※この作品はR-18です。

失われた物語   作:架空線

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10.三人目の悪党

「うぐぅ…!」

 クスリの切れた身体ではトイレに行き放尿するたびにぺニスに激痛が走る。思わず声に出してうめいてしまうくらい。尿に血が混じる。それが数日続いた。が、僕はこの期に及んで少しづつ回復していた。それがわかったからか男は以前のように僕にシャブを打ち、そして激しく抱いた。男の行為は僕が死にかける前とあとではなにか違うように感じた。クスリが効いてるときはやっぱり痛みが鈍く、男の責めに身体を任せてしまうが、クスリが切れて来ると、痛みが容赦なくあとから僕を襲った。痛みとヤク切れに悶絶しかける僕を男は再び犯すことさえあった。何度も果てたはずの男が、僕の苦しむ姿に再び欲情して、僕のボロボロの身体を喰らった。まるで飢えた獣みたいに、際限なく、何度も何度も繰り返す。狂気じみた淫欲の嵐に、僕はなすすべもなく巻き込まれた。

 もう、男以外に客はあてがわれなかった。男はあれから一層無口になった。ベッドの下にメスを隠したまま、三日…四日と時は過ぎていった。痛みとクスリのせいで、逃亡の計画など思考で組み立てられる状態ではなかった。それでも身体の痛みが少しづつ薄らいでいき、そして、僕があの客に売られる日が着実に迫っていた。

 

 その日も男はいつも通り部屋にやってきて、やっぱり黙ったまま僕を抱いた。抱いたあと僕に背を向けてベッドの端に座り、いつも通り服を着て、いつも通りタバコに火を着けた。部屋にタバコの匂いがひろがって、いつも通り僕はベッドの中で男の激しい行為に打ちのめされたまま倒れていた。

「明日だ」

 男は口を開いた。

「明日の夜に取り引きをする。お前もブツと一緒に引き取られることになる。あの客にな」

 僕はうっすら眼を開け、男の背中を眺めていた。

「この部屋より…死に近い場所…ですか…」

 男は苦笑した。

「地獄から墓場に移動、だ」

 男は不意に振り向いた。僕を見下ろす目の中に僕が映っていた。

「そうなってみると、急にお前のことが惜しくなる」

 男は僕に笑いかけ、また前を向いた。

「…売りたくなくなった」

 

 う…ウソ…だ…

 

 僕は頭の中が真っ白になった。一番起こって欲しくないことが僕の目の前で起きていた。一番否定したかった予感が、また僕の目の前で…

 僕を買ったくせに。殴って監禁して携帯を取り上げて、殺そうと…してるのに…僕はあんたを…そしてあんたも僕を。

「ウソ…だ…こんな…金で買ってヤク漬けにして…客に犯させて! 半殺しにさせて!」

 僕は知りたくなかった。この人が僕を…それだけは知りたくなかった。

「そうだ」

 男は声色ひとつ変えずに答えた。

「今だってそれは変わらない」

 男はもう一本タバコの火を着けた。

「俺がお前を惜しかろうが死なせたくなかろうが…」

 男の声には淀みがなかった。

「…組織の意志と俺の意志が食い違うこともある。そんなことは分かりきってることだ。今さらお前になんかに説明する必要がないくらいにな」

 説明する必要もないと言いながら、男は話し続けた。

「そんなことはいつものことだ。俺は組織の中の立場と役割を全うすることを常に選ぶ。そこに迷いはない。今回は特別だ」

「特別って…なに…?」

 自分でも止められなくて僕は聞いてしまっていた。一番尋ねたくないそれを。だが男はいとも簡単に答えた。

「こんなことを誰かに言ったことがなかったからな」

 そのひとことを聞いたとたん、僕は心をえぐられるような激しい痛みを感じた。もうなにも言わないで、とすら思うほど。

 男はそう言うとスッとベッドから立ち上がった。

「明日の夜迎えに来る。今の話は忘れろ…わかったな」

 男は振り向かなかった。ドアの閉まる音がした。

 真っ暗な部屋でベッドに横たわり、僕は心が砕けるような痛みの中にいた。泣くことすら出来ないほど苦しくて、うめき声にもならず、息が止まりそうだった。だがこの激しい痛みは、兄が失踪してからの日々の中で、もうすぐ死んでいく僕の中でも最も愛に満ちていて、最も悲しい痛みだった。僕は久しぶりに神さまのことを思った。

(感謝…します…こんな地獄で、誰かに愛されていて…)

 

 そしてついに、取り引きの夜がやってきた。引き返すことの出来ない日が。

 迎えにきた男は、もう僕の目を見ることはなかった。手錠が両手にはめられた。いつもと違うダウナー系のクスリを飲まされるとしばらくしてからぼーっとしてきた。辺りが歪んで見え、酒に酔った感じに似ていてフワフワして思考がぼんやりした。男の部下に頭からすっぽりと黒い目隠しの袋を被せられた。部下が僕を抱き抱えるように立たせ、そのまま歩かせた。それはこの監禁部屋からの、最初で最後の外出だった。

 エレベーターの降下する感覚が奈落に落ちていくように感じた。しばらくして落下が止まり、例のチンという音がした。エレベーターのドアが開く。排気ガスの匂いがした。連れて来られた時のパーキングに来たようだった。ここから逃げようと画策したあの夜がもう何年も前のことに思えた。フラフラする身体を抱えられパーキングを歩かされた。車のドアの開く音がして、車に押し込まれた。

 少しして車が動き始めた。僕は男たちと共に取り引き場所へと運ばれていった。ベッドの裏のメスを置き忘れてきちゃった。あそこにまた誰か連れて来られたら見つけて使うのかな。それよりもう誰もあそこに連れて来なければいい…。ぼーっとした頭でそんなことを思い起こしていた。これから嬲り殺されて死んでいくのにね…僕は怖くないのかな。クスリで麻痺してるのか、絶望しきって諦めているのか、僕はなぜか怖くなかった。まだ傷も完全には癒えてはいない。奈落より深い井戸の底のような墓穴。そこにこれから向かうはず、なのに。僕は…

 感じた…からかな。愛がどんなところにも流れてる。それを感じたから? そう、僕はあの冷酷な悪党から昨日何か大事なものをもらった気がする。それはいびつで歪んでいて、黒くて残酷で、でもその中に最後に切ないほど温かいなにかを閉じ込めていて。僕は今までの人生を振り返っていた。母から、父から、兄からもらった愛情を。親友から、バンドの仲間から、兄の父親から、不良神父から、バイト先の店長、興信所の担当の人、プッシャーの男、そして…あの人も。僕は今まで、なんて愛されていたんだろうか。何度も落ちた地獄の中でも、心が死んでしまうような残酷な景色の中で翻弄されても。

 ああ、兄貴。兄貴、僕は愛されてるよ。まるで兄貴がいつもそばにいてくれてたみたいだよ。あなたは愛そのもの。兄貴、死ぬ前にもう一度だけ逢いたかった。だけどね、だけど…僕はみんなの愛の中にあなたがいたって、いまそう感じるんだよ。いつもいつも、絶対に途切れない愛の流れがいつも…そこに…。絶望であるとき見失っても、自分の影を闇と間違えたとしても…

 愛だけが、ただ、そこに。

 車が静かに止まる。ドアの開く音がする。誰かに抱き抱えられ、車から引きずり出される。なにもかもがスローモーションで、それはまるで世界の終わりみたいで、これがクスリのせいなのか、死にゆく時の走馬灯なのか、なんなのか、僕にはよくわからなかったけれど。その時黒い袋を通して、暗闇にライトが点くのが見えた。ここが外なのか屋内なのか判然としない。ホコリと排気ガスの臭いを微かに感じることができた。部下の誰かが隣で僕の両肩を掴み、逃げないように制止していた。

「時間に正確なのは良いね」

 聞き覚えのある声がした。あの若い客だった。

「待たされたらキレちゃうし」

「あんたにはキレられたくないですね。組長から怒られる」

 男の答える声がすぐ真上から響き、僕はドキッとした。僕の肩に触れていたのは部下じゃなかった。

(となりにいたんだ)

 布の奥で僕は微笑んでいた。

「あんたでもそんなこと言うんだ」

 客が面白そうに答える。

「意外ですかね?」

 男は無感情に言った。被せられた袋のせいで平衡感覚が曖昧で、肩を持たれていても立っているだけで足元がふらつく。僕は男の身体にもたれかかった。グッと肩を掴む手に力が篭った。

(…ありがとう)

 僕は布越しに囁いた。聞こえているかはわからなかった。

「来たね…君も!」

 客は機嫌良さそうに笑った。僕のことだ。男はいつものように無言だった。

「袋を取ってくれ! お土産の確認だ」

 男の手が僕の頭に触ったとたん、闇が一瞬で取り払われた。

「う…」

 目の前が急に明るくなり、まぶしくて僕は目を背けた。

「こんばんは。また生きて逢えて嬉しいよ。では…始めますか」

 客の声のトーンが下がった。

 この場所は屋外だった。ライトは客の車のヘッドライトで、僕らを確認したあとそのライトが再び消えた。ビルの廃屋の裏のような人気のない薄明かりの中で、慣れた様子で男の指示通りに部下が車からなにか運び出している。それを客の男が部下に確認させた。目で合図する部下に客がうなづく。客の車からもアタッシュケースのような黒い手提げが2つ運ばれてきた。男がそれを自分で確かめる。ぎっしりと詰まった現金の万札をなん束か抜き取り手でさばいた。男はうなずいた。

「では…その子をこちらへ」

「……」

 男は片手で僕の肩を抱き、客の方に僕と一緒に歩いていった。

(さよなら…)

 僕は心の中で呟いた。また、こんな気持ちでさようならだ。それはあの人との別れと少し似ていた。僕はこの人を愛したのかな? それはよくわからなかった。ただ、この肩のぬくもりを今は大事に思った。

 すぐに客の目の前に僕は押し出された。

「お望みのもんだ。ではこれで」

 客は手錠をつかみ僕を引き寄せた。

「無事終了だね…また連絡するよ」

 僕の肩から男の手が離れた。その時だった。

「それまでだ! 全員手を上げて壁に手をつけ! 警察だ!」

 誰かの怒号が廃屋の裏に響き渡った。同時にエンジン音がして、男と客の2台の車を挟み込むように両側からセダンが走り込んできた。

「ヤバい! 逃げろ!」

 客はそう怒鳴ると僕の腕をつかみ、自分の車に引きずりこんだ。

「早く出せ! サツの車突破しろ!」

 客が運転席の部下に叫んだ。

「覚醒剤取り引きの現行犯で全員逮捕する! 抵抗はやめろ!」

 パァン!と銃声がした。とっさに音の方を振り向くと、男が警察に向けて銃を構えていた。

「武器を捨てろ!」

 警察が叫ぶ。男に警察の目が引き付けられた。

「いまだ! 出せ!」

 客が運転席に怒鳴る。車が音を立てて急発進する。部下の運転手は警察の車を僅かにかすめて、廃屋の角を減速しないでハンドルを切った。車は直進し、逃走路に入り追っ手を振り切るはず…だった。だがどうしたことか車は更に鋭くコンパクトにカーブをやめなかった。リアタイヤが真横にドリフトしている。止まらない。目の前には厚いコンクリートの壁…砂利にタイヤを取られ、ドライバーはハンドルを切りそこねていた。

「うわああっ!」

 車は助手席から廃屋の壁に激突した。僕と客は遠心力のまま右側のドアに一緒にふっ飛ばされた。僕と客は同時に叫んだ。

「うわああっ!」

「クソ野郎!なにやってんだ!?」

 客が僕の身体の下で運転手を怒鳴りつけた。その瞬間運転手は僕の襟首をつかみ、そして客の反対側のドアに思い切り引っ張られ叩きつけられた。雇い主を助けるんだな。そう僕も、多分客もそう思った途端、いきなり運転席のシートが後ろに倒れた。

「うごっ!」

 シートが客の身体を直撃した。激突した衝撃でロックが外れたのか、客はシートの下敷きになっていた。

「バカ野郎っ! なにするんっ…」

「これは申し訳ありません…おっと」

 不穏な雰囲気に僕は叩きつけられた後部座席のドアにもたれたまま見上げると、濃いグラサンをした客の部下が、ロックを外したシートで2回3回と全体重を掛けて上司であるはずの若い男を打ちのめしていた。

「申し訳ありませんが、私はあなたの味方じゃないんですよ…ああ、言うのが少々遅くなりましたが」

 その…声…まさか……気が遠くなりそうな痺れが僕の全身を襲った。

「おっ…お前! くそっ! くそっ! 裏切りもの!」

 その男はポケットから手錠を出した。そして素早く後部座席の僕と客の間に滑り込み、客の片手に手錠の片方をカチンと嵌めると、ドアの上のアシストグリップにもう片方をガチャンと掛けた。抵抗する間もなくあっという間に客はその男に車につながれていた。

「さて、悪い鬼を捕まえた。ドSのお前をここで嬲り殺しても楽しいだろうが…」

「お前っ! 誰だっ!」

 男は答えずにクスクスと笑った。そして客の懐から拳銃を抜き取って運転席の窓から外へ放り投げ、再び倒したシートに乗って客を押しつぶしながら告げた。

「これから違うミッションに移行しなきゃならないんでね。さよならだ。どうする? 手首を切り落としてでも逃げるか? 猶予はあまりないがな。まぁがんばれ。手首のない人生も案外捨てたもんじゃない」

 そして彼は運転席のドアを開け、僕に手を差し伸べた。運転手を正面から見た僕は、あまりの驚きに口がきけなかった。

「はた迷惑な天使君、行くぞ」

 生きて…た…んだ…。差し出されたその手にすがり、僕は泣いていた。細くて長い指が僕の手を引く。サングラスを通してでもわかる、変わらない白く端正な顔立ち。少し短くなった黒髪。廃屋の向こうから警察が走ってくる。懐かしい細い長身の身体に抱き取られ、警察の死角から車を脱け出す。ああ…こんなところで…なんであなたが…

「生きて…た…んだ…」

「どこかのバカな子が一生懸命祈ってくれたからな」

 涙が止まらない。

「とにかく死ぬ気であの焼却炉の陰まで走れ」

 クスリで足のもつれる僕を彼が引き寄せて走る。少し足を引きずっている。衝突のときにケガしたのだろうか。その奥にバイクが隠してあった。彼が僕にメットを放ってよこす。

「後ろに乗れ…逃げるぞ」

 生死もわからなかったあの悪魔が、いま此処に生きていて、僕を救いに。

 

 

 





次回の更新は、9月23日です♪
お彼岸ですねぇ。おはぎ食べたい。


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