※この作品はR-18です。

失われた物語   作:架空線

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23.あの世の使者

 僕は父の思いがけない結論にハッとした。そうか、確かにもし兄貴がもうこの世にいなかったら…

「そうだよね…確かにそうだよね!」

 兄貴はトンネルの出口には来なかったんだ。科学的根拠ゼロだけど、親父の確信にはなぜか確固としたものを感じた。彼が兄が生きてると推測したことが、さらに真実味を増した。

「あいつ…最後には改心したんだったよな? お前に恩返しか? そんなら兄ちゃんの居場所くらいちゃんと教えろっての!」

 父は顔をしかめてもう一本タバコに火をつけた。そうだよ。むしろ兄貴を助けるべきだよ。あ…もしかしてこれが…ヒントなのか…?

「あのさ…興信所には兄貴の親父さんの線は、どれくらい調べてもらったの?」

 僕は思わず父に尋ねていた。新たな疑問を抱えながら、その直後僕と父は目的地に到着した。

 二人で所長に挨拶したあと、寮の部屋に案内され荷物を運んだ。今日のスケジュールは夕方までなく、夕食の時に食堂で寮のメンバーに紹介してくれるということだった。部屋の鍵をもらい管理の仕方をスタッフから教えてもらう。新しい環境の戸惑いや新鮮さより、兄の消息の手掛かりに気を取られて、気がつくと上の空だった。

 父は用事があるので早々に帰宅した。

「興信所は兄ちゃんの親父のことは詳しく調べていないぞ。死人だしな。兄ちゃんの叔母さんには会った。だが消息について訊いただけだな。葬式のあとは全く会ってないとか言ってたしよ。お前の担当の警察の彼に伝えておいてくれ。素人の意見も役に立つかも知れねぇしな」

 父はそんなことを言い残して、じゃまたなー、と僕に手を振り愛車をふかして帰って行った。

 担当の彼…か。死んだ元カレをまた調べなければならないなんて、因縁…ていうんだろうな。こういうのって。彼自身の撒いたタネとはいえ、彼には色々な意味で厳しい事件だと、また少し心が重くなった。

「なにボーッとしてるんだ?」

 後ろでいきなり声がした。ビクッとして振り向くと、その彼が部屋の戸口に立っていた。

「いつからいたの?」

「3分くらい前からかな」

 笑いをこらえながら彼が答える。

「ずっと見てた…とか?」

「いつ気づくかな、と観察していた。サイレンサーで後ろから撃たれても気づかないかもな」

「凶悪だな。考えごとしてたんだよ」

「私に気がつかないほど一所懸命になにを考えてたんだ?」

「あなたのこと」

「調子のいいやつだ」

 僕は車の中で父と話したことを彼に言った。

「…また…ヤブ蛇か」

 彼は額に右手を当てて目を閉じた。

「だからさ…それどういう意味?」

「ああ…もういい」

 彼はヤブヘビの意味を教えてくれる気はないらしい。

「そこを超えなければ許されないとでも言わんばかりだな…参った」

 彼は深いため息をついた。

「あなたの方が詳しいでしょ? 僕は兄貴の親父さんには2回しか会ってないから」

「ああ、確かにそうだ。君は正しいよ…憂鬱になるくらいな」

 彼が所在なげに立ち尽くすのを見て、僕はなんだか不愉快になっていた。それは怒りに似ていた。なんだよ…この感覚。なんか気に障るな。しっかりして欲しいんだけど。なんであなたがそこまで頼りなく見えるのか理解できないし。

 ああ…わかった。僕は気がついた。嫉妬だ。この感覚。兄貴の親父さんに嫉妬…またかよ…

 終わったはずの苦痛がよみがえることにうんざりした。兄貴も取られて…彼もまだ、あいつのものかよ…! なんでいつもあいつは僕の前に必ず居るんだ? この世から消えてもまだみんなの心の中にあいつがいる。きっと母すら…人は肉体が死んでも死なないのか? 思うようにならなさすぎて絶望的になってくる。自暴自棄になりそうだ。

「なんだ? ムッとした顔だな」

「…知らない」

 僕は更にムッとして答えた。

「ヤブヘビの意味をそんなに知りたいか?」

「もう…いいよ…」

 彼は苦笑しながら僕に言った。

「捜査しないつもりかと思ってるのか? 悪いがそこまで私はウブじゃない」

 いつもと違ってズレてる答えにまた腹が立った。

「どうせ僕はあなたにとっては彼の埋め合わせなんでしょ?」

 彼の顔を見るのが腹立たしくて僕は彼に背を向けて壁にもたれた。そんなこと僕が言えた筋合いではまったくないこともわかっていて、沸き上がる感情に飲み込まれていた。

「君が言うか? それを」

 彼はあきれたように笑った。そしてどんどん不機嫌になる僕に後ろから首に腕を絡ませた。

「わかったぞ。兄さんも私ももういないはずの彼に取られて妬いてるのか?」

 それだよ。いつもの図星…だよ。

「そうだよ。いつも僕の存在より前にあいつがいて…僕はあいつのやったことの始末をして生きてるみたいなもんじゃないか…」

 切なくて吐きそうになる。ずっと前から感じていても言葉にならなかったことが、言葉になって噴き出してくる。

「なにもかも…なにもかもだ。全部あいつが始めたんだ。あいつの企んだイカれた陰謀のせいで母さんは騙されて身代わりにされて…」

「身代わり?」

 彼はいぶかしそうに訊いた。

「なんなんだ…それは」

 僕はもう止まらなかった。彼の手を振りほどいて、僕は振り向きざまに彼に言った。

「アイツから聞いてないの? なんでゲイなのに愛してもいなかった女性と結婚したのかって! あいつは親友だった母さんの従兄弟を愛してたんだよ! でもその従兄弟は母さんが好きで結婚したかったんだ。だけどあいつは嫉妬で頭がおかしくなって、親友と母さんを騙して母さんと寝た。その従兄弟の身代わりに血のつながった母さんに子供を産ませるためにだよ! 妊娠して結婚した…産まれたのがそれが兄貴なんだ…母さんはあいつを愛してたのに…あいつは復讐と欲望のために従兄弟と同じ血を分けた兄貴を…小さい頃から…」

 彼は無言で僕を見つめていた。だがしばらくすると彼がもう僕を見ていないことに気づいた。

「だからか…だから君の母親と私は似ている…のか…」

 彼は僕に言うともなしに呟いた。

「変だなと思っていた…彼の目線が私を見ているようで見ていないあの奇妙な感じ…出逢った時の彼の戸惑いと極端なまでの執着も…あの乾いた別れも…」

 彼のショックの大きさが僕にも痛かった。だが一方で何かが溶けるのも感じた。ずっと前から胸にたまっていた澱を吐き出したような気さえした。彼には申し訳ないけど、僕にはもう耐える気は失せていた。いろんなことに耐える気力が。兄の父親の幻影がちらつくたびに支えてた気持ちがなし崩しになるのを止めるすべもなく感じていた。立っていることがしんどくなり、僕は床に座り込んだ。彼はまだ呆然と立っていた。僕は膝を立てて壁にもたれて、独り言みたいに話し続けていた。

「あいつが自分の心の隙間を埋めるためにしでかしたことが、僕たち家族にとって呪いだったんだよ…僕にとっては心の隙間を埋めるために誰かを犠牲にするのは絶対にやっちゃならないことだった…だけどあいつのなくしたものの空虚が玉突き衝突事故みたいに連鎖してまた違う不幸を生んで僕のところまで来て…僕に囁いた…お前も大事なものをなくしたな…って…そんなところにあの売人が僕の隙間を埋めた…クスリが隙間を埋めた…気がついたら結局僕もとりこまれてた…」

 僕は何を話してるんだろう? とりとめなく止まらない。

「兄貴の父親は母の従兄弟を失って、兄貴とあなたでその空虚を埋めた。あなたは彼を亡くして隙間を兄貴で埋めた。兄貴は僕を突き放して空虚をあなたで埋めた。今度は僕の番だ…僕はそんなことしたくない…そんなことするくらいならクスリに溺れている方がマシだよ…だって…だって僕は…あなたを犠牲なんかにしたくないんだ…誰かを巻き込んで不幸の連鎖をまた繰り返すくらいなら…僕は死んだ方がマシだ!」

 最後の方は叫ぶみたいになっていた。

「やめてくれ。何度言わせるんだ。君に死なれたら私は立ち直れそうにない」

 囁くような彼の言葉を聞いて僕は震えた。

「怖いんだ。あなたが傷つくのが怖くて仕方ないんだ。僕はいつも余計なことをして誰かを傷つける。頭が悪いから先のことを考えられないんだ。でもこんなこと言ってるのに僕は兄貴の親父に嫉妬してるんだ。あなたの中にまだ彼が居るのが耐えられないんだよ…バカなんだよ…僕の中には同じように兄貴がいて…あなたはそれでいつも苦しんでるのに僕は同じことに耐えられないんだよ…頭がおかしいんだ。またクスリ漬けにして殺しちゃった方がいいんだよ。あなたはもう僕たちの血に関わらない方がいいんだ。これは終わらせなきゃなんない…絶対に…絶たなきゃならない。それを終わらせるために僕は産まれてきたんだよ。そうに決まってる…そうじゃなきゃ…こんな人生…ただの地獄じゃないか!!」

「やめろ!」

 彼が叫んでいた。

「もういい…わかった…君を解放する…彼の呪いから君を解き放つ…だから死ぬなどと言うな!」

 彼は僕を抱きしめていた。

 ああ…愛してる…愛してるよ。あなたを愛してる。ごめんなさい。ごめんなさい。

「あああぁぁぁ!」

 喉を引き裂くように嗚咽。愛し合いたい。あなたを受けとめたい。あなたに身も心も預けてしまいたい。それができたら、それができたなら…

「愛…してるん…だ…あなたを傷つけたくな…い…」

 膝を抱え彼に顔を埋めて泣く僕に彼は強い口調で言った。

「苦しむな。ダメだ…また君は発作的に死のうとする。私は君に借りがある。大きな借りだ。君は私を苦しめる権利がある。わかったか? 君の兄さんを陥れたことを思い出せ…大丈夫だ…憎しみさえ湧いてくるはずだ。君はまだ私を憎んでいるはずだ。私を利用するんだ…捨てたいなら捨てればいい」

 彼は僕の顔を見た。

「これはもう解決した取り引きだと思っていた。だが、君はいつもいつも何度でもこの罪悪感に引き戻される…なぜだ」

 彼は僕に問いかけた。僕から答えを引き出すみたいに。いやだ。

「わからない」

「言うんだ」

 口元がひきつって言葉が出ない。

「いや…だ…わからないよ」

「言うんだ!」

「言いたくない…!」

 変なことを口走った。言いたくない…って…僕は答えを知っているのか?

「なぜだ…なぜ言いたくない?」

 彼が優しく僕に問いかける。

「言わないと君はまたいつか自傷する。無意識の方が力が強い。だから吐き出すんだ」

 だから…僕は…ああ…ダメ…だ…こんな僕を誰が愛する?

「言えない…あなたに知られたくない」

 僕は恐怖に戦いて首を横に振った。でも何を?

「知られたくないほどの闇か? 私より深い闇か?」

「違う…闇なんかじゃないよ…闇ですらないよ…僕は…汚い…薄汚いんだ…だから…もう許して…」

 何かを知っている。でも、自分にもそれを知られたくない。

「だめだ」

「お願いだから…もうやめて…!」

 横を向き彼から逃れようとする。彼はバンッと両手を壁についた。僕は逃げられなくなった。彼はまた優しく言った。

「逃げるな。私も逃げない。誰からも愛されない惨めな人間だと受け入れる。だから君もその薄汚い自分を認めろ。その方が人間らしい。君は普通の男の子だ…それを見せてくれ。人は不完全なんだ。君の不完全さを私は見たいんだ」

 不完全さ…致命的だ。

「そんな僕は誰からも愛されない」

 彼は笑った。

「君の憎んでる彼すら、傷つけられた人達にまだ愛されてるのにか」

 そのとき一瞬思考が空白になった。カウンターパンチのように。なにかの呪縛がその時ほどけた。彼すら…愛されてる。問題と答えが同じだった? 僕は茫然と彼の顔を見た。

「言えるな?」

 彼が僕に確かめる。まるでドアの鍵を開けたのをわかってるみたいに。

「…彼から…兄貴を奪いたかったんだ。兄貴のすべてが欲しくて…でも子供の僕にはどうしたらいいかわからなかった。内緒で父親に抱かれて帰ってきた日はいつも兄貴は泣いて…僕にはどうすることも出来なくて…でも父親に抱かれた日の兄貴は苦しんでいるだけじゃなくて…僕といても上の空で…それが寂しくて苦しくて僕もたまらなかった。兄貴が苦しんでるのはそれが嫌だからか…愛してるからか…僕にはそのどちらにも思えたから…苦しくて…それが嫉妬だとわからなくて…それで彼と真逆のことをすれば彼に勝てる…そう思った…誰も傷つけない…そうすれば彼に勝てるんだ。兄貴の心を僕だけに向けてもらえるって…実の父親に弄ばれて泣いていた兄貴を絶対に傷つけない…それが彼に対するたった一つの僕のやり方だった…いつこう決めたのか…覚えてないほど前から…僕は兄貴の父親とそうやって戦って…だから僕は…自分が本当はそんな優しい人間じゃないってどこかでわかっていた…だから僕は…ウソつきなんだ」

 言ってしまった。自分にすら封印していた卑怯な自分。兄貴のためじゃない。自分の独占欲のために僕は善人みたいに振る舞ってた。

「あなたが前に言ったよね…偽善者だって。今なら僕はそうだって思える…でもそれが本当の僕だ」

 僕は顔を伏せた。誰にも見られたくなくて。

「うん…よし…ようやく言えたな」

 彼は僕の頭をなでた。

「見損なった…でしょ…」

「いや…安心した」

「え…?」

「これで君が自傷して命を落とすことはなくなっただろうから。君が人から愛されるためにもう無駄な努力をする必要もない。それに君はそのままでも同じことをするだろう。そして人はそれが本当かどうかなんてすぐわかるもんだ。君を偽善者と言ったのは私が認めたくなかったからだ。君のようなバカな子がこの世で散々嬲られてもまだ真っ白なままでいるなんて…認めたくないに決まっている」

 彼は少し遠い目をした。

「大嫌いだった…」

「また…嫌いになったんじゃないの?」

「いーや。腹立たしいほど好きだ…ある意味憎たらしい」

「嫉妬深い偽善者なのに?」

 僕は驚いて聞き返した。彼は僕の鼻をキュッとつまんだ。

「痛っ…」

「そんなくらいのことでは君の評価など変わらんのだよ。だいたいそれくらいの汚濁などどんな聖人君子だろうと108個は持っているんだ」

「108個って…なんでそんなリアルに細かいの?」

 彼は呆れたように言った。

「まったく今の若い子は教養が足りんな。108つは煩悩の数だ…覚えておけ…常識だぞ」

 彼は唐突に顔を近づけて僕の唇を奪った。

「んっ…」

「可愛いな…年下には興味なんかなかったのに。ほどよくバカでいて欲しいと切に願う」

 またキス。

「あ…」

「感じたか? おっと…ここじゃマズいな。君をしばらく犯していないからこのところ欲求不満なんだが」

「ここでは…絶対ダメだからね」

 ニヤッと不穏な笑みを浮かべて彼は僕から身体を離した。真顔に戻ると彼は僕に言った。

「とりあえず君の話を真に受けよう。私の元彼の関係を洗う。気になっていることもあるしな」

「あるんだ…」

「ああ…まあな」

 彼はチラッと腕時計を見た。

「時間だ。戻るぞ。君のミーティングは夕方だったな。本当は連れ出して犯そうと思ってたのに…残念だ」

 やめてよ。僕だって必死で我慢してるのに。

「では近いうちにまた来る。見送るなよ」

 彼はまた風のように去って行った。

 

 気持ちが静かだ。彼は言った。薄汚い自分を認めろと。言葉にするまで自分でも気づかずに、ずっとフタをしていたんだ。僕が兄貴を好きだと気づいたころ、僕は苦しかった。同性だから、兄弟だから、兄弟なのに父親が違うから、好きな人は父親に抱かれてるから…

 そんな日常は普通はない。あり得ない。でもそれが僕たちの日常。僕が生まれたときから変わらない、それが人生の基礎。そんな基礎の上にはなんにも積むことが出来ない。愛…以外。そう…愛だけ。

 その愛すらなくなったら僕は生きていけない。だから僕は兄貴を僕につなぎ止める。兄貴を全部受け入れて、決して傷つけないことで。いつしかそれは愛されるための僕の基礎になっていた。それをやめたら僕は生きていけない。そう無意識に自分を縛った。だからその基礎をハズす行為は「生きていけない=生きてはいけない」。だって生きていたって仕方ないから。これが僕が自分を追い詰めて自傷する理由。最初に兄貴の前で手首を切ったのも、すべての努力が無に帰したから。生きていけない。

 でもそれは僕だけの秘密。僕は必死にいい人であろうとする。でもそれはあの人に勝つための手段。小さな僕が必死に考えた方法。でも誰にも言えない、そんなこと。僕自身にさえ秘密の僕自身。でもバレちゃった。

 不思議なんだ。バレても彼は僕を見捨てない。小さな僕は驚いてる。みんな僕より優しいってことに。そして僕は…

(ごめんね…もうやめよう)

(大丈夫?)

(うん…大丈夫だ…みんな優しい。だから大丈夫だ)

 パニックも治るかも知れないな…そんなことすら少し感じるくらいに。

 

 




 次回は来週の月曜日あたりに更新予定です。
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