「こんごー! 後始末はうーちゃん達でやるから、金剛は先に休んでいいぴょんね!」
「いいえ、何言ってるデス。ワタシも手伝いますよー!」
「金剛さん最近殆ど休みを取ってないじゃないですか。いいから、わたし達に任せてください」
「そーゆーことぴょん! ほらいったいったぴょん!」
「そ、そうデスヵ……。じゃ、じゃあ、お言葉に甘えマース!」
うらぶれたある冬の午後。
某”艦娘鎮守府”庁舎の一室から、艦娘・金剛はとぼとぼと出てきた。金剛達は妖精を駒にして今日の対深海棲艦戦の反省会をしていたのである。しかし、反省会が終わると残った雑事を取り上げられて、金剛は追いされてしまった。金剛は、色々と気を使われているのである。
(情けないデース……。ワタシ、自分がこんなに女々しいと思いませんでした)
金剛を打ちのめしているのは、”提督”が艦娘鎮守府のポストから離任するかもしれないということだった。提督は既に在任三年を優に超え、四年目が見えてきた。中堅士官として一つのポストに留まる期間を大きく超え、そもそも提督の経歴に艦娘鎮守府のポストは相応しくないものだった。だからまもなく提督がいなくなるのは、当然の成り行きである。
でも金剛にとって提督は、父であり兄であった。簡単に割り切れはしない。
「金剛! 提督が部屋に来いってー!」
「はーい! 今いきマース!」
ジワリと胸に淡い痛みが広がる。
提督に会えるのは、嬉しい。でも提督に目を覗き込まれると、胸が張り裂けそうになる。
金剛にとって提督は、父であり兄であり、思い人である。
しかし、提督には着任して二年目にできた恋人がいる。
だから金剛は、破れた恋をいまだひきずり続けていた。
「ハーイ! テートクの金剛が呼ばれて来ましたよー!」
「よお。悪いな、反省会中に呼び出して」
提督は立って書棚に書類を入れていた。
そら来たと金剛が足取り軽く駆け寄ると、提督は笑って金剛の頭を撫でた。
「今日も良い戦果だったな。今改めて、これまでのおまえの戦いを見直してたんだが、やはり一年ごとに目に見えて指揮が上手くなってる。二隊での両翼包囲はもうおまえの十八番だな」
「そんなあ、テートクうぇへへへっ、へぇへへへ……」
提督の掌が髪が乱れるのも構わず、金剛の頭をぐりぐりしていた。
以前の金剛なら提督の首に抱きついていただろう。だが、金剛はもうそういうのはやめていた。うずうずする脚をもじもじさせて、デスクに戻る提督の背中を見つめる。提督に撫でられたところの温かさ。その切なさに、金剛はじっと耐えていた。
”──モゾモゾしてないでさっさと抱きつきなさいよ!”
「ファッ?!」
辺りを見回す。部屋には、金剛と提督以外に誰も居ない。
でも誰かの声がはっきりと聞こえた。
「どうした、金剛」
「い、イエ、幻聴が聞こえたデース」
「出ずっぱだったからな。手短に話そう」
デスクに腰掛ける提督の前に、金剛は立った。俯き気味に書類をめくる提督の睫毛を金剛は見つめていた。
「第百回目の遠征団の話、話したっけか?」
「聞いてマース! 提督、百回記念に変わったことやるって言ってましたー!」
「そうだ。前から交渉してたんだが、やっとゴーサインが出た。練習艦隊の次の遠洋練習航海に、艦娘も護衛名目で随行できることになった」
「ほえー。遠洋練習航海って世界中に行くのデスよねー?」
「ああ。それでもう分かったかもしれないが、その練習航海に行く艦娘たちの旗艦役を、金剛にやってほしい」
「…………ん? えっ?! わ、ワタシ? ワタシが行くんですか?!」
「うん。この遠征のことを色々考えたが、俺は金剛に一番行って欲しい」
「え、ど、どゆことデスか? ワタシがイギリス生まれの艦娘だからデスか? それともワタシ、何か悪いことしましたか? もうそれほど要りませんか?」
「金剛。練習艦隊に艦娘が相乗りするというのは、とても大変なことだ。俺も経験したことのない類いの苦労を、生まれてせいぜい五年のおまえらがすることになるだろう。しかし、冷笑に負けない強い明るさを持つおまえに、どうか行って欲しい。おまえは、これからの艦娘を背負って立つ女の子だと思ってる。練習艦隊への相乗りは、今後の艦娘の将来を占う試金石になる。それを、おまえにやって欲しい」
金剛の心は千々切れそうになっていた。
提督が真摯に金剛を見つめている。提督の瞳を通して金剛を見つめる意志が心をとらえて離さなかった。提督の期待に応えたいと思うと同時に、噂通りならこの航海に行けば提督の退任に居合わせることはできないだろうことも分かった。
でも、そんなことより。
自分では抑えがたい性欲がお腹の底からわき上がってくるのだ。
最近の金剛はずっとそうだ。提督に会うとザワザワとした悪寒が爪先から昇ってきて、セックスのことしか考えられなくなる。提督と見つめ合っていると、机越しに抱きついてキスをしたくなってくる。好きだと言って無理にでも抱いて欲しくなる。泣いてお願いすれば提督は私を抱いてくれるだろうかと。提督に触って欲しい。提督にいじってほしい。ていとくにあいしてほしい。ああ、提督に抱いてもらえるなら、ワタシはどんなものを背負ったって──
「──ちょっと、考えさせてクダサイ……」
感情の奔流を打ち切るように、金剛はそれだけ言った。
それから提督といくつか話をしたが、金剛は上の空だった。
提督室を辞すると窓の外は暗くなっている。
金剛の気分もまたドン底だった。
提督が目の前に居るのにまた発情してしまった。
自己嫌悪で胸がいっぱいだった。
「あー! 金剛ねえさまー」
「はあー比叡なんデスか」
「これから大和たちと肝試し行くんですよー姉様もいきましょうよー」
真冬に肝試しとは。
そもそも人間にしてみれば艦娘も幽霊みたいなものデス、とシニックな考えが頭をよぎる。
「スイマセーン、ワタシちょっとテンション低いデース……」
「あー姉様働きづめでしたもんねー! 駆逐艦の子達心配してましたよー」
「ありがとデース。ワタシ、ご飯食べて寝マース」
「はーい、おやすみなさい………………あッ、姉様! 窓の外に幽霊がッ!」
「………………」
「ヒエッ」
走り去っていく比叡の背中。
「あーーそーだ、姉様! 曙の部屋の水替えておいてくれませんかーー! 今日替えようと思ったのにうっかりしてましたーー!」
「へーい」
駆け去る比叡を見送りつつ、金剛は向きを変えて歩き出した。
風でガタガタ鳴る立て付けの悪い窓枠、明かりの少ない洋風の廊下はそれなりに雰囲気がある。しかし提督に見つめられた一瞬がまだ頭に残っている金剛には遠いことだった。
曙の部屋の扉のノブは冷たい。
それでようやく金剛は少し目が覚めた。
「お邪魔するデスよー」
室内は廊下より一層暗かった。わずかな外の明かりが、カーテンの閉められることのない窓から入り込んでいる。
ベッド脇のサイドテーブルにベゴニアの水挿しがあった。それを、誰ともなく順番で回して水を替えている。誰が始めたのかは知らないが、もう三年もうまいこと回っている。
曙は、艦娘鎮守府ができて数ヶ月の頃、海に行って帰ってこなかった。提督が来てからいなくなった最初で最後の艦娘だ。鎮守府ができる前にいなくなった艦娘には帰る部屋すらない。だからこうしてみんなが時々部屋に来て曙のことを思い出すのは、とてもいいことなのだろう。
もう使われていないベッドに金剛は腰掛けた。
まだおなかの底が妙な熱さをもっている。
「……聞いてください、曙。いま提督に、海軍軍人の卵と海外に行けって言われマシタ。それはとっても大事なことで、ワタシに提督がすごく期待してくれてるのが分かりマス。艦娘を背負って立つなんて、恥ずかしい言葉で褒められマシタ。でも、ワタシは、テートクと話していると急にエッチなことを考え出す、どうしようもない艦娘なんデス」
わずかな外明かりが差し込む部屋の天井を、金剛は見上げた。
「この前ある人から言われたデス。提督は、本当は艦娘鎮守府”なんか”にいるような海軍軍人じゃない。クラスヘッドを抜群の功績で追い抜いて進級した、同期の顔なんだって。あいつには、中堅士官として積まなきゃならないキャリアが沢山あって……こんなところで四年も浪費するような軍人じゃない、なんのために甲種出たんだ、上層部はなんてむごい人事をするんだ、艦娘への人身御供かって…………。艦娘なんかに、あいつの軍人生命、とられちゃたまらん、冗談じゃないって…………」
心がきりきりと痛い。
提督は、いつだってそんな素振りを見せなかった。会ったときから艦娘と一人の人間として向き合ってくれた。
いつだって優しかった。
「ワタシ、提督のことが好きデス。好きなんです。なんとかして期待に応えたいです。でも、今のままのワタシじゃ応えられる自信、ないんデス……。曙、ワタシ、どうしたらいいですか」
金剛が言い終えると同時に、突如、ガシャンッ! と窓が叩かれる音がした。
驚いて振り向くが窓には何もない。ここは二階である。
「……あ、曙、怒ってるデスか? そうでしたネ。曙も褒められるといつも顔を赤くしてクソ提督クソ提督って言ってましたっけ。ふふっ。でも、ちょっとの愚痴を許してください。好きな人が他の艦娘のことが好きなんデス。好きな人が好きな艦娘もワタシは好きです。こんなに辛いことって、ないデスよ」
そう言いながら金剛は気を直して立ち上がる。
空っぽのカップに水挿しの古い水を捨てていき、とくとくと音をさせながら、
「あ、こぼしマシタ」
──ガシャンッッ! と窓が一層強く叩きつけられた。
今度は金剛も寝惚けてはいなかった。
「誰? 誰です?」
部屋の温度が、急激に下がっていく。
金剛の産毛が逆立ち、鳥肌が立つ。”敵”がいるときの艦娘の生理的な反応。殺して殺されてを生き抜いてきた艦娘の反応。
”室内にいる”
床板がキシシと鳴った。
金剛の頭は完全に切り替わっている。
「出てきなさい。艦娘鎮守府の、艦娘の部屋に無断で上がり込んで無事に帰れるとは思わないことです」
耳鳴りのする静寂が部屋に降りた。
金剛の重心が僅かずつ下がっていく。呼吸の回数が減っていく。
さっきまでの女の子らしさは欠片も残っていなかった。
「………………そんなにマジになられるとからかう気がなくなるんだけど」
背後から、その聞き覚えのある声はした。
振り返った金剛は息を呑んで固まっている。。
わずかに呆れを表情に滲ませた曙が、そこにはいたのだ。
「あ……あ、あっ、曙? 曙!? 曙なんデスか?」
「そうよ」
「うっ、嘘デス、曙、生きて……生きてたんデスね!!」
「……」
「う、うわあああ! よかったデエエエス! なんで、なんで今まで帰ってこなかったデスか! もっと早く帰ってきてくれれば、みんな悲しまずに済んだデース! バカです曙は! バカ曙!」
金剛が飛んだ。
が、次の瞬間には床に勢いよく叩きつけられていた。避けられたとかではない、空気の流れを全く感じさせない擦り抜けに金剛の背筋は冷たくなっていた。
「ゲホッ、ケホッ…………なんデス……曙、なにをしたんです」
曙は意に介した風もなく、金剛を見下ろしている。
初めて見る曙の無機質な瞳に、金剛は鳥肌を立たせていた。
「金剛。おしえてよ。それだけ好きでたまらないのに、どうして提督に好きって言わないの?」
「な、なにを」
「さっき呟いたの聞いてたよ。提督のこと本当に好きなんでしょ。ならなんで告白しないの、二番目でいいから愛してくれってどうして言わないの。たとえ二番目はダメでも、もしかしたら一晩だけなら情けを掛けてくれるかもしれない。迫れば抱いてくれるかもしれない。……そういうこと、今の金剛が考えないじゃないってわかるんだから」
金剛は混乱していた。
身体を擦り抜けてしまった異常な様子の曙。さらに自分の後ろ暗い本心に無遠慮に立ち入られ暴露された恥。
だが金剛にとって、今一番大事なのは曙のことだった。
様子のおかしい曙が、なぜだか金剛の本心を聞きたがっている。
それは何でもないことだ。
「……はい。考えないじゃないデス。外堀を埋めてどうしてもと迫ればイケるかもしれないなんて、考えたことありマス。でも提督はきっと悲しみます。きっとすごく悲しみながら、受け入れてくれたりするかもしれません。でも、分かるデショ。そんな風に慈悲を掛けてもらっても、全然嬉しくないデス。提督が悲しければワタシも悲しいです。それに、それに……もしワタシが提督の恋人で、他の艦娘がそんな風に迫ったと知ったしても、ワタシは何も聞かなかったことにするデショウ。あの子もきっとそうしマス。鬼畜生と言ってくれるのなら隙間風も吹くでしょうに。だから、艦娘は家族デス。家族は裏切れません。裏切りたくないデス。…………なんて、こんな風に頭の中で考えてばかりで、ワタシはゼンゼン行動に移せないのデスよ。アハハ、恥ずかしいですネ」
金剛は情けなさそうに笑った。
本心を語った金剛の顔が、一番悲しそうであったのだ。
曙の無機質な瞳がくるりと潤んで色を湛えた。
「ごめん、金剛。酷いこと言わせて」
「いいんです、そんなこと。それより曙はどうしたんデスか。ちゃんと、帰ってきたんですよね?」
「わたしは、わたしは……分からない」
「わからない?」
「気付いたら金剛の後ろに居たの。提督と話してる姿とかをずっと見てて、なんで好きって言わないのよってイライラしてて、それしか考えられなくて……。金剛が独り言言ってるのを見てたら、いつのまにか窓が叩けたりした。でも…………」
曙が手を伸ばす。金剛がその掌を掴もうとすると、擦り抜けてしまう。
金剛がさらに曙の肩や顔に手を伸ばしても同じ事だった。
少しの間、沈黙が降りた。
「……っていう、ジョーブツできない幽霊になっちゃったみたい、わたし」
ポツリと曙が呟く。
金剛は唐突に床板に正座した。
正座したまま、曙を見上げた。
「理由は分かりませんケド、もう一度曙と話せてよかったデス。ワタシ、曙と話したいことたくさんあるデス! きっと、神様がいい子に頑張ってる曙とワタシにプレゼントしてくれたデスよ! 曙は、そう思いませんか?」
にっこり金剛は笑った。
「わかんない。どうしてわたしこうしてるか、わかんないんだもの」
「じゃあ自由ってことデス! 自由なら楽しくやらなきゃ損デス!」
「そうかな……」
金剛が立ち上がって吠える。
「そうデス!! あっ、なんだかテンション、テンション上がってきましたよー! ウオーッ、あけぼの! まずみんなに会うデス! みんなに顔合わせて、酒なんデース! あけぼのと一緒に祝い酒呑むデエエエエス!」
「……なによ、バカ金剛」
立ち上がって気炎を吐く金剛を見ていた曙は、少しだけ口角を上げた。
それから金剛は曙と一緒に鎮守府を回ってたくさんのヒトに会った。けれども、誰一人曙の姿を見ることはできなかった。提督室には曙が嫌がって行かず。二人は次から次へとヒトに会っては空振りを喫した。
仕方なく部屋飲みをすることになった二人は、曙がいなくなってからの三年間をつまみに話に華を咲かせた。そうしてさんざんに馬鹿話をしたあと、酒が回ってきた金剛は泣いた。グデグデになって寝ながら曙の帰還を喜んで泣いた。「おかえりデース、曙……帰ってきてくれてワタシはうれしーデェス……」と寝言を言う金剛を曙はただ見ていた。曙は、眠る金剛のずれた毛布をかけ直してやることもできなかったのだ。
金剛愛用のガスランプがチロチロと燃えている。
そして金剛はもうすっかり寝込んでいた。
曙の瞳が、くるりと動く。
(ん~もう食べられないデェース……)
金剛はまどろみの中にいた。いつもの着物そのままに、だらしなくベッドに転がって惰眠を貪っていた。
金剛の部屋の扉が音を立てないように開かれ、生ぬるい風が入り込むと同時に閉まった。
床板がきしむ。
何かが、一歩ずつ歩むようにきしむ音は金剛に近づいていった。
金剛の意識は既にはっきりと覚醒していたが、目は開かなかった。入り込んだ風に匂いがしたのだ。嗅ぎ慣れたある人の匂いが。
(テートク……?)
その匂いを吸い込んだだけで、金剛の胸は甘酸っぱさで溢れた。
その足音が金剛に近寄るたびに、自分でも得体の知れない感情が背筋を駆け上った。金剛の震えは二の腕から来る。金剛はそっと自分の身体を抱いた。
足音が枕元で止まった。
その圧倒的な気配が金剛の顔に迫ってくる。
(テェトク、テートクなんですか……?)
その影は、期待と不安で震える金剛の身体を見て取った。温かい掌が二の腕に触れる。その感触は、まぎれもなく金剛の大好きな提督の掌だった。その手が、震える金剛の二の腕を優しくさすっていた。
そうしてその提督が、金剛の耳元で囁いた。
「来てやったぞ、金剛」
背筋をゾクゾクと快感が走った。
必死に寝たふりをしている金剛に、提督は優しく覆い被さった。金剛の露わな首元にそっと口づけされていく。提督は金剛の背中をさすりながら、首から鎖骨を舐め回していた。
金剛は息が荒くなるのをもう我慢できなかった。思わず手で口を押さえたが、提督は何も言わない。
上着をはだけさせられ露わになっていく金剛の肌を、提督の舌がなぞる。金剛の着物は乱れた。丸い乳房が顔を出し、舌がその肌を舐め回す。金剛の顔は、暗闇にまぎれて真っ赤になっていた。
提督の指が胸に伸びた。
「──待ってクダサイ。やっぱりダメ、ダメです」
いままで大人しくしていた金剛だったが、不安に跳ね起きた。両腕で自分の胸を隠しながら、悲しそうに言う。
「ワタシは仲間を裏切れません。あの子がすごく悲しみマス。提督だってそうデショウ。ワタシ、提督とあの子がとっても好き合ってるの、知ってマス。だから、今日このことはなかったことにいたしましょう。ネ……?」
金剛はおずおずと提督を見上げた。提督は、そんな金剛を意に介していなかった。提督は不安に駆られる艦娘を扱いなれているかのように、金剛の頬に触れる。
「なあ金剛。おまえが俺をどんな風に見ているのか、知っている」
「……」
「いつも切なそうな目をして俺を見るよな。そして時折、性欲を抑えきれないで疼いていることも知っている。眼の奥に抑えきれない劣情の炎を燃やして、俺に抱いて欲しいと、気付いて欲しいと訴えている」
「……それ以上、ワタシを侮辱しないでクダサイ。提督と言えども許しません」
「俺はおまえが好きだ、金剛」
金剛のおでこに、提督の頭が当たる。
「金剛の強い明るさが好きだ。おまえが他の艦娘をいつも気に掛けている姿が、好きだ。艦娘鎮守府のために身を粉にするおまえが可愛いんだ。俺達は同志なんだ。艦娘のために闘う、同志だ。本当に頼りにしている。だから俺は少しでもおまえの頑張りに報いてやりたいんだ」
「て、テートク……ッ。あ、あ……ありがとデス。でも、ワタシは、大丈夫、ですカラ……」
断った。金剛は、後ろ髪が引かれていることに気付かないふりをして、断った。
押し返す掌から提督の熱い気配が離れる。
身体に密着していた男の熱さが、離れていってしまう。
「済まなかった、金剛。無理矢理に……」
提督が乱れた金剛の着物を直していく。熱気が遠ざかり、提督の指だけが異常に熱い。ごつごつした関節が肌をなぞるたびに、金剛の芯がしびれる。しびれて、提督の指をつかんでワタシの肌に押しつけたくなる。もっと、その指で私をめちゃくちゃにしてほしい。ワタシを可愛がってほしい。ワタシのこの気持ち、鎮めてほしい……っ。
「じゃあ」
上着を直し終えた提督が立ち上がる。
が、中腰で止まった。
「…………あっ」
提督の服の裾を、金剛が掴んでいた。掴んでいる金剛自身が、自分がしたことに驚いている。そんなつもりはなかった。何も立ち上がった提督を引き留めるつもりはなかったのに。
そんな金剛の思いとは裏腹に、提督はベッドに座り直してしまった。その距離はまた一歩縮まって、金剛の後ろめたい心が歓喜に震えた。
「なあ、キスだけでもダメか、金剛? キスだけでも裏切ることになるかな?」
「あ、当たり前デース……! なに、何言ってるデスか、テートク……!」
「キスだけだよ。一瞬の夢みたいなものだ、金剛」
提督の唇は、別な生き物のように艶めかしい。
金剛は座ったままベッドを後ずさりする。
それでも提督の顔は迫ってきて、唇と唇の距離が縮まる。
壁に背中をぶつけた金剛は、身体をわななかせながら提督の唇から目を離せなかった。
「好きだ、金剛。おまえほど健気な女の子は他に居ない」
「……テートク、だめ…………おねがい…………」
「……」
「……………………んっ」
金剛は、拒めなかった。
最初は唇でついばむようなキスからだった。提督が金剛を膝の上に抱えて、気持ちを確かめ合うような唇同士のキスをした。先に気持ちを抑えられなくなったのは金剛だった。金剛は、提督にしな垂れかかってベッドに押し倒すと舌を入れた。合間に荒い息継ぎをしながら、金剛は貪るように提督の口を味わった。提督は、それを金剛の頭を撫でながら受け入れている。金剛はもう、止まらなかった。
それからはお互い組み伏せ合い、音を立ててキスをしあった。
提督に組み伏せられ、口内を侵されまくった金剛は幸せだった。唾液にまみれた顔に、うれし涙が伝っていった。
「好きだ、好きだぞ、金剛」
何十分キスだけをして組んず解れつ、どれだけベッドのシーツを汚したか。金剛の着物はその間に一枚一枚剥がされていき、もう裸にされていた。それでもキスだけで何度もしつこくお互いの気持ちを確かめ合った。抵抗できるはずもない。提督の厚い胸板が金剛の胸を溶かすのだ。
「ハァッ、ハァッ、テートクぅ、ていとくぅ!!」
「キスだけだぞ、金剛」
「はいっ、はい、ていとくっ!」
提督も裸になっていた。怒張した提督のそれが金剛のお腹をつついた。また、金剛の二の腕が震える。金剛は提督の鍛えられた背中に腕を回して強く抱きついた。少し引いた提督の口に吸い付いて、舌をすすった。
「テートクも、もっと強く……強く抱いてクダサイ!」
抱きしめ合って、密かに秘所を擦りつけ合う。
金剛の秘所はとっくに愛液で溢れていて、ベッドを濡らし、提督の身体を濡らしていた。
身体を絡み合わせて、金剛は腕にある提督の傷を舐めた。
「おまえに会えてよかった、金剛」
「ワタシも……ワタシも、提督がいなければ、ワタシは…………」
気持ちの通じ合った二人は、それまでと違う穏やかなキスで舌を絡めた。
金剛の潤んだ瞳が明かりに揺れて提督を見上げている。
「金剛、俺は、おまえが欲しい。おまえを無茶苦茶にしたい」
提督は、ベッドに横たわる金剛の頭の横に腕を突き立て、金剛を見下ろしていた。
「答えは言わなくていい。でも、もしおまえが俺と同じ気持ちなら、静かに脚を広げてくれ。おまえも、俺を欲しいと思ってくれるならば……」
金剛は目を瞑った。
それでも自分の顔を提督が凝視しているのがわかる。
金剛の心は、決まっていた。
両手を自分の膝裏に持って行き、股を開いた。それで提督の心が、喜びで溢れるのが分かる。提督の手が愛おしそうに金剛の髪を撫でた。
「愛してるよ、金剛」
提督にキスをされ、金剛は不安や後悔、期待と歓喜にまみれた両目を開いた。
「俺がみんな、受け止めてやるから」
「…………はい、提督」
それからの提督と金剛のセックスは激しかった。
提督がどれだけ激しく責め立てても、金剛は底なし沼のように提督を受け入れた。三年半の恋慕と抑圧が、提督に対する思いをねちっこくしていた。開けてはいけない気持ちが、開けられてしまった。
狭いシングルベッドを捨て、二人は床に倒れ込んでセックスに狂った。
金剛は正常位で何度イカされても満足しなかった。
「テイトクッ! ああまた、またっ、イキますぅっ、金剛イキそうデスッ!」
「我慢しろ、金剛!」
「だめなんデスッ、ていとくぅ、嬉しくて、気持ちよくて、ダメなんデスよぉッ」
「俺がイケそうになるまで我慢しろよ。命令だ」
「そんなっ! 提督、イカせてッ、イカせてくださいぃぃぃ……うぅぅッ」
金剛は本当に辛そうな顔で我慢した。
苦行のように歯を食いしばって我慢する姿に、提督が笑った。
金剛は思わず涙をこぼした。気が高ぶって、もう金剛にも何が何だかわからなかった。
「てい、とくっ…………」
「すまん。可愛かったんだ」
「ごめんナサイ……涙が、とまんないデス、提督」
「金剛。これから二人の時は、名前で呼べ。おまえが俺の名前を呼んでくれるときは、いつでも毎日毎日死ぬほど可愛がってやる。だから、もう泣くな」
「はいっ。──さん」
泣き止んだ金剛は、少し我慢できるようになった。
提督のゆっくりとしたストロークを感じ入るだけの余裕ができた。金剛が何度も提督の名前を呼んで笑う。提督はキスや頭を撫でて答えたり、提督の名前を呼ぶたびにきつくなる膣の様子を話しては二人で笑った。
最後は、提督が先に果てた。金剛は自分の身体の中に入って精液をはき出す肉棒を、不思議な余裕を持って感じていた。
「舐めろ、金剛」
ベッドの上に戻ると、提督は半勃ちのそれを金剛に舐めさせた。金剛がわざと音を立てて吸い付くと、すぐに元気に反り返った。
「ちゅぱっ…………おちんちん、すごく元気デス」
「金剛に舐められるとそうなる」
「テートク、じゃなくて──さんのおちんちんだったら、ずっと舐めていたいデス。まだ、中に出せマスよね? たくさんたくさん、中に出し欲しいデース」
提督の愚息を金剛は愛おしげにほおずりしてから舐めた。
その金剛の頭を、提督の掌が撫でる。
少し前まではこれだけで身体が疼いた。撫でられるたびに股が濡れてしまいそうな、興奮に似た異常な感覚があった。でも今は違う。撫でられるとすごく安心する。もう自分を突き動かす不安の衝動はどこにもない。提督とゆるゆるセックスだけして、ずっと過ごしていたい。
「ねえテートク、ワタシのおまんこ、寂しくなっちゃいました」
「今度は、おまえが上になれ」
「ハイ。────あ、ああぁっ、ふか、深い、深くまでっ、入っちゃいましたぁ」
「俺は金剛がここまで淫乱だったとは思ってなかった。いいのか、頭の中ピンク色の艦娘は、みんなへの裏切りじゃないのか」
「あんっ、あぅッ、そ、それは、言わないって、ていとく、言わないって、言ったじゃないデスかぁっ」
「言ったが……おまえは生来のド淫乱の艦娘だったのかもしれないと、思い直してるところさ」
「う、うそっ、ダメですかっ、ていとく、エッチなことを考える艦娘じゃ、ダメデスか?!」
金剛は上下運動をやめて、また涙をこぼす勢いで提督に迫った。
汗の雫が金剛の髪から落ちて提督の胸を伝っていった。
提督は何も言わず口を重ねた。金剛の腰に手を回して、乳房をねっとりと揉み回す。騒がしかった室内が、キスの音だけになった。
金剛がゆっくりと腰を円を描いて動かす。自分よりも提督に少しでも気持ちよくなって欲しくて、キスをしながら腰を動かした。
「捨てないでクダサイ。ワタシは、提督がいなかったら、本当に死んじゃいます」
「嘘だよ。好きな子はちょっと虐めてみたくなるんだ」
「ああ、提督。テイトク……」
金剛はその言葉に飽き足らず、提督に奉仕をする。提督をベッドに仰向けにして、積極的に腰を動かした。提督が気持ちよくなれるストロークを探して尻を何度も揺らめかせた。最後に提督はキスが一番好きだということを発見した。だから金剛は、胸を提督に押し当てて、キスをしながらお尻だけを上下させた。上下の速度を速めると、提督は一度身体を震わせた。
「……すごいな、金剛は。もう俺の好きなところ分かったんだな」
「あっ、うっ……提督、愛してます。だから、あうっ、す、捨てないでください。いつでもどこでも、アナタが好きなときに抱いてクダサイ。あの子といるときは、んっ、ワタシから目を離してくださっていいんデス。でも、気が向いたときでいいデスから、ワタシのこと、思い出してクダサイ……」
提督の腕が、不安げな金剛の頭を抱いた。
「約束してやる。おまえが淫乱な気分になったときは好きなだけ抱いてやるから、俺のところに来い。ああ、いや、時間と場所は、弁えてくれるとありがたいが」
金剛は返事の代わりに提督に深いキスをした。
舌を提督の口内に入れて、提督の舌を何度も何度も口で吸った。提督も金剛の尻を鷲掴みにして自分から腰を振った。すぐに腰砕けになった金剛は提督の胸板に身体を預ける。
「これからっ、たくさんっ、ワタシの中に、だしてっ、くださいね、ていとくっ」
「ああ。これからも毎日毎日出してやる。おまえが、気の済むまで」
「嬉しいデスっ、うれし、あっ、ま、まって、すぐいっちゃ、い、イッちゃ、イッちゃう……ぅう────ッ!」
激しく身体を震わせ、絶頂の喜びに身を任せる金剛。
同時に提督もその膣内に射精していた。
長い長い射精の律動が収まっても、陰茎をナカに入れたままキスをしあってイチャつけることに金剛は満足していた。
長い夜は一向に明けず、長い間乳繰りあい、うとうとするまで金剛と提督はお互いの身体を触りあいながら夜を過ごした。
──そして、眼が開いた。
金剛の視界には、いつもの朝の木漏れ日が差し込む部屋の天井が広がっている。
金剛は、ベッドに一人で寝ていた。
何かがおかしい。いや、すべてがおかしい。
呆然とした面持ちで金剛は自分の身体をまさぐる。着衣は乱れて居らず、他にも部屋の様々なものが酒を飲んで自分が健やかに寝た後だということを示していた。
「ウソ…………」
自分を失ったまま金剛は身体を起こした。枕元に立つ曙が能面のような顔で、金剛を見ていた。
「……ね、ねえ、曙、ワタシ、さっきまで……」
「提督と、セックスしてた?」
曙の表情はどこまでも能面だった。
金剛の心は冷や水を浴びせられたかのようだった。
「は…………は、い」
「それは、夢よ」
さっきまであったはずの温もりが、冷たくなっていた。
「ゆ、夢じゃなくて、ワタシ、いままで、提督と……………………」
「だから、セックスしてたんでしょ。提督がすごく優しく、金剛のこと受け入れてくれたんでしょ」
金剛の顔は、真っ白になっていた。
「それは、私が見せた夢よ。強引に金剛を奪ってくれる提督、金剛を愛してると言ってくれる提督。それはみんな、金剛がひとりで見ていた夢よ」
曙が何を言っているのか理解できなかった。
あれは金剛にとって現実以上の現実だったのだ。
金剛は飛び起きた。毛布とシーツを引っぺがし、さらには自分の着物も脱ぎ捨ててチェックした。だが、どこにも提督の痕跡はなかった。この部屋に男の匂いはまったくしない。起きたときに、分かっていたこと。
昨日は確かに、金剛は一人でベッドで寝たのだ。
それを理解すると、金剛は静かに泣いた。
肩をふるわせて、しばらく顔を上げられなかった。
嗚咽が朝の静寂な部屋に響いた。
「どうして……どうしてこんなことするデスカ! 何が楽しいデスカ! とても………………とても、惨めデス! 曙に分かりますか、この気持ちが! こんな、ヒトの気持ちを踏みつけにして、何が…………なにがっ」
提督の厚い胸板。抱いてくれた両腕の力強さ。ナカに出される喜悦。まだ本当の感覚として残っている。そして、愛を語ってしまった。受け入れてしまった。完全に裏切ってしまったのだ、何もかも。決意して破るまいとしていたことを。夢ではない、あれは金剛にとって間違いなく現実だった。
「うぅぅぅ……曙、曙。ひどいデスよあんまりデスよ…………曙…………」
金剛は泣く。
溜め込んでいたものを吐き出すように泣き続けた。
何十分も泣いた。
曙は、何も言わない。
そうして涙が涸れるころ、金剛の頭は少し冷静になっていた。
自分が見た夢の内容と、今も能面から一切表情を動かさない曙に思いを到らせることができた。心から曙のことが大好きなのであった。
金剛は赤くなってしまった目尻を押さえながら、全く動かない曙を見つめる。
「……ネエ、曙。あれは曙が見せたって言いましたよね」
「そうよ」
「幽霊は、他人に夢を見させられるデスカ」
「みたいね」
「幽霊は、他人の夢も自由にできるデスカ」
「かもね」
「じゃあ、あれは、本当は曙の夢だったんじゃないですカ?」
「……はあ? なんでそうなるわけ?」
「なんとなくそう思うデス。思い返してみると、提督は指輪もしていなかったし、今よりちょっと若かったデス。思うとあれは曙が居なくなる前の提督デシタ。ホラ、三年前天龍がふざけてたらテートクの腕を切ってしまったことがあったでしょう。大変な騒ぎになりましたけど、あれもありました。それに、強引な提督って、曙も好きデショウ。夢の中では、どれも不思議に思いませんでしたガ……」
曙の無表情は、金剛にとって逆に何かを訴えているように感じられた。
「それに、デジャヴもありました。提督が初めてワタシの部屋に夜這いに来たハズなのに、まるでそうなることを知っていたかのような既視感があったデス。毎日毎日セックスしてやると言われて、嬉しかったデスけど、初めて言われた気がしなかったのデス」
「夢の話なんだから。金剛がそう思うならそうなんでしょうね」
「…………曙。教えてクダサイ。ワタシには、意味もなく曙がワタシに酷いことするとは思えないデスよ。どうしてワタシにあんな夢を見せたですか。どうしてワタシの元に現れて、どうしてワタシだけにしか見えないデスか」
金剛の怒りに火がつき始めていた。
「幽霊と言っても生き霊ということもあります。本当のアナタは今何処に居るデスか。無事なのですか。何か酷いことをされているのですか。もしあの夢がワタシと同じようにアナタが見せられている夢ならば、一体誰があんなものをアナタに見せるのデスか」
曙はゆっくりと天を仰いだ。
彼女にとって鎮守府を離れてからの三年は間違いなく地獄だった。
上を見上げる曙の瞳に、意志はなかった。
「わかんない」
吐き捨てるように曙は言った。
「金剛が今いったこと、みんなわかんない。今自分がどうなってるのかもわかんない。でも、金剛が見ていたような夢をずっと見ていたのは、そう、本当よ。毎日毎日提督に迫られる夢を見てた。最初は拒むだけで消えちゃった。でも、提督はどんどん優しくなって、どれだけクソ提督とか酷いこと言ってもどんどん近づいてきて……一度キスを許しちゃったら、もう、わたしダメだった。毎日毎日、提督はわたしを特別扱いしてくれて、夜になったらわたしが拒んでも受け入れてくれて、気持ちよくしてくれた。それがどんどんエスカレートして、他の艦娘に見せつけたり、突かれながら首を絞められたりして、嫌なはずなのにすごく気持ちよかった。提督はわたしの気持ちいいところみんな知ってて、毎日毎日何度も何度も気が狂うほどイカせてくれて……。そう、それで、それで…………もうこの生活がずっと続けばいいと思うようになったのに、わたしはなぜか、今ここに、いる」
幽霊の曙の顔が、蒼白だった。
ガタガタと音を立てずに震えていた。
「なんでわたし、ここにいるのよ…………」
「ぶ、無事なんですか、曙」
「わかんないって言ってるでしょ!! ………………ああ、でも」
曙が自嘲的に笑った。
「多分死んでるよ。見て」
曙は服を脱いでいった。脱いだ服が音もなく床に落ちていく。曙は躊躇なく下着も脱いだ。全裸の曙が、朝日に照らされていた。
「これとこれとこれが砲撃の跡、ちょっとだけ治ってるのがわかるでしょ。破片はほとんど取れてる。で、あそこの傷は陵辱のあと。いつどんな風に陵辱されたのか、何も覚えてない。そしてこれがたぶん……致命傷」
曙の身体は傷というには生やさしい創傷にまみれていた。股間にはミミズが這ったような陵辱の跡。そして、曙の震える指が最後に指し示したのは、胸の大きな空洞だった。
「なんだかわかんないけど、傷口は綺麗だよね。歯形かな。最後はぱくっと食べられて死んじゃったのかもね。だから、わたしは生き霊じゃない。ただのジョーブツできなかった艦娘の幽霊。……笑っちゃうよね」
金剛が床に落ちた。
曙に近寄ろうとして脚に力が入らなかったのだ。
金剛は這って曙の足下ににじり寄った。
その眼が曙の傷のひとつひとつを見ていく。何かを確かめるように、舐めるように無遠慮に顔を近づけて見ていた。
金剛は少し離れると、顔を上げて曙を見た。
「曙。辛かったですね、よく頑張ったデス」
「……」
「曙の最期はずっとわかりませんでしたが、この傷は最期まで諦めず戦った艦娘の傷の付き方デス。よく頑張りました。艦娘の勲章です。だから、どうかそんな自分を貶める風に言わないでクダサイ」
「…………金剛。わたし、なんなんだろうね」
ポツリとつぶやいた曙は、燦々と太陽が輝く窓の外に目を向けた。
「眩しいなあ」
「曙。提督に会いに行きませんか。ワタシが通訳すれば曙も提督と話せマス。もしかしたらワタシの頭が変になったと思われるかもしれませんケド、提督ならきっと分かってくれマス。ネ?」
「やだ」
「なぜやだデス」
「…………万が一見えちゃったらやだもん。穴がいくつも開いてて、陵辱されても治らない身体なんて、提督に見られたら……やだ。……やだよ」
「あ、曙……」
とっさに金剛が謝ろうとするが、曙の頬に大粒の涙がとうとうと流れ始めた。
「なんでわたし幽霊みたいになってるの? それともこれも夢の続きなの? 死んでからも提督の夢を見られるならそれでいい。どうせ夢を見せるならずっと騙してくれれば良いのに。それならわたし大人しく沈んでるのにッ…………」
金剛は、何も言えなかった。
「ちゃんと騙してくれないなら、偽物の提督なんかいらない! そうよ! 本当は、本当の提督にクソじゃなくて好きって言ってみたかった! 振られたっていい、普通にからかってもらえて褒めてもらえるだけでよかった! 偽物に触られたってなんにも嬉しくない!!」
駄々っ子をこねるように曙が床を踏みならす。
けれど音もしなかった。
「ね、ねえ、こんごうも嫌だよね? あんな、エッチなことばかりされる夢を毎日毎日見させられられたら、嫌になるよね? わたしは、もうやだ。もし神様が何処かでわたしを幽霊にして見せている夢だっていうなら、どうか私をもう一度殺してください! もしこれが現実で、提督への未練が私を幽霊として彷徨わせているのなら────」
曙の言葉は、次に続かなかった。
情けを請うように曙は金剛の足下にすがりついた。触れもしないから、土下座のように曙は金剛にすがりついた。
「ねえ、ねえ、助けてよ、こんごぉ……。なんで死んじゃった後も、私だけこんななのよぉ~~~…………っ。ひどいよ、ひどいよぉっ」
幽霊の涙が朝日に照らされて床板の先に消えた。
「はーい、なーんですかーこの朝の忙しい時間にー」
ノックの音に比叡がドアを開ける。
「あ、お姉様! 朝ご飯、これから……一緒に…………」
言い掛けた比叡は、扉の前に立つ金剛の様子が尋常でないことを悟った。
目が据わっているのだ。
金剛はどんなときでも優しい眼をしている。いつだって相手のことを慮る。だから、何かとてもよくないことがあったのだ。
「比叡。今日アナタの隊ワタシに貸してください」
「……どうしたんです、お姉様! お姉様の言うこととあらば何でもお手伝いします。けれど、できればお馬鹿な比叡にも分かるように、説明してほしいです!」
「ネエ、比叡。毎日毎日ワタシのところに曙が来るデスヨ」
「曙? 曙が……お姉様のところに?」
「沈んだ曙がネ、毎日毎日ワタシに沈んだときの傷を見せに来るデス。ここは何にやられた、この傷で死んだ、この傷は敵に陵辱された跡だって。それに毎日毎日嫌な夢を見させられて辛いって泣くんデス。あの気丈だった曙がボロボロ泣くんデスよ。助けてあげなくちゃ、嘘だと思いませんか、比叡」
「おっ、おねえ、さま……」
比叡は絶句した。
金剛は正気ではない。眼が比叡を見据えていながら、比叡のことなど全く見ていない、狂気の眼だった。沈んだ曙の幻覚を見るほど追い詰められていたのかと思うが、でも毎日毎日と言ってもそんな様子は昨日までまるでなかったのだ。この唐突の変貌はおかしい。
「お姉様、なにか悪いものに当てられましたか」
「ハハ。ワタシが当たるのは比叡のカレーぐらいデースよ。…………それとも比叡、それはワタシの言うことが聞けないということですか?」
比叡を睨むその目付きは、まさしく戦場で金剛が敵を睨むのと同じだった。それは本当に、いままで敵以外に向けたことがない眼差しだった。
立つ鳥肌を押さえ込みつつ、比叡は覚悟を決めた。
最悪の時は、金剛と共に沈む覚悟だ。
「姉様。であれば、他に必要なものはございませんか」
「エエ。ワタシと比叡に加えてもう一隊、できれば二隊欲しいデス。目標は某半島沖の深海棲艦の”殲滅”デス。まず手始めに曙への手向けとして海を奴らの死体で埋めマス。通常の海上警備や間引きではありません。全周包囲でネズミも逃さない殲滅デス。飛行甲板付きはダメです。包囲が広がりすぎますからネ」
「……わかりました。では私からも一つお願いがあります。もう二隊連れて参りますから、今後一切の交渉は私に任せてください。姉様の気は高ぶっていますので、その様子で提督に話されても良しとされないでしょう。ですから、一切の折衝終えた後、あとはお姉様が指揮を執るだけの形でお渡ししたいのですが、いかがでしょうか」
金剛は疑い深く比叡を見ていた。
悲しみに歪みそうになる顔を比叡は殺した。何も悲しい事なんてないのだ。姉様の役に、たてるのだから。
「……いいでしょう。ただし、通常の進発時刻には間に合わせなさい。最悪、ワタシと比叡の隊で行きます。それと、ワタシは直ちに戦時艤装をつけますので、余計なことは考えないように」
「はい、お姉様」
金剛を自分の部屋に押し込めると、比叡は全力で走り出した。最初は、榛名と霧島。それから長門、最後に提督。落ち込んでる暇はない。金剛四姉妹への信頼が試されようとしているのだ。
曙は、金剛に連れられて海に出ていた。金剛は明るい様子だったが、率いられる他の艦娘達は一様に顔が硬かった。特に金剛の姉妹は決死の顔をしている。そのことを聞いても、金剛の答えはいまいち要領を得ない。
陽が高くなる前に目的の海域に着いた。曙が沈んだ海域だった。だが何の感慨もない。わたしの心も、とっくの昔に死んでしまっているのだろう。
作戦は順調に進んでいた。足の速い駆逐艦が作戦の肝だ。陽動、誘引、包囲。すべてが脚の速さに掛かっている。だが全周包囲は無茶だった。ここは海の上なのだ。古代の戦場のように密集隊形で踏ん張れはしない。
誘引された深海棲艦集団の圧力を正面から受ける二隊の損害はすさまじかったが、それでも支えきった。包囲の輪が閉じるまで耐えきったのだ。
「姉様! やりました!」
「ええ、あとは殲滅するだけデス」
比叡が硬い顔をして報告する。。
「しかし姉様。偵察が南方に敵水雷戦隊の増援を確認しました。予測されていた増援ですが、その到着までに包囲下の三割は討ち果たせます。それをもって引き上げ時です」
「……なに言ってますか。引き上げ時などありませんよ、比叡。あるとすれば眼前の敵を殺し尽くして母港にかえるときデス」
「姉様! 言いましたようにここで一つの敵集団を殲滅することに固執する意味はありません! 曙の弔いも生きてこそです! だって、深海棲艦は無限にわいてくるんです! そうでしょうお姉様!」
「曙がワタシ達の戦い見てるデス。見苦しい真似はよすですよ、比叡」
「本当に……曙が、曙が敵を殺せと、殺し尽くせと言ったのですか! そんなこと言うんですか!」
金剛が曙を見つめる。
比叡からすれば何もない空間に話しかける金剛は、何にも代えがたい恐怖だった。比叡の眼もまた、血走りかけていた。
「曙はもう十分頑張りました。だからそこで見てるデス。悪霊はみんな、ワタシが殺してあげますから」
肉眼でも南方増援集団が出す、飛沫の白煙が見え始めていた。
遠からず接敵する。
「比叡! ワタシがあれを食い止めます。包囲下の敵集団を殲滅後、反転してワタシと共に増援を叩きなさい」
「…………金剛お姉様ッ。お姉様は、死なれるおつもりなのですか。金剛四姉妹の長姉が、命をいらぬとおっしゃるのですか!!」
「いいえ、敵を殺しに行くのデス。敵を殺し尽くすまで、ワタシは死にませんヨ。ひえー」
金剛は笑った。その笑顔だけは、いつもの金剛の笑顔のように見えた。
比叡がその背中を引き留めようとするのも構わず、金剛は第一戦速で敵集団に突っ込んでいった。背中の頼もしさは、いつもの金剛と同じであった。
比叡が叫んだ。
「曙! 曙! 本当にいるのなら姉様を止めて! 私達の金剛姉様をどうか連れて行かないで! お願い、お願いっ、姉様は曙が毎日毎日枕元に立つって言ってたけど、曙はそんなことしないよね?! きっと何かの間違いなんだよ! 何かの間違いで、姉様はおかしくなっちゃったの!! だからお願い、曙がそこにいるのなら、どうか、お願いだから、姉様に間違いだと言ってよ……! 死んじゃうよ、姉様が! 今日生き延びたって、こんな戦い方してたらすぐに死んじゃうよ! あけぼの!」
曙は比叡の言葉を聞いてはいたが、言っていることが理解できない。
金剛と会ったのは昨日の話だし、確かに金剛はちょっと熱くなって無茶をしているが、そんな泣き取り乱して虚空に訴えるほどとも思えない。どうせ金剛もすぐに自分の非を悟って謝り倒すことになるのだ。
「ねえ比叡の言う通りすこし無茶よ、金剛。金剛の気持ちは嬉しいけど、比叡を泣かせたらだめでしょ。……というか比叡は何を言ってるの? 毎日枕元に立つってなに? わたしのこと、どんな伝え方したのよ」
「そのまま話したデスよ。毎日毎日曙がワタシのところに来るでしょう」
「は? 何言ってんの、バカ金剛。会ったの昨日でしょ」
「……曙こそなに言ってるデスか。昨日じゃないですよ。もう何週間も何ヶ月も何年も毎日毎日ワタシに泣いてすがるじゃありませんか。…………毎日毎日枕元に立って、あの夢を見させるじゃ、ありませんか………………まさか、忘れたとはいわせませんよ」
振り向く金剛。
曙は愕然とした。さっきまで明るい顔はそこにはなく、金剛の顔には暗い狂気の影が差していた。
「な、なんて顔してんのよ、金剛……」
「サアどんな顔をしてるのか自分では分かりませんデス」
喋ると金剛の目元の大きな隈が、いっそう陰る。
前に向き直した金剛は、まるで死に向かうために海を往くようだった。
そしてようやく曙は理解した。
自分こそが悪夢の媒介であり悪霊そのものなのだと。
また新たな艦娘を絶望の底へ招くために仮初めの体を与えられた、都合の悪いことは覚えていない、見えない悪霊なのだと。
金剛は起きても覚めない悪夢を見させられている。
わたしが、見せている。
提督が言ってた。
”一度目は自由でも、二度目は奴隷”だって。何の引用だったのかも思い出せないが、そう教えてくれた。
もう思い出せない海の底で、わたしは悪魔と契約をしてしまっていたのだ。
最期のあとまで、わたしはみんなに迷惑を掛けている。
提督。
金剛、ごめん……。
ごめんなさい。
「金剛! 聞いて!」
「何デスか、ワタシはこれからあの集団一人で相手にするデスよ。ちょっとはいたわってほしーデスね」
「……金剛、わたし、深海棲艦の手先だったよ」
「…………何言ってるデス」
「信じて。わたし、金剛のところに毎日毎日行ったりしてないんだよ。昨日の夜、初めて話しかけたの。苦しくて辛くて、助けてほしくて金剛に話しかけたの! 毎日を繰り返すような悪夢を見せるつもりなんてなかったんだよ! …………でも、未練で成仏できない幽霊が生きてるヒトに助けを求めて話しかけるって、悪霊がそのヒトに憑りつくってことなんだよね。そんなことも分からないバカな艦娘だから、わたしはきっとここまで来ちゃったんだ。金剛には本当にひどいことして……ごめん」
「謝らないでクダサイ! ワタシは、曙を助けたいデス。なんの手先であろうと、曙が帰ってきてくれてワタシ嬉しいんデス。だから、曙はそのままでいいんデスよ」
「……でも、自分が救われたいからって好きな友達に辛い思いをさせたら悲しいよ。そんな風に救われても嘘だよね。金剛が昨晩言ってたこと、本当にその通りだって思う。わたしのせいで、辛い思いさせて、ごめんね」
「……………………無念です。無念でしたでしょうに」
レシプロの爆音。二人の上空を艦戦が舞う。
その跡を追うように大量の艦載機が南の空を覆っていた。対空砲火の爆音の中、深海棲艦の増援集団に急降下しては爆弾を落としていく。潮吹雪が、本物の雪のように二人の間を舞った。
増援集団は躊躇なく反転していた。
深海棲艦は一定の頭数を失うと一斉に退却する、包囲殲滅する意義も手段も少ない存在だった。
「あーあ、行ってしまいマシタ。滅多にない追い込みでしたのに」
金剛は白けていた。
しかし、わたしがそばに居る限り、金剛はまた死のうとするだろう。
だが、もはやわたしが消えれば済む話ではない。
金剛にもまた、わたしのような悪霊が好む未練があったのだ。
──艦娘ってなんて厄介なんだろうね。
海の上を往くには人形は重すぎるよ。
陸に後ろ髪を引かれてしまうのなら、艦娘は髪は切らなくてはいけない。
「金剛、わたしの最後のお願い、聞いてくれる?」
「姉様! 本当にありました! 綾波型の偽装です!」
某岬の暗礁地帯に曙の偽装はあった。どれだけ探しても見つからなかったのに、確かに曙が示した地点に擱座していた。
曙は、自分の艤装の妖精を助けてほしいと金剛に頼んでいた。金剛が行こうとすると、ものすごい目をした姉妹たちもついていくと言い張って、その通りになった。今は、少し離れたところで金剛を見守っている。
曙の艤装は潮ざらしにもかかわらず、ピカピカだった。よく見れば妖精たちが艤装の上を走り回っている。
妖精たちは三年の間ずっと曙を待っていた。主が帰るのを確信して、ずっと艤装の整備をしていた。曙がいつ帰ってきてもまたすぐに海に出られるように。
「曙の妖精さんたち、ワタシです。金剛デス。ミナサンいままでおつとめご苦労様でした。三年間も見つけあげれなくてゴメンナサイ」
そう言いながらも、金剛にはわかってしまった。
妖精たちが見つけてもらえなかったこと、見つけてもらえたことをまるで意に介していないことを。
ただ自分たちの主が帰ってくるのを待ち続けているのだ。
「まず、みなさんにお伝えしなければならないのは、曙はもう沈んでしまった、死んでしまったと言うことです」
艤装の上にいる数人の妖精さん達の黒い目が、金剛を見つめている。
「それともう一つお伝えしなければならないのは、実はここに幽霊になった曙が来ていると言うことです。こんなことを言うと頭がおかしくなったと思われるのですが、本当のことなんです。ちょっとだけ付き合ってほしいデス。…………ほら曙、何を薄くなって隠れているですか。聞こえなくても、ちゃんと言うデス。そう決めたんでしょう」
「……うん」
姿を消して金剛にも見えなくなっていた曙が、金剛の背中から現れた。
「みんな、」
と言いかけるやいなや、艤装から妖精たちがあふれ出した。どこに潜んでいたのか、艤装の上に群がる妖精達は、鐘を打ち鳴らしスパナを振って曙にアピールしていた。
「あけぼのー! 妖精さんたちには見えるデスよー!」
曙はこみ上げてくるものを堪えて、言った。
「みんな、ずっと待たせてごめん。待っていてくれてありがとう。みんなが待ってくれているのずっと見てたよ。でも……ごめん。わたし、だめだっだよ。ずっと信じて待っててくれたのにダメだった。………………ごめん」
黙って曙の話を聞いてた妖精達は、曙が俯くとまた騒ぎ出した。今度は艤装の中に戻っていき、金属音を響かせながら何かを引っ張り出そうとしている。作業にあぶれた妖精達は、無邪気に曙の足下で主の帰還を祝っていた。
悔しかった。
情けなかった。
妖精たちが健気であるほど辛かった。
「ごめんね、みんな…………っ」
妖精たちが喝采を挙げる。引っ張り出したのは、提督にもらった艦娘の銀のリングだった。鎖に通してネックレスにしてある。曙が肌身離さなかったリングだった。
リングを曙に掲げる妖精達は、誇らしげだった。
みんな誇らしげに曙を見上げていた。
「胸を張ってください、曙。妖精さん達はほんとうにあなたのことを、誇りにしてるのですから……」
「ありがとう、みんな。わたし、ちゃんとやりきるから……。ずっと、みんなのこと見てるからね……」
鎮守府の波止場では提督が待っていた。
曙の艤装の曳航は他の艦娘に任せて、金剛は提督に会った。
「テートク、ごめんなさい」
提督の平手が金剛の頬を打った。それからその両腕が、金剛の身体を抱いた。
「よく戻った、金剛」
「……ハイ。心配お掛けしマシタ」
「なんてことはない。しかし、みんなには礼を言っておけ」
「ハイ」
提督の腕の中の金剛が、身体をもぞつかせる。
「あの、テートク……。聞いてるかもしれないデスけど、ワタシのところに曙がいるデス。だから……」
「わかっている。だけど、おまえが先だ」
久しぶりに触る提督の身体は夢で見たままと同じだった。
金剛の胸に去来するのは、初めて提督に出会ってからの日々だった。ワタシはこの人の背中を追いかけ続けてきた。憧れが恋心へとかわり、いつしか淫欲になっていた。ワタシもまた、この気持ちに決着をつけなくてはいけない。
「言いたいことは全部言っとけ」
この人もまた、遠からず艦娘鎮守府を離れる。
父のような、兄のような、ワタシの大好きなこの人が手の届く場所からいなくなる。
ワタシはただの、一艦娘にすぎない。
「て、テイトク……わ、ワタシ、ワタシ……」
軍服を掴む自分の手が震えている。
でも、終わるのだ。
終わってしまう。
言うのだ。
「……テートクのことがずっと好きでした。ずっとずっと好きでした。ワタシは提督に期待してもらって、気に掛けてもらって、叱ってもらえて、ここまで大きくなれました。本当にありがとうございました。でも、それでも、ワタシ……提督のことが、男性として好きです」
「……ありがとう。俺も、金剛のことが、一人の艦娘として大好きだ」
そうして終わった。
金剛は、最後の抱擁を泣いて過ごしたことを後悔しないだろう。
「テートク、ワタシ、遠洋練習航海に行きます。行って、艦娘を超える大きな艦娘になります」
「ああ。おまえならなれる。一番近くで見てきた俺が言うんだから、それはもう間違いない」
提督と一人の艦娘の抱擁は、それで終わった。
「こっ、このクソ提督!」
天からチェーンのついたリングが提督の足下に落ちた。
「そうやって何人も艦娘のこと泣かして! 自分は艦娘の気持ち分かってるみたいな顔して! 自分だけ好きな女の子と仲良く過ごそうなんて虫がいいわよ!」
リングを拾い上げた提督が、対峙する曙を見て固まっていた。
「それは返すわ! 女たらしのクソ提督! せいぜい熊野と仲良くやりなさいよ! それとわたしの妖精さん達、ちゃんとしなかったら本当に化けて呪ってやるんだから! あと、わたしの部屋ももう他の子に使わせるようにしなさいよ、部屋足りないの知ってるんだから! それとそれと、わたしみたいなのがこんな風に使われるのはヤツらが焦ってるって証拠なんだからね、これからも絶対に誰一人死なせたらダメなんだからね。ちゃんと真面目に幽霊対策するのよクソ提督! 一番の対策はクソ提督が艦娘をたぶらかさないことだと思うけど! わかった?!」
提督は黙って横を向いた。
何かをこらえるように襟を正した。
「ああ。絶対にそうしよう」
「うそよ! クソ提督が艦娘たぶらかさないなんて無理だもの。あんたにその気がないことなんて、みんな、知ってるんだから……。そうよ、わたしだって、わたしだって、好きだったわ。好きだったわよ、クソ提督! せーぜい幸せになりなさい! 一生懸命努力して幸せにならなかったら、わたしが呪って地獄に落とすわ! 覚えておきなさい、バカ!」
言うだけ言って、曙は足下から姿を消していく。
背中を向ける曙はすべてを吹っ切っていた。
それでも提督は、
「曙。よく、帰ってきてくれた。おかえり」
曙の表情は、金剛には見えなかった。
それから数日後、艦娘鎮守府で初めての葬送式が行われた。鎮守府ができる以前に沈んだ艦娘も含めた異例の葬送式だった。
葬送式の晩、金剛は着物の上に分厚いコートを羽織って、曙と二人、凍てつくような寒さの夜の波止場で語り明かした。海岸線にはオレンジ色の明かりが灯り、海面には月が浮かんでいる。
「へぶしっ!」
「金剛のクシャミ、提督にそっくり」
「へへ。照れるデスね……」
「……こら。全然吹っ切れてないじゃないのあんた」
「いいんデス! 提督がワタシ達のことを艦娘として想ってくれるなら、ワタシはどの海にいても戦いつづけられます!」
「ほ、本当に大丈夫でしょうね。なんか心配になってきたわ」
「仮に悪霊になったらそのときはよろしくお願いしマス、センパイ! そしたらまず二人で提督の元に化けてやろうデース!」
「いいわね! それに熊野もちびらせてやりましょ!」
「オーッ! って止めてクダサイ! 洒落になってないデース!」
「アハハ。なしよ、なしなし」
二人はいつまでも喋り続けた。
そして向こうの山の稜線が赤く染まり始めたころ、曙は消えていた。
憑きものと一緒に自分の大切なもの二つが同時になくなっていく感覚。
金剛は赤紫に染まる海をいつまでも眺めていた。