あの夜から数日が経った。
熱い抱擁は永遠には続かず、急いで小屋の中を片付け、二人はプレーパークを後にした。
家に戻り、今すぐ眠りたいと思うほど精魂尽きていた。
あまりに泥だらけの身体で、ベッドに行くわけにはいかず、シャワーを浴びる。
「痛っ……」
背中を流れていくシャワーのお湯が、じんじんと沁みて痛む。
身体を洗い終えて、化粧台の鏡に映った裕樹の背中には、点で付けられた無数の傷跡があった。
なんの傷か、そう思い返した時に葵が腕を回して背中に指を食い込ませてきた時のことを思い出す。
この痛みは、葵が残したもの──
そう考えると、この傷が治らなければ良いのにと、裕樹は思った。
そうすれば、あの夜のことは色褪せない気がした。
公園で別れて以来、葵から連絡が来ることはなかった。
葵のスマホに収められたはずの、あの夜の淫靡な記録は待てども送られては来ない。
撮影はただの演出として消されたのか。
スマホの充電が切れたことによって記録されていなかったのか。
葵が送らないという選択をしたのか。
その真意を確かめるべくチャットを開くと「ココを見つけるのを手伝って欲しい」と泣きつかれた葵からの着信履歴で会話は止まっていた。
「あの動画、送ってくれない?」
「もう一度…会えない?」
何度も文字を入力しては、送信するのを躊躇い、文字を削除する。
助けを求めてきた葵を、自らの欲望に巻き込んでしまった罪悪感。
もう一度抱きたいと渇望する、どうしようもない未練。
もし拒絶されたなら、葵との関係は永遠に閉ざされるという恐怖。
何度も同じ画面を、開いては閉じてを繰り返し、夏休みは終わった。
葵と再び学校で顔を合わせても、交わされる言葉はなかった。
あれだけ激しく重なったことを知る者は誰一人いない。
側から見れば、何事もなかったかのように日常が続いている。
以前と変わらず、机に伏せている葵を見て、裕樹はその平穏さが、滑稽にすら感じた。
帰り道にプレーパークの近くを通ると、何もないのにあの場所を見て、
柔らかい葵の肌の感触。
ガラスが砕け散ったような表情。
肌に食い込む指先。
もう葵に付けられた傷は癒えて、残ったものは何一つないはずなのに、触れられない虚しさと、あの日の豪雨のような激しさが、裕樹の中に残り続けた。
気づけば、受験という現実に押し流され、あの夜を抱えたまま、学校生活は終わりを迎える。
裕樹は大学受験をなんとな終えたが、葵の進路については最後まで分からなかった。
確かなのは──
もう二度と二人の人生は交わらないだろうということ。
卒業式の日、裕樹は最後に葵の姿を探した。
また誰にも言えない、二人だけの関係が動き出すのではないか。
そんな奇跡を望みながらも、ただ感謝と謝罪の言葉を伝えられるだけでも良かったかもしれない。
結局見つけられたのは、人波に紛れて消えていく黒の艶髪だけだった。
ありがとう、そして、ごめん。
裕樹の胸の奥で、自然にその言葉が浮かんでいた。
女神の彫像のような肉体を、惜しみなく差し出してくれたこと。
初めて誰かと肌を重ねた相手が葵だったこと。
自分の欲望を受け入れてくれたこと、そして、それに巻き込んでしまったこと。
あの夜から直接伝えたかったその気持ちも、野暮だと思って最後まで飲み込んだままになった。
後ろ姿に伸ばしかけた手を止めながら、裕樹は胸の奥に熱を抱えた。
それが感謝なのか、渇望なのか──
裕樹自身でも確かめきれず、答えのない問だけが、胸の奥に残った。
葵との日々を描く学生時代篇はこれにて完結です。
ここから先の話には葵も出てきませんし、ヒロインが一回り半以上違う人物に変わります。
葵ちゃんが好きだった読者の方や、この空気感が好きだった方にはこの後の展開は裏切りになってしまうかもしれません。
9年ぶりの執筆で、書きたいことをひたすら書いてとにかく完結させようと我武者羅に走ってきたので、拙い文章ですが、この後も付き合ってくださる方がいたら嬉しいです。
ありがとうございました。
作品は続きます。13話からはナツ篇です。
よろしくお願いいたします。