※この作品はR-18です。

失われた物語   作:架空線

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29.幽霊からの伝言

「殺される前に彼女を検挙出来なかったのが悔やまれる。それは本当だ。だが管轄外の私にはどうすることも出来なかった」

 それを聞いて彼が鼻で笑った。

「しかも警察はそれを殺人としてすら立件しない…そりゃそうだ…立件させない。あの女が死んで誰かさんは喜んだ。自殺で捜査は終了…それで十分だろう」

 そして再び低く呟いた。

「そのことがいまだにこうやって尾を引いている…君を巻き込んで…」

 男性はため息をついた。

「話が進まん」

「いいです…僕は…聞きたい…聞かなきゃ…なにも納得出来ないよ…なにも」

 僕は絞り出すように二人に告げた。

「もう…知らないことに振り回されて何も分からず苦しんでいるなんて耐えられないんだ。巻き込んだというなら…全部聞かせて下さい。どんなひどいことでも…聞かせてよ…知らないままじゃ…あなたと…あなたとこのまま…」

 あとは言葉にならなかった。知らないままじゃあなたと別れるなんて、無理だ。

「わかった。話せることは話そう…」

 男性は僕に告げた。その言葉には誠意を感じられた。

「君にはわかっていると思うが、私はこいつの父親だ」

 彼は無言でこれまでのように全く反応もせず腕を組んでソファーに深く座っていた。知っているんだね、この人がお父さんだと。父親は知らないと言っていた彼。だが死にかけた時に助けてもらった例の“相撃ち”の知り合いはやはりこの人で、それは父親だった。いつ彼らは打ち明けあったんだろう。ギクシャクしながらも、ねじれた愛をお互いから感じられた。特に父親のほうに、強く、彼を助けたいという気持ちを僕は感じていた。

「ええ…わかってました。声も雰囲気も…似ていて…二人とも知ってたんだ」

「似ているか。まあ…そうだろう。これから話すことは時効だがまだ機密扱いだ。だが君には言わなければならないと思っている。君はこれを誰にも漏らさないと約束して欲しい…どうだね?」

 僕は深くうなずいた。

「君を信用する…君が漏らすことはないだろう。これが漏れたら君の兄さんの命の危険があるのだから」

 彼の父親は僕にそう告げた。僕の息が詰まった。

「公安でまだ駆け出しの若い頃、私はある国家的なスパイ活動の情報を集めていた。前もってその諜報活動の情報を入手していた我々は密かに網を張ったが、未然に潜入を阻止できるはずが防衛ラインを巧みに突破された。我々しか知り得ない情報だったために内通者の存在が疑われ始めた。そして手引きにはどうやらあの女が関わっている。金が動いた形跡があるという情報もあった。諜報員の潜伏先を早く割り出す必要がある。同時に内通者を特定しなければ同じ轍を踏むことになる。チームは2つに分かれた。私は女と直接コンタクトする役を割り振られた。陽動の意味も込めてだ。内通者に予定外の行動を取らせれるようなアクシデントを誘発する。つまりニセの情報を流す。それに対応して関係者が動く…そうやって内通者をあぶり出すという作戦だった」

 彼の父親は言葉を切り、目を閉じた。これから話すだろうことに僕はこの人のためらいを感じていた。

「…彼女に近づくのは大変な慎重さを要した。なにしろ頭の切れる女だったからな。学業を修めればどの分野でも頭角をあらわしただろう。だがあの女はその才知をすべて犯罪という世界につぎ込んだ。生まれつきのクリミナル…そういう種類の人間がこの社会にいるということを彼女との接触で私は思い知らされた」

 ずっと目を閉じたまま父親の話を聞いていた彼が、いつの間にか目を開けていた。その目には苦渋のようなものが宿り、不意を突かれたような欠落感が僕にも伝わってきた。初めて聞くこと、なのかも知れない。この話…彼も。

「初めて会ったとき、なんでこの若い女が特別なのかということを私は理解出来なかった。だが接触が深まるにつれ私にはわかってきた。この女は人が何を欲しがっているかわかるのだと。それは私に対しても同じだった。私の無意識の欲望を彼女は見抜いていた」

 その能力…それは彼の独自の能力だと思ってた。能力は遺伝。冷酷な母親からの。

「当時私は公安に若くして抜擢され、鳴り物入りで入ったキャリア組だった。ありとあらゆる手練手管を用いて彼女は私の心の中に入りこんできた。その女に私はゆっくりと蝕まれていった。そして私はついに情報と引き換えに…あの女と寝た…」

 彼の顔が苦悶を表していた。

「公安の中の上司の期待と同僚の嫉妬…鳴り物入りで組織に入った私は挫折の少ない若造が味わう重圧をいつも感じていた。キャリアとノンキャリアの確執や公安と県警の齟齬…その中で組織を納得させる成果を出せるかどうかが常に問われる。まだ慣れない職務の自信と不安が交錯し、若さという力がプライドを刺激するその中で心を保つ術を身につけなければならない…」

 過去を語るその声に次第に感情が入り込んでくる。まだ癒えていない傷の気配がして、僕まで息苦しくなった。じっと動かなかった彼が右手でネクタイの結び目を弛め、一番上のボタンを外して肩で息をついた。息苦しかったのは僕だけではなかった。

「あの女は巧みに私に好意を持っている振りをして、押したり引いたりを繰り返しながら私の素性を探ろうとしていた。私も同じ手で彼女に迫った。嘘の愛を互いに囁いているうちに私も彼女も本気になりかけていた…少なくとも私はそう思っていた。だが彼女の方が一枚上手だったのだ。自分でもこれ以上はのめり込むのが危険だと感じ始めてていたその頃、もう一つのチームがニセの情報を流し陽動を成功させ、内通者があぶり出された。それをあの女は私より先に知った。そしてなぜか私に諜報員の居場所を私に教えた。内通者が吐く前にこれで出世しなさいと言わんばかりに…そしてその直後…彼女は姿を消した」

 一気に語られたあと、しばらく沈黙があった。語る人の心の空白を表すような無言の時間だった。

「…防諜は成功した。私の情報は内通者の吐いたものと一致。あの女の情報はガセネタではなかった。私は上司からよくやったとほめられ、所属の組織から評価を受けた。だが私は成果に対する評価を素直には受け取れなかった。それすら彼女の手の内にあるような違和感がそのあともずっと私を悩ませた…女は下手を打った部下を売り、処分を我々に押し付けてのうのうと逃げおおせたと言える」

 彼は遠くを見るような目をした。この過去は誰かに語られたことがあったんだろうか。たった独りで抱えてここまで来たのではないだろうか。秘密を抱えて生きる苦しさを僕はいやというほど知っている。孤独と恐怖に満ちた日々を。

「…12月6日」

 呟くような声で話が再開した。

「それから1年毎に写真が送られて来るようになった。差出人不明…子供の手の写真だ。最初は新生児の小さな手、だんだん幼児の手になり…小学生くらいの感じになり…一枚ごとに手は成長していった…写真には必ず日付があった…12月6日…12月6日…12月6日…手紙はいつもその日に必ず届いていた。最初は脅迫だと思った。そしてその差出人はあの女だと確信していた。封筒の中から微かに香る香水の匂いは、私の知っている香りだった。わざと分かるように着けたのだ。だが写真の他にはなんの挙動もなく、ただ1年ごとに写真が送られてきた。私はいつもその手紙が来るのが怖かった。だがそれはあるときを境に途絶えた。私はこの子供が死んだのだと思った。手紙が来なかった時…私はその手紙を心の底では待っていたことに気づかされた」

 それを聞いた彼の呼吸が一瞬止まるのがわかった。

「いつものそれが来なくなったことを確信したのは、12月6日から1ヶ月経った日のことだった。解放感と同時に私は虚ろな悲しみを感じた。それは私には驚きだった。私はまだあの女を愛していたことに気がついたんだ…その子供もね…なんの保証もないのに…なんの証拠もないのに私はその写真の手を自分の子供だと確信していた。彼女の黒い噂はたまに公安でも聞かれていた。写真が送られて来ないのは彼女が死んだのではないようだと踏んだ。それとも私をゆする計画を取り止めたのか…写真が来ないだけでやはりレスポンスは皆無だった…」

 

「売られたんだよ」

 彼が突然口を開いた。

「その話はやめろ。この子の前ではその話はするな!」

 しかし父親の制止も聞かず、彼はやめなかった。

「君と同じだ。人身売買だよ。私は子供好きの金持ちのイギリス人の変態野郎に買われたんだよ…11歳の時に」

「やめないか!」

「この子に教えてやれ! あんたの好きだった女は自分の子供を高値で金に替えたんだと! そしてあの写真はあんただけに送られていたんじゃないこともな。誕生日に撮られる右手の写真は何枚もプリントされて複数の男共に送られていたと。あんたは呑気に自分から動かなかっただけで、他の後ろめたい男らにとっては良く効く薬だったってな。次々連絡を寄越して金を持ってきて、ああ、そうだった、私も母親から分け前を誕生日のプレゼントがわりにもらえたんだった。私がイギリスに売られたから誕生日の写真撮影はなくなり、こいつは妄想で頭を膨らませて、淋しい淋しいと遅まきながら嘆いたわけだ」

 僕に彼の言葉に彼の父親は固まった。そしてゆっくりと手を口元に当て眉根を苦しそうに寄せた。愛されていなかったと、彼が母親を憎む気持ちの源がそこにあった。

「本当なの…」

「ああ…残念だがどっちも本当だ…売られたのも…写真がばらまかれていたのもな。写真だけじゃない。私は犯罪の道具だった。子供には皆、警戒心を抱かない。いつもそういう役回りだった。命の危険さえ顧みられずな」

 彼は苦笑した。

「イギリスの養父は少年愛のために子供を高値で買うようなヘンタイでマゾの金持ちだった。私はそこで快楽と支配を教えこまれた…子供の頃から心にも身体にもゲイとサディストの性癖が刻まれた。私は覚えの良い子だったよ。父親はいないし、犯罪の道具として私を利用しかしなかった母親を憎悪していたから、父性に憧れ、同時に自分の前に姿を見せないことに恨みを抱き、女には嫌悪感しか無かった。母親はそんな私の潜在的な傷と自分に似た性格を利用して、あの変態に託したと今ならわかる。あの女は私の欲しいものがわかっていたんだからな。」

 兄の傷と彼の傷が重なりあって見えた。共鳴。近づくだけで互いの闇が鳴り響くような。

「あの女の遺言に例の誕生日の写真とメモがついていたんだ…命に関わることがあったら警察のこの名前の男を呼び出して誕生日を言え、と。調べたら公安のお偉いさんじゃないか。笑ったよ。この男が父親の候補の一人だとわかった。それまでも何人も候補はいたが、誰が本当の親かなど知りようもなかった。だが、死んだ女の伝言は思った以上に効果があって驚いた。死せる孔明生ける仲達を走らすってわけだ」

 すべてを僕に知られた彼の父親は、少し呆然としながら僕に言った。

「…12月6日と…誰かが事故現場から私を呼び出して、私の耳元でそう囁いた時、私は一瞬頭の中が真っ白になった…まさかそんなことがこんなところで起きるとは」

「だが本当の父親はやっぱりこいつだった」

 彼は鬱陶しそうに言った。

「なぜ…わかったの?」

 僕は驚いて訊き返した。

「麻薬捜査官になってから毛髪でDNA鑑定した。だから間違いない。コイツの信じたファンタジーは期せずして本当だった。君の知っている通り、血の繋がりとは恐ろしいものだな」

「はぁ…」

 大きく息をつく音と共に彼の父親は再びソファーに倒れこみ、上半身を背もたれに埋めた。

「すまない…君のお兄さんの件を早く話そう。大丈夫か?」

 彼の父親は僕をチラッと見た。

「ええ。僕は聞いて良かったって…思います」

「…なら、いい。この前振りはお兄さんの失踪と関係があるんだ」

 彼の父親はまた一つ息をついた。最も厳しい話は、この先だった。

 

「あの女が自殺として誰かに葬られたあと、しばらくしてからある噂が耳に入った。あの女は死んでいなかった…いやあの女の幽霊が出た…そんな流言だ。ある政治家があの女の死亡確認を警察の上部に依頼したとか、何かが起きていたことはわかった。誰かが彼女の振りをしてまた誰かと取り引きをしていると…」

 彼の父親は僕を見た。わかるよな? という顔で。僕は思わず彼に目をやった。彼は両手の指を組んでじっと目を閉じていたが、ゆっくり目を開けた。

「それから先は私が話そう。当事者の方が詳しいだろう」

 怖い…聞きたくない。本能が逃避したがってる。だが僕の意識は逆にすべてを知ることを渇望しているかのようだった。

「イギリスの大学を翌年卒業するという頃、あの女の弁護士がわざわざイギリスまでやってきた。あの女が死んだから遺言を執行しに来たと言った…」

 いつもの低い声…だがその声はわずかに郷愁を帯びていた。

「黒くて分厚い書類ケースがひとつ…他にはなにもなかった。中を確認するとただの古い週刊誌だった。だが、よく調べるとそのケースは底が二重になっていた。その中には鍵が入っていた。コインロッカーの鍵だった。大学の夏休みにこっそり帰国しそのロッカーを開けた。その中身はあの女の集めた極秘資料だった。遺産は金ではなかった…金づるだった。コインロッカーの中で、金になる情報が金の卵のように孵化するのを待っていたわけだ。その頃は変態義父の寵愛も冷めていた。買った子供が高校を卒業するとあの男は性的な興味を失うからだ。また新しい男の子をどこからか連れてきて仕込んでいる最中だった。用済みの私は入った大学の寄宿舎に義務的に放り込まれ、大学を出たら完全にお払い箱だった。何も見えない卒業後の進路を漠然と考えていた矢先に、死んだ母親の遺産として新たな職種が舞い込んできたってわけだ…つまり“犯罪者の後継者”という仕事がね」

 話しているうちに彼の声の郷愁が消えようとしていた。替わりに苛酷な過去を嘲笑うような乾いたトーンが見え始め、その乾きに僕は痛みを覚えた。

「書類の中身はただの金づるの情報だけではなかった。犯罪のマニュアルが細かく書かれていた。そしてあの女を支援していた悪党どものプロフィール。なぜか金目のものはなかった…通帳や貴金属の類いは弁護士あたりに抜かれたのか、そもそも私には残そうとは思わなかったのかはわからない。だが私はその資料にすっかり魅了されていた。早速私は自分の犯罪能力と犯罪マニュアルの実効性を量るべく、実験的に私をお払い箱にした義父から金を脅し取る計画を立て、実行に移した。性の玩具に仕立てておきながら自分を捨てた変態からむしりとることに良心の呵責はなかった。良心など感じたことはそれまでもなかったが。まとまった金が手に入る頃には大学を卒業し、私は母の悪党ネットワークの生きている日本へ帰って来ることが出来た。なぜか迷いはなかった。遺産を受け取ることも…それを仕事にすることも」

 

 




 次回更新は7日月曜日あたりに〜
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