無我夢中だった。僕も、みんなも。
頭の中は真っ白、手が練習通りに動いてるのが不思議なくらいだった。ただヤツの声は良く通っていた。後輩とのユニゾンがレーザービームみたいに会場の向こうまで届いて響いた。後輩ものってる。サビが祈りに変わる。
その時僕は聴いた。微かな倍音。居る。此処に、来てる。エンディングに向かって僕たちは急激に音がまとまりだした。ヤツのボーカルの牽引力、そして、5人目の。
「…それが僕のすべてなんだ」
最後の歌詞のリフレイン。引き潮のように、寄せて帰す波のように。
それが僕のすべてなんだ
それが僕のすべてなんだ…
祈りの時が終わる。空間に楽器の残響だけが漂っている。マイクスタンドを握りしめたままヤツは頭を垂れていた。まるで黙祷のように。ああ…きっと先生に捧げたんだな。ヤツの深い思いの歌。きっと言葉にならない。
気がつくと、割れるような拍手の中にいた。僕らは上手く歌ったのか? ちゃんとやれたのか? だが拍手の中にいる。今まで聞いたことのないような、大きな拍手の中に。
そして僕たちは最終予選を通過した。
審査員のひとりが言ってくれた言葉が心に残った。
「荒削りだしね…決してスゴく上手いわけじゃないんだよね。だけれど君たちの演奏にはなにか…魂の叫び、みたいなのが伝わってくる。なにかなぁ。高校生なのになあ、生きてく悲しみ…みたいな?」
評価はいろいろだった。他の高校でもすごく上手いバンドが何校かあって、その1つが僕たちと票を分けた。この地区からは2つのバンドが最終戦に出場することになった。他の地区も次々と予選が行われ、最終日程の予選も終わり、全32バンドがついに決定した。その32バンドが2日間にわたりグランプリを目指してしのぎを削る。僕たちがそこに選ばれているのが不思議だった。
帰り道、ヤツが呟いた。
「実感…湧かねぇ」
「あたしは驚いてる。マジかって」
先輩は放心したような顔をしていた。
「…俺はちょっと鳥肌立った」
付き添いのマニア顧問が真面目な顔で答えた。
「倍音が聴こえた」
歩いていたみんなが一瞬顔を見合わせた。僕も鳥肌が立った。
「先生も…聴いたの?」
僕は顧問の前に走りこみ、思わずその腕をつかんでいた。
「聴こえたか!やっぱり…」
顧問も興奮していた。
「それは『倍音』というものだ」
マニア顧問は道の途中で歩きながら僕たちに解説を始めた。僕たちはいつの間にか顧問を囲んでいた。
「昔はそれを天使の声、“エンジェル・ボイス”と言ったんだ」
「ヤッパリ!」
後輩の目が輝いている。
「キリスト教会の合唱とかでそれは良く現れたからだけどな」
「本当にあったんだ!」
先輩が両手を頬に当て、まるでムンクの叫びみたいな顔で顧問を見ていた。顧問は尚も続けた
「で、科学の発達によりそれは物理現象であると分かったのだよ!」
…え…? 物・理・現・象?
「なんじゃそりゃああああ?!」
ヤツが叫んだ。
「ええええ~っ?!」
あとの3人(僕も含め)の衝撃の声…
「神様じゃ…ないのぉ…?」
あの日あそこまで怖がってパニクった先輩が、奈落に落ちるような絶望的低音を出した。
「マジ…か…」
ヤツが道の真ん中でしゃがみこむ。
「おい! お前らっ! どーした?!」
事情がわからない顧問が一番狼狽えている。
「あ…あのぉ…説明します先生」
脱力感に打ちのめされる中、仕方なく僕はあの日の玉久司島の奥の院での一件をかいつまんで顧問に話した。
「マジか…」
顧問が青くなる。
「先に…言ってくれ~」
確かに。先生を責める筋合いではない。ない…が…!
「…うん…分かった! 俺のおごりでそこのファミレスで好きなもんいくらでも食え! それから少し話そう…な? な?」
すると今まで黙っていた後輩がクルッと顧問に向き直り、真剣な顔でにらみつけた。
「先生…ワタシ今日だけダイエット忘れさせて頂きマス!」
僕は初めてこの前向きな後輩が遠い目をしているのを目撃した。僕らは物も言わずノロノロと顧問の後ろから歩き始めた。
「だがな…」
と、顧問は真面目な顔で僕たちを見た。ファミレスのテーブルを囲み、一番高いパフェを何故か全員注文。なんでも好きなもの…ではある。なぜみんなパフェになったかは不明。
「あんな倍音は滅多に出ないんだぞ。有名なピアニストの名演とか…本当に息の合った合唱団とか」
顧問は何故か倍音に詳しかった。
「例えばカリスマ政治家の声とかさ、人気のある歌手は声がすでに倍音なんだ。それは聴く人を癒して熱狂させる響きなんだよ」
必死で僕らをフォローしようとしている顧問の話に、少しづつみんなが興味を示してきた。
「だからエンジェル・ボイスって言われるんだ。心に響くからなんだよ。心だけじゃない…この波長は脳や体にも治癒効果がある」
「へぇ…それはスゴいね」
先輩がちょっとずつ感心しはじめた
「だからお前らはバンド名に天使がついてるんだな…って今日聴きながら本当に実感したんだよ。物理現象だって簡単に再現できるもんじゃない。このチームの一体感がなけりゃ、こんな明瞭なエンジェル・ボイスは出ないしな」
「それはそう思う…な?」
と、僕はヤツに振ってみた。
「あ…うん。それは間違いない」
「5人目は物理だけど、それを産み出すのは神業だってことを言いたかったんだ。わかってくれるかな?」
「そう言われたら分かりマスガ」
うなずきながら後輩が言う。
「確かに神がかりみたいなことはある。だけどそれを引き出すのは人間であってさ、しかも赤の他人がこんな一丸となって結束して目標に向かえるのが、そして結果を出せるのが何よりスゴいことだと思うよ。お前達ほんと仲良いしな…顧問として誇れる生徒だよ」
それを聞きながら、僕はふとあの不良神父のことを思い出していた。
(君が誰かを救いたいなら、君が神を感じている証拠だ。君の悲しみは神の慈悲、君の苦しみは神の目覚めの苦い薬、君の絶望は神の不在、君の喜びは神の愛。君は神といつも共にある。そして君の祈りは神の救いだ…)
近い…? もしかしてそれは、もっとそれは近くて、いつも共にあるもの…なのかな?
僕は倍音の話が何故か、不良神父の話とかぶっているように思えてならなかった。それは手に届かないものが近くに、とても近くに来つつある何かの予感のようなものを伴って。はっきりとはわからない。言葉にはならない、まだ。だけど…
「…あの」
僕は思わず顧問に聞いた。
「僕たちが癒せるんですか? その…音楽で…僕たちにその力が有るって…?」
顧問は僕をじっと見つめて、深く頷いた。
「もちろんだ。お前らの歌で世界を愛でいっぱいにするんだろ? ところで…決勝…頑張れそう?」
顧問が申し訳なさげにみんなに問い掛けた。
「……」
ヤツは口を尖らせてしかめっ面していた。
とはいえ、決勝を前にして僕たちの心は立ち止まっていた。あと3週間足らずで決勝が始まる。だがあの“5人目”神の声を科学が打ち滅ぼした瞬間、そんなに今まで信仰なんて関係ないはずの僕たちの中の何かがこと切れたのだった。
ただ僕は、なにかわからない予感が新しく芽生えたのを密かに感じていた。わけの分からない予感と焦躁の混ざったような感じ。僕はなにかに気づいてしまう。きっといつか。いや…近いうちに? だが今すぐそれを言葉にしてみんなに伝えられるわけもなく、みんなの落胆からの回復をどうすることも思いつかなかった。
「あああぁっ!!」
突然僕の思考を遮って、悲鳴のような叫びが聞こえた。
「どうしたんデスカッ!?」
驚いた後輩が叫んだ男に問い正す。
「これで良いってか!?」
「だからっ!何をよっ?」
先輩もヤツに驚きながら尋ねる。
「チクショー!しまったー!」
ヤツは両手で頭を抱えまた叫んだ。
「おい!大丈夫かっ」
顧問までヤツの前に回り込み、心配そうに顔を覗きこむ。ヤツは僕たちの顔を見回した。
「全部…叶ってる」
「えっ?」
僕が聞き返すとヤツは僕に答えた。
「全部祈ったことは叶ってるんだ! 決勝に出ることも…歌がお茶の間に流れることも…」
「あっ…マジか」
僕は気がついた。優勝させてくれなんて、言わなかった! あの社殿の前でヤツが願ったのはたった2つ。決勝に出ること、歌のメッセージをテレビを通じてお茶の間に届けること…
「確かに決勝に…行けるし…しかも全出場バンドのメッセージは…」
そうだ。決勝に出場する全バンドは、必ず30秒間の曲の紹介をクリップで番組中に流すことになる。
「そのクリップは俺らがここ切り取ってくれと指示出来る…これでもうあの日の約束は果たされてる…!」
…なんて欲のない僕たち! そしてなんて無駄のない叶え方。確かにそうだ。今までもそうだった。願ったことに正確無比な…しかもピンポイントで撃ち抜いてくる。まさか自分が願ったことがこんなことだったのかと、あとから思い知らされるほどに。
「な…もう一度考えよう。オレ達が何を望んでいるかをさ」
ヤツはメンバーに向かってそう提案した。
「オレはこの気持ちのままじゃ次のステージで歌えない。でもさ、どうしたいか…はっきりわかってたとは自分自身思えない。この部分がコケただけでこんな気持ちになるなんて…ちょっと…自分を見損なう」
「そんなこと…ナイデス」
「じゃあナヲさん今日と同じようなテンション…このままで出るか?」
「それは…今ムリカモ」
ヤツは顧問に向き直った。
「いい試練っす。受けて立ちます」
「おまえっ…なんて良いリーダーなんだ」
顧問は感動していた。僕も驚いた。いや…実際ここでこんな提案、なかなかできないよな…コイツやっぱり腹が据わってる。いや…正直なんだ、自分自身に。
「わかった。お前が言うんだから向き合うよ…自分と…音楽と」
僕が言いたいことを先輩が先に言った。
「お前達…」
顧問はほとんど涙目でうなずいてる。
「でかい目標持つと、自分の一番弱い部分と向き合わなきゃならないことがある。引き金引いた俺が言うことじゃないけどな…」
「いや、別に先生悪くないし」
せめて僕もフォローする。
「ここまで付き合ってくれるのが不思議なくらいですよ…先生」
「フォロー…ありがとうな」
さて、僕たちの試練は深いかも知れない。天使なんて自分たちを呼んだからかもね。