※この作品はR-18です。

Muv-Luv The frayed memory/Carved memory   作:REDALERT

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Affection/3

 

「クリスカ! 戻れ!」

 

 

取り落としたヘッドセットを装着し直しながら、京介は操縦桿を握ってビェールクトのマニピュレーターを管制ユニットに寄せた。全裸のクリスカは戸惑っている様子だったが、怒る京介の声にハッとするとすぐに前部シートに置かれていた強化装備に飛びつく。皮膜を纏うその背に向けて、京介は頭の中の混乱をそのまま吐き出した。

 

 

「どうなってるんだ、お前!」

 

「どうって、それは……!」

 

「機体の強奪に脱走だって!? おかしいとは思っていたけど、思っていたけどさぁ! クソッ! さっさと着ろ!」

 

 

頭を掻き毟りながらSu-47のカメラ・アイの映像を確認すると、既にサンダークの乗るSu-37は目と鼻の先までやって来ていた。クリスカが強化装備を着込むや否や、京介は即座に管制ユニットを機体に戻してサンダーク機と向き合う。サンダーク機は突撃砲こそ装備していないものの、両腕のモーターブレードを展開し何時でも戦闘を行える事を示していた。

 

 

「クソッ、どうする。話が通じれば良いが……」

 

「京介、私はっ、私は……」

 

「嘘つきは静かにしててくれ! 俺は混乱しているんだぞ!?」

 

 

両手で頭を押さえていた京介だったが、一歩ずつ近づいてくるSu-37の姿に思わず操縦桿を握り機体を向き合わせる。基本動作すらままならない状態で、京介は漸く自分が機体の操縦を司る後部シートに座ってしまっていたことを思い出した。更に自分が強化装備を着ていない現状から、京介はサンダークに対し音声通信を繋げる。

 

 

「サンダーク大尉!」

 

《その声、やはり……。その新型を勝手に持ち出したのはウラキ中尉、そしてビャーチェノワ少尉だな。だがビャーチェノワ少尉がそんな事をするとは到底思えない……が、ウラキ中尉が少尉に何かを吹き込んだ可能性もある。言え、理由を!》

 

「クリスカからビェールクトの操作を教わっているだけだ!」

 

《君には必要の無い知識だ! 既に貴官らを処罰するに必要な証拠は固めてある、中尉は国際問題に発展するが少尉は……場合によっては処刑も止むを得まい》

 

「処刑!?」

 

 

思わず前部シートに座るクリスカを一瞥するも、京介はその時彼女に何も言葉を掛ける事が出来なかった。だが直後、クリスカが管制ユニットを機体から外すとそのままハッチを開いて身を乗り出した。不安定な足場の中で上半身を管制ユニットから晒し、クリスカは両手を広げてみせる。強風に煽られて思わず目を細める京介だったが、思わず目の前の背中へ届かないと分かっていても左手を伸ばしていた。

 

 

「あっ、おい!」

 

 

京介の止める声も聞かず、クリスカは珍しく声を荒げる。かつての軍の規律等を堅く守っていた彼女の姿からは考えられない程の、大声。それは真っ直ぐにサンダークに叩きつけられたが、彼もまた、珍しく声を荒げていた。

 

 

「大尉! 彼が計画に必要だと言うのなら、彼にもこの機体の操作を学んで欲しいと思ってのことです! 無断でこの機体を持ち出したのは謝ります! ですが、私は------」

 

《自惚れるな少尉! 前にも言ったはずだ、貴様の代わりは幾らでもいると! 彼のつ(・)が(・)い(・)にさせておく身体は幾らでもあるのだと!》

 

「ですが彼が愛してくれているのは私です!」

 

《論点を変えるな! 貴様一人処罰したとて、シェスチナ少尉にも計画にも何ら支障は無い! ここで機体をそのまま貴様だけを処分しても良いのだ、私は!》

 

「ならいっそ!」

 

「クリスカ! 戯言は止めろ!」

 

 

京介が強制的に管制ユニットを機体に戻すと、クリスカはその振動でシートへその身体を固定された。振り返って京介の顔を見るも、彼は既に何かを覚悟した表情をしている。それの意味を知った時、クリスカは叫んだ。

 

 

「京介! ダメ!」

 

「処分だと! ふざけんじゃねえぞ、人を物みたいに言いやがってぇ!」

 

《私と戦う気か、中尉!》

 

「お前の御眼鏡にかなってやるって話さ!」

 

 

Su-47のモーターブレードを稼動させると、相対するサンダーク機もまた両腕のモーターブレードを稼動させた。クリスカは必死に京介を止めようとするも、彼は聞き耳を持とうとはしなかった。

 

 

《君の事は気に入っていたが、残念だよ中尉。付け焼刃の技量で私を倒せると思わない方が良い!》

 

「クリスカ、サポートしろ! お前の力が要る!」

 

「わ、分かった! けど、京介!」

 

「来るぞ!」

 

 

クリスカが声を荒げた時、既に状況は動いていた。サンダーク機が一気に加速しながら肉薄し、その右腕のモーターブレードを突き出す。それに伴い、京介はクリスカに叫ぶ。

 

 

「合わせろ! ユーリの言葉、借りさせてもらう!」

 

 

京介が入力した操作情報をクリスカが増大させ、Su-47は相手のモーターブレードを受け流しながらグッと身を屈める。そしてそのまま機体を加速させながら、左肩のブレードベーンでSu-37の胴体に強い突撃を喰らわせた。激しい衝撃が管制ユニットを揺らし、強化装備を着ていない京介の身体を揺さぶる。右肩を打ち付けた痛みに顔を歪めるも、京介はそのまま急制動を掛けさせた。Gに骨が軋むような感覚を味わうも、息を吐きながら京介は次の指示を下す。

 

 

「っ------出せ、左腕!」

 

 

そしてその号令の下、Su-47の左腕モーターブレードがサンダーク機の胸部に突き刺さった。火花が激しく飛び散り、Su-37の装甲を削っていく。急制動に息を詰まらせていた京介だったが、操縦桿を強く押し込んで右手で振り上げられた相手の左腕を押さえる。

 

 

「このまま捻り込んで、終わらせる!」

 

《一撃は見事だ! だが、これだけで勝てたと思わない方が良い! 先の事、君は考えているのかね!》

 

「その時は、その時だ!」

 

《そ(・)の(・)時(・)は(・)も(・)う(・)今(・)だ(・)! ビャーチェノワ少尉!》

 

「何っ!?」

 

 

サンダークの声が耳朶を突き抜けた瞬間、突如Su-47のモーターブレードが動きを止めた。そのまま勝手に左腕が動いて突き刺していた胸部から刃を放すと、京介は前部シートに座るクリスカを一瞥する。彼女は何時の間にか、操縦桿から手を離して顔の前で組んでいた。その肩が僅かに震えている事に気付くも、機体を揺らす衝撃に京介の視線は上に上げざるを得なかった。視界一杯に広がるSu-37の顔に思わず息を呑むと、京介はすぐに主機に火を灯して一気に機体を加速させる。

 

 

「クリス------おっ、おおおおおおおおお!!!」

 

 

雄叫びと共に強烈なGが身体に襲い掛かり、京介は自分の肉体が悲鳴を上げ始めるのを感じていた。だが途中で止める訳にも行かず、何より目の前で不穏な会話が行われたとあっては大人しく捕まるつもりにもなれなかった。その耳朶を、サンダークの落ち着いた声が打つ。

 

 

《操縦を習っていたというのは本当のようだが、基本の動きが出来ていないぞ!》

 

 

サンダークの言葉と共に主機の勢いに任せていた特攻もやがて受け止められると、刹那、京介は自分の身体が宙に浮いた事に気付かなかった。背中を管制ユニットの天井に打ちつけた時、京介の口が僅かに動く。

 

 

「が------」

 

 

網膜投影を通して映し出されている視界にはSu-47の腕を掴んだSu-37がいて、京介とクリスカの乗る機体は何時の間にか空に足を向けている。そしてそれが機体ごと放り投げられていると認識出来た時には、全身をビルの屋上から叩き落されたかのような衝撃が京介の全身を襲った。全身の骨という骨が歪な音を立てて折れていくような気がして、視界が暗転と明滅を繰返す。グッと全身の筋肉が強張ったかと思えば、咽喉を通って溢れ出た赤い液体が口から霧のように噴出して行く。全身を強く打ちつけた上で宙に浮いていた身体が反転して地上に戻った時、京介の頭部は前部シートのヘッドレストに叩きつけられていた。そのまま身体が重力に従って身体がシート収まると、仰向けの状態で京介は無理矢理シートに座らされた形になる。薄暗い管制ユニットの中、京介が最後に見た光景は、視界に広がっていく粘ついた自分の赤い血。目の前にある前部シートにいる女の後頭部が項垂れているのを見ながら、京介は口の端から赤い泡を吐き出すのだった。

 

 

 

 

クリスカ・ビャーチェノワがほんの数分間失っていた意識を取り戻した時、真っ先に彼女の思考を埋め尽くしたのは後部シートに座っていた京介の事だった。打ち付けた頭を押さえながら背後に振り返ると、そこには頭を垂れて血を流している彼の姿がある。四肢はだらしなく伸びており、頭から垂れている血は頭か口か、或いは両方から出ているかすら分からない。

 

 

「京介!?」

 

 

後部シート側へ身を乗り出してみればツンとする血の臭いが鼻腔を突き、クリスカは思わずヘッドレストに掛けていた掌を見る。その強化装備に包まれた掌には、べっとりと赤い血が付着していた。シート下に目を向けると、そこも何かに濡れている。それが何かを確認するまでも無く、クリスカは管制ユニットのハッチを開放した。外気に身を晒したクリスカが最初に見たものは自分達を見下ろしているサンダークのSu-37だったが、彼女はそれには構わずすぐに後部シートへと移る。そしてグッタリとしている京介の頬に手を添えながら、クリスカは男の名を叫んだ。

 

 

「京介!」

 

 

グッタリとして目を閉じている京介の背に腕を回して身体を抱えると、頭が上向きになった途端にぶっ……と京介の口から何かが吹き出した。それは口内に溜まっていた彼の血液で、ペンキの入った缶を思い切りぶち撒けた時のようにクリスカの顔を真っ赤に染め上げる。頭からも血を流して首や腕を力無く垂らしている京介を前に、クリスカは狼狽するしか無かった。閉じられた目が開く様子は無く、半開きになった口からは赤く染まった歯が見えている上に、口の端からは今も尚鮮血が流れ出ている。それが口の中に溜まっていたものか、それとも新たに体内から溢れ出ているものかすら、クリスカには分からなかった。

 

 

「ああ、そんな……!」

 

 

悲痛な叫びを喉の奥から零しながら、クリスカはシートに座らされている京介の全身を手でなぞった。何処に怪我をしていて何処に怪我をしていないのかを混乱する頭を何とか制御しながら行い、頭部の傷と右肩の脱臼、そして肋骨が骨折している可能性がある以外は不思議な程に京介の身体にダメージは無かったことを確認する。勿論それはクリスカが現状把握出来るだけの部分での話であり、すぐに手当てをしなければ命が危険だという事に変わりは無い。未だ強く鼓動している心臓を秘めた胸に手を当てつつ、クリスカは唇を強く噛み締める。

 

 

そんな彼女の耳朶を打ったのは、自分達を今の今まで見下ろしていたサンダークの声だった。だがその声はクリスカでさえ初めて聞く、歓喜に震えた男の快哉だった。

 

 

《Хорошо!  Хорошо! ……やはり本物か、彼は。まさか強化装備を着ていなかったとは……強化装備も無しに私を殺そうとし、生き延びたとは。ただの死に損ないかと思っていたが、信じたくなった!》

 

「大尉……?」

 

《ビャーチェノワ少尉、中尉共々許すぞ! 話は基地に戻ってから、まず貴様らの管制ユニットを先に回収する!》

 

 

グッと近づいてくるSu-37の顔を呆然と見上げた後、クリスカは腕の中で抱いていた京介の顔に自分の顔を近づけた。自分が発端となった今回の事件、自分が起した短絡的な行動の所為で京介に大怪我を負わせてしまった。ただ誰の邪魔も入らないところで、二人きりで話がしたかった。たったそれだけの話ではあったが、こうなってしまってはもうクリスカの心は直に握られたかのように痛み、彼女は自分でそれを治すことは出来ない。掌と顔に付いた京介の血の臭いに鼻腔を刺激されながら、クリスカは彼の口の端から垂れる血を親指で払った。肌の上で既に乾いていた部分が玉となって擦れ落ち、その上から更に新しい血が垂れていく。クリスカの震える唇から零れた囁きは、近いサンダークの耳にも、遠い京介の耳にも届かない。

 

 

「私の所為で京介が血を吐いているんだ……。なら、この血は私の血なんでしょう……?」

 

 

微かにクリスカの鼻先を擽る京介の呼吸を前に、クリスカは一度迷う素振りを見せながらも唇を寄せた。口周りに生暖かく鉄臭い臭いが広がるのを分かりながら、クリスカは舌を伸ばして血の海に沈む京介の舌を探り出す。時折咽て吸い上げた血を口の端から飛び散らせながらも、クリスカは京介の口の中で舌を絡ませながら血を吸い上げていた。だがやがて口の中の血も無くなってくると、吸血鬼のように口周りを真っ赤に染め上げたクリスカは京介の胸に額を寄せて身体を震わせる。ほんの少し前に自分に授けられた股座の奥の暖かさと、たった今目の前の男から吸い上げた血肉の暖かさがクリスカの身体を上下から責め立てて、グルグルと大きな渦を巻いて彼女の精神をかき乱す。

 

 

「っ……く、ぅ……嘘つきだ、私は……あの子にも、京介にも……本当の事……ぅ……」

 

 

強烈な自責の念に追い込まれていく彼女を救える者は、その場には誰もいなかった。9月も半ばを過ぎたこの頃、振り回される術しか知らぬ人々は、もう自らに降りかかる火の粉を振り払う力すら残されていなかったのであった。その胸を愛する人の涙で濡らされていても、浦城京介にはどうすることも出来ない。ただその心の奥底では、新たな決意の火種が生まれつつあるのだった。京介の前で崩れ落ちるクリスカの腕は、ズボンに染み込んでいた血に汚れだしていた。

 

 

 

 

 

浦城夏希がロバート・ギリアム・イェーガーから京介の事を聞いたのは、その翌朝の事だった。基地から勝手に浦城京介とニキータ・キースを脱走させ、更に中隊長の一人であるカシムを射殺した彼女は、予想外にも黒色槍騎兵団の隊長の任を解かれロバートの副官として連隊に残っていた。だがそれでも出撃時以外は常に壁がガラス張りになっている営倉での生活を義務付けられ、既に彼女は見た目からして荒れているように見える。

 

 

「------やはり君達姉弟は例外のようだ。強化装備の無い状態で機体ごと振り回され、管制ユニットの中で全身を強く打ち付けても生き残った。頚椎を損傷しなかったとは……幸運の二文字では表しきれない事態だな」

 

 

一部分に円が描かれ、その中に更に複数の丸い穴が開けられているガラスの前に立っていたロバートは営倉にいる夏希にそう声を掛けた。サングラス越しの黒い眼球はボロボロのベッドの上で片膝立てて座っている夏希の姿を捉えていて、ボサボサの髪をした彼女は据わった目でガラスの向こうにいるロバートを睨みつけている。

 

 

「内臓の一部を損傷しているらしいが、それ以外は右肩の脱臼と肋骨を三本骨折しただけ。後は打撲や裂傷といった細かい傷が複数。現在は治療を終えて入院中らしいが、復帰に時間は掛からんだろうな。上の方には夜間飛行訓練中の事故と報告されたらしい」

 

 

アラスカに居るイワンから送られてきた報告書をペラペラと捲りながら、ロバートは鼻を鳴らした。

 

 

「そして君があんなタイミングで彼を連れ出してくれた所為で、彼はすっかりカムチャツカでの記憶を無くしてしまっているらしいぞ。御蔭で偽りの記憶を入れてボロを無くそうとした計画が台無しだ、もう一人の大東亜連合の女も今では横浜の連中に身柄を保護されているそうで……。全く、本当に良くもまあ面倒事を起してくれたな。夏希」

 

「…………」

 

「そんな怒り狂った目で見られても困る。私が君に何の罰も与えないと本当に思っていたのか? 部下を私兵扱いさせていた分、連中の扱いに私は今非常に困っているんだ。なまじ実力のある連中を揃えさせた所為で、無駄死にさせようにも殆どの戦場から無事に帰還されてしまう」

 

「そうだろうね」

 

 

やや掠れた声を夏希が発すると、ロバートは一瞬考え込む素振りを見せたがすぐに鼻を鳴らして営倉の中を見回した。ベッドの反対側には草臥れた簡易トイレが有り、その便座から少しだけ湿った白い紙のようなものが見え隠れしている。

 

 

「流していないのか」

 

「え?」

 

「便所だ、流す元気も無いのかと聞いている」

 

「……ボロくて詰まってるだけだよ」

 

「そうか、なら確認しよう」

 

 

そう言ってロバートが営倉のこれまたガラスで出来たドアを開けて中に入ると、彼の鼻をツンとした排泄物や汗が混じった臭いが突いた。その臭いに顔を顰める事も無くロバートが便器を覗き込むと、濁った水と水気を吸ったトイレットペーパー、そして今ベッドに座っている女が出したものであろう排泄物が流されることなくそこに存在していた。まだ蝿は飛んでいないものの不衛生極まりないその光景を前にロバートは手に持っていた書類をビリビリに破り捨てると、それをトイレに落として排水レバーを下げる。やや詰まったような音を響かせながらも溜まっていたものが濁流に押し流されて消えて行くと、ロバートは背後から迫っていた夏希の拳を掴んでそのまま捻り上げた。

 

 

「ッ……!」

 

 

痛みに顔を歪める夏希の後ろ髪を掴み、ロバートは思い切り便座の中へとその顔を突っ込ませた。背中で関節を極められている夏希に抗う術は無く、さっきまで自分の排泄物が溜まっていたところへ大人しく顔を浸すしかない。そこでロバートはレバーを下げて新たに水を流すと、溺れる夏希の頭を水に押し付け続けた。暴れる身体を無理矢理押さえて水が止まれば髪を引いて呼吸をさせて、そしてまた水に押し付ければレバーを引いて。そうした拷問にも近い行為を繰返した後、ロバートはグッタリした様子でいる夏希の関節を極めていた腕を離した。だが直後に夏希が掴まれている髪が抜けるのも構わずに腕を振るった為、ロバートは腕を避けるや否や彼女の顔面を便座へと叩きつける。

 

 

鮮血が飛び散り、便座を赤く汚す血を鼻から垂らしながら、夏希はロバートに振り回されてガラス壁に投げ飛ばされた。背中を打ちつけ息を吐かされた夏希が肺の中を正常に戻す前に、追撃するロバートの膝がその腹部へと叩き込まれる。咳き込みながら胃液を吐き出す夏希はそれでも尚ロバートの胸倉を掴んだが、一瞬にして両手首の関節を外されると足払いを受けて無様に地面に転がった。口の周りを汚物で汚しながら汗と水で濡れた髪を振るい、夏希はロバートの足に噛み付く。だがロバートは何の反応も示さずに、噛まれていない方の足で夏希の頭を踏み潰した。

 

 

「あぐっ!」

 

 

「随分と躾のなっていない犬に成り下がったな。君は私には勝てないと、何度も証明して見せたが……まだ理解出来ていないらしいな。この駄犬が」

 

 

グリグリと頭を踏みつけられながら降りかかった言葉に、夏希は声にならない呻き声を上げて立ち上がろうとする。だが両手首の関節を外され、若干衰弱状態だった彼女には男の足を跳ね除けるほどの力は既に残されていなかった。

 

 

「自分の弟君が大事なのは分かるが、所詮君も彼もただの駒だという事を忘れてもらっては困る。優先されるべきは君の感情じゃない、私の意志だ」

 

「ッ……! 大佐!」

 

「戦場で自分勝手に生きていけても、組織の中でも同じように出来ると自惚れてもらっては困る。今まで自由にさせ過ぎた私の責任でもあるが……少々君はやり過ぎた」

 

 

ロバートが足を動かした時、既に夏希にはこれ以上反抗する体力が残されていなかった。胃液で喉は焼け、身体の節々が悲鳴を上げている。荒い呼吸を繰り返しながら目の前の男を睨み上げるしか、彼女には出来なかった。そんな彼女を前に、ロバートは言葉を吐き捨てる。

 

 

「暫くそうしてい給え。まだ反抗すると言うのなら、弟君のように肋骨を何本か圧し折って内臓をグチャグチャにしてやる。そうする元気も無いのなら、衛生兵が来るまで手首をぶらつかせて眠っていろ」

 

 

そう言ってガラスの向こうへと消えて行くロバートの姿を、夏希は呻き声を上げながら見送るしかなかった。かつて彼に対して抱いていた尊敬と畏怖の念は既に彼女には無く、最早自分の行動を制限する邪魔臭いモノという程度にまでロバートのレベルは下がってしまっている。夏希はただ自分が好きな様に生きていたいだけであり、好きなように動ければそれだけで良いのであった。だから彼女にとって黒色槍騎兵団を率いていたという事実は掛け替えの無いものであり、それを奪った時点で夏希はもうロバートに部下では無くなっている。

 

 

「……待ってなさいよ、京介……。アンタの敵は全部、全部お姉ちゃんが……潰してあげるからね、ふふ、ふふふ……」

 

 

形容すれば芋虫の様とでも言われる姿のままで、夏希は仰向けに寝転がりながら肩を震わせて笑っていた。静かな廊下にガラス越しの狂ったような笑いが響く中、それを聞いていた一人の男はその短い金髪を掻き上げてその場を去る。ブリッツ・フォン・フィールド、夏希の恋人であり右腕でもあったその男は、懐から取り出した一枚のメモを一瞥するとゆっくりとその場を去って行く。その先には別の女と大柄な男がおり、ブリッツが静かに頷くのを見るや否や彼らはそれぞれの目的を果たすべく歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

Su-47ビェールクトが夜間訓練飛行中に墜落事故を起したという騒ぎが広がって早五日、ユウヤ・ブリッジス達アルゴス小隊の面々は復興途中のリルフォートの一角にあるバーで何時ものように雑談していた。最近の話題は専ら不知火弐型フェイズ3と呼ばれる新型機についての話であり、唯依の死と京介との模擬戦を経たユウヤは半ば自己脅迫に近い形でその機体運用に熱を上げている。だが今回ばかりは墜落したSu-47についての話であり、内容としては墜落機に乗っていた衛士は誰かという話であった。

 

 

「やっぱり紅の姉妹が乗ってたんじゃないのか? 病み上がりで乗せてみたらドーンッ! てさ」

 

 

昼飯時と言うこともあって水の入ったコップを仰いでいたタリサ・マナンダルがそうぶっきらぼうに言うと、隣に座っていたヴァレリオ・ジアコーザは首を傾げて疑問を口にする。彼もまた手元に水入りのコップを置いていたものの、その中身は既に空になっていた。

 

 

「だけどよ、誰が墜落したかなんて噂好きが放っておかないような話で何の情報も出てこないってのは臭うぜ。ユウヤが訓練機(吹雪)を乗りこなせなかった時なんか、すぐに噂が広まってたって言うのに」

 

「何時の話をしてるんだ、VG。……けど確かに、今回の墜落事故は何かがおかしい」

 

「おかしいって?」

 

 

タリサに正面から見据えられたユウヤは、自分で言った言葉を心の中で反芻していた。何故おかしいと感じたのか、何がおかしいと感じたのか、言葉には出来ない何かがユウヤの心の中に生まれている。タリサの執拗な問い掛けを無意識的に無視しながら考え込むユウヤの耳朶を、バーのドアが開いた事を知らせるベルが打った。そして店内に一瞬にしてざわついた空気が生まれると、ユウヤは反射的にドアの方に視線を向ける。

 

 

「っ、アイツ!」

 

 

まず最初にユウヤの視界に入って来たのは、長い髪を揺らしているイーニァ・シェスチナの姿だった。本来バーになど来るべきではない容姿をした彼女は、ドアに手を掛けたまま外に視線を向けている。まるで誰かが入ってくるのを待っているようで、事実ユウヤが席から腰を浮かした時には既にその人物は入店を済ませていた。ただその人物の姿というのが、店内にいた客がざわついた原因であった。

 

 

「おい、アイツ……」

 

 

「大将……?」

 

 

頭を包帯でグルグル巻きにして、右肩も吊っている。ジャケットを羽織って左脇には松葉杖を挟んでゆっくりと歩いているその男は、正しく浦城京介本人だった。イーニァに付き添われながらカウンターの席に着いた京介は、バーテンに何事か声を掛けると僅かに息を吐いて休憩する素振りを見せる。そして店内の客の視線を一身に集めていることに気付くと、その影のある茶色い瞳で店内を睨みつけた。それだけで何人かの客は自分の手元へと視線を落としたが、ユウヤ達だけはジッとカウンターの方を見つめている。だが傍に立つイーニァに何事か囁かれた京介が頷くと、彼女は朗らかな笑みを浮かべてそのままユウヤ達への方へと駆け出した。

 

 

「ユウヤ!」

 

 

「おっ、おい、イーニァ……危ないって」

 

 

そう笑顔を浮かべて飛びついてきたイーニァを、ユウヤは受け止めざるを得なかった。京介に視線を向けるも彼はバーテンと何事か話し込んでいて、イーニァに関しては完全に興味を失っているようだった。仕方なく、ユウヤはヴァレリオ達に一言断ってから別のテーブルへとイーニァを連れて行く。何処か上機嫌に見えるイーニァに不審なものを感じながら、ユウヤはウェイトレスに彼女の為にオレンジジュースを注文してやった。よくよく考えてみれば、彼にとっても久しぶりのイーニァとの会話だったことを思い出したのだ。

 

 

「目が覚めたってのは聞いていたけど、もう大丈夫なのか? 行き成りリルフォートなんかに来て」

 

 

「うん! きょうはキョウスケもいっしょだし、イーニァはおてつだいをしているだけだから」

 

 

運ばれてきたオレンジジュースに目を輝かせながらコップに差し込まれていたストローをイーニァが咥えると、ユウヤは再びカウンターを一瞥した。未だバーテンと何事か話し込んでいた京介だったが、何かのメモのようなものをバーテンに渡したのを見るとユウヤの目が細まった。だがすぐにイーニァが不思議そうな声を上げるのを聞くと、ユウヤはすぐに正面に座る少女に視線を戻す。

 

 

「キョウスケのこと、きになるの?」

 

「え? あ、ああ、まあな。……一応あんな奴でも、大事な仲間だったからな」

 

「? けどユウヤはキョウスケとけ(・)ん(・)か(・)してたんでしょう?」

 

 

首を傾げるイーニァにユウヤが何故と言った表情を浮かべると、すぐにイーニァは笑顔から一転して悲しそうな表情に切り替わった。

 

 

「わたし、いやだよ? ユウヤもキョウスケも、なかよくしてほしい。クリスカも、かなしむから」

 

 

「クリスカ、か」

 

 

イーニァの口から零れた女の名前に、ユウヤの表情は曇る。Su-37との模擬戦の最中、直接顔を合わせた京介から放たれた男女の仲にあるという言葉。それが本当かどうかは分からないが、確かめる術が無い事にユウヤは一時期鬱屈とした心持ちでいた。イーニァであるならば詳しい事を知っているかもしれない、そうユウヤは考えたが、同時に無垢な少女にそんな大人同士のドロドロとした背景を聞いて良いものかという葛藤も抱いていた。そんなユウヤの心情を知ってか知らずか、イーニァは一人オレンジジュースを飲みながらカウンターの方を覗いている。だがイーニァがストローから口を離して「あっ」と声を上げた時には、ユウヤもまた自分達のテーブルに映る影に気付いていた。

 

 

「……イーニァ、帰るぞ」

 

 

重く冷たい声色と共に、自棄に擦れた京介の茶色い二つの瞳が、ジッとユウヤとイーニァを見下ろしていた。

 

 

 

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