Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
目を覚ました京介が一番初めに視界に収めたのは、クリスカがシーツに包まって静かに寝息を立てている姿だった。その奥に見えるカーテンの向こう側はまだ日が昇り始めたばかりで、京介は手の甲でその白い頬を一度撫でてからゆっくりと起き上がった。何も纏っていない上半身の筋肉の調子とかつての傷の具合を確かめてから、京介はゆっくりと首を回して床に散らばっている自分とクリスカの衣服の一部とその下に広がっている銃器のパーツを視認する。
立ち上がる際に昨晩の行為の所為かやや腰に疲労感を覚えながらも、床に広げていた散弾銃や突撃銃、それらのマガジンや弾薬箱をデイバッグに詰めなおすと、京介はそれを背負って音を立てないようにカーテン側へと移動した。床に座り込んでから一つずつ分解されていた銃器を取り出し、練習の意味も込めて組立てていくと、最後に頼るべき力となる存在が一つずつ完成していった。恐らくソ連軍のものが違法に流出したのであろう突撃銃AKMを組立てると、次にデイバッグからAKM用のマガジンを取り出した。一つにつき四十発入るマガジンは三つしかなく、装填する7.62mm×39弾を弾薬箱から取り出しては一発ずつ布で磨きながら込めていく。そしてその全てに弾丸を込め終えると、京介はダクトテープを乱雑に千切ってその中の二つを上下逆にしてテープで纏めた。弾切れの際に別のマガジンを取り出すタイムロスを減らす為だ。
それから組立てたAKMをもう一度大まかなパーツごとに分解してからデイバッグに収めていくと、今度はモスバーグM590と呼ばれる散弾銃を取り出した。アメリカ国内では警察から狩りにまで幅広く使用されている散弾銃であり、レシーバー横には六発分のショットシェルホルダーが装着されている。これもアメリカの何処かの州からの流出品か等と思いながら、京介はホルダーにシェルを固定していく。使用する弾丸は12ゲージだが、通常のものではなくドラゴンブレス弾と呼ばれる発火性に重点を置いたものを更に違法改造したシェルを使用する。一発撃てば火炎と共に大量の鉄の粒が飛び出していく銃自体にも大きな負担を掛けるものだ。組み立て、分解し、それもまたデイバッグへと収めて行く。最後に残された武器を一つひとつ丁寧に確認していく作業には、進めていくと同時に京介自身の覚悟をより強固なものにしていくという意味を持っていた。
「後は……こいつか」
最後に手に取ったのは無骨な拳銃で、だが使い込まれていて所々銀色の
「私に出来る事は何かない? 廃棄処分されるかもしれなかった私が手に入れられる情報は殆ど無かったけれど、何か出来る事があれば……」
「今は大丈夫だ、もしもの時にイーニァの傍に居てくれるだけで良い。……それと、廃棄処分だなんて言うな。お前は人間だ、そうだろ」
「……うん」
手を後ろに回してクリスカの髪を指で梳いていくと、京介はマガジンに弾を込める作業を再開した。手元に残っているのはこの三挺にトカレフを加えた四挺の銃器、そして二つしかない手榴弾だけ。国を相手取るには貧弱過ぎる装備だ。例え戦術機があったとしても、孤立無援ではどうしようもない。脳裏を過ぎった考えを頭を軽く振って振り払うと、京介は暴発しないようにスライドロックを掛けたPT92を足で引き寄せたデイバッグに収めた。それからベッドに片足を横にして座りなおすと、その太腿を枕代わりにクリスカが頭を載せてくる。手の中に広がる長い銀髪を手で梳きながら、京介はもう片方の手で窓の外を見つめている彼女の頭を優しく撫でた。
「まだ時間はある、だから俺に任せておいてくれ。誰もが幸せになれる結末なんてものが存在するかは分からないけど、それでもお前達二人を幸せに出来ないで他に何が出来るって言うんだ。……クリスカ、ちゃんと銃は持ってるか?」
「え? あ、ああ、何時もベルトに」
「絶対手放すんじゃないぞ。昨日あれだけ啖呵切っておいて何だが、本当にどうしようもない時は自分で自分を守ってもらうしかない」
「……分かってる。けど私は、京介を信じてるから」
「ありがとう」
と、ふいに二人の居る部屋のドアをドンドンドンと激しくノックする音が響き渡った。飛び起きたクリスカが卓上のトカレフに飛びつくと、京介はすぐにデイバッグからPT92を取り出して、カーテンとは反対側の床に散らばっていた彼女の服をベッドに上げながらドアに向けて叫ぶ。
「誰だ!?」
「ヴォルフです! 緊急事態です、中尉!」
ドアの向こう側から聞こえてきたリコの声に京介とクリスカは一瞬顔を見合わせるも、すぐに左手の銃を隠しながらドアを開いてリコの姿を確認する。ドアの向こう側にはリコの姿しかなく、彼女は腰のホルスターのロックを解除して何時でもマカロフを引き抜けるようにしていた。その姿に一気に警戒心を高めた京介は、一度廊下に顔を出して誰も居ない事を確認すると、リコの肩を掴んでそのまま自室へと引きずり込んだ。
「いたっ」
肩に食い込んだ指に痛みを感じて小さな悲鳴を上げたリコだったが、それに構う事も無く京介はすぐに本題を彼女に切り出す。
「どういう意味だ、リコ。何があった!?」
「あっ、その、昨日、部屋にシェスチナ少尉が来て泊まらせたんですが、今朝には姿が見えなくて……昨日の晩にビャーチェノワ少尉が中尉の部屋に居ると聞いたものですから私てっきり------」
「何があったかと聞いてるんだ!」
「ろ、廊下にこれが落ちていたんです! それに手紙も!」
その時になって漸く初めて、京介はリコが左手に何かを持っていることに気付いた。それはぬいぐるみで、憎たらしくも愛らしい笑みを浮かべている熊で、いつもイーニァが肌身離さず持っていたミーシャだった。それと一緒にリコの手には彼女がずっと握っていた所為か少しクシャクシャになった手紙が握られていて、京介はすぐにその手紙を取り上げる。そしてタイミング悪く、慌てて着替えたのであろうクリスカがトカレフとマカロフを両手に姿を現した。その視線がミーシャに向いた時、彼女もまた声を荒げる。
「イーニァがどうしたの……っ、ヴォルフ少尉、どうしてそれがここにあるの!?」
「っ、手紙を一度見たのですが、日本語なのは分かっても私には意味が分からなくて……その」
「ヴォルフ少尉!」
リコの言葉を遮るようにクリスカが叫んだ時、京介は読み終えた手紙を真っ二つに引き裂いてクリスカの手からトカレフを奪い取っていた。その顔は怒りに歪んでいて、彼は困惑するクリスカを前に激しい悪態をつく。だが日本語で放たれるそれらの言葉をクリスカやリコには理解出来ず、それが更に彼女達の混乱を招く事となった。
「あの野郎……!」
「どうしたの京介、何が書いてあるの!?」
「俺のジャケットを持ってこい! 早く!」
辛うじてジャケットという単語と京介の腕を振る仕草から意味を理解したクリスカが京介のジャケットを取ってくると、その間に彼はズボンにPT92とトカレフを差し込んでいた。それから手渡されたジャケットを羽織ると、二人には何も言わずそのまま何処かへと走り去ってしまった。困惑するしかないクリスカとリコは慌てて追いかけるかどうか迷ったものの、クリスカは一先ず京介が破り捨てて行った手紙を拾い上げる。その手紙は差出人を含めた全てが日本語で書かれており、クリスカには全く読むことが出来ない。それは最初から日本人である京介だけに伝わるように書かれていたもので、全てはもう一度彼に会う必要があった一人の男から送られていた。熱くなることで周りが見えなくなるその性格を読んでいたかのように、脅迫するような文章で。
------イーニァ・シェスチナは預かった。不要な危害を与えられたくなければ、至急以下の場所に来られたし。 白銀武。
京介が何時も利用しているバーの名前を態々カタカナで記してある意味に気がつかず、ただ彼は走る。太陽が昇りきった頃には、アラスカと言えども大粒の汗を掻いた京介は指定された場所へと到達していた。肩で息をしながらバーへの道を一歩ずつ進んでいた京介の視界には、ドア脇に寄り掛かるニキータの姿が映っている。早歩きで近づいてくる京介を見つけた彼女も始めは片手を上げて挨拶しようとしたが、すぐに相手の様子がおかしいことに気付く。左手にPT92、右手にトカレフを抜いた京介にニキータもまた懐の38口径を引き抜こうとしたが、それよりも早く、京介は彼女の身体を蹴り飛ばしてバーのドアを吹き飛ばしていた。
店内に居た白銀の耳朶を、大きな音を立てながら倒れたドアが拉げる音が打った時、彼の座る席の向かい側ではイーニァが黙々と牛乳に浸したシリアルを食べながらジュースを飲んでいた。彼女もまた突然の大きな音に驚いた様子を見せたものの、振り返った先に居た人物を見つけるとバッと立ち上がってその人物の名を呼ぶ。
「キョウスケ!」
だがその視線の先に居た京介がドアの上にいる誰かを踏みつけている姿と両手に銃を携えていることから、イーニァはすぐに彼の心の中にあるどす黒い怒りの色を感じ取る。地獄というもののイメージを彼女が持っていたとしたら、正に今の京介の心の中はそれと合致していただろう。足元にいる褐色肌の女性の胸を踏みつけ銃を向け、怒りに染まった顔を自分の方に向けているその男は、イーニァの姿を見つけるや否や言葉を荒げた。
「イーニァ! そいつから離れろ!」
「えっ……」
言うが早く、京介は足元のニキータが痛みで抵抗する素振りを見せないことを確認してから移動し、そして席に座る白銀に銃口を向けた。困惑した表情のイーニァの肩を持って引き寄せた京介を前に、白銀は静かに立ち上がる。背後では背中を強打したニキータが痛みに悶えながら立ち上がろうとしており、その更に後方ではバーのマスターが突然の騒動にカウンター下から水平二連式の散弾銃を取り出していた。
「何か変な事されなかったか、イーニァ」
「えっ?」
イーニァを背後に隠しながら白銀とニキータを警戒していた京介がそう声を掛けるも、当のイーニァは何が何だか分からないといった様子でオロオロと白銀と京介の顔を何度も視線を往復させている。その姿に京介が違和感を覚えた時、次に店内に響き渡ったのは白銀の口から零れ落ちた大きなため息だった。そしてイーニァが困惑した顔のまま、京介の袖を引っ張る。
「キョウスケ、ちがうよ? わたし、あさごはんたべてただけ」
「……あ、朝御飯? あのシリアルが?」
「うん。……まえにキョウスケがたべてたって
きょとんとした顔で見上げてくるイーニァの姿に京介が面食らっていると、何時の間にか近づいて来ていた白銀が未だ蹲っていたニキータの襟を掴んで思い切り立ち上がらせた。その表情は変わっていないが、京介とイーニァから見れば十分に怒っているように見える。事実、直後白銀の口から放たれた言葉には、若干の苛立ちが込められていた。
「キース少尉、説明してもらおうか。……一体、浦城中尉にどんな手紙を書いたんだ?」
「え、あぁ、その……へへへっ」
誤魔化すように笑って見せたニキータの頭頂部に白銀の拳骨が振り下ろされるまで、そう時間は掛からなかった。
「……確かにそんな誘拐犯紛いの手紙をあんな渡し方をすれば浦城中尉が怒るのも無理は無い。すまなかった」
派手に破壊したドアを適当に穴に立掛けてから、白銀は向かい側に座り直していた京介とイーニァに向けてそう言って頭を軽く下げた。京介は不機嫌さを隠そうともせずにテーブルの上にPT92とトカレフを置き、イーニァがシリアルに注いでいた牛乳パック片手に喉を潤している。その隣ではシリアルに追加する牛乳を取られたことで頬を膨らましているイーニァの姿があり、更にその向かいには白銀から雷を落とされたニキータがバツが悪そうに座っていた。
「ったく……顔を合わせる度に碌な事が起こらねえな。……おいイーニァ、シリアルのお代わりはダメだ。後でちゃんとした飯食べにいくから」
「おいしいのに……」
「ダメったらダメだ。あと朝からジュース飲むのもダメだ、シリアル食べるなら使った牛乳を飲め牛乳を」
「はーい……」
渋々と言った様子で持ち上げたシリアルの袋をテーブルに戻したイーニァは、皿に注いでいた牛乳をスプーンで掬ってちびちびと飲み始める。ふやけたシリアルの破片が混じった牛乳はそれ程美味しくも無い為か、イーニァのその顔は晴れない。子犬のように飲み進めるイーニァを尻目に京介は空になった牛乳パックをテーブル上に転がすと、次にシリアルの入っている箱を手に取って僅かになっていた中身を一気に口の中へと送り込んだ。
「……で、態々イーニァをここに連れてきて……んぐっ、俺に話したい事ってのは何なんだ?」
朝っぱらから走ってきたこともあって空腹だった所為かシリアルを凄まじい勢いで食べ尽くす京介の言葉に、白銀はもう一度だけニキータを一瞥してから口を開いた。
「まずは先日のDIAとの一件について。あの後ブリッジス少尉は無事に戻ったが、やはり連中によるXFJ計画への介入は防げそうもない。明日か明後日か或いは……どちらにしろ近いうちに彼らは拘束される」
「俺達を襲った事についてはどうなってる?」
「特にこちらに対して行動を起す様子が無いところから、保留扱いにでもなっているんでしょう。それと、GRUやKGBが動いたという情報を手に入れましたが?」
白銀のその言葉に京介は口内の噛み砕いたシリアルの破片を飲み込むと、静かに何度か頷いて見せた。イワンから聞いたばかりの情報をどうやって手に入れたかは不明だが、どちらにしろ最初からまともな立場の人間でも無さそうな白銀に隠し事をしても無意味だろうと判断し、京介はイワンから聞いた事をそのまま話してやった。その内容に関する白銀の反応は端的に言えば淡白で、やはりそうか、と言外に含んでいるようである。
「米ソ共に招かれざる者達の介入が行われようとしている。もし行動を少しでも誤れば、とんでもない事態になるでしょう」
「ハルトウィックの首が飛ぶだけじゃ済まなくなるかもな」
「プロミネンス計画そのものが、と言い換えたほうが良い」
プロミネンス計画の最高責任者である西ドイツ軍クラウス・ハルトウィック大佐の名を出したのは京介のちょっとした冗談のつもりだったが、白銀の言葉からは冗談のようなものは一切感じられなかった。その事に若干の緊張感を得ながら、京介は隣にいるイーニァの必要性について考えつつも漸く白銀に本題を切り出した。何度か繰返されたこの会話に終着点はあるのか、それは一体何なのか、それを確かめる為に。
「……それじゃあ、そろそろ教えてもらおうか。態々横浜から足を運んできた少佐殿が一体この俺に何の用があるのか。ロバートの事を知っていたことについてはニキータから聞いたから答えなくても良い、ただ俺に引き金を引かせるような答えは求めていない事は覚えておけ」
京介が言いながらそっとPT92のグリップに指先を這わせた時も、白銀は一切表情を崩さなかった。ただ黙って懐からP99を取り出し、初めて会った時と同じようにそれをテーブル上に置いてみせる。敵対する意志は無いとでも言うようなその行動を京介がジッと見つめていると、白銀はその重い口を開いた。
「キース少尉から聞いているのなら話は早い。彼女の言う通り、俺はあのイェーガー大佐達と戦う為の戦力を集めている。並大抵の衛士じゃ歯が立たない彼らを倒す為の部隊を、だ。……俺の目的は貴方を我々ディパーテッドにスカウトすること。所属を移し、俺の仲間として共に戦ってもらう為に」
「どうしてあの連中を倒す為だけの部隊を結成する必要がある?」
「彼らを野放しにしておけば、世界が滅ぶからだ。俺は何としてもそれを阻止しなければならない。戦いに必要なのは
白銀の最後の言葉に京介は首を傾げたが、すぐに考え込むように拳を握って口元に当てた。隣ではシリアルを食べ終えたイーニァが不安そうに京介の顔を見上げていて、それがどういう意味か、京介なりに理解しているつもりだった。ロバート達と戦うという白銀の言葉に嘘が無いかイーニァに確認してもらおうとも思った京介だったが、彼女達にこれ以上余計な心配を掛けたくないという思いからその選択肢は早々に頭の中から消していた。ロバート達と戦う、その言葉を聞いて京介が初めに思い出したのはグアドループでの黒色槍騎兵団との戦いだった。後で知った事ではあるものの、姉である浦城夏希が率いているというあの部隊を含めた連中と再び戦うというのは、浦城京介という一人の衛士から見れば回避すべき事態のように感じていた。だがそれとは別に一人の男としての浦城京介として見れば、戦うべきだという強い圧力を感じている。
「今俺達の誘いに乗ってくれた衛士の中には、彼らに襲われながらも生き残った者もいる。このキース少尉もそうだ。だが連中と三度も戦い、生き残ったのは貴方だけなんだ。浦城中尉」
「グアドループと、カムチャツカと、あの連中の本拠地での事か」
「そうだ、貴方がカムチャツカでの記憶を失ってしまっている事は知っている。だがその事実は大きい。貴方の力が必要なんだ、中尉!」
白銀の言葉に心の奥の何かが震えだすのを感じながらも、京介はそれを隠すようにイーニァの背を軽く叩いた。帰ろう、そんな意味を込めて。
「……悪いが他を当たってくれ。俺はここを離れる訳にはいかないんだ、イーニァ達を置いては行けない」
「キョウスケ……」
「行こうイーニァ、クリスカもリコも心配してる。長居は出来ない」
そう言って銃をズボンに差し込んだ京介は、イーニァの手を取るとそのままその場を去ろうとした。白銀の真意が何であれ、今の自分はクリスカとイーニァの傍に居てやらなければならない。降りかかる火の粉を振り払い、多数の命を無碍にしてでも。そんな確固たる意志を持っていた京介の背に投げ掛けられたのは、白銀の魂の叫びとも取れる言葉だった。
「横浜に来れば! 横浜に来れば二人を助ける事が出来る! クリスカ・ビャーチェノワに必要な特殊蛋白も、イーニァ・シェスチナに必要な薬品も! 全部、全部だ! 今の貴方達に必要な物は全て用意出来る!」
「------ッ!!」
反射的に銃を抜いていた京介はそのままそれを白銀に向けようとしたが、それを手で押さえて止める者がいた。イーニァだ。静かに頭を振る彼女の姿に困惑しながらも、京介は肩で息をしている白銀の顔を見る。先程までの無表情とは違い、今の白銀の顔はまるで氾濫した川のように様々な感情がごちゃ混ぜになっていた。その隣に立つニキータが何事かを彼に囁くも、白銀はそれを片手を上げて制止する。その姿を前に、京介はトカレフのグリップを強く握り締めながらも言葉を投げつけた。イーニァの腕を振り解くような事はまだしない。
「どうしてお前が二人の事についてまで知っているかはこの際どうでも良い。だがもう一度聞かせてもらうぞ、お前は二人を助ける事が出来ると……今そう言ったんだな?」
「っ……、そうだ。精製に必要な設備もすぐに用意出来る、嘘じゃない。何ならシェスチナ少尉に聞いたって良い。彼女に嘘は------」
「喧しい!」
一声。京介は白銀の言葉を遮ってまで声を荒げると、強く自分の腕を引っ張るイーニァを無視して彼の目の前まで足を運んだ。そして血走った目で相手の顔を睨みつけると、更に言葉を続ける。
「二人の事はソ連の機密事項だ、その事自体を知っているのは今までの様子から想像出来なくもない。だがな、その為に必要なものがどうしてお前にすぐ用意出来る? 何故分かる!? どうしてだ!? お前も他の連中みたいに、適当な事を言って俺達をただ利用するつもりじゃないだろうな!」
「違う! それだけは絶対に違う! ただ俺は、これ以上貴方に大切な人を失う痛みを味わって欲しくないだけなんだ! 何度も繰返して、傷ついて、それでも前を向いていた貴方は強い! けど、貴方は繰り返し過ぎた! だからこうやって顔を何度も合わせても、貴方は
豹変とも言える白銀の突然の激昂に一瞬圧された京介だったが、すぐに相手の意味不明な言葉の内容に顔を顰めた。少なくとも、バーのマスターを除いた四人の中では、その反応が最も正常であったのは間違いない。
「待て……待て、何を言ってる? 気でも狂ったのか?」
「信じられないのも分かる。けど事実なんです、
白銀の言葉を止めたのは、ゴッという鈍い音と共に彼の頬骨を正確に捉えた京介の左拳だった。勢い良く振られた拳は白銀の身体を大きく吹き飛ばし、テーブルに載っていた皿に残っていた僅かな牛乳を周囲に飛び散らせながら、彼の身体は大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。荒い呼吸を繰返しながらもその身体を見下ろしていた京介は、自分でも分からない程に混乱していた。目の前にいる男が語った意味不明の話が理解出来ないということもあったが、何故か彼の語ったその内容が頭の何処かに引っ掛かっていたからだ。否定したいのに否定し切れない自分が信じきれず、だからこそ気がつけば京介は白銀を殴っていた。そうすれば、自分がまだ
「っ、そ、そういう与太話は子供にでもしてやれよ……。はっ、世界を繰返す? 記憶と経験の継承? 馬鹿馬鹿しい、そんな事有る訳……ねえよ。まだBETAが人の言葉を話すって話の方が信用できるぜ、ああ……その方が」
京介が自分でも分からない程に震えている唇を何とか動かして言葉を零すと、口元を拭いながらゆっくりと立ち上がった白銀は再び彼に向かって語り掛ける。
「今までに何か見覚えの無い光景を夢で見た事は?」
「何?」
「実際に見た事も無い人を夢の中で見たとか、誰かが死ぬ光景を見たとか、顔も分からない誰かを抱いているシーンでも良い。全く無いと言い切れますか? ……今際の自分が最期に見た光景を、思い出せますか」
白銀の言葉を、京介は否定出来なかった。気のせいの一言で片付けられそうなものが頭の中に幾らでも浮かび上がり、否定しようと口を開いても乾いた空気だけが吐き出されて何も言葉が出てこない。突拍子も無い事だと決め付けたいのに決め付けられない自分がどうしてか分からず、ただ身体の内側から湧き上がってくる気持ちの悪さと冷汗が京介の全身を濡らしていく。そして傍に寄ってくるイーニァすら片手で軽く突き飛ばす程に動揺している京介を前に、白銀は頬に付着した牛乳を指先で拭いながら近づいて行った。
「過去に貴方から教えられた話があります。貴方自身が殆ど誰にも言った事が無いと言っていて、その話をされるのが一番嫌だとも。これを話せば、貴方は俺を信じてくれますか?」
「……っ、もし、もしその話とやらが俺の思っているものと一致していたら……撃つぞ、お前を」
京介にとって最もされるのが嫌な話は一つしかない。それは幼少期のトラウマとして、生きていく上での楔としてその精神に刻み込まれ、酷い罪悪感に彼を陥れる。更にそれは後に出会った篁唯依にも繋がり、彼女の死も上乗せされることによって京介を押し潰す重圧へと変化していた。それを口先だけの物騒な言葉で誤魔化し、京介は白銀の言葉を止めようとする。だが白銀は止まることなく、京介のトラウマを容赦無く抉った。
「貴方に信じてもらう為なら、俺は何だってします。……小さい頃、
言葉を遮るように突き出されたトカレフ、その銃口の奥には顔から大粒の汗を落としながら下を向く京介の姿がある。肩で大きく息をし、一度息が吐かれる度に銃身が大きく上下した。だが引き金に掛けられた人差し指に力が入ることは無く、やがてガクッと膝から地面に崩れ落ちた京介はそのままトカレフを地面に滑らせる。それを咄嗟にニキータが拾い上げると、京介は青くなった顔を上げて小さな声を白銀に投げ掛けた。片手で数えられる程の人間しか知らないはずの自身の過去を知っている目の前の男の話を信じるしか無い、投げ掛けた言葉には、そんな諦めにも似たような意味も含まれていた。
「……その