Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
泣き崩れる京介を前に、ユウヤ達は何も声を掛けてやるこ
とが出来なかった。凄惨さを極めたテロ事件が終わり、皆が復興を目指して気を引き締めなおそうとした時に起きた篁唯依狙撃事件。誰に予想出来た訳でも無く、誰を責めて良い訳でも無く、ただその場にいた全員が己の無力さを恨んでいる。唯依が死んだというのも、アルゴス小隊の誰にも止められるものではなかった。だが京介にとって、その事実は触れるにはあまりにも早過ぎた。精神的支柱を欠き、肉体的にも疲弊していた彼にとって、唯依の死という想像も出来なかった現実は一度に受け止めきれるものではない。手の中にある赤い血に染まったリボンを虚ろな目で見つめていた京介に声を掛けられる者は、アルゴスの中にはいなかった。何と言葉を掛けて良いのかも、彼らには分からなかった。
そこにジープのエンジン音が響き渡り、京介を除く全員の視線が向けられる。やって来たサンダーク達の姿を前に、ドーゥルは敬礼の姿勢を取るも、他のメンバーは訝しげな視線を向けるだけ。それはテロ事件の時にユウヤとタリサが暴走した紅の姉妹と戦闘状態に突入し、タリサに至っては機体をバラバラにされた所為もあって、クリスカを睨む視線は鋭かった。そんなアルゴス小隊の面々を前にユーリは運転席に座ったまま唾を地面に吐き捨て、助手席を降りたイワンは何も言わずに地面に落ちていた京介のデイバックを持ち上げる。
「おい、それは大将のだぞ!」
その行為に対しヴァレリオが非難の声を上げたが、イワンは反応することなくそのままジープの後部座席へとデイバックを投げ入れる。その事に更に腹を立てたヴァレリオの前に、サンダークが立ち塞がった。テロ事件での対応から大尉へと昇進した彼の襟元を忌々しく睨みつけたヴァレリオが歯を食いしばった表情をして下がると、彼はその冷徹な仮面を崩さぬまま、アルゴス小隊の面々を見やる。
「その様子だと、篁中尉はまだ君達に伝えていなかったようだな。……ウラキ中尉がここへ戻って来たのは、XFJ計画に戻る為ではない。先日のテロ事件での戦闘から不甲斐無い君達に落胆した日本帝国の方々が、どうやら我が祖国の誇る戦術機を導入することに目を向けてくれたようでね。その正確なデータを取る為のテストパイロットとしてやって来たのだよ」
「何だと……!? 不甲斐無いって、大尉はそう言うが、あれは明らかに異常な状態だった!」
「だが最新鋭機のはずの94セカンド二機が我々のSu-37UBに敗れたのは事実だ。それは紛れも無く、諸君らの実力が及ばなかったというだけでは? 確かにあのBETAとの戦いで諸君らも損傷していたとは言え、それはこちらも同じ事。おまけにビャーチェノワ少尉やシェスチナ少尉は錯乱状態に陥るまで精神を消耗してしまっていたのだから」
言いたいことは分かるな? とでも言いたそうなサンダークを前にユウヤはグッと拳を握り締めるも、投げ掛けられた言葉に反論する余地は全く無かった。その姿に満足でもしたのか、サンダークが小さく頷いてみせるとイワンがその大きな腕で京介の身体を無理矢理立たせようとする。だがそのイワンの巨体が大きく揺らいだ時、彼は自分の鼻を押さえていた。ユウヤやサンダークの目に映り込んだのは、左手で唯依のリボンを握り締めた京介が目を真っ赤にして唇を噛み締める姿だった。頭突きでもしたのか、その額が僅かに赤くなっている。だが息も荒く、感情に振り回されてしまっている様子の京介を前にしても、サンダークは眉一つ動かさなかった。そのサンダークを前に、ユウヤが京介に事の事実を問う。だがその問いは、今の京介を追い詰めるものでしか無かった。
「なあキョウスケ、本当なのか? お前、ソ連に行っちまうっていうのか? こんな状態で、お前……嘘だろ?」
「っ! ……サン、ダーク大尉、俺は……俺はこれ以上、ここに居たくない」
「分かっている。レズノフ少尉」
一度言葉に詰まった京介がそう呟くと、サンダークは頷いてからイワンを一瞥した。鼻を押さえていたイワンがやれやれと言った様子で京介の肩に手を掛けると、そのまま二人はジープの方へと歩き出した。その背に、ユウヤの声が投げ掛けられる。
「キョウスケ!」
「…………」
「おい! キョウスケ!」
二度も自分の名を読んだ仲間の言葉に応えることなく、京介を乗せたジープはサンダークをその場に残し走り去ってしまう。そうして残されたユウヤ達は、サンダークから再び京介の異動についての詳細を知らされるのであった。納得は出来ないまでも、事実として受け入れるしか方法は無い。その時の彼らには、そうやって無理矢理割り切るしか無かった。
基地へと向かうジープの奥部座席において、リボンを持った手に顔を埋めて黙り込んでいた京介の隣に居たクリスカは、ずっとその背に腕を回して宥めるように擦ってやっていた。まるでグアドループでの時の事を再現しているかのようで、それをバックミラーで一瞥したユーリは助手席に座るイワンへとそのまま視線を移す。それに対し鼻先を気にしていたイワンが黙って首を左右に振ると、ユーリは退屈極まりないといった様子でステアリングを思い切り切った。
難儀な男だと、ユーリは京介に対してそう思った。ここ一ヶ月程の時間、彼の身に何があったのかをユーリは知っている。篁唯依の狙撃事件に関しても、彼は一部ながらその詳細を知らされている。
同じく事情を知るイワンはどう思っているのだろうか、何も知らないリコはどう思っているのだろうか、そして自分達の為に人が犠牲になっているところを今正に目撃しているクリスカと、テロ事件後意識不明のままでいるイーニァはどう思っているのか。考えても、考えても、考え続けても止まらない思考のスパイラルに陥りかけていたユーリは、思わずステアリング操作を誤って車体を大きく揺らしてしまった。助手席のイワンから非難するような視線を向けられ、ユーリはその赤く染めた短髪を片手で掻き上げながら口の中に溜まった唾を飲み込む。自分もまた面倒な状況に追い込まれつつあるのを知っているものの、ユーリにはそれを直視する事が出来ないでいた。
そうして初めてソ連側の施設へと足を踏み入れた京介を待っていたのは、簡易食堂のような場所に広げられたリコの料理だった。何も事情を知らず能天気な顔をして皿にボルシチを注いでいたリコにユーリがため息をついたものの、見かねたイワンが何か腹に入れたほうが良いと言って京介は無理矢理席に着かされ食事を取ることを強要される。結論から言えばボルシチ以外の料理は非常に美味だったものの、肝心要のボルシチのような赤い液体状の
それをユーリが笑ってみせるも、京介は特に反応を見せることは無かった。その事につまらないと詰ってくるものの、京介には何故ユーリがそうするのかが少しだけ分かっているつもりになっていた。空腹を満たしたことで若干の余裕が生まれた所為か、京介は唯依のリボンを軍服のポケットへと捻じ込む。握り過ぎて掌に残っていたリボンの感覚を嫌悪し始めている自分に気持ちの悪さを感じていた京介は、目の前でリコにボルシチを流し込まれているユーリの姿を前に、初めて小さな笑みを浮かべた。自嘲気味の笑いだったが、少しだけ京介は自分の心が軽くなるのを感じた。それに気付いたのは、隣で同じように苦い顔をしてボルシチを啜っていたクリスカだけ。彼女もまたその胸の内に大きな悩みを抱えていたが、それを彼に言う気にはなれなかった。京介の近くにいるだけで心臓が高鳴る理由を、彼女はまだ知らないでいる。それが彼女の唇を重くし、代わりに普段言わないような感想を呟かせた。
「……これが、不味いという味なのか」
その彼女らしからぬ呟きを聞いたユーリとリコが驚愕に表情を染め上げたのは、それからすぐの事だった。
一通りの食事を終えて自室へと案内された京介は荷物の整理もそのまま、備え付けのシャワーで乱雑に身体を洗うと新品の硬いズボンを履いてベッドに寝転んでいた。ふと八つに割れた腹部を指でなぞってみれば、カムチャツカでの戦いで負ったのだという傷痕が指先の軌道を上下に動かしていく。何も覚えていない、誰にも聞くことが出来ない、心の中に大きな穴が空いてしまった感覚に、京介はジッと天井を見つめていた。壁のハンガーに掛けられている国連軍ジャケットの左肩には、イーダル試験小隊のエンブレムが付けられている。そして右肩には、最初に所属していたワイルド・ウィーゼルのエンブレムが付けられていた。XFJ計画の一文字も無いその新品のジャケットをこれから先ずっと着ていくことに、京介は何故か抵抗は無かった。もう何も考えたくないという逃亡の意思が表面化しているからか、ベッド脇の小さな棚の上には唯依の付けていた血に汚れたリボンが乱雑に置いてある。耳の奥で何かがガンガンと大きな音を立ててやっと得られた休息を妨害してくることに、京介は腹を立てることも原因を探ることもない。ただ部屋のドアがノックされた時だけは、反応した。
「あ……その、すまない。休んでいたのか?」
ドアを開けた京介の前にいたのは、食堂で別れたばかりのクリスカだった。眠そうな顔をして上半身裸で現れた京介に驚いたのか、彼女にしては珍しく歯切れの悪そうな喋り方に京介は首を傾げる。
「いや、そういう訳じゃないけど……何か用か?」
「もしお前が良いのだったら、少し、話がしたい。ダメ……か?」
追い返す理由も見当たらず、京介はクリスカを部屋の中へと招き入れた。床に散らばったC型軍装を見た彼女は一度京介の背を見るも、黒い肌着に袖を通している彼に対して特別何かを言おうとはしなかった。今の自分が何かを彼に言ったとして、それで事態がどうにかなる訳ではないという諦めに近い感情が、彼女の胸の内に蠢いている。
「------イーニァが?」
ベッドに並んで腰掛けた後にクリスカが京介に話したのは、テロ事件以降意識不明になっているイーニァのことだった。自分達がアルゴス小隊と戦闘に突入したのは錯乱していたからだと聞いていた京介に、クリスカはある程度その事実を崩さぬように伝えたものの、京介の違和感は無くならない。それは京介が二人について何も知らないという決定的な事実があったからだが、クリスカもまた、彼の事を全て知っている訳では無い。だからイーニァに関して何かしらの興味を示していたはずの彼の反応が、自分が思っていたものとは違うという事実にクリスカは戸惑うしかなかった。
「その……可哀相だとは思うさ、早く目を覚ましてくれれば良いなとも。……けど、それを聞かされたって、俺には何も出来ない」
「っ、それは……」
「良かったじゃないか、イーニァは生きてるんだ。ずっとあのままでも------」
「っ!」
ずっとあのままでも、その言葉を聞いたクリスカは思わず京介に掴みかかっていた。
「ふざけるな! あの子が眠ったままでも、目を開けなくても生きていればそれで良いとお前は言うのか!?」
「ふざけてんのはどっちだよ……こっちは人が死んでんだぞ! 二度と会えもしなけりゃ姿を見ることも出来やしねえ! 生きているだけで……十分だろうがよ……。お前は、この俺に態々そんな話を聞かせる為だけにここに来たって言うのか!」
掴みかかった腕を悲痛な叫びと共に外されたクリスカは何も言えず、黙り込んでしまう。彼女としても、京介がどういう境遇かは理解しているつもりだった。篁唯依と仲の良かった彼が、彼にとってのイーニァが彼女であるとしたならばと、クリスカは自分の軽率な行動を恥じた。勿論彼女に京介を追い詰める気は毛頭無く、ただ彼の意識を別の方向へと向けさせて気を変えさせられるならばという不器用な思考の末の行動だった。だが口下手な彼女にはそれを上手く京介に伝える術を知らず、ただ涙目になり自分の手を握っている京介を前に頭を左右に振ることしか出来なかった。だが京介もまたクリスカとイーニァの関係を知っていた所為か、目の前にあるクリスカの辛そうな顔に思わず視線を逸らしてしまう。
「いや……違うよな。お前、そういう奴だもんな。……怒鳴って悪かった」
「そんな事……」
双方共に互いに心の支えとなっていたものが欠けてしまっている今、そこへ別の何かが入り込む事は十分に考えられた。唯依を亡くして京介が傷ついているという事実を何処か別の視点から見ていたような気分だったクリスカは、離された京介の手を握り返すと、そのまま指を絡ませた。京介の左手とクリスカの右手の指が絡み合い、強く握り締められる。
「クリスカ?」
「私はただ、その、お前が悲しそうにしているのを……見たくないんだ。自分でもどうしてかは分からないが、ただそう思う」
自分から握り締めた手を見ながら、クリスカはそう言った。自分が何を思ってそう言ったのか分からないが、少なくとも嘘では無い。自分が思っていた事をシンプルに伝えたクリスカは、そのまま見上げるように京介の顔を見た。自分を見つめるその茶色い瞳の奥に、形容し難い黒い何かがある。その黒い何かに歪んだ自分の顔が映り込むと、クリスカは左手を京介の頬に添えた。彼の瞳に吸い込まれるように、彼女の顔が寄っていく。
「ダメ……か?」
その言葉の意味をクリスカ自身分かって言っていた訳ではなかったが、そこまで来れば、もう二人は互いの唇を合わせる以外の方法を知らなかった。一度軽く触れると、クリスカの身体が反応して握り合っていた手に力が篭る。そして思わず離れようとした彼女の身体を、京介は空いていた手をその背に回して抱き寄せながら、もう一度唇を寄せた。キュッと堅く閉じられたクリスカの唇に触れた後、そのまま首筋へと軽いキスを繰返す。それは彼女の緊張を解す為であり、握られていた手が緩むと、京介は再びキスをして舌を相手の口腔内へと押し込んだ。緩く閉じられていた唇と歯を簡単に突破したそれは奥にあった相手の舌を捕えると、そのまま絡ませて引っ張り出すように動かした。クリスカの口の端から銀色の反射する粘着性のある液体がつぅと垂れていくと、じゅるじゅると互いの唾液を押し合って交換する卑猥な響きが部屋中に響き渡る。数分程続いたそれが漸く終わり、僅かに息を荒くした二人の顔が離れると、クリスカの白い肌は既に高揚して朱に染まっていた。そして彼女は京介の身体をベッドに押し倒すと、今度は自分から覆い被さって彼の口腔内を蹂躙した。互いの背に腕を回し合って抱き合いながら、二人は新品の白いシーツに何度も唾液を零し続ける。
その最中、京介の手がクリスカの着ているジャケットのジッパーに伸びてそれを下ろすと、彼女は分かっていたように自らジャケットを脱ぎ捨てた。互いに同じ黒い肌着とズボン姿になると、今度は京介が上になり自らの肌着とクリスカのそれを脱がして床へと放り投げる。黒い色気の無いスポーツブラに包まれた豊満なクリスカの乳房を無造作に片手で掴むと、京介はそれを解すように揉みながら空いた手を彼女の後頭部に回し首筋に吸い付いた。やがてクリスカの嬌声と共に二つの突起がブラの内側から自己の存在を強調すると、京介はクリスカにブラを外させた。露になった乳房の頂に堅くなったそれを見つけると、京介はクリスカが呆けた顔をしながら身を震わせていることに気付く。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……その、こういう事をするのは、は、初めてで……頭の中が真っ白になって……」
赤くなった顔を隠すように腕を動かそうとしたクリスカの動きを京介は妨害すると、そのまま彼女の額に口をつけてから彼女のズボンを脱がせた。彼女の秘部はブラと同じ色気の無い黒い無地のショーツに隠されていたが、そのある部分は外から見ても分かるくらいに湿って色が変わっている。それから京介がクリスカに確認を取ってショーツを取り去ると、使われた形跡の無い綺麗な女性器のソレが姿を現した。僅かにぬめりのある光沢を放っているそれを京介が指と口とで蹂躙すると、やがてクリスカはその身を大きく捩じらせて何度か痙攣を起す。口元についた愛液を腕で拭った後、京介はベッド脇の小さな棚へと手を伸ばした。やはりと言うべきか、どの国の人間も考えるのは一緒なのか、棚の中にあった避妊具の箱を取り出すと、京介はその上に置いていた唯依のリボンを一瞥した。
「…………ごめん」
そしてそのリボンをわざとらしく手に当てて床に落とすと、京介は箱を枕元に置いて自分のズボンと下着を下ろした。既に怒張しいきり立っている股座のソレをクリスカがマジマジと見つめた後、彼女はおずおずとその細くしなやかな白い指を京介のそれに這わせる。そして少しの間自分のそれを彼女に自由にさせた後、京介は股を開いたクリスカの足の間に膝をついた。もう彼女も慣れたのか、露になっている自分の秘部を隠そうとはしていない。それでも恥ずかしさからか、視線は明後日の方向を向いている。
「痛かったりしたら……その、言ってくれ。善処はしてみる」
「あ、ああ……分かった」
透明な汁を垂らして
「その、今聞くことではないと思うのだが……タカムラ中尉ともこうして身体を交えたことはあるのか……?」
その言葉に、京介は腰を一気に沈めることで応えた。膜を突き破って身体の奥へと侵入してくる熱を帯びたソレに、クリスカは驚愕の表情を持って身体を大きく逸らす。股座の一番奥、生命の基盤となる部分へ受ける初めての衝撃と快楽に、思わず彼女はその両手を京介の背に回し、そして爪を京介の背へと突き立てる。その痛みに京介は顔を顰めたものの、挿入したままクリスカの頬に両手を添えてキスを交した。舌と唾液同士の交流の中で、落ち着いたクリスカの手から力が抜けていく。そして至近距離で視線を交すと、京介はクリスカの耳元で囁くように呟いた。だがその言葉への返答は、快楽に善がる嬌声だった。
「アイツとこういう関係になったことは無い。なろうと思ったことがあったかは……覚えてない。……けど、今はお前だけ見させてくれ、クリスカ。それで良いんだろう?」
「あっ……んっ、京介っ……」
それから一物に身体を揺さぶられる感覚にも慣れたクリスカと京介は、貪るように互いの身体を求め合った。精を吐き出し、飲み込み、受け入れ、獣のように白いシーツに無垢な兵士だった女の守られていた赤い純潔を散らす。京介の心に空いた大き過ぎる穴を強制的に埋めたのは、生々しくも若い女の情熱を秘めた肉体だった。行為もオーガズムも分からぬ相手を半ば調教していくような形で、心に穴の空いた男はそれを埋めながら快楽の渦へと逃げる。だがその逃げを逃げだと捉えさせるものは何も無く、自分を欲し受け入れてくれる存在を前に、男はただ一時の充実感を満たしていた。
脳裏に浮かぶ長い黒髪の武人然とした不器用な少女の姿を男は振り払う。その振り払った手を前に伸ばせば銀色の女がその手を伸ばし返し、抱き締めれば抱き締め返し、偽りの愛を囁けば本物の愛の囁きが返って来る。そんな情欲と後悔とが交じり合ってまるで汚物のように変化してしまった現状の快楽に溺れ切った時、汚れたベッドの上で一組の男女がシーツに包まって顔を寄せ合っていた。窓から見えていた太陽が昇っていたはずの青空は何時の間にか輝きを無くし、月明かりでその男女を照らしている。
顔だけが外気に晒されている状態で、恍惚とした表情に頬を緩ませていたクリスカは自分の手で京介の厚い胸板や割れた腹部をなぞっていた。その細くしなやかな指先はデコボコとした傷痕と腹筋に触れていき、それらは彼がこれまで辿って来た戦いの歴史を教えてくる。互いの額をこつんと当てながら、クリスカは愛しそうな瞳で目の前の男に囁いた。激しいセックスで掻いた汗の匂いが鼻腔を突くが、使用しているシャンプーの良い香りを京介は黙って嗅いでいる。クリスカもまた、目の前にいる男の汗の匂いを安心出来る匂いだと認識していた。
「……この傷も、この身体も、私は好きだ」
クリスカのその言葉に、京介は自嘲気味に笑いながら答えてみせる。その言葉に応える為に、クリスカは手を京介の頬に添えた。京介は黙ってその手の甲に自分の手を重ねる。
「そうか? 死に損ないの、証明だろ」
「そんなに自分を卑下しないで」
少しの間を置いて、京介はクリスカの手を強く握りながら顔を近づける。鼻と鼻とが当たってしまうような距離で見える男の顔を、クリスカは真っ直ぐに見つめていた。例え京介から問い掛けられた言葉が自嘲気味で全てを傷つけるようなものでも、彼女には関係無かった。
「なら、俺の身体と傷以外はどうなんだ?」
「勿論、好きに決まってる。京介の事を全て好きでいなくて、どうして身体だけ好めるんだ?」
「世の中、そういう関係な連中もいるんだよ……。キス、良いか」
「ん……」
控えめに重ねられた唇が離れると、京介は仰向けになって天井を見上げた。月明かりの中で、電灯がボンヤリと鈍く輝いているのが見える。京介は自分の背中に出来た生傷がヒリヒリと痛むのを自覚していたが、隣にいる裸の女と肌を重ねている感覚の方が心地良かった。だから右腕をクリスカの肩に回してやや乱暴に抱き寄せると、京介は自分の胸板に置かれた彼女の手に左手を重ねる。
「俺は……俺、どうすりゃ良いんだろうな。これから」
「ここに戻って来たのは、私達の使用している戦術機の性能を確認する為だろう? 京介はその任務をただ遂行すれば良いのでは?」
「ああ、そうだな。そうなんだが……もう分かんなくなっちまった……」
何処か釈然としない様子の京介にクリスカは首を傾げるものの、それ以上彼を追及する気にはなれなかった。初めて誰かに肉体ごと愛されたという事実と、まだ股の間に何かが入っているような慣れない感覚に疲れているのもあって、クリスカは甘えるように京介に頭を預けた。
「疲れているなら、もう休もう? 明日起きてからイーニァのところに行って、それから考えれば良い。違うか?」
「それは……多分違うな。……けど、そうしよう」
乱れていたシーツを引き寄せて、京介とクリスカはそのまま眠りに落ちた。だが二人共、部屋中に隠されていた監視カメラに自分達の情事が収められていることには、全く気がついていないのだった。
監視カメラから送られてくる映像を監視していたイワンは、二人が眠ったのを確認すると手元のコンソールを操作して映像の編集を始めた。薄暗いモニター・ルームの中でコーヒーの香りを漂わせながら行う下世話な行為に、イワンは口元に自嘲染みた笑みを浮かべている。上官であるサンダークから二人の監視を行うよう命ぜられていたイワンだったが、他人のプライベートなセックスをそのまま他人に見せようという程下衆な男では無かった。適当なところで映像を編集し、音声データを
「中々どうして、若い連中の交流というのを見るのは疲れるものだな。……帰って来て早々致したことについては何も言わんが、これからお前はどうするつもりなんだ? 浦城京介」
モニターの向こうで眠っている男の顔を見ながら、イワンはそう呟く。物事が敷かれたレールの上を順調に進めば良いようにと裏で暗躍していたイワンであったが、その予想を大きく上回った今回の結果に満足はしていなかった。サンダークの思う様に彼を動かさなければならない事情と、ロバートの理想に近い彼を守る様に行動せねばならない状況で、クリスカ・ビャーチェノワという女が植え付けられていたもの以上の愛情を京介に見せた事が問題だった。
「男を知らん生娘が最初に抱かれたのは寝取った男、か。笑えんな」
そうイワンは面倒臭そうに言ったものの、既に頭の中では次の計画の為のプランを一から練り上げていた。クリスカという新しい精神的支柱を得た彼にどうやって自分に対しても信頼感を植え付けさせるか、それがイワンの新しい課題。既にロバート・ギリアム・イェーガーという男と引き合わせ、グアドループでの件も知っていたという事実がばれている時点で、正気に戻った京介がイワンに警戒心を抱かない事は無いという予想はついている。ユーリも思う様に使えず、リコも余計な事に首を突っ込ませる訳にはいかないと考えていたイワンに残された手は、一つしか無かった。ジャケットの懐から取り出した一枚の写真を眺めた彼は、その表面を愛しそうに指の腹で撫でながら呟く。その声色は、とても哀しそうだった。
「お前達をダシにしたくは無かったが……。謝罪は全てが終わってからさせてくれよ」
写真をしまいなおしたイワンは残っていたコーヒーを飲み干すと、モニターの電源を切ってから立ち上がって出て行った。廊下の窓から見える月明かりを見上げ、イワンは自分でも大声を上げて笑ってしまいそうになりながらも、これで最後だと言わんばかりに呟いた。それは下世話ながらも親切心からも来ているもので、事実、京介にとってはそれなりに助かるものであった事に違いは無い。
「背中の傷用に軟膏でも渡してやるか、適当な理由を付けてな。……全く女の爪って言うのは、どうしてああも傷付け易くなってるのか……やれやれ。歳だな俺も、どうやら激しいのは性に合わんらしい」
誤魔化すように饒舌な呟きを自分に聞かせたイワンは、頭を掻きながら自分の部屋へと戻っていく。明日も早いが、酒でも飲んでやろうかと冗談を飛ばしながら。
こうして浦城京介という男は一人、生々しい慰めと共に新しい一歩を踏み出したのであった。それは何人もの男達の策謀と強欲の中で生まれた歪みでもあり、一人の女が抱いた感情が清涼剤となる血生臭い闘争の始まりを示していた。