翌日、思わぬ客がやってきた。
コンコンと小さなノックが聞こえた。昼過ぎに誰だろ、母さんかな?
「よお」
聞き覚えのある声と共に、ヤツがドアから顔を覗かせた。親友のパンク野郎だった。
「えっ!?」
「驚くなよ…そんな意外かよ」
意外…とかじゃなく。コイツには顔を合わせられない、というか顔向け出来ない。昼御飯のあとそのままの姿勢でベッドを上半分起こして寄りかかり、考えごとをしていたせいで布団に潜りこむことも出来なかった。
「あ…いや…えっ…と…」
ヤツはいつもの通り遠慮なくベッドの際まで来た。なぜか肩に僕のギターケースを背負っている。
「ここ…座るぞ」
「あ…ああ…どうぞ」
「どうぞって…誰だよオレは」
ヤツはチッと舌打ちをした。最近誰となく舌打ちされる。ヤツは壁ぎわにギターを置き、パイプ椅子を後ろ前に向け直してそれにまたがって座り、背もたれを抱きかかえた。
「少しは…元気そうじゃん」
「うん…まあ…ね」
ヤツもきまりが悪いのかいつものキレはない。ヤツは少し黙った。耐え難い沈黙が流れた。僕も何も言えず黙ったまま、布団を握りしめていた。
意を決したようにヤツが口を開いた。
「聞いたよ…お前のお母さんから。シド・ヴィシャスになり損ねたってな」
するとヤツは椅子を蹴って立ち、ベッドの僕に猛然と近づくといきなり僕の胸ぐらをつかんだ。
「うわ…な…なんだよ」
「うるせぇ! 心配させやがって…! 痛々しくてお前、見てらんねぇだろーがよ!」
「…ごめん…おまえの言うこと聞けなくて…ごめん」
胸ぐらをつかまれて前後に揺さぶられながら、僕はようやくまともなことが言えた。コイツには謝らなければならない。ヤツは僕の胸ぐらをつかんだまま、揺さぶるのをやめてうなだれた。あのときのことを思い出すたびに、胸が詰まった。僕は続けた。
「…ごめん…本当にごめん…あんなに…止めてくれたのに。僕は…引き返せなかった…ずっと…謝りたかったのに…おまえに悪くて…合わす顔なくて…会えなかった」
「バッカ…お前…バカヤロウだ…大バカ」
僕は胸ぐらをつかまれながら脱力して天井を見上げていた。
「…こんな…汚れちゃったら…もう合わせる顔が…ないよ…」
「いいんだよそんなの! Sex・Drug・Rock 'n' Rollだろぉが…オレ達パンクスなんだっつーの! だけどよ…死ぬなよ! 近くで見てるのは痛いんだよ…痛すぎだよ…離れて見てれば伝説だけどよ…シドもナンシーもカート・コバーンもジミヘンもさぁ…でもな…オレこの前までそのリアリティがなかった…お前にどうしてやったらいいのかすらオレわからなかったんだよ…反省だよ…悔しくてオレは…クソぉ…!」
胸ぐらをつかみながらヤツはなんか支離滅裂なことを言った。
「おまえに…どう思われてるかって…僕は…見損なわれたと思って…」
それを聞いてヤツは怒った。
「見損なうだとぉぉ!?」
「だっておまえがあんな一生懸命言ってくれたのに…! 僕は…」
「クソっ! オレが足りねぇからだったんだよ! 引き留められなかったんだよ…途方に暮れちまったんだよ! 縄かけてお前引きずってでも帰れば良かったんだよ! オレが甘かったんだっつーの…」
「違う…おまえのせいじゃない!」
そんな罪悪感…感じるなよ。僕の自業自得なのに。ヤツは僕の胸ぐらをつかんでいる固まった拳を急に弛めた。その手がダランと下がり、ヤツはベッドの横に立ちつくした。
「死ぬなよ…もう…誰も死ぬなよ」
一瞬ヤツの胸の中の空白が見えた。
「そう…だった…ごめん…」
「そうだ。もっと…オレに気をつかえ…オレのガラスのハートは完治してねぇんだぞ…まだ…」
「ごめ…ん」
「お前に死なれたらオレは死神だ」
「駄天使で…死神…」
思いつきでつい口走ってしまった。ヤツはそれを聞いてプッと噴いた。
「微妙な神々しさだな…深刻な話をどうしてくれる…噴くわ」
「ごめん…つい…」
「お前謝り過ぎだ…バカ」
ヤツは椅子に座り直した。
「仕方ないだろ…こんなの…僕は人として終わってる…」
「人間だから…だろ」
ヤツは椅子の背もたれに顎を乗せてしみじみと呟いた。
「人間だから揺れるんだろ。ハードに揺れるかソフトに揺れるかなんて、自分で調節出来るわけねーだろ。お前の話は…あんまりハードで寒気したけどな」
お前の話とは、誰から聞いたのか。多分母だろう。
「僕の話って…母さんから?」
「ああ」
「何聞いたの? そもそもさ…なんでうちの親と話すことになったの…?」
そんな接点二人にあったかな…とちょっと不思議だった。
「お前がさ…学校来なくなってから少しして携帯もつながらなくなっただろ?」
携帯取られた頃の話だろう。
「そんときにオレ、お前の実家に電話したんだよ。それでお前のお母さんと話した。帰ったら連絡くれるって言ってくれてさ…よろしく言われちまった…」
「なに…話したんだ?」
ちょっと気になってヤツに聞いた。
「そんな際どいことは言わないって。クスリやってるかもしれないとかさ、変なのと付き合ってるとか…言えるわけないだろ」
「あ…うん」
「それでオレの携帯の番号をお前のお母さんに教えた。そしたらその後電話が来てさ。アパートに帰ってないみたいだけど居場所知らないかみたいなこと言われて、オレもちょっとマズいんじゃないかって思って、学校来てないみたいですよって教えちまった。何を言っていいか悪いかわかんなくなってさ…正直…オレが警察に駆け込んでればもっと早くお前が助かったのかと思うと…自己嫌悪にハマる」
「警察沙汰を回避してくれようって待っててくれたんだろ…僕のこと」
「それは…そうだけどさ…」
「十分だよ…悪かった」
「やっぱりあの茶髪の売人が元凶だったんだろ?」
元凶…それはもう曖昧だった。本当の元凶は兄貴のことだ。だが親父とも言える。もしくは…神父さん。
「それで…おまえ母さんから何をどこまで聞いたの?」
「ああ…暴力団に監禁されてたって。覚醒剤も打たれてたみたいだって。あと…殺人事件になりかけたとか…ちょっとヤバ過ぎて聞いてて寒気した。オレがそんなに聞いて良いのかって逆にオレが訊いたよ。そしたら、オレがお前といちばん仲良いのは知ってるからって。お前が信頼してた…みたいなこと言われて、オレにはお前の現状知っておいて欲しいって。だから…」
「それで…全部?」
「ああ。お前が売人と付き合ってたこととか言われなかったしな…って…まだ他にもあるのかよ…もう聞く勇気ねぇよオレ」
「…母さんがどこまで知ってるのか僕にはわからないんだ。どんな説明を警察から受けたのかまだ知らないからさ。おまえに伏せてることもあるかも知れない」
「いやもういい。とりあえずこれ以上聞きたくねぇ。だけどさ…そんなんでお前ほんとに大丈夫か? 無理してオレと話さなくていいからな」
ヤツは本気で心配そうな声を出した。僕は今の気持をヤツに伝えた。
「大丈夫かどうかはまだはっきりしない。回復はしてる。多分、いい方向には行くよ。事件中はいろいろあってひどいことされたけど…どっかで僕は…自業自得だなって思ってる…それより大丈夫じゃないのは兄貴のことで、まだなんの手掛かりもつかんでなくて…でも今回の僕の事件で兄貴の失踪のことも警察が調べてくれることになったんだ。だから僕の災難も無駄じゃないって…どこかで思える」
ヤツは複雑な顔をして言った。
「お前…タフだな」
「全然タフじゃないよ…ほら…」
僕は両腕を掛け布団から出した。
「なんなんだ!? その包帯はっ? ヤクザにやられたのか!」
ヤツは驚いて叫んだ。
「違うんだ。助けだされてから…ここの病院でさ…バカだよね。自殺未遂…みたいで…記憶がさ…ところどころないんだよね。自分で切ったのを覚えてないんだ…死にたいって思ったまでは…なんとか思い出したんだけど…」
「お前のお母さんが浮き沈みが激しい…って言ってたのはこれか。それでリハビリなのか」
ヤツは痛そうな顔をした。
「覚醒剤のフラッシュバックっていうのがあって、クスリ入れてもいないのに急に入れた時の状態になるらしいんだ。それと事件のトラウマが噛み合ってやっちゃったらしい」
「マジか…目が離せない状態じゃねぇかよ」
ヤツはマジで驚いていた。
「傷口固定してたから指が固まっててさ…」
「それでか」
ヤツは思い出したように、立て掛けたギターに手を伸ばした。
「リハビリに持って行ってくれってお前のお母さんから頼まれた…それと…これ」
ヤツはジャケットのポケットからデジタルプレーヤーを出した。
「ほら…お前の」
あ…
「これも一緒に頼まれた」
「母さんが?」
「うん」
アパートから回収してくれたらしい。
「ちょっと弾いてみろよ」
僕が返事もしないうちに、ヤツはケースからギターを出した。僕の青いフェンダー…久しぶりに目にする。青がなんだか目に痛い。
「ほれ…お前いつから触ってないんだ?」
ヤツが僕に抱かせてくれる。なんだか熱いものが込み上げてくる。
「どうだ? 久しぶりで重いかもな。弾けるか?」
ヤツに言われるまま左手の指をフレットに置く。Cをコード弾きしてみた。
「あ痛っ…」
思ったより指が曲がらない。Fのコードは…力が入らない。
「ああ…前途多難…」
でも思ったよりも指先は動いていた。
「案外動くじゃねーかよ」
「力、入んない…けど」
ヤツは嬉しそうに言ってくれた。
「ずいぶんリハビリ進んでるんだな。お前のお母さんは指先が麻痺してるからって心配してたんだ」
「麻痺は少しずつ良くなってるよ。今は皮膚がピリピリしてて痺れが抜け始めるときだって」
「大丈夫じゃね? なんか安心したわ。お前がギター持ってない方がなんか不自然だぜ」
僕がギターを抱いてる。そのことを思い出すのすら苦痛だったのに…コイツが来てくれたから…だな。僕の重荷はお前を裏切ったことを自分で責め続けていたからだと、今はっきりとわかった気がした。許されてる…コイツから。それ以上に心配までしてくれて、そう思うと胸が熱くなった。
「またオリジナルやろうぜ」
ヤツが口をへの字にして言う。
「リハビリがんばれよな」
「うん…そうだな…」
僕は救われてる。
「…ありがとな…ほんとに…」
「ん…まあな…天使だしなオレ」
ヤツはニヤッと笑って、ヤツらしくそう受け答えた。そしてその後、そんじゃまた来るわ…と一言残して帰って行った。
ギターを壁に立て掛けて眺めた。また…これにさわれる。気持ちのどこかが解放されたのがわかった。デジタルプレーヤーのイヤホンを耳に入れた。あれから聴けなかった曲が耳から流れ込んできた。あの人のブラームス、そして続けて僕たちの作ったあの曲が。
次回更新は14日あたりとなるでしょう(天気予報か)。