「来週から、プールの補習受けなくちゃいけないから、我慢できる?」
ニットベストを着て帰り支度を整えている葵から表情を一つ変えずにそう告げられた。
「じゃ、授業中にめっちゃ見るね。」
「ダメ。」
「じゃあプールの時に着る水着見せて。」
「やだ。」
埃を払うかのように裕樹の提案を機械的に、そして悉く葵は却下する。
「じゃ、またね」
こちらを一瞥することもなく、氷の女王はいつもの教室を後にする。
「お預けかぁ……」
一人で呟き、大きく息を吐いて裕樹は項垂れた。
日曜日の夕方、空のキャンバスに橙と薄い青色がマーブル模様になる時刻。
空には僅かな残陽が横に流れていた。
裕樹は家に居ても退屈なのと、甘味を求めてコンビニ向かって歩いていた。
迫り来る夜と一緒に少し涼やかな風が混ざる。
とてもこの時間じゃないと暑すぎて歩くのは敵わないと思いながら歩みを進める裕樹。
そんな裕樹とは対照的に、夕暮れの路地を弾む足取りで歩いてくる生き物がいた。
細い体にピンと耳を張って、地面を楽しそうに歩いてくる小さな犬。
その昔、裕樹の家にも家族の一員として存在していた同じ犬種が歩いていた。
記憶の中の愛犬はしゃがみ込むと嬉しそうに駆け寄ってくるので、思わず裕樹も地面にしゃがみ込んでしまう。
こちらに歩いてくるその犬は、かつて自分の家族だった犬とは違うと分かっているはずなのに。
歩いていたその犬も裕樹の存在に気付いて、裕樹の膝下へ足早に駆け寄っていく。
裕樹を押し倒すような勢いで体を足に擦り付けてくる。
昔狩猟犬として飼われていたその犬種は、断尾されているのだが短い尻尾を最大限に振って裕樹に擦り寄っている。
「可愛いなぁ」と嬉しそうに体を擦り付けてくるリードを持つ飼い主の足元が目に入り、それが女性だということだけは分かった。
そしてその飼い主の声は裕樹がよく知る人物と同じ声だった。
「え、兎谷くん!?」
舌を出して笑っているかのように見える犬を撫でながらゆっくり足元から見上げると、大きな曲線が目に入る。
コンビニの前まで葵と一緒に移動して、半分に分けられるチューブ型のアイスを買った。
先にベンチに腰掛けていた葵に、片方のチューブをちぎって渡す。
「ありがとう。」
葵はお礼を言って、それを受け取る。
裕樹もアイスを口に含んで、ベンチに座る飼い主の横で大人しくしている葵の愛犬の姿を見る。
目が合って撫でようと手を伸ばすと、また尻尾を左右に振ってくれる。
「昔さ、うちにも同じ種類の子がいたんだ。そいつに似てたから、びっくりしたよ。」
「だから急に駆け寄って行ったんだね。この子、自分のことを好きだと思ってくれる人のところにしか行かないから…。それがまさか兎谷くんだったとは思わなかったけど。」
教室で纏うような氷の雰囲気は一切なく、同じ犬種を愛する所謂犬オタクと意気投合して葵は楽しそうな様子だ。
「名前はなんでいうの?」
「ココだよ。女の子。」
ココ〜、と名前を呼びながら裕樹は撫でる。ココも変わらず上機嫌で裕樹の足に体を擦り付ける。
体が小さいのでそこまで力は強くないものの、時々押されてバランスを崩しそうになる。
ココを愛でながら、裕樹は葵と話す。
葵はどうやら近所に住んでいたとのこと。
高校に入学する前は別の場所に住んでいたので、この辺に知り合いはいないこと。
ココの話など、普段学校で話さないことを色々聞いた。
太陽もほぼ沈みかけ、夜の訪れを感じて2人は自然と立ち上がる。
「明日からの補習か…。暑いし、本当にやだな。なんで私だけ補習に出なきゃいけないんだろ…。」
「あ、そっか。三原さん明日からいないんだった…。」
それぞれが別の理由で明日からの学校生活を憂いていた。
二人で暗くなった道を歩き続けていると
裕樹は視界に自宅が入ってきた事に気付く。そこで口を開く。
「あのさ…放課後に会えない代わりに…スマホで連絡とれたりとか…しないかな?」
裕樹は葵の胸ではなく、目を見てそう言ったがその目は泳いで、声は小さくなっていった。
アーモンド型の大きな葵の瞳は、その視線を逃すまいとしばらく追った後、指先にココのリードをくるくると巻き始める。
「写真とか欲しいって言うつもりなんでしょ?」
学校の中の葵と近い雰囲気になっていたが、近寄り難いようなものではなく、どこか柔らかさがあった。
「放課後に空いた時間が辛くて。写真を強要はしない。でもくれたら……一生大事にするけど……。」
「保存する気満々じゃん、変態。」
葵はココのリードを指先で巻くのをやめて、揺れる手でポケットからスマートフォンを取り出す。
裕樹は葵にIDを伝えて、葵はその文字を入力する。
裕樹のスマートフォンが振動して、三原葵からスタンプが送られてきた事を確認した。
「アイコンもココちゃんなんだ。かわいいね。」
裕樹の家に着く前に連絡先の交換は終わり、二人は別れた。
葵とのメッセージは交換したその日には交わされず翌日の17時に突然送られてきた。
ココと思わしき犬種のスタンプでHELLOと吹き出しがある。
「お疲れ様。プール終わったの?」
メッセージを送った瞬間に既読はついた。
「めんどくさかった!今日も暑いし。」
「今日も暑かったね。俺は補修はないけど、一緒に入れば良かったな笑」
「絶対おっぱいばっか見てくるから来ないで笑」
(なんか、三原さんってメッセージだとキャラ違くね…?)
文末につける「笑」もそうだが、この文章はあの氷の少女の葵のものから送られてきているのかと疑いたくなるような文面だった。
学校で見ている葵は感情が薄くて、裕樹と嫌々関係を続けているのだと思いたくなる。
好き好んではいないだろうが、感情が分かりにくいだけで、葵の本質はこっちなのかもな、と裕樹は思った。
「ゴーグルつけて、ずっと水面に潜ってるよ笑 補習は三原さん1人だけ?」
「うん、私しかいない。体育の先生と私だけ。」
なぜ補習を受けているのかと途中まで文字を入力したが、全て消した。
女子生徒はやむを得ない事情や、色々あるんだろうなと察した。
「先生にジロジロ見られたりしないの?」
「女性の先生と2人だから大丈夫だよ。なんかさ……多分私おっぱい大きすぎて、先生たちも気を遣ってるっぽい笑 本当は全部補習とかもダメっぽいけど、今週いっぱい補習でたら良いよって言われた!」
教員も忌避したくなるほどの肉体。
それは見たら確実に情欲を掻き立ててられてしまうこと、そうでなくてもトラブルを避けるためのものなのだろう。
「葵ちゃんのデカパイを見ない男なんていないよ笑」
「デカパイって言うな!ていうか葵ちゃんって……さりげなく名前呼び?笑」
しまった、と葵の返事がきてからうっかり名前呼びをしてしまった事に裕樹は気付く。
でも思ったより嫌そうな反応はしてない様子だった。
裕樹の頭の中で少し不満気な葵の表情が思い浮かぶ。
「あ、ごめん。つい名前で呼んじゃった笑 葵ちゃんの水着姿見たかったな〜」
「ごめんって思ってないくせに〜まぁ別に良いけど。水着姿は見せないよ〜」
あっかんべーの絵文字が語尾につけられていた。
「本当に葵さん?なんかキャラ違くない?」
「友達にもよく言われる笑 私、メッセージだとキャラ違くない?って」
「普段あんなにクールな感じなのに、ギャップが合って良いね」
そう入力して、Goodの絵文字を語尾につける。
「ギャップって。私感情出すの苦手なのかも。」
なるほど、こっちが本質寄りなのか、と裕樹は思った。
葵との会話は夕方から夕食や入浴を経ても途切れることがなく、意識が落ちるまで続いていた。
翌日。
昨日とほぼ変わらない時間にスマートフォンの通知音が鳴る。
スマートフォンでゲームをしていた裕樹は、メッセージを開くと待っていた葵からのメッセージだった。
「今日も疲れた〜」
「お疲れ様。肩でも揉んであげようか?」
「揉んで欲しい〜。でも肩以外も触られそうだからやっぱ嫌だな」
怪しい、という表情の絵文字が付いていた。
こちらの意図はバレバレらしい。
「おっぱい触ったら怒る?」
「楽しみの放課後の時間はおしまいだね」
「雰囲気によってはそういう流れになったりするんじゃない?」
「え〜?笑 どういう流れ?」
裕樹はスマートフォンから手を離してふと、最近見たビデオの内容を思い浮かべる。
「例えばさ、俺がマッサージ師で葵ちゃんがお客さんとか笑 お客様、だいぶ凝ってますね〜って。で、ちょっとずつおっぱいとか触られても、これは治療なんで!って徐々にエスカレートしていくみたいな?」
「なにそれ笑 そういうビデオ見過ぎでしょ笑」
妄想を語り過ぎた、と思いつつ葵の綻びを見つける。
この展開が「そういうビデオ」の内容に似ているなぜ気付けたのか。
そう思い、すぐに文字を打ち込む。
「前にさ、おっぱいの大きい女の人のこと見ちゃうって言ってたけどさ。もしかしてエッチな動画とかも見たりするの?」
裕樹のそのメッセージは既読の文字がすぐついたが、返事は来ない。
(地雷踏んじゃったかな?)
いつもだったら早く流れる時間も、葵の返事がこないとスローモーションのように感じられた。
返事が来ないと思ってシャワーを浴びてスマートフォンを見ると、葵から返事が来ていた。
10分ほど経ってから返信は来ていたので、地雷を踏み抜いたという感じではなさそうだと安堵してメッセージを開く。
「そういう動画も見るよ。」
メッセージにはそう書いてあった。
「まじか!俺、水原みぞれとか好きなんだよね。」
葵はすぐ既読になった。
「あ、その人分かる笑 可愛い顔してるよね。」
「顔が可愛くてニコニコした少女みたいな感じなのに、体どすけべすぎてエロいよね笑」
「分かる!幼い顔してるのにめっちゃ大きいよね。」
「水原みぞれも葵ちゃんもそういうギャップがあるところ共通してるよね。葵ちゃんは学校だとクールな感じなのに、メッセージだと結構ノリが良くて、実は動画も見てるデカパイ高校生ってみんなに知られてないだけで、エロすぎる」
「急に長文なのキモい笑 裕樹くんほど見てないし、そんなふうに言われると変な気分になる。」
(意外と下ネタを話しても嫌がられないな。ていうか、変な気分ってなんなんだ?)
胸の辺りがいっぱいになり、寝転んでいた裕樹は近くにあった掛け布団をぎゅっと抱きしめる。
会えない時間がより2人の関係を深い物にしていて、この夏の夜に溶けていくような感覚があった。
メッセージのやり取りの間、裕樹の下着の中はずっと熱を帯びて痛いほど硬くなったままだった。
愚息を熱から解放するのは造作もないことであったが、この会話を終わらせたくないという一心でまだ触れることはできない。
下着やベッドと擦れる感覚だけで絶頂を迎えようと思えば簡単にできそうだった。
「ねえ、葵ちゃんの写真ちょうだい。」
「やだ。」
返事は即答だった。
「じゃあ今度の放課後、撮らせて。」
「撮るってどこを…?笑」
「葵ちゃんの体を全部。」
「絶対無理!!」
普段見る動画や有名女優の水原みぞれよりも、葵の写真をおかずにしたい。
葵が拒否するなら、いっそのこと写真は撮らせてくれるだけでいいとさえ思えた。
撮るという行為だけでも。
「そしたらさ、葵ちゃんのスマホで写真撮らせてよ。それでさ、その画像を確認して、消したかったら消せばいいし、これは送ってもいいなって思うものだけ俺に送ってよ。それならいいでしょ?」
葵が既読になった。
どのような返信をしてくるのか、その先が気になってスマートフォンの画面がスリープしないように定期的に指先で画面をつつく。
それからしばらく経って23:59分に、葵からメッセージが届く。
「なんか普通に撮るよりもやらしくてもっとやだ。ていうかもう0時になるし、寝るね。」
「分かった。おやすみ。」
裕樹は葵との連絡がひと段落し、下着を脱ぐと真夏の炎天下と同等の膨張した熱があった。
脱いだ下着はべっとりと葵との妄想から分泌されたカウパーで濡れていた。
女は濡れて、男は勃つというのは一般的だが、男は肌に触れずとも勃ってしまうだけでなく、濡れる生き物なのだと裕樹は自覚した。
5枚ほどティッシュを重ねて、葵を思い浮かべながら愚息をゆっくり扱くと、いつも以上に早く絶頂に達した。
頭の中で電流が走るような快楽、腰が上がってしまうほど込み上げてくる脈動が治るまでの方が長い時間を要した気がした。
熱は鎮まったが、下着も下半身も濡れたまま裕樹は眠りについた。