Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
夜、薄暗い医務室に一人の人影があった。その広い部屋には大量の白いベッドが並んでいるものの、一つを除いて使用している者はいない。その唯一ベッドを使用していたニキータ・キースは、痛々しい傷を包帯で覆い隠していた。骨折した右腕をギプスで固定し寝苦しそうにしている彼女を、浦城京介はジッと見下ろしていた。彼もまたその顔にガーゼが貼り付けられ、怪我をしているようだった。
「……うーん……アタシは、まだ……戦え……」
うわ言のように呟くニキータの姿を前に、京介の脳裏には数時間前に終了した実機演習における壮絶な戦闘が繰り返し流されていた。それは味方の絶叫と味方の快哉に彩られた、誰も止める事のない狂った戦場の臭いを垂れ流している。
演習開始直後、連日行われていた意味の分からないシミュレーションにフラストレーションが溜まっていた衛士が先行したところ、殲撃10型で構成されていた敵中隊から発射された実弾によって殺害されたのだ。勿論京介達も反撃したものの、やはり使っている武器からは実弾が発射された。十二対九、数的不利に追い込まれていた京介達を更に追い込んだのは彼らの指揮官を務めていたフェデーリカ・ジャンネッリの戦線離脱だった。開始早々二機のF-16が撃墜された時点で、彼女は京介達生き残り六名を見捨てるかのように戦場を去ったのである。無論指揮官を欠いた寄せ集め部隊に勝てる道理も無く、一人、また一人とF-16は無残にも炎煌く花びらへとその鉄の装甲を昇華させたのであった。その中でエレメントを組んでいた京介とニキータは他の仲間を犠牲に戦場から離脱し、追ってきた敵部隊の内三機を撃墜したところで演習は終了させられた。
終わってみれば二人の機体はほぼ原型を留めていない状態で、ハンガーにその両機が運びこまれた時、連隊に所属していた整備員達は衛士は既に死んだものと思っていた。彼らにとってはその味方同士による実弾演習は日常茶飯事で、新入り候補の殆どは死ぬものだという狂った認識が罷り通っていたからだ。だが機体から取り外された管制ユニットには五体満足の衛士が入っており、その内一人は軽傷という有様。だがもう一人は強化装備が意味を成さない程の重傷だった為に、すぐに手術が行われた。そうして夜になる前に手術が終了した後、すぐに意識が回復したところはニキータの生命力の強さを証明している。だがそれでも肉体へのダメージは大きかった為に、彼女はこうして医務室のベッドに寝ているのであった。
「…………」
そんなニキータをジッと見下ろしていた京介は、その演習と言う名の殺し合いの中で感じた奇妙な感覚を全身に感じていた。今日の戦いよりも、もっと悲惨な戦いを、もっと壮絶な戦いを、もっと絶望的な戦いを潜り抜けた事があるような、そんなあやふやな感覚。それが頭の中の何かを指摘していて、鍵の掛った金庫を無理矢理開かれているかのような気持ちの悪さと、全身を女の柔肌で包み込まれているかのような気持ちの良さがグルグルと渦を巻いて京介の意識を引き込んでいる。黒と、銀と、赤と、冷たさと暖かさの全てがごちゃ混ぜになったような感覚。自分の情事を見せ付けられているかのような違和感と、他人の情事を見せ付けられているような嫌悪感、相反する二つの感情を同時に受けているような気味の悪さ。目の前に眠る褐色の女性に何かが重なって見えるようで、京介は思わず目を凝らした。そして鼻っ柱が痛むような感覚がやってきた時、医務室の扉が音を立てて開く。
「……何だ、ここにいたの」
そして投げ掛けられた女の声に京介が振り返ると、そこに立っていたのはベリーショートの茶色い髪をした一人の女性が立っていた。コーヒーの匂いを漂わせるマグカップを両手に持っているその女を、何故か京介は見たことがあるような気がしていた。まるで小さい時から知っているかのような懐かしさ、それを顔に出していたのか、やってきた女は京介の顔を見ると残念そうに顔の筋肉を歪めた。
「ふうん、やっぱりそこまで忘れさせられてるのね」
「貴女は……」
意味深な女の言葉に京介が何者か問おうとすると、近づいて来た女は黙ってマグカップを京介に差し出した。淹れたばかりなのであろうそれは湯気と共に良い匂いを放っていて、京介は思わず手を伸ばしかけたが、演習の件もあって素直に受け取れずにいた。このコーヒーにも何か仕掛けがあるのではないかと。それを察してか、女はくくっと喉を鳴らすように笑ってから口を開いた。その声色はまるで優しく宥めるようで、その声の響きもまた京介にとって何故か懐かしいものに感じられる。
「大丈夫よ、毒なんて入ってないわ。私達が戦うのは戦術機に乗っている時だけで、しかもアンタ達二人は試験を突破したんだから。もう仲間よ、ほら、飲みなさい」
「……どうも」
訝しげな視線を女に向けたまま京介は受け取ったコーヒーを一口含むと、それが何の変哲も無いただのコーヒーであることを確認し、飲み込んだ。そして一度マグカップを傾け、ある程度飲み進めて喉の乾きを潤す。それを見てから、女はニキータを一瞥した。
「運が良いねえ、こいつも。良く生き残ったもんだよ」
「いきなり実弾演習に放り込んでおいて、良く言います。貴女もここの部隊の人なんでしょう?」
「それがここの流儀よ。目を付けられた方が悪いとまでは言わないけど、生き残ったアンタ達二人にはこの連隊でこれから戦い続ける衛士になってもらうわ」
女はコーヒーを啜ると、身体の向きを京介の方へと向けてその顔をジッと見つめた。その視線は鋭く、京介は思わずマグカップのコーヒーを反射的にぶっ掛けそうになる。何故だか、相手が自分を何かとてつもないことに巻き込むのではないかという不安を感じたからだった。そしてこの京介の根拠の無い不安は、ほぼ的中していた。
「……と言っても、私としては二人共ここに居て欲しくは無いのだけれど」
「? それはどういう------」
「京介」
突如女の口から放たれたその単語に、京介は身体が固まった。何度も聞いたことがある気がするその単語が自分の名前であるという事に気付くには、京介にはまだ早かった。その姿を前に、女------浦城夏希は口の端を吊り上げて歪な笑みを見せる。その一件醜悪とも取れそうな笑みの中、夏希は目の前に立つ弟に自分の思考を叩き付けた。
「貴方にはこれからの混乱を巻き起こす新しい起爆剤をやってもらいたいの。分かるかしら?」
「混乱?」
「ええ、そうよ。カシム、入っていいわ」
そう夏希が言うと、再び医務室の扉が開かれて一人の細身の男が入って来た。帽子を目深に被ったその男は自分が何故呼ばれたのか分かっていないようで、おまけに夏希に呼ばれるまで眠っていたのか何処かぼうっとしているようだ。だるそうな声で、カシムは夏希を軽く非難する。
「一体何だって言うんだ、明日から俺の隊が任務に就くのは知っているだろう」
「ええ、知ってるわよ」
「だったら何------」
刹那、ドンッという空気が破裂するような音が響いたかと思えば、京介の目の前でカシムと呼ばれていた男の額周辺が吹き飛んだ。肉片と血液が背後の壁に飛び散り、頭頂部の辺りを無くしたカシムの身体が仰向けに倒れ込む。京介の目の前には、振り向き様に拳銃を構えた夏希の姿。驚愕の表情を浮かべる京介の前で、夏希は今使ったばかりの拳銃を彼の左手に無理矢理持たせた。
「さて、そっちの黒いのは私が運ぶからアンタは援護しなさい」
「援護って、一体何を……それに何で味方を殺してっ!?」
混乱に動かされていた京介の唇を人差し指で止めると、夏希は悪戯っぽく笑みを浮かべて見せた。人一人殺したばかりだというのに、その表情はまるでその行為に対して何の感情も抱いていない。
「こうした方が後々私が楽しめるのよ。だからアンタ達を連れて逃げさせてやるの、どうせ私は疑われないから。……ほら、行くわよ」
そうして包帯に巻かれ眠っているニキータの身体を軽々と抱き上げると、夏希は床に伸びるカシムだったものを一瞥してから医務室を出た。京介は一度無理矢理渡された手の中の拳銃を見ると、すぐに彼女の後を追う。このまま医務室に立っていても、銃声を聞きつけて誰かが来た場合銃を持っている自分が疑われる。なら彼女に着いて行くしかないと、そう決断せざるを得なかった。何時の間にか床に落ちていた二つのマグカップから零れたコーヒーが広がり、やがて一つの茶色い池を作り出す。数年間顔を合わせる事も無かった姉弟の再会は、二つの色と匂いに彩られていたのだった。
「……さて、これからどうしたものかしらね」
基地から分捕った輸送機の操縦席の中で、夏希は一人そうぼやいた。背後のシートには、両手を手錠で拘束された京介が項垂れている。夏希が隠し持っていた睡眠薬で眠らせたからだ。その隣には傷に触らないようにシートと身体を固定したニキータの姿もある。
「やってることは好きだけど、流石に目の前で弟の身体を弄繰り回されるのを見るのは気分が悪いのよね。どうせみんな腹に一物抱えて笑ってんだ、私もそうして良い道理よ」
ロバートやイワン、ヴィレッタといった背後でコソコソと好きなように動いている連中の顔を思い浮かべた後、夏希はペロリと唇を舐めた。別に自分は連隊を裏切った訳ではない。何の気無しに基地に戻ればお咎めもないだろうし、カシムの死に関しても彼奴がそうでなかったという事実確認だけで終わる。夏希が求めていたのは、混乱渦巻く戦闘、本気の命のやり取りだけ。BETAという存在なぞ、最初からその頭には無かった。初めこそ対BETAに命を燃やす典型的な衛士の一人だったが、初の実戦である九-六作戦の後、彼女は自分でも気付かぬ内に変わってしまっていた。それはロバートから受けた壮絶な人体実験が原因であったのだが、夏希がそれを知る事は無い。
「あの日本人の小娘、中々良い娘じゃないか。ああいう子なら、私も安心なんだけどね」
誰に言うでもなく、夏希はそう独り言を零す。その声色は優しかったが、目にその優しさは宿っていない。思考と言動の剥離、それが夏希の持つ歪みだった。口では許すと言っておきながら、脳内では絶対に許さないと嘯く。頭の中では殺さないと考えていながら、身体が勝手に相手を殺してしまう。その思考と行動の差異を繰り返し裏返していくことで、夏希は自我を保っていた。もし思考と言動が悪い方向で一致した場合、彼女はとてつもない力を発揮する。誰にも想像出来ないようなことを平然とやってのける、それこそがロバートが彼女に私兵扱いとして黒色槍騎兵団を任せた理由であり、第一中隊を率いている証だった。
「うちに回ってくるラプターは最初は三機、なら私とブリッツは当然として後は……」
操縦桿を握りながらぶつぶつと呟く夏希の背後で、京介は虚ろな瞳をその瞼の間から見せていた。全身に伝わる僅かな振動を子守唄に、彼は再び目を閉じる。目の前の操縦席に座っている人影が自分の姉であるとは、まだ気付けていなかった。結局気付いた時には京介は帝都内にある病院にいて、そしてカムチャツカでの記憶を無くしていた。覚えていたのは朧気な運び込まれた基地での戦いと、そこから連れ出してくれたのが自分の姉だったということだけなのであった。
一週間後、京介本人に記憶は無いもののカムチャツカで負ったという怪我が完治し、ある程度衰えていた身体も鍛えなおしたところで、彼は技術廠の巌谷中佐から呼び出しを受けた。そこで知らされたのは、アラスカ・ユーコン基地がテロリストによる襲撃を受けた挙句、何処からかやってきたBETAにその施設の一部を破壊されたという衝撃的な事実。ユーコンでは各試験小隊同士による共同試験評価プログラム、通称ブルーフラッグが開催されており、その最中にテログループによる攻撃を受けたらしい。多数の衛士と戦術機が失われたという話から京介が真っ先に心配したのは、唯依とアルゴス小隊の面々の安否。
「大丈夫だ。篁中尉含むアルゴス小隊のメンバーはテログループ鎮圧の為に奮戦し、一人の死傷者も出してはいない。衛士に関してはだが」
「そう、ですか……良かった……」
巌谷の言葉に京介がホッとしたのも束の間、今度は重苦しい雰囲気を纏いだした巌谷の視線にその身を貫かれる。だが、という前置きと共に巌谷は京介を一瞥し机の上に視線を落とす。まるで親の死でも伝えねばならないかのような、そんな空気。
「先のテログループ及びBETA群との戦闘の最中、錯乱したソ連軍衛士との戦闘で二機の不知火弐型が破壊された。相手はSu-37UBチェルミナートル、衛士の名は少尉も良く知っているはずだ」
「まさか、クリスカとイーニァでしょう!? どうしてそんな事に……」
「私にも分からないさ、そう報告が来ただけだからな。だが二号機は完全に破壊されているものの、修復作業も大分進んでいるらしい。一号機に関しても損傷具合からしてすぐに修理は終わるそうだ。ただこの戦闘結果の所為で、今まで黙っていた右向きの連中が一気に騒ぎ出したんだ。最新鋭のはずの不知火弐型が2.5世代機のSu-37に相打ち、やはりアメリカに頼るなぞ間違っていたと」
珍しく怒っている様子の巌谷を前に、京介は僅かに頭痛を覚えた。Su-37UBチェルミナートル、その形式番号の戦術機を操る衛士の存在は彼の頭の中には二人しかいない。クリスカ・ビャーチェノワ、そしてイーニァ・シェスチナ、その二人が錯乱し不知火弐型と戦闘になったという信じられない事実。カムチャツカでの戦闘後、不知火弐型がフェイズ2へと移行し、更にタリサがその新たに開発された二号機の衛士となっていたことは京介も目覚めてから聞いていた。だがたった今京介が聞いた話が正しければ、その二機はチェルミナートルとの戦いに於いて破壊されたという。相打ちであっても、負けは負け。何故そうなったのか、何故彼らが戦わなければならなかったのか。それが京介の疲弊した脳を更に疲れさせる。
「そしてこの大規模事件の前に起こったのが、少尉の行方不明事件だ。カムチャツカでの戦闘によってMIA認定された君がある日突然生きていたと発表され、おまけに予定されていた日時を四日も遅れて帰って来た。残念なのは君が何者かによって投与された健忘剤によって重要な記憶を無くしてしまっていることだが、こうして帰って来てくれただけでも良しとしよう。だがしかし、この一連の事件には何か裏がある。それが何かは分からないが、十分に気をつけて欲しい。もう遅いということはないはずだ」
「っ、了解。それで中佐……自分は、またアラスカへと戻れるのでしょうか。雪風……いえ、不知火も無くして、弐型もここまで進んだとくれば自分の存在意義と言うのも……」
自分で言っていて虚しくなるのを感じながら、京介は巌谷の傷の入った顔を見た。何か得体の知れない事態に巻き込まれ、愛機を無くし、自分の知らないところで仲間達が傷ついている。そんな不甲斐無い自分に嫌気が差していた京介だったが、直後に巌谷から放たれた言葉に、彼は自分の耳が壊れてしまったのかと感じた。それ程に、巌谷から放たれた言葉は衝撃的だった。
「浦城少尉、君をXFJ計画から外す。そして中尉へと昇進させた後、日本帝国軍がソ連機を導入するかを検討する為の開発衛士としてアラスカへ向かってもらう」
「!? それはどう言う事ですか!?」
「ソ連機採用を議会に納得させる為に、参謀本部の連中は不知火弐型とソ連のSu-47による評価比較試験を提案してきた。どうやら連中、弐型がSu-47に敗北するのを確信しているそうでな……同時に日本の衛士がソ連機を実際に操縦した際のデータというものを欲している。そこで白羽の矢が立ったのが君だ、ユーコンにて実際にソ連側の人間と交流を持ち、かつ衛士としての腕も立つ君をね」
「俺に唯……っ、篁中尉達を裏切れと言うんですか」
京介の言葉に、巌谷は珍しく怒気を孕んだ口調で言い返した。
「そうは言っていない、だが、それに近いことをしてもらいたい。君に命令しているのは本部の連中だ、私にはどうしようも出来ない。だから浦城少尉には、敢えてソ連機の操作性能を過小評価して欲しい。ここまで来てXFJ計画を潰えさせる訳にはいかん。それは君にとっても同じだろう?」
「当たり前です。……この異動について、中佐は既に篁中尉に?」
「ああ、彼女には既に話している。残念そうにしてはいたが、君にまた会えるのを楽しみにしているようだぞ。勿論、ソ連機の過小評価については話していない。彼女が聞けば怒るのは間違いないからな。しかし、状況はそうも言っていられないのは事実だ。彼女には悪いが、な」
その日の内に京介には巌谷から聞かされた通りの辞令が下り、中尉となった京介は再びアラスカへと舞い戻ることとなった。失われている一ヶ月近い記憶の欠落、逼迫している現状、微かに記憶に残っている姉と褐色の衛士との交流、そして錯乱した紅の姉妹。それらの事実を整理出来ないまま、京介はユーコン基地へと向かう航空機のシートで目を閉じていた。その脳裏には散乱する記憶の残光と共に、最後に巌谷から放たれた言葉がグルグルと渦を巻いている。
------解決し難い問題を一つ挙げるとすれば、不知火弐型の開発衛士……ユウヤ・ブリッジス少尉とタリサ・マナンダル少尉がSu-47に勝たなければならないということだ。彼らの腕を信頼していない訳ではないが、彼らが敗北すれば日本の戦術機は再び混迷することになる。君の双肩に全てを背負わせるのは悪いと思っているが、宜しく頼む。
「要は妨害工作をしろっていう話なんだろ、俺に。そんな器用な事、出来るのか。……俺の居ない間に、一体何があったっていうんだよ……」
手で顔を覆う京介は一人、振動する機体の揺れに身を任せるしかなかった。そして彼が再びアラスカの地を踏んだ時、彼の人生はうねりをもって大きく歪みだす。それは誰もが予想出来なかった事態で、だが確実に何者かの手が伸びてきていることの証明なのであった。
ユーコン基地に到着した京介を最初に出迎えたのは、アルゴス小隊の五人だった。イブラヒム・ドーゥル、ユウヤ・ブリッジス、タリサ・マナンダル、ヴァレリオ・ジアコーザ、ステラ・ブレーメル。馴染みの面々との再会に、京介は思わず目頭が熱くなった。
「こんの野郎、生きてたなら連絡の一つでも入れろって!」
「悪かったって、俺にも色々あったんだからさ。けど、みんな無事で良かったよ」
「当たり前だって! そう簡単にアタシ達はくたばらねえよ!」
言いながら最初に飛びついてきたのはタリサで、次いでヴァレリオとステラが京介によく帰って来たと労いの言葉を掛けてきた。どうやら彼らは京介がカムチャツカでの記憶を無くしている事を既に聞いていたようで、特別その事に関して話を穿り返そうとはしなかった。それが京介には有り難く、だがそれによって生じた間の所為で浮かない顔をしているユウヤに気付く原因となる。
「どうしたんだよ、ユウヤ。……ユウヤ?」
問う京介を前に、ユウヤは何事か言おうと口を開いたがすぐに黙り込んでしまう。ドーゥルもまた何かをユウヤに囁いたが、それでもユウヤの表情は暗いまま。そこで漸く、京介は周りに居たタリサ達の表情も何時の間にか暗くなっていることに気付いた。何か嫌な予感がした京介は、その空気を誤魔化そうとしてこの場にいない唯依の事について言及する。だがそれは、この時京介が最も触れてはいけない地雷だった。
「おいおい、急にどうしたんだよお前ら。早いとこ俺の帰還を祝う会でもやってくれないのか? まだ唯依にだって会ってないんだしさ。そもそも、アイツ何処に行ったんだ? 話さないといけないことがあるんだが……」
キョロキョロと周囲を見回す京介を前に、ユウヤは意を決したのか一歩前に踏み出した。それに合わせるかのように、タリサ達が京介の傍から離れる。その段階から、京介は自分の心臓が大きく跳ねだすのを感じた。とてつもなく嫌な予感が、全身の感覚器官が警鐘を鳴らしだす。言葉には出来ないとても悪い事が、ユウヤの口から放たれようとしている。
「キョウスケ」
「お、おう……何だ?」
「よく聞いてくれ。実は------」
ユウヤの言葉と共に一陣の風が京介の頬を撫で、彼の肩に掛けられていたデイバックがドサッと音を立てて地面に落ちた。そして次の瞬間には、京介は憤怒の形相でユウヤに掴み掛かっていた。ヴァレリオが止めようと手を伸ばしたが、それはステラによって止められる。邪魔をしてはダメ、彼女の目はヴァレリオにそう訴えかけていた。
「嘘だ! 嘘に決まってる! 冗談じゃねえぞ、いくらお前でも!」
「嘘じゃない! 本当の事だ!」
「ふざけるな! こんな馬鹿な事が、馬鹿な事があってたまるかよ! 嘘だと言ってくれよ! なあ、ユウヤ・ブリッジス!」
胸倉を掴まれ怒声に晒されたユウヤは、思わず京介の腕を振り払った。体勢を崩した京介の身体をヴァレリオとステラが支えるも、彼の顔は驚愕に染まりきっている。その京介に向けて、息を荒くしたユウヤは叫んだ。
「嘘じゃねえ! 嘘じゃねえんだよ……キョウスケ。ユイは、ユイはな……!」
「言うな!」
「
そう言ってユウヤがジャケットのポケットから取り出した白いリボンに、京介は見覚えがあった。何時も唯依が髪を束ねていたそれが、今では血に染まって薄汚れてしまっている。反射的にユウヤの手からそれを奪い取った京介は、膝から崩れ落ちてそのリボンを両手で握り締めた。ステラがその肩に手を掛けるも、京介はそれを力無く振り払う。唯依が死んだ。到底信じることの出来ない話を前に、京介は目の前が歪んでいくのを感じた。視界がぼやけ、手の中のリボンへと水滴が落ちていく。その口から自分でどうやって発しているのかさえ分からない絶叫を響かせながら、京介はユウヤ達の前で咽び泣いた。
その光景を、遠くからジープに乗って眺めている一団がいた。運転席に座っているのは髪を赤く染めたユーリ・ミン・エゴロワで、彼は不愉快そうに口下を歪めている。その隣の助手席にはイワン・ゲオルギー・レオニード・レズノフが座っており、彼は地面に崩れ落ちている京介を暫く眺めた後、その感情の無い目を後部座席に座っている一組の男女へと向けた。イェジー・サンダーク
破壊され再生の途中にあったアラスカの空には、まだ雨は降っていなかった。