鎖場を登りながら考えた。この島は大きな岩なんだな…ほんの少し積もった岩場の窪みの土に種が飛んできて、こんな松やモミジが立派に岩を縫い、しっかりと根を張っている。生命の力のしぶとさが僕には眩しい。生きていく隙間さえ儚く失うとしか到底思えない今の僕には、その逞しさは羨望と悲しみを両方連れてくる。そこを細い鎖を頼りに息をきらして、僕たちは登っていく。足元にはうっすらと刻まれた階段。この弁天様は古く、奈良時代にはここは修験道という山伏の人達が修行の場にしていた、という。この岩場に刻まれた角のとれた階段、この鎖場を修行者はどれだけの年月、踏みしめて行ったのだろう。この聖域に宿る力を求めて? こんな手すりや鎖も無かったに違いない。この弁天様を奉った偉い坊さんは、神がかった法力を持っていたと、本殿の縁起書には書いてあった。21日の間断食してこの地で神を見た。そしてお告げをもらい此処に弁天様を奉る約束をしたという。僕にはそれは荒唐無稽な伝説とは思えない。そう…あれは人知を超えた光、有無を言わせない確信に満ちた《それ》。僕はそれととても似たものを見ている、気がする。
崖の中途は風が強い。
「ひゃー!鎖が揺れるよー」
先輩が叫んでいる。見てはいけない下をふと見てしまう。桟橋が小さく見える。ここの高さが際立つ。昔はあの桟橋もなかったのだろう。荒い波が白く砕けている。
頂上に着いた時には、皆息を切らして全員座りこんでいた。Tシャツが絞れるくらい汗が噴き出している。喉がカラカラだ。皆でミネラルウォーターを回し飲み、しばし荒く息をつき座りこんでいた。
「今日という日こそワタクシ自分のウェイトを邪魔に思ったことアリマセン!」
いつも前向きな後輩の手のひらには、その体重を支えた証の血豆が出来ていた! 確かに…ドラムの練習で腕立て伏せを欠かさないというハードな筋トレを続けているこの後輩でなければ大変だったろうな。
「明日から筋トレに加え、ダイエットをスタートしますヨ…ナリフリ構ワズデス」
「そうだよ! 健康にも良いよ〜今から女を磨けよ〜」
先輩が女同志の共感をエールとして送った。
「ついでに先輩も絞ったら?」
ヤツが余計なことを言った。先輩から蹴りが入る。
「このナイスバディのどこを削ればお前の気が済むって?!」
おいといて…
「そろそろ行きませんか。日差しが強すぎて…ここ」
僕も女の子みたいにUVしたいくらい、日陰なしの岩場の上は容赦なく直射日光がキツい。
「うん。もうすぐみたいだしね。行くか!」
僕たちはまた歩き始めた。行く手にはひときわ大きな岩がそそりたつ階段が、岩場をくり貫いて奥に続いている。しかし洞窟に近い空洞がこんな岩山のテッペンにあるなんて、今まで見たことのない奇怪な光景だった。
「…この奥?」
ヤツがマジな顔で先輩に尋ねる。
「うん…ここの奥…みたい」
すでに筋肉がプルプルしている僕らは、その階段をフーフー言いながら登っていった。それでも鎖場と違って、日差しがなくなるだけでスッと涼しくなる。岩穴に切った擦りきれた階段をしばらく奥に辿ると、いきなり岩をくりぬいた部屋のような空間が広がった。
「ここか…!」
岩室の中に小さな赤いお堂がひっそりと奉ってあった。この洞窟そのものが自然の社だった。
「偉い上人がここにお籠もりして断食して、そんで神さまを見たんだって」
今は昼だからまだ光が入るが、夜中にここで独りで座禅…怖すぎる。
「コレ…天然の教会みたいデスネ。ザルツブルグの塩の教会にちょっと似てマス」
後輩の良く通る声が岩室に響く。
「とにかくお参りしよう」
先輩の言葉に皆が狭い足場に立った。
「歌おう」
ヤツがお堂を見ながら言った。
「えっ?マジで」
「ここで歌うと良く響いて上手く聞こえるだろ?」
「そういう理由かよ。銭湯かよ」
「いや…さっきもう正式に挨拶はしたんだ。ここではオレらの魂の叫びを聴いてもらいたい」
「…なんか謎の説得力」
いつもなら引く先輩は真面目な顔でそう言った。
「では…サビは皆でユニゾるのだぞ。ドラム!」
「ハイ! 行きマスヨ! ワン・トゥ・スリー・フォー!」
ヤツは歌い始めた。ヤツの荒削りな声が空洞に響く。本当に教会で歌っているようなものすごい反響音。残響が洞窟の中を漂っている。サビに差し掛かる。僕らも歌い出す。すると鼓膜が痺れるくらいの反響音が洞窟いっぱいになった。一瞬頭がクラッとした。残響が長すぎて誰の声か分からなくなってくる。
その時僕の耳に、高い女の人の声が聴こえてきた。えっ…誰だ? なんでオクターブ高いの? 後輩ちゃん? いや隣からいつもの声がする。先輩は声が低いし音域が狭いからこんなファルセットは無理だ。一体…誰の声が…。一瞬ゾクッとした。だって、“5人目”が歌ってる。みんな聞こえてるのか? この…天から降ってくるような、まるで天使か、女神の…
歌い終わった僕たちはしばし放心していた。しばらくしてヤツが口を開いた。
「…聞こえたか…?」
「…ハイ…あれデスヨネ?」
「やっぱり」
みんなそれが聞こえていた。
「5人目だ…」
そう言って僕は隣にいた後輩と思わず目を見合わせた。
「あれはさ…なんつーか…《異界》の声だよ」
先輩の声がなんだか震えている。
「ちょっと…ここ出よう!」
と言う間もなく、先輩が脱兎のごとくに階段を駆け下りていった。
「待ってクダサーイ!」
それを見て僕もなにか空恐ろしい気持ちになった。僕らは先輩の後を追って全員が駆け出していた。
「ついに…起こってしまった」
お堂の出口の前のスペースに僕たちは座り込んでいた。外は明るくまぶしいはずなのに、嘘みたいに現実感がなかった。
「啓示だ…」
ヤツは遠い目になっていた。
「はあぁ!? マジ? マジ!? なにそれおまえ!?」
先輩は多少パニック気味なのかも。もしかしてこういうの苦手なのか?
「皆…心して良く聞くのだ」
ヤツはなにか神がかったような、へんなノリで皆に話し掛けた。
「5人目は、我々と共にいる…!」
「やめてー!」
先輩が叫んだ。
「お化けじゃないんだってば!」
ヤツがとりなす。
「ビックリしたんだよ!」
「神さまだぜ?」
「本当に出るなんてさぁ…いきなり来られても驚くじゃん!」
「いや…いきなり行ったのは俺たちだしむしろ」
「そりゃそうだけどさあ!」
「センパイ、とりあえずお茶飲んで一息つきまショ~」
いつも何故か冷静な後輩のフォロー。なんか前に居た異国の地で修羅場でもくぐってるんだろうか? フォローが功を奏して、お茶で先輩のパニクりが収まってきた。日が落ちる前に鎖場を降りなければ。
「そろそろ降りようか。暗くなると危ないし」
僕が提案するとみんなも同意した。
「先輩、気をつけて降りてよ」
「わかってるわよ…もう大丈夫」
「行こうって最初に言ったの…」
「あーあーあー! そうですよ! 私でしたよ!」
「一応覚えていらっしゃったんですね。これで脳に大腸菌が入った件、相殺っすからね!」
「クソ~」
「早く降りてきて下さい!」
僕が割って入る。
「仲が良くてイイデスネ!」
後輩が見上げながらニコニコしてる。いい子だなあ…といつも思う。恋してもいい、くらいなのに…
そう、恋してもいい。こんな良い子なのに。キラキラした少し傾いた日射しの中、座り込んだ僕の横に立つ彼女は、なんの屈託もなく上から下りてくる二人を笑いながら見上げていた。胸がいっぱいになる。明るくて、悲しい。僕のいる場所と違っていて。
「センパイ…? 大丈夫デスカ」
いつの間にか後輩の視線が僕を見ていた。
「え…あ…うん。大丈夫」
なにか察してるんだろうか。
「時々…スゴク悲しそうな顔シマスネ…センパイは」
見ているんだ…僕のこと。僕は少し驚いた。
「え…見たな!」
大丈夫、というように、ちょっと微笑んで見せた。すると後輩は僕の眼から視線を外して、上を再び見上げながら言った。
「センパイは上のお二人と違って、あまり沢山話さないから…顔を見てクウキ読みマス」
クウキが可笑しかった。
「あはは! 空気読んでるんだぁ。うん、いつも冷静なのは助かるよ…後輩なのに一番しっかりしてるしなぁ」
「みんな面白くて…優しいデスカラ、少しでも役に立ちたいと思いマス」
「うん…僕もこのバンドのみんな、好きだな」
「…だから…まったく!」
「知らねーし!」
二人が同時にやかましく降りてきた。
「仲が良すぎですよ…お二人」
僕がからかう。
「途中で落としてやれば良かった」
笑いながら先輩が言う。多分…好きなんだろうな、先輩は。
「なによ…二人でニコニコして」
帰りのバスの中は皆、行きより多少無口になっていた。そしてまた少しお互いが近くなった。僕たちはいろいろ感じていた。少し整理が必要なくらい。5人目に見守られて僕らは、ひとつ目の決戦へと向かう。
思ったより頭上の舞台照明が熱い。暗くて見えない観客席が、僕の前に広がっている。暗転をつなぐ司会の声が聞こえる。昨日のゲネプロと段取りだけは同じだけど、あまりの緊張でギターを持つ手が震える。先輩が長い髪の毛をかき揚げる。気合いを入れる時のいつものクセ。ヤツはマイクスタンドを両手で握りしめて祈るように立ってる。会場スタッフが立ち位置とジャックを確認している。先輩と僕が音を出してモニターから音が出てるのを確かめる。後ろを振り向く。後輩がそれに気づき、スティックをクルッと回して僕にガッツポーズを取った。緊張の中で思わずニヤッとした。…うん、がんばるよ。僕は親指を立てて後輩に返す。さぁーっと黒いTシャツのスタッフが両ソデに引いた。入れ替えが終わった。来た…! 下からフットライトが眩しく点灯し、ひときわ明るく舞台の上の僕らを煽った。ディレクターから合図が出る。本業DJの男性司会が弾けたように叫ぶ。
「準備オーケー! では次のバンドだ! エントリーナンバー9番は『爆裂Kiss Love天使』! Here we go!!」
切っ掛けに後輩がスティックの乾いた音と一緒に叫ぶ。
「ワン・トゥ・スリー・フォー!!」