湯船から少し肩を出すと、濡れた鎖骨を心地良い夜風が撫でていく。
あれから革張りのソファの上でもナツを求めてしまい、汗だくの身体を流そうとベランダの露天風呂に浸っていた。
ここに来てから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
窓を開けた時に見えていた海も、湯船に浸かると磨りガラスで見えなくなってしまうのが残念だった。
背中を預けて密着するナツの身体はじわりと熱を帯びているのに、不思議とその温もりが心地良かった。
しっとりとした肩に顎を乗せて、裕樹はゆっくりと息を吐きながら絡め取るように腕を回す。
海は遠くないはずなのに、波の音は聞こえなかった。
鈴虫の鳴き声に、波の音も裕樹が吐く息の音も消されてしまったようだった。
ジリリリンと鳴いている彼らの邪魔をしないようにか、ナツの耳元で囁くように口を開く。
「ねぇ、ナツ……。」
「ん……?」
ナツは裕樹の腕に触れながら、微かに聞こえる声で返事をする。
「俺はさ……今までは相手の反応を見るのが好きだったんだ。気持ち良さそうにしてる声や顔とか、俺が触れて反応してくれるのが嬉しくて、それを見るのが好きだった。」
「でも……ナツと何回も会っていくうちに……。」
ほんの僅かに、ナツを抱きしめている腕に力が籠った。
「気持ち良くする側よりも、される側に期待している自分がいてさ。」
夜風に当てられたナツの肩が少しだけ冷たくて、熱った頬を押し当てるように埋めた。
「俺ってさ……Mになっちゃったのかな……?」
「例えば……。」
ナツは裕樹の手の甲の血管をなぞりながら、記憶を辿っているようだった。
「裕樹は、私と会ってからどんなことに興奮した?」
「最初は……おっぱいに興奮した。ずっと見てたのもバレバレでカラオケの個室で手を引かれて触って……。」
湯船に沈んだ大きい果実を持ち上げると、指先に伝わる重量感は、当時と変わらない。
触れた拍子にナツの身体が僅かに身じろぎ、吐息に混じるような笑い声が漏れた。
「うんうん、他には?」
「強く触っていいよって言われたりとか、ナツが目の前でオナニーを始めた時も……。でもこの時はまだ、俺が一方的に興奮してるだけで……。」
「裕樹が興奮してるところを、私が楽しんでいた時だね。」
「そう、それだよ。ナツといると、なんでか……。」
「なに?」
「俺にいつも恥ずかしいことされてるはずなのに、ナツはいつも楽しそうなんだよね。」
言葉にしてみると、初めからそうだったのかもしれない。
ナツは快楽に溺れているようで、その状況を愉しむような──
受け入れたその先を見ているようだった。
「初めの頃はたくさんイカせて夢中にさせよう、なんて思ってたのに……ナツはもっと上手だった。」
「そのうちナツを気持ちよくしたら、この後どんなふうに返ってくるんだろうって。会った瞬間から、それを想像すると興奮しちゃってさ。」
「ふーん……。いつの間にかされる側になっちゃったんだね。」
「うん……。」
ナツにそう言われると、今までの自分が裏返ってしまったようだった。
「カメラの前でポーズしたりとか、目の前でおしっこしたのも、エロいことを期待してるからしちゃったの?」
「いや……。どうなんだろう分からない。」
「私がさ、会った時から、おしっこしなさい、とか、カメラの前で恥ずかしいポーズしなさいとか、女王様っぽい感じで命令してたら興奮した?」
「多分、そんなに興奮しないと思うし、ここまで仲良くなれないんじゃないかな……。」
気恥ずかしさを誤魔化すように裕樹は曖昧に笑って、指先で濡れた髪を掻いた。
「なるほどね……。」
ナツが次の言葉を口にするまで、少しだけ時間が流れ、遠ざかっていた虫の声は再び耳に届く。
裕樹は重たい乳肉に手に添えたまま、手持ち無沙汰に指を動かした。
「命令されるのが好きなわけじゃないのに、どうして私の前ではそんなふうになっちゃうんだろうね。」
「それは……ナツはどんなことでも、受け入れてくれそうだからかも。」
「嫌がらないってこと?」
「それもあるけど、それだけじゃないんだよね。」
それがなんなのかを思考を巡らせているうちに、ナツに触れていた指先はいつの間にか止まっていた。
「俺が自分でも分かっていないことを、ナツが先に気付いてるみたいな時があって。」
「私が、裕樹よりも先に?」
「うん、それが何かって明確には言えないんだけどね。」
そう言うと、ナツは何かを確かめるように裕樹の腕の中でゆっくりと身体を返した。
湯が小さく波打ち、吐息が触れそうな距離で視線が重なる。
ナツは裕樹の目を覗き込んでいたが、その視線をゆっくりと顔から首元へと滑らせた。
「じゃあ裕樹は、自分の中にあるものを相手に見つけられるのが好きなのかな……。」
「……それだ。見つけられるって感覚、ちょっとゾクッとするかも。」
「そうなんだ。」
ナツはその答えを確かめるように裕樹を見つめ、更に身体を密着させた。
お互い目を瞑ると自然に唇が重なる。
「裕樹はまだ、私に見つけて欲しいことがあるの?」
「あるよ。ナツにまだ言えてない、してみたいこともあるし。」
「え〜?どんなことしたいの?言ってみてよ。」
「いきなり言うのもアレだから……タイミングがあった時に言うよ。」
「勿体ぶらなくても、私の身体でなんでも好きなことしていいのに……?」
ナツは抱いた腕に少しだけ力を込め、柔らかな乳肉を更に押し付けるように裕樹の身体を引き寄せた。
「……そういうこと言うのが、ゾクッとするんじゃん。」
「え。今ので?」
「好きなことしていい、なんて受け入れてくれると……もっと自分を出したくなるよ。」
不意に気恥ずかしくなり、ナツの胸元に隠れるように顔を埋めた。
身体に回されていたナツの腕がゆっくりと解け、裕樹の頭を包み込む。
虫の鳴き声を聞きながら、ナツの指先にゆっくりと髪を梳かれる時間が続いた。
「やっぱり……裕樹は、Mじゃないと思う。」
その言葉で沈黙が破られ、裕樹は僅かに顔を上げる。
「昔、私も似たようなこと言われたの、思い出した。」
ナツの手が髪から離れ、裕樹の腕を辿るようにその手を取った。
指を絡めながら、繋いだ手を引くように身体を返し、裕樹の隣へと腰を下ろした。
「ドイツのツアーに来てた古代哲学の研究をしている人がいて。同じようなことを教えてくれたの。Sでもなければ、Mでもない、人の欲望の話。」
「色々難しいことを言ってたけど、私なりに解釈すると私や裕樹はきっと、支配されたいんじゃなくて、受け入れられることで自分の欲望が解けていく、みたいな。」
「それって、俺がさっき言ってた……」
「そう。その人はね、それをRって呼んでた。」
「あーる……?」
「うん。」
「Rってなんの略なの?」
「忘れちゃった……ちゃんと話してくれていたんだけど。」
「英語とか古い言葉の由来まで遡って教えてくれたけど、名前よりもその人の考え方に惹き込まれていったから……もう何年も前だしね。」
記憶の中を巡っていたナツの視線が、長いツアーから帰るように裕樹へ戻ってきた。
「私はずっと、誰かを支配したわけでも、かといって虐められたいわけでもないし……自分はなんなんだろうって思ってたの。」
繋いでいたナツの指先に、僅かに力がこもる。
「だけどRの話を聞いた時、少しだけ救われた気がした。」
「だからね、裕樹はMになったんじゃなくて、Rになったんだと思うよ。」
「俺が……R?」
「うん。」
Rという新しい記号の世界に生まれ落ちたかのように、周りの音はすべて遠ざかっていった。
初めて聞いた言葉なのに、不思議と『自分はRなんだ』と昔から知っていたかのように胸の中へと溶けていく。
見つけられる欲望、受け入れられること、その度に自分自身を惜しみなく曝け出したくなる衝動──
今思えば、その片鱗は学生時代の葵との歪な関係に、すでに現れていたのかもしれない。
あれから長い時間をかけて、今もなお波に削られる海辺の石のように少しずつカタチを変え、ナツと分かち合っている。
「……ちょっとのぼせちゃった。」
ざば、と湯が揺れる音に遠ざかっていた意識が戻された。
ナツが立ち上がると、絡めていた指先がするりと解けていく。
胸を突き出すように髪を纏め、水滴を滴らせながら浴槽傍のサンラウンジャーに身体を横たえた。
そんなナツの姿を前に、下腹部に熱が戻り始めている自分に少し呆れた。
それでも、誰の視線も気にせずに外で身体を重ねてみたいというのは、以前から自分の中にあった願望の一つだった。
ナツに続いて裕樹も浴槽から立ち上がる。
隣の空いているサンラウンジャーには目もくれず、ナツが横たわる方へ──
「もしかして……これが、まだ言えてなかったしてみたいこと?」
ナツの口元が、答え合わせをするようにゆっくりと綻んだ。
硬くなった肉棒に指先を触れながら、裕樹の顔を見上げる。
「うん……。こんな解放的な場所でナツとしてみたかった。」
「ふふ……。いいよ、きて……。」
やっぱりナツには敵わない。
また一つ見抜かれてしまったことがどうしようもなく心地よくて、目を閉じて唇の柔らかさを味わうように喰んだ。