。
内容や意味は、当時の裕樹には理解できなかったが、性的というよりも、「女はこういう体をしている」と刷り込まれたようなイメージだった。
その影響なのか、高校生になった今でも、裕樹の視線は自然と胸の大きい人の方へ向いてしまう。
街中で見かける女性の胸が揺れれば、見えなくなるまで目で追い、無意識に「〜カップくらいかな?」と妄想する。
思春期特有の反応と言われれば、当然なのかもしれない
。
だがそれは、裕樹にとっては反射に近い習性だった。
夏は特に肌の露出が増え、街を歩くだけで、裕樹の目は慌ただしく動く。
(……あの人、相当デカいな。FかGくらい?)
高校の最寄り駅前で時間を潰していたその日も、例によって裕樹は"大きい人"探しに夢中だった。
そのとき──
「兎谷くん。さっきからおっぱいばっかり見てる。」
背後から、冷気のような声が落ちてきた。
ぎくりと反射的に肩が跳ねる。
ゆっくりと振り返ろうとするより先に、視界の端に大きい曲線が映り込んだ。
声の主は、すぐ分かった。
「み、三原さん!? いきなり何…?」
物静かで、どこか氷のような雰囲気を纏ったクラスメイト。
言葉では否定しながらも、裕樹の視線は、条件反射のように葵の胸元へ吸い寄せられていく。
(……やっぱ三原さんが一番デカい。)
同年代とは思えない、圧倒的な存在感。
「今も見てた。」
淡々と告げる葵。
怒っているというより、呆れているという表情に近い。
「み、見てないってば!」
視線を逸らしながらも、口だけが苦しい言い訳をする裕樹。
だが葵は白々しく告げた。
「ね、今コンビニの方に向かって歩いてる白い服のお姉さん……すっごく大きい。」
その言葉に釣られ、裕樹の視線はコンビニの方向へ向いてしまう。
ごまかせない癖、あるいは習慣。
自分自身が制御できない視線は、言い訳より先に身体が証明していた。
この日、裕樹が三原葵と目が合った瞬間、胸を追うこの癖が初めて第三者に暴かれた。
視線だけでなく、頭ごとコンビニの方向へ向いてしまう。
裕樹は完全に葵の言葉に釣られてしまっていた。
「兎谷くんって、私の胸ばっかり見てると思ってたけど……大きい人なら誰でもいいんだ。」
その声音には、皮肉や軽蔑は不思議と含まれていない。
天気の報告でもするような、淡々とした事実確認。
「み、三原さんの胸も見てないし……他の人の胸も、別に……。」
否定の言葉は出るものの、説得力は皆無だと裕樹自身が理解していた。
水掛け論になるかと思ったその時、葵と仲の良い女子グループが合流し、葵はそちらへ歩いていく。
(……やっぱり三原さんが一番デカいな。)
去っていく葵の背中と、その周囲の女子たちの胸元を比較するように視線を滑らせながら、裕樹は内心で呟いた。
並んで立っていると余計に際立ってしまう。
同年代女子とは思えない、ひときわ早熟した肉体。
斜め後ろから見ても、服の上から一目で"胸"だと分かる存在感。
歩くだけで布越しに揺れるそのラインは、学校一と言っても過言ではない。
(…三原さんも誰かに揉まれてたりするのかな。ああ…触ってみたい…。)
好き放題にできる男子がいるとしたら、それは間違いなく勝ち組だ。
そんな想像をしながら、裕樹はため息のように喉を鳴らした。
学校生活でも、裕樹は巨乳探しに余念がなかった。
体育の授業、登下校の人混み、校舎の階段。
視界に胸元が入るだけで、反射的に大きさを測ってしまう。
学年の差や教師だとかは関係ない。
胸が揺れれば、それだけで頭が勝手にそっちを向く。
気付けば、何カップなのか、色や柔らかさ、形、そんなことばかり妄想している。
裕樹の中で、女性の胸は顔と同じくらい、一番最初に相手を見る部位だった。
無意識に反応するからたちが悪く、この癖が最近どんどん悪化していく原因は一つだ。
三原葵という規格外が、同じ学校に存在してしまったから。
同年代の女子と一緒に並ぶと、ひとりだけ異様な膨らみを描く葵の胸。
一度あれを見てしまえば、誰だって基準が狂う。
学校や街中を歩くたび、葵より大きいか、重いか、柔らかそうか、と比べてしまう。
胸の大きさの物差しが、全て葵以上か以下かと真っ先に考える。
そんなことを考えていると、胸の鼓動がうるさくなった。
頭の中では葵のふくらみが、やわらかい影のように揺れる。
(……まずい。)
落ち着こうと深呼吸しても無駄だった。
授業の内容は聞いていても、頭に上手く入ってこない。
裕樹はそっと席を立ち、あまり生徒が使うことのない、別の階のトイレの個室に入り、パンツを下ろす。
裕樹は妄想の中で葵を男子トイレの個室に招く。
実際に見たことはないが、葵の胸の大きさ、形、柔らかさ、乳輪、乳首の色を妄想するとペニスに血流が集中して硬くなる。
目を閉じて葵の乳房をめちゃくちゃにする事を妄想しながら右手を使って扱く。
葵がどんなふうに快楽を感じて喘ぐのかを個室トイレの中だけの妄想で鮮明に再現する。
何時間でもあの巨乳を好き放題揉みたい。
自分だけがこの学校で葵の乱れるところを目撃して独り占めにしたい。
射精感は葵の妄想でどんどん加速し、昼休みの時間が少し過ぎた頃に絶頂に達した。
裕樹はなんとか冷静さを取り戻し、急いで身なりを整えて教室へ戻った。
席替えの日だったため、教室はざわざわと落ち着かない空気に満ちている。
歓声と落胆が入り混じり、遅れて入ってきた裕樹に気付く者は誰もいなかった。
「兎谷、まだだな。早く引け」
担任に促され、くじの箱へ手を入れる。
残っている紙は三枚。そのうち二人は欠席なので、実質最後の選択だった。
引いた番号は──27。
座席表を確認すると、一番右後ろの席の"すぐ横"だった。
(……一番後ろか。ラッキー)
リュックひとつを肩にかけ、そそくさと移動する。
誰がどこに座ったのか、ざっと目を走らせていると──
一番右後ろの席には、葵がいた。
そして裕樹の席は、そのすぐ隣。
(……マジかよ)
胸の奥で何かが跳ねた。
先日、駅前で胸を見ているのを指摘されたばかりだというのに、裕樹はまた無意識に葵の胸元へ視線を吸い寄せられていた。
葵がゆっくりと横を向く。
その動作だけで、豊かな膨らみがふわりと揺れる。
「なに?」
ただの一言なのに、その声はひんやりとした夏の冷気のように落ち着いていた。
(…やべっ、おっぱい見てたの、バレた?)
「なにも……」
悟られないように返したつもりだったが、ぎこちなさは隠せない。
裕樹はばつの悪さを抱えたまま、静かに席に腰を下ろした。
葵は特に気にした様子もなく前を向いた。
葵が隣の席になってからというもの、裕樹は授業中も心ここにあらずの状態だった。
真剣にノートを取っている最中の、その無防備な双丘は、いくら見ても指摘されることはなかった。
普段はクラスでもあまり目立たない葵だが、近くで見ると、整えられた短いマッシュショートも、伏せた長いまつ毛も、視線を奪う。
必要以上に話すタイプではなく、どこか冷気をまとったような静けさがある。それがまた、他の男子と違う距離の取り方を誘っていた。
(三原さん、どんなふうに誰かと話すんだろう?)
自分でもよく分からない感情を、裕樹はただ「気になる」とまとめていた。
普通なら恋と思われるその一連の感情も、裕樹場合は例外だった。
なぜなら、裕樹は葵の大きい胸が気になるだけなのだから。
五時間目が終わり、帰り支度をしようとしたとき。
隣から、氷のように澄んだ小さな声が落ちてきた。
「…話したいことがあるんだけど。」
振り向くと、葵が立ったままこちらを見ている。
表情は静かだが、少しだけ眉が寄っているように見えた。
(うわ……絶対なんか怒ってる)
胸のあたりがひゅっと縮み、裕樹は思わず頭を掻いた。
学校には、誰も使わない空き教室というものが必ず一つか二つ存在する。
葵に連れられて入ったのは、そのうちの一つである、スクールカウンセラーが使う面談室だった。
机と椅子が二つ、窓際には黒の革張りのソファーが並ぶだけの、無機質な部屋。
葵は何のためらいもなくエアコンの操作パネルに手を伸ばし、冷房をつける。
その拍子に胸がふわりと揺れ、裕樹の視線は反射的に吸い寄せられた。
(あ、おっぱい揺れた……)
不機嫌そうな顔で呼び出されたことも忘れたかのように、裕樹は葵の胸を凝視してしまう。
「さすがに見すぎ。」
冷気よりも冷たく感じる声が降ってきた。
「み、見てないって。」
裕樹は即座に否定するが、目は泳いでいる。
葵は深く息を吐き、椅子に腰掛けた。
「何を見すぎなのか、言ってないよね。なのになんで、見てないって否定するの?」
「ど、どうせおっぱいの話でしょ。見てないし。」
あくまで強気に返す。
しかし、葵の呆れた溜息がその嘘を軽々と切り裂いた。
「分かるに決まってるでしょ。男子はみんな、私と話している時は胸元しか見てないんだから。はぁ……兎谷くん、ムッツリだね。」
「ムッツリってなんだよ。興味ないし。」
強がった声で返すが、顔は赤い。
葵は肩を落とし、低い声で言った。
「チラチラ見るくらいなら気にしない。
でも……授業の最初から最後までずっとジロジロ見られるのは、ほんと気が散るからやめて。」
今まで、授業に集中してるのいい事に、
散々視姦していたことが、完璧にバレていた。
「だから見てないってば。…そんな話のために呼んだなら、帰るけど。」
裕樹はリュックを掴んで立ち上がる。
「ムッツリすけべ。素直に認めればいいのに。……先生に"兎谷くんがジロジロ見てくるから席替えてください"って言おうっと。」
"素直に認めればいいのに"の部分は、ほんの一瞬だけ声が小さかった。
だが裕樹には、確かに届いていた。
「じゃあ、もし三原さんのおっぱいを見てるって言ったら、どうするつもりなんだよ?」
扉にかけていた手をそっと離し、裕樹は振り返った。
その言葉の真意を、どうしても確かめたかった。
葵は胸元をそっと腕で隠しながら、目を伏せる。
「……授業中にずっとジロジロ見られるのは、やっぱり気が散るの。だから……放課後に、少しだけ見る時間つくるから……授業中に舐め回すみたいに見るのは、やめてほしい……」
かすかに頬が熱を帯びている。
恥じらうようなその表情に、裕樹は言葉を失った。
(……今、なんて言った?)
聞き間違いじゃなければ、"放課後に見る時間をつくる"とそう言ったのだ。
意味が飲み込めず呆然としていると、葵は目だけを上げて裕樹を見た。
「三原さんごめん、俺……三原さんのおっぱい、毎日見てます」
「うん、知ってるよ。……ムッツリ兎谷くん。」
たった今まで見せていた恥じらいは霧のように消え、氷の女王が戻ってきたような冷ややかな視線を向け、目の前に座っていた。