※この作品はR-18です。

Muv-Luv The frayed memory/Carved memory   作:REDALERT

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Get Muddled

 

《はあっ……はあっ……はあっ……はあっ》

 

 

男の荒い呼吸がヘッドセットを通じて耳朶を打ち、聞く者を不快にさせる。それはただ息が上がっているだけでなく、声の主が苛立っている所為もあった。苛立ちを含む男の荒い息遣い、それは聞いていて心地良いものではない。

 

 

《------ふぅー……っ》

 

 

それに対応するように、別の男が深く息を吐く音が響く。まるで何かに集中しているかのような、そんな呼吸。二人の男の間に静寂が訪れ、刹那、激しい金属同士がぶつかり合う轟音が鳴り響いた。

 

 

《うぅぅぅぅっ!!!》

 

 

荒い呼吸の男の口から呻き声にも近い唸りが漏れ、直後、再び轟音が響き渡る。今度は金属音では無く、戦術機の跳躍ユニットから発せられる噴射音だ。忽ち、その轟音が遠ざかって行く。

 

 

《逃がすかよッ!》

 

 

相対する男が叫び、再び別のゴォッという噴射音が響く。そして数秒後、何かが地面に激突する音が奔り、ドーゥル達の見ていたモニターの表示が消えた。ドーゥルはコンソールについていたオペレーターを一瞥すると、小さく頷いた。それに応えるように、オペレーターは自身のインカムを手で押さえて声を発する。

 

 

「アルゴス1、撃墜。ワイルド7、脚部及び胴体部に甚大なダメージを確認。状況終了、各自シミュレーターから出てください」

 

 

その言葉に連なって、ハンガーに並べて立たされていた不知火弐型と雪風の後部ハッチが開いた。ほぼ同時に迫り出した管制ユニットからは、それぞれ肩で息をしながらフラフラとしたユウヤと、険しい表情で汗を拭う京介が整備員の力を借りて這い出てくる。四(・)時(・)間(・)、二人が共にシミュレーションによる戦闘訓練を始めてから経過した時間だ。途中の休憩も二分や三分程度で切り上げ、水分補給をしながら戦闘を見ていたヴィンセントからのアドバイスを受けるユウヤ。それに付き合う京介も水分補給を行いながら、完治したばかりの左手を気にする素振りを見せていた。その隣には、ヴァレリオ・ジアコーザの姿がある。

 

 

「痛むか?」

 

 

キャットウォーク上にて京介にボトルを渡したヴァレリオの問いに、京介は難しい表情を浮かべて頭を振ってみせる。その動作でヴァレリオが感じたのは、手骨に入っていたヒビは治ったものの、まだ本調子では無いというものだった。ヴァレリオはその長くウェーブがかった黒髪を掻き上げると、京介が投げて返したボトルを受け取った。ストロー付きだというのに、既にその中身は無くなっている。それに苦笑したヴァレリオの前で、京介は呟くように言葉を吐いた。

 

 

「注意力散漫ってとこだな、俺もアイツも。……はぁ、流石にキツイ」

 

 

ため息をつきながら立ち上がった京介は、雑になっていく自分の操縦について内心苛立っていた。疲労もあるが、それ以上に精神安定剤の服用を止めてからの調子があまり良くないことも関係していた。今まではフラッシュバックが起こった時等に頼っていたものが頼れなくなり、寝つきも悪い。嫌な光景が浮かび上がっても、歯を喰いしばって耐えるだけ。医師によるセラピーも、特に効果があるという実感がある訳でも無かった。彼の疲労は、確実に蓄積されていた。だがそれを誰かに言ったとて、元々秘密にしていたことで余計な問題を引き起こすだけだということを京介は理解していた。そんな京介の表情を心配してか、ヴァレリオが横から口を挟む。

 

 

「ユイ姫に黙ってシミュレーター動かしてるけど、もう止めにしといた方が良いんじゃないのか? 元々ハイヴ突入訓練から勝手に近接訓練に移行してるし、休んだ方が良いぜ大将」

 

「ん、ああ……そうだな。悪いけどVG、後頼む」

 

「任された、ログはヴィンセントと調整しとくぜ」

 

 

そう言ったヴァレリオの言葉を受けた京介はヴィンセントと話し込むユウヤを一瞥し、キャットウォークから離れた。率直なところ、京介のユウヤの近接戦闘に関する感想は下手糞の三文字だった。吹雪に慣れ始めたところで更に出力の上がった不知火弐型に乗った事で、ユウヤはまた機体を躍起になって押さえつけようとしている。その所為で求められる近接戦闘能力についても機体制御で一杯一杯、京介がかなりの手加減を加えたところで漸く打ち合えるといったところだった。本来ならそんなレベルで居続けられても困る上、確実に計画遂行に問題が生じるだろう。

 

 

(それでもあれだけ動かせるんだ……やっぱりエリートってことか)

 

 

ロッカールームに併設されたシャワー室に入ると、京介は一番奥のスペースに入った。強化装備で締め付けられていた身体が頭上から降りかかるお湯に解され、恍惚とした吐息が自然と口から漏れて行く。濡れた髪が額に張り付き、それを掻き上げた京介はそのまま身体を洗った。今彼の頭の中にある最優先事項は、如何にしてユウヤ・ブリッジスに機体をものにさせるかだった。XFJ計画の進行も順調だとは言い難く、唯依もまたその意固地な性格が災いしてユウヤを炊きつけ煽るかのような物言いを再発させている。今日の訓練とて、ハイヴ内での機動もままならないユウヤに気分転換させる為に近接戦闘を嗾けた。機体は動かせる、だがそれ以上の何かが足りない。その足りない部分を補う為にどうすれば良いのか、それが誰にも分かってはいなかった。

 

 

(甘やかしてるつもりは無い……けど、どうすりゃ良いって言うんだ?)

 

 

不知火弐型は機体出力等の面で言えば確実に不知火を上回っている。一度京介も乗った事があったが、不知火に慣れていた彼であっても弐型の動きに振り回されたことが何回かあった。ユウヤは機体制御も満足に出来ない、ならばその状態で近接戦闘も十分に出来る訳がない。地に足つけた状態ならば比較的動かせて入るが、その先が京介達には必要だった。

 

 

(また唯依に相談か……)

 

 

最近慣れつつあった胸焼けにも似たような感覚に顔を顰めながら、京介はシャワー室を出たのだった。

 

 

 

「……やはりそこが問題か」

 

 

夕飯時の食堂で、京介と唯依は食事もそこそこに机上に資料を広げて話し合っていた。書かれているのはハイヴ突入訓練と色々と時間を省略して記載した近接戦闘訓練について。その内容に唯依は口元に手を当てて、何事か考えていた。京介も同じようにしていたが、書類に指先をトントンと当てながら黙っている姿は少しばかりイライラしているようにも見える。

 

 

「吹雪に慣れかけたところで弐型のこの出力だ。また慣れるのに時間が掛かるのは確かだし、機体制御の問題が解決しなけりゃ近接戦のデータだってこんなもんしか取れない。正直、俺が手を抜いて相手してる分まだマシに見えるけど……他の近接が得意な衛士と戦うようになればどうなるか……」

 

 

「手を抜いて……か、本気で相手をしている訳ではないのか」

 

 

少し強張った唯依の声が聞こえると、京介は顔を上げて唯依の顔を見た。何処と無く、怒っているようにも見える。地雷を踏んだか、と京介は内心舌打ちした。言い訳がましくなるが、何かしらのフォローをしなければ唯依は次の訓練でもユウヤに対し余計な一言を放つだろう。

 

 

「仕方ないだろ? 少しずつ慣らしてやっていかなきゃ、ACTVとの比較試験だって並行してやってるユウヤの負担も考えねえと」

 

「だが我々にはそこまで時間を掛けている余裕は無いのだぞ。それを手加減して相手をしていたのでは、進むものも進むまい。そもそも負担とは言うが、初めに日本の戦術機を下に見て掛かった奴とてその原因が最初の頃の自分にもあると自覚しているのだ。それに……」

 

「それに?」

 

「負担がどうのこうの言っている割には、少尉も随分無駄な時間と体力を使わせていたようではないか。四時間も近接戦闘訓練を行っておいて、最後には強制的に機体に組み付いて墜落させるなど……。しかもドーゥル中尉まで巻き込んで私に報告しないとは、一体どういう了見か」

 

 

ばれてしまっている、京介はヴァレリオとヴィンセントの顔を思い浮かべながら冷や汗を掻くと、慎重に唯依を落ち着かせる為の言葉を選んで話そうとした。しかし、直前に受けた彼女の言葉から京介もまた、口から本音の一部を洩らしてしまう。

 

 

「それは……ん、ユウヤの気分転換になると思ったんだよ。そしたら思っていたより振り回されていたから熱が入って……。黙ってたのは悪かったよ、けどそれをそのまま報告したら唯依はまたユウヤと口論になるだろう? そうなる方が時間の無駄になるってんだよ」

 

 

強い唯依の言葉に思わず語尾を強めてしまった京介は、いきなりテーブルを強く叩いた唯依に思わず身体を跳ね上げさせた。他の席に座っていた兵士達の視線を一身に集めるも、唯依は怒った表情で京介に言葉で噛み付いた。

 

 

「XFJ計画の開発主任は私だ! 少尉は補佐で、ブリッジスは開発衛士! それが揃いも揃って好き勝手に機体を動かされたのでは敵わない! 計画を私物化するつもりか!」

 

「私物化って、んな訳ないだろ! 話を飛躍させるな!」

 

「現に私に黙って勝手に訓練内容を変更したではないか! そうでなくて何と言う!」

 

「だからそれは悪かったって言ってるだろう!? そもそも最初の時期にお前がユウヤと必要以上に衝突し続けたからそうならないようにしただけなんだよ!」

 

「誰が頼んだ!? 貴方はただブリッジスと子供みたいに殴り合っただけで、それで問題を解決した気にならないで欲しい!」

 

 

売り言葉に買い言葉、京介と唯依の口論は激しさを増し、それは食堂に居た兵士の一部が唯一二人を仲裁出来そうなアルゴス小隊の面々を探しに駆け出しに行く程だった。互いに立ち上がった状態で、京介と唯依は罵声を浴びせあう。既に二人共、その頭からは冷静さというものは消し飛んでしまっていた。

 

 

「歩み寄る姿勢も見せなかった奴が何を言えるって言うんだよ! 現場で乗って動いてるのは俺達なんだぞ!? 焦って行動して全部ダメにするのがお前の望みなのか!」

 

「誰もそんな事は言っていない! そうやって現場にいるからと好き勝手動こうとするのが計画の私物化だと言われる原因になるのだ!」

 

「話を戻すな! そう言っているのはお前だけだろうに!」

 

「私は貴方とは違う! 貴方のように好き勝手に暴れていれば良いだけではないのだ!」

 

「何をっ!」

 

「私はっ……私は! 酒(・)や(・)薬(・)に(・)頼(・)っ(・)て(・)過(・)去(・)か(・)ら(・)逃(・)げ(・)て(・)い(・)た(・)貴(・)方(・)と(・)は(・)違(・)う(・)! っ、あ……」

 

「……そうかい、分かったよ。悪かったな!」

 

 

勢いに任せて放った自分の言葉に、唯依は冷静さを取り戻した。本当はそんな事言うつもりではなかった、そう言おうとしても既に遅く、一瞬哀しそうな表情を浮かべた京介はそのまま唯依から背を向けて歩き出した。呼び止めようと、唯依の口から京の字が零れる。だがそれは、彼に届く事は無かった。

 

 

「京……!」

 

 

「退けよッ!」

 

 

食堂の出入り口に差し掛かったところで呼ばれて来たのであろうユウヤ達と鉢合わせた京介は、そのまま彼らを怒鳴って突き飛ばすようにして出て行ってしまう。その姿にタリサが噛み付くが、すぐにヴァレリオに止められる。結局余計なギャラリーを増やしてしまっただけの状況で、一人残された唯依はそのまま力無く椅子に座り込み、目の前に広がる書類に目を落とすしか無かった。

 

 

 

 

夜、基地を抜け出した京介は前に訪れた公園のベンチで一人寝そべっていた。後頭部で腕を組んで足も組み、ただジッと空を見つめている。黒いペンキをぶちまけたかのような夜空に、点々と星が輝いていた。その一つひとつをつまらなさそうに見比べながら、京介はつい先程唯依に言われたばかりの言葉を頭の中で反芻させていた。

 

 

(過去から逃げていた、か。……馬鹿野郎が)

 

 

京介が精神安定剤を使っていたのも、酒を飲んでいたのも、逃げる為にしていたつもりではなかった。過去からの呪縛が突きつけてくる光景を振り払って、ただ前に進む為に使っていたつもりだった。ただそれは京介自身の意思は兎も角として、過去の出来事を直視せずに忘れようとするのは逃げだと言われても致し方ない。だが本人がそうは思っていないところにそう言われれば、腹は立つものだった。頬を撫でる風に頭を冷やしながら、京介は暫くの間そうしていた。

 

 

(……ん?)

 

 

それを中断させたのは、何処からか自分に近づいてくる足音が耳に入った時だった。周囲が静かな分聞き取りやすく、京介はその足音の人数まで把握出来た。というより、一人分の足音が公園によく響いたということであったが。兎も角その足音の主は、間違いなく京介に近づいていた。

 

 

(MPでも来たか? クソッ、面倒な)

 

 

最悪連行されることはないだろうと高を括っていた京介は、一先ず寝たフリでやり過ごそうと考えた。昼寝をしていたらそのまま、理由としては苦しいだろうがただベンチで寝転がっていた衛士を連行する程MPも傍若無人ではないだろう。だが京介の耳朶を打ったのは、冷たい女の声だった。

 

 

「起きろ、寝たフリをしているのは分かっている」

 

 

「……?」

 

 

うっすらと目を開けると、京介の顔を覗き込んでいたのは前に見たイーダル小隊の紅の姉妹、その中のクリスカと呼ばれていた女だった。ジッとその透き通るような、だが氷のような瞳が京介を射抜いている。仕方なく、京介はそのまま目を開ききって上体を起こした。銀色の髪をやや伸ばし、鍛え上げられながらも豊満さを同居させた美人と言われる分類に属する彼女に、京介は気怠そうに口を開いてみせる。

 

 

「……ソ連の衛士が何の用だ? 此間の話でもつけに来たってか」

 

 

初めて顔を合わせたあの時感じた謎の頭痛と気持ちの悪さ、関連していたようでしていなかったあの出来事に、京介は感じていた不信感を改めて思い出す。一方のクリスカも同じ気持ちなようで、京介を見る目からは完全なる警戒が見えていた。

 

 

「他の仲間についてはどうでも良い。私が聞きたいのは、貴様が何者なのかだ」

 

 

「……は?」

 

 

突然素っ頓狂な事を言い出したクリスカに、京介はベンチに座ったまま片肘ついて首を傾げた。一体目の前の女は、何を言い出すのだろうといった顔だった。それでもクリスカの顔は真剣そのもので、彼女は前に目を通した資料を見て覚えた京介の経歴の一部を話し出す。

 

 

「日本帝国陸軍所属の衛士で、明星作戦後に日本帝国からエース集団に選ばれた内の一人。敵味方問わず模擬戦等に於いて多数の戦術機を破壊し、更に実戦に於いても機体がバラバラになるような危険な操縦を繰返す事から、付いた渾名がデストロイヤー。……それがお前だ」

 

「ご名答。それで、そこまで知ってる俺の何について知りたいって言うんだ? 悪いが俺はアンタの事はロシア人っていうのと、イーダル小隊の連中の一人って言うのと、紅の姉妹だとか言う結構な渾名の付けられた二人組の片割れ程度の知識しか無いんだぜ」

 

「随分と、機嫌が悪いようだな」

 

 

突然の物言いに京介がムッとして言い返すと、クリスカはあっさりと受け流した。何なんだこの女はと京介の機嫌はより悪くなり、そんな京介に対しクリスカは更に言葉を続ける。だがそれは、京介の怒りを余計に増幅させる事となった。

 

 

「私が知りたいのはそんな書類に書かれる程度のものではない。もっと根本的なものだ」

 

「根本的なもの? それが俺が何者かっていう質問に繋がるのかよ」

 

「そうだ」

 

「馬鹿にしてんのか!」

 

 

怒鳴る京介に、クリスカは鋭い視線を向けたまま。意味の分からない質問をぶつけられた京介の機嫌は悪くなる一方で、クリスカはクリスカで肝心な事を言わないでいた。初めて顔を合わせた時、彼女は突如激しい頭痛に襲われた。それは一時的なものですぐに治ったものの、それ以降彼女が大切にしている紅の姉妹の一人、イーニァ・シェスチナが異様なまでに脅える事が多くなったのだ。理由を聞いても分からないと応える彼女に、クリスカは少ない情報から京介が関係しているかもしれないと考える。だから合同テストの際もアルゴス小隊の面々に注意を払い京介を探したものの見当たらず、今日遂に何処からか京介が街にいたという情報をユーリ・ミン・エゴロワから聞いた彼女は彼を漸く見つけたのだ。だがクリスカ、フルネームで言えばクリスカ・ビャーチェノワには一般的な対人コミュニケーション能力が欠如していた。それは彼女の出自が関係している事ではあるのだったが、それを京介が知る由も無い。しかも彼は先の唯依とのやり取りで正常な判断能力を欠いている状態があり、相手の怒りの原因も分からぬクリスカとの会話は非常に時期が悪かったと言える。

 

 

「俺が何者かっていうのが知りたいんだったらお前はもう知ってるよ! お前が何処かから仕入れた情報そのままで合ってるさ!」

 

「私が聞きたいのはそれ以外の事だ。貴様がどういう人間なのか、それを教えろ」

 

「教えろ!? 教えろだと!? じゃあ教えてやる、俺は貴(・)様(・)程(・)度(・)の奴との会話で怒鳴り散らす程度の男さ! 嫌な事があれば酒に逃げて薬に逃げて! 騒ぎがあれば首を突っ込んで暴れるだけの能無しだ!」

 

 

最早自暴自棄にも近い口調で怒鳴り散らす京介を前に、クリスカが感じたのは強い失望だった。イーニァや自分に強い嫌悪感と恐怖にも似た感覚を与えてきた男がどんな男かと思えば、子供のように喚いている。どうやら自分の見当違いだったのではないか、否、恐らくその通りなのだろうと自分の中で自己完結したクリスカは、目の前にいる男に見切りをつけてその場を去ろうと背を翻した。そして視線の先に銃を持った二人のMPを見つけた時、彼女は急に腕を引っ張られた。突然引っ張られて駆け出したクリスカは背後から男達の怒声を聞くも、意外にも強い力で引っ張られていた彼女には背後を振り返って確認する余裕は無かった。

 

 

「い、いきなり何だ!」

 

 

突然自分の腕を引っ張って走り出した京介の背中にクリスカがそう声を掛けると、彼は一度彼女に顔だけ向けてすぐに前に向き直した。そしてすぐに、悪態をつく。

 

 

「MPに掴まると後が面倒なんだ! クソッ、何だってんだよ今日は! 厄日か!」

 

 

そう言ってクリスカの腕を掴んでいた京介は、そのまま彼女の手を握りなおして走り続けた。そうして歓楽街を抜けて基地近くまでをほぼノンストップで走り続けた結果、後に残ったのは息の上がったクリスカと余計にイライラの増した京介の二人だった。その京介の左手は、まだクリスカの右手を握っている。息を整えながらも、クリスカは京介に声を掛けた。

 

 

「……はぁ……はぁ、手を……離せ……」

 

 

「っ……あ? あ、ああ」

 

 

言われてから気付いたのか、京介はそっぽを向いたままクリスカから手を離した。強く握られていたのか、クリスカは自身の右手を左手で揉むようにしながら京介を睨む。その目は、疑問に揺らいでいる。

 

 

「……っ、はぁ……何故、私まで助けた? そのまま、自分だけ逃げていれば良かったのに」

 

「お前が捕まって、べらべら俺の事喋られたんじゃ意味が無いからな。不本意だけど、助けさせてもらった」

 

「そんなこと……」

 

「無いと言い切れるか?」

 

 

額の汗を軽く袖で拭うと、京介はそのまま基地の方へと向けて歩き出した。

 

 

「何処へ行く!」

 

 

その背にクリスカが声を掛けるも、振り返った京介から返されたのは怒声だった。

 

 

「基地に帰るんだよ!」

 

「私の疑問はどうなる!」

 

「部屋に戻って玩具箱にでも片付けてろ!」

 

 

そう言って去って行く京介の背中を追い掛ける気力も無くなっていたクリスカは、走っている最中ずっと彼に握られていた右手を見た。心に何か引っ掛かるものがあったのか、クリスカは次第に小さくなっていく男の背中と自分の右手を交互に見て小さく言葉を紡いだ。

 

 

「奴は死にたがっているのか? だからあの時イーニァも……? けどあの時の奴は確かに……」

 

 

心に渦巻いていた黒くともグロテスクな血の色、クリスカが京介に感じた印象はそんな言葉では形容し難いような何かだった。ただその時、クリスカは初めて会った時の頭痛の原因が何か、少しだけ分かったような気になっていた。

 

 

 

 

自室へと続く廊下に出た時、京介の視界に飛び込んできたのは部屋の前に立つユウヤの姿だった。彼は京介の姿を目にすると、少し怒ったような顔で近づいてくる。それが今の京介のイライラを増大させた。何か言おうとしたユウヤの隣を京介がそのまま通り過ぎると、ユウヤがその腕を掴んだ。それに対し、京介は酷く冷たい態度を取る。

 

 

「離せよ」

 

「あの時食堂で何があったか話を聞かせろ。タカムラ中尉にステラとタリサが付いてるが、問題はお前だ」

 

「問題が俺? 違うね、問題はお前だよユウヤ・ブリッジス」

 

 

掴まれた腕を振り払うようにすると、京介はそのまま自室のドアノブに手を掛けた。それを横から、ユウヤが妨害してドアに京介を押し付ける。

 

 

「問題が俺っていうのはどういう事だ? お前達二人は一体何を言い争ってたんだ!」

 

 

「手前がさっさと弐型をまともに動かせるようになってくれりゃあ良いんだ、よ!」

 

 

ユウヤの身体を一瞬突き飛ばした後、京介はそのまま自室へと入ってしまった。ユウヤは急いでドアに取り付くも、既にドアは開かなくなっている。だからユウヤは胸のモヤモヤをそのままに、ドアを強く叩いた。

 

 

「俺に責任を転嫁するっていうのか!? お前ら二人の言い争いも、全部俺の所為だって言うのかよ! おい!」

 

 

ドアの向こうからユウヤの怒声が響くも、京介は既に明るい部屋の中でベッドにうつ伏せになっていた。計画の遂行、朝からの訓練、唯依との口論、そしてクリスカとの邂逅、ユウヤの非難、その全てがうっとおしくなっていた京介は、乱暴にシーツを掴むと丸めて頭に被せた。頭の中を様々な言葉が反芻し、残響し、京介を唸らせる。

 

 

「ぅぅぅうあああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

「っ……お前……」

 

 

部屋の中から聞こえてきた獣のような唸り声に、ドアを叩いていたユウヤは固まる。そうして彼は京介の過去を思い返すと、何も言えずにその場を去るしか手は無かった。BETAとの戦いで傷を負った衛士というのは、あんな風になることもあるのだろうか。自分も何時か実戦に出て、同じ目に合って、生き残れば、奴の気持ちも分かるのだろうか。そういう自問をしながら、ユウヤもまたグチャグチャになる思考に苛立ちながら壁に拳をぶつけるのだった。

 

 

 

それから三日後のアルゴス小隊四機による実機訓練の帰り道、ユウヤ・ブリッジスは初めて近接戦に於ける戦術機の恐怖というものを味わった。山吹色をした戦術機------日本帝国斯衛軍にて運用されている純国産の第3世代戦術機・武御雷、その襲撃を受けた為だった。アルゴス小隊の他三人は即座に撃破され、ユウヤは慣れない長刀を使用した一騎打ちの土壌へと引き上げられた。結果で言えば、惨敗。訓練で行われていた馴れ合いにも似たやり取りでは無く、本気の、命を狙われていると自覚させられた上での戦闘。それが普段以上にユウヤの実力を後退させていた。たった一度、最初の一撃を捌けた事以外、ユウヤは武御雷に弄ばれていた。

 

 

その全てが終わった時、戦術機を降りたユウヤの目の前で、悔しさに打ちひしがれる彼の目の前で行われていた口論は、彼の今までの意識を再び根底から引っくり返した。

 

 

男は言う、何故このような事をしたのかと。女は答えた、現状でこれが最も良い方法だったと。女は続ける、これが私のやり方だと。更に女は続ける、訓練で手を抜いて相手をしても進歩には繋がらないと。馴れ合いの結果が現状なのだと。

 

 

手加減、馴れ合い、それらの単語がユウヤの脳内を駆け巡っている中、彼の目の前で、浦城京介は篁唯依に手を上げた。その直前、唯依が京介に何と言ったのかユウヤは聞いていない。だが少なくとも、その男女の行為が今後良くない結果を齎すのだろうというボンヤリとした予感だけは、当たっているようだった。

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