それから、部室での練習が続いた。あと2週間…が、あと10日になり、あと1週間になった。今年は7月半ばからすでに真夏日で、期末テストが終わったあたりで僕たちメンバーは少し疲れが見えていた。元々防音の音楽室が部室なので、夏になると日中は冷房を使える。僕たちは束の間の涼風に一息ついていた。
「なんか…ぐったりしてんだよね。ここんとこ」
先輩が練習の合間の休憩でボソっと呟いた。
「歳…ですかね!」
とヤツがすかさず突っ込む。間髪入れず先輩に殴られた。
「あっついんだよ!」
「ああ…ホント暑いデスネ…日本の夏は蒸しマスネー」
と後輩のフォローが泣ける。僕も少し疲れていた。期末の勉強をしながらノイローゼのような空虚感と戦い、それに加えて去年からの精神的肉体的なストレスに、元気なはずの夏場の体力をすでに削られてしまったみたいだった。
「…僕も…少しバテてるかな」
「本番1週間前なのにな。多分元気なのは後輩ちゃんだけかもな」
「ハーイ! その通りデスヨ!」
「やはり…そうか。若さがマブシイぜ」
「おまえ、1歳しか違わんぞ」
ヤツの疲れはあの事件以来だ。
「あのさ、チャージしようよ」
先輩が突然皆に提案した。
「チャージ?」
ヤツが変な顔して尋ねた。
「あそこ行こうよ。玉久司の弁天さま」
「なんでですか?」
僕はそれとチャージとの関連が見えずに先輩に尋ねた。
「知らないの? あそこ音楽の神様なんだよ」
「へえ~そうなんだ」
ヤツが意外にも関心を示した。
玉久司(たまくじ)は島の名前で、僕らの住む街は比較的海に近く、玉久司島の斎田弁天は良く大晦日から元旦にかけて、周辺のみならず電車や車で遠くから初詣に参拝する人達でごったがえす大きな神社だった。島といっても大きな桟橋で繋がり、車も通れるようになっている。その島の一番高いところに斎田弁天は祀られていて、あんなに人が行くんだから多分ご利益がたくさんあるんだろう。でも我が家は神社仏閣には基本的に興味がないので、僕は一度も行ったことがなかった。
「あそこさ、音楽関係のアーティストとか芸能人とか良くお詣りに行くんだってよ。デビューの新譜の発売のときに祈願してすごいブレイクした新人とかいてさ」
他の2人もそういう情報にはさっぱり疎いようだ。
「へぇー、知らなかった。あそこがそんなとこだったなんて。近いのにな」
ヤツが感心している
「んでさ…最近流行りのパワースポットの本に載ったんだよ、あそこ。ま、当然だけど」
どうやら運のみならず、エネルギーもチャージ出来るらしい。
「うちはさ、商売してるから親が詳しいし、小さい頃からたまに行くよ。元気になるよぉ〜。ほんと…緑もいっぱいだしさ!」
そういえば最近そんな所には行ってないな。
「どうだろ。みんなで行かない? 必勝祈願しない? 神頼みくらいしなきゃ本選勝ち残れないよぉ。んでさ、この夏最後まで乗り切れるようにさ、みんなで元気もらいに行こうよ。多分もっと良くなるよ」
「神頼みか…そうだよな。天使だからな、オレたち」
ヤツがうっとり(うっかりの間違い)と天を見上げた。
「神社デスネ!行ってみたいデス」
「確かに『神様に祈る』って歌詞に書いちゃったし…」
僕はなんだかワクワクしてきた。
「では本当に参拝に行きマショー! 『愛でこの世界を満たして』ってお願いシマス!」
「それ良いねー有言実行だねー」
先輩がそれに乗った。
「試験休みのうちに行かないとな」
ヤツがカレンダーの前に立った。
「この日だ!」
ヤツはあさっての金曜日を指差した。
「皆のもの、予定は空いてるか?」
「おけー」
「練習しかありませーん」
「ではいざ戦勝祈願に参るぞ!」
「ヤッター!」
後輩は初めての場所に大喜びだった。
こうして僕たちは皆で神頼みに行くことになった。そういえば神社で神頼みしたことないな。今までずいぶん祈ったけど。僕は教会のキリストを思い出した。西洋も日本も混ざりますが、同じ神様だから良いですよね? それらは名前の違いはあるけど、突き詰めれば同じなんだろうなと僕は感覚的にそう思った。そんなこと今まで考えたこともなかったな…。不思議な感覚があとを引いて、僕の中に残っていた。
やはりジリジリと日が照り蒸し暑く、歩道の街路樹の青葉がまぶしい。駅前のバス停に僕たちは集合した。そこから玉久司島直通のバスが1時間に2本出ている。
「朝から暑いなー」
先輩が大きなトートバッグをバス停のベンチに置き隣に座った。
「ありがとうございます」
その中身は僕たち4人分の昼ご飯だ。
「それ僕持ちますから」
「おー気が利くぅ」
ヤツがコンビニから帰ってくる。ヤツと僕は飲み物の係。さっきのジャンケンでヤツが負けてコンビニに買い出しに行った。
「皆の衆…心して飲めよ」
「ハーイ!頂きマース」
オヤツ係のパンダ後輩も大きなトートバッグを持っている。まるで遠足だ。こんな雰囲気久しぶりだよな。なにか忘れていた懐かしいものを感じてとても感慨深かった。暑いが朝早いので清々しい。しばらくするとバスがターミナルに入って来た。まばらに降りる乗客を待って僕たちはバスに乗り込んだ。
バスに揺られ30分くらいすると前方に海が見えてきた。そのまた前方にこんもりとした緑の島が見えてきた。
「あれが玉久司島かあ」
初めて来る…はずがこの景色、なんか見たことある。僕はぼんやりした記憶を辿って、その景色を眺めていた。そんなうちに終点に着いた
「結構早かったね」
「あれだけしゃべってたら1時間でも早いよ」
バスの中は僕たちの他には実際3~4人しかいなくて、僕たちは一番後ろの席を占領して大いに盛り上がっていた。バスの終点は広い駐車場の端にあった。降りると潮の香りがした。
「潮風久しぶりだー」
ヤツが騒ぐ。なんだろ。ここ見たことある。駐車場は細長く海沿いに伸びている。僕たちは桟橋に向かって歩き始めた。駐車場に沿って海側に歩道がある。歩道は少しづつ下に下がっていき、桟橋へと続いていた…
…待って…いや…まさか…そんな…ここ…
僕は駐車場の一番奥を眺めた。一望で海の見渡せるそこは…
そこは僕の…
あの時の
海
少し血の気が引く感覚がする。明るいはずの海沿いの道が、幻のように夕日に染まる。あの人と車の中からこの海を…見た。見知らぬ男達に犯されたあと、ぼろきれみたいになって、助手席からこの景色を…
ここだったん…だ…
「どうした?黙りこんで」
ヤツが茫然と佇んでいる僕に小声で尋ねた。その声で現実に引き戻された。
「あっ…ああ…デジャブ」
「デジャブ?来たことあんの?」
説明は無理だ。だが気持ちを建て直せない。
「ん…まあ…ね」
無理に笑おうとするが、涙が出そうになった。ヤツはそんな僕の顔を見て言った。
「誰にも、そんな場所はあるのだ」
そして、僕をチラッと見て言った。
「神様はお見通しだな!」
なぜか僕はそれを聞いて、重苦しく詰まっていた胸の中がスッと軽くなるのを感じた。
「ほんと…だな」
僕は思わず少し笑っていた。ヤツが安心したような顔になった。
「おーい!遅れてるよー!」
先輩が桟橋から振り向いて叫ぶ。
「あっ…うちの女子足はえぇ」
急いで追いついた。初めて渡る島の桟橋は海風が強かった。島の入り口には大きな鳥居が見えた。
(また…来ました。待っててくれたんですか? また僕が来るのを…)
鳥居をくぐった瞬間、そこは異空間のような静寂に包まれていた。セミが鳴いている。その音がなぜか静けさを際立たせる。僕たちは誰ともなく押し黙っていた。木立の影、ひんやりと心地良い。さっきまであんなに暑かったのに…
大きな境内の地図の前に皆で立つ。先輩が先に立って歩き出す。石段は上がり口から急な勾配で、見上げても先は木々の緑と光。一番上に着いたら何が見えてくるのか、みんな知りたくて誰ともなしに駆けるように石段を登っていった。
突然視界が開かれた。長い石段の上には大きな門が待ち構えていた。両側いっぱいに開かれた大きな扉のその向こう側には、鮮やかな赤い色の大きな社殿が樹木に囲まれるように静かに建っていた。
「ここが本殿だよ」
先輩が教えてくれた。
「キレイ…」
後輩がうっとりした顔で呟く。僕たちは先輩に倣い、御手洗(みたらし)で手と口を清めた。四人で拝殿の前に立つ。それぞれが賽銭を投げ鈴を鳴らし、なぜか皆同時に手を合わせた。先輩が声を掛ける。
「一緒に鳴らすよっ! せーの!」
ぱん! ぱん! と全員息の合った柏手の音が鳴り響く。見事に揃った柏手が境内に鳴り響いた。
「じゃあ駄天使…リーダーなんだから代表で神様に挨拶して」
「おお」
先輩にいきなり挨拶を振られたヤツは臆することなく拝殿の奥に呼び掛けた。
「神さま…おはようございます。我々『LOVE天使爆裂Kiss』というバンドです。えー、本日お願いがあってやって参りました。バンド甲子園の県大会を勝ち抜き、決勝まで無事に進めますように、なにとぞよろしくよろしくお願い致します! オレたちの歌の中の祈りを聞いて下さい。『愛でこの世界を満たしてと』。このメッセージを全国のお茶の間にテレビを通して伝えて下さい! よろしくお願い致します!」
「良く言った…!」
先輩が思わず呟いた。
「では皆で一礼!」
ヤツの合図で僕らは深くお辞儀をしていた。そして静かに拝殿から下がり、拝殿の階段を降りた。
「すごいな…あの挨拶前もって考えてたのか?」
僕はヤツに尋ねた。
「いや…アドリブだ」
「先輩って本番に強い人デスネ!」
良く噛みもせずにやったな…
「なんか…言わされた感じ」
「誰に?」
「わからん…才能…いや霊感か?」
ブツブツ自分の挨拶の出来に酔いしれているヤツを放って、先輩が僕達に向き直った。
「さて…実はさ…まだ上がある」
「そうなんですか」
先輩は僕たちに尋ねた。
「この先にさ、奥の院があるんだよね。かなり急で鎖場があるんだけど、せっかくここまで来たからには行きたいと思うんだ…どうかな?」
「ハイ!行きたいデス!」
好奇心の塊のような後輩が勢い良く手を挙げる。
「奥の院て…何があるの?」
「神様が本当に居るところ」
「え~?本殿じゃないの?」
「本殿は出張先なんだって。ほらお年寄りとか子供とかさ、上まで行けないじゃん。だから神様にみんなが来られるところに来てもらってるんだって」
僕は上まで行ってみたいと思った。
「行きます」
「鎖場かぁ! 面白そうではないか」
「では決まり!」
本殿の裏手を見上げると、そこには更に切り立った崖、その上に足場と手すりがチラリと見えた。
「実は私も奥は初めてなんだぁ」
先輩が言う。本殿の左に道標があった。《奥の院》と書かれ矢印がある。
「こっちだよーん」
先輩が先に立ち三人を手招きする。僕たちはその後を付いて、更に急な石段を崖の上に向かって歩き始めた。
彼氏、彼女が出来たら、まず二人で弁天様にお参りに行こう。
運命の人でなければ確実に別れさせられる!(マジで)