Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
「……それじゃあ、そろそろ教えてもらおうかしら。
合成コーヒーの匂い漂う部屋の中、やや古ぼけたソファーに座っていた白衣を着た女性はそう言った。彼女の目の前にはC型軍装を身に付けた一人の少年がおり、その瞳はジッと目の前の女性を見つめている。少年といっても、その顔付きと体付きは子供のそれではなかった。瞳の奥には底なし沼のような黒が広がっていて、その全身から醸し出している雰囲気もまるで何度も死線を潜り抜けたような威圧感を周囲に与えている。言い換えれば、それはその少年が何処と無く何かに疲れているように見えた。
「一応言っておくけれど、私はアンタをそれなりに信頼してはいるわ。アンタの言う事も、やる事も、私にとって渡りに船だったもの。少なくとも、いきなりポッと出て来た一介の子供に出来る訳がないことを、アンタはやってみせた。その点に関しては、私はアンタを信頼している。だから教えなさい、この私でも情報を集めるのに梃子摺った部隊が一体何なのか」
白衣の女性の言葉に、軍服を着たくたびれた少年は少しの間を開けてから口を開く。
「……彼らは、俺達が今まで
くたびれた少年------白銀武はそう言うと、ギュッと両拳を握り締めた。胸の奥から込み上げているのは怒りか哀しみか、武はジッと目の前に座っている白衣を着た女性・香月夕呼がコーヒーに口をつけるのを見てから、その反応を待った。喉を一度鳴らしてから、夕呼はフンと鼻を鳴らして口を開く。
「つまりこういうこと? アンタやそのロバートとか言う男が何度も世界を繰返した中で出会った仲間達を、そのロバートがこの世界で集めなおしているって訳? 何の為に? 昔の記憶があるのはアンタとそのロバートって男だけで、他の連中はアンタらのことなんか何にも覚えていないんでしょう?」
「そうです、恐らく今までの経験の全てを覚えているのは俺とイェーガー大佐の二人だけです。他の人達には何の記憶も残っていないでしょう。だけど彼らは記憶こそ引き継がないものの、確実にその身体には繰返してきた戦闘経験が刻み込まれているんです。その事に目をつけたイェーガー大佐が夕呼さんの提唱した因果律量子論に合わせて発表したものが、因果律干渉能力なんです」
「度重なるループを経ることによって記憶以外の経験を蓄積していく連中、それを集めたものがあの連隊だって言うのね? 白銀」
はい、と短く答えた武は目の前のテーブルに広げられていた資料の何枚かを手に取った。それは現在ロバートの連隊にスカウトされ、且つ武自身とかつて面識があった人物のものが選択されている。その中の一枚を選ぶと、武は夕呼の目の前にそれを差し出した。顔写真が掲載されている部分には、褐色の肌をした一人の女性衛士の姿がある。それは紛れも無く、ニキータ・キースのものであった。
「例えば彼女、ニキータ・キースはかつて結成されたハイヴ攻略メンバーの一人でした。初めて共に出撃した時は戦車級に喰われた彼女が、何回かの繰り返しの後に再び顔を合わせた時には大東亜連合のエースとして名を馳せるようになっていたんです。演習で手合わせした時も、その実力は桁違いに向上していました」
「たまたま、その時の彼女がそうだったという話じゃないのかしら?」
「では、彼女以外の衛士達も同じようになっていたとしたら? 少なくとも俺が初めて
武はそう言って手の中の書類の順番を入れ替えていくと、その中の一枚を手に取った。
「そしてそのエース達をイェーガー大佐は自らの下に集めて、自分の目的を果たそうとしている。その目的の全容は俺には分かりませんが、全ての鍵を握っているのが誰かは分かります」
「その人物が、アンタが躍起になって私に探すように言っていたあの男って訳ね」
大きく頷いた武が再び差し出した書類。それは浦城京介のもので、武はその顔写真を見ながら口を開いた。そこから放たれた言葉の羅列は尊敬と後悔の念が交じり合っており、再びコーヒーを口に運んだ夕呼は、武のその様子だけでもこの浦城京介という衛士の重要性を理解出来ていた。一度MIAと宣言されたものの奇妙な間をおいてソ連から生存報告が出されたこの衛士、その衛士が一体何者だったのか。それは今、武の口から語られている。
「俺がかつての世界で配属されていた日本帝国斯衛軍第16大隊の中でも、常に最前線で戦う斑鳩様を警護していた【
「こいつも記憶を継承しているというのかしら? それだとさっきまでのアンタの言葉と内容が違ってくるわよ」
「そうです。だから正確には
武は一度手で顔を覆うと、何処か遠くを見るような目をして自分の掌に視線を落とした。その姿に、夕呼は怪しむような視線を向ける。
「俺があの人に会った時、あの人は何時も自分の大切な人を失っていました。繰返す度に、何度助けようと足掻いても彼にはそれが出来ないんです。だから彼の精神は疲れ果てて、消耗して、やがて本能的に記憶の継承を止めてしまった」
「その男がどうして鍵になるのか、教えてもらえるかしら」
夕呼の言葉に、武の視線が鋭くなる。そして彼の口から放たれた言葉は重苦しく、夕呼は思わず息を呑んだ。武の言う京介の重要性、それがまるで
「記憶を引き継がないと言っても、彼の身体には俺達のように何十回……いや、下手をすれば何百回と繰り返し戦ってきた経験があります。けど、記憶を引き継がないことによって彼はその本来の実力を発揮出来ないんです。もしイェーガー大佐が何らかの方法で彼の記憶の枷を外し、制御下に置くことに成功した場合、彼は俺達にとって最大の障害になる」
「アンタでも勝てないって言うの?」
「いえ、恐らく勝てます。けどそれには、この横浜基地の全兵力を投入した上でその殆どを捨て駒にしなければなりません。一対一なら兎も角……彼とイェーガー大佐の二人を同時に相手にするとなると」
夕呼が深いため息をつくと、彼女はそのままコーヒーを一気に飲み干した。それを乱暴にテーブルの上に置くと、彼女は冷たい視線を武へと投げつける。
「この横浜基地にどれだけの戦力があるか分かっていっているのよね、白銀。それでもアンタはそう言いきるのかしら」
「現状、伊隅中隊を以てしても半分は死にます」
「っ」
「最大の障害となるのは彼とイェーガー大佐ですが、それ以外にもう一人います。彼の姉である浦城夏希、彼女もかなりの腕前です。それに加えて連隊規模の部隊を、イェーガー大佐はここへ送り込んでくるでしょう。12月31日------
桜花作戦、その言葉に夕呼は思わず眉を動かした。武はそれを見ていながらも無視し、今まで話していた最悪の事態を回避する為の策を口にする。その為の下準備は、既に着々と進められていた。
「そうならない為に今まで出来る限りの手を打ってきたんですよ、夕呼さん。既にソ連は彼のMIA報告を取り消し、日本帝国内でも行方不明になった彼の捜索に本腰を入れようとしています。そうなれば、恐らく後三日程でイェーガー大佐は彼を日本へ送らざるを得ないでしょう。あとは再び彼がアラスカへ送られるのを待って、行動を起せば良い」
「連中が再び接触するより先に接触しようって訳ね。それで? そこには私も行かないといけないのかしら?」
「お願いします。表向きには、XFJ計画の進行具合と不知火弐型の性能評価という体で。そこで俺が彼に接触し、こちら側へ」
「そいつはすんなり着いて来てくれるのかしらね」
「そうしてくれるようにします。向こうの仲間達には悪いですが、こっちも形振り構っていられないので」
武の言葉に、夕呼は何度目か分からぬ深いため息をついた。初めて目の前の少年に会った時、彼は自分がかつて提出した論文の内容と、現在進行させているオルタネイティヴ4について自分以外知らないはずの情報とを完璧に語って見せた。そしてシミュレーションとはいえ、単機でハイヴ攻略をも達成して見せた。身体能力も、戦術機の操縦技能も、知恵も兼ね備えた超人とも言うべきその存在を語る言葉を、夕呼は信じざるを得なかった。彼が現れたことで今まで停滞していた研究の一部が進み、彼女に利益を齎したからである。ギヴアンドテイク、そう言われてしまえば、彼女も例えそれが本意でなくとも従わざるを得ない。本来ならばそんな事を絶対にするはずのない彼女であっても、白銀武という少年が齎したものの大きさを考えれば。
「因果律干渉能力なんてものは存在しない。あるのは戦い続ける事を望んだ俺達と、それに巻き込まれてしまった人々だけ……。今度こそ、俺は勝たなくちゃいけないんだ。絶対に……」
マグカップに残っていた合成コーヒーの香りに意識を傾けていた夕呼は、その武の呟きを聞かないフリをしていた。彼が何を考え、どうしたいかまでを気にする必要は無い。ただ自分の成すべき事を成す為に、互いを利用する関係でいれば良い。武が執着している
同時刻。
「------そう、あの時、君は確かに言ったはずだ。因果律干渉能力なぞ存在しないと、死なない衛士は有り得ないと」
ロバート・ギリアム・イェーガーは一人、自らの寝室でブランデーの瓶を口元に傾けていた。露になった黒い眼球は灯りの無い天井を見つめており、アルコールで赤くなった顔と比べれば、正に化け物と言う表現が似合っている。その脳裏には、かつて同じ境遇の同志として人類を勝利に導くという誓いを結び、そして今では仲違いの末互いを憎み、殺し合うようにまでなってしまった一人の少年の姿が浮かんでいる。
「では教えてくれ給えよ。一体この世界の何処に
ブランデーを半分程飲み干したところで、ロバートはベッドに座り壁に背を預けた。自分に言い聞かせるかのように口から放たれる言葉は止まらず、ロバートは自らの記憶を再認識させていく。
「俺達はただのガキだよ、白銀。自分の思い通りにいかないからといって駄々を捏ね、自分の思い通りにしたいからと他人の命を弄ぶ。そうさ、お前は俺に言ったさ。アンタはただ悪戯に人の命を弄んでいるだけだと。……だが、貴様はどうだ? 俺と何が違う? 貴様は所詮自分の近くにいる人間を死なせたくないだけなんだろうに。そいつらの誰かが死ねば、お前は人類の勝利を目指すと言いながらも結局は次のやり直しを望んでいる。そういう卑怯な奴なんだよ、お前は」
瓶が軽くなり、ロバートは長髪を掻き上げる。互いの対立が決定的になったあの日、あのループ、あの繰り返しの日。ロバートの命を奪ったのは白銀武が放った一発の銃弾だった。その時撃たれた胸を空いている手で擦り、ロバートは嗤う。
「っ、ふははははははははは! ははははははははははは! 人類の勝利の為により完璧な軍隊を作ろうとしている俺と、自分のエゴでしか戦えていない貴様とで、一体何が違うと言うんだ! あははははははは! 同じじゃないか、俺達は! あの時もそう言ったはずだ、俺達は繰り返し戦う事を義務付けられた兵士だと! ははははははははは!」
ブランデーの空き瓶を壁に投げつけたロバートは、割れたそれが床のカーペットに小さな沁みを作りながらも、細々としたガラスの破片が光に反射して煌くのをジッと見つめていた。そして両手で顔を押さえ、天を仰ぐ。その手の間から漏れる声は、懺悔と、怒りと、渇望に満ちている。虚しい男の叫びは、彼を追い詰めるかのようにその部屋中に響いた。
「だから俺達ではダメなんだ! 俺達のような
顔に指が食い込んだ痕を残すロバートの額から、突き刺さった爪によって出来た傷から垂れた血が流れていく。それを乱暴に拭い、ロバートはベッドに背を預け絶叫し続ける。それは彼にとって必要な発作のようなもので、そうしなければ彼は自分の脳を埋め尽くす長く永遠にも思えるかのような戦いの刺激に、壊されてしまうからだった。その発作が治まった時、ロバートは何時もの自分へと戻る、否、戻る事が出来る。
「ああ、そうさ、やってみろ。既に策は張り巡らせた、如何に貴様が彼を手元に置こうとも、思うようにはいかないさ。嗚呼、決着をつけたいな……白銀君よ。君の信じる人類の可能性とやらを私に見せてくれ。そうすれば私は、そんなものは無いと答えられるのに……」
奇妙な運命の螺旋に囚われていた男が二人。それは長く続く戦いの果てに歪んでしまった存在であり、彼らは根本的な意味で言えば同一の存在だった。ただ僅かな思考のズレ、人間関係の違いだけが、彼らを彼ら自身だと認識させている。
最初は一人の少女の儚い想いのはずだった