※この作品はR-18です。

失われた物語   作:架空線

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4.聖なる夜と狂った夜

     そこで、わたしは問う

「彼らがつまづいたのは倒れるためであったのか」

      断じてそうではない

  《ローマ人への手紙 第11章11節》

 

 

 

 あの日不良神父は僕に言った。

「またいつでも来たらいいよ。教会は空いてるし…人はあまり来ないしさ」

 不良神父は泣いている僕に、泣いているわけも訊かず続けた。

「君は祈り方を知ってるか?」

 僕は首を横に振った。

「讃美歌は祈りだ…苦しみから救われる…想いを籠めてクリスマスに歌うんだ。神は聞いてる…神だけは君のこと全部知ってる…君の苦しみを全部」

 

 12月25日、ライブの日が来た。僕達の演奏が始まった。もろびとこぞりて。

 

 この世の闇路を照らし給う

 妙なる光の

 主は来ませり

 主は来ませり

 主は主は来ませり!

 

 闇を照らせ、光よ。牢を砕き、虜を放て。

 神がいるかいないのか、僕に教えてくれ。いるんなら応えてよ!

 

 ギターを弾きながら、僕は不良神父の言葉を思い出していた。

(神なんているのか?)

(神がいるかだって? どっちがいい? いるのと…いないのと)

 不良神父は変なことを言った。

(どっちがいいって…)

(どっちがいいんだよ…君は?)

 神父は畳み掛けた。

(僕は!…僕は…いたほうが良いよ。いたほうがいい…けど…いいけど…いないんだろ?)

 神父は答えて言った。

(君がいたほうがいいと思うなら、いるさ。君は神を知ってるんだろ? 知らないヤツはいたほうがいいなんて言わない)

 

 しぼめる心の花を咲かせ

 恵みの露おく

 主は来ませり

 主は来ませり

 主は主は来ませり!

 

(僕が神を知ってる?)

(そうさ。神が君を知ってるように)

(わかんないよ)

(君が誰かを救いたいと思っている。だから君は神を知ってる)

 神父は尚も続けた。

(君が誰かを救いたいなら君が神を感じている証拠だ。君の悲しみは神の慈悲、君の苦しみは神の目覚めの苦い薬。君の絶望は神の不在という妄想、君の喜びは神の愛、君は神といつも共にある。そして君の祈りは神の救いだ。他にどうせ出来ることなんてない。幸いなことに君は自分の無力を知ってる。だったらもっとデキるヤツに任す。神は君を助けたくてうずうずしてる。君はダメ元で祈れば良い。金はかからんし、どこか特別な場所に行く必要もない。ただそこで祈れ。やって失うものは何もないさ!)

 

 曲は最後に差し掛かった。

 

 平和の君なる御子を迎え

 救いの主とぞ

 ほめたたえよ

 ほめたたえよ

 ほめ、ほめたたえよ!

 

 最後のギターのフレーズ、ドラムのハイハットがトレモロを響かせ、そしてエンディング。演奏が終わり、思いもかけないほどの割れるような拍手と喝采。そしてアンコールの拍手が続いた。そして…

 

 そして…?

 客席の一番後ろに僕の目は釘付けにされた。そこには、そこにいるはずのない、兄の姿があった。

 

 ホサナ ホサナ

 天から声が聴こえる

 光の梯子

 どこからか光の柱がまっすぐ兄を照らし降りてる

 ハレルヤ

 ハレルヤ

 僕だけにははっきりと見える

 はっきりと聴こえる

 天に僕の祈りが届いたのだ

 あれは幻?

 いいや幻なんかじゃない

 兄がいる

 兄が微笑んでいる

 空虚な笑いでなく

 幸せそうに笑みを浮かべて

 そこに立っている

 

 僕はこの信じられない光景に思わず呟いた。

「神様…いたんだ」

 

 僕は放心したようにギターを脱ぎ、そのまま舞台を降りた。人混みを抜けて最後列まで出ると、僕はいつの間にか兄の前に立っていた。しばらくのあいだ時間は止まり、僕らはなにも話さぬまま互いを見つめて向かいあっていた。なんだかちっとも言葉はいらなくて、ただ兄がそこにいることが全てでいとおしかった。

 兄は微笑んでいた。絶望からではなく、心から。僕はそれを見て直感的に兄が解放されたことを覚った。僕はひとりでに目を閉じていた。深いところでひとつの確信が静かに生まれるのを聴いた。祈り…導き。その時僕の前に、完璧な運命の計画が美しい幾何学模様を織りなして、宇宙にくまなく広がっているのがはっきりと見えた。理由はない。理屈もなにもなく、それは僕の心の中に突如として花開いた。完璧だ…宇宙は完璧で…美しい…

 僕はその理解を受け取り、ゆっくり目を開いて兄に囁いた。

「愛してる…」

 兄の目に涙がにじんでいた。

「俺も…愛してる」

 兄はそう囁いて僕の肩を抱いた。僕の目からも涙があふれ、頬を伝っていた。

 

「おいおい君たち! 再会の感動にひたるのは良いが…ボヤボヤしてるとせっかくのクリスマスケーキがなくなっちまうぞ!」

 声のする方を見ると、不良神父がニコニコ笑いながら両手に持った皿いっぱいのケーキを僕たちに運んできてくれていた。僕は神父に言った。

「ありがとう…えっと…何もかも」

 神父はニッと笑って片目をつぶり。ケーキを配るために戻っていった。教会の中はいつの間にかクリスマスケーキ大会になっていた。子供たちは走りまわり、大人たちは食べながら喋りまくり、いつの間にか会場いっぱいにチョコレートの甘い香りが広がっているのだった。

 

 

 警察がやつらに目をつけていたのか、誰かのタレコミがあったのかは兄にはわからない。だが明らかにやつらの仲間はすでに逮捕され、残りのやつも追われていたのは間違いないらしい。やつらはどうやら非合法の売春グループの一角らしく、兄の他にも何人かは分からないがどこかで同じように客をとらされていたふうだった。

 その日監視していたはずの、あの二人の片割れが兄と客の所にいきなり飛び込んできた。ソイツは隠しカメラを戸棚から慌てて取り外し客と兄に言った。

「ばらされたくなければ警察に知らねぇって言うんだぞ! お前らだって痛い腹探られたくねぇだろ? こんなのがバレたらお前らも身の破滅だからな!」

 いきなりの予想もつかない出来事に客は唖然とした顔で立ち上がり、

「な…なんだ?なんなんだよ」を繰り返していた。

 兄はすぐに状況を把握した。

「うるせぇ! と、とにかく黙っとけ! お前らのためだってわかるだろ?」

「どういうことだ!?」

 客が叫ぶ。ヤツは声を落として客に凄んだ。

「うるせえよ…もう終わりだよ…早く帰れ…ここにもサツが来るぞ」

 客は慌てて服を着ながら怒鳴った。

「お前!その証拠隠滅しろ! この野郎!」

「もう遅いかもな! ツレはもうパクられたからな…あいつがあんたのこと言うかもな!」

 客は下半身裸のままやつにとびかかり、持っていたカメラを奪ってトイレに駆け込んだ。便器にカメラが落ちる音と水を流す音が聞こえた。その間にヤツは玄関から逃げ出して、どこかに消えて行った。トイレからビショビショのカメラを持って客は走って出てきた。

「お前もしゃべるなよ俺のこと!」客は兄に怒鳴った。兄は冷静に、「言わないから早く逃げたら?」と、客に言った。

「とにかく誰にも言うな!」と繰り返しながらカバンを掴み、水没して壊れたカメラを突っ込み、飛び出すように逃げて行った。兄は独り部屋に残された。ゆっくり浴室でシャワーを浴び、服を着て外に出た。街はクリスマスだった。兄は久しぶりに街の景色を眺めた。

「突然俺…思い出したんだ…珍しく先週母さんから電話があって、お前の教会のライブ見に行けないから、俺に替わりに行ってもらえないかって…」

 母が来れないのは知ってたが、兄に電話したことなんてなにも聞いてなかった。驚いたことにその電話は、僕が教会でキリストを見て泣いたあの日だったのだ。不良神父の言葉をふと思い出した。

(神は君のことを全部わかってる)

 

 兄は帰ってきた。クリスマスの次の日に。その夜に部屋で僕はあの解放された日の兄の話を聞いた。だが僕には気になることがあった。あいつのこと…兄の父親のことだ。今あいつはどうなってるんだろう。それを兄に訊くのが怖かった。兄も僕には話さなかった。悪党からは兄は解放されたが、あの卑怯者から兄はまだ束縛されて、心を鎖で繋がれているのだろうか。借金のことはどうなったのか。兄は僕にはなにも話さないつもりなのか…心に刺さった棘のように、そのことは僕の中で疼いた。しかしその深夜、僕は兄の本当の状態に気づかされることになった。僕の心の刺など消し飛んでしまうような。

 

 いつもの真夜中の逢瀬に、兄は僕のベッドにいつも通り上がってきてくれた。兄は僕の隣に来てくれた。この時をどれだけ待ちわびたか、言葉では言い表せないほど。

 暗闇で兄は僕の身体をそっと抱いた。僕は言葉もなく兄にすがりついた。その時兄の息を飲む音が聞こえた。僕が暗がりで兄の顔を見ようとした。その瞬間、兄の身体が小刻みに震えだした。

「どうしたの?」

 僕は兄の耳に囁いた。兄は首を横に振り荒い息を始めた。

「…はあっ…はあっ…はっ…はっ」

 意味のない喘ぎ声と止まらない震え。

「どうしたの?苦しいの?」

 僕の問いに兄は答えない。

「はあっ…はあっ…あっあっあっ」

 震えはますます強くなっていった。身体がビクンビクンのた打つほど。首を横に振り、それはまるで悪霊にでも取り憑かれたような、寒気がするような異様な光景だった。

「兄貴…兄貴? 聞こえる?…兄貴」

「あっあっあっあぁ…ああぁぁぁ」

 泣くような喘ぐような異常な声に僕は戦慄した。

「兄貴…兄貴」

 兄は身体をよじり目を見開き、自分の髪の毛を両手で掴みながら狂ったように頭を振った。僕は兄の身体を必死で抱きしめた。抱きしめながらわかった。これは…発作だ…パニックより酷い、狂気に近い…発作。これはPTSDだ。激しいショックで生じた心的外傷のフラッシュバック。酷い…こんなになってしまった…

 兄は自分の胸元を両手で掻きむしり、爪から血の匂いがたちのぼった。僕は兄の手を夢中で押さえた。すると兄は自分の腕に噛みついた。僕は兄の腕から顎を引き剥がした。

「ああ…ああああああ」

 兄は喉から絞り出すように喘いだ。気がふれてもおかしくないほどのぱっくりと開いた大きな傷口。底無しのクレバスのような深い闇…長すぎた悪魔との契約。この引き裂かれた傷が癒えるまで一体どれくらいの暗くて病んだ夜を越えなければならないのだろうか…兄は立ち直れるのか? 僕の脳裏に、一瞬朽ち果てた兄の姿が翻った。僕は首を振りその姿を追い出そうと、必死に兄の背中をさすり、大丈夫…大丈夫だよ…と、兄に言い続けた。まるで僕自身にそれを言い聞かせるかのように。

 

 だが翌朝、兄はその夜のことを全く覚えていなかったのだ。なぜ僕のベッドにいるのか、なぜ身体中に傷跡があるのか、なぜ大量の髪の毛が散乱してるのか、一切の発作中の記憶を消去していた。僕は寝不足と兄の世話で重くてだるい身体を起こせないまま、かすれた声で兄に聞いた。

「覚えてないんだ」

「…なにがあったの?」

 兄は自分の腕の噛み跡を呆然とした様子で見つめていた。

「兄貴…聞きたい?」

 それを聞くと兄は一瞬ビクッと身体を痙攣させた。僕は反射的に兄の身体を押さえていた。

「…おれ…なにしたんだ」

 兄は僕の行動にハッとして、僕の腕を反対に掴んで僕の顔を見た。

「発作だよ…僕と同じ…」

「パニックか?」

「ううん…もっと酷くて…」

「じゃ…これ…自傷…」

 僕はなにも言わずうなずいた。

「待ってよ…こんな…記憶にないわけ…ないよ…」

 兄は自分のしたことが信じられない、というように僕に否定を求めた。

「兄貴…爪の中見て」

 兄は恐る恐る自分の指を見下ろした。

「これ…なに?」

 兄は自分の血でどす黒く固まった皮膚の詰まった爪を凝視していた。

「俺がやったのか…?」

 僕はうなずくしかなかった。

「…話して…お前…見たんだろ?」

「…見…た」

「何をした?…俺なにした?!」

 僕は枕に顔を埋めシーツをつかんで、泣きそうになるのを耐えて言った。

「PTSDだよ…多分…痙攣してたし…酷いパニック発作だったし…僕が止めても止まらないんだ…普通じゃない声で喘いで…のたうち回って…髪を自分で掴んで頭をベッドに打ちつけて…」

「おれ…が?」

「震えが止まらないから僕兄貴抱き締めてた…でも…胸を掻きむしって…手を押さえたら…自分の腕を何度も…何度も噛んで…」

「ずっとか…夜中じゅうずっと」

 僕は無言でうなずいた。兄は膝を抱えて布団の中に座り、膝に自分の顔を埋めた。

「…だめだ…思い出せない…!」

 典型的なフラッシュバックの逃避。

「おれ…壊れてるのか」

 兄はうなだれたまま顔を上げる気力もなく、布団の中で呆然と膝を抱えたまま動かなくなった。僕はのろのろと起き上がり、兄に「下にいるよ」と告げて、兄をそっと一人にするために一階に降りていった。

 下の階におり、洗面所で鏡を見た。泣き腫らした目と寝不足のクマ。そして手や顔について乾いた兄の血。シャワーを浴びた。シャワーの中でまた泣いた。このしばらくの間で僕はずいぶん沢山の涙を流したように思えた。だけど…まだ泣かされるのだろうか。今日の夜も、また明日も、発作でのたうち回る兄を抱いて、僕はまた…涙が止まらなくなるんだろうか…?

 壁のタイルに手をついて、シャワーを頭からかぶったまましばらく僕は動けなかった。あれだけだろうか? 兄の発作はもっと酷いのではないだろうか。切っ掛けがあればあの残酷な時間を兄の記憶はフラッシュバックする。そうじゃなくてももう既に、兄は幼いころからの虐待と、母との無理心中のトラウマが深く刻まれている。今まで内気で、人付き合いが苦手なぐらいで社会生活をこなしてこられたのは、気丈な兄の性質かもしれないが、すべてを心に押し込んでそれだけのトラウマに耐えてこの世で生きている兄は…

 不意に兄の言葉が甦る。

(生きていくことが俺には悪夢…)

 兄はあの事件がなくても、崩れ落ちそうな内側を必死で保っていた。僕だけが知ってる兄の心の中の廃墟。もしかするとこれが切っ掛けで、兄のもっと古い過去の傷が地滑りを起こして崩壊するのではないかという、殺伐とした恐怖に襲われた。熱いはずのシャワーの中で僕は凍り付くような寒気を覚えた。取り越し苦労だと、ただのネガティブな妄想だと、誰か僕に言ってくれ…

 浴室にシャワーの音だけが響いていた。

 

 





 すでにお分かりかと思いますが、この小説は実験的な縛りがありまして、「人名は出さない」仕様になっております。ケータイ小説としてUPされた時はさらに「句読点と段落を使わない」という鬼畜な縛りがありました。もちろん、自分で設定するんですけどね。さすがにこちらで編集するのは句読点つけたいと思いまして。てか、これを句読点ついたフツーの文章で読んでみたかったという、自分の欲求です。ケータイ小説の仕様に合わせた文章の区切りとか読みやすさとか行間とか、いろいろ模索してましたが、今となっちゃあスマホですからね。ケータイ小説という分野もなくなる勢いですよね、考えてみると。これを書き始めたのが2011年ですから、ほんとにメディアの栄枯盛衰は早いですなぁ。
 『僕止め』で人名付けて書き始めた時は、新鮮さと書きやすさで浮かれてましたよ。それほど人名無し縛りはキツかったです。代名詞だけでその人を表して、更に人物書き分けて会話やシーンを成り立たせるってもう死ぬ。初めて高地トレーニングするマラソンランナーて感じでしたね。そう言えば『人類は衰退しました』もそんな縛りしてた気がする。あれは傑作だった…

 ご閲覧ありがとうございます。
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