部室で僕は、パンク野郎と共にある重大な決意をしようとしていた。それはヤツの書いた一枚の詞から始まった。
「オリジナル…やらねーか?」
ヤツはなぜか本気だった。
「お前のギターがなけりゃこんな無謀な思いつきはしない」
有り難くも不安にさせるこの褒め言葉…受けていいのか?
「オレのスーパーボーカルは鉄板だ。詞は詰めれば完璧…だけど」
「だけど?」
「あ~!作曲がなぁーっ!」
「んで…僕に作曲しろってか」
「そうそう!」
野郎は口説き落としにかかった。
「お前さ…練習んときフレーズ引くだろ? あれ良いよ」
「他人のフレーズだろが!」
「オリジナルでやるじゃんか!」
「知らねーよ…適当だし」
「あれでいいだよ~お代官さま~。曲を書いて下せぇ~」
妙なへりくだり方。逆効果だし。
「詞はこれだ。これに切ねぇメロのパンクをのせる。全米が泣け!」
「それは素敵な妄想だよね。病院が来い」
「まあ…見てよ」
自信があるのかないのか、僕はとても汚い字で書かれた一枚のヨレヨレのルーズリーフを手渡された。それにはこんな詞が書かれていた
君にこの愛をあげる
誰にもわからないように
君に愛の言葉を告げる
君だけに届くように…
それを見て僕はドキッとした。これ…ヤツの秘密じゃ…? 直感的に感じたそれは間違いではなかった。僕はその詞の続きを読まずにはいられなかった。
君にこの愛をあげる
誰にもわからないように
君に愛の言葉を告げる
君だけに届くように
君にこの心をあげる
深く傷ついている君に
僕を君に全部あげる
君だけを愛してる
ただ悲しみの時は流れ
閉じた獄の壁は厚く
僕と君はつかんだ指を
どのくらい固く結べばいい?
許されぬ罪があるからと
君は泣いた
僕は答える
愛という名の星の下に
それに敵うものなどはないと
僕はマジな気持ちになって、ヤツの顔をまじまじと見た。ヤツはいつの間にかさっきのふざけた顔をやめていた。
「吐き出したいんだよな…自分の中に溜め込んでたら、爆発しちまうし」
「良い詞だな。わかる…これ」
ヤツはフッと笑った。
「お前なら…わかるだろ」
僕も下を向いて笑った。
「…短か過ぎるけどな」
ヤツは実務的なことを述べた。
「オレの天才的な詩作センスではそこで完結してしまうのだ…」
そしてヤツはニッと不気味に笑った。
「な…なん…なんだよ」
「あと2フレーズ、お前に任す」
ヤツは正面から両手で僕の肩をつかんだ。
「よろしく」
「お前…甘え過ぎ!」
「えーっ?! ここまで上げ膳据え膳なのにぃぃ~?」
「ごるあぁぁっ!」
いきなりあらぬ場所から叱責が飛んで来た。先輩が見ている。いや、睨んでいる。
「新勧のミーティングしろよ!」
「あっ、そうでした」
新入生ゲットしなければ…
「す…すいません」
まあ先輩、黙ってても入部者は来るけど。
「ブラバンと合唱部と邦楽同好会に持ってかれるぞ」
「そうでした」
僕たちはしぶしぶミーティングの席に着いた。
部活のあとヤツは僕にある計画を語って聞かせた。
「オリジナルでホントはアレに出たいんだよな」
「アレって…もしや」
「そうだ。闘え!バンド・バトル高校大会…に決まっておろう」
人気のバラエティ番組のスピンオフで、高校生バトルはロボットから俳句、クイズまで様々あるが最近の人気アニメの影響などもあり、高校生バンドのトーナメントが人気番組になっている。全国の音楽系部活のバンドが応募し、予選を勝ち進み優勝決定戦はゴールデンタイムで二時間番組。しかも全国放送。今年で4回目を迎え、高校バンドにおける甲子園的な番組になっている。プロや音楽業界の人も見に来るので、優勝しなくても出場する価値はある。音楽をやりたいなら、だが。
「オレはやりたいことは諦めない」
ヤツの自信は多分根拠はない。生まれつきなのだ。
「お前、進路指導きたら"バンド"って答えるつもりだな?」
「そのための布陣じゃねーか。物事は行動と実績とが評価されんだぞ。お前なにもなくってただ口だけで『音楽やりたいでーす』じゃ誰も説得出来ねーよこの世の中」
きた。コイツの妙に現実的な戦略。
「行けるところまで行こうぜ? 今から俺達の頭で学歴は無理だ。けど、リーマンが安泰な世の中でももうねーしな。パンクはパンクを聞くのがパンクじゃない。パンクに生きる…これがパンクだ!」
「……」
だがその時僕は、空白の未来に何かがシュッと横切るのを見た気がした。これが世間を欺く仮の目的、しかもギター。しかもこの非現実的かつ非日常的な音楽という景色。僕はそこでなら息をしていけるかも…
「……悔しいけど、乗った」
「お前ならそういうと思った!」
「僕は…架空の人生を生きる」
「人生なんてみんな架空の物語だ。だがオレたちは自分でシナリオを書いてやるんだ」
こっ…コイツ…。このバカがちょっとカッコ良くみえるあたり、僕にも病気が感染ったらしい。ただ病気になれることは人生で大事だと思う。こんな目的、発熱でもしていなければ乗れることはないだろうし。
「応募の締め切りは何時だ?」
「7月10日デモテープ締め切り。それから夏休みかけて地区予選だ」
「デモテープ!うわ!」
「当たり前だろ。まずデモ審査で半分以下に絞られるんだぜ。とりあえず顧問は巻き込む。アイツは機材オタクだからな」
「あ、ドラムのマシなやつ見つけて来なきゃ」
「この際新歓を利用して、二年か三年の楽器出来る部外者を囲いこむという手もあるけどな」
「新歓重要じゃんよ」
「あとはうちの部の三年がどこまで付き合ってくれるかだな」
斯くしてにわかになにかが始まり、僕の願いの成就に向けて、ひとつ始まったといえる。兄が物理学に身を潜めていたように僕は音楽に身を寄せる。モノになるかならないかなど構わない。仮の目的、仮の方向、仮の行き先。僕の青いフェンダーと新たな自意識過剰の相棒と、ヤツの言う『吐き出したい想い』のために。僕の兄への想いを代弁してくれるかのようなヤツの詩。それにふさわしい曲を作る。今は寄せ集めでも構わない。僕らには高校生としての完成があるんだ。拙くとも。
祈りを歌に託したい。ふと、そんな言葉がどこかから降りてきた。もろびとこぞりて、みたいに。
あの忌まわしい連絡が再び入ったのは、四月も終わりに近い、暖かさを増した春の夜だった。やはりあの男は蛇のように執念深く僕に悩みと苦しみを刻み、自己の怒りと恨みを晴らすことを、淡々と微笑みながら執行し続けるつもりなのだろう。反射的に起きる戦慄。それを払いのけるかのように身体だけが狂躁し始める。苦痛を麻痺させるために、苦しみと快楽の同居する分裂…葛藤…そして恐怖。兄が心を癒されたことで、僕のこのことに対する気持ちも少し楽になっているかと期待してた。だがこの脱力感と戦慄は消えない。
でも会うまでわからない。会うまでは、彼に会うまでは…。僕は過呼吸になりかけているのを必死で抑えながら、呪文のようにそう自分に言い聞かせていた。兄はまだ彼と…それも、もういい。考えても仕方ない。僕たちは何処へ運ばれるかなど、一秒先だって知らないんだ。だから、だから…だか…ら…
苦しい。連絡が来ないことを願っていた。考えたくもなかった。たった一通のメールに圧し潰されそうになる。連絡はないかも知れないと、密かに期待してしまっていたから。
明後日の日曜日に、僕はまた囚われの身となる。
バスで30分ほど走った郊外のバイパス沿いの複合店舗の、だだっ広い駐車場の一番端で彼は車で待っていた。いつものように僕は車のフロントを横切る。助手席のドアがスッと開く。彼はいつも通り微笑んでいた。だが車に乗りパーキングを出た瞬間、彼はいきなりウィンカーも出さずいきなり方向を真逆に転換した。そこでの車線変更はどう見ても道交法違反。それにいきなりのこの速度。僕は遠心力で窓に頭をぶつけた。
「ちょ…」
「少々飛ばす…つかまれ」
彼はバックミラーをチラッと見ると、黄色から赤に変わる信号を躊躇なくぶっちぎっていく。普通なら僕にすぐ薬を飲ませ、知らないうちに知らない場所に着いているところなのに。今日はいつもと様子が違った。
急な車線変更を何度かして、急な左折と右折を繰り返した。そのうちそれが少し収まり、彼は初めていつものように缶ジュースと薬を僕に手渡した。
「どうしたの…」
僕はうつむいたまま彼に聞いた。彼は前を向いたまま無言だった。薬はいつも通り早く効いてきた。僕の意識はいつも通り、急速に消えていった。
気がつくと知らない部屋にいた。服を着たまま縛られもせず、ただベッドに寝かされていた。ホテルかなにかだろう。彼はカーテンの隙間からチラチラと外の様子を窺っていた。やはり今日は何かが違っていた。彼の気持ちは違う方へ向き、しかも予定外の雰囲気を匂わせていた。僕は身体が動くのを確かめ、ベッドから身体を起こした。彼はいつもより敏感に振り向いた。
「起きたな」
「…」
僕の返答を待たず、彼はすぐに窓の方を向いた。
「なにか…見てるの?」僕は聞いた。
「…」彼は黙っていた。
「今日は…なんか違う」
彼は口を開いた。
「ああ」
「なんで?」
「そのうち…わかる」
そう言うと彼はカーテンを閉めた。
「人の世はチェスより複雑ということだ。情報の数と組み合わせ、突発的な変化、こちらの慎重さ、能力と知力…パラメータの設定の間違いが致命的な結果を招く」
彼は僕の隣に座った。
「計画に穴を作らないのが私の才能だ。常に最悪の事態を想定しているし、大概予想の範囲だからね…だが…」
彼は無表情に僕のパーカーのジップを下ろし、ロンTの裾から手を入れた。
「あ…」
「何かが違う。すべてのパラメータが今までと変わる。有り得ないことではないが、ここまでの変化は想定外だ」
「んっ…」
彼は首筋に顔を埋めてきた。いつもの陰険さがなぜか少し和らいでいるように感じた。僕の身体が愛撫に反応している。嫌悪と快感の入り混ざった、おぞけるような何とも言えない感覚。その時彼が僕に問いかけた。
「君は兄さんに何をした?」
兄さん、と言われただけで、僕はビクッとした。
せめてこれだけでも…という毎日です。