「な…保健室行こう…このままだと なんか…マズいぞ」
お前の秘密ってやつがどういうのか 知らないけど、 こいつを屋上から引き離さないと、死ぬ…
「行くぞ…腹壊したって言えよ!」
僕は号泣するヤツを無理矢理起こし、有無を言わせず抱えるようにして保健室まで運んだ。 「いいか…しばらく寝てろよな」
小さい声でヤツに囁き 、僕は保健の先生にヤツを引き渡した。本当は目を離さないように先生に言っておきたかったが、そんなこと言って怪しまれるのはヤツを追い詰めかねない。
「今日は君が介抱か」
保健の先生が笑った。
「たまには…はい」
僕はそう言ってお茶を濁すと、心配を残しつつ教室へ戻った。
音楽の先生は結婚していた。旦那さんは確か大学の准教授か何かだったはず。そしたら下世話な言い方をすれば “学校の教え子と不倫”、ということになる。授業もロクに耳に入らないまま僕は目を閉じてため息をついた。なんでだ。なんでそんなことになったんだ? ヤツと先生も、今回の事故死も。あいつ…話すかな。いや…話させなくちゃ。僕は授業が終わるのをじっと待った。
チャイムが鳴り、先生が教室を出る。同時に僕も教室を出た。ヤツを見張りに保健室へ走った。 「廊下走るな!」
すれ違いざまに先生が怒鳴る。
「すいません…」
僕はそのままの速度で、先生の視界からログアウトした。
放課後、僕とヤツは部活をサボり、高校からほど近い駅のそばのいつも人の少ない喫茶店に来ていた。来ていた…というより、無理矢理引っ張ってきた。本当はヤツを独りにしておいてやりたかったが、このままだとまだ死にそうな気配がヤツから離れないので、仕方なくここに連れてきたのだった。仕切りの高い一番奥の席は長居してもあまり目立たないし、喫茶店の人にも話を聞かれにくい。僕は虚脱しきったヤツを席に座らせ、向かいの椅子に腰を下ろした。
「アイスコーヒー2つ」
ドリンクはすぐに運ばれてきた。僕らはほぼ隔離された。
「死なせろよ」
「死ぬなよ」
僕らはほぼ同時に沈黙を破った。
「悪いけど…生きててもらう」
「なんで…?」
ヤツは無表情のまま呟いた。なんで…って…
「お前に聞きたいのは…こっちだ」
「…」
「…なんで…先生と…?」
僕は敢えて訊いてしまった。
「…それがお前の秘密…だろ?」
ヤツは壁に寄りかかったまま、放心状態のままだった。涙が一筋頬を伝った。
「話したくないなら…それでいいよ。でも、いつか聞かせて欲しい」
僕は正直に言った。
「お前のこと、僕は勝手に友達だと思ってるから」
僕は恥ずかしいのを押しきって、ヤツに告げた。
「まだ…お前にこの世から消えて欲しくないし」
「…ああ」
しばらくの間があり、ヤツはそう唸るように答えた。
「でもな…事故じゃ…ねぇよ」
ヤツはピクリとも動かず、そのままの形で呟いた。
「あの鬼畜野郎に…殺されたんだ」
殺され…た…?
「どういう…こと?」
ヤツの涙がまた流れ落ちた。
「旦那…だ」
「旦那って…先生の…?」
ヤツはかすれた声で繰り返した。
「鬼畜だ…なんであんな男…と」
その声が含む異常な響きに僕は寒気を覚えた。しかもその寒気は僕にとって、まったく知らないものでは無かった。今は訊けない。なにが起こっていたかなどとは。ヤツと先生と、その配偶者。“鬼畜”の意味。事故じゃないって…僕は寒気のままヤツの顔を見つめた。
「わからない…なんで…事故?」
と、ヤツは呆然と宙を眺めて呟いた。
「誰に聞けば分かるんだ?」
ヤツはおもむろに席を立った。
「どこ行くんだ?」
不意を突かれて、僕はヤツの前に出ようと思いシートから立ち上がる瞬間に、向こう脛をテーブルの足に思いっきりぶつけた。
「いつっ!」
後ろも見ずにヤツはボソッと呟いた。
「帰って寝る…死なないから…安心 しろ…」
僕が膝を抱えうずくまっている内に、ヤツは一人で喫茶店を出て行った。僕は追いかけなかった。すぐには死なない。それはなんとなくわかった。だけど…。僕はとりあえず部活の顧問にでも、事の幾らかでも聞き出してみよう、と考えていた。デモの締め切りが近づく。また…なにもかもが賭けの状況になる。ピンチは自分に起きなくても辛いな…。僕の胸は友達の痛みで疼いた。
もしも、愛する人が死んだら…。そんな想像怖くてできない。僕は独り喫茶店の片隅で戦慄の中で固まっていた。
次の日ヤツは学校を休んだ。僕の休み時間が変にヒマになった。学校には妙な噂が流れていた 音楽の先生の事故死に関して、警察が動いている…という噂だった。誰かから漏れたのかただの噂かよくわからないが、噂の出所はPTAらしかった。それも噂かも知れないけど。ただヤツの話とはつじつまが合った。日常が侵されていく感覚を再び思い出してる。ヤツの言ったドラマのようなことが、現実の世界に漏れ出していこうとしているのか? また均衡が崩れたのか。このバランスミス… 悪夢と日常の、干渉し合わないラインが崩れてる? あの入院した日の感覚がよぎった。大いなる調整。そうとしか言い様のない出来事。ヤツもこれからそれに見舞われると何かの予感が囁き、僕は思わず祈っていた。その出来事に関わる全ての人達が、どうか幸せになれるように…と。
部活での慣れない聞き込みも虚しく、あまりたいした情報も獲られず、残りのメンバーはボーカル抜きの練習をした。
「あいつが休みなんて明日雪が降るわ」
と、先輩はいつものように毒づいたが、駄天使とのコントが出来なくてなんとなくつまんなそうだった。替わりにパンダ後輩がドラムを叩きながら歌ってくれたが…
「目指せ森久美子!デスね」
上手かった…先輩が言う。
「これは歌わせたいって思うじゃん? ハモり入れたくなるなぁ…あいつハモって音取れるかなぁ?」 「メロだけを歌わせれば外れないと 思いますけど」
だが、それ以前の問題だ。ヤツはいつ立ち直れるのか。締め切りまであと一週間。ピンチはチャンスと言うけれど、マジでヤバくなってきた。メンバーにこの現状を話せないもどかしさがつのる。明日は必ずヤツに会おう。どうなるか分からないけど。学校来るかな…来なかったらヤツの自宅に行こう。会うんだ。苦しいだろうな…ヤツは。そっとしておいてやりたい気持ちが僕をためらわせていた。
部活を終え帰宅して夜になった。夕飯を終え部屋に上がり、独りで机に向かって座り、明日ヤツに会うかどうか悩んでいた。しばらくして兄がバイトから帰った。部屋で独り何もせずにいる僕を見て、部屋に上がってきた兄は少ししてから話し掛けてきた。
「難しい顔して…」
僕はハッとして兄を見た。
「驚いた?」
兄はそれに驚いていた。
「あーゴメン…考えてた」
「何を?」
「バンドのメンバーのこと」
その答えに兄は嬉しそうな顔をした。
「そうか…うまくいってるか?」
「それがね…」
「なんかあるの?」
僕は兄に先生の事故死の話と、ヤツの話をざっと説明した。学校の屋上のことから、ヤツが僕と秘密を共感し始めた、そんないきさつも含めて…
「…んでさ、明日学校来なかったら、ヤツんちに行こうかどうしようかって…悩むよね。そっとしといてやりたいし…でも放っておきたくないし」
「確かにな…」
兄は腕組みをしてちょっと考えているように見えた。
「そのまんまのこと…今メールしてあげれば?」
「へ?」
僕は兄を見上げた。
「いやさ…そしたらお前の気持ちが伝わるだろ? 悩んでるって素直に書いて、それでどんな返信が来るか…もしくは来ないか、それを待ったら?」
「そっか…」
「どうするかはそれから考えれば」
兄の提案ににわかに希望が湧いた。
「気がつかなかった。直接会うことに頭が固まってた」
「悩んでるときはそんなもんだ」
兄は笑った。
「でも、そいつ、いいヤツだな。バンドのボーカルのヤツだろう? お前の良く話してる…」
「ああ…そういえばバンド以外の話、兄貴にしてなかったかもね」
「うん…初めて聞いた。秘密の共感か…何か話したの? 俺の事とか」
僕はぶるんぶるん首を横に振った。
「まさか!」
「そうか…お前の友達はお前に手の内見られちゃったんだな…」
兄は不思議なことを言った。
「そりゃそうだけど」
「そうなるとお前も手持ちのカード、出さなきゃな」
「え?」
兄はにっこり微笑んで言った。
「カミングアウト」
僕は驚いて椅子からずり落ちそうになった。
「マジで?!」
「お前がそいつを信頼していれば…の話だ」
「そりゃ…そうだけど」
「これから友達として…音楽の相棒として、彼がお前にとって重要な関係になっていくとしたら」
思いもかけないことを兄から言われ、僕はあわてていた。
「だ…だけどさ」
「すぐじゃなくても良い。お前が言える時に…そういう場面が来るさ。きっとね。それが今かも知れないけれど」
兄は窓の外を眺めていた。
「お互い大事に思ってる…違う?」
僕はそれを聞いて、動揺が引いていくのを感じた。
「うん。そう…だね」
「さらけ出せる友達が必要だ。お前の信頼に応えられる人間が」
兄は優しい目をして少しうつむいた。
「そうすれば、俺は少し安心する」
「そ…う?」
「ああ、そうだ」
兄は切なげに答えた。
「お前に…もっと…楽に生きて欲しい」
兄は少し声を詰まらせた。
「お前が心を開いて、安らかに暮らして…」
その声は切実な響きで、僕の耳を打った。兄はカーテンを握りしめていた。
「いつも…そう…祈ってる」
まるでその場で祈るかのように、うつ向いて目を閉じて…僕のこと、いつも。あっ、それは…その時僕の中である理解が弾けた。それはまるで稲妻のように。
あの日二人で互いの幸せを神に祈り、あの人から愛され、愛し、そうして僕はこの世界には受け入れられない愛を生きる事実をつきつけられた。初めて兄と同じ場所に立ったそこには、あるはずの地面がなかった。立つことすら困難な、虚無と虚脱があった。その二重の世界を生きるために、兄は物理学という傘を得た。この世の雨と風をしのぐために。それが僕にとっては音楽だった。だが確信のないまま、現実感の欠如したままそれは過ぎ去ろうとしていた。だが気づけばあれ以来だ。僕の音楽が空想から現実へと変容していったのは。ああ…これはきっと、兄が僕のために祈り授かった傘だ。これは兄の愛だ。あの破天荒な相棒も、一連のヤツの計画も、作曲という無謀な宿題も、みんな兄の祈りに宇宙が応えた結論…僕がこの世の冷たい雨で凍えずに、この世に存在していけるように、空虚と共に在れる。その激しい雨に耐えられる傘だ。それは誰にも敵わない兄の僕への深い愛が、祈りを通して奇跡として顕れた証 。そう、証なんだと…
「愛され…てる…僕は」
呟きながら僕は泣きそうになった。こんな風にわからされてく。
「兄貴…ありがと…う」
兄は微かにくびを横に振った。僕はたまらずに兄に言った。
「僕は…救われてる。音楽も…友達も…兄貴がくれたんじゃないか」
胸が苦しい。いっぱいで。
「カミングアウト…してみる…」
僕は兄に告げた。
「兄貴のことは言わない。でも大事な人がいることは…話すよ」
兄は僕の顔を見ると、微笑んでうなづいた。ヤツにゲイだと告白したら…きっと驚かない。僕にはなぜかそんな風にその時感じた。そして僕はヤツにメールを打ち始めた。
その夜はヤツからのメールは戻って来なかった。
「さ…そろそろ寝よう」
遅くまで返信を待つ僕に、兄が声をかけてくれた。
「こういう時は眠るのが一番だ」
兄は机に預けた僕の頭にポンと手を置いた。
「寝たら朝になる…寝ないと長い」
兄は先にTシャツに着替えて、僕のベッドに上がり上から呼んだ。
「寝かしつけてやるから…おいで」
僕は安心の鍵を拾いに行くみたいに、はしごをかけ上った。
「このまま寝ちまえ」
兄は僕に腕枕をしながら囁いた。
「大丈夫だよ…」
肩を柔らかく抱かれて僕は、スッと眠りに引きこまれていった。
一瞬で目覚ましが鳴った。ずいぶん深く寝たものだ。兄は大学院の始業時間が早いので、もう先に起きていて、いつもの通りベッドにはいなかった。たいがい兄の目覚ましが鳴るのをかすかに聞いているのだが…。
ベッドから降り、机の上のケータイを急いで見る。メールの受信はなかった。ちょっとがっかりして、少し不安になった。不安はともかくとして、物凄い眠さに朦朧としながら居間に降りていった。
いつものことではあるが、やはり学校にギリギリで到着した。自転車を駐輪所の端に止めて、ダッシュで下駄箱を経て、何人かと共に階段を駆け上がる(大体メンバーは決まっている)。1~2分の余裕をかまして教室に辿り着いた。ドアをガラッと引き開ける。脇目もふらず自分の席について、一息入れた瞬間、ハッとしてヤツの席を振り向いた。
ヤツがそこにいた。ヤツは僕をチラッと見た。僕は思わず微笑んでいた。ヤツはそれを見るとにわかにきまり悪そうに反対側を向き、わざとらしく頬杖をつき、顔をしかめてみせた。再会初日にしてはまずまずの挨拶だ。先生がドアを開ける音がする。僕はそのニヤニヤしたままの顔で前に向き直った。起立の声に椅子から立ち上がる。休み時間が待ち遠しくなった。
ちなみにマキモのナヲさんはすでにダイエットして痩せてます…いや、リバウンドで元に戻ったんだっけ? 情報求む。最近は亮君の方が別人かと思うほどの痩身具合で、一体あれであの声が出るのかと不安になるというものです。ぶっ生き返す!!とか絶望ビリーで涙ぐめる架空線でした。