※この作品はR-18です。

貞操逆転世界の傾国記   作:熟睡枕

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幕間2 姉たち

ーエレオノーラ・ヴァレンシュタイン視点ー

 

日の光が差し込む部屋で、私は机に向かっていた。

目の前には、家庭教師から渡された課題が並んでいる。

領地の地理、歴史、算術、読み書き。それに、貴族として身につけるべき礼儀作法や、他家との交流に必要な知識。

どれも簡単ではない。

特に算術は、数字を扱うだけなら難しくないものの、実際の領地経営を想定した問題になると、途端に複雑になる。

税収を計算し、必要な支出を見積もり、余剰の資金をどこへ回すか。

領地を豊かにするには、何を優先すべきか。

ただ数字を計算するだけでは、答えは出ない。

 

「……難しいわね」

 

思わず呟いた。

家庭教師から出された問題は、ある村で不作が起きた場合、領主としてどのような対応を取るべきかというものだった。

備蓄を放出しれば、当面の食糧不足は解消できる。

しかし、備蓄を使い切れば、次の年に問題が起きたとき困る。

税を減らせば農民の負担は軽くなるが、領地の収入は減る。

ほかの村から食糧を融通するにしても、そちらの生活を圧迫するようでは意味がない。

どれか一つを選べば解決する、という話ではないのだ。

 

私はペンを置き、窓の外を眺めた。

領都ヴァルデンの街並みが見える。

その向こうには農地が広がり、さらに遠くには丘陵と森林が続いている。

この景色は、私にとって当たり前のものだった。

けれど、将来この領地を治めるのは私だ。

母様のように、領民の生活を守らなければならない。

領地を豊かにし、家を存続させ、次の世代へ引き継ぐ。

それが、ヴァレンシュタイン家の長女である私の役目だった。

 

「エレオノーラ様、お茶をお持ちいたしました」

「ありがとう。そこへ置いてちょうだい」

 

侍女が机の端にカップを置く。

私は彼女に微笑みかけた。

 

「それと、あとでルシーの様子を見に行きたいのだけれど、今は何をしているかしら?」

「ルシアニウス様でしたら、セレナが付き添っておいでです。午前中は本を読まれる予定と伺っております」

「そう。ありがとう」

 

侍女が退室すると、私は再び課題に目を向けた。

けれど、頭の片隅には弟のことが残っていた。

ルシアニウス。

私より五歳年下の、かわいい弟。

あの子が生まれた日のことは、今でもよく覚えている。

母様が弟を産んだと聞かされ、私はリーザと一緒に、何度も母様の部屋へ行こうとした。

けれど、まだ小さかった私たちは、出産の部屋へ入ることを許されなかった。

 

出産後に会った母様の顔を見たとき、私は少し驚いた。

母様は泣いていたのだ。

理由はわからなかった。

ただ、腕の中に小さな赤子を抱きしめ、何度も「よかった」と繰り返していた。

そのときの母様の表情を、私は忘れられない。

それ以来、私はルシーを大切にしようと決めた。

弟だから、というだけではない。

母様があれほど心配し、ようやく抱きしめることができた、大切な子供だからだ。

もちろん、リーザも同じ気持ちだろう。

ただ、リーザは私よりも感情を表に出すことが多い。

ルシーを見つけると、すぐに抱き上げようとするし、遊んでいる最中も、何かと構いたがる。

私はそこまで露骨ではないつもりだ。

……少なくとも、自分ではそう思っている。

しかし、ルシーが笑ってくれると嬉しいし、泣いていると心配になる。

何かできるようになれば、誰よりも喜びたいと思う。

きっと、私も十分に甘いのだろう。

 

◇

 

「エレオノーラ様、家庭教師の先生がお見えです」

「わかったわ。すぐに参ります」

 

私は課題をまとめ、椅子から立ち上がった。

次は歴史の授業だ。

王国の成り立ちや、過去の貴族間の争い、領地の境界がどのように定められたか。

覚えることは多い。

しかし、ただ暗記するだけでは意味がない。

なぜ、その争いが起きたのか。

どのような判断が、どのような結果を生んだのか。

過去の出来事から学び、同じ失敗を繰り返さないことが大切だと、母様はよく言っていた。

私は授業を受けながら、ノートに要点を書き留めた。

家庭教師の先生は、私の理解が早いことを褒めてくださった。

 

「エレオノーラ様は、物事を順序立てて考えることがお得意ですね」

「ありがとうございます」

「ただ、知識を身につけるだけでなく、実際の状況を想像することも忘れないでください。領主になれば、教科書どおりにはいかない問題も多いのですから」

「はい。肝に銘じます」

 

私は頷いた。

母様の仕事を見ていても、そう思う。

同じ問題でも、相手の立場やそのときの状況によって、最善の選択は変わる。

領民のために必要なことと、領地を維持するために必要なこと。

どちらか一方を優先するだけでは、長く続かない。

両方を考えながら、できる限りよい方法を探さなければならない。

それは簡単ではないだろう。

それでも、私は母様のような領主になりたいと思っていた。

優しく、賢く、必要なときには厳しい判断もできる人。

領民から信頼され、家族を守れる人。

そのためには、今のうちから努力を続けていかなければならない。

 

◇

 

昼食の席には、母とルシアニウスがいた。

 

「ノーラ、リーザ。ちょうどよかったわ」

 

母様が微笑む。

 

「今ルシーが、読んでいた絵本の話を聞いていたのよ」

「本当?」

 

私は弟の顔を覗き込んだ。

ルシーは少し照れたように、母様の隣で座っていた。

 

「どんなお話だったの?」

「……くま」

「くま?」

「うん。おおきい、くま」

 

まだ説明は上手ではない。

それでも、自分が読んでもらった本について話そうとしているのがわかった。

 

「そう。大きな熊が出てくるお話だったのね」

 

私はゆっくりと相槌を打った。

ルシーは嬉しそうに頷いた。

その顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。

私はこの子を守りたい。

ただ甘やかすだけではなく、いつか自分の力で生きていけるように。

この世界には、男であることを理由に特別扱いされる環境がある。

ルシーも、これから成長するにつれて、そのことを知っていくだろう。

だからこそ、私はこの子に伝えたい。

人に何かをしてもらったら、感謝すること。

相手が誰であっても、尊重すること。

自分が恵まれているからといって、それを当然だと思わないこと。

けれど、今はまだ幼い。

難しい話をする必要はない。

まずは、安心して成長できる環境を整えること。

それが、姉としてできることなのだと思う。

食事が終わると、ルシーは母様に抱き上げられた。

 

「午後は少し休みましょうね、ルシー」

「……うん」

 

私は、その様子を見送りながら微笑んだ。

そして、午後の勉強に戻るため、席を立った。

やるべきことは多い。

学ばなければならないことも、身につけなければならないことも、まだまだある。

いつか私が家督を継いだとき、母様のように領地を守れるだろうか。

まだ自信はない。

けれど、努力を続けることはできる。

それに、私には大切な家族がいる。

母様がいて、リーザがいて、ルシーがいる。

いつか私が領主になったときも、この家族が安心して暮らせる場所を守りたい。

それが、今の私の目標だった。

 

◇

 

ーエリザベート・ヴァレンシュタイン視点ー

 

「もう一度お願いします!」

 

木剣を握りしめ、私は訓練相手に向かって頭を下げた。

 

「エリザベート様、少し休憩を挟まれてはいかがですか?」

「まだ大丈夫です!」

「しかし、先ほどから動きが乱れております」

「……わかりました」

 

私は渋々、木剣を下ろした。

悔しい。

もっと上手くなりたいのに。

もっと強くなりたいのに。

身体が思うように動かない。

剣を振るたびに腕が疲れ、足運びを間違えれば体勢が崩れる。

頭ではわかっているのに、身体がついてこない。

私は木剣を見下ろした。

 

ノーラは将来、家督を継ぐ。

勉強が得意で、物事を冷静に考えられる。母様の仕事を見ていても、ノーラなら立派な領主になれると思う。

では、私は何をすればよいのだろう。

最初は、そんなことを考えていた。

長女が家を継ぐ。

次女は別の道へ進む。

それが、この国のしきたりだった。

机に向かって勉強するより、身体を動かす方が好きだった。

剣を振ることが楽しかった。

訓練を重ねて、少しずつできることが増えていくのが嬉しかった。

だから、騎士になろうと思った。

でも、今はそれだけではない。

私には、守りたいものができた。

ルシーだ。

 

◇

 

ルシーが生まれたとき、私はとても嬉しかった。

小さな弟。

初めて見たときは、こんなに小さな子が本当に私の弟なのかと思った。

手も足も細く、少し触れただけで壊れてしまいそうだった。

母様は、そんなルシーを大切そうに抱きしめていた。

私は、弟を抱っこさせてもらいたかった。

でも、まだ小さかった私には難しく、侍女に支えてもらいながら、そっと腕の中に迎えた。

ルシーは、眠っていた。

小さな顔を見ていると、不思議な気持ちになった。

この子は、これからどんなふうに成長するのだろう。

どんなものが好きになるのだろう。

私のことを、姉だとわかってくれるのだろうか。

そう考えるだけで、胸がいっぱいになった。

それから、私はルシーをたくさん可愛がった。

遊んであげた。

抱っこした。

泣いていたら、どうしたのかと心配した。

もちろん、ノーラも同じだった。

ただ、ノーラは私よりも落ち着いている。

ルシーが泣けば、まず何が原因なのかを考える。

私なら、泣いているのを見るだけで、すぐに抱き上げたくなるのに。

ノーラは違う。

お腹が空いているのか。

眠いのか。

何か嫌なことがあったのか。

ちゃんと理由を考えてから、ルシーに接する。

だから、私はよくノーラに注意される。

 

「リーザ、急に抱き上げたら驚いてしまうでしょう?」

「でも、ルシーがかわいそうじゃない!」

「まずは、どうしたのか聞いてみましょう」

「……わかった」

 

そんなやり取りを、何度も繰り返してきた。

それでも、私はルシーが大好きだ。

この子が笑ってくれると嬉しい。

この子が何かできるようになると、自分のことのように嬉しくなる。

そして、何か危険なことが起きたら、守ってあげたいと思う。

それが、いつの間にか私の目標になっていた。

もっと強くなりたい。

ルシーを守れるくらいに。

 

◇

 

「エリザベート様、再開いたしましょう」

「はい!」

 

私は木剣を握り直した。

足を開き、腰を落とす。

相手の動きをよく見る。

剣を振るうだけでは駄目だ。

相手がどこから攻めてくるのか。

どちらへ動けば避けられるのか。

どうすれば、自分の体勢を崩さずに反撃できるのか。

考えることはたくさんある。

私は木剣を振った。

相手の剣とぶつかる。

手に衝撃が伝わった。

そのまま押し込もうとしたが、力を受け流され、体勢が崩れた。

 

「そこまでです」

 

訓練相手が木剣を下ろした。

 

「今のは、力を入れすぎております。相手を押し切ることばかり考えてはいけません」

「……はい」

「力で勝てない相手もいます。そういうときは、動き方や間合いを工夫する必要があります」

 

私は唇を尖らせた。

わかっている。

頭ではわかっているのだ。

けれど、つい力任せになってしまう。

私は、ノーラのように頭がよいわけではない。

難しいことを考えるのは苦手だ。

でも、だからといって、何も考えずに剣を振っていればよいわけではない。

強くなるには、考えることも必要なのだ。

 

「もう一度、お願いします」

「よろしいでしょう」

 

私は再び構えた。

今度は、相手の動きを待つ。

焦って攻めない。

相手が動いたら、それに合わせて動く。

剣がぶつかる。

足を踏み替える。

相手の横へ回ろうとする。

先ほどよりも、少しだけ長く打ち合うことができた。

最後には負けてしまったが、訓練相手は頷いてくれた。

 

「今の動きは、先ほどよりよくなっていました」

「本当ですか?」

「はい。少しずつ身についております。焦らず、繰り返し練習してください」

「はい!」

 

私は笑顔で返事をした。

少しでも成長できたなら、それでいい。

明日は、今日よりも上手くなろう。

その次の日は、さらに上手くなろう。

そうやって努力を続ければ、いつかきっと強くなれる。

 

◇

 

訓練を終え、汗を拭いていると、侍女が近づいてきた。

 

「エリザベート様、ルシアニウス様がお探しです」

「ルシーが?」

 

私は顔を上げた。

 

「はい。セレナと一緒に、こちらへ向かっておいでです」

「わかった! すぐに行くね!」

 

私は急いで着替えを済ませ、訓練場の出口へ向かった。

そこには、セレナに手を引かれたルシーがいた。

私を見つけると、ルシーが小さな手を振った。

 

「ルシー!」

 

私は思わず駆け寄り、抱き上げようとした。

しかし、途中でセレナの言葉を思い出した。

急に抱き上げると、驚かせてしまう。

私は立ち止まり、ルシーの前にしゃがんだ。

 

「ルシー、どうしたの?」

「……リーザねえさま、いた」

「うん。ここにいるよ」

「……あそぶ?」

 

私は思わず笑顔になった。

 

「もちろん!」

 

けれど、セレナがすぐに口を挟んだ。

 

「エリザベート様。ルシアニウス様と遊ばれる前に、汗を拭いてお着替えをなさってくださいませ」

「……はーい」

 

私は少しだけ残念に思ったが、すぐに頷いた。

ルシーと遊ぶのは大好きだ。

でも、汗をかいたままでは、ルシーに不快な思いをさせてしまうかもしれない。

それくらいは、私にもわかる。

 

「ルシー、少しだけ待っていてね!」

「うん!」

 

私は急いで着替えを済ませ、戻ってきた。

ルシーはセレナのそばで、大人しく待っていた。

 

「お待たせ!」

 

私は手を差し出した。

 

「今日は何をして遊ぼうか?」

「……ほん」

「本? 絵本を読むの?」

「うん」

「いいね! 私も一緒に読む!」

 

ルシーは嬉しそうに頷いた。

私はその小さな手を握り、歩き始めた。

守りたい。

この笑顔を。

この子が安心して暮らせる日々を。

そのために、私にできることは何だろう。

騎士になれば、ルシーを直接守る力が身につくかもしれない。

危険があったとき、すぐに駆けつけられるかもしれない。

もちろん、私一人で何でもできるわけではない。

ノーラにはノーラの役割がある。

母様には母様の役割がある。

セレナたち侍女にも、それぞれの仕事がある。

それでも、私は私にできることをしたい。

もっと強くなろう。

もっと学ぼう。

そして、いつかルシーが困ったときには、真っ先に助けに行ける姉になろう。

そんなことを考えながら、私は弟の手を握り直した。

 

◇

 

その日の夜。

私は自室で、剣術の先生から渡された課題を見ていた。

今日の訓練で失敗した動きを、どうすれば改善できるか考えるためのものだった。

相手の攻撃を受け流す方法。

体勢を崩さずに動く方法。

力を入れるべき場所と、抜くべき場所。

難しい。

でも、面白い。

身体を鍛えるだけでなく、頭を使うことも必要なのだと、少しずつわかってきた。

私は課題の端に、明日試したいことを書き留めた。

そして、窓の外を眺めた。

夜の屋敷は静かだった。

きっと、ルシーももう眠っているだろう。

明日も、あの子と遊べるだろうか。

そう思うと、自然と笑みがこぼれた。

私は、騎士になりたい。

剣を振るうことが好きだから。

身体を鍛えることが好きだから。

そして何より、大切な人を守れるようになりたいから。

それが、私の進む道だ。

ノーラとは違う。

けれど、違うからこそ、できることがある。

私は再び課題に目を向けた。

明日は、今日よりも少しだけ強くなろう。

その積み重ねが、いつかきっと、大切な人を守る力になると信じて。

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