※この作品はR-18です。

Muv-Luv The frayed memory/Carved memory   作:REDALERT

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ANNULAR ECLIPSE/3

 

翌朝、京介が目を覚ました時まだ陽は昇っていなかった。椅子からややずり落ちる形で眠りこけていた彼は、立ち上がるとすぐに硬くなった身体を骨を慣らしながら解していく。倦怠感を振りほどくかのように冷たい水で顔を洗い、そのまま衣服を脱ぎ捨ててシャワールームに入った。胴体に貼られていた包帯類をゆっくりと剥がし、その下にある抜糸されて間もない傷口を軽く撫でる。それから手早く身体を洗うと、傷口が開かないようにタオルで優しく拭いてから京介は身支度を整えた。

 

 

「痛くないな……」

 

 

真新しい包帯をずれないようにしっかりと押さえながら巻いていると、京介はふとそう思った。巻いていく過程でどうしても手が傷口に当たってしまうが、特にこれといった痛みが奔らないからだった。水を浴びていた時も冷たさは感じていたから麻痺している訳でもない、が、全く気にならないと言えば嘘になってしまう。

 

 

「どっちにしろ精密検査か」

 

 

誰に言うでもなくそう言葉を零してから、京介は黒いシャツに袖を通した。そうして再び椅子に腰を下ろすと、しっとりとした黒髪を両手で掻き上げる。何度目か分からぬ深いため息をついて、京介は自分の腹が空腹を知らせる音を出していることに気付いた。思い返せば、昨日は昼から何も食べていない。何かを食べるという生きる上で極自然な事を忘れてしまうくらいの出来事があった所為だ。今まで何度も悲惨な目に合ってきたが、食欲まで失うことはあまり無かった。だが今回は、圧し掛かってくる重みが違う。

 

 

(ハッキリとした敵が出て来たんだ、敵が。BETAじゃない、人間の……)

 

 

再び眠気に意識を剥ぎ取られそうになりながら、京介は現実を見続けた。ユーリやリコの死、裏切り、ヴィレッタの忠告、ヴァローナ達ESP体の行く末、一人で全て受け止めるには衝撃が強過ぎる。だがそれを、他の誰かに打ち明けようとは京介は思っていなかった。特にクリスカとイーニァには、言う訳にはいかない。絶対に。

 

 

そう京介が思考を廻らせていた時、部屋のドアを何者かがノックした。咄嗟に視線をベッドの上にあるホルスターに向けるも、頭で思っていた以上に京介の身体はその自由を手放してしまっている。少しだけ手すりから浮いた左手が落ちた時、開かれたドアを視界の隅に収めながら京介はその意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

その部屋は暗かった。

 

 

陰鬱とした空気が部屋全体に漂っていて、ありとあらゆる物が破壊されている。そして今も、その部屋の住民は拳の皮が裂けるのも構わず洗面台を殴りつけていた。鈍い音が何度も何度も響き渡り、その度に真っ赤な血が周囲に飛び散っていく。荒れている男は、その上半身を包帯で何重にも覆われていた。僅かに見えている地肌は、痛々しい火傷の痕が見えている。真っ赤に染まったシンクに腰を乗せ、その男は裂けた皮から流れ出た血で真っ赤になった包帯を顔面へと押し付け嗚咽を漏らした。喉が焼けている所為か、その口元からはまるで雑音のような声が流れ出てくる。

 

 

「こんな、こんな甲斐の無い生き方なんて……俺は望んじゃいなかった……!」

 

 

世界の全てに絶望したかのようなその声は、ただ陰鬱とした部屋の空気を更に淀ませていくだけ。男は顔を自らの血で真っ赤に汚すと、そのまま床に崩れ落ちた。傍に落ちていた写真立てはガラスが砕け、中に入っていた写真も血で汚れてしまっている。男はそれを拾い上げると、その汚れてしまった写真を眺めた。その写真には、一組の男女がまだ幼さを残す少女を間に挟んで並んでいる姿が写っている。三人の関係は両親と子供ではないが、それに近い関係ではあった。国籍も人種も違う二人が出会った時、その子供は相手とずっと昔から過ごしていた唯一の家族だった。男がその二人と親密な関係を築くまで、長い時間が掛かった。辛い事も沢山あったし、何度も喧嘩して互いに傷つけ合ったこともある。だがそれでも、漸く手に入れた三人の幸せを思えば何でもない。少なくとも男はそう思っていた。

 

 

「……××」

 

 

ふと、男は自分の名を呼ばれて顔を上げた。目の前には、同じように頭や手に包帯を巻いている一人の少女の姿。冷たい眼差しを男に向け、その右手には小ぶりながらも人を殺傷するには十分な威力を持つ拳銃を握っている。それだけで、その姿を見ただけで男は理解した。理解してしまった。どうして自分がこうなったか、何故最愛の彼女が命を落としたのか、そして目の前の小さな少女が自分を殺しに来た、その理由を。

 

 

「撃つのか、俺を」

 

 

少女は答えず、ただその銃口を男の額に突きつける。

 

 

「ずっと一緒に居た俺より、お前はアイツの言うことを信じるのか」

 

 

その細い人差し指が引き金に掛かり、グッと皮膚の表面が強張る。

 

 

「彼女が死んだのは俺の所為とでも言われたか、裏切り者に」

 

 

少女は何も答えない。単に無視しているのか、或いは目の前の男が発する拉げた声を聞き取れていないのか、それともその両方か。

 

 

「…………そうか、お前がそれでいいなら……そうすれば良い」

 

 

男はそう言うと、持っていた写真立てから汚れた写真を抜き取った。そしてそれを少しの間だけ眺めてから、目の前の少女へと差し出す。その血で汚れた写真を、少女は受け取った。だが乱雑にジャケットのポケットへと押し込むと、すぐにずれていた照準を男の額に合わせ直す。だが男は、その間に既に少女のすぐ目の前へと移動していた。ビクッと身体を震わせた少女だったが、男はそれを取り押さえるような真似をせず、ただ彼女の銃を持つ手を取って自らの胸に押し当てさせる。それは自らを殺すことを止めはしないという意思表示、ただ静かに男は少女が引き金を引くのを待った。

 

 

だが、少女はすぐに引き金を引かなかった。少しの前を置いて、空いていた腕をそっと男の首に回した。包帯越しに火傷が痛むが、男は黙って少女の抱擁を受け入れる。震えているその身体が、銃口越しに自分の胸に響いてくる。触れ合った頬の間を僅かな水分が広がっていき、少女が泣いているのが伝わってくる。もうどうやっても取り戻せない過去を思い出しているのか男には分からないが、ただその時自分が言うべき言葉が何なのかは分かっていた。

 

 

「……ごめん」

 

 

ただ一言、拉げながらもはっきりとした声色で放たれたその言葉は、少女の感情を崩壊させるのには十分だった。男の耳朶を少女の号泣が打った時には、男の血に濡れた手はその長い髪を撫で、既に少女の細い指はその引き金を引き絞っている。ドンッという強い衝撃と共に二人の身体が跳ねると、一筋の硝煙がゆっくりと立ちのぼり、そして天井に向かうにつれて霧散していった。胸の真ん中がじんわりと暖かくなっていくのに、手足はどんどん冷たくなっていく。そんな感覚を味わっていた男の身体は、まだ泣いている少女の隣にドサッと倒れ込んだ。視界の端で床に身体から流れ出た血が広がっていくのが見える。黒く霞んでいく視界の中で、男は膝を付いて泣き崩れる少女の向こうを見た。開かれたドア、そこからこちらをジッと見つめている、下卑た笑みを浮かべている青年の姿を。

 

 

白銀武と浦城京介の顔を半々に持つ、その姿を。

 

 

 

 

 

 

 

「------ッ!?」

 

 

全身が警告を発するかのような悪寒を感じ、京介は飛び跳ねるようにして立ち上がった。両の拳を強く握り締め、自然と荒くなった呼吸と共に強張った身体で周囲を見回す。立ち上がった時の衝撃で椅子が大きな音を立てて倒れるが、そんな事に気を回す余裕を今の京介は持ち合わせていなかった。

 

 

「いたい……」

 

 

と、ふいに足元から声がして京介は視線を下に移した。そこには尻餅をついた形で床に座り込んでいるイーニァの姿があり、彼女の手元には何故かマカロフが転がっている。その姿に何か得体の知れない恐怖を感じると、京介はすぐにマカロフを取り上げた。手を押さえて痛がっているイーニァを心配するより先に。マガジンを取り出しチャンバーに初弾が装填されていないことを確認してから、漸く京介は膝をついてイーニァに視線を合わせる。だがその顔は彼女を心配するようなものではなく、ただ無表情に近い程冷たく突き放すようなものだった。

 

 

「イーニァ、どうしてお前がこんなもの持ってる」

 

「キョウスケ? こわいよ……」

 

「教えるんだイーニァ、このマカロフはどうした?」

 

 

有無を言わさぬ勢いで詰め寄る京介の姿にイーニァがその目に涙を浮かべ始めると、そこへ新たな人物が姿を現した。

 

 

「何をやっているの!?」

 

 

横から割り込んできたクリスカを、京介は何も考えずに突き飛ばした。どうして自分の部屋にいるのか、そんな簡単な疑問すらも口にする余裕は無い。そのままついカッとなって、京介はイーニァを怒鳴りつける。

 

 

「答えろイーニァ!」

 

 

「やめて京介! 銃は私が渡した物よ!」

 

 

その怒鳴り声に被せるように声を荒げたクリスカに、京介はイーニァから距離を取らされる。彼の両肩に手を置いて、クリスカは相手の顔を覗き込む。その顔は、疑いようも無い程に京介の身を案じていることが伝わってくる。

 

 

「一体どうしたの? 昨日の朝から何処かに行ったまま帰っても来ないで、イーニァにもそんなに怒鳴ってイライラして……何があったの?」

 

「……何でもない」

 

「嘘を言わないで。私には分かる」

 

 

ジッと真っ直ぐに自分の心を覗き込んでくるようなその瞳を前に、京介はやや荒れていた呼吸のまま生唾を飲み込んだ。クリスカの向こう側には、未だ脅えた様子のイーニァが座り込んでいる。声を出そうにも、不要に身体が震えて碌に出せそうになかった。

 

 

「何でもないって……言ってるだろ」

 

 

服の下に手を入れて包帯に触れると、京介は二人に背を向けてそう呟いた。言える訳が無かった。イーニァに似た少女に撃たれた男の視点から見えた相手が、自分と白銀の顔を半分ずつ持った人物に見られていたなどという荒唐無稽な夢の話など。だがそんな事情を知らないクリスカは、強い口調で京介に詰め寄った。

 

 

「何でもないなら、どうしてイーニァを怒鳴りつけたりなんかしたの!? 京介!」

 

「うるさいな! 一々お前に事情を説明しなきゃいけない義務でもあるのかよ俺には!」

 

「っ、こっちに散々心配させておいて……そんな言い方、しなくても良いじゃない……」

 

 

背中に投げ掛けられる一転して弱々しくなったクリスカの言葉に、京介は何故か焦燥感を覚えていた。先程見たばかりの、もう大部分が朧気になってしまっているその夢の内容が、まるで自分達の関係に似ている気がしていたからだった。頭の中では否定していても、心の何処かでは何故かその内容が真実ではないのかという奇妙な引っ掛かりが生まれている。ク(・)リ(・)ス(・)カ(・)が(・)死(・)に(・)、(・)自(・)身(・)が(・)イ(・)ー(・)ニ(・)ァ(・)に(・)殺(・)害(・)さ(・)れ(・)る(・)そ(・)の(・)結(・)末(・)を(・)。白銀が言った、京介が継承するのを止めてしまったという過去の記憶。その一端を垣間見たのかは京介には分からない、だが、目の前に銃を持っていたイーニァを姿を見た途端に全身を悪寒が襲ったのは確かだった。それが本能的に夢の内容と目の前の光景が重なった所為なのかは、本人には分かりようがない。ただイーニァがそんな事をするはずがない、少し考えればそう判断するはずだった自分の心がそうしなかったことに、京介は酷く傷ついていた。だからクリスカの問いかけにもつい強い口調で返してしまい、今もまた掛ける言葉が見つからないでいる。

 

 

沈黙をイーニァの小さな泣き声が寄せ付けずにいる今、京介は二人に部屋から出て行って欲しいと思い始めていた。昨日の出来事も夢の話も、二人にするつもりは一切無い。暫くは一人切りで、ゆっくりと感情の整理をしたかったからだ。だがそんな思いを無視するかのように、クリスカが言葉を紡いだ。

 

 

「……イーニァ? ほんの少しだけ、すぐに迎えに行くから外で待っていてくれる?」

 

「クリスカ?」

 

「そうだ、私達の部屋からミーシャを連れておいで? 戻ってきたら、みんなでご飯を食べに行こう。今は京介もちょっと疲れちゃってるから、少しだけ休ませてあげよないと。きっとイーニァとミーシャが来る頃には普段と同じ、優しい京介に戻ってるから」

 

「……うん、わかった」

 

 

寂しそうな返事をしてから、イーニァはやや小走りで部屋を出て行った。残された京介はクリスカに背を向けたままで、彼女の言った言葉には特に反応を示すような素振りは無い。だがクリスカの方は、イーニァがドアをパタンと閉めた音を聴くや否やその京介の背に飛び掛かった。飛び掛かったとは言っても背後から腕を回して身体の向きを変えさせる程度であり、正面に向きなおされた京介はすぐに自分の唇に柔らかい衝撃が走ったのを感じることになる。すぐ目の前に映っている目を閉じたクリスカの姿と、口腔内に侵入してきた彼女の舌から感じる生暖かさ、背に回された腕によって身体に押し付けられるその豊満な肉体の感触に、京介の思考は一瞬ばかし劣情を催す。鼻腔をつくその優しい匂いに身体の奥がゆっくりと解されていく感覚に、京介は少しずつ身を委ねていった。彼女の背に腕を回し、ただ一方的に絡まされていた舌を自らもまた絡み合わせていく。ほんの二日前に交したものよりもより深いキスを交しながら、クリスカの手は京介の後頭部をしっかりと押さえ込んだ。

 

 

そのままどれくらい互いの味を味わっていたのか、二人揃って顔を真っ赤にして息を荒くしていた頃には、もう京介の頭の中には彼女達を拒絶するような意志は消え失せていた。その代わり押し寄せてきたのは激しい後悔と不安で、彼はクリスカの首筋に顔を埋めながらただ身体を小さく震わせている。そんな彼に対して、クリスカは優しく語り掛けた。

 

 

「……何があったのかは、今は聞かないわ。今言えなくても、私は大丈夫だから。ただ、あの子が戻ってきたらちゃんと謝って。昨日、あの子もすごく貴方の事を心配していたから……。勿論、私も」

 

「ごめん……けど、ありがとう。後で……ちゃんと話すよ」

 

「それじゃあ、その、着替えましょう? 京介のシャツ、汚れちゃってるから」

 

 

そう言われて、京介は漸く自分が着ていたシャツの胸元が濡れてグショグショになっていることに気付いた。クリスカのイージージャケットも少し汚れてはいるものの、彼女はそそくさとタオルで唾液の汚れを拭き取っている。気恥ずかしさやら安心感やらが混ざりきった面持ちで京介もまた新しいシャツを出してから、すぐに今着ているものを脱いだ。部屋のドアが開かれたのは丁度その時で、ミーシャを抱えてやって来たイーニァが連れていたある人物が、脱ぎ掛けだった京介の姿を見て素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「んなっ!? あっ、あ……朝っぱらから何をしている!」

 

 

「……ノックもしないで部屋に入るのは構わないのか、タカムラ中尉」

 

 

篁唯依、珍しくイージージャケット姿の彼女を前に、呆然としていた京介より先にクリスカが皮肉を言う。最初は顔を赤くしていた唯依もクリスカの言葉にハッとした様子で取り繕おうとするも、京介の上半身に巻かれた包帯面積の多さにすぐに閉口してしまった。そのまま三人がそれぞれ何も言い出せないままでいると、再び騒動の中心となってしまったイーニァが声を上げる。彼女にしては珍しく、声を荒げて。

 

 

「け、けんかしないで! イーニァがユイをつれてきたの、キョウスケがへんだったからび(・)ょ(・)う(・)き(・)かもって」

 

 

その言葉に、京介は彼女に対してしてしまった粗野な対応を酷く恥じた。自分はうじうじと悩んでいたというのに、彼女は怒ったり拗ねたりするどころか逆に心配してくれている。唯依がやって来たのは完全に想定外だったが、京介は一先ず彼女については敢えて置いておくことにした。

 

 

「……そっか。ごめんな、イーニァ。心配掛けちゃって。さっきも怒鳴って悪かった、俺とした事が怖い夢見ちゃってさ……恥ずかしいったらありゃしない」

 

「こわいゆめ? それって------」

 

「兎に角もう大丈夫だ、うりゃうりゃ」

 

 

シャツを脱いだまま京介はイーニァの近くまで行くと、そのまま謝りながら彼女の頭をガシガシと片手で撫で回した。最初は髪が乱れることにいやいや言っていたイーニァだったが終いには恥ずかしながらも喜んでおり、最後にはクリスカの後ろにまで逃げてしまう。一先ずはこれで大丈夫だろうと内心思っていた京介は、そのままイーニァを背後に隠したクリスカのいぶかしむ視線に気付いた。視線は京介に向けられたものではなく、ただ居心地が悪そうにしていた唯依が何かを言いたそうにしている姿に向けられている。そこで漸く、京介は唯依をほったらかしにしていることを思い出した。

 

 

「……っとそうだ、それで唯依は何でこっちに? そんな簡単にソ連側(こっち)には来れないだろう。こんな状況で」

 

 

「あ、ああ、それは前にシェスチナ少尉から抜け道を教えられていたからな。そこを通って来たのだ」

 

 

声を掛けられた事で本来の調子を取り戻したのか、唯依は一度咳払いをしてからそう答えた。

 

 

「実は今日歓楽街で開発衛士達の慰労会……というものをやるそうでな、兄……ユウヤから京介達も呼んできてくれないかと頼まれたのだ」

 

「慰労会? プロミネンス計画が無くなったので皆さん今までお疲れ様でしたってか」

 

「そう嫌味を言うな。一先ず計画に参加していた試験小隊は全て参加することになっている、イーダル小隊に関しては事後承諾という形になるがな」

 

 

唯依の説明に小首を傾げているイーニァの相手をしつつ、クリスカは京介と視線を合わせた。その視線の意味は自分達は構わないと言っているようだったが、京介は唯依のイーダル小隊という言葉に少し言葉を詰まらせた。イワン・ゲオルギー・レオニード・レズノフは公式に死亡が確認されているが、ユーリ・ミン・エゴロワとリコ・ヴォルフ------本名はリーゼロッテ・コースフェルト------の死亡はまだ公になっていないからだ。ヴィレッタが、ロバートの息が掛かった人達がどうこの件を処理するつもりなのかは京介には分からないが、今回の唯依から受けた招待についてどうするべきか京介は考えあぐねていた。

 

 

「? ……ああ、エゴロワ少尉とヴォルフ少尉についてなら大丈夫だ。もうこちらにも話は広がっているぞ」

 

 

と、悩む京介に対して唯依が言い放ったその言葉に、京介は思わず声を上げてしまった。

 

 

「何だって?」

 

「え、だからその二人については昨日付けで後方部隊への転任が決まったからもうここには居ないのだろう? 私達はそう聞いているが……違うのか?」

 

 

唯依の言葉に、京介は思わず動揺してしまった。既に二人に関する情報操作が行われていることもだが、恐らく既に二人の遺体も片付けられているだろうその行動の早さと手際の良さ。改めて敵対しようとした相手の強大さというものを見せ付けられた気分になってしまう。

 

 

「……京介は昨日別の要件で忙しかったから、忘れているのだろう」

 

 

「え?」

 

 

言葉を考える余裕を失い掛けていた京介を救ったのは、クリスカが放ったその一言だった。聞き返す唯依に彼女はペラペラと京介の昨日の予定------テロ事件の際に死亡したサンダークらに関する尋問というでっち上げ------を語り、そして一瞬だけ京介に目配せして見せた。任せて、そうその瞳は語っているようだった。クリスカの話に信憑性を感じたのか、唯依は納得した様子で頷いて再び話を戻した。

 

 

「では三人共、付いて来てくれるか? たまには他の人々との交流も良いものだぞ」

 

 

そう何処か愉しげに言う唯依の姿に、京介は何処か微笑ましいものを感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

慰労会の会場として選ばれていたのは、ユウヤ達がよく利用していたバーだった。京介自身は別の酒場を利用していた為あまり来たことはなかったが、広い店内と程良い明るさに、酒で薬を流し込んでいた頃の自分では落ち着けない雰囲気だと自嘲気味に笑って見せた。既に店内には少ないとも多いとも言えない位の衛士の姿があり、それがテロ事件で戦死したりユーリやリコが表向きに扱われたような事情で居なくなったのだろうと京介は当たりをつけている。どの衛士達も基本的には内輪で集っているようで、慰労会と言っても名ばかりで結局は個別の仲良しグループでの食事会のようなものなのであろう。

 

 

「こっちだ」

 

 

唯依にそう案内されて店内を進む京介達は、周囲の衛士達から特にこれといった反応をされることなく、奥のスペースへと入った。複数のテーブルが繋げられたその空間には、既に数人の衛士が席に着いていた。その殆どは京介にとって見慣れた人物で、向こうもまた京介の姿を見ると快く片手を上げてみせる。

 

 

「よお……唯依が急に来るもんだからビックリしたぞ」

 

 

「こういう時くらいは、お前らにも顔を出してもらおうって思ってさ」

 

 

やって来た京介達を前に立ち上がった衛士達の一人、ユウヤ・ブリッジスが差し出した右手を、京介はがっちりと掴んだ。実際に顔を合わせるのは事件当日の日以来でそう日は経っていなかったが、京介自身はその時疲労困憊だったこともあって思っていたよりも長い期間顔を合わせていなかったような感覚を受けていた。

 

 

「身体の具合はどうだ?」

 

 

「まあまあってとこだ。服の下は包帯だらけさ」

 

 

そんなやり取りを交してから、京介はユウヤの後ろで手を振っているアルゴス小隊の面々に視線を送った。ヴァレリオ・ジアコーザ、タリサ・マナンダル、ステラ・ブレーメル、懐かしい面々にふと表情が綻ぶが、イブラヒム・ドーゥルが居ない事に首を傾げる。

 

 

「中尉はまだ捜査の方に掛かりきりで、俺達だけで楽しんで来いって」

 

 

察したユウヤがそう説明を挟むと、京介は小さく頷いてから背後に振り返った。それは背後にいたクリスカに声を掛ける為だったのだが、何故だか彼女の姿はそこには無く何時の間にか後ろに居たはずの唯依の姿もなかった。あったのは、ミーシャを抱えたイーニァが一人退屈そうにそっぽを向いているだけ。

 

 

「あれ、イーニァ? クリスカ何処行った?」

 

「ユイがつれていっちゃった。おてつだいしてほしいっていってたよ」

 

「お手伝い? ……そうか」

 

 

ムッとしているのかそっぽを向いたままのイーニァに苦笑すると、京介はその頭にまた手を置いた。店に入ってから相手をしてもらえないのが不満だったのか、ツンとしているイーニァに対して京介は意地の悪そうな笑みを浮かべるとユウヤに振り向く。

 

 

「じゃあ俺は他の連中に会ってくるから、イーニァとミーシャはユウヤに遊んでもらってな」

 

「ユウヤと? あそんでいいの?」

 

「は? おい、キョウスケ」

 

「たまには他人の面倒見ろよ。じゃ、任せた」

 

 

困惑するユウヤに後ろでに手を振って見せてから、京介はニヤついた笑みを浮かべていたヴァレリオ・ジアコーザ------VGから水の入ったコップを受け取った。

 

 

「暫く見ない間に子持ちになったのかと思ったぜ、大(・)将(・)」

 

 

「その呼ばれ方も久しぶりだな。……お前らも元気そうで良かった」

 

 

ゆっくりと椅子に座り込んでから、京介はコップをグイッと仰いだ。無味無臭に近い透明な液体を喉の奥に流し込み、横目でしゃがみ込んだユウヤにイーニァがミーシャを掲げて何事か話し掛けているのを確認する。それから小さく、だがVG達に聞こえる程度の音量で呟いた。

 

 

「けど、子供を持つには早過ぎる」

 

「つまり紅の姉妹のデカイ方とはそういう関係な訳か」

 

「ちょっとVG」

 

 

諌めるステラの片手を上げて見せ、VGは口の端を吊り上げた。その姿に、京介は肩を竦める。

 

 

「茶化すのは今度にしてくれよ。イーダル小隊にはもう俺を止めてくれる奴はいないんだから」

 

「ああ……悪い、失言だった」

 

「全くもう」

 

 

空のコップに新しい水を注ぎながら、ステラはVGの肩を小突いた。それを片肘ついて眺めていたタリサは、ケラケラと笑いながらビール瓶を自身のグラスに傾ける。

 

 

「こんな日に喧嘩なんてすんなよなー! これから美味い飯も食えるっていうのにさ」

 

 

「本当、その通りだ。……で、お前達はこれからどうするんだ?」

 

 

ビールを勢い良く飲んでいくタリサを尻目に、京介はVGとステラにそう問うた。その問いには二人共やれやれだと言うかのように肩を竦め、それぞれが自分流の飲み方で手に持つグラスの中身を喉の奥へと押し込んでいく。

 

 

「私達も解体後は元々いた部隊へ帰ることになるの。ここに居られるのももってあと数日、寂しくなるわ」

 

「俺やステラは欧州だけど、チョビやユウヤは大東亜やアメリカだからな。勿論ユイ姫も……大将も日本に帰るんだろう? 紅の姉妹とはどうするんだ?」

 

「悪いけど、それには答えられない。日本に帰るのは間違ってないが……詳しいところも言えないんだ」

 

 

それだけ答えると、京介はタリサが飲もうとしていたビール瓶を横から分捕った。

 

 

「あっ! アタシのだぞ!」

 

 

騒ぎ立てるタリサの顔面を片手で押さえつけ、京介は一息に半分程残っていた中身を飲み干して空瓶を彼女に押し付けた。ふうと一息ついて、京介は椅子の背もたれに身体を預ける。

 

 

「色々有り過ぎたよ、俺達には」

 

 

「そうだな、色々あった。私も狙撃されたことだし」

 

 

ため息混じりに呟いた京介の事場に被せるように、背後から唯依の声が響いた。首だけを後ろに向けると、そこにはジャケットを脱いで黒いシャツ姿の唯依が薄いオレンジ色のエプロンをつけて立っている。手には大きめの鍋があり、その隣には同じように薄い青色のエプロンをつけたクリスカが底の深い皿やら箸やらフォークやらを両手にしていた。鍋からは、懐かしい匂いが漂ってきている。

 

 

「兎に角食事だ。久しぶりにこうして皆で顔を合わせたのだからな」

 

「この匂いは、肉じゃがか?」

 

「食べるのは初めてだろう? 私の手作りだ」

 

「アラスカ(ここ)に来る前に一回食ったぞ」

 

「そうだったか?」

 

 

さらりとしたやり取りをしながら、唯依は持ってきた鍋をテーブルの真ん中へと置いた。それからクリスカが持っていた食器類を置き、それを人数分に分けていく。

 

 

「手伝いってのはこの事だったのか」

 

「ああ、タカムラ中尉に味見を頼まれてな。……その、このエプロンは似合っているか? 私にはよく分からなくて」

 

「心配すんな、ここが部屋なら襲ってる」

 

 

京介がそう言葉を零した時、ふいに後頭部をゴンと小突かれた衝撃が走った。視線を動かせば何時の間にか背後にいた唯依が呆れた表情で立っており、彼女が何を言いたいのか何となく察した京介はやや酔いが回った頭で咳払いした。

 

 

「あー……、今のはほんの冗談だ。似合ってるよ、クリスカ。綺麗だ」

 

 

「そ、そうか。……なら、良かった」

 

 

ホッとした様子のクリスカにVG達が呆けた様子で顔を見合わせていると、そこへ今までイーニァの相手をしていたユウヤも戻って来た。やや疲れた様な様子から、ずっとイーニァの話を聞いてあげていたのだろう。京介を一瞥する視線が、やや強かった。その視線に気付かないフリをして、京介はクリスカに後ろから抱き着いていたイーニァに声を掛ける。

 

 

「楽しかったか? イーニァ」

 

「うん! たくさんおはなししたよ! ミーシャもたのしかったって!」

 

「そりゃ良かった」

 

 

そう言って京介は隣に座るイーニァの前に彼女の分の取り皿とフォークを取ってやり、また自分の分の箸と皿も手元に動かした。肝心の肉じゃがは唯依がそれぞれの皿によそっているところであり、彼らの分にもすぐに湯気だった料理が並べられていく。イーニァを間に挟むようにクリスカも座り、その隣に漸く分け終えた唯依が着席する。後は何を言うでもなく、ただ彼女のいただきますの声に合わせて京介の暫く振りの食事が始まるだけだった。VGが何処からか持ってきたウイスキーの瓶を京介に差し出し、彼の使っていたコップに注いでいく。それを適当なところで切り上げてもらってから、京介は久しぶりにその琥珀色の液体を飲み込んだ。コップの内側に付着していた水滴でやや薄くなったような印象を与える味だったが、それでもツンと鼻の奥にくる匂いが懐かしく感じられる。

 

 

「ジアコーザ少尉やマナンダル少尉が飲んでいるのもそうだが……朝からよく飲む気になれるな」

 

 

漂ってくる酒の匂いにやや嫌悪感を示すような顔をしつつ、唯依はそう呟いた。過去に京介と諍いを起していた時に飲んで咽てしまった事を思い出していたのか、VGの持っている瓶を忌々しそうに見つめている。

 

 

「最近は落ち着く暇も無かったんだ……たまには良いだろ? なぁ、イーニァ」

 

 

「おさけくさい……」

 

 

もう既に五杯目のウイスキーを飲み干した京介に声を掛けられたイーニァは、ミーシャで口元を隠しながらクリスカの方に顔を向けた。その反応に苦笑するクリスカの姿に若干の笑みを浮かべてから、京介は反対側に座っているユウヤに向き直る。彼もまた、少しだけだが琥珀色の液体を楽しんでいた。既に皿の中は空になっている。

 

 

「……あの後、無事に戻れたのか?」

 

 

顔を少し赤らめながらも、京介はまだはっきりとした自意識を保っていた。昔は一人で何本も酒瓶を空にしていたのだから、当然と言えば当然である。だから彼は少しだけ小さな声でユウヤに問い掛けた。

 

 

「ああ、上手い具合に近くにF-16が墜落したから……その爆発に紛れて」

 

「だったら良いんだ。こっちもあの後色々あったが、まあ問題は無い」

 

「そうか……」

 

 

そんな二人の会話を耳にしたのか、クリスカはすぐにそれとなくイーニァと自分の座る場所を交代させた。後は肉じゃがのお代わりを要求するイーニァに唯依が答え、VGはタリサと盛り上がりステラが行き過ぎればそれを諌めるという、比較的綺麗にまとまった流れが生まれていた。そんなクリスカの気遣いに気付くことなく、京介は何杯目かも分からぬウイスキーを飲み干すと、ポツリとユウヤに零した。

 

 

「……俺は、血を見過ぎたのかもしれない」

 

 

「どうしたんだ、急に」

 

 

聞き返して見せたユウヤに手元のコップを見つめながら、京介は言葉を返す。

 

 

「今回の事件で、俺は何人殺したか覚えてない。その前も、そのずっと前も、俺の敵は人間ばっかりだ。BETAなんかじゃない、人間の敵にずっと狙われてる」

 

「狙われてるって……」

 

「お前、前に俺の姉さんに会ったことがあるだろ」

 

 

急にバッと強い眼差しを向けられて、ユウヤは思わずたじろいだ。だが京介の言葉にかつて一矢報いたものの一方的に翻弄され続けた彼の姉の事を思い出し、静かに頷く。

 

 

「もしこれから何処かで会う様な事があったら、気をつけろ。俺だけじゃない、俺に関わった全ての人間を連中は狙っているかもしれないんだ」

 

 

「おいおい、落ち着けよキョウスケ。お前の姉さんとお前が狙われている話の意味が------」

 

 

酔い過ぎたのか、そう京介を判断していたユウヤが彼に水を差し出そうとした時、その会話を中断させる声が彼らの居るテーブルに投げ掛けられた。

 

 

「ちょっとユウヤ! 私を放って食事なんて、何を考えているの!?」

 

 

一瞬にして静まり返るユウヤ達の視線の先に、その女はいた。長く緑がかった髪をツインテールにまとめ、イージージャケットの袖を腰のところで巻いて黒いタンクトップ姿でいるその女性を見て、ユウヤはため息をつきながら軽く髪を掻き上げた。その様子に京介が首を傾げて見せると、さり気なく水を持ってきたステラがそっと耳打ちする。その間に、立ち上がったユウヤがツインテールの女の相手を引き受けていた。

 

 

「統一中華戦線の崔(ツイ) 亦菲(イーフェイ)中尉よ。暴風(バオフェン)小隊の隊長なのだけれど、ブルーフラッグの時に貴方は居なかったから知らないのも無理ないわ。顔は見た事あると思うのだけれど……」

 

「ああ、どっかで見た面してるな。で、何なんだ? ユウヤに気でもあんのか」

 

「そうみたい。崔中尉もユウヤと同じハーフみたいでね、自分と似ているからって気に掛けているんだけど……ほら、結構強引そうな感じでしょう? 彼女。最初のテロ事件の時に大怪我を負ったのだけれど、戻って来るなり前よりアタック激しくて------」

 

「そこ! 聞こえているわよ! ……あら?」

 

 

思いの他相手のことについて語ってくれたステラの言葉を中断させた崔は、京介の顔を見ると険しかった表情を一転させる。辟易した様子のユウヤから離れてテーブルに近づくと、やや顔を赤くしている京介にその手をズイと差し出した。その顔は、快活な笑みが浮かべられている。

 

 

「何処かで見た顔だと思ったら、ウラキ中尉じゃない。アルゴス小隊からイーダル小隊に移ったとは聞いていたけど、こうして会うのは初めてね。私は崔(ツイ) 亦菲(イーフェイ)。デストロイヤーの噂は後で知ったわ、宜しく」

 

 

「ああ……宜しく」

 

 

思っていたより強い力で握り返された手に顔を顰めながら、京介は崔と挨拶を交わした。彼女も慰労会には誘われていたようで、少し離れた場所に彼女のイージージャケットに付けられているのと同じ部隊章を付けた三人の女性がこちらの様子を伺っている。そんな京介の様子を知ってか知らずか、崔はそのままズカズカと言葉を続けていった。

 

 

「折角の慰労会だし、もし良かったら私達暴風小隊もこのグループに参加させてもらえたら嬉しいのだけれど。勿論、私特製の激辛麻婆豆腐も作ってあるわ! どう?」

 

 

激辛麻婆豆腐、その言葉にユウヤの顔が僅かに歪むのを京介は見ていたが、酔いの回った頭ではその意味までは汲み切れず二つ返事で了承してしまった。それから上機嫌で厨房の方へと消えていった崔の姿に辟易しているユウヤ達を前にして、首を傾げているのは京介達イーダル小隊の三人だけという構図が生まれてしまう。

 

 

「何だよ、俺が悪い事したみたいになってるじゃねえか」

 

 

そう言う京介に対し、ステラだけが崔の激辛麻婆豆腐が非常識的な辛さである事をそれとなく伝えたのだった。

 

 

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