Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
家を飛び出した京介が向かったのは、最初に少女を見かけた駄菓子屋の前だった。だが当然とでも言うべきか、そこから何処かへと駆け出してしまった少女は戻ってきてはおらず、京介は彼女が向かって行った方へと再び駆け出した。その先には今日遊んだ川があり、その近くは日が落ちてしまうと薄暗くなりとても危険なのだ。土地勘も無さそうなあの少女がもし川の近くで足を滑らせでもしたら------縁起でもない事を浮かべた頭を強く振って京介は前に向き直ると、一瞬だけ空を仰いだ。既に日は落ちかけ、辺りは暗くなり始めていた。
「何処行ったんだアイツ……」
川の近くまでやってきた京介は、必死に目を凝らしながら少女を探していた。川のせせらぎを聞いて川までの距離を確認しながら、慎重に足を進めて行く。あまり動物が出てこない地域なのが幸いかと京介が思っていると、何処かから誰かがすすり泣いている声が聞こえてきた。耳を澄ますと、確かに誰かが泣いている。すぐにあの子だと判断した京介は、声の聞こえる方へと歩き出し、すぐにその足を止めた。声が聞こえてくるのは川の方で、京介の記憶が正しければ今居る位置から川へ降りるには、日があるうちは問題は無いが逆に日がなければ危険な坂道を降りるしかないのである。しかし、もしこうしている間に少女が勝手に動いてしまっては元も子も無い、そう判断した京介は持ち前の意地を発揮しその足を坂道へと差し出した。
「------ってぇええぇぇ…………!」
当然というべきか、勢い良く坂道へと踏み出した京介を待っていたのは足を滑らせ転がり落ちるという結果であった。身体の彼方此方を打ち付け、すり傷を作り、顔に泥が付く。そうしてのた打ち回っていた京介がふと気付いた時、空には満月が見えていた。そしてその満月と自分の顔との間に、例の少女の顔があった。
「だ、大丈夫……?」
不安そうに声を掛けてきた少女に、京介は安堵したのか大きく息を吐いた。漸く見つけたと安堵したのも束の間、京介は上体を起こすと少女の顔を一瞥した。その目は最初に見た時よりも赤くなっているように見え、京介は痛みを我慢して彼女を安心させる為に笑顔を見せる。少し引きつり気味だが、少女を安心させるには十分な笑顔だ。
「っつつ……、お前のお父さん、うちに用事があった人みたいらしいな。家に帰ったらいきなり娘がいないって言われて、びっくりしたよ」
「え……じゃ、じゃあ貴方が浦城さん?」
「そ。浦城京介ってんだ、俺。お前は?」
え? と不思議そうな顔をした少女に苦笑しながら京介は服を叩きながら立ち上がると、その手を少女に差し出しながら再び問うた。彼女の名を。
「名前だよ、お前の名前」
「あ……えっと、
ゆい、良い名前だと京介が思うと、彼女は思っていたよりも強い力で彼の手を握り立ち上がった。少し汚れてしまった浴衣を片手で叩いてから、彼女はバツの悪そうな表情を浮かべた。恐らく父親と再会した時に、怒られてしまうことを恐れているのだろう。そう判断した京介は、特別に彼女を自分のお気に入りの場所に案内してやろうと決めた。だが京介はこの時、自分で分かっていたはずの危険から、無意識に注意を逸らしてしまっていた。そしてその事実は、すぐに思い知らされることとなる。
川の近くには木々がまばらな林が一つだけあり、その中を通って行くと小さな丘がある。そこからは大きな滝が見え、数m下にも別の川が流れている。その丘の上にゆいを連れた京介が到着すると、そこから見える光景にゆいは息を呑んだ。
「綺麗……」
彼女の目の前に広がる光景、それは大量の蛍だった。通常蛍は初夏に見るものとされているが、この時期のこの場所にだけ、大量の蛍が現れるのだ。それを偶然京介が発見したのが親の教育に耐えかねて初めて家出した三年前の事であり、それ以来何か嫌なことがあった時にはこの丘に来て滝を見たり夏の蛍を見たりして気を紛らわせていたのである。京介は隣で蛍に見惚れているゆいの顔を覗き込むと、少しはしゃぎ気味だったゆいはハッとして俯いてしまった。その様子がおかしくて京介が声を上げて笑うと、彼はゆいに話しかけた。
「ここさ、俺のお気に入りの場所なんだ。何か嫌な事があってもここに来れば色んなものが見える、色んなものを見せてくれる。そうしたら嫌な事なんて全部吹っ飛んじまって、また頑張ろうって思えるんだ。……だからお前もさ、お父さんに怒られるかもしれないけど、この蛍の大群を見れたと思えば何ともないだろ?」
そう言って京介が丘の端の方まで歩いてから振り返ると、ゆいは完全に蛍の織り成す光の幻想に意識を奪われているようだった。自分の今言ったことがただの独り言だったかと思うと途端に恥ずかしくなったのか、京介はわざとらしく二度咳払いをして彼女の注意を引いた。そうしてようやっと彼女の視線が自身に向いた時、京介はもう一つの
「ここ、冬になるとあの滝が凍るんだ、カッチカチにさ。それで雪がここにふわぁって振ってくるんだけど、もしそこで強い風が一度でも吹くと、振ってた雪がぶわぁっ! て舞い上がるんだ。そしたら振ってくる雪と上がってく雪が風のにって竜巻みたいになって、鳥肌立つくらい凄いもんが見られるんだ。俺はそれを
「雪……風?」
「そ、雪風。だから次は冬にまた来いよ、そしたら雪風、見せてやっからさ!」
「……うん!」
初めて見る満面の笑みに思わず京介は赤面してしまうと、その気恥ずかしさを隠そうとしてか大げさに頭を掻いて見せた。ずっとこの丘にいる訳にもいかないし、そろそろいい加減帰らないと母さんにも怒られる。そう思って京介が帰ろうとゆいに言い掛けた時------ぶわっと一際強い風が林の方から京介に向けて吹いてきた。普段なら何でもないただの風だが、浮き足立っていて、更に丘の端の方に立っていた京介にとってそれは最悪の風だった。
「え------」
足が地面から離れ、視界が反転する。空と月が下に落ち、川と地面が上に上がって行く。頭から数m下の川面に叩きつけられた京介が次に見たものは、丘からこちら目掛けて飛び降りてくる、泣きそうな顔をした
十年程前の苦い想い出。そんな現実逃避から京介の意識を無理矢理現実に引き摺り下ろしたのは、あの時から何も変わらない姉からの怒号だった。
「さっさと起きろ京介! 来るぞ、敵だ!」
「っ!」
敵、その言葉に全身が痙攣したかのような感覚を覚えると、京介は操縦桿を動かしコンテナから自機・陽炎を離脱させた。両手に突撃砲を持つ自機の状態を確認した上で、自分が付いて行く模造不知火と陽炎のバックアップに付く。何時の間にか基地の撤退は終わっていたようで、口元の妙な乾き方から自分がそれに気付かない程熟睡していたのだということを悟る。レーダーは真っ赤な光点で埋め尽くされており、京介は一瞬全身が恐怖で震えているのか敵の地響きで揺れているのか判断がつかなかった。結局のところそれは両方が原因であったのだが、金霧大尉の号令に合わせて空中に飛び上がった時には、もう泣き言を言う暇など残されてはいなかった。
突撃級、全長18m程のそれはBETA群の先鋒を担う多足歩行大型種である。前面に頑強な装甲殻を持ち、BETA内では最大の防御力を誇るとされている。だが恐ろしいのはその最高速度約170㎞/hに達する前進速度による
「敵影確認! 突撃級及び要撃級を確認! 各員全兵装使用自由、攻めろ!」
金霧大尉の号令の下、京介達は眼下を通過していく突撃級に対して振り返りながら突撃砲の引き金を引いた。放たれた弾丸はその肉体の柔らかい部分を貫通し、中身をグチャグチャにしながらその活動を停止させる。だが全てを相手にする必要は無く、レイダースがやることは少しでも多くのハイヴ周辺のBETAを減らすことにあった。その彼らの前に、新たなBETAが姿を現す。
要撃級、それはBETA群に於ける大型種の約六割を占める多足歩行種で、防御力や対人探知能力にも優れるBETA戦力の中核をなす種の事だ。ダイヤモンド以上の硬度を持つ頑強な二対の前腕を最大の武器としている蠍のようなそれは、その前腕を駆使した近接格闘能力と正面に対する防御力が高い。そのため、この要撃級も突撃級と同じく側面、もしくは後方からの攻撃が推奨されている。その要撃級に目の前で分隊長の模造不知火を地面に叩き落されると、京介ともう一機の陽炎は突撃銃を乱射しながら後退し始めた。ヘッドセットに向かって援護を叫ぶ京介だが、次第にその声はただの雄たけびと化していた。
「うああああああああああああああっっ!!!!!!」
両腕の突撃銃のマガジンが切れれば補助アームによる自動装填が行われ、その間にもう一機の陽炎が援護射撃を行い押し寄せる要撃級を残骸へと変えて行く。だがしかしそれを繰返していても勝てる道理は無く、他の小隊と分断された二人はすぐに弾切れとなり近接武器による接近戦を余儀なくされる。逃げ出したい衝動に、思い切り吐瀉物を吐き出しい気持ち悪さに、死にたくないという恐怖感に脅されながらも、京介は必死に操縦桿を握り締めBETAと戦っていた。しかし多勢に無勢、二機の陽炎でBETAの大軍を卸し切れるはずもなく、次の瞬間には京介のヘッドセットからもう一機の陽炎の衛士の悲鳴が響いていた。見れば、要撃級に腕を潰された陽炎が、突撃級の突進を受けて踏み潰されてしまっている。ふと気付けば、自身の目の前にも要撃級の腕が迫ってきていた。自分もここまでか、こんなところで死ぬのか、そう京介が諦めて死を迎えようとした時、彼の意識は強い衝撃と共に消失したのだった。
「------おい、おい、起きろ」
ふと自らの身体を揺らす存在に気付くと、青年はハッと目を覚ました。黒く乱雑にカットされた黒髪を掻き上げた青年は、寝ていた自分を起した男に視線を向けた。黒一色の強化装備に同色のジャケットを羽織ったその男は、日本人では無かった。脱色したのか元々そんな色なのか、珍しく銀色の髪色をしたその男は青年にとって唯一背中を預ける事が出来る存在である。そんな彼が手に酒瓶を持っているのを見ると、珍しいなと青年は声を上げた。
「ドイツ人は温いビールしか飲まないって聞いたぜ。……ビールも無いのか?」
「ここはソ連だ、あってウォッカくらい。諦めてそれを飲め」
言いながら青年に中身が大分減っているウォッカの瓶を投げ渡すと、男は天を仰いだ。その先には、黒いカラーリングを施された一機の戦術機が仁王立ちしていた。【F-22Aラプター】、米国陸軍の主力第3世代戦術機だ。戦域支配戦術機の異名を持ち、対戦術機戦闘を視野に入れた設計からパッシブ・アクティブステルスを入念に導入しており、正面からの接近ですらレーダーから発見されにくいステルス性能を持つ。その右肩に獅子の頭部を模したエンブレムが描かれた機体を男が眺めていると、隣でウォッカの瓶を仰いだ青年が派手に咽た。咳き込む彼を見下ろすように、ラプターの隣にもう一機戦術機が並んでいる。
インディゴ・ブルーに塗装されたその機体は【Su-47 ビェールクト】、ハイヴ攻略・制圧戦における密集格闘戦を主眼に再設計が施され、究極の機動近接格闘性能を追求した強化改修機。近接戦性能向上を図り増設・大型化されたスーパーカーボン製ブレードベーンにより制御困難になった空力特性を補佐するため、西側最新アビオニクスの導入とOBLへの換装が施されている。結果としてその処置が、高効率・高出力の跳躍ユニット主機との相乗効果を生み、三次元多角形機動とも言うべき驚異の運動性能を獲得した機体だ。
ラプターが初めて実戦配備されたのが2001年、ビェールクトも最初に配備されたのは2001年という記録が残っている。双方共に開発国も合わせて同じ場所に並ぶ事は殆ど有り得ないが、それは乗り込む衛士の国籍もまた有り得ないことであった。アメリカ機にドイツ人が乗り、日本人がソ連機に乗る。通常ならば絶対に有り得ないこの事態を説明出来るのは、彼らの境遇だけであった。彼らが現在いるのは故郷から遥か遠くのシベリアの前線基地、ここに配属された部隊はシベリアに存在するハイヴ攻略作戦の為に多数のBETAを誘き寄せる囮部隊の任務が与えられている。直接的に言えば、ただの使い捨てだった。軍法会議に掛けられれば即銃殺刑は免れないような事を仕出かした衛士達が一同に集められ、死ぬのならばせめて少しでも人類の役に立って死ねという命令を与えられたのだ。彼らの中には国連内にて組織されていながらも一般には存在が認知されておらず、その為に自らの情報を秘匿さえしていれば機体に関して特別に融通を利かせて貰っていた者もいる。だが彼らは裏切られ、捨てられる運命にあった。
「本当、やってられっかよ。あの基地司令、やっぱ殺しとけば良かったぜ」
咽ていた青年が呼吸を落ち着かせて物騒な事を言い出したかと思えば、その顔が僅かに赤くなっているのを見て銀髪の男はもう酔っているのだと察した。それから自分も瓶を仰ぎ、喉が焼けるような酒を一気に胃へと流し込む。カッと目の奥が熱くなるも顔は白いままで、男は青年のぼやきに応えた。
「そうだな、お前がそうしてくれていれば俺も何処かへ逃げる事が出来たんだが。全部おじゃんだ」
「うっせーよ、どれにしたって他の連中が逃げ出してもお前だけはとっ捕まえて無理矢理にでも引っ張り出してやる。死なば諸共だ」
「悪いが断らせてもらうぞ、俺にそんな趣味は無い」
互いに憎まれ口を叩き合いながらも、二人の間には全く嫌悪感等と言うものは無かった。幾度かの戦いを共にし、時には本気で殺し合った結果、二人の間には奇妙な友情のようなものが出来上がっている。勿論二人のその存在を確認しても、即刻否定されるのが関の山だったのだが。青年は残っていたウォッカを飲み干すと、空いた瓶を適当に放り投げた。勿論コンクリートの床に落ちた瓶は音を立てて細々とした破片へと姿を変えるものの、青年は全く気にする様子も無く、寧ろ喧しいとでも言いたそうな顔をしたまま歩き始めた。その背中に、銀髪の男は声を掛ける。ただ何となく、彼が気になったことを聞いてみたくなったが為に。
「お前、もし生き残れたらどうしたい?」
その言葉に青年ははたと足を止めると、うーんと悩むように声を上げてから振り向いた。その顔は酒酔いで赤くなっていたものの、発せられる声そのものは普段よりもハッキリとしていて力強い。
「そうだなぁ……故郷に戻って、冬の景色をもう一回みたいかな。俺の生まれたとこ、冬になるとすげーんだ。……そうだ、何ならお前も来るか? 招待するぜ」
「……そうだな、もし生き残れていたら八年後に二秒間だけ考えてみてやる」
「そうかい、楽しみにしてるぜ」
最後まで変わらない雑で上品さの欠片も無い言葉を交わしながら、二人は別れた。時は2002年、7月のことである。
浦城京介が目を覚ました時、彼の視界の一部は頭に巻かれた包帯によって遮られていた。何処かの病院の一室で、患者の服を着せられている。先程まで見ていたはずの夢の内容が頭の中でおぼろげになっていく中で、京介の意識を引っ張ったのは病室のドアが開かれる音だった。入って来たのは国連軍の制服を着た男性と女性の二人組で、恐らく女性は男性の秘書か何かのようだ。男性の一歩後ろを歩き、その手に大きなファイルを抱えている。階級章から相手が佐官であることを確認するや否や、京介はすぐにベッドが降りて敬礼の姿勢を取った。若輩者とは言え、叩き込まれた軍人としての常識は当然のように弁えている。相手の佐官も敬礼を返すと、京介に楽にするように言った。肩幅はあるが全体的に細い印象を持たせる優男の佐官を前に、京介は敬礼の姿勢を解く。
「浦城京介少尉だな。貴様に転属命令が出ている」
「転属、でありますか?」
佐官は自らの名を名乗らずに一方的に告げると、秘書が差し出した一枚の紙を受け取り、それをそのまま京介へと差し出した。それを受け取って内容を見てみれば、それは確かに京介自身が当初希望していた岩国基地の防衛部隊への転属を命ずるものであった。困惑している京介に、佐官は一度咳払いをしてから再び口を開く。
「貴様は先日の極秘作戦中BETAとの戦闘に於いて重傷を負い、本国へと送還された。本来ならば傷が治り次第元いた部隊へと復帰するのが原則だが、特例として貴様の転属が認められた。
「……はっ」
一瞬の間を空けて返事をした京介に佐官は不愉快そうな表情を浮かべたが、すぐに口を開き吐き捨てるように目の前にいる少年に言葉をぶつける。その内容は、京介にとって心に大きなしこりを残させるものであった。
「尚貴様が所属していた部隊ではあるが、これは高度に政治的な問題を含んでいる為に外部に公表される訳にはいかん。仮に貴様が部隊のことを外部に漏洩させた場合、即座に逮捕、拘留された後、軍法会議にて裁きを受けることとなるのでそのつもりで。更に今作戦における部隊の被害等の情報を我々から与えることも一切無い、肉親が一人居たようだがその生死も我々が明かすことは無い。良いな」
「……はっ」
姉の生死に関する情報は一切与えられない。告げられた内容に不満を抱きつつも表立って反論出来ないもどかしさを感じつつ、京介は目の前の男が病室を出て行くまでその背を睨み続けることしか出来なかった。この段階で、ついさっきまで頭の中で引っ掛かっていた夢のことなど当に抜けてしまっている。
「振り回すだけ振り回して、結局これかよ……」
右手から滴り落ちた赤い液体が病室の床に丸い痕をつけるまで、そう時間は掛からなかった。この日浦城京介は少尉へと正式に任ぜられ、後日帝都から山口の岩国へと移送された。共に送られたのは陽炎ではなく、正式に配備されていた不知火。死と隣り合わせていた夢のような日々を心の中に仕舞いこまざるを得なかった少年は、後日列車の窓から見える景色を眺めながらこう述懐した。「あそこでもし死んでいれば、自分はどれだけ心が楽になっていたのだろうか」と。少なくともその疑問に対しては三年と立たない内に答えは証明され、彼自身を更なる地獄へと引きずりこむこととなる。
1998年の夏、
光州作戦、それは1998年に行われた国連軍と大東亜連合軍の朝鮮半島撤退支援を目的とした作戦だった。この作戦の最中、後に光州作戦の悲劇と呼ばれる彩峰中将事件が発生する。BETA接近に伴い指示された脱出命令を拒む現地住民の避難救助を優先する大東亜連合軍に、作戦に参加していた日本人である彩峰中将が同調し協力したため、結果的として国連軍司令部が陥落。指揮系統の大混乱を誘発し国連軍は多くの損害を被った。国連は日本政府に猛抗議し、彩峰中将の国際軍事法廷への引き渡しを要求。結果として様々な政治的要因から、内閣総理大臣榊是親は最前線を預かる国家の政情安定を人質に、国内法による厳重な処罰という形で国連を納得させた。この光州作戦の損耗が回復する間も無く、中国・重慶ハイヴから東進した大規模BETA群が朝鮮半島から日本海を横断し、北九州沿岸部に上陸。遅れて中国地方日本海沿岸部に散発上陸したBETA群に挟撃され、帝国軍は押し寄せるBETAへの対処を余儀なくされた。
日本帝国軍・岩国基地防衛隊第三戦術機甲大隊に属するランス隊に所属していた浦城京介は、十八歳となり、周囲からはやや浮いた存在として扱われていた。若すぎる衛士が実戦配備されていることや、比較的新しい機体である不知火を優先的に与えられていること、その過去経歴が一切不明ということもあり、ランス隊隊長・中林慶一大尉からしてみればこれ程扱い難い衛士も初めてだった。自身も不知火を与えられてはいるものの、それ以外は全員陽炎が撃震に搭乗している。十一人の部下の中で最も浮いている少年は殆ど喋らず、喋ったとしても必要最低限の情報共有を行う時のみだった。心が擦り切れている、それが中林が抱いた浦城京介への率直な感想だった。何度も上層部へ彼に関する情報の閲覧を申請したが受理されたことは無く、中林自身も京介に対し幾度となく質問を繰返した。そうして分かった事は結局生まれが広島だということだけ。もしやかつて世話になったことがある浦城喜之助の家の嫡男かと問うたこともあったが、その若い部下はその問いにすらも首を左右に振って見せた。とどのつまり、彼は最初から自分達に必要以上に打ち解けるつもりなど初めから無かったのだ。随分と馬鹿にされている、そう自嘲めいた笑いを零しながら、中林は出撃準備の完了した自機・不知火壱型丙の操縦桿を握り締める。
「ランス・リーダーよりランス隊各機に告ぐ。俺達の目標は現在全速力でこっちに向かって来ている宇宙人共だ、九州の連中を踏み潰してきた奴らと鳥取島根を蹂躙してきた奴らの両方を相手にしなきゃならん。下された命令はBETA群の侵攻を喰い止める事だが、状況によっては撤退戦の殿をこの岩国の部隊でやらねばならん。国の為に死ねとまでは言わんが、奴らを絶対に帝都に侵攻させるな。いいな」
「了解!」
ヘッドセット越しに聞こえてきた部下達の力強い返答に、中林は良く育ってくれたものだと感慨深そうに頭を垂れた。恐らくこの戦いに於いて、自分も含めて多くの衛士が死ぬだろう。殆どが新兵同然の部隊なら、尚更だ。自分が生きて返れる保障も出来ないというのに、一人でも多くの部下を生かして返すという約束など出来はしない。だから中林は、少しの間考え込んだ後、再び部隊全員と通じる通信回線を開く。
「すまん、待たせたなお前ら。さっきの言葉にもう一つだけ付け加えておくぞ、もし生きて再び相見えることがあれば、その時は腹いっぱい美味い飯と酒を奢ってやろう。行くぞ!」
「了解!」
次々と基地を飛び出して行く戦術機達、彼らは家族、或いは国を守る為に覚悟を決めていた。命を捨ててでも、この国を守ると。だが北九州を初めとする日本海沿岸にBETAが上陸してから僅か一週間、この僅か一週間で、九州・中国・四国地方はBETAによって占領されてしまったのだった。生き残った人々は必死にBETAから逃れようと帝都に向かい、そして傷ついた衛士達もまた満身創痍のまま、必死にBETAの侵攻を食い止めている。犠牲者は3600万人にも上り、日本人口の約30%が犠牲となったこの戦いによって、世界の人口は遂にその60%が死滅した。BETAの勢いは凄まじく、日ノ本の戦士達の背後には既に、守るべき帝都の姿が迫っている。後に日本本土防衛戦と呼ばれることとなるこの戦いに於いても、浦城京介は幸か不幸かまだ生き残っていた。
彼は後に、この戦いのことも述懐する。「やはりあの時自分が死んでいたとしたら、今ここにいる自分は一体どういう末路を向かえていたのか」と。残存部隊を掻き集めて結成された機動中隊に組み込まれた彼は、この時既にBETAに対する恐怖心を完全に克服していた。というよりも壮絶な戦闘の末、感覚が麻痺していると言った方が確実だった。気がつけば戦いが始まり、気がつけば味方が死に、気がつけば自分は生き残っている。戦いの光景が脳裏にこびりついて離れない現状に辟易していた京介は、幾度となく繰返される戦いから逃れたいが為に、自ら機動中隊の先駆け殿役を請け負った。それが自身の運命を決定付け、自身が最も嫌う政治的論争へと自らを巻き込ませていく事になるとは思ってもいなかったのである。
そして戦況は遂に、帝都防衛戦へと突入した。