※この作品はR-18です。

Muv-Luv The frayed memory/Carved memory   作:REDALERT

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Todesurteil /3

 

「------黒いF-15Eの集団か……俄かには信じられんが、ブレーメル少尉のカメラ映像にもきちんと映っている分信じざるを得ないか」

 

 

医務室で京介からの報告を聞いたイブラヒム・ドーゥルは、その顎鬚を撫でながらそう答えた。ベッドには上体を起こした京介が座っていて、他には唯依を除くアルゴス小隊の面々が揃っている。最初に謎の中隊との戦闘を離脱したステラの話よりも、戦闘の末撃墜されながらも生き残った京介の話の方が信憑性は高い。回収された雪風には、明らかに突撃砲で使用される36mm弾とその弾痕が残っていたからだ。

 

 

「連中、同じマークを肩のところに付けていました。黒い馬に、槍を持った兵が乗ったやつです」

 

「黒い槍騎兵団ってか? 騎兵なのにF-15E(イーグル)に跨いでるのか、洒落てるねぇ」

 

「茶化すなジアコーザ少尉。兎に角この件に関しては基地に戻った後報告する事にしよう、幸い要救助者三名は無事に発見された事だしな」

 

 

そう言ってドーゥルに視線を向けられると、ユウヤはバツの悪そうに後頭部を掻いた。それをダシにタリサが肘で小突くと、ユウヤはうざったそうにその手を腕を軽く叩く。

 

 

「ウラキ少尉の怪我については大丈夫そうだが、機体に関してはどうするのか決めているのか?」

 

 

「ユーコンにある不知火の予備パーツを使うか、日本から新しい不知火を送ってもらうか……分かりません。恐らくユーコンにあるパーツでどうにか出来るでしょうけど、それだと弐型用のパーツから回してもらうしか」

 

 

京介の報告を聞いてから、ドーゥルは良く休むようにと言って医務室を出て行った。残ったアルゴス小隊の面々はドーゥルを見送ってから、そのまま会話を続ける。

 

 

「しっかし分かんねえよなぁ、何だってあんなタイミングでステラ達を襲う必要があったんだ? ソ連の連中は出会わなくて、気付いたらステラ達と通信が取れなくなっていたーなんて言いやがるし。案外連中の所為だったりして」

 

「最初から疑って掛るのは止めなさいタリサ。問題は何故私達が、というより逃げた私ではなくキョウスケを殺しに来たのかということよ」

 

「しかし実力があるのか無いのか、よく分からない連中だな。大将には悪いが、十二機もいて戦術機一機も仕留められないなんて……」

 

 

悩む様子のヴァレリオ達を前に、京介は歯がゆさからグッと左手を握り締めた。それでも、当時の戦闘を自分なりに思い返した結果を口にする余裕はあった。

 

 

「連中、遊んでいるのか試しているのか、そんな感じがした」

 

「何だって?」

 

「じゃなきゃ突撃砲を持ってる俺に短刀で斬りかかるかよ」

 

 

管制ユニットごと胴体を撃ち抜いたF-15Eの姿を思い出し、京介は左手で顔を撫でた。良く考えなくても、自分は人を殺している。その事実が少しばかり、その肩に重く圧し掛かった。そんな京介の心情を察してか、ヴァレリオがふざけた調子で両手を上に上げる。

 

 

「しっかしユウヤも羨ましいぜ。少しの間とは言えユイ姫に紅の姉妹のボインちゃんと、美人二人を侍らせてたんだからな」

 

「冗談じゃねえ。係留してたボートは何故か流されちまうし、中尉もビャーチェノワも怪我やら体調不良やらで挙句戦術機が墜落してきたんだ。最悪だったよ、まあ……」

 

「まあ……?」

 

 

一瞬言い淀んだユウヤが京介を一瞥するも、それに気付いたのはステラだけだった。結局何でもないとユウヤは会話を切り上げ、疲れたからと言って医務室を出て行ってしまう。それに合わせて、ヴァレリオとタリサも京介を休ませようかと話を合わせて出て行った。

 

 

「じゃあ、基地に着くまでゆっくり休んでいてね」

 

 

「ああ、ありがとう。ステラ」

 

 

戦場から早々に離脱した事に罪悪感があったらしいステラもまた、差し入れの水や携行食糧を京介の枕元に置いていくと、最後に彼の頭を撫でてから医務室を出て行った。その事に気恥ずかしさを感じながらも、京介はステラの心情を分かったつもりでいた。

 

 

(お姉さんぶりたいんだな、アイツ。だからこうやって……はぁ、姉さんか)

 

 

自身の言葉で、京介は姉である夏希の事を思い浮かべた。騒がしいのと身体を動かすのが大好きな、強かな女性。ベリーショートの茶色い髪に、気の強そうな瞳。最後に交した言葉は何だっただろうか、あの中国大陸での戦いを生き残ったのだろうか。暫くの間考える事を止めていた唯一の肉親を、京介は酷く懐かしく感じていた。携行食糧の封を開けて中身を取り出しながら、その乾パンを噛み千切る。モサモサする口内の感覚を水で無理矢理押し込んで、京介は一息ついた。

 

 

と、再び医務室の扉が開かれる。

 

 

「……起きていたのか、京介」

 

 

開口一番、そう口を動かしたのは唯依だった。水着から黒いタンクトップに青いズボンに着替えてはいるが、肩から毛布を被っている。彼女は後ろ手でドアを閉めると、下向きの視線のままその場に立ち止まった。

 

 

「け、怪我はどうだ? 痛むのか?」

 

「……その目で見て大丈夫そうなら、そういう事で良いだろ」

 

「あ、ああ……そうだな」

 

 

京介が再び乾パンを口の中に押し込んで水で流し込むと、唯依は毛布を手の中で畳んでゆっくりと京介のいるベッドの淵に座り込んだ。気まずい沈黙が二人の間に訪れ、京介は口元についていた乾パンのカスを左手の指で弾く。右腕は、手の真ん中の部分まで包帯でグルグル巻きにされている。刺さっていた破片を無理矢理引き抜いたのが悪かったそうで、少しばかり指先の動きが鈍っていたからだった。

 

 

「その、すまなかった。我々の所為で皆に迷惑を掛けて、京介も襲われて……」

 

 

「はっ、俺が襲われたのはお前がそう指示したからってか? 自省するのは勝手だけどよ、関係無いことまで自分の責任にするんじゃないよ。……そういうの、腹立つんだ」

 

 

右手の包帯を左手で撫でながら、京介は必要以上に突き放すような態度を取ってしまった。それは今現在唯依といること自体、京介が避けたかったからであった。無人島での夜、クリスカとの会話の中で京介は普段考えないようにしていた事を、あろう事か自ら口にしてしまった。その所為で、京介は考えてしまう。自分が唯依(彼女)の事をどう思っているのかを。代替品(本人)か、取替品(別人)か。独りよがりの身勝手な考えだったが、京介にとっては重要な事だった。

 

 

「……すまない。雪風については、アラスカにある予備パーツを使って修理を行う予定だ。だから安心してくれ」

 

「おう。……もう話す事が無いんだったらさ、暫く一人にしてくれないか。基地に着くまで寝ときたいんだ」

 

 

わざとらしく欠伸までして見せて、京介は一人になることを強く望んだ。一人で考える時間と休む時間、その二つは今を逃せば、もう無いように京介は思っていた。だが唯依は何も言わず、ジッとベッドに座って下を見つめている。再び肩に掛けた毛布を掴む手には、少し力が入っていた。

 

 

「その……昨夜の事だ」

 

 

「昨夜?」

 

 

唯依が紡いだ言葉に、京介は首を傾げた。時間帯で言えば、その時京介はクリスカと共にいた。洞穴を出る前も戻った時も、唯依とユウヤは洞穴の中で寝ていたはずだと京介は記憶している。だがその疑問は、すぐに唯依自身の言葉で解決された。

 

 

「京介が寝ている間、交代で火と京介を見張っていようという話だったのだ。それで京介が起きた時はビャーチェノワ少尉が起きていて、次に私と交代するはずだった。そして起きてみれば二人共いなくて……」

 

 

一瞥。唯依はそのまま言葉を続ける。

 

 

「探しに洞穴の外に出たら二人を見つけて、そうしたらその……ッ!」

 

 

バチンッ、と大きな音を立てて、京介の左太腿が唯依の手で叩かれた。

 

 

「いって!?」

 

「は、破廉恥だぞ! あんな体勢でその、水着の女性と抱き合うなど!」

 

「見てたのかよ!?」

 

「そっ、そもそも、何時の間にビャーチェノワ少尉とあのような事をする間柄に……ッ!」

 

 

再び腿を叩かれそうだと察した京介は、左手で唯依の手を押さえながら自身を擁護した。選んだ言葉で言えば、火に油を注ぐ結果ではあったが。

 

 

「待て待て待て! 別に俺はクリスカとそういう関係になったつもりは------」

 

「クリスカ!? もう名前で呼び合っているというのか!」

 

「向こうはそうじゃねえって! そもそも名前で呼び合ってるのはお前しか……って訳でもないか、ステラとかタリサも名前だったな、うん」

 

「馬鹿!」

 

 

顔を真っ赤にして怒鳴った唯依は、自分の手を握っていた京介の手を腕ごと捻り上げた。痛みに顔を顰める京介だったが、すぐに手自体は離される。拗ねたような横顔を見せる唯依はベッドのシーツを左手でギュッと握り、右手でずれた毛布を元に戻した。急に黙り込んだ彼女の姿に疑問を感じつつも、京介は怪我をしている上に騒いだ事もあって本当に疲れていた。何を怒っているのかは、また体調が戻ってから聞けば良い。そう判断して、京介は唯依に言葉を掛けようとした。

 

 

「なあ唯依、あのさ------」

 

 

だが京介の言葉は、最後まで続くことは無かった。毛布を落とした唯依がその身を乗り出して、その唇で京介の口を塞いだからだった。グッと身体を強張らせた京介を前に、唯依はその両腕を彼の背に回し目を閉じている。その成熟しつつもまだ若さを持て余している肉体を僅かに震わせてしがみ付いてくる唯依の姿に、京介は思わず劣情を抱いた。少し遠慮がちに左腕をその背に回し、一度唇を離して息を吸い込めば自分から唯依の唇を貪る。舌を捻じ込み、絡ませ、唾液を交換する。脳みそが溶けるかのような感覚に酔いしれながら、京介はシャツの背中をギュッと掴む唯依の身体をより引き寄せた。その唇が離れた時、蛍光灯の光の下に銀色に輝く一本の粘っこい糸が伸びていく。頬を紅潮させて荒く息を吐く唯依の蕩けたような二つの眼(まなこ)が、京介の瞳を真っ直ぐに見つめていた。そ(・)れ(・)が(・)い(・)け(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。

 

 

「ああ------クソ、ダメだ」

 

 

その視線を受け京介は呟く。それの意味を唯依は理解出来ていなかった。突発的にやってしまった接吻という愛情表現の為の行いを、彼は受け入れてくれた。その事実だけで彼女の脳は思考を止めてしまっている。だからこそ、京介が自分の身体をベッドから押し飛ばした事に反応が遅れてしまった。

 

 

「痛っ」

 

 

「ダメだ……ダメだ! ダメだ!」

 

 

頭を抱えて絶叫する京介の前で、唯依は打ちつけた腕を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。そして震える京介に手を伸ばそうとすると、その手は思い切り京介の左手に弾かれた。掌に奔る痛みに、唯依は呆然とした。目の前の男は、何かに脅えているかのように頭を抱えている。

 

 

「京介……?」

 

「その顔で俺を見るなっ……頼むから……頼むから俺を見ないでくれ」

 

「そんなの身勝手だ! なら……ならどうして一度受け入れてくれたの? どうしてっ……私は貴方をっ!」

 

「身勝手だって思ってくれて良い! 拒絶した事を詰(なじ)ってくれて良い! けど今はダメだ、ダメ何だよ俺は……っ」

 

「唯依(わたし)は一人だけ(わたし)だ。死んだ彼女じゃない! ただ一言私自身(唯依)を見ていると言ってくれ、言ってくれれば……それで……っ!」

 

 

口元を押さえて医務室を走って出て行った唯依を見送る事も出来ずに、京介は脳裏を埋め尽くすゆいの顔と声に責められていた。まるで自分の事を忘れようとするのを許さないかのように、彼が大切な人を得るのを邪魔するかのように。幼い少女の言葉の羅列が、京介の精神を責め立てている。唯依の顔を見ていても、視界には水死体となったゆいの青白い顔が重なっていた。

 

 

「悪いのは俺なんだ……分かってる、分かってるよ……俺が殺したんだ……」

 

 

「そう、おかあさんにいわれたの?」

 

 

頭を抱えていた京介の耳に、ゆいのモノとはまた違う少女の声が響いた。顔を押さえる左手の指の隙間から京介が見たのは、開かれた医務室のドアからこちらを見ているイーニァの姿だった。その後ろには、心配そうな表情をしているクリスカの姿がある。

 

 

「イー……ニァ?」

 

 

「おかあさんにいわれたんだよね? キョウスケがユイをころしたんだって、ずっとわすれるなって。おかあさんがずっとなぐさめてあげるから、わすれなくてもいいんだって。そうキョウスケはいわれちゃったから、いまもくるしいんでしょ? けどおかあさんはもういないから、だれもなぐさめてくれない。キョウスケはそれをわすれちゃってるから、おもいだせなくてくるしいんだよね?」

 

 

近づいてくるイーニァの言葉が、深く京介の心に突き刺さった。その言葉は、彼がかつて心の奥底へと封じ込められていた記憶を呼び起こす。ゆいが死んで京介が大人達に見つかった日の夜、彼に何があったのかを。

 

 

 

 

あの日の夜、京介は両親の寝室で母と同じ布団に入っていた。父はゆいの父である人と共に居間におり、布団の中で幼い京介は母の腕に抱かれていた。母の腕の中で泣きじゃくる京介を、母・花陽はずっと頭を撫でて慰めてくれていた。

 

 

------良いのよ、京。もっと泣きなさい、泣いて良いのよ。貴方は今泣くべきなの……だって、人を殺しちゃったんですもの。

 

 

懐かしの母の声が頭の中に鳴り響く。だがその声色は、京介にとって聞き覚えのないもの。

 

 

------嘘ついたってお母さんには分かるのよ。あの子を殺したのは貴方よ、京? それを忘れたら絶対にダメ、一生忘れちゃダメなのよ。いいわね?

 

 

言葉で責め立てる。だけど身体は慰めている。

 

 

------けど大丈夫、京にはお母さんがいるでしょう?

 

 

声色が優しく、撫でる腕は強く。

 

 

------京が辛くなったら、何度でも慰めてあげる。

 

 

耳元で重く響く、母の声。

 

 

------貴方は私にだけ甘えていれば良いのよ。

 

 

独占欲が剥き出しになる、綻びが生まれていく。

 

 

------他の誰にも渡さない、貴方は私の大事な息子なんですもの。

 

 

京介は思い出した。かつての自分が、母に何をされたのかを。

 

 

 

浦城花陽、旧姓・暮山花陽の実家は所謂学者一家とも言うべき優秀な頭脳を受け継ぐ家系であった。男女問わず様々な分野で才能を発揮する一族の中で、花陽は心理学を専攻していた。青春を勉強と専門書を読み解く事に費やし、異性との関わりが無かった花陽が当時破天荒な事で有名だった浦城喜之助に衝撃を受ける事は当然であった。しがない一武家の出身でありながら斯衛にも入らず、ただの一衛士として帝国陸軍に入隊した変わり者。F-4Jを駆り訓練中の事故で死亡するまで、常に家族を第一にしていた父親でもあった。そんな喜之助の息子を産みたいと強く願った花陽は家を捨てる覚悟で浦城家に嫁ぎ、長女・夏希を生んだ。喜之助にとって子供が生まれた事自体喜ばしい事だったが、花陽にとってはそうでなかった。

 

 

彼女が欲しかったのはあくまで喜之助の血を引く男児であり、女児ではなかったのだ。

 

 

京介が思い返せば、母と姉の会話は殆ど無かった。父は姉弟を分け隔てなく接してくれたが、母が姉を褒めたり怒ったりするところを見た覚えが無い。京介の中の記憶と、新たに浮かび上がる記憶とでは、そこに大きなズレがあった。そうしてあの日の夜、京介はその母に何かをされたのだ。

 

 

暗闇を切っ掛け(キーワード)に、自らが知る人の死を強制的に思い起こさせる後催眠暗示を。それが京介が暗闇を恐れる直接の原因であり、また小さな少年の中で強烈なトラウマとなっていたゆいの存在を、より深く、複雑に、幼い少年の柔らかい心の奥底に刻み込む原因ともなっていた。それは単(ひとえ)に、愛する息子を何時までも自らの近くに置いておきたいが為。事実、喜之助が事故で亡くなり、そのショックで憔悴した花陽が気を違って首吊り自殺を行うまで、京介は何度も何度も母に慰められていたのを覚えている。花陽はただ息子を愛する為だけに、その息子の心を深く壊(・)し(・)た(・)。だが、その先の事に関して彼女は何も考えてはいなかったのだ。

 

 

自らの精神を崩壊させた彼女は自ら命を絶ち、甘える存在を、自身を慰めてくれる存在を失った京介はそのまま一人で生きていかざるを得なかった。姉である夏希は早々に家を廃し衛士の道へ、親族の家に送れられた京介は誰にも自らの抱える恐怖を打ち上げる事が出来ずに成長した。してしまった。家を飛び出す為に衛士の道を選んだ京介は、仲間達の死という出来事に何度も直面した。その出来事が彼に掛けられていた後催眠暗示の効果を悪化させ、結果として彼に沢山の死者からの恨み言という被害妄想を起させるようになる。加えてゆ(・)い(・)に似た篁唯依という存在が、京介の心を本人も知らないうちに傷つけていた。

 

 

自らの苦しみを他人に打ち明けられない、なのに苦しみの原因だけが増えていく。安らぎを得られぬまま、哀しみが積み重なっていく。誰かに理解して欲しい、けれどそれを伝える手段を知らない。苦しみを生み出す原因を求め、苦しんで、求められ、苦しんで、拒絶する。

 

 

逡巡の末、記憶の一部を取り戻した京介は自分を苦しめていた原因を少しだけ理解した。母が何をしたか、当時知らなかった事までは思い出せない。だが自分が何を求めていたか、何をして欲しかったのか、それを分かったような感じがした。

 

 

ただ同時に彼が抱いたのは、イーニァ・シェスチナという少女に対する本(・)能(・)的(・)な(・)恐(・)怖(・)であった。

 

 

「キョウスケ?」

 

 

暢気な犬のように首を傾げる幼い少女の眼が、自分を見つめている。その瞳の奥に得体の知れない何(・)か(・)を見た京介を前に、イーニァは哀しそうな表情を浮かべた。

 

 

「そっか……こ(・)わ(・)い(・)ん(・)だ(・)ね(・)、イーニァが」

 

 

その口の動きが、一挙手一投足が、京介の背筋を凍らせていく。少女が一歩近づいて来ただけで、まるで心臓を直接握られているかのような激しい鼓動が京介の全身を貫いた。イーニァは変わらず、少しだけ哀しそうな表情を浮かべたままだったが、ベッドに座る京介の目の前まで近づいた時にその表情を変えた。満面の笑み、見た目相応の無邪気さを孕んだそ(・)れ(・)に。

 

 

「ありがとう、キョウスケ。やくそく まもってくれて」

 

 

そう言うと、イーニァはすぐに背を翻して医務室を駆け出して行った。後に残されたのは、額に汗を浮かべた京介と、その男とイーニァの間で揺れるクリスカの二人。イーニァを追い掛けるべきか、それとも京介に何か言葉を掛けるべきか。そう迷う彼女に対し、京介は消えてしまいそうな声で問い掛ける。

 

 

「あの子は一体……何なんだ?」

 

 

それに対するクリスカの答えは、何処か哀しそうだった。京介に背を向けた彼女から放たれた言葉は、京介の介入を拒むもの。

 

 

「お前が知る必要は無い事だ」

 

 

その一言を放ち、クリスカもまたイーニァを追い掛けるべく医務室を出て行く。後に残された京介の中に残っていたのは、イーニァへの恐怖、過去の記憶、そして唯依と交した口付けの柔らかい感触だけだった。

 

 

「俺に一体……どうしろって言うんだ……?」

 

 

答えの無い問いを繰返すしか、今の京介には出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「四機が撃墜され更に三機が損傷、隊員は三名死亡……か」

 

 

グアドループから引き上げた第一中隊【黒色槍騎兵団】の隊長・浦城夏希は、自らの隊の損耗具合に腹を立てていた。予備の人員を使い自らは出撃しなかったものの、帰って来た部隊の状態は酷いものだったからだ。目的もある意味で達成出来ていない。彼女は隣に立ち報告書を読み上げている兵士を見上げると、ベッと床に置いてあるゴミ箱の中に唾を吐き捨てる。

 

 

「撃墜されて生き残った衛士は誰だい?」

 

「ハッ、えー……ジャックロード・マディン少尉であります」

 

「あの愚図か……生き残った連中の名前をもう一度読み上げろ」

 

 

イライラした様子の夏希に圧されていたその兵士は、少し慌てた様子で書類からガサガサと音を立てながら背筋を伸ばした。

 

 

「一番機、ブリッツ・フォン・フィールド大尉。三番機、ヴィレッタ・アルノバレル中尉。四番機、ジャックロード・マディン少尉。六番機、ロイド・バーナード少尉。七番機、ウィッツ・ブルーノ少尉。八番機、レベッカ・チェーン少尉。十番機、ロイ・ロン・フェン中尉。十一番機、ショウ・アズマ少尉。十二番機、キンバリー・ヴィアレッジ少尉……以上であります」

 

 

「死んだのは予備人員とカナン……チッ、まあ良しとするか」

 

 

夏希はお付の兵士から書類を取り上げると、彼のケツを叩いて自室から出て行かせた。古ぼけた執務机に強化装備に包まれた両足を乗せ、一枚一枚書類を捲っていく。自分達が集められた理由、自分達が戦う理由、これからの自分達が全てその書類に纏めてある。夏希は机の棚の中からマッチを取り出すと、器用に片手で火を点けた。

 

 

「因(・)果(・)律(・)干(・)渉(・)能(・)力(・)ねぇ……。ただの学者先生の戯言かと思えば、中々どうして面白いもんじゃないか。ねえ京介」

 

 

手に持った書類が目の前で燃えていくのを眺めながら、夏希は歪に口の端を吊り上げる。愛情、嫉妬、殺意、情欲、そういった感情の矛先を、夏希は京介に向けていた。生まれた時より母から愛されなかった哀しみ、その母からの愛を全て受けていた弟への妬み、そしてそ(・)の(・)弟(・)か(・)ら(・)母(・)を(・)奪(・)っ(・)た(・)罪(・)悪(・)感(・)。幼少期からの積み重ねられてきた恨み辛みの上に、夏希の人格は形成されている。愛する事は傷つけることであり、また命を危険に晒す事が最も愉しめる道楽なのだ。

 

 

強化装備の手の上に出来た灰の塊を部屋に巻いて、夏希は立ち上がる。背後の壁には、一枚の古ぼけた写真がナイフで固定されていた。その写真からナイフを引き抜くと、開放された写真はヒラヒラと床に向けて落ちていく。そして夏希が壁を正面に見据えたままナイフを下向きに投げると、再び写真はナイフによって固定された。その写真には、ナイフで何度も刺されたことによって穴だらけになった京介が写っている。もっと言えばその写真にはかつての浦城一家の姿が写っていて、母である花陽の顔部分だけが墨で黒く塗り潰されていた。彼女しか持っていない最後の家族写真、それを夏希は情け容赦なくボロボロにしている。それが彼女にとって過去を懐かしむ行為であり、塗り潰された母や穴だらけの京介とは違って、彼女が唯一尊敬する父の部分だけは何の傷も出来ていない。

 

 

「御父様、あの忌々しい女の血を引く私達姉弟が戦おう(愛し合おう)としている事を、御父様は許してくださいますか。もし許してくださるのでしたら……どうか、私達の行く末をただ見守っていてください。どうかその手を、御貸しにならないで」

 

 

目を閉じ、胸の前で手を組み祈る夏希。そんな彼女にとって最も神聖な時間を、一つのノックが邪魔をした。それは夏希に招集が掛かった事を知らせようとした兵士で、彼はつい先程夏希によって部屋を追われたばかり。その彼が自身の誤りについて気付いたのは、ノックしたドアの向こうから飛び出してきた銃弾がその頭部を貫通した瞬間だった。そして鮮血が飛び散った薄暗い廊下を前にして、夏希は嗤いながら事切れた兵士の身体を蹴り飛ばすのであった。

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