Muv-Luv The frayed memory/Carved memory 作:REDALERT
「うげぇ……」
それか十数分後、最初に集っていたテーブルから少し離れたカウンターで水の入ったペットボトル片手に苦しそうに呻いていたのが京介の現在の姿だった。差し出されたままに崔の激辛麻婆豆腐を食べたが最後、形容し難い衝撃がアルコールに浸っていた彼の胃に激痛を与えたのである。
「ッ・・・…うぅ、あれはイーニァに食べさせなくて正解だった……」
その隣で同じように呻いているクリスカも、京介とほぼ同じような顛末だった。ただ酒を飲んでいない分京介よりマシに見られるが、今までの食生活からはまるで考えられない衝撃に受けたダメージはほぼ京介と変わらない程度である。そして肝心のイーニァは、轟沈した二人の姿を目の当たりにしたのと唯依が傍で見守っているのもあって、ミーシャを抱えてテーブルの傍で縮こまっていた。
「昔、突撃級の突進を喰らった時よりキツイぞこれは……」
「京介、お水……」
「ああ、ほら……」
只でさえ白い肌をした顔が更に青白くなっているクリスカに気を使いながらも、京介は嫌な音を立てる自らの腹を忌々しくも愛しそうに撫でていた。唯依の肉じゃがという懐かしい味や久しぶりに味わったウイスキーの味も全て吹き飛ばされてしまい、今も尚ユウヤにベラベラと何かを語りかけている崔の背中を見る視線に、思わず力が篭ってしまう。
「無知は罪って言うけど、本当だな……」
「ヴォルフ少尉のボルシチとはまた違うものだったな……」
二人してゆっくりと身体を落ち着かせていると、ユウヤ達のテーブルにまた新しい人物がやって来た。今度は二人組で、崔とは違いユウヤや唯依達とは普通に話し合っている。男女の二人組で、男は黒髪、女はブロンド。崔がムスッとした表情をしていたことに京介は気がついたが、二人組の方は特に気にしているようには見えなかった。その内男の方はユウヤと二言三言言葉を交した後、一瞬だけ京介の方に視線を動かした。ユウヤから紹介されたのか或いは自分からあれは誰だと問い掛けたのか分からないが、ブロンドを一人その場に置いてユウヤとその男は京介の方へと歩いてきた。
「キョウスケ、紹介する。俺の元同僚で、アメリカ陸軍第65戦闘教導団から来たレオン・クゼだ」
「初めまして、ウラキ中尉。貴方とは是非一度手合わせしてみたかったんです」
「ああ……どうも」
レオンと呼ばれた男から差し出された手を取り敢えず握り返し、京介は水を飲んだ。ユウヤの元同僚と言う割には感じが良く、怪しい様子も無い。最も京介がそう感じていたのも出会った当初のユウヤの印象を思い出していたからであり、それを察したのかレオンは小さく笑ってみせる。
「実は俺も日系人でして、同僚だった頃はユウヤとの仲は悪かったんです。色々あったもので」
「成る程、そっちの意味か」
「どっちの意味だよ」
いぶかしむユウヤに片手を揺らして答えると、京介はレオンと少しばかり言葉を交した。レオン達はF-22Aラプターの
「ところで中尉、貴方は……DIAのウェラー捜査官の事を知っていますか?」
反射的に、京介の左手がゆっくりと腰の部分に差し込まれたホルスターに伸びた。指先がグリップの先端に触れ、そのまま音を鳴らさないようにホルスターのロックを外す。表向きは、急に何を言うのだろうと呆けて見せながら。
「いや……初めて聞く名前だ。DIAだって? どうして俺に聞くんだ?」
「噂ではサンダーク中佐殺害犯の一人が、DIAの人間だったと。貴方がそれを目撃したとも……お聞きしていますが」
「おいレオン、こんな時にそんな話をするなんてどういうつもりだ!?」
横から制止しようとしたユウヤを、レオンは片手を上げて止める。その目はしっかりと京介の眼を見つめており、京介は思わず大した男だと口の端を吊り上げた。その仕草に何かを確信したのか、レオンはもう一度答えていただけますかと念押しする。
「確かに、救助される前に俺はサンダーク中佐を撃った連中の身分証を持っていた。思い返せば……確かにDIAのものだったかもな。ただ二人分手元にあったもんだから、名前までは覚えてない」
「そうですか……」
何時の間にか体調を回復させたクリスカが京介の傍に寄り添っていた様子から、レオンは先の質問は失言だっただろうかと頭を悩ませた。彼からして見れば、ただ個人的な疑問を覚えるような事があった為に、ただ当時者に話を聞いてみたかっただけなのである。
「実は事件の後、俺のところに写真が送られてきたんです」
レオンはそう言うと、懐から一枚の写真を取り出した。内容はユウヤに見せないようにして半分に折り畳み、それを京介に差し出す。受け取った京介が少しだけ写真の開いて覗き込むと、そこにはまず自分自身の姿が見えた。それから更に写真を開くと、そこにはウェラーの姿がある。二人の姿は相対している訳ではなく、歓楽街でイワン達といる京介の姿をウェラーが一般人に紛れて監視している------そんな光景。そしてその写真にはただ一言、‘My thoughts are always with you.’と書かれていた。あなたの考えは常に私と共にある、或いは私はいつもあなたと共にある。どちらにしろ、写真に写っている者の一人としては気分の良いものではない。
「それと、これも」
遅れて渡された二枚の折りたたまれた紙、それを開けばウェラーともう一人のDIA捜査官ジョセフ・コートマンの身分証コピーが記載されている。それぞれの紙の隅に名前がVから始まる女のサインが書かれているのを見れば、京介の気分は再び最悪を通り越した部分にまで墜落した。
「やはり見覚えが?」
「……ユウヤ、こいつは信頼出来る奴か」
観念した様子で、京介はユウヤに尋ねた。レオンを見るクリスカの視線は少しばかり強く、対するレオンも思っても見ない展開に戸惑っている様子である。そしてユウヤ自身は京介の強い瞳に射抜かれ、戸惑いながらも口を開いた。
「ああ……少なくとも、こいつはペラペラと誰彼構わず触れ回ったりするような奴じゃないことは保障する。もしかしてそれも、さっきお前が言っていたことに関係しているのか?」
「ああ、そうだ。……クソ、反吐が出る」
悪態をつきながら手の中で紙と写真をグシャグシャに握り潰した後、京介は立ち上がるとレオンへと詰め寄った。そしてその耳元で、脅すように言葉を紡ぐ。
「もしこれから先似たようなモノが送られてきたとしても、絶対にそれを見たりするな。すぐに燃やすか、シュレッダーに掛けてビリビリに引き裂いて水に流せ。それがお前の為になる」
「急に何を……」
「それと、ロバート・ギリアム・イェーガーに気をつけろ。関わると碌な事にならない。……俺から言える事は以上だ」
レオンからの追求を抑える為に強い口調で言い放つと、京介はそのままその場を立ち去った。慌ててクリスカもその後を追い、後には困惑するレオンとユウヤだけが残された。
バーの外に出た京介は、すぐに隣の建物との間の裏路地に顔を突っ込むと脇目も振らずに胃の中の物を全部吐き出した。胃液で喉が強烈な苦味を感じ、胸が締め付けられるように痛む。目の奥はチカチカと明滅し、頭は針を何十本も脳みそに直接突き刺したかのような鋭い痛みを連続して発している。ペットボトルの中身を一気に口腔内に押し込んでから、京介は口の中の気持ち悪さをまとめて吐き出した。
「大丈夫? 京介?」
一緒に外に出て来たクリスカが背を擦るも、京介は苦しそうに下を向いたまま咽返っていた。吐瀉物のツンとする嫌な臭いに嫌悪感を示す事無く、クリスカは京介の背や額に手を回している。
「ああ……クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソッ! どれだけ……どれだけ俺の周りの連中を巻き込めば気が済むんだ!? っぷ……おええぇぇぇ……っ!」
込み上げる汚物を何重にも重ねていきながら、京介は姿の見えない敵を詰った。胃の中が軽くなる、頭はフラフラする、足はしっかりと地面に触れている。それでも、全身を貫く悪寒は変わらない。水を口に含むのもおぼつかず、息を吸い込む度に胸元が痛んだ。
「……昨日、一体何があったの? 今は周りに誰も居ないわ、教えて京介」
目の前の愛する男の姿にただただ心配する姿勢を見せていたクリスカは、持っていたハンカチで京介の口元を拭ってやりながらもそう問い掛けた。もう胃の中にあるものは全て出し尽くしたのか、えづいている京介は胃液以外出すものは無くなっている。彼は荒い呼吸を繰返しながら、薄まらない喉の苦味に顔を顰めながらも口を開いた。冷たい風が頬を撫で、口内を通って喉を苛めていく。
「昨日、昨日か……。昨日な、リコとユーリが殺されたのさ。正確にはリコがユーリを殺して、その後リコが殺された」
「っ、誰に?」
「サンダークが利用しようとしていた連中……あと、イワンが関わっていた連中でもある。そいつらさ」
ヴァローナの事は口にせず、京介はただ要点だけを告げていった。リコは最初からスパイで、事件に関する詳細を知る者を消して回っていた。だが用済みとなったから彼女もまた消されたのだと。
「どうして、そこに京介は連れて行かれたの」
「その大元の連中は元々俺と関わりがあったんだよ、昔から。ほら、グアドループで俺達を襲った連中さ」
「あ……」
「……俺の姉さんもそこにいる」
壁に背を預け、残り少なくなった水を飲み干しながら京介はそう言った。
「目の前でリコを撃った敵を俺が撃って、俺はお前達の敵だって宣言したのさ。けど連中は何処にでも居る、情報網を張り巡らし、スパイを紛れ込ませてこっちを一方的に見張ってる。さっきのクゼとかいう奴が持っていた写真や紙もその類だ。……正直、ここまで思い切りやられるとは思ってなかった」
「ここまでって?」
「アイツらは俺の安寧を許さない。ひと時も忘れることなく、常に頭の中にその存在を知らしめようとしてくる。この分じゃ、ユウヤ達にも何時か手が回るかもしれない。みんなにとって敵か味方か分からないが……」
「少なくとも、良い影響は与えてくれないのだろうな」
ふいに現れた第三者の声に、京介とクリスカは同時に振り向いた。立っていたのは唯依で、その手には新しい水のペットボトルが握られている。
「ユウヤから京介の様子がおかしいと聞いてな、すまないが話を盗み聞きさせてもらった」
持っていたペットボトルを京介に投げ渡し、唯依は二人に近づいた。そして彼女は、クリスカに声を掛ける。
「ビャーチェノワ少尉も覚えているだろうか。カムチャツカでの後、輸送機のカーゴ・ルームで搬送される京介を見た時の事を」
「あ、ああ」
(ロバートのところに連れて行かれる直前の話か…・・・?)
唯依とクリスカが何かを示し合わせると、唯依はそのまま京介に問い掛けた。
「昨日、京介の前に現れた相手は自分の名を名乗ったのか?」
「ああ、言ったぞ。ヴィレッタ・アルノバレル」
その名を聞いた二人は、やはりそうかとでも言うように表情を険しくした。ヴィレッタの名を聞いたことがあるのかと京介が問うと、二人はそうだと答えた。
「その女は……京介のお姉さんの部下としてここに来た事がある。他にもう一人、こっちは男性で……ブリッツ・フォン・フィールドとか言ったか……兎に角、ここに来た」
「だろうな、昨日もアイツは姉さんの中隊に居たって言ってたよ。今は色々あって違うみたいだがな」
「その人達が……私達の敵なのか」
水をグイッと仰いで喉の奥へと押し込むと、京介は乱暴に口元を拭う。
「
「京介、そうやって自分を追い詰めない方が良い。相手も同じ人間だ、どれだけ強い組織力を持っていようが皆で協力すれば------」
「無駄だ」
唯依の言葉を、京介は思わず遮った。それは敵という共通の認識が前提の段階から間違っていると思ったからだった。相手は普通の連中じゃないというのを、彼女達は知らない。
「こっちがどれだけ協力しようが、向こうにとっちゃ何の意味も無い。無駄な犠牲が増えるだけだ」
「どうしてそんな事を……」
「直接敵対するのは俺だけで良いんだ。みんなはただ、関わらないようにして生きていてくれれば良い。ユウヤにも、クゼにもそう言った。唯依も、そうしてくれれば良い」
死なない人間の集団だと言ったところで、素直に信じてもらえるとは京介は思っていなかった。だから少しだけぼかしたような言い方をして、後は何も語らなかった。
「クリスカ、イーニァを呼んで来てくれ」
「……帰るの?」
「頼む」
「分かったわ」
クリスカはそう答えると、唯依を一瞥してからバーの中へと戻っていった。その視線の意味を、唯依は理解している。残された二人の間にほんの少しだけ気まずい沈黙が流れ、京介は居心地が悪そうに水を飲み続けた。だが数秒後、ふいに京介は小さく言葉を零す。
「……さっきクゼと話をしていた時に、俺に付きまとっていたDIA捜査官の名を知っているかと聞かれた。そいつの事は、ユウヤも知っている」
「……ウェラー捜査官の事か?」
無言の肯定。京介は足元の吐瀉物に水を流し、それを側溝へと誘導していく。ツンときていた臭いが、若干薄まっていった。
「クゼの前で俺はその名前は知らないと恍けて見せた。ユウヤもその事に反応はしなかった。けど……唯依には言っておこうと思う。お前はロバートの顔も知っているし、姉さんの事も知ってる」
そう言って、京介は第二のテロ事件と証された日に何があったのかを包み隠さず全部話した。クリスカ達の出生の秘密から裏でDIAを経由したCIAが関わっていた事まで、何が原因で何が起ころうとしていたのか、全てを。勿論唯依の方にも既に知っている情報は幾つかあったものの、特にその情報に対する発言はしなかった。京介が話し終えるまで、彼女は一言も言葉を発さない。
「俺やロバートや姉さんの所為で関係の無い誰かが巻き込まれ続けるのなら、俺の手で連中と決着をつけなくちゃならない。あの二人を殺しでもしないと……俺も死に切れるもんじゃない」
「……そんな不吉な事言わないで」
「何時かはそうなるんだよ。連中は俺と戦いたがってる、俺と殺し合いがしたいんだ」
「どうして?」
「さあな。……兎に角今言った事があの日の全てだ。だからお前も気をつけておいて欲しい。狙われている可能性が少しでもあるなら、自衛するに越した事は無い」
話しているうちに気分が戻って来たのか、話し終えた京介の横顔は鋭く遠くを見ているように唯依には感じられた。先程まで地面に吐瀉物を撒き散らせて悪態をついていた時とは違う顔だ。そしてふと、彼女は今の京介に何処か悲しいものを感じていた。バーの中でクリスカやイーニァと戯れていた時の顔は、昔の彼に近い柔らかいものだった。だがそれ以外の時は、冷たく、深い目をして他の人には分からない
「ごめんなさい、遅くなった」
「もうかえっちゃうの? イーニァ、まだユウヤたちとおはなししたいのに……」
そこへイーニァを連れたクリスカが戻ってくると、京介は小さな少女に謝ってその手を取った。その様子を見ていたクリスカは唯依に小さく頭を下げ、隣に立つ京介に何かを囁く。
「じゃあ、みんなに宜しく言っておいてくれ。ちゃんとお別れを言えないのはどうかと思うけど……悪い。あと、肉じゃがは美味かったよ。吐いちまったけどな」
少しだけバツの悪そうな顔をして、京介はそのままイーニァの手を引いてその場を去ろうとした。隣には愛する人を並べて、片手には大切な存在を連れて。その遠ざかっていこうとした背中に、かつてその隣に並びたいと思っていた一人の少女が、思わず言葉を投げ掛けた。
「------待って!」
その言葉に男は足を止めて、小さな少女は彼の顔を見上げる。傍らの女性は静かに顔を伏せ、後には静かに冷たい風が吹きぬけていく。
「夜は! ……夜は、まだ怖い?」
風に乗って紡がれた言葉は、それは少女が唯一紡ぐ事が出来た男の一面だった。かつて自らの腕の中で見せた醜態、弱々しいその姿が、まだ残っているのか。淡い期待にも似たその言葉が、男の胸に流れた。
「もう、怖くない」
男はそう短く、だがはっきりと答えると、振り返る事無く歩き始めた。小さな少女は小脇に抱えた熊のぬいぐるみを見せて軽く振り、少女はそれに手を振り返す。後はただ、遠ざかっていく背中を黙って見続けていくだけ。彼女が知っていたはずの男は、彼女だけが知っていたはずの男は、そこにはもう居なかった。
「……よし、これでもう何の心配もありませんね。全ての根回しは終わって、貴方達は十月二十一日付けで横浜基地への配属になります」
手元に束ねられたファイルを持ち、白銀武はそう京介達に言った。時刻は深夜、何処からか侵入してきた白銀が京介の部屋に現れ、用意していたクリスカ達に関する偽造書類等を見せたのだ。それらは全てクリスカ達が
「出発は明後日、必要な物は明日の間に纏めておいてください。後はこちらで上手くやっておきますから」
「ああ、分かった。……本当なら佐官に対してこんな口の効き方をするなんて有り得ないんだろうけどな」
自嘲気味に言う京介に、白銀が静かに笑ってみせる。
「前の基地での話は知っていますよ。准将相手に不遜な物言い、技術廠へ呼び出された時は嬉々として送り出されたそうですね」
「まあ……あの頃は何も知らなかったからな」
「いずれにせよ・・・…もうここに居られるのも僅かです。遣り残した事があるのなら、明日の内にしておいた方が良いでしょう。明後日の朝キース少尉を迎えに出させますから」
そう言って、白銀は部屋から出て行った。後には静寂が残され、京介は一人朝と同じ様に椅子に座って虚空を見つめていた。
「敵は何処にでもいる。けどロバートは白銀に気をつけろと唯依に忠告した、何故だ? 白銀もロバートも、お互いが相手に気をつけろと俺達に言ってくる。ただの敵同士じゃないのか? 何時か理由が分かるなら、その時俺はどうしたら良い?」
ブツブツと虚空を前に言葉を垂れ流しながら、京介は自問自答を続ける。それを続けている内に、朝見たあの厭な夢の内容が脳裏を過ぎってしまった。何度も過ぎては有り得ないと断じ、また過ぎってはそんな事は無いと否定する。だが何度も繰返していく内に否定しきれなくなっていき、遂には京介は考える事を放棄した。そっと腰に手を伸ばし、差し込んでいたトカレフを引き抜く。何かあれば使っていた予定のそれは、既にハンマーが起されている。全部で八発、ボトルネック状のその弾丸は鉄製の弾芯で放たれれば頭蓋骨は真っ直ぐに突き抜かれて脳髄を辺り一面にぶちまける。もう何度目かも思い出せないまま、京介は左手に持ったトカレフをこめかみに押し当てた。
そして迷い無く引き金を引き、ただハンマーが音を立てて落ちる。スライドを引き、強制排莢。また引き金を引き、ハンマーがただ落ちる。そしてまた弾丸を排莢し------それはスライドがホールドオープンするまで続けられた。足元に散らばる弾丸を蹴飛ばし、トカレフを床に投げ捨てる。京介はゆっくりと深呼吸をしてから、やがて自分の左手を空に掲げた。
「俺が俺を殺せないなら、一体誰が殺せるって言うんだ?」
月明かりの差し込む部屋の中、京介には自分の左手が誰のものかも分からぬ血でべっとりと濡れているように錯覚していた。だが月に雲が掛かり、少しずつその明るさが消え去っていってしまうと、掲げていた手もまた少しずつ視界の先から消えていってしまう。やがて全てが真っ暗になると、後には何も残らなかった。かつて見えていたはずの死んでいった仲間達の顔が現れなくなったのは、京介が彼らの呪縛を振り切ったからなのか、或いは既に彼らのすぐ傍まで堕ちて行ってしまったからなのか。ふと、京介は椅子に座ったまま背後に振り返った。そこには地獄への道が広がっているのかと思ったが、あるのはただ真っ暗闇な空間がポッカリと空いているだけ。それ以外、何も無かった。怖いという感情が生まれるような、気配すらも無かった。
翌朝、クリスカが京介の部屋に訪れた時、彼は既に全ての荷物を黒いボストンバッグに纏めていた。事情を問う彼女に京介は昨夜白銀と交した話を伝え、彼女達の荷造りを手伝うと言って自分の荷物を手にクリスカ達の部屋へと同行する。猶予は一日だけあったが、彼はその日何も語らず、ただ彼女達の部屋でじっとしているだけだった。その時京介が何を考えていたのか、クリスカにもイーニァにも分からなかった。何時もなら視えていたはずの色も不明瞭で、本能的に今の彼に触れてはいけないという警告が彼女達の頭の中で警鐘を鳴らすのだ。
食事を取り、水を飲み、必要最低限の言葉を交す。翌朝に褐色肌の調子の良い女性が三人を迎えにジープで乗り付けるまで、彼の色が変わる事は無かった。しかしただ一度だけ、クリスカが京介の心の僅かな揺らぎを視る事が出来た。それはアラスカを立つ輸送機に乗り込む直前、彼が自らの肩に貼られていたイーダル試験小隊の部隊章を取り外す時。そのほんの一瞬の間、彼の内側にあった闇のように真っ黒に染まっていた色の外側に、僅かな光の円が見えた。初めて彼と心を通わせた時に視えた暖かい光に似た、綺麗な円が。それは
(私達はこれから……どうなっていくのだろうか)
輸送機に乗り込むその前に、クリスカはそう独りごちた。それに応えてくれるものは何処にも無く、頭上にはただ見慣れた太陽と蒼い空が何処までも広がっているだけ。そして目の前には否定的な未来を見続けてきた自分達に、唯一肯定的な未来を、決して届かないと思っていた光を見せてくれた男の背中がある。傍らに無垢な笑顔を浮かべている幼い少女の頭を優しく撫でるその男の背に、クリスカは静かにその手を伸ばしていた。その背中の先に、きっと暗闇から抜け出せる光があると信じて。
Muv-Luv The frayed memory/Carved memory
-TOTAL ECLIPSE-
------ To be continued in ALTERNATIVE.