出張の前の晩、二人は瓶を開けた。
三匙。
もう、それが「いつもの量」になっていた。
五日分を今夜のうちに溜め込んでおこうとでもいうように、二人は互いを求めた。何度も。時計の針が何周したのかも分からないくらいに。明け方、悠真がスーツケースを閉める音を、遥はベッドの中でぼんやりと聞いていた。
「行ってくるね」
玄関で、悠真が言った。
「うん。いってらっしゃい」
遥は、彼の背中に手を伸ばしかけて、止めた。触れたら、行かせられなくなる気がした。
ドアが閉まる。
鍵の回る音。廊下を遠ざかっていく足音。エレベーターの到着を告げる、小さなチャイム。
それきり、部屋は静かになった。
◇
一日目は、平気だった。
むしろ、身体は満ち足りていた。昨夜の余韻が、まだ指先や首筋のあたりに薄く残っている。会社でも普通に仕事ができた。昼休みに悠真から「着いた」とメッセージが来て、遥は「おつかれさま」と返した。
久しぶりに一人で夕食を作った。久しぶりに、ゆっくり湯船に浸かった。久しぶりに、ベッドの真ん中で手足を伸ばして眠った。
なんだ、大丈夫じゃない。
遥は、少しほっとしていた。
◇
二日目の朝、遥は喉の渇きで目を覚ました。
コップ一杯の水を飲んだ。二杯目も飲んだ。
渇きは消えなかった。
それが水で潤うものではないことを、遥の身体はもう知っていた。
会社に向かう電車の中で、遥は吊り革を握る自分の手を見た。指先が、かすかに震えていた。
寒いのかと思った。
八月の、蒸し暑い朝だった。
◇
その日の仕事は、まるで手につかなかった。
パソコンの画面に並ぶ数字が、意味を持たずに目の前を流れていく。同じメールを三回読み直して、それでも内容が頭に入ってこない。キーボードを打つ指が、何度も同じ場所で止まる。
渇きが、身体の奥で、少しずつ膨らんでいた。
それは昨夜までの、あの満たされない夜の渇きとは違っていた。もっと鈍くて、もっと重くて、もっと深いところから湧いてくる。胸の奥でも、喉の奥でもなく、骨の芯から。身体を作っている細胞のひとつひとつが、何かを求めて、声もなく口を開けているような。
悠真の声が聞きたかった。
悠真の匂いが嗅ぎたかった。
悠真に、触れたかった。
昼休み、遥はトイレの個室に入り、スマホを握りしめた。電話をかけようとして、やめた。向こうも仕事中だ。迷惑になる。
代わりに、メッセージを打った。
「今、何してる?」
送信してから、十五分。
既読はつかなかった。
遥は、個室の壁に額を押しつけて、目を閉じた。震える指で、スマホを握りしめたまま。
◇
その夜、遥は眠れなかった。
ベッドが、広すぎた。
昨夜は心地よかったはずの空白が、今夜は冷たく、底なしに感じられる。手を伸ばしても、何もない。シーツの冷たさだけが、指先に触れる。
寝返りを打つ。また打つ。
目を閉じても、瞼の裏で何かがちらちらと揺れて、眠りに落ちていけない。
身体が、熱いのか冷たいのか分からなかった。額には汗が滲んでいるのに、手足の先は氷のように冷えている。肌の表面が、ずっとざわざわと粟立っている。誰も触れていないのに、無数の小さな虫が這い回っているような。
午前二時。
遥は、とうとうベッドから起き上がった。
ふらふらと、クローゼットの前に立つ。扉を開ける。悠真の服が、並んで吊るされている。
一番手前に、昨日の朝まで彼が着ていた部屋着のTシャツが、洗濯籠に入れ損ねて、無造作にかけられていた。
遥は、それを手に取った。
顔に押しつけた。
深く、息を吸い込んだ。
悠真の匂いがした。
汗と、柔軟剤と、彼の肌そのものの匂い。そしてその奥に、かすかに――あの琥珀色の、蜜の匂い。
身体の芯で、何かが小さく灯った。
ほんのわずかだった。三匙を飲んだ夜の熱に比べたら、マッチの火のように頼りない。
けれど、確かに灯った。
遥は、Tシャツを抱きしめたまま、その場にずるずると座り込んだ。
渇きが、ほんの少しだけ、和らいだ。
ほんの少しだけ。
その夜、遥は悠真のTシャツに顔を埋めたまま、クローゼットの前の床で、浅い眠りに落ちた。
◇
三日目の朝、遥は会社に遅刻した。
目覚ましに気づかなかった。気づいたときには、いつもの電車の時間を、とっくに過ぎていた。
慌てて上司に電話をかけた。
「申し訳ありません、体調が優れなくて……朝、病院に寄ってから出社してもよろしいでしょうか。大変ご迷惑をおかけします」
声は、震えないように気をつけた。丁寧に、礼儀正しく。いつもの自分のように。
「大丈夫? 無理しないでね」
上司は、心配そうにそう言ってくれた。
電話を切ったあと、遥は洗面所の鏡を見た。目の下に、くっきりと影が落ちていた。唇が乾いてひび割れている。頬が、こけて見える。
病院には行かなかった。
行ったところで、何と説明すればいいのか分からなかった。
それが、遥がついた最初の嘘だった。
◇
大阪のビジネスホテルの一室で、悠真もまた、眠れずにいた。
狭いシングルベッド。
エアコンの低い唸り。
窓の外では、知らない街のネオンが、カーテンの隙間から細く射し込んでいる。
二日目の夜から、手の震えが止まらなかった。
取引先との打ち合わせ中、ペンを持つ指が細かく震えて、メモの文字が乱れた。相手に気づかれないよう、テーブルの下で拳を握りしめた。
夕食の席では、グラスを持ち上げる手が揺れて、ビールが少しこぼれた。
「お疲れですか」と、同行した後輩が気遣わしげに言った。悠真は「ちょっと寝不足で」と笑ってごまかした。
ホテルに戻ると、スーツを脱ぐのももどかしく、ベッドに倒れ込んだ。
渇いていた。
身体じゅうが、ひび割れた土のように渇いていた。
スマホを開く。
遥からのメッセージが、何件も溜まっていた。
「今、何してる?」
「声聞きたい」
「眠れない」
「悠真」
「悠真」
最後の二つは、深夜の二時過ぎに送られていた。名前だけ。何の言葉も添えられずに。
悠真は、すぐに電話をかけた。
呼び出し音が、一回も鳴り終わらないうちに、繋がった。
「……悠真」
遥の声だった。
掠れて、震えて、今にも泣き出しそうな。
その声が耳に届いた瞬間、悠真の背筋を、細い電流が駆け上がった。
ほんの少しだけ。
けれど、確かに。
「遥……」
「……うん」
「大丈夫?」
「……だいじょうぶ、じゃない」
電話の向こうで、遥が小さく息を呑んだ。
それから、長い沈黙。
悠真は、目を閉じて、その沈黙に耳を澄ませた。遥の呼吸の音。浅くて、速くて、不規則な。
その音を聞いているだけで、身体の渇きが、ほんのわずかに和らいでいく。
「ねえ……」
遥が、囁くように言った。
「何も言わなくていいから……切らないで」
二人は、それから一時間、ほとんど何も話さなかった。ただ、互いの呼吸の音だけを、細い電波に乗せて、行き来させていた。
◇
四日目は、もっと悪かった。
遥は、会社を休んだ。
今度は「熱が下がらなくて」と言った。最初の電話よりも、言葉は少し短くなっていた。
一日じゅう、ベッドの上にいた。悠真のTシャツを抱きしめて、顔を埋めて。匂いが薄れていくのが怖くて、何度も、何度も深く吸い込んだ。吸い込むたびに、匂いはさらに薄くなっていった。
昼過ぎ、遥は食器棚の前に立っていた。
扉を開ける。
瓶が、そこにあった。
一人で飲んだら、どうなるのだろう。
ふと、そう思った。
悠真のいないこの部屋で、三匙を飲んだら。あの熱が、全身を灼いたら。触れてくれる人も、受け止めてくれる人もいない場所で。
遥は、瓶に手を伸ばしかけて――止めた。
怖かった。
一人で溺れるのが、怖かった。
それに、分かっていた。
欲しいのは、瓶の中身ではない。
悠真だった。
遥は扉を閉め、その場にしゃがみ込んで、膝を抱えた。震えが、肩から全身に広がっていった。
◇
五日目の夕方。
玄関のドアが開く音がした瞬間、遥は、もうそこに立っていた。
いつから待っていたのか、自分でも分からない。一時間前から玄関の床に座り込んで、ドアを見つめていた気もするし、ほんの数分前だった気もする。
ドアが開いた。
スーツケースを引いた悠真が、そこに立っていた。頬がこけていた。目の下に、遥と同じ影が落ちていた。ネクタイが、だらしなく緩んでいた。
二人は、一瞬、ただ見つめ合った。
それから、どちらからともなく抱き合った。スーツケースが倒れる音がした。鍵が床に落ちる音がした。
悠真の腕が、遥の身体を強く抱きすくめる。遥は彼のシャツに顔を埋め、五日ぶりの匂いを、肺の奥まで吸い込んだ。
身体の芯で、小さな火が灯った。Tシャツの残り香で灯ったのと同じ、マッチの火のような、頼りない熱。
足りなかった。
全然、足りなかった。
「……悠真」
遥が、彼の胸の中で呟いた。
「瓶」
悠真は、何も訊き返さなかった。遥の手を引いて、まっすぐ台所へ向かった。
◇
食器棚の扉を開ける手が、震えていた。
瓶を取り出す。蓋を回す。
甘い匂いが溢れた瞬間、二人とも、膝から崩れそうになった。
小匙を探す時間も惜しかった。悠真は、大きなスプーンを引き出しから掴み出した。
一杯。
それを遥の唇に運ぶ。遥は、ためらわなかった。
もう一杯。
今度は、悠真自身の口に。
それから、もう一杯ずつ。
四匙分。
いや、大きなスプーンだったから、もっとかもしれない。量っていなかった。量ろうという考えが、浮かばなかった。
効いたのは、一瞬だった。
舌の上に甘さが広がり、喉を落ちていく、その途中で、もう熱が爆ぜていた。
それは、これまでの夜とはまるで違っていた。指先から灯って、ゆっくり這い上がってくる、あの順番はなかった。胃の底に落ちた蜜が、そこで一気に弾けた。腹の奥から、胸へ、背骨へ、喉へ、頭の芯へ。手足の先の、爪の根元まで。熱の波が、内側から全身を一斉に打ち据えた。
五日間、干からびていた身体だった。骨の芯まで乾ききって、ひび割れていた身体だった。
そこに、蜜が流れ込んだ。
乾いた土に水を注いだときのように、細胞のひとつひとつが、音を立てて吸い込んでいく。吸い込んで、膨らんで、熱を持つ。皮膚の内側で、無数の小さな火が、一斉に燃え上がる。
遥の手から、スプーンが落ちた。
床で、乾いた音がした。
その音さえ、肌を撫でられたように感じた。
「ぁ……っ、あ……」
立っていられなかった。
膝が崩れ、遥は台所の床に座り込んだ。冷たいフローリングが太腿に触れた瞬間、その冷たさが、灼けるような痺れになって背骨を駆け上がった。
悠真も、同じだった。
シンクの縁を掴もうとした手が、空を切った。そのまま、遥の隣に崩れ落ちる。
目が合った。
悠真の目は、獣のように濡れて光っていた。五日分の飢えが、そのまま剥き出しになっていた。
遥は、自分も同じ目をしていると分かった。
次の瞬間、二人は互いに掴みかかっていた。
◇
抱き合った、などという穏やかなものではなかった。
遥の指が、悠真のシャツの襟を掴み、引き寄せる。悠真の腕が、遥の腰を抱き、床から引き剥がすように引き寄せる。
唇がぶつかった。
歯が当たった。痛みは、一瞬で甘い痺れに溶けた。
キスというより、呼吸を奪い合うようだった。互いの口の中に、さっき飲んだばかりの蜜の甘さが残っている。それが舌の上で混じり合い、また喉を落ちていく。落ちていくたびに、腹の奥で、新しい熱が爆ぜる。
足りない。
五日分には、まるで足りない。
悠真の手が、遥の背中を掻き抱く。部屋着の薄い生地越しに、彼の指の一本一本が、焼きごてのように熱い。指が動くたびに、そこから波紋のように痺れが広がって、背中全体が、彼の手の形に灼かれていく。
遥の指も、悠真のシャツの裾から潜り込んでいた。
素肌に触れた。
その瞬間、二人の身体が、同時に跳ねた。
五日ぶりの、肌だった。
布越しではない、温かくて、少し汗ばんだ、悠真の肌。
指先から、電流が走った。
遥の指から悠真の背中へ。悠真の背中から、遥の指へ。同じ電流が、二人の間を往復して、どちらの震えなのか分からなくなる。
「遥……っ」
悠真が、名前を呼んだ。
声が、掠れて、割れていた。
その声が耳に届いた瞬間、遥の視界が、白く弾けた。
まだ、何もしていなかった。
ただ、肌に触れて、名前を呼ばれただけだった。
それだけで、遥の身体は、一度、高いところまで押し上げられて、落ちた。
背中が反り、喉が反り、声にならない声が漏れた。悠真の腕の中で、遥は何度も小さく痙攣した。
悠真は、その震えを、呆然と抱きとめていた。腕の中で跳ねる遥の身体が、熱い。震えるたびに、その振動が、悠真自身の身体の奥にまで響いてくる。
まだ、何もしていないのに。
その事実が、悠真の中の最後の糸を、ぷつりと切った。
◇
服を脱がせる余裕など、なかった。
ボタンを外そうとした指が、震えて、うまく動かない。もどかしくて、悠真は遥の部屋着の裾を掴み、そのまま引き上げた。遥も、悠真のシャツを引きちぎるように剥がした。ボタンがひとつ弾け飛んで、床を転がっていった。
床の上に、服が散らばっていく。台所のフローリングに、二人の肌が、直接触れる。
冷たかった。
その冷たさが、肌の熱を、いっそう際立たせた。
悠真が、遥の上に覆いかぶさる。肌と肌が、胸から腹まで、ぴたりと重なった。
その瞬間の感覚を、遥は一生忘れないと思った。
五日間、ずっと欲しかったもの。
骨の芯から求めていたもの。
悠真のTシャツの残り香では、ほんの爪の先ほどしか満たされなかったもの。
それが、今、全身で触れている。
胸と胸のあいだで、二人の鼓動が重なった。どちらも、速すぎた。強すぎた。肋骨を内側から叩いて、相手の胸に直接響いていく。
悠真の唇が、遥の首筋に降りてきた。鎖骨を辿り、肩に吸いつき、また首筋に戻る。
触れられた場所の、ひとつひとつが燃えた。唇が離れても、そこだけ熱が残って、じんじんと疼き続ける。悠真の唇が触れるたびに、遥の身体には、熱い点がひとつずつ増えていく。首筋に、鎖骨に、肩に、胸元に。やがてそれらの点が繋がって、線になり、面になって、遥の上半身全体が、悠真の熱で塗り潰されていった。
「ゆう、ま……っ、もう……」
遥の両手が、悠真の頭を掻き抱いた。指が、彼の髪に深く潜り込む。
「待てない……っ」
悠真も、待てなかった。
◇
二人が繋がった瞬間。
台所の天井が、ぐらりと揺れた気がした。
いや、揺れたのは、二人の身体だった。繋がったその一点から、熱が、爆発した。
これまでのどんな夜とも、比べものにならなかった。初めて瓶を開けた夜も。三匙を飲んだ夜も。
五日間の渇き。
骨の芯まで乾ききった身体。
そこに、瓶の蜜と、相手の存在そのものが、一度に、怒涛のように流れ込んできた。
遥の背中が、床から浮いた。
悠真の背中に回した腕に、ありったけの力がこもる。爪が、彼の肩甲骨のあたりに深く食い込んだ。
悠真の口から、獣のような呻きが漏れた。遥の名前を呼ぼうとして、それは途中で崩れて、ただの荒い息になった。
動くたびに、波が来た。
いや、動かなくても、波は来た。繋がっているだけで、そこから絶え間なく熱が湧き上がり、全身を駆け巡り、また繋がった一点に戻ってくる。戻ってきて、さらに大きくなって、また駆け巡る。
ひとつの波が引く前に、次の波が来る。次の波が頂点に届く前に、また次が来る。
遥は、自分が何度上り詰めたのか、分からなかった。数えることなど、できなかった。
視界は、ずっと白かった。
台所の天井も、ペンダントライトの光も、悠真の顔さえも、白い光の中に溶けて、輪郭を失っていた。
聞こえるのは、自分の声と、悠真の息遣いと、二人分の鼓動。それから、床の上で肌が擦れる、濡れた音。
◇
悠真が、果てた。
遥の奥深くで。
彼の全身が、弓の弦のように硬直し、それから、激しく震えた。
遥は、その瞬間を、身体の内側で感じた。悠真の熱が、自分の奥へと注がれていく。
そして、悠真が果てたことで、遥の身体も、また、高いところへ放り投げられた。
背中が反った。
喉が反った。
声が、出なかった。口は開いているのに、音にならなかった。
悠真の腕の中で、遥の身体は、何度も、何度も跳ねた。
びくん、と。
びくん、と。
やがて、悠真が、遥の上に崩れ落ちた。汗に濡れた胸が、遥の胸に重なる。二人とも、肩で荒い息をしていた。
台所の床の上で。
散らばった服の中で。
転がったスプーンと、蓋の開いたままの瓶の傍らで。
しばらく、二人とも動けなかった。
◇
けれど、それで終わりではなかった。
五日分の渇きは、一度では満たされなかった。
息が整うより先に、遥の指が、また悠真の背中を撫で始めていた。汗に濡れた肌の上を、ゆっくりと。
悠真の身体が、それに応えた。
二度目は、台所の床の上だった。三度目は、リビングのソファの上だった。いつの間にそこまで移動したのか、二人とも覚えていなかった。四度目のどこかで、悠真が瓶を掴んで、もう一掬い、二人の口に運んだ気がする。
覚えているのは、断片だけだ。冷蔵庫の扉に映った、汗に光る二人の背中。ソファの革が肌に貼りつき、剥がれるたびに立つ、小さな湿った音。いくら唇を重ねても、口の中から消えない甘さ。
寝室に辿り着いたのは、窓の外が白み始めた頃だった。
廊下の床に、台所から点々と服が散らばっていた。倒れたままのスーツケース。床に落ちた鍵。弾け飛んだシャツのボタンが、冷蔵庫の下の隙間に転がり込んでいた。
ベッドに倒れ込んでも、二人はまだ、互いを離さなかった。
◇
目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。
遥は、悠真の腕の中にいた。
二人とも、汗と、それ以外のもので、肌がべたついていた。
身体じゅうが、重かった。
けれど、骨の芯の渇きは、どこにもなかった。指先の震えも、肌の上を這う虫も。
満たされていた。
五日ぶりに、隅々まで。
隣で、悠真が目を開けた。
遥を見て、少しだけ笑った。疲れきった、けれど穏やかな笑みだった。
「……おかえり」
遥が言った。
昨夜、玄関で言いそびれた言葉だった。
「ただいま」
悠真が答えた。
それから二人は、また、互いの身体に手を伸ばした。