鬱蒼たる樹海を、一条の蒼い影が駆け抜けていく。
押し寄せる青葉を激しく掻き分け、疾走する蒼い風。地面を力強く蹴り上げた蒼い足袋が、次の瞬間には巨木の濃い木陰へと躍り上がり、闇に消える。
シューッっと風を切る音…
「ぎぇぇええ!」
断末魔の悲鳴が、樹々の合間に鋭く響き渡る。首を深く射抜かれた物の怪が、泥を噛むようにぶるぶると身震いを始めた。飢えに苦しむ餓鬼のごとく膨れ上がった腹、そして、巨大な黄眼。
――それは、紛れもなく鬼獣淫界の雑魚敵、邪鬼であった。
「そこ!もう一匹!!」
気迫に満ちた
「きえぇええ!」
寸分の狂いもなく射抜かれたもう一匹の妖は、グシャっと脳天を叩き割られて即死した。
巨木の枝を揺らす風を一身に受け、天女の領巾のような薄衣を優美に靡かせながら、女はそこに静止している。
栗色の長い後ろ髪は胴まで流れ、風にわずかに揺れていた。クリっと大きく濃い二重瞼の瞳が、美しい眉の下で凛と闇を見据える。その顔立ちは凛々しく、けれどどこか気高い気品を湛えていた。その手には、しなやかな曲線を描く青い和弓が握られていた。
「静かになったわ…」
先ほど仕留めた妖どもの呼吸が消え入る。静寂が戻った森を見下ろし、白青の短裳を靡かせる女は、一つ息を吐いた。仕留めた獲物の気配を確かめるべく、彼女は蒼い羽衣の衣擦れだけを闇に響かせ、ふわりと地へと舞い降りていく。
その刹那、木陰が裂けた。
「けけけ!隙あり!」
「甘いわ!」
飛び掛かった邪鬼の背後から、もう一人の女の声とともに赤い羽衣が翻る。薙刀の刃がキラリと弧を描いて闇を裂いた。
ズン、と重い手応え。
邪鬼の胴は真一文字に断たれ、断末魔の叫びも許さない二刀目がすかさず首を刎ねる。黒い血が飛び散って青葉を濡らした。
赤い長裳の裾が風に煽られ、雪のように白い素足が惜しげもなく露わになった。蒼の天女と瓜二つの美貌。汗で額に張り付く黒髪のセミショートが、火照った頬を引き立てる。それでも、その紅い天女は、息ひとつ乱さず、滴る血を払うように薙刀を静かに立てた。
「遅かったわね、麻衣」
青い弓を携えた天女が枝から舞い降りる。
「先に走り出すからよ、亜衣姉、危くやられるとこだったわ」
彼女に名を呼ばれた紅衣の女――麻衣は、二の腕から伸びるしなやかな領巾を風になびかせながら、からかうように笑った。
「そんなことないわよ。最後の一匹くらい、あなたに譲っただけよ」
「まあ、遅かろうが、見せ場はきっちり取ったらね」
麻衣の足元に倒れていた邪鬼の亡骸は、じわりと泡立つように溶け黒い煙となって腐葉土へ沈んでいく。妖どもは、死してもなおこの森の瘴気に還るのだった。亜衣は弓を背負い周囲の闇に目を凝らす。
「間違いなく、邪鬼だったわ」
「ええ…でも、なんで?鬼獣淫界は、あの時滅んだはずじゃ?」
「私にも分からない。だけど、悪い予感しかしない…」
「うん……しかし、雑魚ばかりね…」
麻衣が薙刀の柄を握り直す。
「いいえ。ここからよ」
亜衣の声が、わずかに低くなる。森の奥から地の底を這うような鼓動が響いてくる。木々がざわめき、葉の隙間から漏れる光が血の色に濁った。空気は湿り、甘く腐った匂いが鼻の奥に絡みつく。遠くで、女たちが喉を鳴らすような音が漏れ出る。
「奥にいるのは、邪鬼なんかじゃない」
「知ってる」
麻衣は紅白に折り重なる羽衣の裾を払い、口元には笑みが浮かんでいる。けれど、その笑みはどこか固く息を呑むたびに、喉の奥がわずかに震えていた。
「……怖いのね、麻衣…」
「当たり前でしょ……」
「大丈夫、お姉ちゃんが守ってあげる」
「私だって一人前だわ。お姉ちゃんは私が守る」
麻衣は強がるように肩を張った。こういう日が来ることは、想定していた。壊滅した天神子守衆を二人で再建し、日々修練を怠ってなどいなかった。それでも指先は薙刀の柄を必要以上に強く握りしめ、骨が白く浮いている。
「あの子たちが、まだ奥にいるんだもの」
「だから来たのよ」
亜衣は矢を一本弦に番える。靈氣を宿した瞳が、闇の奥を射抜くように細められた。
「行きましょう」
「ええ」
二つの影――蒼と紅の羽衣が、樹海の底へと消えていく。背後では踏み荒らされた青葉が、静かに元の闇へと沈み始めていた。
渓谷の底は、樹海の闇よりなお深かった。
崖の下、苔に埋もれた大岩の前で女達の喘ぎが木霊していた。三人の女が下半身を丸出しにされ、四つん這いに並ばされている。いずれも装束を無残に引き剥がされ、肩にわずかに残る白絹だけが天神子守衆の門に連なる巫女弟子であることを辛うじて証していた。
「ひぁ……あ…ッ!」
「……ッ…ぁああ!」
「や……め…て……!」
張りのある三つの若い尻が同時にわななく。一人違わず、擦り切れた膝を崩されている。泥に汚れた太腿の内側には、血と蜜の混じった筋が幾筋も伝っていた。
「くひひ。よいぞ、よいぞ。天神の娘らもこの俺様の指には敵うまい」
頬を地面に擦り付け喘ぐ女達の背に黒い蔦のようなものが数本巻き付いている。それは大岩に走った女陰の形の亀裂から伸びてきた触手であった。触手は一人につき二本ずつ女の秘裂に沈み込みゆっくりと抜き差しを繰り返している。抽挿のたびにちゃぷちゃぷと卑猥な音を立てた。引き抜かれるたび、触手の表面には赤い糸が伝った。三人ともこの場で処女を喪ったのである。
「お前らは、百犯しの契りへ捧げられる上玉の生贄だ。鬼夜叉童子様へ献上する前に、この俺様がたっぷりと通し良く慣らしてやるぜ、牝ども!」
声は大岩の向こうから聞こえた。姿は見えない。だがその語尾のねっとりとした粘りは、どこかで聞いた覚えがあった。
「あぁあ……いや!……これ以上は……!」
「こらこら、天神の巫女がもう音を上げるとは情けない」
「やぁ…そ…そこ…ぁあんっ!」
「そんなに気持ち良いか?おぬしらの奥の窪みを探してるのさ。ここかな?」
「ひぁ……! そ……そこは……ひぃぐ!」
一人の巫女が背を反らせた。触手の先端が彼女の内壁の一点を捉えたらしい。びくん、と白い腰が跳ねその口からもはや言葉にならない声が漏れた。
「見つけたぜ」
「あぁ……んぁあ……イ…く……!」
「いけ、いけ。天神の娘が我が腕の中で果てる姿、俺様は何度見ても飽きないぜ」
「ぁああぁ!…イクー!」
「くひひ、もっとよがれ。よがり狂って鬼夜叉童子様の「淫の生贄」となるのだ!」
岩の陰で低い笑いが膨らんだ。巫女達の艶めかしい嬌声も同時に跳ねあがる。
その惨状を、渓谷の斜面の茂みの中から二対の瞳が窺っていた。蒼と紅の羽衣に身を包んだ亜衣と麻衣は、それぞれ弓と薙刀の柄を握りしめてじっと機会を伺っていた。
昨夜、天神神社が得体の知れぬ妖の集団に襲われ攫われてしまった三人の弟子巫女が変わり果てた姿で弄ばれる光景が、師匠である姉妹達の目の前で繰り広げられている。
(彩芽、茉莉、凛……三人。みんな、まだ生きてる)
麻衣の胸に、安堵と怒りが同時に押し寄せた。安堵は遅かったわけではないという思い。怒りは、遅かったことへの悔い。どちらが先か自分でも分からなかった。
麻衣が薙刀の柄を握り直した。憤りに燃える赤い瞳が、まだ見えぬ敵との間合いと太刀筋とを見極めている。隣で亜衣が矢を一本弦に番えていた。冷徹な怒りを湛えた蒼い瞳が闇の奥を射抜くように細められている。呼吸は浅く速く、しかし手は微動だにしない。岩の向こうで揺れる触手の数を一つ二つと数えている。
亜衣は麻衣の眼を覗いた。声にはならない言葉で「行く」と伝える。
麻衣は頷いた。
二人は同時に、闇を裂いて飛び出した。