一途な彼女がどうなるか実験 作:実験
夕方のホームルームが終わると、クラスメイトらのほとんどは教室から出ていく。
明日は休日だからか、皆どことなく足取りが軽いように思われた。
友人からカラオケに誘われたが、俺は丁重に断った。莉緒から放課後に教室で待機するよう言われていたからだ。
心持ち広くなったように感じる教室の中で、いつものとおり莉緒が俺の前の席までやってきて後ろ向きに座ると、
「今日、私の家に来ない?」
莉緒が俺にそう言った。
また伸ばそうか迷っているのだと言っていた彼女の黒髪が、窓から吹く風に揺れた。
「いいけど、ゴムは切らしているぞ」
俺がわざと周りにまだ残っているクラスメイトに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で応えると、彼女はびくんと肩を震わせて、
「ちょっと……! 誰かに聞かれたらどうするの?」
と顔を赤らめて小声で言う。相変わらず分かりやすい奴だ。
「そうじゃなくて、デートしよ」
まるで秘め事のように囁く彼女は官能的だ。
無意識の内にも溢れ出るフェロモンのせいで、彼女に脳を焼かれる異性や同性は多くいる。
だがそれはそれとして、
「デート?」
俺は語尾を上げた。
デートするのに、わざわざ彼女の家に寄る理由が分からなかった。
「実は~、今日からうちの両親、旅行に出かけていていないんだよね」
莉緒は両腕を広げて謎のジェスチャーを俺に送る。
「──だからお泊りデート、しよ」
◆
莉緒の家に行ったことはこれまでも何度かあったが、基本的に俺たち(特に莉緒の方だが)は性に奔放なところがあるため、落ち合うとすれば外資系に勤めておりほとんど両親が家に帰らない俺の自宅か、もしくは年齢確認がザルなホテルだと相場が決まっていた。
だから彼女の自宅に向かうのは、今でも少しだけ緊張する。
彼女はこのあたりでは比較的規模の大きい住宅街に並ぶ一軒家に住んでいた。
道中ではスタバの新作フラペチーノはイチゴ味と抹茶味のどちらが美味しかったかということについて熱烈な議論を交わした。
丘をひたすら上がっていくことになるため、彼女の帰路はちょっとした登山の趣がある。
家に辿り着き、莉緒は鼻歌を歌いながら鍵を挿し込みドアを開けると、「おひとり様ご来店~」と言った。
彼女には定番の文句だ。
「今日はすぐに襲ってこないんですか? 店員さん」
「もう!」とまた頬を赤らめて怒る彼女は、しかし不快に思うわけではなく、俺との会話を楽しんでいるようだった。
「こういうのは緩急が大事でしてね、お客様」とよく分からない言い訳をし、ローファーを蹴り上げる莉緒。
そしてリビングに繋がる廊下の途中で、彼女の部屋が、半開きのドアの奥に見えた。
あの部屋で、莉緒は蓮に──それは蓮を騙った俺でもあるのだが──下着や肌身だけじゃなく、オナニーを見せつける羽目に陥った。
あのときの莉緒の、尊厳を失ったイキ顔と喘ぎを俺は思い出す。
録画も録音も許されない状況下にあって、俺にできたのはその光景を、自らの網膜に覚えさせることだけだった。
まるで印画紙にネガの像を焼き付けるみたいにして。
あの姿を、彼氏である俺のためではなく、蓮に捧げざるを得なかったあのシチュエーションこそが、俺を快楽の絶頂に突き上げている。
この道楽の脚本家は他ならぬ俺であり、つまり俺はあのシチュエーションをコントロールしていて、蓮や莉緒といった『役者』たちのこともまたコントロールしていた。
莉緒に俺を裏切らせた、という支配感と喪失感の併存は、他のなにものにも代え難いカタルシスを生み出す。
願わくばもう一度、いや何度だって、俺は彼女の乱れた様を見たかった。
だがそれは簡単なことではなかった。一人二役で自作自演する困難もさることながら、何かの拍子で莉緒の心が勾配を駆け落ちていき、いつか本当に蓮の掌に入り込んでしまうかも知れないという想像が、実行に心理的な抵抗感を生んでいた。
自業自得という指摘は承服する。自分で招いたリスクであるのは無論分かっている。
それでも俺は、莉緒を愛していた。
たとえそれが、別の誰かからは滑稽な矛盾だとしか見えなかったとしても。
「どったの?」
莉緒が心配そうに俺の顔を覗き込む。俺は慌てて意識を現実に引き戻すと、
「なんでもない」と莉緒の頬にキスをした。
緊張を悟らせないための小賢しい一手だったが、心配するまでもなく彼女には効果覿面だったようで、ふにゃりとした顔で「えへへ」と照れくさそうに笑った。
お泊りデートとはいっても、夜になるまでは特別何かをするわけでもなかった。
いつも家に遊びにくるときはそうするように、俺は莉緒に宿題の内容を教え、それからゲームをした。
一人プレイ用のホラーゲームが莉緒の家には揃っているが、莉緒自身は怖がりで、まず一人ではプレイしない。
俺がプレイしているのを、肩越しから見ているのが楽しいらしい。
「ぎゃっ!」と叫び声を上げる莉緒。
「そこの物陰にほら、いるって! 早く撃って!」
「弾は節約しないと」
俺はナイフでゾンビを仕留めつつ言う。
「あと暑いからちょっと離れて」
莉緒は何度か、俺の太ももや二の腕に手を当てた。
無意識の中での行動のようだったが、まるで俺がどこかへ行ってしまわないよう、あるいはそうすることで、自分を安心させようとしているかのようだった。
夕食はピザを頼んだ。
莉緒はハラペーニョにパクつきながら、ホラーゲームの恐怖度が年々増加の傾向にあることへの警鐘を鳴らしていた。
俺はペプシを片手に、その主張に耳を傾けていた。
一方で頭の片隅では、このあと俺と莉緒はどうするんだろうかと俺は思っている。
風呂に入り、彼女のパジャマを借りて、それからは。
たぶん、セックスするんだろう。
ゴムは買い足したし、莉緒はどんな姿でやってくるだろう。
めちゃくちゃになる前の秩序が、雷が落ちる前の土の匂いのように、俺を非現実へと誘ってくれていた。
「お風呂、一緒に入る?」
とどこか艶めかしい目で小首を傾げる莉緒に、
「もちろん」
と俺は応えている。
甘美は曲線に宿る。具体的にはおっぱいとあそこに。泡と水が滑り落ち、排水口に流れていく。
「もうここでやっちゃいたいんだけど」
と、せっかちな俺は、全裸でずぶ濡れの莉緒の腰を抱えながらせがむ。
「お客様、困りますわ」
と下唇に人差し指を当て、莉緒はシャワーを切った。
◆
ドライヤーを拝借して髪を乾かしたあと、俺はリビングのソファに腰かける。
行ったことはないが、風俗嬢を待つときはこんな気持ちなんだろうかと下らないことを考える。
莉緒は色々とセットアップがあるのだそうで、まだ浴室かそこに隣接した洗面所にいた。
そこで俺のスマホが振動する。
俺抜きでカラオケに行った友人たちの冷やかしかと思い通知内容を見た俺は、送り主とその内容に肝を掴まれた気分になった。
『莉緒 元気?』
それはクラスメイト──蓮から送られた、「莉緒宛」のDMだった。
『またお願いがあるんだけどさ』
◆
白濁した欲望にまみれる莉緒。
カメラの前に立ち、ポーズをとったからには、「商品」として断ち切られることに合意したのだという暗黙の決まりがあるだろうか。
インステグラムを起動し、莉緒の偽アカウントにログインする。
莉緒がいる洗面所からドライヤーの音が聞こえた。
蓮からのDM──理性は、無視してスマホの電源を切れと俺に忠告する。
だがその抑止に反し、俺は心臓を吐き出したくなるほどの緊張に襲われながらも文面を打った。
俺(偽莉緒):『元気だよ。どした?』
蓮:『また下着の写真送ってくんね?笑』
もはや、過程すらもすっ飛ばした直球の要求に、俺は吐き気を催す。
だがどこかで、『流石だ』と称賛したくなる自分も存在していた。
俺(偽莉緒):『やだ。もうこの前で懲りたの』
蓮:『この前って、教室の中で散々ヤったこと? そう言いつつ、何回もしてるじゃん、俺たち』
…………何回も?
肋骨が砕けるんじゃないかと思うほど心臓が強く鼓動する。
教室での情事だって、俺が裏でピルの情報をリークして誘導し、引き起こしたものだ。
だが、それ以外でも、俺の与り知らぬ場所で蓮と莉緒は逢っている?
俺の監視の目が届かないところで、勝手に情事まで──。
俺(偽莉緒):『うん』
そう返事を打つので精いっぱいだった。ソファーに向けてスマホを放り出す。
どれくらい逢っている?
どんな理由で逢っている?
どの程度まで親密になっている?
蓮との今現在の関係について、莉緒に問い質したくなる衝動に俺は襲われた。
もしかして、本当に身体だけじゃなく心も奪われてしまったのではないかという不安が頭を支配した。
だが不用意に質問すれば、そもそもの黒幕が俺自身であることが露呈してしまう。
蓮が返信を催促しているのか、ソファーの上のスマホが何度も振動した。
あり得もしない打算をし続ける俺の脳に反し、身体が支配していたのは興奮だった。
蓮の悪辣な手にかかる莉緒を想像するだけで、股間が怒張する。
彼女のエロすぎる肉感が、愛情ゆえではなく、精子を外界に排出するための商品として消費されている事実が堪らなかった。
洗面所のドライヤーの音がやむ。
長くなるはずの夜に向けて、化粧をし直しているのだろう。
スマホを再び手に取る。案の定、蓮からのDMが通知欄を埋め尽くしていた。
蓮:『あのときは悪かったよ。俺も我を失っててさ』
蓮:『でも忘れられないんだ。莉緒のエロい体じゃないと満足できなくなったっていうか』
蓮:『それってお前のせいでもあるだろ? だから協力してほしいんだよ』
いっそう清々しいほど低能で自己中心的な文章だったが、経緯を推察するに、どうも相互了解のもとに行われた情事とは言い難かったらしい。
一分近くに及ぶ懊悩の果て、アカウントを『偽蓮』に切り替えて、莉緒のアカウントにほぼ似たような内容でDMを送る。
この作業は些細なミスが命取りになる。
まるで墜落の危機に瀕している飛行機の対応を請け負った、管制塔の交換手になったような気分だった。
あまり間を置かず既読がついて、俺は歓喜に跳ねそうになる。
あの洗面所の扉の奥で、今まさに莉緒が、蓮からの下種なDMを読んでいる。
やがて莉緒から返信があった。
莉緒:『協力? バカじゃないの? あんなことしておいて本当に許してもらえると思ってるの?』
この内容は正直、痛快でもあった。
莉緒はやはり、蓮に心まで掌握されたというわけではないということになる。
俺はほっと胸を撫でおろした。
再びアカウントを切り替えて、『偽莉緒』から蓮に引用した内容を返す。
莉緒の苛立ちが、DMを打つこの俺に憑依するようだった。
蓮:『だから悪かったって謝ってんじゃん』
蓮:『てかこの前口で飲んでくれてマジで興奮したわ。悠真に教えてやろうかな笑』
こいつ……。
もし返信している相手が他ならぬ俺だったと知ったときの、蓮の反応が見てみたくもある。
だがそれ以上に関心があったのは、こいつのあの巨大なペニスを、どうやって莉緒が咥えたかということだった。
何度もえずき、その度にやり直しを命じられたのかと思うと愉しい。
莉緒:『は!? なんで悠真に!? そんなことしたら殺すから!』
蓮:『冗談だから 怒りすぎ』
莉緒が椅子か何かを蹴っ飛ばす音が洗面所から響き、俺は思わず肩を震わした。
莉緒:『いま悠真と一緒にいるの』
蓮:『知ってる』
蓮:『彼氏を家に誘ってただろ。ホームルームのあと、俺も莉緒に声をかけようと思ってたから』
蓮:『コンビニでコンドーム買ってるのも見た。そろそろヤり出すんじゃないかって思って連絡した笑 彼氏のすぐそばでエロい自撮り姿を俺に送るなんて、コーフンしない?』
莉緒と一緒に帰っている道すがら、蓮の下品な視線が俺たちに注がれていたと思うとぞっとする。
蓮は、俺が莉緒の家に泊まることを察し、このタイミングを見計らってDMを送ってきたということになるだろう。
実際、ちょっと怖いくらいドンピシャなタイミングだ。
『1回表示』の画像がアップロードされる。
モナ・リザの絵画を運ぶことになったとしても、こんなに手汗は出ないだろう。
写真には鏡面越しの莉緒の下着姿が写っていた。
精緻な模様のレースをあしらった上下揃いの薄いピンク色の下着。
彼女の肌にそれが重なることで、不思議なくらいに華やかに映った。この日のために、彼女がセレクトしたのだろうか。
絶妙な塩梅を狙って、お店で散々迷う莉緒の姿が頭に浮かんだ。
それをあろうことか、彼氏でもないクラスメイトにお披露目にしなくてはならない莉緒が哀れだった。
莉緒:『これでいい?』
ポップアップされた莉緒のメッセージに、
偽蓮:『はい』
俺は思わず敬語で返信し、これは蓮自身の返信ではないことに遅れて気がつき蒼白するが、蓮からも『はい』という返信が届く。
少し仲良くなれそうな気がした。
蓮:『莉緒、やっぱすげえよ。AVに出てくる女優よりも全然好き』
莉緒:『うれしくない』
蓮:『悠真とセックスするんでしょ? うらやましい』
莉緒:『もう連絡してこないで』
そう返す莉緒の文章からは、殺意と辟易の両方が滲む。
並大抵の男なら、ここで大人しく引き返すだろう。
でもそこで『もうひと声』をかけるのが、蓮という男の人間性だった。
蓮:『せっかくだから裸も見たい』
蓮:『どうせこれから脱ぐんだから、そのついででいいだろ?』
莉緒:『絶対に駄目』
蓮:『なんで?』
莉緒:『いやだから』
蓮:『お願い!また全裸でオナニーしてほしい』
蓮:『もししてくれたら、今後は莉緒と悠真に近づかないって誓うから』
蓮:『ダメなら悠真に俺たちの関係をカミングアウトする。だってフェアじゃないから。俺にだってそれくらいの権利はある』
滅茶苦茶な道理で押し切ろうとする蓮に、俺は思わず笑ってしまう。
だが要するに、それだけ後に引けない気持ちになっているということだろう。
そして哀れな莉緒は、そうした雄の狂って壊れた欲求に、最後は従うしかない。
莉緒:『……また動画を送ればいいの?』
蓮:『ああ』
と蓮は返信したが、俺はここで、そのとおりには打たなかった。
そして代わりに、
俺(偽蓮):『いや、生配信してほしい』
◆
莉緒の家に泊まる数日前、俺はひとつのアプリを作った。
といっても、俺に一からプログラムを組めるほどの教養があるわけではない。利用したのは、インステグラム内にある「インステグラム・メーカー」という機能だった。
簡単にいえば、AIの力を借りてアプリを作るというもので、そこまで複雑で規模の大きいものを作成することはできないものの、既存のアプリに毛が生えたものであれば簡単なプロンプトから生成できる。今やそのプロンプト呪文さえ、AIの力を借りて唱えることが可能な時代にある。もちろん、安くない利用費を支払いはしたのだが。
俺が生成を要求したのは、生配信ができるアプリだった。
生成とは言い条、アプリ自体はインステグラムのライブ配信モードに接続されるものであり、機能全般もほとんど流用されている。俺がそこから追加注文した機能は以下の二点のみ。
・専用キーが必要なサーバールームの入室者のみが配信および視聴できる。
・視聴者のプロフィールおよび人数はルームマスターにしか明かされない。
これはつまり、「覗き部屋」だ。
リアルタイムで行われる配信では、俺の「一人二役」は必ず破綻する。この「覗き部屋」では、ルームマスターの権限だけ握っておけば、莉緒に赤裸々な生配信を強要しても、俺は壁に空いた穴から安全にそれを覗くことができる。
悪趣味だし、こんな都合の良いアプリができること自体それほど期待してもいなかったのだが、現代の人工知能の発展がそうした「密室」を呆気なく生み出した。
良いアプリがあると説得し、蓮を偽った俺が莉緒に、莉緒を偽った俺が蓮に、それぞれルームキーを渡す。これがアングラなサイトに案内されたとしたら二人は警戒しただろうが、あくまでアプリそのものはインステグラム本体の機能に間借りしているような形であり、俺はただユーザーインターフェースを書き換えただけともいえる。あまりこの手の技術に関心があるように見えない蓮と莉緒はあっさり入室してきた。
今日このアプリを使用するつもりは当然なかった。本運用どころかテスト自体もしたことがない代物である。これを使うのはずっと先の未来を想定していた。本当に運用可能なものなのか──特に、本当に匿名性は担保されるのか──あまりにリスクが高いといえた。少しの抜け目は大きな穴となって、覗き窓の向こう側にいる俺の姿を晒し上げる。
だが今の俺は、既に録画された過去の莉緒の姿ではなく、今しがた洗面所の扉の奥にいて、だが『この俺』を認識していない莉緒の破廉恥な様が見たくて仕方がない。蓮がより強烈な快楽を得るためにリスクを取ったように、俺も賭けに出たかった。
高層ビルを命綱無しで登ったり、誰も入ったことのない洞穴に潜りに行くような感覚に、これはきっと似ているだろう。破滅願望とカタルシスの払い戻しは、まるで同じコインの表と裏だ。容易に変転し得るし、外から見れば、俺はただ死に急ぐだけの愚か者に見えるはずだった。
莉緒と蓮、そして俺がサーバールームに集う。二人が俺の姿を察知している様子はなかった。
莉緒:『誓って』
とルーム内の莉緒からメッセージが送られる。
莉緒:『ちゃんと自慰をしたら、もう二度とこんなことをさせないって誓って』
蓮:『分かってるって』
と蓮は白々しく返した。俺の中継なしで、二人の会話が直接交わされる。
蓮:『悠真が近くにいるんだろ? 早くしよう』
蓮はそれが、複数の意味で的を射ていることに気がついていない。
少し経って、『ライブ開始』のポップアップが表示される。タイムラインのバーは無論表示されない。すべてはリアルタイムの出来事だ。
俺は『視聴』のボタンを押し、小窓の奥を覗き込んだ。