当ても無く飛び続けて居た私はやがて誰も居ない、何も居ない山の近くに降り立った。氷山の様に寒い風が吹いて来るこの場所で……私は倒れてしまう。飛んでいる間は良かった。だけど私が再び地に足を付けた瞬間、散る様に大きかった翼は羽根を撒き散らせて消滅。今の今までそれに頼って居たためか、私は身体に力を入れる事も出来ずにその場に伏すことになってしまった。
思い出すだけで恐怖する。今までアスナに捕まって居た時でも私は結果的に幸せだったのかも知れない。だけど今日、あの時。私は明確な殺意の元に殺されそうになった。知らない内に恨まれ、その思いを向けられた。何より私はあの時、
「……殺そうと……した」
立ち上がる事も出来ず、私は右手に必死に力を入れて目の前に持ってくる。この自分の手で握って居た物を、私はあの時容赦なく振り下ろそうとした。クラディールの身体をその刃で切り裂こうとした。キリトのお蔭で止まる事が出来たけれど、私はそんな事を普通にしようとして居た【私自身】に恐怖する。そして自分の身体に起きたあの変化なども含め、未知の事に怖くなる。
欲を満たすだけ。そう思って居た私はきっと甘かった。様々な世界で生きる限り、色々な人が居る。そしてその人に愛情向けられる事も、殺意を向けられる事も沢山ある。1年以上掛けてまだ1人しか満たして居ない私に、本当に出来る? 本当に私は……帰る事が出来る?
考えて居た私の目の前が突然光り始める。そしてその光の中から誰かが出て来る姿が見えた。逆光のせいで顔が分からない。だけどその光の向こうから来る風がその人の着て居るワンピースを揺らし、長い髪を乱して居るのは理解出来た。と同時に私は徐々に意識が薄れて行くのを感じる。本当にあるのかは分からないけれど、これがお迎えだと言われたら納得してしまいそうになる。だけど……私は……。
ゆっくりと目が開く。見えたのは何も無い真っ暗な光景。天井も無い、床も無い。唯私はそこに【浮かんでいた】。
死んでしまった? 多分違う。天国も地獄も見た事が無いけれど、そうで無いと私は感じる。確証も無いけれど、私は……生きて居る。
突然目の前に何かが現れる。それは画面の様で、そこに映って居たのは店番をして居るリズベットの姿。と、その横に今度は違う画面が現れる。映って居るのはディアベルが笑って居る姿。そしてその2つを確認した時、私の周辺には全く同じ画面が無数に表れ始める。まるでここはゲームの世界を監視できる場所。プログラムの中の、中。
「お目覚めですか?」
「!」
驚いて居た私に突然声が掛かる。その方向に振り返った時、私の目の前には少女が浮いて居た。そして目の前に居る少女が意識を失う前に現れた存在である事を私はすぐに理解出来た。だからこそ、ここが何処でこの子が誰なのか。私には分からない。
少女は私の目の前を移動して画面の近くに行くと、ここが何処であるかを説明し始める。私の予想通り、ここはソードアート・オンライン。通称SAOの世界を見る事が出来る場所であり、プログラムの世界を例外無く見つめられる場所であるとの事。そしてそこに居る少女。彼女は自分の事をこう言った。
「私はメンタルヘルスカウンセリングプログラム・試作1号。コードネーム【ユイ】です」
少女……ユイは自分をこの世界の人々のメンタルケアをするために存在する人工知能。つまり【AI】なのだと言う。だけどそう言うユイの表情は暗くて、私にはユイが作られた存在。プログラムの一部とは思えなかった。まるでその姿は本物の……人間。だが、そう思う私の心を読んで居た様に「この心、表情は偽物なんです」と呟いた。
「本来私はSAOのメインシステムである【カーディナル】によって制限を付けられ、ここから出る事を許されて居ませんでした。ですがそんなメインシステムの存続を大きく揺るがす存在がゲームの中に現れ、それを恐れたカーディナルはその存在を抹消することを決定。その際、私への制限が一部解けた事で外に出られる様になった私はその存在が消される前に幽閉し、動かせないこの場所に隠しました。それがハクさん。貴女です」
そう言い放ったユイ。と、そんな彼女の横に画面が現れる。そしてそこに映って居たのは……猫の姿をした私だった。アスナに抱きかかえられて生活をして居る私。キリトとシリカを助けるために戦って居る私。クラディールに剣を振り上げて居る私。どうやらここは今まで起きたSAO内での全てを見る事が出来るらしい。この世界の中で本来居る筈の無い可笑しな存在であった私は今の今までシステムに気付かれて居なかった物の、あの出来事によって私の存在を認識された。そして消そうとしたところをユイがここに匿ってくれたと言う事らしい。あの時来たユイは別の意味でのお迎えだったと言う事。もしそれが事実であるならば、私はどうすれば良いのだろう。
「ここから出る方法はありませんが、それはカーディナルに取って邪魔な存在が動けない事にもなります。きっともう貴女を狙う事は無いでしょう。残念ながら私はここに居た約2年間、強引に抑え込まれた事でバグが蓄積され続けて居ました。蓄積されたバグは何時か私を蝕み、カーディナルは私を消去する事でしょう。そしてその時はきっとすぐに来ます」
「……消える?」
「はい。……ずっと思って居たんです。皆、貴女と言う存在に笑顔になって居ました。絶望していた人でさえ、嬉しいと言う感情を、喜びと言う感情を、愛おしいと言う感情を持ち始めた。私はそんな事が出来る貴女に1度で良い、会って見たかった。だから良かったです。ハクさんと会話が出来て。最後に貴女を、守る事が出来て。…………この感情もきっと、プログラム何ですけどね」
そう言って笑うユイの顔は、余りにも痛ましい。消えると分かって居て無理に笑う姿。そんな姿を私は見て居たく無かった。そしてその時、私はここに来る前に思ったことを思い出す。もう駄目だと思って諦めて、帰る事まで諦めようとした。もし本当に諦めてしまったら私はどうなってしまうのか。この世界で、消えて逝くのかも知れない。他の世界に行けたとしても、結果は同じなのかも知れない。だけどこんな辛い目に会うかも知れない事をこれから繰り返すよりきっと……。
「……違う」
「え……」
私はこの世界に来て、欲を満たすことを目標にしてきた。だけど、それは結局【目標】であって【過程】では無い。私が行ってきたことは、本当にあった事だった筈。アスナと一緒に居た事。リズと一緒に居た事。シリカと一緒に居た事。キリトと一緒に居た事。その全ては私に取って大事な物になって居る。もし私が諦めたら、今までの行為が無駄だと思ってしまったら、この大事な物を否定することになる。そんなの……嫌。今ここに居る私は今までの出来事の末に存在しているんだから。そしてそれはユイも形は違えど同じな筈。
「……ユイの心は……ユイの物。……作り物じゃ、無い」
「で、でも私はメンタルヘルスカウンセ「違う」!」
「……自分を否定……しないで。……ユイは……ユイだから」
正直、どんな言葉が良いのか分からなかった。だけど私はユイの言葉に思ったままを口にする。自分で自分を否定してしまったら、きっと今までやって来た事すらも否定することになってしまう。先程の話が本当ならば私は今、ユイのお蔭で生きて居る。生きてここに居る。だから、私が思う事は。伝えたいと思う事は1つだけ。
「……ありがとう」
「!」
ユイの目に涙が溜まり始める。そしてその姿が私に、この子を救わなければいけないと思わせた。私に出来る事。何も出来ないと最初から諦めず、何が出来るかを考える。確かユイが消える原因はバグ。私に機械のバグを消す方法があるのだろうか。……! バグはきっと機械にとっては毒の様な物。概念が違うかも知れないけれど、やって見る価値は十分にある筈。
「!? 駄目です! ここで貴女の力を使えばカーディナルに危険な存在だと再認識されてしまいます!」
「……平気」
ユイが私のしようとして居る事に気付いて叫ぶけれど、私は構わずに発動する。もしも私の考えが間違って居なければ、私の力は誰かの傷を治すものと言う訳では無い。その人に取っての【危険】を取り除く効果なんだ。ディアベルの、キリトのHPを回復させたのはその時その状態が2人の身体に危険を及ぼして居たから。麻痺が治ったのはキリトの身体に取って害になって居たから。私は今の今まで傷を治したと思って居たけれど、この世界に傷は無い。本物の身体では無いのだから。それでも治せるのは生命に危険を及ぼすものだったから。
私の力の根本は、生きると言う定義に沿って出来て居る物。【その人に取っての危険な物】が、私の【治せる物】なんだ。だからユイに取って危険な物は、消せる。そして私に取って危険な物は……。
「ハクさん!」
何も無い場所から突然赤いレーザーの様な物が飛んでくる。だけどそのレーザーは私に当たる寸前で私を覆う様に出現した翼によって防がれた。思った通り、私の危険に反応して勝手に出現した。多分これは私を守るための力で、どんなことでも守ってくれる。消えてしまったことから時間制限はあるかも知れないけれど、これを出して居る間に済ませる事はきっと可能。私はユイを翼で包み、私の近くに寄せてから再び発動する。
1度で消せなかった私を今度は一斉に赤いレーザーが襲ってくる。だけど翼は私の身体を守り、所々に焼けた場所を作っては修復されていった。そしてその間にも私は力を発動し続ける。ずっと不安そうな表情をして居たユイだが、やがて驚いた様な表情へと変化する。
「蓄積されていたバグが、消失し始めて居ます! こんな事、ありえない筈なのに」
ユイの言葉に私は成功している事を知ると一気に全部直す勢いで力を使う。それから攻撃を受けながらも使い続けて数分。やがてユイの瞳から涙が溢れ出した。と同時に至近距離に居た私に飛びついて来る。「全てのバグが消失されました!」と。それに私が良かったと返そうとした時、私を覆って居た翼があの時の様に羽根を撒き散らして消滅。その瞬間、全方位から私達に向かって赤い光が降り注いだ。
明日は投稿出来ません。