Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
息を浅く吸い、荒く吐き出す。呼吸する度に肺がズキズキと刺す様な痛みを発してくる。開いた口の端から息を漏らす度に、鉄臭く赤い液体も共に吐き出されていく。視界が収縮と拡大を繰り返し、ピントの合わない世界の中を火花を散らしてモーターブレードがぶつかり合う。操縦桿を握る手の感覚が鈍る、衝撃、首に回された少女の腕にグッと力が篭る。腕ごと操縦桿を押し込み、距離を取った。
「ッ……うっ!」
機体が動く衝撃が腹部に響く。漏らしたくなかった呻き声が口から血と共に吐き出されていった。既に強化装備の皮膜の内側は、意味をなさなくなった止血剤から染み出た血液でドロドロになっている。既に麻痺していた痛覚は戻り、全身の傷の痛みが巨大な波のように押し寄せて来ていた。そんな状況の中で、イーニァが京介の状態に気付くのに若干の遅れがあった。敵の攻撃するタイミングを見計らう為に集中していたのと、彼女自身が京介の為に行動したいという意志の強さが違和感を発する鉄の臭いを頭の隅に追いやっていたからである。彼女が漸く気付いた時には、既にドロリとした嫌な感触が顔に広がっていた。
「キョウスケ、
「口元拭え! 飲み込むんじゃないぞ……!」
心配するイーニァにそう言ってから、京介はグッと口を閉じる。歯と唇の間を押し上げられた血が外に出ようと少しずつ零れ落ちていくが、京介は吐き出すまいと飲み込めもしない鉄の味を押し留めていた。自然と荒くせざるを得ない鼻息に苛立ちを感じながら、京介は再びイーニァの困惑したような声色に包まれた指示に耳を傾ける。だがその指示は、明らかに困惑を含んでいた。
「みぎ……ひだり、さがって! あっ------」
チラチラと正面と自分の顔に交互に視線を動かすイーニァを前に、京介は血反吐を垂らしながら声を上げようとする。だがそれ以上に京介は敵の激しい攻撃と身体の内側からやってくる痛みに意識が削がれ、二人の乗るSu-47は大きくバランスを崩して地面へと倒れ込んだ。身体全体に広がる強い衝撃に、京介の肺の中から強制的に吐き出された空気が口の中に残っていたドロついた血液を空へと舞い上げる。そこにトドメと言わんばかりに振り下ろされたモーターブレードを何とか右腕の刃でいなすも、続けざまに繰り出された斬撃にSu-47の右腕が切断された。
「っぶ……! この!」
即座に対応しようとしても既に待機していた別の機体に突撃砲の銃口を向けられ、京介は忌々しくカメラ・アイ越しに連なる敵機を睨みつける。相手が自分達をどうしようとしているのかなど知らないが、それでも抵抗を止めるつもりなど京介には更々無かった。現在に至るまでの過程の全てから死なない人間だという自らの特異性を受け入れ始めていた京介には、まだ現状を打破出来るはずだという根拠の無い自信がある。その特異性を受け入れさえすれば、何だって出来るはずだと。例えその結果自らが生き地獄を味わうのだとしても、目の前の、腕の中にいる幼い少女と、何処かで自分達の帰りを待っているはずの女性を守っていけるならばと。その身一つで二つの命を守り通せていけるのならば何だって、それが今の京介の根底にある強い想いだった。
だが命そのものが失われないとしたとしても、それが宿っている肉体や精神の消耗を防ぐというものではなかった。ずっと張り詰めていた精神が戦闘の中断によってほんの一瞬、だが十分な程に緩まった時、京介の身体は一気に溜め込んでいた疲労を吐き出し始める。サンダークの私室で起きた出来事、イワンの死、そこから始まった一連の騒動。その全てにおいて、京介は傷を負い血を流していた。全身には弾の掠った痕があり、脇腹には二発の弾が貫通している。その左側にはイワンがサンダークを欺く為に京介に向けて放ったドラゴンブレス弾による火傷と、同時に放たれた小さな鉄の粒が減り込んだ痕もあった。施設に侵入していた米軍の兵士を巻き込んで三階の高さから飛び降り、人間クッションを挟んでいたものの身体を強く打ちつけてもいる。そしてそれ以上に、常に自分の危険と人の死に挟まれ続け、自らが生み出した沢山の血飛沫を浴びてきたことでその精神も大きく疲弊していた。
そして操縦桿からスッと滑り落ちた左手に、京介は目を見開く。まだ早い、早過ぎる。そんな事を思いながらも、その身体は戦う事を放棄しようとしていた。腹の奥深くから奔る激痛に悲鳴一つ上げずにいても、徐々にやってくる倦怠感には抗えない。目に見えている管制ユニットの
「逃げろ」、と。
そう呟いた後、京介の身体はその意識を完全に手放したのだった。
その日、ユーコン基地で起きた惨劇は日が落ちると共に収束した。表向きはキリスト教恭順派残党による再度のテロとして扱われた今回の事件は、その実前回の時よりも大き過ぎる爪痕を残していった。クラウス・ハルトウィックを始めとするプロミネンス計画の中枢を担う軍人達は軒並み殺害され、施設においても管制塔を始め計画に参加していた戦術機が何機もハンガーの崩壊に巻き込まれて長期の修復を余儀なくされている。XFJ計画の不知火弐型等一部の機体は無事だったものの、最早プロミネンス計画の続行はほぼ不可能と言えた。そして重要な人物、重要な施設、機体のみを集中的に叩かれた今回のテロ事件、その裏に米ソ双方の複雑に絡み合った思惑があったことなど現場の人間は誰も知らず、またその思惑が第三者の手によって完膚なきまでに叩き潰されていたことも、知られることはなかった。事件発生から三日後、国連はプロミネンス計画の廃止を決定した。
酷い頭痛と倦怠感に引き摺られるようにして、京介は目を覚ました。口の中は薬品臭く、鼻にもツンとする消毒液の臭いが突き刺さる。点滴のチューブが自分の左手に伸びていることをボンヤリとした思考の中で理解すると、京介はゆっくりと上体を起こした。OD色の救護テントのような空間の中に三つの簡易ベッドが置かれている。その中の一つに京介は眠っていた。他二つのベッドにも他の衛士が横たわっていたが、その内一人は左腕の肘から先が失われている。そこで京介もまた自分の身体を見直してみれば、五体満足ではあったものの身体の至るところに包帯が巻かれていた。皮膚の感触から、縫合もされているようだった。
「……死ななかったか」
ふと誰に言うでもなくそう呟くと、京介は自分の枕元に見慣れたぬいぐるみが置いてある事に気がついた。一見可愛らしいといえば可愛らしいが、良く見れば腹も立ちそうな笑みを浮かべている熊のぬいぐるみ。いつもイーニァが大事に抱えていたミーシャが、そこに転がっている。それを無造作に拾い上げると、京介はミーシャの顔を暫くの間見つめていた。悩みも何もなさそうなその顔を見ていると、不思議と気が楽になっていく。やがてテントが外から吹いた風にバタバタとはためくと、京介は何の気無しにミーシャを懐に抱えてシーツを被り直した。そしてその白い布が規則正しい寝息に連動して上下し始めると、月明かりに照らされたテントの外に居た人影がゆっくりと浮かび上がっていく。外にいたその人物は暫くの間ジッとしていたが、やがて静かにその場を去っていった。
翌日、陽が昇ると共に目を覚ました京介はテントの外から聞こえてくる慌しい声に、消毒液とガーゼ、そしてテープを用意してから点滴の針を引き抜いた。プクッと浮き上がるように出て来た血液を消毒液を浸したガーゼで拭ってから綺麗なガーゼを押し当ててテープでグルグルに固定し、京介はキョロキョロとテントの中を見回す。そして自分が寝ていたベッドの下にあった籠に自分のイージージャケットが畳んで置いてあったのを確認すると、それを拾い上げてそそくさと肩から羽織った。隣二つのベッドで眠っている衛士二人は起きる気配が無く、時折苦しそうに呻くその姿を前に京介は何も言わずにテントから出て行く。
外に出た京介の視界に飛び込んできたのは破壊された状態で建物に寄り掛かっているF-16Cや大破したMiG-29といった戦術機と、少し離れた位置にずらりと並べられた大量の死体袋だった。周囲は銃を持った兵士達がツーマンセルで巡回しており、また遠くにはフェアバンクス基地から派遣されたであろうF-16Cの分隊が地上を監視するように見下ろしている。もう全てが終わっていた事を漸く理解出来た京介は冷たい風を浴びて傷が痛むのを実感すると、ただ一度だけ小さなため息をついた。それは騒動から開放された安堵からか、或いは別の事かは自分でも判断がつかない。だが遠くから聞こえてきたジープの音に反応した時、そしてその助手席から身を乗り出して大きく手を振っているイーニァの姿を見た時についたため息は、決して否定的な意味を持ってはいなかった。
「キョウスケ!」
「イーニァ!」
ジープが止まるなり飛び出してきたイーニァの身体をしゃがんで受け止めると、軽い痛みによってグッと身体が自然に強張った。顔も若干引き攣り、まだ身体が本調子ではないことを自覚させられる。だがそれでも、尻餅をついた状態で抱き付いてきているイーニァの後頭部を撫でることに支障は無い。血の付いていない手でその長い銀髪を梳き、トントンと背中を叩く。赤子をあやすように大丈夫と小さく呟いていた京介は、遅れてジープから降りてきたユーリとリコの姿を視界に収めると、一度イーニァに腕を解かせてから立ち上がった。
「……何日経った? あの日から」
「三日だ、三日。もう殆ど調査は終わっているし……プロミネンス計画も廃止が決定された」
「そうか……潰れたか」
ユーリの言葉に少しばかり気後れしたものの、京介はそれ以上その事について言及することは無かった。ただイーニァにテントの中にいるミーシャを取りに行くよう頼んでから、京介は少女が離れてすぐにリコに向けて手を差し出す。まるで最初から分かっていたかのような京介の反応に面食らったリコだったが、すぐに小さく頷き返すとインサイドホルスターに納められていたコルトガバメントをジープに積んでいたデイバッグから取り出した。
「こちらの方でサンダーク大尉の息の掛かっていた人間がまだ生きているか確認しましたが、今のところ確認出来ません。全員始末されたとは思うのですが、までDIA側の監視が残っている可能性もあります」
「今回の連中、中々正確に動いていたみたいだぞ。的確に今後ユーコンに必要になるはずだった面子を中心にぶっ殺していきやがった。ハルトウィック然り、な」
「何人死んだ?」
「軽く三桁は。ウラキ中尉は外部で保護された衛士だったので、他の負傷した衛士と共に治療を。怪我の具合が酷過ぎたので軍医に疑われましたが、そこは上手くやっておきました」
京介は二人から簡単な報告を受けながらホルスターをズボンの内側に差し込むと、そのまま事件の深い部分についても問い始めた。紅のSu-47の集団についても。
「俺達を襲ったSu-47の衛士達はどうしたんだ? 国に帰ったのか」
「恐らく。けど……」
「けど?」
「シェスチナ少尉から聞いた話だと、気を失った中尉に応急処置を行ったのはその中の一人だったとか」
リコの言葉に京介は首を傾げ、どういうことだと口を開きかけた。だがそのタイミングでイーニァが丁寧にミーシャ以外にも用意されていた京介のシャツ等を抱えて出て来た為に、その場でそれ以上その事を口にすることは無かった。手渡されたシャツを着てジャケットにちゃんと袖を通すと、イーニァはその腕にミーシャを抱えて京介に優しく微笑む。
「キョウスケがさみしくないように、ミーシャにいっしょにいてねってたのんでたの。さみしくなかったでしょ?」
「ん? ……ああ、そうだな。礼を言わないとな、ミーシャに」
そう言って京介が小憎たらしいミーシャの鼻っ面を人差し指でグイッと押し込むと、イーニァは小さな悲鳴を上げて身を逸らした。その姿に僅かばかりの笑みを浮かべると、京介はそのままイーニァの頭に手を置く。そしてユーリとリコに視線を送ると、静かに言葉を紡いだ。
「今回の件で最初に戦闘に行った警備部隊の衛士で、生き残ったのは何人いる?」
「あ……すぐ確認してきます! 多分、そんなに多くは無かったはずですから」
そう言ってすぐにリコが何処かへと駆け出して行くと、残されたユーリはふっと息を吐いてからイーニァに身を寄せられている京介を前に肩を竦めて見せる。そうして赤く染められた髪を持つ男から掛けられた言葉に、京介は自嘲気味に言葉を返した。
「丸二日も意識が無かったって言うのに、何ともなさそうじゃねえか。え? 腹にあれだけ弾を受けてたってのに、内臓も腐らずよく無事だったもんだ」
「運が良かったのさ。……本当、運がな」
クシャクシャと髪の毛を乱されて擽ったそうにするイーニァを見下ろしながら、京介は無意識に左の脇腹へと右手を当てていた。服の下に巻かれている包帯の下にあるであろう火傷と銃創に、散弾銃を構えたイワンの姿が脳裏に映る。サンダークとウィラーを前にしていたあの時、イワンは間違いなく京介が死なない人間だと確信して引き金を引いていた。直撃は避けていたにしても、だ。その大男が関わっていた一派の存在が落ち着きを取り戻し始めていた京介の頭の中で何度も浮かんでは消えて行くが、騒動の最中に聞いた唯依の言葉もあって既に京介の頭の中では何とも言えない無力感が蠢き始めている。ロバート・ギリアム・イェーガー、唯依にメッセージを残していた男。その存在が、重く京介の双肩に圧し掛かっていた。
そしてユーリがテントに寝ていた衛士を見に来た軍医に、目覚めた京介について説明し始めると、京介は片膝をついてイーニァに顔を近づける。若干の休息を得たことと、新鮮な空気を吸ったことで少しばかりクリアになった頭に正しい情報を入力し直す為に。
「イーニァ、預けてた荷物は何処にある?」
「えっと……イーニァとクリスカのおへやにあるよ。おいてきたの、ちゃんとかくしてるよ?」
「よし、後で取りに行こう。じゃあ次に、俺が気を失ってからすぐ、一体何があった? ヴォルフ少尉から聞いた話じゃ、敵の一人が俺の怪我を治療してくれたんだろう?」
クリスカとイーニァのこれからに必要な物が入ったケースの所在を確認すると、京介はそのまま視線をユーリの方に向けたままイーニァに問い掛けた。その視線に気付いたユーリが話し込んでいた軍医の注意を別の方向へと向けるために立ち位置を変えると、そのまま京介はイーニァに話すように促す。
「キョウスケがきぜつしちゃったときにね、イーニァ、マーティカのことおもいだしたの」
「マーティカを?」
「うん。……それでね、イーニァにもわからないけど……マーティカがしんじゃうのがみえたの。キョウスケのこえもきこえたよ? キョウスケのこえがきこえて、マーティカが
「落ち着けイーニァ、ほら、ゆっくりでいいから」
若干混乱している様子を見せたイーニァに落ち着くよう宥めた京介だったが、自身もまたイーニァの発言に動揺していた。恐らく、というより確実に、イーニァの言っていた状況はサンダークの部屋で起きたマーティカの死の状況を表している。何故イーニァがその光景を見ることが出来たのか、その理由を彼女の出生に見出していた京介だったが、今はその事に敢えて触れないことにした。今一番大切なのは、あの時何があったかということなのだから。
「きっとうれしかったんだとおもうの。マーティカ、ずっとキョウスケにクリスカににてるってみられてたから……」
「俺に? ……それは後で聞かせてもらうよ。それから?」
「それから……こわいいろがみえて、わたし、おっきなこえでさけんで……きがついたらめのまえでキョウスケが
「……それだけ?」
「うん!」
満足と言わんばかりに頷いて見せたイーニァに少しばかりの頭痛を覚えつつも、京介はありがとうと言ってやや乱暴にその頭を髪の毛がクシャクシャになる程に撫で回した。正直言って余計な謎が増えただけだったが、イーニァにこれ以上を求めるのも酷だろうと京介は自分の中で無理矢理納得させる。場合によっては、クリスカに意見を求めてみても良いだろうと判断して。それからすぐにユーリと話していた軍医から簡単な問診を受けてから、京介は戻って来たリコから生き残った警備部隊の衛士についての情報を受け取った。
「今分かっている段階で、死者は20名、行方不明者が2名、負傷者9名は確実です。この内負傷者2名はそこのテントにいるアダルベルド・シュトゥルサ少尉とレンヘク・レフティプー少尉で、共にMiG-29の衛士です」
「行方不明者は」
「米側のヴィレッタ・アルノバレル少尉と、同じく警備部隊のジェラルド・エイミス中尉です。両名とも機体は発見されているのですが、管制ユニットの中はもぬけの殻だったようで。……何か臭いますか?」
「臭過ぎる。あの時最初に発砲したのは米側だったろう、あれがその行方不明者のどちらかだという可能性もあるんだ」
淡々を進められるリコの報告に京介とユーリがそれぞれ頭を悩ましていると、ふいにイーニァが京介のジャケットの袖を何度も引っ張った。何事かと視線を下ろせばイーニァは明後日の方向を指差しており、その方向へと視線を動かせば、京介の眼が一人の男を捉える。その男はC型軍装に身を包み黒いサングラスで目線を隠しているものの、その奥にある瞳が自分に向けられていることを京介はハッキリと理解していた。
「白銀武……」
「? どうしました?」
「いや……少し用が出来た。何か分かったら連絡してくれ」
「あ、ああ。気をつけろよ、ウラキ」
珍しく心配するようなユーリの言葉が放たれた時には、既に京介はイーニァを連れて二人に背を向けて歩き出していたのだった。
「------ヴィレッタ・アルノバレルとジェラルド・エイミスか……」
合流した京介から行方不明の衛士について尋ねられた白銀は、京介の口から放たれた二人の衛士の名前に何かを知っているような素振りを見せた。
「知っているのか?」
「二人共イェーガー大佐の部下だ。俺の記憶が正しければだが……」
「昔は、ってことだな。……しかし、何処まで根を張っているんだ連中は」
忌々しげに悪態をついてみせる京介だったが、白銀も同じような顔をしていることに気付くとすぐに口元を手で覆い隠した。白銀とロバートの力関係は、単純に考えてロバートの方が勝っていると考えるのが自然である。佐官であっても一国連軍基地にいる男と大隊クラスの戦力を平然と隠し通せている力を持つ男とでは、差が有りすぎる。しかも双方共に相手の事を信用するなという助言をしてくるのでは、京介としてはどちらを信じれば良いのか分からないと思うのも無理はなかった。最も、どちらだけを信用するなどという選択肢は始めから持っていなかったが。
「……一先ずビャーチェノワ少尉に関しては現在MIA扱いになっているから、状況がもう少し落ち着けばそちらに返そう」
「無事なんだな」
「勿論。今はキース少尉と共に香月博士の護衛についてもらっているが、危険じゃない」
ホッとした様子を見せつつも、京介は傍らに立つイーニァにもすぐにクリスカに会えると言って落ち着かせた。イーニァとしても逃走中に勝手に飛び出してしまったという負い目がある所為か、少しだけクリスカについて言及するのを躊躇っているようだった。ミーシャを抱えたまま黙り込むイーニァに気を向けながらも、京介は白銀に今後について訊ねる。
「なら、これからどうする。状況が落ち着いたら、すぐ横浜に行くのか?」
「いや……プロミネンス計画が消滅した以上、残されたXFJ計画……不知火弐型の情報流出等気をつけなければならない事項が多数あります。本国の技術廠とはもう話をつけているので、今後XFJ計画は一度チームを解散させた後にオルタネイティヴ4に組み込みます」
「それはつまり------」
「アルゴス試験小隊は解散ということです。機密保持の為の取り決めを終えるまではユーコン基地に残るようになりますが、その間に紅の姉妹の転任手続きと手回しを。必要なものを揃える為には浦城さんにも協力してもらおうと思っているので、良しなに」
「……ああ、分かった。そこは任せてくれ」
白銀の語った内容に何とも言えない重い気分を味わいながら、京介は彼から求められた協力を二つ返事で快諾した。それから細かい事は状況が落ち着き次第クリスカに伝言を託すという形で、京介と白銀は別れた。その後去って行く白銀の背を見つめる京介に何か思うところがあったのか、ずっと黙っていたイーニァが唐突に口を開く。
「……? どうしたの? キョウスケ」
「……いや、すぐにクリスカに会えたらいいなって。イーニァも、アイツに会ったらちゃんと謝らなきゃダメだぞ?」
「うん、わかってる!」
なら良い、と言葉を切り上げて、京介はそのまま去って行く白銀の背をずっと見続ける。このままあの男に付いて行くのが凶と出るか吉と出るか、その判断をまだ京介は出来ないでいたのだった。
京介とイーニァと別れた後、白銀は香月夕呼の下へと戻っていた。避難していた後、元々宛がわれていた部屋に戻っていた彼女の傍には、護衛としてニキータ・キースとクリスカ・ビャーチェノワが控えている。それぞれ武器を持った状態で出迎えられた白銀を、クリスカが急かすような目で見据えていた。
「心配しなくても大丈夫です。浦城さんもシェスチナ少尉も、無事でした。浦城さんは少し怪我をしていたようですが、見た限りでは大丈夫そうでしたので」
「っ……そう、それなら良かった。……二人共無事だったんだ……」
小さく呟いたクリスカの言葉にニキータが声を押し殺して笑うような素振りを見せると、キッと睨みつけられた褐色肌の女はビシッと背筋を伸ばし、冗談めかしてウインクしてみせる。その事に特別腹を立てる必要も無かったクリスカだったが、気恥ずかしさからかそのままそっぽを向くしか無かった。
「それで、白銀? これからこの私に何をやらせたいのか、納得のいく説明をしてもらいたいのだけれど」
「勿論です」
ぶしつけに放たれた夕呼の言葉に、白銀はわざとらしく答える。彼女の手元に置かれている資料には、不知火弐型
「その三機の不知火弐型を我々の計画に組み込みます。スペックに関する問題はSu-47と参照して頂くしかありませんが、必ず役に立つ時が来るかと」
「それは良いのだけれど……そうね、
「無論。まずはビャーチェノワ少尉とシェスチナ少尉の転任手続きについて、これを浦城中尉と協力して行うことになります。その為に時期を見てビャーチェノワ少尉には彼らの下に戻っていただき、こちらと向こうでの情報の相互補完を」
「了解」
白銀の言葉に短い返事を返してから、クリスカはそれ以上何も言わなかった。夕呼と白銀の話の内容を深く理解しようという気も無かったし、何も知らない自分が好き勝手に参加する訳にもいかないと思っていたからだった。今だけは何よりも愛する人達との再会を心待ちにする、それがクリスカにとって最も自己を保つことの出来る行為である。だから彼女は、ただ黙って男女の会話を聞いていた。
京介が目覚めた日の晩、クリスカとイーニァの部屋に居た彼の目の前ではシーツに包まったイーニァがミーシャと共にスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。そのベッドの下には京介が彼女に預けていた黒いボロボロのデイバッグから中身を移し替えたジュラルミンケースが置いてあり、特殊蛋白や注射器、薬といったもの以外の銃や弾薬は全て京介が腰掛けているクリスカのベッド上に広げられている。それらの全てを暗がりの中でチェックしながら、京介はリコから受け取ったコルトガバメントのセイフティを掛けてから枕の下に隠した。代わりにデイバッグから取り出したベレッタを携行すべくガバメント用ホルスターをナイフで裂いて調節し、無理矢理銃身を収める。
「取り敢えずは、これで良いか……」
一通りの準備を済ませて一息つくと、京介は脱いでいたジャケットを畳んで床に置き、その上にホルスターを置いておく。そして眠っているイーニァに近づくと、そのシーツを軽く整えてやってから自分もまたベッドの上に寝転んだ。枕越しに硬い感触を味わいながら、京介は今日一日にあったことをゆっくりと頭の中で整理させていく。自分を取り巻いていた環境を構成していた者達の事実上の全滅を受けて、これから先どうなっていくのか。クリスカとイーニァを、これからも守り続けていくことが出来るのだろうか。ロバートと白銀の対立に入り込んでいくであろう未来に、一体何があるのか。ゆっくりとその意識を暗い闇の底へ引きずりこまれていくまで、京介はずっとその事ばかり考えていたのだった。