第五話 神坂理乃という先輩(エロ無し)
昼食の時間になり、百合は私立
手には母お手製の弁当と、自動販売機で購入した紙パックのミルクティー。
なぜ教室で食べないのかと疑問に思われそうな姿だが、そこはそれ、いつも弁当を持参して学食にやってきている百合である。
まったく注目されないというわけではないが、それでも
(ええと、
いつも学食で昼食をとっている、二学年上の先輩の姿を捜す彼女。
百合という少女は、女子の中でも小柄なほうに入る。
そして、いま百合が捜している先輩は、そんな彼女よりもさらに背が低かった。
なので先輩の姿は、当然のようになかなか見つからず。
もちろん、学食で毎日落ち合っている相手である。
いくつかの候補があるとはいえ、自分たちが座る席なんてほぼ決まっているのだから、その候補のひとつに行って、いまはまだ列に並んでいるのであろう先輩を大人しく待っているのが一番なのだとわかってはいた。
だが、ひとりで席に着いて待っているのは落ちつかず、また、すでに席についている生徒の隣で突っ立っているのも居心地が悪い。
そんなわけで彼女は、人でごった返している学食内をキョロキョロと先輩の姿を捜しながら歩き回り。
「あ、百合ちゃん。ここですよ、ここ」
と、当の自分よりも小柄な先輩に、逆に見つけられることとなってしまった。
「百合ちゃん、今日もお弁当持ち込みですか?」
そう問うてきた百合の先輩――
「はい。理乃先輩は……って、見ればすぐにわかりますね」
「そうですね。カロリーが高そうで、ちょっとだけ体重が心配になっちゃったりはしますが」
その言葉に、つい百合は理乃の全身をまじまじと見てしまう。
三年生とは思えないほど低い背に、ダイエットなんて必要ないと断言できる引き締まった
そして全体的には
といっても、大きさそのものは百合とそう大差ない。
だがやはり、背が低いとその分大きく感じられるものである。
そんな理乃の胸元を――ブラウスの上から締められている赤いネクタイが、ほんの少しだけ谷間に埋もれているのを見て、百合はなんとなく『ロリ巨乳』という言葉を頭に思い浮かべた。
「百合ちゃん? どうかしましたか?」
「え? あ、いえ、なにもっ」
「そうですか? なら、いいのですけれど。――では、とりあえず空いている席を探しましょうか」
言って黒いミニのプリーツスカートをひるがえし、少し茶色がかったツインテールを揺らしながら歩きだす神坂理乃。
『元気娘』の象徴であるはずのツインテールなのだが、この
いや、他の髪型にしているところが思い浮かばない、といったほうが正確なのかもしれないが。
遅れないよう、理乃の後ろについて歩いていく百合。
ほどなくして彼女たちは、空いている席を学食の端のほうに見つけた。
「では、いただきましょう」
「はい。では、いただきます」
向かい合って座り、弁当箱の
そうして、小さな一口で弁当をつついていると、いつものように「それにしても」と理乃のほうから話を振ってきた。
「最近はずいぶんと大人しくなってくれていますね、男子たちの視線」
「わたしは高校に入って二ヶ月くらい経った頃に『あまり見られなくなったなあ』って実感しましたよ? 中学の頃までは、なぜかすごく注目されてましたけど……」
「それだけ百合ちゃんに魅力がある、ということではないでしょうか」
それを言ったら、最近までは見られていたという理乃には、一体どれだけ魅力があるというのか。そんなことを思う百合。
それを理由に悪感情を抱くことはもちろんないが、やはり、同じ女性としてなんとなく負けた気にはなってしまう。
「それに、
ごく一部の発育が小学生の頃からよすぎるほどによかったという理乃は、その頃から男子の注目を集めていた。
そう彼女から聞かされて、程度の差はあれ自分もそうだったと理乃に親近感を抱いたのは、今年度の始めの頃だっただろうか。
もっとも、それが原因で軽度の男性恐怖症になってしまったとも言っていたから、この先輩は自分などとは比べものにならないほどの苦痛を味わってもきたのだろうけど。
これは健太にもいえることなのかもしれないが、とにかく男子というのは発育のいい女子の胸に興味を抱く生き物であるらしく、百合も中学時代にはその視線に多少なりとも不快感を覚えたものだった。
もちろん、いまは『そういうもの』と流せるようになってきているが。
(そうなれてなかったら、健太くんとも一緒に住むことはできなかったかもしれないなあ)
自分は『お姉さん』なのだから。
しょせんは子供のすることなのだから。
健太にいやらしい気持ちがあるわけではないのだから。
ことあるごとに自分にそう言い聞かせ、どうにか彼の行為に耐えてきた百合だが、『スキンシップ』という名の『自覚のないセクハラ行為』がこれからも続くようなら、さすがになにか手を打たなければいけないのかもしれない。
具体的な案はなにひとつ浮かんでいないが、とりあえず自分の部屋で寝させてあげるのはやめたほうがいいだろう。
もちろん、一緒にお風呂に入るなどというのは論外だ。
(そもそも一緒にお風呂に入るのは、あの一回だけって約束だし。それを言ったら、一緒に寝るのも本当はそうだったわけだけど。
ああ、でもお風呂で恥ずかしがってた健太くんは可愛かったなあ。それに、お風呂のときのほうが安全というか、楽しく過ごせてたというか……って、だめだめ! もう一回一緒にお風呂に入ってあげるなんて、それだけは絶対にだめ!)
確かに、一緒に布団に入ったときに比べれば健太はとても大人しかったし、身の危険もまったく感じなかったが、それはそれ、これはこれ、である。
と、そんなことを考えながら首を激しく横に振っていると、早くもハンバーグ定食を食べ終えた理乃が銀色の紙パックを取り出しているところが目に入った。
学食で売っているところは見たことがないから、百合の弁当のように理乃が自宅から持ってきたものなのだろう。
実際、こうして紙パックを取り出す姿を、百合は過去に何度か見てきていた。
「あの、理乃先輩。前から少し気になってたんですけど、それってなんなんですか? 背が伸びるように
真っ赤に塗られているストローを飲み口に差す理乃に、そう訊いてみる百合。
それに彼女の先輩は、少しだけ気まずそうな笑みを浮かべ、
「あ、これですか。これはですね……その、血なのですよ。特殊な製法で作られた、『血液パック』というものですね」
「け、血液パック……?」
予想もしていなかった返答に、百合は目を丸くしてしまう。
そんな彼女に、百合はストローに口をつけながら返してきた。
「はい。本当なら隠しておいたほうがいいのかもしれませんけど、百合ちゃんにですから言っちゃいますね。――実はわたし、吸血鬼なんですよ。あ、母は人間ですから、純血ではありませんけどね」
つまりは、混血。
ファンタジーもののマンガや小説によく出てくる『ダムピール』というやつだ。
だが、純血であれ混血であれ、百合の知る吸血鬼は、そのどれもが昼を
「あの、太陽とかは……?」
「もちろん浴びたら駄目ですよ。純血ならもちろんのこと、混血であっても致命傷になりますから」
ちゅーっと紙パックから血らしきものを飲みながら、涼しい表情でそう言う理乃。
それから彼女は、おそらく血を飲んでいることを悟られないためなのだろう、不自然なまでに真っ赤に塗られているストローから口を離し、少しだけ熱っぽい吐息を漏らしながら続けてきた。
「ただ、魔力なり霊力なりを用いて、常に身体を薄い膜――バリアで
もちろん、結界の
そのあたりの事情が誤解されて、『吸血鬼は夜にしか出歩けない』というイメージが出来上がったのだ、と理乃は語る。
「全力が出せない、というのは事実であるわけですからね。――あ、百合ちゃん。別に警戒することはありませんよ? 人間の吸血鬼に対する認識は、そのほとんどが間違っていますから」
認識が間違っている。
と、いうことは、
「じゃあ、流れる水の上を歩けないとか、炎で焼かれると死んじゃうとか、にんにくがだめとか、
「ん。プールや海にも普通に遊びに行きますし、にんにくも普通に食べますし、鏡にもちゃんと映りますよ。十字架も、それ単体では特に怖いものではありませんね。単に『十字』という形が霊力を込めやすい、というだけのことですので。
それに純血ならともかく、わたしは霊力も扱える混血なので、霊力による攻撃もそこまでは効きませんし」
「思ってた以上に弱点がないんですね、吸血鬼って」
「確かに世間一般では軽く見られちゃってますよね、吸血鬼は。弱点多すぎって。わたしから言わせてもらえば、炎にあぶられれば死んでしまうのは人間も同じですし、心臓に
「あ、確かに……」
「むしろ、
「じゃあ、人間の血を飲むというのも……あれ? でも先輩、いま血を飲んでますよね?」
百合の言葉に、理乃はもう一度気まずそうな、悪戯のバレた子供のような笑みを浮かべた。
「はい。吸血鬼には『吸血』の能力が備わっている。それに関しては事実なんです。といいましても、血を吸われた人間が吸血鬼になることはないのですけれどね。あと、『吸血衝動』と呼ばれているものも、現実には存在しません」
「じゃあ、どうして血を飲んで……?」
「もちろん、とても美味しいからですよ。身体能力や魔力が上がったり、わたしの場合は男性に対する恐怖心が少しだけ
あ、若さを保ったりとかはできないのですよ、血を飲んでも。実際、わたしの実年齢は十八歳ですしね」
つまり、飲みたいから飲んでいる、ということらしい。
フィクションの世界で描かれている吸血鬼像とはあまりにかけ離れすぎている理乃の姿に、百合はなんとなく呆けてしまう。
そんな彼女を前に、自称混血の吸血鬼は再びストローに口をつけ、その喉を一度だけ動かした。
「まあ、吸血鬼の寿命が長いのは本当ですし、二十代後半くらいで身体的な成長は止まってしまうというのも事実なのですけれどね。でも、この体型なら背が低くても『トランジスタグラマー』でとおりますから、身長に関しては、特に危機感は抱いていないですよ」
どうやら、百合が最初に口にした『それは豆乳か?』という問いかけに対する回答のようだった。
いや、危機感を抱くべきことは、もっと他にあるのではないだろうか。
弁当をつつきながら、そんなことを思う百合。
「あの、理乃先輩。いまの話、けっこう多くの人の耳に入っちゃったと思うんですけど。い、いいんですか? 重要な秘密とかじゃ、ないんですか?」
「ふふっ。お気遣いありがとうございますね、百合ちゃん。でも、特に問題はないのですよ。確かに秘密といえば秘密なのですが、でも普通の人は、『実はわたし、吸血鬼なんです』なんて言っても信じませんから。
信じる人は、最初から吸血鬼の存在を――もっと正確に言えば、わたしの存在を知っちゃっていますからね。ですから、そこまで警戒することもないのですよ」
確かに、百合にもいまだ半信半疑なところはあった。
面と向かって告白されている自分ですらそうなのだから、ちょっと立ち聞きした程度なら、マンガかなにかの話をしているだけだとでも思うのかもしれない。
と、複雑な気持ちでそんなことを考える百合の前で、彼女はまたもどこか色っぽい吐息を漏らした。
「ところで先輩。あの、それ……」
その吐息にどことなく気恥ずかしさを覚えた百合は、そう言葉少なに尋ねてみたのだが、理乃はそれを別の意味で取ったらしく、
「ん。本当はあと一週間ほど
禁血。
初めて聞く単語だが、おそらくは禁酒や禁煙の血液バージョンなのだろう。
「でもまあ、この件に関しましては、和樹くんの血が美味しすぎるのもいけないのだと思うのですよ」
さらっと責任転嫁する理乃。
『和樹くん』というのは、おそらくその血の所有者(?)のことなのだろうが、それにしたってこの責任の押しつけ方はどうだろう。
目をトロンとさせながら理乃は続ける。その表情は、なんというか、同性である百合から見ても、ちょっと間違いを犯してしまいそうになるくらいに
「和樹くんの血を最初に飲んだのは、
「さ、さあ……?」
気がつけば、理乃のテンションがおかしくなっていた。
「それが、『なにこれ、うっま!』って。『なにこれ、うっま!』って。――まあ、わたしも後日、和樹くんが怪我をして血を拭おうとしていたときに、『それを拭ってしまうだなんてとんでもないです! わたしに全部飲ませてください!』なんて言ってすがりついちゃったわけですけど。……我がことながら、はしたない限りです」
確かにそれは、はしたない。
なんというか、血ではない別の『なにか』を飲みたがっての言葉に聞こえてしまった。
「ちなみに、血の味に『
「しょ、処女……」
赤くなって、百合が思わず反射的に漏らしてしまった言葉に、理乃は「はい」とうなずいて、
「もちろん、処女膜を失ったことによる精神的な変化が味に表れることはありますけどね。でも、処女だから美味しい、処女じゃないから美味しくない、ということはないんです。
特に和樹くんの場合は男性ですから、処女もなにもって感じですしね」
「そ、そうですね……」
赤い顔のまま、消え入りそうな声で返す百合。
そんな彼女に、理乃はくすくすと笑いながら続ける。
「ああ、でも
「そ、そうですか……」
他に言いようもなく、百合はそんな相づちを打った。
理乃はそんな彼女の様子が目に入っているのかいないのか、
「それはそれとして、和樹くんから直接吸ったときに比べると、どうしても味は落ちちゃいますね。仕方のないことだとわかってはいるのですが……」
「やっぱり、直接吸ったほうが美味しいんですか?」
「はい、鮮度が違いますから。それにほら、直接吸うときには性的快感に似たものも得られますでしょう?」
同意を求められても、正直困る。
百合は『飲んでみたい』と思って血を口に含んだこともなければ、
「こうして血液パックから血を飲んでも、その快感は得られませんからね。ですから、やっぱり少しだけもの足りない気持ちになるのですよ。もちろん、直接吸ったときのことを思いだして、少しだけ『酔う』ことはできるのですけれどね」
「酔う、ですか? じゃあ吸血鬼にとっての血液って、アルコールみたいなものなんですか?」
「わたしはまだ飲酒をしたことがありませんので、正直、それに関してはなんとも言えないのですが……。でも、おそらくは別種の感覚だと思いますよ。少し息が荒くなって、軽い興奮状態になるわけですから」
つまり、先ほど言っていたとおり『性的快感を覚えているのに似た状態』になるらしい。
と、そう百合が納得したところで、隣から男性の声が割り込んできた。
「だが、そう頻繁に摂取するのは、あまりいいこととはいえないな。下手をすれば依存症になりかねない」
見れば百合の隣には、整った顔立ちをしている二十代前半の青年の姿がひとつ。
「理乃くん、和樹くんのことを『神坂家専用の血液タンク』と思っていないのならば、そういうことはほどほどにしておいたほうがいい。吸血行為も、血液パックをねだるのも、どちらもね」
灰色のスーツをラフに着こなしている彼の名は、
この高校に最近やってきたばかりの教師――否、
その仮にも『教師』として敬うべき相手に、理乃がニコリと口だけの笑みを向ける。
「あら。こんにちは、ですよ。浦和先生。心配していただかなくても大丈夫です。わたしは和樹くんのことを、そんな『道具』を見るような目では見ていませんから。――あなたとは違って」
明らかに
それに、なぜか百合の肌は粟立った。無関係の第三者として、ただ見ているだけなのにも関わらず。
だが、理乃のそれを正面から受けているはずの
「別に、私も彼のことを『道具』扱いしたことはないのだけどね」
「あら、そうでしたか?」
「……まあ、それはそれとして、だ。ひとつ、
確かに、和樹くんの血はきみの一族の味覚と相性がいいようだ。だが、彼もいつまでもいるというわけではない。『組織』の計画が次の段階に進んだとき、おそらく彼は――」
そこまで彼方が口にしたところで、理乃の瞳が細められた。
それはまるで、研ぎ澄まされた
「そこまでにされておいたほうがよろしいですよ? もし、これ以上さえずるというのでしたら……そうですね、別のところに場所を移して、その身を切り刻んで差し上げましょうか?」
「やれやれ、まったく怖いお嬢さんだ。それに、和樹くんの血を取り込んだせいで、少々気が大きくなってもいるらしい」
「それは、挑発と受け取っても?」
「いやいや、私は
「…………」
「だからまあ、今日のところはこれで
そこまで言って、「では、ね」と緊張の色も見せずに去っていく教生、彼方。
その後ろ姿を、しばし理乃は険しい表情で見送って。
ようやく彼女は、いつもどおりの柔らかな表情に戻って百合のほうを向いてくれた。
「すみません。空気を悪くしてしまいましたね」
「い、いえ……。あの、理乃先輩。浦和先生と、なにか……?」
その問いかけに、おそらくはわざとなのだろう、理乃は茶目っ気たっぷりに舌を出して答えてくれる。
「ん。彼には、ちょっとした
「じゃあ、『和樹くん』に関すること、ですか?」
「はい。そんなところです」
それから、少し気分を変えたくなったのだろう、彼女はまったく別の話題を振ってきた。
「話は変わりますが、百合ちゃん。昨日言っていた『健太くん』との仲は、あれからどうです? ちゃんと仲良くやれていますでしょうか?」
「え? あ、えっと……」
昨夜の布団の中でのことを思いだし、ほんの少しだけ口ごもってしまう百合。
「仲良く、やれていないのですか?」
「あ、いえ。仲良くは、やれていますよ。ただ、その……健太くんからのスキンシップが、ちょっと……度を越しているように、思えてしまって……」
「度を、ですか? 確か、一昨日の夜は一緒に寝てあげたのでしたよね? あ、もしかして昨日の夜も、ですか?」
「ええと……そうなんです。寂しいからって」
さて、どこまで話したものか、と百合は買っておいたミルクティーに口をつける。
彼と一緒にお風呂に入ったことは当然隠すとして、他には……。
(健太くんと一緒にお風呂に入ったことまで話すのは、いくら理乃先輩が相手でも恥ずかしいし……)
そんなわけで、百合は結局、『健太と一緒にお風呂に入るまで』のことを中心に話していくことにした。
「後ろから急に抱きついてきたりとか、あとは、その、胸元に顔を埋めてきて、えと……そこの匂いを嗅がれちゃったりとか、しちゃいまして……」
「あらあら」
「どこまでが普通で、どこからが度を越しているのかが、どうにも判断できないんですよね、わたしには……」
「健太くんは小学四年生、とのことですしね。寂しさから抱きついてくるのも、自然なことといえばそうなのかもしれませんし」
「そうなんですよね……」
そうつぶやいて、お風呂から出たあとのことも少しだけ話してみることにする百合。
「あとは……そうですね、お風呂から出たあとに、えと、ひざまくらをしてあげたんですけど……その、太もものところを……指でつつーって、されちゃいまして……」
「あら、それはそれは。なかなかにやんちゃさんなんですね、健太くんは」
やんちゃさん。
理乃にとっては、それで済ませてしまえる程度の行為らしかった。
「『引き離さないと』とかって、思いませんか? 理乃先輩が同じことをされたとして」
「そうですね……。ちょっとくすぐったいかもですけど、それくらいだったら『なんともないですよ』という顔でやりすごしてしまうと思います」
確かに、太ももに指を這わされただけなら、百合もそうしていたかもしれない。
だが現実には、直後に股間をまさぐられ。
そのあとの布団の中では、パジャマ越しにとはいえ、乳首まで弄くられたのだ。
(でも、そんなことは、さすがに恥ずかしくて言えないし……)
だったらせめて、と百合は顔から火が出る思いで問いかける。
「あの、じゃあ……えと、後ろから抱きついてきたときに、その……む、胸に手が当たっていたりとか、それどころか、あの、思いっきり揉まれちゃったりとかしたら、どうですか……?」
「揉まれちゃったりしたら、ですか。そうですね、場合によっては『めっ』くらいはするかもしれませんね。――ところで、百合ちゃん。そのときに、感じちゃったりとかはしちゃいましたか?」
「え? あ、いえっ……! そういうことは……ぜ、全然っ!」
嘘をついた。
だが、『はい、実はすごく気持ちよくなっちゃいまして』などと
そして、そんな百合の顔を見つめながら、理乃は全部飲み終わったらしい血液パックからストローを抜いて、
「そうですか。なら、ある程度は好きにさせてあげてもいいのかもしれませんね。健太くんだって、いやらしい気持ちで触ってきているわけではないのでしょうから」
「そ、そうですか……?」
「はい。それに相手はまだ十歳の子供ですからね。大抵のことは『子供のすること』で流してしまってもいいのではないかな、とも思います」
「それはつまり、異性としては意識しないほうがいい、ということですよね?」
百合の問いかけに、理乃はパックを畳みながら返してくる。
「そうですね。男の子だから、という見方は控えたほうが健全な関係を築いていけるのでは、と思います。
もっとも、わたしの姉あたりは『女を気持ちよくさせるテクニックを教え込んで、
「す、すごいお姉さんですね……」
あっけに取られてつぶやく百合に、理乃は少しだけ苦笑した。
「はい。ある意味においては、やっぱりわたしはあの姉の妹なのだなあ、と思っちゃったりもしますね」
確かに、平然と『処女』だの『性玩具』だのと口にする理乃は、その姉とやらと五十歩百歩だと言えなくもない。
「でも実際、快感を覚えるのは悪いことではありませんし、健太くんに触られても嫌悪感がないのなら、いっそ彼に気持ちよくしてもらっちゃうのも、ひとつの解決策ではあると思いますよ?」
「えっと……理乃先輩でも、そうします?」
「年下の男の子って、ちょっと強引で、でもすごく一生懸命で、とても可愛いものですからね。嫌悪感を覚えないようであれば、受け入れてしまうかもしれません。もっとも、わたしの場合、その相手は和樹くんのみに限られてしまうわけなのですが」
ある意味では、健太の行為も『強引』と呼べるだろうか。……呼べるかもしれない。
「もっとも和樹くんには、そんなふうに迫ってくる気配なんて、いまのところ微塵もないわけなのですけど。援助交際みたいな形でときどき会ってはいるのですが、ドキドキする空気になったことは、本当にたまにしかありませんし」
「え、援助交際!?」
思わず大きな声を出してしまう百合。
それを「百合ちゃん、抑えて抑えて」と理乃がたしなめる。
「援助交際みたいなもの、というだけですよ。彼に
「ああ、なんだ。そういう……」
紛らわしいことこの上なかった。
「それで、話を戻しますが。健太くんに胸を揉まれても、特に『気持ち悪い』とは思わないのですよね? 百合ちゃんは」
「え? そ、それは……」
言われて少し考えてみる。
(……あれ? そういえば、恥ずかしかったり、勝手に気持ちよさを覚えちゃう自分の身体の反応が少し怖かったり、健太くんにこんなことさせていいの? とか思ったりはしてたけど……。気持ち悪いとか、そういう気持ちは……)
まったくなかった。
その事実に、自身の心の動きに、百合は自分で驚いてしまう。
「思ったことない、ですね。『気持ち悪い』だなんて……」
「百合ちゃんったら、なんだか意外そうな表情をしていますね。――でも、それなら……うん、いいのではないでしょうか?」
「いいって、なにがですか?」
「いえ、ある程度までなら、健太くんのすることを受け入れてしまってもいいんじゃないかな、と思いまして」
「う、受け入れ……!?」
「もちろん、百合ちゃんに抵抗がなければ、の話ですよ? 一歳しか離れていないわたしと和樹くんの場合と違って、行き過ぎた行為には倫理や法律といった壁が立ち塞がりもしますしね。
もっとも、わたしなんかは、そういう価値観は特に障害にならないはずだと、どうしても思ってしまうのですけれど」
「そ、そうですか。でも、受け入れるというのは、恥ずかしくて、さすがに……。あ、でも、よく考えてみれば、そうですよね。いやらしい気持ちで触ってきてるわけじゃないんですから、多少のことは、許してあげても……」
「仮に、健太くんにいやらしい気持ちがあったとしても、多少はいいんじゃないかなとわたしは思いますよ? だって、健全な男の子なのですから」
「せ、先輩。さっき、異性としては見ないほうがいいって……」
「ふふっ。それでもやっぱり、健太くんが男の子だというのは事実ですからね。百合ちゃんが健太くんを男の子として意識しないこととはまた別、ですよ」
そういうものなのだろうか。
まあ、自分が健太の行為を言うほど嫌がっていないということに気づけたのは、きっといいことなのだろうけど。
(もちろん、だからって恥ずかしい気持ちが消えてなくなるわけじゃ、ないんだけどね……)
それでも、もう少しくらいなら、『スキンシップ』と呼ぶには過剰なその行為を受け入れてあげても――いや、許してあげてもいいのかもしれない。
『お姉さん』として。
『なんともないですよ』というふうに。
余裕をもって。
二歳年上の先輩のアドバイスを受け、そんなふうに考えを改める百合だった――。