マテリアの保有魔力が二十五万を超えた。
これを受け、シゲンはいずれは配下も必要になる事を心得、その下地とも言える異空間の拡張を行う事にした。
現在のマテリアのダンジョンは、街の地下百メートルにコアがあり、そこから街の四方へと現実空間で支配領域を拡張して地中に穴を作っている。
依然、マテリアのダンジョン異空間自体は拡張されておらず、防衛能力だけ見れば貧弱も良いところだった。
「どれくらい広げますか? 上の街は直径一キロ。この世界で見てもそこそこ大きな街です。探査した限りでは人間の数は一万人ほど。探査情報を元に再現する形での異空間拡張も行えますが?」
シゲンはまず上の街程度の大きさに広げるだけの場合の概算を求める。
「現実空間の支配領域拡張では縦横高さ一メートルの空間につき十の魔力を要求しましたが、異空間の拡張であれば一の魔力で縦横高さ五メートルの範囲を拡張可能です。上の街は七十八万平方メートルの敷地なので、面積だけを見た場合、一魔力で二五平方メートルの拡張ですから、費用はおよそ三万と一千二百程の魔力となります」
シゲンは天井を眺めた。思ったよりも軽いと見るか、足りないと見るべきか。
一先ず上の街に合わせた面積で四角く作ってもらおうか。
先ずは三万と少しの魔力を用いて異空間の拡張を要求する。
「承知しました。実行します。三万一千二百の魔力を消費し、異空間の拡張を行います。……拡張完了。玉座の間より続く扉の先に、七十八万平方メートルの大地を生成しました」
マテリアを抱き上げ、玉座から移動する。
突如現れた扉を押し開くと、一面に広がる草原。そよぐ風。ある筈の無い空と太陽がシゲンとマテリアを出迎えた。
「マスターの驚きが伝わってきます。マテリアは嬉しいです」
シゲンは暫く呆然とすると、マテリアを丁寧に草原に下ろす。
空いた手で下草を撫で、土を握る。風をその身に受け、黒い髪を揺らす。そのまま草の上に寝転び、偽物の日光を浴びる。
隣でシゲンを見下ろす少女が、これをやったのだ。
シゲンの指示を受け、必要な魔力を消費するだけで、世界を作り上げてしまった。
「如何ですか、マスター」
マテリアは特に気にした風も無く、当然の事の様に佇む。
手招きして膝の上に乗せ、小柄なその身体に腕を回しながら顎を少女の白い髪の上に乗せる。そして一言つぶやく。
「最高、ですか? ……えへへ。魔力さえあれば、なんでも出来ますよ? マスターが欲しい物を言ってください。マテリアは、マスターのマテリアなのですからっ」
埒外の存在と一蓮托生、改めてすごい状況だ。思えば自分も埒外の力で進化し、人外とも言うべき力を得ていたと言うのに。
現金な物だと自嘲するシゲン。
現在の異空間の形は真四角形で縦横九百メートル弱と言った具合。
思った以上に大きい土地を見て、配下が生きるのに必要な物をマテリアと考えていく。
「先ずは水源とも言える川ですね。他には実をつける木々や、植物。棲家となる洞窟や柔らかい地面。……生成する生物によって必要な環境は大きく変わってきますが、基本的には水と土と木々でしょう」
ごもっとも。しかし、ゴブリンや虫を生成する気はあんまり無いシゲン。以前提案されたホムンクルスならなんとか仲良くなれそうな気がする程度。食事を必要としないゴーストなら、諸々の費用も要らないかもしれないが……。
「ゴーストとホムンクルスは食事を必要としません。しかし魔力の補給を必要とします。地上におけるゴーストは魔石を持ち、周囲から魔力を吸収して我が物としますが、ダンジョン内に漂う魔力はありません。ホムンクルスは元より魔力生成能力がありません。製作者、兼、契約者の魔力依存なのです」
ホムンクルスが扱いづらいと言われる所以はそこにあった。
ゴーストもまたダンジョンとは相性がよろしく無い。
魔物にも一長一短。安い以上、それなりに安い理由を抱えていると言う訳だ。
「如何しますか、マスター」
兎にも角にも、やってみなければ始まらない。
果樹を生やし、木の実をつける木を生やす。
次に大地を横断する絶えず流れる川を作り、その川を渡る為の橋を架ける。
これらに三万の魔力を要した。生物や流動するものはなかなか費用が嵩むようだ。
ちなみに川に二万程のコストを持っていかれた上に、維持費として毎日百の魔力を取られるらしい。地味に痛い出費だった。
しかし、目の前にある穏やかで長閑な自然にシゲンから笑みが溢れる。
「およそダンジョンらしからぬ光景ではありますが、マスターが満足そうで良かったです」
シゲンもまたマテリアが浮かべた微笑みを見て、満たされた心地だった。
それから二人は自然を楽しみ、草原を駆けた。
フリスビーを生成してもらいシゲンがそれをビュっと投げると、マテリアもやりたいやりたいと跳ねる。
やり方を教えてもらう最中もワクワクで待ちきれない様子のマテリア。
一投目は当然上手くいかず、二投目にしてコツを掴んだが風に煽られ明後日の方向へ。三投目にして綺麗に飛び、シゲンの下にフリスビーが届く。
マテリアは隠し切れない満面の笑みを浮かべて裸足でシゲンの下まで駆け寄ると、そのまま飛び付いて「見ましたか! 飛びました!」と報告する。
これじゃあフリスビーを投げ返せないぞとシゲンに言われ、ハッとしたマテリアがとたたっと元来た道を引き返して駆けていく。
なんて愛らしいダンジョンコアなのだろうか。シゲンは尊過ぎて守護りたいと言う思いで胸がいっぱいになった。
遊んだ後は休憩。
近くの果樹に実っているリンゴをもぎってひと齧り。
溢れ出す果汁とシャクリとした食感。日本で食べたリンゴに程近い味に感動し、マテリアにも食べさせてみる。
「〜〜〜〜っ!! んー! んーんー!」
両手でリンゴを持って口いっぱいに頬張ったせいで話せないマテリアだが、言いたいことは伝わっていた。
キラキラと輝く瞳がシゲンとリンゴとを行き来し、口の周りを果汁で汚した姿を見れば嫌でも分かると言うものだ。
この後、ゴミ穴で第三進化した魔物を検知するまで、二人は拡張した異空間でたっぷり遊んで昼寝した。
異空間の調整に六万の魔力を使い込み、現在の保有魔力は十九万。
シゲンは呼び出す魔物を既に決めていたため、先んじて自分の強化に魔力を注いでおく事にした。
「マスターの要求を確認。現在値を百とした場合の十倍の魔力容量への進化に必要な魔力は六千。魔力六千を使用しますか?」
大きく頷くシゲン。
「では、進化を実行します。……進化完了。如何ですかマスター?」
淡い発光の後、例の感覚。光が消えると、これまでと比較にならない魔力容量に驚く。容量に合わせた魔力生成量にもなっており、心臓の鼓動に合わせて少しずつ魔力が回復して行く。
この魔力容量はロスの街にいるどの存在をも超えるものだった。
ついで、シゲンの身体性能の進化に四千、液体操作能力の進化に一万を消費して特定項目の進化を行った。
消費した総魔力は二万。
ダンジョン保有魔力は十七万となった。
「マスターが強くなりました。格好良いですっ、頼もしいですっ。防衛力も大幅アップです!」
マテリアが喜んでくれてシゲンも喜ぶ。シゲンが喜ぶとマテリアも喜ぶ。
嬉しいのループが二人の間を巡っていると、唐突にマテリアの顔付きが変わった。
「新たな生命反応を検知しました。中型生命体。状態は衰弱。落下したのは一番のゴミ穴。推定、人間です」
マテリアはシゲンを見る。元人間であるマスターを見つめる。
「……如何しますかマスター」
シゲンは暫し悩むと、とかく様子を見てからだと決め、一番ゴミ穴へと駆け出した。
進化した身体性能で、九百メートルも拡張された異空間を十秒ほどで軽く駆け抜け、川から持ってきた水を操作して酸の防御膜を構築。
一番のゴミ穴へと続く扉を開いた。
そこには、一人の青白い老人の身体に寄り掛かる、一人の少年と一人の少女、そして幼い女の子が居た。
「いやー! こないでっこないでよぉぉ!!」
泣き叫ぶ幼い女の子とは対照的に、少年と少女の目は濁りきっている。生を投げ出し、諦め切った人の目だ。
寄り掛かる老人は三人の親だったのだろうか。心の拠り所を失った結果が今なのかもしれない。
そう考えたシゲンは、損得も考えた上で三人を保護する事を決めた。
酸へと変質させた水を、再度水へと変質させる。液体操作能力の進化によって得た再変質の力。そして液体へのより強い干渉力。
操作する水をグッと圧し固め、水で三人と一つの身体を包み込んで引き上げる。
引き上げると同時に、体液を少し分泌して軽い睡眠を促す液体を三人の口に突っ込み、眠らせる。
「…………マスター」
不安気に見つめてくるマテリアを腕で抱き上げ、四つの身体を水で持ち上げ庭へと運ぶ。
シゲンは道中で言った。
この子達は情報源であり、将来性を抱えた外部存在であり、共生または、協力者となり得るかもしれない、と。
依然不安そうなマテリアは、シゲンの胸元に顔を埋める。
よほど不安なのかとあやすシゲンだったが、隠されたマテリアの顔は膨れっ面となっていた。
言葉に出来ない感情がざわめく胸の内。ふつふつと湧き上がる怒り。何故か滲む視界に戸惑い。心に穴が空いたかのような満たされなさがマテリアの胸中を支配する。
強いて言葉にするならば。
『マスターがマテリアと二人で居たいと言ったのに』
この一言に尽きるだろう。
こうして、ダンジョンに新たな生命体が増えた。