Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
その日、篁唯依とクリスカ・ビャーチェノワがその場所で顔を合わせたのは、全くの偶然という訳では無かった。浦城夏希達がユーコンへとやって来る際に使用した輸送機のカーゴ・ルームの中、ヴィレッタ・アルノバレルに連れられてやって来た唯依の目の前に、彼女は既にその場に立っていた。冷たい氷のような視線の先には、固定されたベッドに寝かされた包帯とチューブだらけの
「ビャーチェノワ少尉?」
唯依が思わず言葉を零すと、クリスカは飛び跳ねるようにベッドから離れて唯依に振り返った。そうしてその隣に立つヴィレッタの姿に気付くと、すぐに敬礼の姿勢を取る。ヴィレッタもまた敬礼を返すと、そのまま歩き出しベッドの傍へと寄った。一度そこに眠るものを一瞥した彼女は、すぐに唯依の方に向きなおして腕を組んだ。
「来なさい、篁中尉。貴女が会いたがっていた人がここに居るわ」
「っ」
その言葉に突き動かされるように、唯依は足早にベッドの傍まで近寄った。クリスカを押し退けるようにして包帯とチューブに包まれた
「京介……」
僅かに見える閉じられた左目と黒い髪、時折白く曇る呼吸器、上下する白い包帯に包まれた厚い胸板だけが、彼が生きている事を外部に伝えている。その胸板に手を添えて、唯依は閉じられた左目が開かれる事を祈った。だがその目を見つめる唯依に掛けられたクリスカの言葉に、唯依は珍しく怒る。
「彼の意識はまだ戻っていない。今ここで目を開けることは------」
「っ! それは貴様らが彼を巻き込んだからだろう! あの時、カムチャツカで!」
突如ぶつけられた唯依の怒声とその内容に、初めクリスカはBETAの基地への接近を許してしまった事を言っているのだと思っていた。前線で他の試験小隊の撤退を支援していた彼女が京介のMIAを知らされたのは、イワンを除くイーダル試験小隊のメンバーと共に帰還した時。基地を放棄する際に重要書類やデータを処分していたというイワンから事の顛末を知らされたクリスカが最初に感じたのは、何故かもう彼に会えないのだという酷いショックだった。他に戦死した同志達について思うところはあるが、それでも一々その顔がチラつくといった事は無い。しかしイーニァがその純真無垢な瞳で自身を見上げる度に、クリスカはその視線から逃れたいと思う事が少しずつ増えてきていた。それはまるでイーニァを恐れているかのようで、それこそまるで京介のように、クリスカはイーニァという少女に心の底を見られる事を嫌悪していた。そうして動揺を心に抱えつつも、クリスカは自身を睨む唯依に対して口を開く。
「カムチャツカでの戦いの事は分かっている。だがBETAの接近を予見出来なかった同志達は責任を取って最期まで基地に残り責務を全うした。それについては------」
「恍けるな! 私が言っているのは貴様らの上官が、サンダーク中尉が彼の身柄を確保しておきながら我々に黙っていた事だ! 知っていたのだろう、貴様も! だからここに居る!」
「何……? それは、それは一体どういう……こと……っ」
唯依から投げつけられた言葉に、クリスカは頭蓋を金槌で打ち砕かれたような感覚を覚えた。身に覚えの無い糾弾、自身の信じる上官が関わっているという言葉、乱れかけていたクリスカの思考回路は狂い始めた。耳鳴りがする、喉が異様に渇きだす、三半規管が逝かれ、平衡感覚が狂い、自分が立っているのか横になっているのかも分からない。目の前に立つ女とその背後にいる妖しい笑みを浮かべた女の姿が歪み、クリスカの視線が一瞬だけベッドに眠る京介の左目へと注がれる。そしてその開かれた左目の中、血走った瞳が自分を見つめていることに気付くと、クリスカはそのまま倒れ伏した。彼女が自分でも知らぬ内に、そのズボンの腰の部分に差し込まれていたマカロフに手を伸ばしかけていたことには、ヴィレッタだけが気付いていたのだった。
「……宜しいのですか、中尉。ビャーチェノワ少尉を彼女に会わせて」
イワン・ゲオルギー・レオニード・レズノフの言葉を受けたイェジー・サンダークは、持っていた一枚の書類を、執務机上に広げられていた大量の書類の上に置いた。それから手の指を組んで膝の上に置くと、彼は感情の無い冷たい言葉をその唇から零した。
「構わんよ。現状、最も必要なのはビャーチェノワ少尉の深層心理にウラキの存在を植えつけることだ。それに伴いシェスチナ少尉との繋がりを保ちつつ、彼女と共にいることに若干の嫌悪感を持つように仕向けさせる。要は如何に彼女にシェスチナ少尉以外の人物へ依存させるかという話なのだよ、レズノフ少尉。既に必要な
サンダークの言葉に、イワンは何も答えなかった。答える気も無かったし、イワンからすればサンダークの姿は滑稽だったからだ。彼は浦城京介という非常に不安定な存在を制御下に置けると核心し、また既に制御下に置いたと満足している。しかし事情を知っているイワンからすれば、その姿は愚者という以外に他ならなかった。祖国の為、党の為と言いながら、サンダークの行為はその実自らの計画を遂行することだけに行われている。その行為に加担している身であるイワンだったが、彼からしてみればロバートの指示の下にサンダークを誘導し易いようにしているだけだった。二重スパイの体を取りながらも、実際、イワンは完全なロバート側の人間である。歯車にされているのはどっちだと内心侮蔑の意を表しながらも、イワンはドアをノックする音に意識を傾けた。
「入れ」
「失礼します。サンダーク中尉、例のアルノバレル中尉からビャーチェノワ少尉が倒れたとの報告が」
サンダークの許可を得て部屋に入って来たのは、ユーリ・ミン・エゴロワだった。日頃は不良軍人の名を欲しいままにしている彼だが、その実サンダークの指揮の下イワンと共に様々な裏工作に従事している。だが彼はサンダークやイワンの知っている事実の一部を知らず、ヴィレッタから入れられた報告に関してもその裏に何があるかまでは知らないでいた。
「倒れた。ビャーチェノワ少尉がか?」
「はい、そう聞いています。あと……アルノバレル中尉から、弾はそのままにしてあるとの事ですが」
「……成る程。分かった、エゴロワ少尉はヴォルフ少尉を連れてビャーチェノワ少尉の迎えに行け。それと、アルノバレル中尉には十分な礼をしておくように」
「はっ」
敬礼した後、ユーリはイワンを一瞥するとそのまま部屋を出て行った。沈黙が訪れる中、イワンはため息混じりに口を開く。それは今さっき行われたユーリの報告に関するもので、言外にはだから言っただろうという非難の意が込められている。
「やはり無駄でしたな、中尉。例え本人が明確な殺意を持っていなくとも、彼は自らの命の危険そのものを察知している。……もしかすれば、彼が生き残る為の選択肢を選ぶ事
「因果律干渉能力者は他者の行動まで自分が生き残ることに利用すると? それは明らかな間違いであろう、レズノフ少尉。意識を失っている人間がどう他者の思考に干渉すると言うのだ。あれは明らかな自己防衛本能だ。因果律などという大層な単語を持ち出しても所詮はその程度の事だろう。死なないのではなく、死に難くしているだけなのだ」
何も分かっていない。そう非難する言葉をグッと飲み込んで、イワンは失礼しますと言ってサンダークの下を去った。そういえば今はユウヤ・ブリッジスが浦城夏希と戦っているはず------と、イワンは頭の中の優先順位を切り替えると、そのまま歩み続けた。かつてロバートと共に自分を嵌めたあの逝かれた女がどうなっているのか、それだけがイワンの興味の対象だった。
《はーい、あんよが上手、あんよが上手》
挑発するような女の言葉に、ユウヤは完全に頭に血が昇っていた。実機を使用した市街地戦を想定した演習の中で、ユウヤと不知火弐型フェイズ2は武器も持っていないF-15Eに翻弄されていた。相手の使用している機体はACTVに更新された事で使用されなくなったヴァレリオ・ジアコーザの機体で、しかも相手の衛士は何のフィードバック・データも無しに操縦している。条件で言えば圧倒的有利なはずのユウヤが、攻めているはずのユウヤは、何故か相手に追い込まれているような錯覚をその場にいた全ての人間が感じていた。
《このっ、何で当たらないんだ!》
突き出した長刀をギリギリのタイミングで上体を逸らして躱したF-15E、ユウヤはその胴体に手を捻って刃を押し当てようとするも、一瞬の内に噴射跳躍を行って後方へと下がったF-15Eに舌打ちせざるを得なかった。その目が視界に表示されたタイマーを見ると、そのタイマーは既に残り五分を切っている。十五分、それがユウヤに与えられた制限時間だった。
《案外良い動きをするじゃないか、想像以上だったよ。けれど中々どうしてやっぱり思った通り、動きが見易いねぇ!》
ユウヤの耳朶を不快に揺らした相手の声、浦城夏希の声が跳ね上がると、ユウヤは再び長刀を構え真正面から夏希の操るF-15Eに斬り掛って行く。戦闘が始まってから、ユウヤはずっと攻撃をギリギリのところで躱されては煽られるという不順なサイクルを繰返していた。武器も持たない戦術機一機を相手に、既に突撃砲のペイント弾は撃ち尽くしてしまっている。その一発すらも掠らない相手の力量に、ユウヤは焦っていた。繰り出した一撃を再び避けられると、ユウヤの身体を強い衝撃が襲う。跳躍した夏希のF-15Eが、不知火弐型の背中を思い切り踏みつけたのだ。
《ぐあっ!? クッソォ、負けてられないんだよ! 俺は!》
《その意気や良し! けど、アタシの目の良さがアンタの敗因さね!》
振り向き様に繰り出された斬撃、それが空ぶった時には既に、ユウヤは目の前に膝を曲げて拳を握りこんでいるF-15Eの姿を認識していた。夏希からしてみれば、そのまま立ち上がり様に胴体部にマニピュレーターを叩き込もうと考えていた。そうして衝撃を与えてふっ飛ばせば、制限時間を迎えてこの茶番は終わるだろうと。不知火弐型は長刀を振るった体勢のままで、懐は大きく開いている。だが夏希がF-15Eの拳を振り上げた時、彼女の目が不知火弐型の手から離れる長刀を捉えていた。
《ん------ッ!?》
刹那、夏希は操縦桿を引いてF-15Eを下がらせていた。目の前には、何時の間にか短刀を構えていた不知火弐型の姿がある。長刀を捨てたことに夏希が目を取られていた隙に、ユウヤは腕部ナイフシースから即座に短刀を引き抜いて思い切り振るっていたのだ。F-15Eの胴体部の一部に刃で削られた部分があるのを発見し、ユウヤは快哉を上げる。その言葉に自身が損傷を受けたのだと察した夏希は、設定していたタイマーが耳元でけたたましく電子音を鳴り響かせると、通信を切って管制ユニットの中でその茶色い髪を掻き上げた。
「ったく、これじゃあ後で褒めてやらないといけないじゃないか……。ブリッツ、雑用は終わったかい?」
プライベート・チャンネルで繋がっていた部下に夏希が問うと、ヘッドセットの向こうからはため息混じりの言葉が返って来た。その声色に夏希は思わずムッとしたが、それは自分が手傷を負った所為だと決め付けて、そのままブリッツからの報告に耳を傾ける。
《篁中尉は無事に彼と接触したようですが、やはりソ連側もビャーチェノワ少尉を嗾けてきたようです。問題はヴィレッタがそのまま二人を会わせたことですが》
「チッ、アイツも好きだな……。それで、どうなった」
《ビャーチェノワ少尉が倒れました。どうやら彼を撃つように暗示を受けていたようですが、失敗したようです》
「暗殺しようとしたって言うのかい?」
《いえ、どちらかと言えば確かめたのでしょう。サンダーク中尉はどうにもまだ我々がどういう存在か分かっていないようですから》
「分かった。アルゴスの連中との話を付け次第ここを離れるが、京介の生存報告に関してはまだ公表するな。適度なタイミングというものがある」
《了解》
通信を切ってから、夏希はイワンの傍にいた一人の男の顔を思い浮かべた。イワン・ゲオルギー・レオニード・レズノフ、数年前まで同じ部隊に居て、そして自分とロバートが裏切って使い捨てたはずの男。自分達の存在を恐らく外部の人間で最も良く知っているあの男が傍にいて、サンダークが詳細を知らないはずがない。もし知らないのであれば、それはイワンが------。と、夏希は途中で思考を振り払うように頭を振ると操縦桿を握り直した。ここで長考していても仕方が無く、兎にも角にも機体を返還してから相手の衛士をそれなりの言葉でもてなさなければならない。油断が、慢心が、言い訳をしようとすればいくらでも言葉が湧いて出てきても、夏希はそれを口にする気は無かった。自分が手傷を負ったということは、相手が自分に手傷を負わせられるだけの実力を持っていたということ。ただ、それでも、夏希は戦場で彼と戦う事があれば絶対に負ける事は無いという自信だけは持っていた。戦場での、戦いの勝利とは、最後までそこに立っていた者に与えられる。どれだけ傷ついても、相手が死ねばそれで良い。
「私が死なないのなら、相手が死ぬしかないじゃないか。ふふふ……」
自分にとって最高の玩具を手に入れた今、夏希の思考はグルグルと渦を巻いて多方面へとその感情を分散させていたのだった。そうしてその日の正午には、
9月も半ばを過ぎた頃、突如ソ連側から浦城京介の生存が公表された。カムチャツカでの戦闘に於いて病院へと運び込まれた重傷者の中に紛れていたという俄かには信じ難いその情報に、当初篁唯依を除くアルゴス小隊メンバーは疑惑を抱いていたものの、虚ろな目をした京介が自らの所属を述べている映像を見せられては何も文句は言えなかった。彼はソ連から直接日本へと送還されたらしいが、既に彼が生きていた事を知っていた唯依は巌谷に連絡を取った。あの映像の通り彼が意識を取り戻し日本の地に居るのであれば、必ず彼の下に顔を出しているだろうという自信があったからだ。だが巌谷の口から放たれた言葉は、唯依を再び暗闇の中へと引き摺り落とすかのようにその耳に響く。
------浦城京介が日本に帰国したという情報は入っていない、と。
その薄暗くも四角い巨大な空間には、十二基のシミュレーターが六基ずつ二列に向かい合って並んでいた。その全てが使用中であることを示す緑色のランプが点灯しており、それらを繋ぐ巨大なケーブルは床を伝い壁を昇り、その空間を上から見下ろす事が出来る小部屋の中にある大きなモニターに繋がっていた。そのモニターからは更に細いケーブルの束が複数のコンソールへと伸び、そのコンソールをインカムを付けた複数のオペレーターが操作している。無機質で感情のないオペレーターの声が、そのモニターを見つめる複数の男女の耳朶を打ち続けていた。
「レッド6、大破。レッド9、戦車級に取り付かれました」
「レッド3、レッド4大破。レッド12の自爆を確認」
「ブルー6、敵機撃墜、四機目です。ブルー8大破、ブルー10の自爆を確認」
無機質に連なるオペレーターの言葉に、モニターを眺めていたロバート・ギリアム・イェーガーはその黒い長髪を掻き上げてサングラスを外した。擬似生体によって埋め込まれた黒い眼球が露になると、その隣に立っていた黄儷が露骨に嫌そうな顔をして一歩下がった。それを邪魔そうにフェデーリカ・ジャンネッリが押し退けると、小柄な黄儷の身体が華奢なカシムの胸板に押し付けられる。カシム本人はと言えば、目深く被った帽子で目線を隠している為、その表情は分からなかった。
「二個中隊が入り乱れる中での対BETA戦、やはり当初の予想通り半分は使えないな。もう三日目だ、処分しろ」
「了解」
フェデーリカの言葉に、オペレーターの一人がコンソールを叩いた。すると既に
「ほぇー、初期の初期でやられるとああなっちゃうのかぁ。私何時も実戦での相手しかしてなかったから、初めて見たよ。気持ち悪いねぇ、あの赤いの」
「アンタ何時も相手の胴体を真っ二つに斬ってるじゃない。そっちの方がもっと気持ち悪いわよ」
「えー、だって死体残らないほうが楽じゃん」
水を差すように放たれたフェデーリカの言葉に黄儷が頬を膨らませると、オペレーターが戦闘の終了を告げた。その内容に満足したのか、今まで黙っていたロバートが口を開いてサングラスを掛けなおした。
「二十四名中十六名が死亡か。その内
「ブルー6、キョウスケ・ウラキ少尉です。戦術機を五機撃墜、BETAは合同スコアを含めて計八百八十二を記録しています。次いでブルー5、ニキータ・キース少尉。戦術機を二機撃墜し、BETAは合同スコアを含め計七百八十一体を記録しています」
「結構。……我々の情報操作にも限界はある。彼の身柄をこちらで拘束してから既に三日が経過しているが、あと四日間の内にやらせておきたい状況がざっと七十はある。健忘剤も多用すれば彼自身の記憶を壊し尽くしてしまうからあまり時間は掛けられない。五分間の休憩の後、ジャンネッリは彼含む生存者を率いて実機による演習を行え。無論実弾装備、相手は黄儷の【餓えた虎】だ」
「了解」
「はいはいっと。フェデーリカ、うちの子達は女にも厳しいからね、油断しないでよ?」
ため息混じりに黄儷の額を軽く叩いたフェデーリカはモニター・ルームを出て行くと、階段を降りてシミュレーター・ルームへと降り立った。既に
「クッソォー、散々シミュレーションしたかと思えば次は実機演習かよ。何なんだよこの部隊……訳が分からねえ」
ブルー5、ニキータ・キースがそう呟いた時、既に共に訓練を受けていたはずの仲間は半分以下にまで減ってしまっていた。八人の中で最も小柄な彼女は隣を歩く男を見上げると、わざとらしくため息をついて見せた。簡易ヘルメットという息苦しくなりそうな代物を脇に抱えたその男は、ニキータの知識が合っていれば日本人のはずであった。黒い髪と茶色い瞳、精悍な顔つきをしているが目に生気が無く、端的に言えばまるで死人のよう。
「おい、おい」
そんな彼にニキータが声を掛けると、虚ろな瞳が彼女の瞳を射抜いた。思わず身を竦ませるも、ニキータは強がるように鼻を鳴らしてその男を見上げてみせる。
「お前、日本人だろ? 名前、何て言うんだ?」
「名前? ……ああ、ブルー6だ。シミュレーションの間中、お前のケツについてた」
名前を聞いてコールサインを答えられたことにニキータは驚いたものの、すぐにそうじゃないと両手を振ってその日本人に抗議した。
「そっちじゃないって! 本名だよ、本名、フルネーム! アタシはニキータ・キース、大東亜連合から来たんだ。」
「ああ、そっちの名前か……さあ、知らないな」
「知らない? 知らないって何だよ、訳有りか?」
自分の名前を知らないという言葉の羅列を自棄になった訳でも無く言い放ったその男に、ニキータは更に問い続けるもそれ以上の回答は得られなかった。その事に腹が立ったものの、歩いていた通路が目指していたハンガーについた為、ニキータもそれ以上言葉を続ける事は出来なかった。大東亜連合に所属していた彼女は、何度か間引き作戦に参加し生存した後、辞令を受けてこの部隊へとやって来た。詳細不明、規模も不明、誣いて言えば連隊規模で隊員同士の演習を行い、それを生き残れば次の選考へと進めるといったところだ。既に彼女達は三日間のシミュレーター訓練を行い、当初は三桁程居た衛士もたったの八名にまで減少してしまっていた。落選した衛士は何時の間にか姿を消している事を疑問に思ったが、休む間もない訓練の過密さで今では居なくなった連中を考える人間の方が少ない。ハンガー内に多数の戦術機が管制ユニットを開いて衛士を待っている姿を見つけると、ニキータの目の前で自分達を引率していた褐色肌の女が振り返って立ち止まった。
「これより実機による演習を行う! 貴様らにはシミュレーション同様F-16が宛がわれるが、相手部隊に関しての詳細は明かさない。数は私を入れた貴様ら九人に対し、向こうは一個中隊だ。シミュレーション明けで疲れているだろうが、泣き言は言わせん。この訓練を経た時、諸君らは新しい自分を見つけるであろう。総員搭乗の後、ブリーフィングを行う。好きな機体を選べ、外も内も変わらんがな!」
褐色肌の女の声を受けて、八人の衛士達はぞろぞろと自分に宛がわれたコールサインと同じ番号の機体に乗ろうと歩き出した。その中には無論、虚ろな目をした京介とニキータの姿もある。ニキータはゆっくりと歩いていた京介に近づくと、その背をパンッと叩いた。訝しげな視線を向ける京介を見上げながら、ニキータは口の端を上げてドンッと自分の薄い胸を叩いてみせる。やや褐色に近いその肌に、京介は一瞬懐かしい感覚を覚えた。
「お前はシミュレーション通り、アタシとエレメントを組めよ! そっちの方がやり易いし、それで生き残れたからな! どうせペイント弾だし、派手に暴れてやろう。な!」
「……ああ、そうだな。頼んだぞ、タ------」
言い掛けて、京介は思わずヘルメットを取り落とした。99式気密装甲兜と呼ばれるそれはコーンと甲高い音を立ててから床を転がると、その顔を覆い隠す表面部分に京介の顔を映し出す。今自分が何を言おうとしていたのか、ふと脳裏に浮かんだ言葉が彼の強制的に封じられた記憶の扉をこじ開けようとしていた。だが今は演習前で、京介は監視される身である。
「ブルー5! 何をしている、早く乗れ!」
「っ、了解」
褐色肌の上官らしい女の声に顔を顰めると、京介はヘルメットを拾い上げてF-16ファイティング・ファルコンの管制ユニットから降りている昇降用ワイヤーに掴まった。黒く塗装したその機体を見ていた京介は、耳の奥で雷雨の音が響くようなざわつきに気持ち悪さを感じながらもシートに身体を固定し、管制ユニットを作動させる。そしてヘルメットを被れば、彼の頭を悩ませていた全ての雑音が遮断されるのだった。
「ブルー6、準備完了。……そう、だな。こうしていると、とても落ち着く」
そして感情の無い声で報告した後、京介は一人操縦桿を握りながら天を仰ぐのである。すぐ目の前に、列を成した死神が待っているとも知らずに。