固いものが背後から押し入ってくる。薬で感じやすくなった身体に鋭い快楽の衝撃が走る。
「んあっ!」
「キツイな…いつもキツイな」
そう言って無理やりこじ開けて。
「あはぁっ!」
いつもそこで僕はすぐ漏らしてしまう。そいつはそれがたまらないって言う。
「あっは…垂れ流し始めたなぁ。ダメだ…それ見ると出ちゃうよ、オレも」
そいつの骨ばった手で僕のモノがまさぐられ、僕は身体を反らせて喘ぐ。そいつの指が僕の体液でドロドロに汚れていく。
「お前…お前なんで…なんで俺に…抱かれてるんだ?」
モウロウとすると必ず訊く。何度でも聞きたいんだよ。言えよ…なんで身体…開いた?僕もモウロウと答える。
「壊して…欲しかった…から」
「俺に…か?」
「ああ…あんたに」
本当は、もう壊れてた。救いようのないほど。あの教会から錯乱して、逃げて、走って、歪んだ景色と柔らかい舗道を、転びながらあてもなく走って逃げて。
不良神父の断罪は例えようもなく優しかった。だけど世の裁きは、僕らにとっていつも苛酷でしかなかった。
「消えた兄さんを許してあげなさい。君は優し過ぎるんだ…優しさは必ずしも正しいわけじゃない。君は被害者なんだ。いいかい、君の兄さんは罪を犯した。それはぬぐいようのない事実なんだ。その父親は悪魔を招き君の兄さんを犠牲者にした。だから君の兄さんも君の言う通り被害者だ。でもそれで君に対する罪が相殺される理由にはならないんだ。この別れは神の恩寵だと私は思うよ。今までの君の祈りはこの別れに必要な準備だった。神は応えた…君を解放したんだ。長い間の虐待で君の心と感情は支配され、束縛を愛情だと認識してしまう…私はそういう子供をアメリカでも日本でも大勢見てきた。君も自分の本当の感情を取り戻す時が来たんだ。ゆっくりで良いさ…焦らずセラピーにかかるといい。良ければ信頼出来るセラピストを紹介するよ。ただ君は自分自身がどうなっているかという事実に直面する必要がある。それは凍傷の治る過程の激痛に似て、苦痛を伴う作業かもしれない。だが、それも時が来れば癒される。そう、神が君を癒すからだ。君の兄さんは君と一緒にいてはいけない。兄さんだっていつか罪をあがなわなければならないんだ。贖罪をね。君はそれを神に祈るべきだ…兄さんのためにね」
そこまでだった。僕が耐えられたのは、そこまで。
兄が…罪を…犯した…?
途中から身体が震え始めた。それは緊張と怒りとが入り混ざった、絶望感を伴った激情だった。身体の震えは止まらなかった。脱力が次第に心臓から始まり、僕は小さな暗い部屋で椅子から落ちそうになっていた。
僕の祈りが、兄を、僕から引き離し…た…? 耐え難い寒気。冷や汗が脇から流れて、発作…気が…変に…なる…
「すみま…せん…」
「なにかな?」
「ほ…発作…が…」
「発作!? 大丈夫か! 何の発作が起きたんだ?」
驚いた様子で問い掛ける神父に僕は恐怖を感じた。
「や…やめ…」
「え? いまどうなってる?」
「もう帰ります」
這いながら懺悔室のドアにすがった。
「君! そんなに傷ついたままで自分を放っておくな!」
僕は力の抜けた足で開けたドアを蹴った。勢いで肩から床に倒れる。もう一方の扉が開いた。彼が出てくる。だめだ。彼より早くここから逃げなきゃ! 早くここから…間違ってた。言ってはいけないことを言った罰。僕が耐えられなかった。弱すぎたばかりに…あああぁぁ! 僕が…! 僕が…! 兄を…! 違う! 違うと言って! 兄貴は罪なんか犯していない! 助けを求めてすがりついたものは真っ赤に焼けた鉄の柱。僕は焼け爛れて炭に。
どこをどう走ったか知らない。だけど気づいたら、バイト先の店の前に僕は立っていた。
冬の日は短かった。夕暮れは更に寒く、僕は錯乱と狂気に心を抜かれ、知らないうちに店の中にぼんやりたたずんでいた。
「あれ? 今日シフトだったっけ?」
店長が近くまで来てるのを気がつかなかった。
「あ…え…シフト?」
「なんかボケッとしてんだな。明日だろ?」
「そう…でしたっ…け」
もう客がだいぶ埋まってきてる。ライブはすぐに始まるようだった。
「なんだ、間違えたなぁ!」
店長は笑って僕の頭をつついた。
「あ…はい」
「おい、久しぶりに仕事無しで聴いていけよ。今日のバンドは良いぞ。終わりに掃除してけよ。それでチャラにしてやるよ」
店長はミネラルウォーターの新しいペットボトルを一本、僕に持たせてくれた。
「あの…すいません」
「早く前に行けよ!」
僕は言われるままに、ゆらゆら客席の端を壁沿いに歩いていった。壁際にもたれてペットボトルの蓋を開けて一口飲んだ。それでようやく口がカラカラなことに気づく。なぜ僕は今ここにいるんだろう。自分が店の中にいることが現実と思えない。なぜ僕が立っていられるのかも不思議でならない。笑えてくる。僕が…被害者…? 頭の中で神父の言葉が壊れたメリーゴーランドみたいに回ってる。壊れて…止まらない…誰か止めてよ…
「くくく…」
口から笑いが洩れてしまう。なんで笑っているのかわからない。でもおかしい。止めてよ誰かさ。
「んっんっんっ…」
口を押さえても笑いが止まらない。ライブが始まる。ドスの効いたドラムがソロで真っ暗な中でリズムだけを刻む。くぐもった自分の笑い声が自分の耳から消えていく。ベースがそこにかぶさる。低い単調な音が腹に響く。ゆっくり舞台が赤くなる。ギターとボーカルが上手から出てくると、ファンの叫び声で会場が騒然としてきた。全部が雑音にしか聞こえない。
(神父…神父…)
(これが)
(これが祈りの解答なの?)
(笑っちゃうよ…壊れちゃったのかな…)
そのとき、ギターがディストーションを利かせていきなり爆音を弾いた。その瞬間、僕はその音にみぞおちを殴られたように感じた。
「うっ…」
ひとりでに僕の手は胃のあたりをつかみ、音圧で身体がエビみたいに折り曲がっていった。手のペットボトルがボトッと床に落ちた。倒れ…る…?
「大丈夫?」
耳のそばで声がした。転がったペットボトルを誰かが足下から拾ってくれた。その長くて骨張った指があの人に似ていて、僕は思わずその手の持ち主の顔を見上げた。それが“そいつ”だった。
「ね、大丈夫? 君」
ロングのパーマの茶髪を後ろで縛った、いかにも音楽やってそうな黒いレザーの服の30歳くらいのにやけた細い男が、倒れそうな僕の肩を掴んでいた。
「……」
僕は無言で首を横に振った。少し笑ってたかもしれない。大丈夫じゃないよ、大丈夫なわけ…ないじゃない。
「君…独り?」
質問の意味が分からず、僕はそいつの顔を横目で見ていた。くぼんだ奥目がなめまわすように僕を見ている。そいつは僕の腰に腕をまわしてきた。手首に絡んでいるそいつのシルバーのブレスがジャラッと音を立てた。
「誰かと一緒に来てんの?」
ぼーっとしながら僕はまた首を横に振った。そいつはなんか言ってるが、演奏は始まっていて声が良く聞こえない。やたらと身体を寄せてくる。それは客に押されてるのか、自分から押しつけているのか僕には分からなかった。僕が聞き取れないそぶりをすると、そいつは僕の耳に口を近づけて低い声で言った。
「君さ…具合悪いんだったら一緒に抜けて休んでも良いよ」
「んっ…」
低い声とともに吐息のようなものが耳に触れた途端、身体が一瞬でぴくっと反応した。そいつはそれを見てうっすらと笑った。僕は拒むことをしなかった。
30分後僕は違うクラブに居た。暗いフロアにブラックライト。天井まである熱帯魚の大きな水槽が、レンズのように向こう側の客を変な形に歪ませていた。僕はそいつに抱えられるように店のカウンターの端に座らされて、そいつの注文するものを無抵抗に飲み続けていた。
「…君が初めてでも俺は初めてじゃないしな」
「え…?」
「だって君はあそこのスタッフだろ? 俺はあのハコは良く行くしさ…ほら、たまに見かけてた」
…あ…あぁ。つまり、目をつけられてた。
「君ってさぁ…普通の子とちょっと雰囲気…違うんだよねー」
僕は酔い始めていた。酔ってなかったらこいつはただの気持ち悪いタラシ。いや、酔っていても。でも今日の僕は、ヒトの形をした空っぽの空気人形だから。いいよ。こんな下らないヤツじゃなきゃついて行かないよ。僕を…どうするのか…な。
「具合悪いかと思ったよ。口に手ぇ当ててなんかこらえてるしさぁ。顔色悪いし…倒れるかと思ったら本当に倒れそうでさぁ、つい声かけちゃったんだよね」
「すいません…ちょっとショックなことあって…」
「なに? ショックって?」
そいつが食いつくのがわかった。
「…聞いて…くれますか」
「聞くよぉー言ってよぉ」
「恋人が…行方不明…なんです」
「えっ…?」
そいつの表情が少し変わった。
「もう…半年…警察も…興信所も見つけられなくて…」
そいつの目が獣みたいに動いた。
「…大変だな。淋しいだろ」
「もう…耐えきれない…みたいで…辛くて」
「当たり前だよぉ。かわいそうに」
そう言うとそいつはカウンターの向こうのバーテンに何かまた注文した。
「これさ…君の気持ちが楽になるといいんだけど」
何かのカクテルみたいな…飲んでも味はもうよくわからない。
「淋しいならさぁ…遅くまで俺が付き合うけどな」
そいつは僕をチラチラ見ながら同じものを飲んでいた。僕は急に酔いが回った。
飛び飛びで曖昧な記憶の中で、僕はカウンター席に座ったままで耳をなぶられていた。回りの客はフロアで踊り始めた。トランス系の無機質で単調なリズムがフロアに鳴り響いている。僕が拒まないのを確かめてる。僕は自暴自棄を少し越えて、気を失うのを望んでいた。耳元でささやくふりして、そいつはライブハウスの時みたいに僕の耳に息を吹きかけた。耳が弱いのがもうバレてる。
「ねぇ…君…」
「ん…」
「感じるの?」
「…ん」
息が早くなる。腰の手がだんだん下に降りてくる。太股に手を這わされ僕の身体がまたピクンと反応する。
「敏感だなぁ。君って…やっぱり?」
そいつは僕が逃げないことを確信したみたいだった。
「どう…? いつもより良い?」
目の焦点が合わない。酒に酔っただけじゃ…ない…? モウロウとしてるのに敏感な自分が変に感じた。でもそれ以上考える気力も思考力も奪われていた。そのフロアの記憶はそこまで。次の記憶は暗い階段を支えられておりてくところ。どこから降りたのかもわからない。ドアをそいつがあける。なんの…ドア…? でもどこかでわかってる。これから…犯されるんだ。男の黒い革ジャンの軋む音が響いた。
変な暗い部屋。カビ臭い。ジッポのシャキンという音がする。タバコの煙。マットの上にエアコンのリモコン。そいつが電源を入れる。
「気持ち良いだろ? 頭がぶっ飛んで、なんにも考えらんなくってよ」
「……」
目を閉じてマットの上で壁にもたれてうなずいた。
「お前…エロいなぁ」
この部屋に入ったときから“君”から“お前”になってる。
「初めてじゃねぇよなぁ…抱かれんの慣れてんじゃね?」
隣に腰をおろし、そいつも壁にもたれながら僕の肩に腕を回し、もう片方の手で僕の身体をなで回した。そのイヤラシい手つき、されてる自分がイヤになる。でも身体は反応してる。
「かわいそうになぁ、疼くんだろ? 淋しくて死にそうなときは連絡しろよな…俺が気持ち良くしてやるから…」
男は僕の股間に指を這わせた。
「久しぶりでたまらないんだろ?」
「…あぁ…たまらな…い」
ニヤッと笑ってまた僕の耳元でささやく。
「お前さぁ…あの店で初めて見た時からさぁ…俺わかってたんだよねぇ。男に抱かれてるって」
「な…んで…分かるの?」
僕は一瞬ドキッとした。まさか…兄貴とのこと…バレて…?
「ニオイだよ。お前には女の匂いがないんだよ…男に可愛がられてよがってるのが俺には見えるんだよ。嗅いで分かるニオイじゃねぇからなぁ。見てるだけでわかるんだ。俺の同類は…俺の勘はハズレたことねぇんだよ」
僕は笑った。安心したのと、自分のそのニオイってヤツに。そんな風にわかられるくらいの。
「くっくっくっ…わかるんだぁ…あんたには」
男はなんで笑われたかわからずに一緒に笑った。
「そうなんだよ、わかっちゃうんだよ」
そう言うとそいつは一気に僕を押し倒した。
「いつから? いつから男に抱かれてんの? こんな風に」
男が僕に覆い被さる。人の重さを久しぶりに感じた。
「…生まれた時…から…かな…」
「どういう意味?」
「その…まんま…の…意…味…う…あっ…あ…」
ムダなおしゃべりもそこまでで、後は互いの喘ぎが耳を埋めていた。しゃべろうとしても、二人ともろれつも回らなかった。それがクスリのせいだとはっきりわかったのは、何回か抱かれてからだった。