Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
京介達が基地を出て、既に二十分が経過していた。付近の島を手当たり次第に確認して回っているが、未だに三人の行方は掴めていない。制限時間までもう残り少ないと言う時、京介はステラからの通信を受け取った。
《ワイルド7、それらしいものは見つかった?》
「いや、海岸にボートでも付けてるかと思ったがさっぱりだ。燃料に余裕はあるが、この雨と波じゃあ……クソッ」
薄暗い中暴風と強い雨が容赦無く装甲を打ちつけ、京介は焦りにも似た感情を抱いていた。もし何処かの島への避難が間に合わず波に攫われていたら、もし避難した先の島で不慮の事故に巻き込まれていたとしたら。操縦桿を握る力が強くなり、京介は思わず悪態をついた。
《そんなに心配するくらいなら、すぐに仲直りすれば良かったのよ。変な意地を張っていると、何時か後悔するわよ。貴方も中尉も》
「言われなくても分かってる! ……ん?」
ステラに対し声を荒げる京介だったが、ふとレーダーに映る赤い光点を見つけると首を傾げた。一つ、二つ、三つ、と1km以上離れた地点に一つずつ謎の点が増えていく。それは一直線に、京介とステラの方へとやって来ている。
「アルゴス4、レーダーに反応がある! 何だか分かるか!」
《分からない! けれど、戦術機なのは間違いなさそうよ。この数……一個中隊!?》
レーダー上に表示される赤い光点は十二個。それは戦術機ならば一個中隊に相当する数だ。
「敵だって言うのか!? 俺達はBETAじゃないだろう!」
《イーダル2! イーダル3! 応答して! ……ダメ、反応が無い》
「やられたって言うのか!?」
《分からないわ! っ、来る!》
突然の出来事に脳の処理が追いつかない状況で、ステラの声に反応した京介は操縦桿を思い切り捻った。それに連動して雪風が全身をロールさせると、十二機の黒い戦術機の集団が飛び去って行く。その戦術機は、F-15Eだった。
「黒いイーグル……? っまた来るのか!」
視界の向こうで十二機のF-15Eが反転すると、京介は再び回避行動に移った。突っ込んでくるのを避けるだけなら、難しくは無い。日本に居た頃の模擬戦を思い出し、京介は少しだけ自分を取り戻した。だが何の武装も持っていない雪風とステラのF-15Eでは、何の攻撃も出来ない。そうして今度は、謎のF-15E集団は容赦無くその手に持った突撃砲から36mmをばら撒いてきた。
《撃ってきた!? 何が狙い------きゃっ!》
「ステラ!?」
突如耳朶を打ったステラの悲鳴に京介が振り向くと、右の跳躍ユニットを損傷した彼女のF-15Eがフラフラと不安定な挙動を見せていた。だが新たに接近してきた二機のF-15Eの対応を迫られ、京介は繰り出される弾幕を躱すのに集中せねばならなかった。
「離脱しろステラ! 俺が引き付ける!」
短刀を手に接近してきたF-15Eの一撃を避けて背後から組み付くと、京介は同じように逃げるのに精一杯だったステラに叫んだ。だが組み付いたF-15Eの肩に黒い馬に乗り槍を構えた騎兵のマークを見つけると、京介は彼らが何かしらの目的を下に結成されている部隊なのだと察した。
「こいつら……っ!」
京介はそのままガンマウントから突撃砲をもぎ取ると、F-15Eの背中から36mmを撃ち込んだ。背中から胸部を穴だらけにされたF-15Eを踏みつけて上昇すると、背後から雪風を狙って短刀を突き出していた別のF-15Eを巻き込んで大きな爆発を引き起こす。その爆光は遮光されてある程度目を開ける状態にあったものの、数の問題か雪風は別の機体の真横からの銃撃をモロに受けてしまう。右腕と胴体部に36mmが着弾し、装甲の一部が拉げた。
「うっ!」
銃弾によって損傷した胴体の中で、管制ユニット内を突き抜けた破片が京介の腹部に突き刺さった。強化装備の皮膜で防がれているものの、僅かに血が滲んでいる。
(クソッ……)
その状態からステラに組み付いていたF-15Eを狙撃すると、京介は彼女の機体の傍へと寄った。跳躍ユニットを損傷した敵機は、そのまま海面に激突している。
「今のうちに基地に戻れ! イーダル小隊も連中にやられたのかもしれん! っ……俺が引き付けるから、早く!」
《分かったわ! 死んではダメよ、キョウスケ!》
ステラが逃げる隙を作る為に36mmをばら撒いた京介だったが、九機のF-15Eは弾丸を避けるばかりで逃げて行くステラ機を追い掛ける素振りを微塵も見せなかった。その時初めて、京介は彼らの目的を知る。
「狙いは俺一人って事かよ……こいつら!」
まるでその言葉に反応するが如く、謎の戦術機集団は一斉に京介に襲い掛かった。装備もポジションごとに分けられてすらおらず、盛大にばら撒かれる120mm滑腔砲と36mmを躱しながら、京介は更に短刀を持って斬り掛かる敵の相手をせねばならなかった。元々F-15Eの使用するAMWS-21 戦闘システムは不知火との愛称が悪い。先の狙撃がまぐれであった事を示すかのように、遠距離に敵に対しては全く持って当たらなかった。雨で視界の悪い中、黒いF-15Eの姿を至近距離で捌くのは非常に難しい。だがその中で、一機のF-15Eが短刀を振り上げて真正面から雪風に接近してくる。
「銃を持ってるんだぞッ! こっちは!」
突撃砲の銃口を敵の胸部に押し付けながら、京介は不用意に近づいて来たF-15Eの胴体に36mmを撃ち込んだ。痙攣するかのように全身を震わせたF-15Eの肩を掴んで盾にすると、京介は新しい突撃砲を両手にして穴だらけになった
「っ------しまったっ!?」
それに一瞬気を取られた時、京介の視界一杯に映っていたのはF-15Eの膝だった。激しい衝撃が機体全体を揺さぶると、京介の網膜に投影されている映像が乱れ始める。そして機体のコントロールが乱れて落下していく中、京介は複数のF-15Eが銃口を向けてきているのを確認すると、歯を喰いしばって操縦桿を握りなおした。
「このっ------」
無数の銃弾の応酬が行われる中、一方的に被弾していたのは雪風の方だった。右マニピュレーターが損傷して持っていた突撃砲が破壊されると、銃弾の雨は容赦無く上から雪風の装甲を突き抜けていく。管制ユニット内の損傷も相まって京介自身にも傷が増えていくと、遂に右跳躍ユニットが火を噴いて弾け飛んだ。それで一気にバランスを崩した雪風は黒煙を吹きながら、近くの島へと墜落した。それを追い掛けようとしたF-15E達だったが、突如動きを止めるとそのまま何処かへと飛び去って行く。墜落した雪風は爆散まではしなかったものの、その損傷具合は酷いものだった。
墜落によるダメージも合わせて右腕は前腕部から先が無く、右脚は跳躍ユニットの爆発によって根元から吹き飛んでしまっている。頭部も一部が拉げ、胴体部にも何発か36mmが着弾した所為で脱出装置が作動しなくなっていた。うつ伏せに倒れ込んでいる雪風の正面ハッチが歪な音を立てながら開くと、更に歪な音やスパークによる火花と共に管制ユニットが迫り出した。そこから這い出すように出て来たのは、ボロボロの強化装備に血を滲ませた京介だった。爆発による損傷を受けて額からも血を流していた京介は、管制ユニット内から引っ張り出した医療キット片手に地面に倒れ込む。その腹部や左足、右腕には損傷した際に飛び散った鋭い破片が幾つか突き刺さっていた。
「っ……はぁ、ぅぅ……っああああああああ!」
京介が右腕に突き刺さっていた破片を掴むと激しい痛みが走るが、叫び声を上げながらそのまま破片を引き抜いた。先端に付着していた血液が飛び散るも、京介はすぐに足の破片を引き抜く。最後に腹の破片も引き抜くも、京介の身体はほぼ限界を迎えていた。地面を這うように進んで行くも、出血量による所為か目の前が霞み始めている。
「ふっ……ぐ、う……」
木の幹に寄り掛かる様にして立ち上がるも、足の怪我もあってすぐに倒れ込んでしまう。強化装備のレスキューパッチを何とか押し込んでから救急キットを開こうと手を伸ばすも、それに手を乗せた時、京介の意識は急速に霧散していく。力無く倒れ込むその身体を、冷たい雨が容赦無く打ち付けていた。
「------う、ん……」
京介が目を覚ました時、頭上に広がっていたのは雨空ではなく岩の天井だった。耳にはパチパチと焚き火の薪が燃える音が時折響き、ぼんやりとした視界のまま京介は首を動かして周囲を見回した。頭の下には枕代わりに手頃なサイズの石が置いてあったのか、首を動かすと冷たくも硬い感触が後頭部に広がっていく。右側には今も尚燃え続けている焚き火があり、その柔らかい光が京介の眠気を誘う。その火の向こう側に誰か女の姿が見えた時、京介は眠気に誘われて再び眠りについた。
次に京介が目を覚ました時、もうその意識は混濁せずハッキリとしていた。変わらぬ岩の天井を前に、京介は自分が謎の部隊との戦闘の末撃墜されたことを思い出した。反射的に上体を跳ね上げると、強烈な痛みがその全身を駆け抜ける。
「ッ! ~~~~~~~ッッ!!!」
声に成らない悲鳴を上げて京介が身体を見ると、強化装備の皮膜が一部引き裂かれて怪我の治療がされていた。足や腕には包帯が巻いてあり、腹部には止血剤が貼り付けられている。大きな傷は溶解した皮膜が浸透している為にそのままになっているが、その裏側が、激しい痛みによって京介に自己主張を行っている。そしてその痛みは、京介が受け止めるにはいきなり過ぎた。
「っは……は……っ、ぁ……っ」
呼吸が儘ならず、嫌な汗がドッと噴出してくる。必死に酸素を取り込もうとするも、口が勝手に開閉するだけで何も吸い込んではくれない。それでも何とか僅かな酸素を吸い込むと、京介は酸欠の所為か明滅する視界の中岩の壁に寄り掛かった。目の前にある焚き火の痕が、その洞穴のような場所に自分を運び込んだ人物がいるということを京介に示している。
「誰が……?」
疑問を口にする京介だったが、枕代わりの石の近くに救急キットとその中に入れていた拳銃が置いてあるのを見つけると、そのまま拳銃を手に取った。マガジンに弾が残っているのを確認すると、洞穴の入口に誰かが立っているのに気付く。反射的に銃口を向けると、そこに立っていたのは青い水着姿のクリスカだった。
「お前……」
「傷は大丈夫か」
「あ……いや、まだ痛む」
そうか、と短い返事を返したクリスカはそれ以上何も言わず、立ったまま京介を見つめていた。そこでずっと銃口を向けたままだった事に気付いた京介が銃を下ろすと、彼女はそのまま洞穴に入って京介の反対側に座り込む。
「ここにいるのは、お前だけなのか?」
「いや、今ブリッジスがお前の機体のところにいる。タカムラ中尉も一緒だ」
「……一緒にいるのも嫌、か?」
ボソッと呟いた京介にクリスカが首を傾げると、彼は傷を痛がる素振りをして誤魔化した。
「けど見つかって良かった。元々お前らを探すつもりで出撃したんだからな」
「お前一人でか?」
「馬鹿言うな、俺以外に三人。内二人はヴォルフ少尉とレズノフ少尉だ」
足を投げ出して言う京介に、クリスカは考え込むような素振りを見せる。まさか、とでも言いたそうな顔だった。
「おかしな事でも無いだろ、お前もアイツらも同じイーダル小隊の仲間なんだし」
「仲間? 我々は仲間ではない、共に祖国と党の為に戦う同志だ」
「変わんねえよ、同志とか仲間とか……言葉が違うだけで意味は一緒だ」
沈黙が訪れる中、京介は洞穴の外を見た。勢いは弱いが、今も雨が降り続けている。その雨を見ていると、何だか傷が疼くようで京介はすぐにクリスカに視線を戻した。肌色の比率が高い彼女のスタイルは良く、京介は諮らずも劣情を抱き掛けていた。自分で自分を馬鹿かと内心罵って視線を落とすと、腹部の傷が再び痛み始める。それを知ってか知らずか、クリスカは京介に疑問をぶつけた。
「う……つつつ」
「一体何があった? お前程の噂がある衛士が、あの暴風雨で操縦を誤るとは思えない」
「事故じゃねえ。……襲われたんだ、戦術機一個中隊にな」
「どういうことだ?」
「黒いF-15Eで構成されていた。何処の誰かも分からない連中で……奴ら、俺一人を狙ってた……逃げたステラには目もくれずに……」
腹部の痛みが増しつつあるような感覚の中、京介の視界はぼやけつつあった。疲労と出血による弊害で、その身体は熱を帯びつつある。それでも京介は、口を動かし続けた。最早それはうわ言のようで、クリスカでさえも異常が伝わる程。
「肩のマークが……黒い……馬の、槍を……持って……」
「どうした? 大丈夫か?」
「何処かの部隊だ……あのイーグル……俺を……」
「っ、酷い熱……しっかりするんだ。聞こえているか? しっかり------」
顔を覗き込んでいたクリスカにもたれ掛るようにして、京介は倒れ込んでしまう。丁度その時、雪風の様子を見に行ったユウヤと唯依が洞穴に戻って来た。クリスカに正面からもたれ掛っている京介を見て、ユウヤは目覚めたのかとホッとしたのも束の間、すぐその状況の不自然さに気付く。そして同時に、クリスカが叫んだ。
「酷い熱だ、水を集めろ!」
「あ、ああ、分かった!」
クリスカの言葉を受けてユウヤがすぐに洞穴を飛び出すと、残された唯依もまたすぐ京介の傍に駆け寄り膝をついた。再び寝かされる京介の目は開いているものの、虚ろなその瞳は何処を見ているという訳でもない。負傷により出来た傷口から細菌が侵入したのか、京介は炎症からなる発熱を起していた。
「京介!」
唯依が名前を叫ぶも、反応は無い。クリスカは救急キットに入っていた少ない機材の中から必要なものを選ぶと、京介の腕に残っていた皮膜を裂いた。消毒もまま成らない状態だが注射器を差込み中身を注入すると、京介は一度目を閉じた。荒い呼吸を繰返している事から事態は好転していない事が分かるが、クリスカはそのまま新しい火を起こしに掛る。残った唯依は京介の左手を自分の手で包み込むと、ただ祈った。
(お願い……死なないで……!)
その包まれた左手が僅かに反応したものの、その時の唯依にはそれに気付ける程の余裕は残されていなかった。
黒い雨が全身を容赦無く打ち付けてくる。雫の一つひとつが鋭い刃物となって、肉体を切り裂いて行く。暗闇の中に連なって浮かぶ赤い眼。鷹のような翼を持つそれらは天高く舞い上がり、そして急降下と共に身体を貫いて行った。黒いナニカを掴もうと伸ばされた右腕は啄ばまれ、僅かな肉と骨を残して消えて行く。右足が、右目が、腹部が、その黒いナニカに奪われていく。鋭い刃物と化した雫と共に全身から流れ出る血が黒い地面に広がり、赤黒い色に変色した。残された左目から、
「うああああああっ!? ああっ……あっ……うっ、おええええ……!」
自らの悲鳴と共に目を覚ました京介は、そのまま込み上げてくる胃液を吐き出した。苦く苦しい感覚が食道から口内にまで広がって、京介を咽させる。吐き出すものは何も無く、ただ透明色の液体が涎と共に岩に広がっていく。
「っ、ぐ……ぇぇぇぇ……げほっ、げほっ……」
地面に突っ伏しながら胃液を吐き出す京介の背を、その時誰かが擦った。横から差し出されたのは元々京介の強化装備に付いていた飲料パックで、京介は無我夢中でその中身を飲み干した。苦味もそのまま飲み込んでしまうが、その時の京介にとっては何かしらの水分を欲する事に必死だった。
「っは……!」
中身を飲み干して息をついた京介は、自身に飲料パックを差し出した人物が誰か確かめようと視線を動かした。やはりというか、何も言わずに差し出してきた時点で京介の予想は大方当たっており、隣に膝をついて座っていたのはやはりクリスカその人だった。
「落ち着いたか?」
「……悪い」
「今は雨も止んでいる。少し外に出た方が良い」
右足の怪我からクリスカの肩を借りて京介は立ち上がると、そのまま洞穴の外へと出た。クリスカの言う通り雨は止んでいて、雲の切れ間から星が輝いているのが見える。眠っている間に夜になっていたようだ。洞穴から少し離れたところにある木の根元に腰を下ろすと、京介は外の冷たい風に頬を撫でられた。そしてクリスカは、その手を自然と京介の額に当てる。ひんやりとした心地の良い冷たさが、額に広がった。
「熱はもう無いようだな。起きてすぐに吐くくらいだ、落ち着くまでここにいろ」
「ああ……」
そう言って視線を夜空に向けるも、京介はあまり落ち着かなかった。まだ倦怠感が身体には残っているし、何より今まで変な奴という印象しか無かったクリスカに色々と世話になっているという事実が、何処か気恥ずかしかったからだ。まだ胃の奥がムカムカして気持ちの悪さは抜け切っていないが、それを紛らわす為にも京介はクリスカとちゃんとした会話をしてみようと試みた。幸い、今の京介は彼女と言葉を交す最適な理由を持ち合わせている。
「そういえばシェスチナ少尉……イーニァに、絶対にクリスカを見つけてねって頼まれたんだ」
「イーニァに?」
「ああ、出撃前にヴォルフ少尉に頼んでわざわざ俺にな」
あの幼い顔つきを思い出すだけで、京介は得たいの知れない恐怖に背中が竦む。けれど、その疲れの所為かその恐怖は若干和らいでいるようにも感じていた。
「あの子がそんなことを……」
「……随分大事にしてるんだな、お互いを」
「当然だ。私が戦うのは祖国と党……それ以外にはイーニァしかいない。あの子の為なら、私は何時までも戦い続ける」
クリスカの言葉に、京介は思わず茶々を入れた。
「盲目的だな」
「では貴様は何の為に戦っている? 国か、それとも別の何かの為か?」
クリスカの問いに、京介は一度間を空けてから答える。
「何の為でもないよ。ただ俺は……死ぬまでにもう一度だけ、故郷の景色を見たいだけだ」
「景色?」
「雪風……俺が勝手につけた名前だけど、冬の間だけ故郷で見れるんだ。雪が風に舞って……自分がその渦の中で浮かんでいるみたいに感じる」
時折痛みに耐える為に言葉を途切れさせつつ、京介は舞い上がる雪を脳裏に浮かべた。それだけで、腕に鳥肌が立つ。そんな京介にクリスカは首を傾げると、新たな疑問をぶつけた。
「景色……? それだけの為に戦っているのか?」
「盲目的だろ? 確かにBETAは憎いさ。けど俺は……っ」
吐き気。京介は口元を押さえると、暫くの間押し黙った。クリスカが持っていた飲料パックを差し出そうとすると、京介はそれを片手で制止して短く息を吐く。
「大丈夫だ、悪い」
「……ブリッジスが貴様の機体を使って救難信号を発した。明日には迎えが来るはずだ、もう少し我慢しろ」
そうクリスカに言われて、京介は小さく頷いた。彼女の言葉から先の戦闘を京介は思い出す。あの光景を、右脚の跳躍ユニットが吹き飛んだあの感覚を。模擬戦では無敗を誇るエースも突然の対人実戦ではこの程度かと、京介は悔しさを感じていた。装備を持っていなかった、環境が良くなかった、そんなものは理由にはならない。相手が誰であれ、実力を出し切れなかった。どんな状況であれ勝利を掴み取れなければ、死ぬだけ。
「泣いているのか?」
「え?」
その時、クリスカに指摘されて始めて京介は自分の眼から雫が零れているのを知った。指先で頬を拭うと、強化装備に包まれたそれが濡れている。それを自覚すると、後から後からどんどん涙が溢れ出てきた。傷が痛いのではなく、敗北の自覚。
「……俺、負けてしまった。負けてしまって、ここにいるんだよクリスカ」
「悔しいのか?」
両手で顔を押さえながら、京介はクリスカの言葉に頷いた。最早言葉をまともに発する事も出来ないまでに身体を震わせている京介を、クリスカは何故かイーニァに重ねていた。感情がごちゃ混ぜになって、自分が分からなくなって、泣きじゃくる大切な人。彼女自身の
(自分で自分の感情を固め過ぎているんだ、だから根元が崩れれば全てが連なって……私には分からない、この感覚は一体何なのだ?
泣きじゃくる子供のような男をあやすクリスカを、遠くの木陰から見つめる一人の少女がいた。篁唯依、彼女は洞穴で目を覚ました時に、京介とクリスカがいなかった事に気付いて探しに来ていた。その二つの眼が、ジッと裸のような女に抱かれている京介を見つめている。今まで自分しか知らないと思っていた男の弱い部分、それよりも更に深いところを曝け出させている女がいる。島に来て一度も言葉を交してもいないのに、彼は自分ではない別の女に慰められている。知らないうちに常に身に着けている父の形見の懐中時計を握り締めていた唯依は、誰に言うでもなく、自然と言葉を零していた。
「京介は今泣いているんだ、なのに私はその傍にいない。なら私は……何処にいればいいの?」
風の流れに攫われたその言葉は、誰の耳にも届かなかった。
「------俺、人を殺した事がある」
京介がそうクリスカに零したのは、彼が泣き出して暫くしてからだった。クリスカの首下に顔を埋めたまま、京介は彼女の背に腕を回した状態で言葉を続けた。その目からはもう涙は出ていなかったが、赤く腫れた目は確かに閉じられた瞼の向こうに存在している。
「何?」
「十歳にもならない頃、家に遊びに来た親父の知り合いの女の子が迷子になったからって探しに行って……。見つけた後、お気に入りの丘に連れて行ったんだ。冬になると雪風が見える場所でさ、その時は夏だから代わりに蛍っていう虫が見れて……冬になったらまた来いって約束した後、俺、丘で足を滑らせて川に落ちたんだ」
「それで、一体どうなったんだ?」
弱々しい声で過去を語りだした京介を、クリスカは相槌を打つだけで促した。彼女が感じている京介の中の感情のドス黒い色が、少しずつ薄まっていく気がしていたからだった。イーニァが何か嫌な事があった時、自分に相談しに来た時、その時と同じようにクリスカは京介の相手をしている。それが今の京介には、一番必要な事だった。
「川に落ちる前に俺を助けようとして飛んだその子が見えて……気がついたら、俺は足を川に突っ込んだ状態で起きて、女の子は俺の上で溺死した状態で乗っかってたんだ」
「それを、自分が殺したと?」
「だってそうだろう!? 俺があの時あの丘に連れて行かなきゃ……俺が落ちなきゃあの子は死なずに済んだんだ! なのに、俺……大人の人に見つかった時何も知らないって。何も覚えてないフリして、逃げたんだ」
「何故?」
「怖かったからに決まってるだろ! 起きたら自分の上で人が死んでたんだぞ……怖いに決まってるじゃないか……」
自身に縋る京介を拒絶する事もクリスカには出来たが、何故かそうしてやろうという気が起きなかった。まるで過去にも同じような経験をした事があるような、そんな奇妙な感覚がクリスカ自身の中にも生まれていたからだった。
「それから親父もお袋も死んで、姉さんが衛士になって、俺も衛士になって……BETAが初めて侵攻してきた戦いで撤退した先で、唯依に会ったんだ」
「タカムラ中尉に?」
「死んだ子もゆいって名前で、顔も似てた。だから思ったんだよ、俺は一生あの子の事背負い続けてくんだろうなって」
それは、と、思わずクリスカは反応した。思わず京介の肩を持って引き剥がすと、その開かれた目を見つめる。その瞳は、燻っていた。
「タカムラ中尉とその死んだ子を重ねて見ているのか? 貴様は」
「そう……かもしれない。違うとは分かってる、けど、どうしても思い出す時があるんだ」
京介はその時初めて、誰にも言った事の無い感情を曝け出した。かつて死なせた
「俺、
その一言は、話を隠れて聞いていた唯依の心に深く突き刺さってしまった。そしてクリスカはそれ以上何も言わず、ただ黙って京介を慰めるのだった。
翌日早朝、大破した雪風から発せられた救難信号を追ってやって来た味方の戦術機にユウヤ達は無事回収された。負傷していた京介や雪風を回収する為に送られてきた大型船の中で、京介は簡単な処置を受けて医務室で休むよう命ぜられる。途中無事に基地に帰還出来たステラに無事を喜ばれて抱きつかれたり、音信不通だったイーダル小隊のイワンやリコから謝罪を受けたものの、ベッドに寝転がる京介は疲労と船の揺れもあって騒ぐ事も無く、ジッと薄汚れた灰色の天井を見上げていた。最初は足を挫いていたらしい唯依も医務室に居たのだが、彼女は報告があるとしてそそくさと出て行ってしまっている。
ベッドの中で身体の至る所を包帯でグルグル巻きにされた上で点滴を刺されている京介に動き回る余地など無かったが、その脳裏では昨晩のクリスカとのやり取りが思い返されていた。どうして彼女にあんな事を喋ってしまったのだろうか、幾ら考えても今の京介には分からなかった。あそこまで自分の脆いところを曝け出すなど、どうかしていたとしか思えない。
(熱で逝かれてたのか? 俺……情けねえ)
点滴から伸びるチューブを忌々しげに睨んでいた京介の耳に、医務室のドアが開かれる音が響く。それが現状をより複雑なものへとかき乱す原因となるとは、その時の京介にはまるで想像もつかなかった。