裕樹たちは夏休みに入り、まもなくその1/3が過ぎる頃。
夜の22時にスマホの着信音が鳴る。
表示されてる名前を見ると、それは葵だった。
「もしもし?」
「裕樹くん、どうしよう……」
いつもと違う葵の様子に、何かただならぬ予感がした。
話を聞くと、先ほどの散歩中に雷に驚いたココが首輪から抜けてしまい、どこかへ行ってしまったという。
今は家族総出で探しているが、どこにもいないとほぼ泣きながら話している。
(ネロにもそんなことあったな。)
かつて時間を共にした、裕樹の家の愛犬のネロ。
花火大会の時に脱走して、必死になって探したことを思い出すと、葵のことを放ってはおけなかった。
「俺も探すの手伝うよ、どの辺に行けばいい?」
「この前会った時の公園の近くにいる。」
裕樹は急いで着替えて、家を出た。
公園について、葵と合流してから思いつく場所に行ってみた。
コンビニの裏や、住宅街の草むら。
思いつく場所は全て当たったものの、ココは見当たらない。
「どこか遠くに行っちゃったのかな……」
裕樹は手で目元を拭う葵の姿に、いたたまれない気持ちになる。
ネロを探した時のことを思い返す。
ネロは確か、逃げ出したけども近くに隠れていた。
ココももしかしたら、遠くには行っていないのかもしれない。
今度は隠れやすそうな場所を探してみることにした。
駐車場に停まる車の裏側を丁寧に確認し、近くにあった神社にも入ってみる。
葵は探している時に、必死に名前を呼んでいたが、こういう時は声を潜めて周りの音をよく聞くのが見つけやすいと裕樹は思っていた。
神社の周囲や植え込みを確認し、いないことを確認してからその場を後にしようとしたその時だった。
草むらから小さく音が聞こえた気がして、脚を止める。
音を立てず、息を潜めてそこにいる何かが出てくるのをジッと待っていた。
しばらくしてもその気配は出てくる様子がないので、スマホのライトを付けて草むらを照らすと、奥に二つ光る黒い目。
猫のようには見えない。
その生き物がなんなのかは分からないが、裕樹は刺激をしないよう膝をつき、身体を低くする。
真正面から近づくことは悪手だというのは、ネロの時に経験している。
ゆっくりと掌を差し出すと、草むらから姿を現して、伏せの姿勢でこちらと距離を取っている。
それは元気に短い尻尾を振るココだった。
大きな動きをしないようにゆっくりスマホのボタンを操作して、裕樹は電話をかける。
「葵ちゃん、いた。神社の中。うん、あんまり音を立てないようにきた方がいいかも。」
電話を切って、そのままお互い監視し合うようにしばらく時が過ぎた。
右から砂利を踏む音が聞こえて、裕樹はそっと振り返る。
息を切らしながら膝に手をつく葵の姿がそこにはあった。
ゆっくりと、音をなるべく立てないように葵は近づいて、小さく名前を呼ぶ。
「ココ……。」
ココは「誰か知り合いが来た」と言わんばかりに、葵のいる方に首を伸ばす。
「ココ、おいで!」
今度ははっきりとした声でその名前を呼ぶと、飼い主を認識したのか、ココは葵の方へと駆け寄っていった。
葵はしゃがみ込んでココを受け止める。
「ああ〜ココ、良かった。大丈夫?」
体や背中など、怪我がないかを確認されている間も、ココは尻尾を振って葵の顔をぺろぺろと舐めていた。
「良かったぁ〜……」
泣いている葵の姿を見るのは、初めてだった。
「もう本当にバカ……」
そう言ってまた葵はココを身体全体で抱きしめた。
「裕樹くん、本当にありがとう。」
「良かった、見つけられて。」
葵は家族に電話し、ココを抱えながら神社の入り口向かう。
裕樹もそれに続いて神社を出た。
「じゃあこれで……。」
家族に会う前に立ち去ろうとした時に、走りながらこちらにやってくる人影と目が合った。
「ああ……ココ、もうどこ行っちゃったのよ。良かった見つかって。」
「ママ、裕樹くんが見つけてくれた。クラスの男子で近所に住んでるの。」
そう言われて、葵の母は裕樹を見る。
「ご挨拶が遅れてごめんなさい。葵の母です。」
「あ、こんばんは。同じクラスの兎谷です。ココちゃん見つかって良かったです。」
「本当にもう……夜遅くにありがとうございます。親御さん、心配してないかしら?」
「あはは、大丈夫ですよ。うちは割と放任主義なので……。」
葵の母は若く見えた。
葵よりも少し背が低く、緩くウェーブのかかった長い髪に黒縁の眼鏡をかけている。
葵とはぱっと見で似ていないが、二人が親子であるというのはその身体のラインを見ると分かる。
(葵ちゃんと同じくらいでっか……。ってお母さんはまずい。)
葵に以前言われた「そういう視線はバレる」というのを思い出し、見過ぎないように視線を外す。
「うちの子、あんまり人を頼ったりしないから……。兎谷くん、葵とココのこと助けてくれてありがとうね。」
「いえ。僕も同じ犬種を昔飼ってたことがあって。なんか放っておけない気持ちになりました。」
葵からは普段、軽蔑の視線を浴びせられる関係なのに、母親からこんなふうに感謝されると裕樹は頭が痒くなった。
「本当に、今日はありがとう。」
「さっきも聞いたよ。また学校でね。」
葵の母は裕樹に深く頭を下げ、葵も見えなくなるまで手を振り続けた。
裕樹に下心は一切なく、同じ犬種のよしみで考えるよりも先に体が動いていただけだった。
(あんなふうに泣くんだ。)
微睡みながら頭の中で葵のことを思い浮かべる。
葵のことを考えている時に下腹部が反応しないのは、後にも先にもこの時だけだった。
それから数日が経った19時ごろ。
両親が仕事で遅くなると連絡があり、裕樹は夕食を買いに近くのコンビニへと向かう。
もう空も暗くなるというのに、じめじめと暑く、蝉の音がうるさかった。
コンビニでカップ麺とおにぎりをカゴに入れ、会計済ませてドアから出ると偶然、葵と出会った。
「葵ちゃん。こんばんは。」
「こんばんは。コンビニで何買ったの?」
「両親の帰りが遅いから、晩飯買いに。」
「そっか。」
帰路が一緒の二人は、同じ歩幅で家へと向かう。
「ね、ココを探してくれたお礼……。」
「ん?」
「まだできてなかったよね。」
「いいよそんなの。」
「私の気が済まないの。何かしてあげたくて。」
裕樹から見た葵の表情は夕闇に隠され、その心情は窺えなかった。
裕樹はコンビニの冷房で少し引いた汗が、またじわりと背中の溝を伝っていくのが分かった。
「じゃあ……なんでもいいの?」
「……私にできることなら。」
葵の声は蝉の音に掻き消されそうなほど、小さな声だった。
聞き取れなくてもう一度聞いたら、別の答えが返ってきそうな、本当は聞こえて欲しくないと思えるような小さな声。
「じゃあさ……。」
ココが繋いでくれた今の関係を、踏み躙ることになるかもしれない。
そんな考えが過りながらも、裕樹はその願いを口にした。
蝉の音に掻き消されて、聞こえなければそれでも良いなと思いながら。