鬱気味の男が、後天的性転換症候群に罹って美少女になった親友に何やかんやあって救われる話 作:雨之月詠
オリジナル:現代/恋愛
タグ:R-18 性転換 TS 性転換 精神的BL 潮吹き
タイトル通り
ノクターンノベルズにも載せてます
男女での友情が成立するか、という古典的な問いに対して、俺は一つの答えを持っている。端的に言って、成立しない、だ。だがそれは別に世間一般が言うような、性欲だとか、セックスだとか、そんなものが原因ではない。厳密に言うのならば、平等でない立場の間に、友情が成り立つことはない、と言うべきか。当然のことながら、男と女は平等ではない。どんな思想家や活動家が欺瞞を口にしたところで、現実は現実、絶対的なものとして其処に在る。
俺は別に、女が男より恵まれていると言うつもりはない。その逆も然り。どちらが優れているとも、劣っているとも言わない。だが、一つだけ、男女に格差があるのなら、それは、女は男よりも救われやすい、ということだ。男女における社会的な要求の違いや、容姿の差、古くから続く風習、世間の風潮、理由については、まあ、挙げたらキリがない。女自身が、社会的救済を拒絶して否定してみせたところで、別に、男が救われやすくなるわけでもなし。決して埋められない格差として永劫存在し続けるのだろう。男と女が存在し続ける限り。
尤も、最近では、男と女の差を否定したがる気狂いも確かに居るし、そういう風潮が蔓延しがちだと言われれば、そうかもしれない。
だが、そもそも、あらゆる区分がそうであるように、男と女という区分にも、必然性と必要性がある。社会に余裕があれば、或る種の娯楽としてその必然性を否定することも出来るだろうし、その娯楽を善だとか、道徳だとか、そんな風に呼ぶことも出来るだろうが。その善とやらは、社会が困窮に至れば、やがては、在るべき形に回帰する程度の強度でしかない。まして、今現在、困窮にある者にとっては、吐き気のする欺瞞でしかない。
「……そういうわけだから」
「いや……どういうわけだよ!」
女が、騒いでいる。かつては、男だった女が。
なんでも、最近流行っているらしい。そういう病が。思想の病ではなく。
後天的性転換症候群。症候群、と名付けられていることから分かるように、詳しい原因は不明。或いは、特定不能。ホルモンバランスの乱れによる一時的な変調とは違い、完全な性転換を果たすらしい。乳房の形成、乳腺の発達、子宮、卵巣、女性器の形成、男性器の退化(時に僅かな機能を残す)、そして、骨格の大幅な変化。変身とさえ呼べるそれは、非常に激しい苦痛を伴い、ほんの数時間で完了するという。意識を保てないほどの激痛と吐き気。精神的な疾患が残ることもあるらしい。
目の前の女は、かつては、男だった。
名は
姓は
上遠野 彼方。
「女になったからって、別に何も変わらないだろ!」
かつて、俺達は友達だった。だが、変わらないものなど、何もない。何も変わらないなど。そんな言葉は──そんな言葉は、それこそ、かつての友情に対する侮辱じゃないか。何も変わらない? どんな性質、どんな由来、どんな意味であっても、俺達の間で交わされたものは、ただ、それだけで、友情と呼ばれるべきなのか。それだけで肯定されるべきなのか? なら、そんなものには、初めから、価値などなかったのだ。
「お前は、救われた」
「……何がだよ」
「諸々だ。良かったじゃないか。……皮肉じゃない。お前は、嘆いていただろう。自身の無価値さに。お前を顧みない母に怒っていたじゃないか。だが、今は違う」
彼方の母は、あまり良い母親ではなかった。美しいものしか愛せない。そんな人物だった。だから、美しくない男であった彼方は、母に愛されていなかった。だが、今は違う。公平に言って、今の彼方は美しい。だから、今は愛されている。
「それは……っ」
「クラスメイトも。同じだ。女に変わったお前を、気持ち悪いという奴も、まあ、いるかもしれないが。どうせ本心ではない。何故なら、人は、結局のところ、美しいものを愛さざるには居られない生き物だからな」
「……それが、悪いのかよ」
「何も悪くない。皮肉じゃないと言っただろ。お前は救われた。それが全てだ」
そう、それが全てだ。俺に出来ることはただ祝福することだけだ。そして、おさらばすることだけだ。かつての共感。かつての触れ合い。かつての共有と。
*
雪が降っている。彼方と最初に会ったのも、雪の日だった。あいつも俺も。母に愛されない子供だった。望まれない子供だった。最初に声を掛けたのは、俺だったか、あいつだったか。覚えていない。覚えていないということは、重要ではなかったということだ。俺とあいつの間では。そんなことは重要ではなかった。
「どちらにしても。……遅かれ早かれだった」
結局、あいつの家は金持ちだ。俺の家とは違う。たとえ、親に嫌われていたとしても。十全な生活は送れただろう。大学にも行けただろうし。そうなれば、友情など、初めから、無かったのも同じだ。
人は皆、自身と同じようなものだけを愛する。そうすることしか出来ない。何故なら、人の理解力、想像力など、たかが知れているからだ。自身から遠く外れた何かに思いを馳せることは、コストであり、苦痛だ。だから、自身に近しいものに共感し、それだけが、正しいものだと思いながら、日々を送る。安寧とはそういうものだ。そして、俺は、それを否定しない。どんな人間だって。日々を穏やかに過ごしたいだろう。路傍で乞食をする人間が居たとして。その前を通りかかったとして。ただ財布が潤沢であるという理由だけで、そんな人間に思いを馳せなければいけない義務は、どんな人間も負っていない。何処か遠くで苦しんでいる人間に、思いを馳せ続けて生きろだなんて。そんなことは、口が裂けても言えない。大体、金持ちだとか。貧乏だとか。頭が良いだとか。悪いだとか。本人の資質も環境も。結局のところ。誰もが望んで得るわけじゃない。責任というのは、当人の選択にのみ負うべきだ。それ以外の一切に責任を負わせようだなんて。それこそ。フェアじゃない。
俺は善い人間じゃないという自覚がある。だから、俺は、全てを赦そうと思うのだ。何かを赦すことだけが、どんな貧しく愚かな人間でも出来る唯一の善いと呼ばれることだと思うから。
襤褸屋敷に祖母と二人。母は新しい旦那の、新しい子供を連れて何処かへ消えた。だが、恨むことはしない。女など。そして、母など。そんなものだ。そうである、というだけの事実に、殊更、心を動かされても、無駄なだけだ。無意味無価値な心の浪費だ。だから。俺はお前を赦そう。お前の罪と醜さをではない。事実は事実だ。神であっても事実を無かったことには出来ないし、救うことも出来ない。だが、俺はお前を恨まないだろう。故に、お前の如何なる贖罪も受け付けない。
鞄を部屋に置いて、洗濯物取り込む。風呂の準備をして。洗濯機を回す。晩飯の準備をして。祖母を呼ぶ。そして、部屋の戻り、勉強をする。勉強などしても。無意味だと知っていても。仕方ない。それでも、何もしていないと、気が狂いそうになる。
*
惨めな人生だ。だが、それも、これも、全て自分の選択故だ。だから、仕方ない。死ぬべき時に、死ななかった。だから。仕方がない。あの時。死ぬべきだった。まだ、母が家に居た時に。死ぬべきだったのだ。だが、俺は生にしがみついた。ありもしない希望の為に。だから、全ては、自分のせいなのだ。全てのものには、慣性というものがある。良いものは、良く在り続け、悪いものは、一層悪くなり続ける。だから。早く死ぬべきだったのに。俺はそうしなかった。自業自得だ。未来の全ての不幸を、俺は自ら、選択したのだ。
祖母が眠りに着き、全ての家事を終え、風呂に入り、バイトへ向かう。平日の三日、休日の二日。週に四日の出勤だが。実入りは良い。夜の十時から、朝の五時まで。夜勤のコンビニバイト。田舎の労働倫理なんてたかが知れている。学生だろうと、人手が足りなければ、雇ってもらえる。ありがたいことだ。単調な作業。客との単調なやりとり。覚えることは、そう多くない。そして、朝になり、家に帰り、風呂に入ってから、学校へ行く。週に三日程度なら、休み時間と世界史の授業で取る睡眠だけで何とかなる。今の世界史の教師は板書さえしっかりしておけば、授業態度は成績に反映しない。
週の後半は、バイトがない分、かなり楽だ。実際のところ、祖母の年金だけでも、生きていくだけならば、十分ではある。多少バイトを減らしても、問題はない。だが。だが、これでいい。どうせ。暇になっても、することなどないのだ。余暇と言うのは、未来に希望があるときにだけ、価値がある。
バイトがない日は、いつも放課後に図書室に寄る。本は、無料で手に入れられる娯楽だ。いつも、一冊から二冊を読んで、家に帰る。借りることはしない。家では、やることが幾らでもある。
「……何か、用か」
窓際の隅。書庫の扉の前が、俺の定位置だった。そこに、何故か彼方が座っている。
「……別に」
「そうか」
椅子を引いて、隣に座る。こちらが場所を変える気はない。露骨に距離を置くのも、過剰に意識しているようで、馬鹿馬鹿しい。
昭和の文豪が書いた純文学。古書特有の甘い匂い。気取った文章。女々しい男。思うに、文章を連ねる男というのは、皆、女々しいのだ。女々しいから、文章を綴る。言葉を綴らずにはいられない。普通の男と言うのは。現実で、生きている人間を相手に言葉を紡いでいるというのに。現実に堪えられないから。文字を綴るのだ。
「……なあ」
「なんだ」
「……カラオケ。クラスの女子から、誘われた」
「そうか。良かったな」
「お前も、行かないか?」
「遠慮しておく」
「金なら、俺が──」
「……」
「……悪い。なんでもない」
思わず、鼻を鳴らしてしまう。同情されるのは、慣れている。今更、その浅ましさを冷笑する気もない。だが。友情とは。何という欺瞞だろう。やはり、俺の仮説は合っているらしい。
「クラスの適当な男に、同じ言葉をかければ、幾らでも引っ掛けられるだろうさ」
「……俺は、お前と行きたいんだよ」
「気のせいだ。それは」
「気のせいって、なんだよ」
「誰もが、変化を嫌うものだ。だが、直ぐに慣れる。だから、安心しろ。女であることにも。直ぐに、慣れる。そして、友人など、得ようと思えば幾らでも得られると気付く。女であれば、尚更だ」
「……」
「お前がまだ、俺に友情とやら感じているのなら。それは単なる錯覚だ。かつて手に入れていたものを失えば。それがどれだけ無価値でも、少しくらいは喪失感を抱く」
「どんな奴と仲良くなったって、お前の代わりには、ならないだろ……?」
「代わりのない人間なんて、此の世にはいない」
会話は、そこまでだった。口を閉ざして。視界を鎖して、文字を追うことに意識を集中させる。
気が付くと、彼方は居なくなっていた。きっと、クラスメイトの女子とカラオケに行ったのだろう。喜ばしいことだ。誰もが皆、幸せになる権利を持っている。愛される権利を持っている。いや、誰もがでは、ないか。だが、あいつは、良い奴だ。だから。きっと上手くやるだろう。誰とでも、仲良くなれる。そもそも、あいつが孤独だったのは、母と上手くいかない鬱憤が、態度に出て周りとの軋轢になっていたからだ。女の姿なら、多少の横柄は見逃される。それに、今後は、母との関係も良好になっていくことだろう。
「…………」
全ての生き物は、よりよいものを求めて、今を改善していく。どれだけ、変化を恐れていても。だから。これでいい。これで、いいのだ。
*
夏休みの期間の間だけ、俺は漸く、人間らしい生活を取り戻すことが出来る。尤も、本当ならば、バイトを詰め込む気だったのだが。その必要がなくなった。祖母の体調が悪化して、入院した。途端に、母がやってきて、祖母の面倒は任せろと言ってきた。魂胆は分かっている。祖母に掛けられた保険金だろう。まあ。構わない。別に、欲しくもない。あの家だけ、俺にくれさえすれば、後はどうでもいい。そう母に伝えると、母はあんな襤褸屋敷が欲しいなんて変わっているわね、と嘲るように笑った。そして、あの家を継ぐのなら、当然、祖母の借金も継ぐのよね、と。そう言った。まあ。いいさ。どうせ、今までも返済していたのは、俺なのだ。別に、構わない。どうでもいい。だが。名も知らない、小さな妹。半分だけの妹。お前も何れ、母のようになるのだろうか。そうだとしても。俺はお前を恨みはしないよ。だから。そんな顔で俺を見るのは止めてくれ。
夏の日差し。揺らぐ陽炎。アスファルトの照り返し。歪む世界。螺旋。歩道橋。鳩の群れ。古本屋。寂れたラーメン屋。誰もいない校舎。市庁舎。図書館。幼稚園。吐き気がする。世界には文脈が溢れている。その全てが。俺を惨めにさせる。生まれ出でぬものは幸いだ。この苦しみを味わわずに済む。自身の全てが代替可能な何かであるという現実を。眩暈がする。熱中症だろうか。だといいのだが。
「……おい」
気が付くと、歩道橋の下で、コンクリートの冷たい壁に寄り掛かって、座り込んでいた。何故だか、彼方が、俺の顔を覗き込んでいる。
「彼方……? 何をしてるんだ、お前は……」
「それは、こっちの台詞だ、馬鹿! 図書館に行こうとしたら、お前が道端で倒れてて……」
「……そうか」
寝不足と熱中症で、意識が飛んでいたらしい。
「大丈夫なのか……? ほら、これ飲めよ」
手渡されたペットボトルを受け取って、素直に飲む。拒否したところで、無理矢理押し付けられるだろう。そんなやり取りをするような余裕はなかった。咳き込みながら、甘いスポーツ飲料を飲み干し、一息を吐く。
「助かった」
「全く……それにしても、珍しいな、お前がこんな昼間から。図書館か?」
「いや。……単なる散歩だ。もう帰る」
「……そっか。……」
何故か、彼方は無言で俺の隣に腰を降ろす。真っ白のワンピースは、誰が選んだのだろうか。こいつの母親か。公平に言うのであれば。良く似合っていた。真夏の幽霊のようで。陽炎の中に見る幻覚のようで。
「なあ」
「なんだ」
「……これ、似合ってるか?」
「……似合ってる」
彼方は、何故か勝ち誇った顔で、こちらを見た。似合っているからなんだと言うのか。
「女を楽しんでいるみたいで、結構なことだ」
「……。お前も楽しむか?」
「なに?」
不意に、彼方が俺の手を取って、立ち上がる。仕方なく、俺も身体を起こし、立ち上がった。世界が急に暗くなり、視界が回る。よろめいて、倒れそうになる俺を、彼方が支えた。
「……悪い、大丈夫か?」
「問題ない。……いつまで手を握ってるんだ」
「……ずっとだ。……。なあ。デート、しようぜ」
何を馬鹿なことを。
「いいだろ。……お前のばあちゃんの話は、聞いた。うちの親が話してたからな。なんていうか……その……こんな風に言うのが駄目なのは分かってるんだが……」
「……。いや、構わない。別に。気にするな」
「とにかく、お前は今、自由なんだろ?」
自由。自由か。思わず、笑ってしまう。ちんけな自由だ。だが、確かに。言われてみれば、そうなのかもしれない。祖母の面倒を見る必要がなくなったのなら。俺は──。
「……なあ。とにかく、行こうぜ」
「何処にだ」
「いいから、来い」
*
町中から外れた入り組んだ田圃道。田園の真ん中に、寂れた神社がある。俺達は良く、その社で二人並んで、昼寝をしていた。熱い日差しから逃れるように。生の焦熱から逃れ、木漏れ日の中で。
「懐かしいな」
「ああ……まあな」
彼方の奴は、賽銭箱の隣に、あまりお淑やかとは言えない格好で座り込んだ。俺は鳥居にもたれかかって、体重を預ける。昔と同じ構図だ。違うのは、彼方が女になったことくらいか。
「……なあ」
「なんだ」
「俺、女子としてやっていける気がしない」
そんな格好をしてか? そう思ったが、口には出さなかった。その発言は、あまりにも、品がない。替わりに、肩を竦めるに留めて、首を振る。
「やっていける、いけないじゃなくて。お前はもう、女だろ」
「そりゃ……そうだけどさ」
「クラスの女子とは、上手くやっているようじゃないか」
「……そう見えるなら、案外お前も、節穴だな」
「はは」
思わず、渇いた笑いが漏れる。
「女なんて、誰に対しても、あんなものだ。気にするな」
「口を開けば、妬み嫉み悪口ばかりでか?」
「そうだ。だが、可愛いものじゃないか。悪口影口妬み嫉みは、己の無能さ醜さの自覚の表れなのだから。元男として、寛大な心で許してやるといい」
「俺は、お前と違って、そう何でもは許してやれそうにない」
何を怒っているのやら。彼方が女子共に、元男、偽物の女、そんな風に陰口を叩かれているのは知っている。表向きは仲良く、親切にしながらそれというのが、悍ましく、実に女らしいといえばらしいのだが。彼方は、その程度のことに怒るような男ではなかった筈だ。ああ。尤も。今は女か。
「元男のお前が。大半の女よりも愛らしいのが気に入らないんだろう」
「……」
「なんだ、その顔は」
何故、そんなに驚いた顔するのか分からない。公平な物言いをするのなら。女になった彼方は、学年で一番と言っても良いほどには、美人だ。学校で、とは言えない。俺は他学年の女子になど興味はなく、顔も知らないから。
「別に。……お前の言う通りだと思っただけだ。男と女の友情は成立しない」
「良く分からんが……今更気付いたのか」
男と女では。同じ景色を見ることは出来ない。少なくとも、同じ絶望を共有することは出来ない。絶対に。
「じゃあ、俺はずっと独りぼっちなんだな。女とも、男とも……仲良く出来ないんだ」
「……」
哀れっぽく呟く彼方に、俺は何と声を掛けるべきなのだろうか。虚言を弄して慰めても意味はない。そんなことをするくらいなら、俺は沈黙を選ぶ。
「何か言えよ。元、友人」
「何て言ってほしいんだ?」
「……俺が居るぞ、とか。あるだろ。そんな気の利いた言葉が」
「はっ……俺にそんな言葉を求めるくらいなら。さっさと恋人でも作ればいい。幾らでも作れるだろう。女なら。その顔と身体なら」
「それ、セクハラだぞ」
「男に気の利いた言葉を求めるのも、セクハラだろ」
「……まあ、それは一理あるけど」
鳥居から背を離して、地面に座り込む。社も襤褸の放置された小さな神社だというのに。境内には小さな石が敷かれている。幸いにも、ズボンを濡らす心配はない。かつての俺達は並んで横になって、一緒に昼寝をした。背中に沢山の石の痕を付けて。
「それに。そんなことを言うのなら──」
──いや。何を言おうとしているのだ。俺は。独りぼっちは俺の方だろう、なんて。馬鹿げている。そんな他責的な恨み言を言うなんて。心が弱っている証だ。醜い。己の弱さ、醜さを誤魔化すように、口を閉ざし、仰向けに倒れ込む。木々の隙間から見上げる空は、どこまでも青い空に、まばらな白い雲。ああ。夏の空だ。俺は、夏の空は、あまり好きではない。夏の空は、どこか、青春の押し売りのように感じてしまうから。
「……何をしてる。パンツが見えるぞ」
何故か、俺の頭上にわざわざ回り込んで、彼方が突っ立っている。真夏の幻影のようなワンピースから覗く白い脚。少し視線を上に逸らしたら、中身が見えてしまいそうだ。男だから気にしていない。というよりは。
「見てもいいぞ」
「……男のスカートの中をか?」
「元、男のだろ? それとも、男として、扱ってくれるのか? そうしたら……もう一度友達になれるか?」
こいつが何故、俺のような人間に執着しているのか。さっぱり分からない。俺が。そう、俺が彼方に執着をするのなら分かる。だが、その逆は意味不明だ。道理に反している。劣ったものが優れたものに執着する。それが道理だ。逆はない。
「……その下着は、お前が選んだのか?」
「っ……ああ、そうだ。どうだ、似合うか?」
「……似合ってるよ」
女の下着には詳しくないし、それを評するほど見たこともないが。
「……」
何故か。彼方はそのまま腰を降ろしてきた。ワンピースの裾が、俺の顔を覆い隠す。目と鼻の先に、白いレースの布が突き付けられる。
「……おい、この変態」
「そうだよ。男なのに、女の格好をして……」
「今は女だろ」
「でも、男だ。それなのに……女なんだ」
まあ。身体がいきなり女になるだなんて珍事だ。こいつにはこいつで、悩みが多いというのは理解出来る。自分が自分でなくなるということに。自己と他者の認識の撞着が小さな不快となって日々積み重なっていくことに。男と女の立場の違い。その扱われ方の違いに。社会的要請に。精神を擦り減らしているのかもしれない。だが。その鬱憤の解消に使われてやる気はない。
「そういうことがしたいなら、駅前で立ってるんだな」
「……やだ」
「やだって、お前な……」
「お前が、いい」
「……落ち着け、彼方。取り敢えず、退け」
だが彼方は、あろうことかそのまま俺の額に座り込んだ。勿論、体重は掛けられていないが。柔らかな感触が額と、鼻先に触れている。こいつ、女になって、気が狂ったのか。可哀想に。
「退かしてみせたら、いいじゃないか」
「……俺から、お前に、触れたくない」
「そんなに俺が嫌いか? ……女になった俺が」
「……」
「俺も、嫌いだ。女の身体の、俺は……。お前は、慣れると言ったけど。いや、多分、慣れるんだろうけど。股から血が出るのも。女同士の悪口と、くだらない嘘八百の慰め、傷の舐め合い、責任逃避とその押し付け合いも。きっと慣れるんだろうけど……それは、死ぬことと何が違うんだ。俺は死にたくない」
「……はは。人の顔に座りながら真面目に何を語っているのか。だが、分かるよ。お前の気持ちは。その意味では、俺はもう死んでいるようなものだ」
*
白いレースの布を取り去って、柔らかな亀裂に、口付ける。ある意味では、此の世で最も穢れなき亀裂に。どの花嫁の唇よりも貞淑な亀裂に。いいとも。お前が望むなら。諦観と順応がお前を殺す前に。俺がお前を殺そう。かつての友。唯一の友。思い出と共に。青春の蝋燭と共に溶かしてしまおう。
「んっ……ふっ……」
「……ちゃんと感じるんだな」
「おまえ、こそ、童貞なのに、上手じゃないか……あっ……」
最初で最後だ。だから、俺は俺自身に、それを赦そう。いいとも。どれだけ穢れても。どれだけ己の信念に反しても。お前が望むのならば。それで。そう。どうせ、これで最期なのだ。
びくりと、逃げようとする腰に手を添えて、宥めるように撫で回す。女を抱く方法など知らないが。何かを愛する方法など知らないが。それでも。声の震えや、吐息、身体の震えから、読み取れることもある。
「んぁ……っ……んっ……ん……」
彼方の軽口が少なくなって、小さな吐息が漏れ出してくる。最初の方は演技臭かった声色も、切羽詰まったものへと変わっていく。さざめくような痙攣。しとどと溢れる蜜。周りから順番に。中心へ向かって。舌先で、従順な奴隷のように奉仕していく。女の股を犬のように舐める自分の姿など想像したこともなかったが。皮肉なことに。その惨めさは、俺の人生に似ている。相応しいのではないか。亀裂の上部。小さな突起に舌を押し付け、気取った紳士のように、花を食む。
「んぅっ……あっ……あっっ、それっ……それ、いっ……」
どうやらお気に召したらしい愛撫を繰り返し、花を食む。まるで芋虫か何かのようだ。花を食み、痛痒を齎す毒虫。はは。女の罪の名。愛しい痛痒。一際大きな痙攣。そして、顔に吹きかかる熱い飛沫。力が籠る太腿に顔を潰されそうになりながら、俺は奉仕を続けた。賢明な芋虫の召使。
「……ん……ぁ……はぁ……」
絶頂──恐らくは──に達しても収まらない疼きに、無意識なのか、意識してなのか、揺れる腰が、充血し膨らんだ肉の亀裂を、押し付けてくる。唇と舌先で、その我儘なリズムを受け入れてやると、彼方は甘えるような、熱い吐息を洩らした。
「……お前、本当に……俺が初めてだよな?」
散々、人に自身の股に奉仕をさせておいて、出てくる言葉がそれとは。思わず眉を顰めた俺を見て、彼方は慌てて、首を振った。それから、未だ絶頂の余韻に赤らんだ頬のまま、近寄って来きた。女らしい小さな鞄から取り出した、これまた女らしいハンカチで、俺の顔を汚している自身の体液を拭い去る。恥ずかしそうにそのハンカチをじっと見詰めて、一層、顔を赤くしていた。
「…………その……最後まで、するよな?」
「脅迫か?」
「……そう、脅迫、だ」
なら、仕方がない。とはいえ。
「此処でするのか?」
「……他に何処でするんだよ」
「まあ。確かにな」
世の学生達は一体、何処でヤッているのだろうか? まさかホテルで? 自室で? 信じられない。一体、誰がその無謀さを褒めてくれるというのだろうか。そこまで憧れ、焦れるものか。性行為などが。
「……嫌か?」
私のうんざりした顔を見たらしい彼方が、不安そうな表情で、俺を見てくる。不覚にも、可愛いと思ってしまった。俺も大分、疲れているらしい。
「人に自分の股を舐めさせておいて、今更か」
「う……うるさい」
「社の裏に回れば、もし誰か来ても大丈夫だろう。……お前が、痴女のような喘ぎ声を上げなければな」
*
世のカップル達は、性行為に及ぶ際、どのように体位を決めているのだろうか。今日は正常位がいいわ、とか。今日は獣みたいに後背位がいいな、とか。そんな風に決めているのだろうか。そんなわけはないと分かってはいるのだが。ムードだとか。雰囲気だとか。流れで、だとか。良くもまあ。そんな曖昧な行動に、自らの責任を預けようという気になるものだ。どうせ後から、本当はあの体位は嫌だった、とか。本当は○○の方が好き、とか。○○されるのは嫌だ、とか。不満が幾らでも溢れ出てくるものなのに?
「……なあ、その仏頂面は、どうにかならないのか?」
「ならない。俺に何を期待してるんだ、お前は」
社の壁に背を付けながら、脚を伸ばした状態で、座り込む。色々と考慮した結果、座ったままするのがいいだろう、という結論になった。
「勃起してる」
人のズボンを脱がせておいて、彼方はそんな当たり前のことを呟く。
「ただの生理現象だ」
「……ふーん」
ワンピースの裾をたくし上げ、既に淫らな蜜で濡れそぼった亀裂を、見せつけてくる。然し、改めて見ると、やはり、不思議なものだ。かつて、男だった名残さえ、殆どなく、確かにそこには、女と変わらないものがある。尤も。全ての生き物は皆、女として産まれるのだから。そういうこともあるのだろうか。どのような原理かなど知らないが。
まじまじと観察していると、俺の反応が予想に反していたのか、顔を赤くしながら、ばっとワンピースの裾を降ろして、飛びかかるように、膝に乗って来る。
「お前、最低」
「勝手に見せつけてきて何を言ってるんだか……ほら、それで、どうするんだ? するんだろ? いつまでもそうして座ってる気か?」
「っ……わ、分かってる。う、動くなよ」
羞恥と恐怖を振り切るように、ばっと勢い良く立ち上がる。ワンピースのせいで、俺の下半身と彼方の下半身は、完全に隠されていた。そんな状態で、一体、どうやって挿入する気なのか。俺は呆れて見ていたが、案の定、彼方は、自らの未熟な亀裂へ俺の陰茎を挿入するのに困難していた。そもそも、幾ら濡れているとはいえ、経験のない、ほぐされてもいない、未使用の淫裂に、すんなりと挿入出来る筈もない。興奮から膨らんだ陰唇が、亀頭に擦り付けられるだけで、なかなか、中へと入る気配はなかった。
「……んっ……んぅ……」
人の陰茎を使って自慰とは良いご身分だな。恐らくは無意識だろうが。ぷっくりと膨らんだ陰唇を亀頭へ擦り付けて、彼方は明らかに快楽を得ている。自分がどんな表情で、どんな腰遣いをしているのか。こいつは気付いていない。
「……裾、持ち上げろ」
「……んっ……はっ……はぁ!?」
「いいから、早くしろ。埒が明かない。さっきどや顔で見せ付けてきたんだから、今更だろうが」
「ど、どや顔なんて、してな……っ」
「……」
「わ、分かったよ……」
彼方は恥ずかしそうに、ワンピースの裾を口元まで、引き上げる。露わになった淫裂からは、溢れ出した蜜が糸を引いて、滴っていた。彼方の愛液で既に俺の亀頭は酷く濡れ、てらてらと光っている。
「そのまま、腰を降ろせ」
「……っ……わ、わかった……んっ」
くちゅり、と。湿った音と共に、卑猥な期待に濡れた淫裂に、亀頭が触れる。
「そのまま、ゆっくりでいい。……っ」
やはり、きつい。尤も、しんどいのは俺ではなく、彼方だろう。彼方は一生懸命奮闘しているが、中々入ってはいかない。亀頭が辛うじて呑み込まれた辺りで、腰が止まってしまっていた。
「うっ……っ……む、むりっ……」
「分かった、一回、退け」
「やだ……っ」
何を意地張っているのか。仕方ない。彼方の腰に手を添えて、身体を支える。
「ほら、力を抜け。支えてるから」
「う……うん……」
ずっ……と。少しずつ体重がかかり、未熟な亀裂に──或る意味では、まだ生まれて一年も経っていない、穢れなき秘所に──硬く張り詰めた陰茎が、呑み込まれていく。俺は彼方の苦悶の表情から目を背け、形の良い臍ばかりを見ていた。自分でも、情けないとは思うのだが。
「……んっ……はぁっ……いっ……」
何を思ったのか。彼方は俺の手の誘導から急に離れ、勢い良く、身を落とした。ずんっと。奥を突く感覚と共に、身体が密着する。勢いのまま、彼方に抱き着かれ、流れのままに、背中に手を回してしまった。甘い女の体臭が今更ながら、彼方が女になったということを強調して知らしめてくる。
「んっぅ……はは……これが……」
「おい、無理をするな……大丈夫か?」
「……お腹の奥が……熱い……」
エロ漫画でもあるまいに。そう思ったが、茶化せるような雰囲気ではなかった。そもそも、実はエロ漫画なんか読んだことない。
「……好き」
「あ? 何を言って……」
「嘘じゃ……ない」
思わず、口を閉ざす。だが、彼方は俺の返事を待っているかのように、沈黙を続けた。
「嘘じゃないなら勘違いだ。ああ尤も……好意とは絶対値ではなく相対値だからな。そう〝思ってしまう〟こともあるんだろう。それ自体は否定しないが──」
「違う……」
「何が違うんだ」
「他の誰かと、比較して、とか。そんなんじゃない……女になったからでもない……それに、今、こうしているのも……いつか他の奴に抱かれるのが嫌だからじゃ……ない」
「……自分の気持ちなんて、自分でも分からないものだろ。それにほら。女になって……ホルモンとか。分泌系の働きで──」
ああ。女とは。やはり卑怯だな。濡れた瞳で見詰められたら。何も言えなくなってしまう。彼方もそれに気付いたのだろう。ハッと目を見開いて、慌てて涙を拭った。俺の肩で。ついでに鼻まで
「俺には……男の頃から、お前しか、いなかった」
「……」
それは逆だ。俺には、お前しかいなかったが。お前には、本当は沢山の繋がりがあったのだ。俺が。俺の狭量が。それを祝福出来なかっただけで。だから。お前が女になって。諸々が良い方向へ傾くと思ったから。距離を置いたというのに。
「本当は、お前の全てが、欲しかったんだ……ずっと。だから、お前の……ばあちゃんが死んだって聞いた時……俺は……俺、最悪なんだ……」
それを醜いとは言うまい。愚かだと笑いこそすれど。
「馬鹿な奴だ。お前にくれてやれるものなんて、俺には何もないのにな」
「……少なくとも、貞操は貰った」
「本当に、馬鹿なやつ」
普通は逆だろう。……いや、逆でもないか。どっちも男なんだから。いや、男でもないんだが。ややこしい奴。思わず、溜息が漏れる。ああ。全て、俺の罪なのか。ただ。あの冬の日に出会ったことが。お前は俺にさえ出会わなければ。今頃、幸福だったのだ。母との軋轢など。周りとの軋轢など。本当は、時間が自然と解決してくれたはずだ。どれだけ孤独であろうと。時は流れているのだから。それを、俺が……。自身の孤独の共感の為だけに引き留めた。
「……お前、死ぬ気だったろ」
「……!」
思わぬ指摘に、心臓が跳ねる。背中に回された彼方の手に力が籠り、華奢な指先が、背中に突き刺さる。
「やっぱり。……お前のばあちゃんが死んだって聞いた時。正直、俺……喜んじゃったんだ。最低だろ。お前が、開放されるんだって。そう思ったら。抑えきれなかった。でも……直ぐに思ったんだ。そしたら、お前は、どうするんだろうって」
「……」
「……要らないならさ。俺にくれよ。無価値だって言うなら……全部、俺に。ほら。俺が、女になった記念に。
*
価値というものについて。俺は時々、考える。その耐え難い曖昧さについて。
「んっ……そろそろ、動けそうだ」
「……」
「なにむすっとしてんだよ。……ふふ。まあ、こっちはずっと勃ちっぱなしだけどな」
品のないやつ。だが否定は出来ない。彼方の中は酷く熱く。だが、心地良かった。身体が溶け合うような抱擁も。随分と長い間こうしていたはずなのに、俺の陰茎は、萎えることなく、滾っている。
「……さっきの話だが」
「なんだよ?」
「言われてみれば確かに。俺は、お前に与えられてばかりだった気がする」
「……そんなことはないけどな」
「だから。お前が望むものを、全部お前にやろう。といっても。俺が持っているものは襤褸の家と借金とこの身体だけだが」
遺されているものは、苦難と苦痛だけだ。
「なら、全部貰っておこうかな。貰えるものは、貰う主義だから」
そう言って、彼方は笑った。それから、俺の肩に手を置いて、膝立ちになる。
「お前は、俺のものだ。うん。……いい気分だ」
うねるように、熱い肉壁が、俺の陰茎を締め付けてくる。ああ。さぞいい気分なのだろうな。ゆっくりと。ぎこちなく。彼方が腰を動かす。
「んっ……ふっ……」
じっと顔を見詰められ、思わず、視線を逸らした。昔から。人の目を見るのは、苦手だ。それなのに。こいつは。華奢な、細い指先が、頬に触れてくる。その指先に、導くように、優しく、視線を戻される。
「視線、逸らすな……っ……んっ……見て……っ」
赤らんだ頬、潤んだ瞳。蕩けた口元。女の顔だ。乱れた、女の顔。だが、不思議と。嫌悪はない。後悔に似た自責の念があるだけだ。彼方は、そんな俺とは裏腹に、脚を大きく広げ、だんだんと、大胆に腰を振り始める。豊満とは言えないが。華奢な身体からすると十分以上に大きな乳房が、風に吹かれた果実のように揺れる。
「……っ」
快楽。吐き気。眩暈。動悸。首筋がちりちりと焼けるような感覚。頭の中で砂嵐のような音がする。陰茎の痺れ。腹の奥から込み上げる熱の塊。
「我慢……っ、しなくて、いいんだぞ……いや……するな……犯して……」
それは、赦しに似た強制だった。衝動に導かれるように、俺は彼方の臀部に手を伸ばして、持ち上げる。
「! んっ……あっ……激しっ……」
経験などないが。自身の内にある何かが俺を導いているようだった。本能、だなんて言えば陳腐だが。俺は獣のような勢いで、彼方の身体を抱き上げ、落とし、腰を振った。淫らな水音に、肉の弾ける軽快な音。そして、嬌声。誰かがやってきたら、社を周り込むまでもなく、直ぐにばれてしまうだろう。そんな考えが一瞬だけ過り、然し、熱に溶かされ直ぐに消えていく。
「あっ……っ……んっ……あんっ……あぁっ」
ああ。
「あっ……あぁっ……」
彼方の身体が、一際大きく、跳ねた。背筋が伸びて、首を仰け反らせる。どうやら、達したらしいことを、肉壁のうねりと痙攣が、如実に伝えてくる。身体を倒しもたれかかってくる彼方を抱き締め、息を吐く。
「……イッたのか?」
「っ……たぶん……これ、やばい」
彼方が女になって、後天的性転換症候群について、俺は少し調べてみた。あまり解明されていることは多くないが、幾つか、確かな情報としてあるのは、後天的性転換症候群によって女性になった患者は、触覚受容器の数が多いというのと、触覚受容器の感覚順応が弱い、ということである。つまり、通常の女性よりも触覚に対する感応が強く、通常は時間と共に訪れる感覚の慣れが、極めて緩やかであるということだ。
言うまでもなく、性的な接触にも、そうなのだろう。端的に言えば、感じやすく、達しやすい。そして、その感覚が薄まるのも遅い。未だ絶頂の余韻に彼方は腰を浅くスライドさせている。
「……満足したなら、退いてくれ」
「んっ……お前が、まだイってないだろ?」
「俺は、別に……」
だが、俺の弁明を聞く前に、彼方が再び、腰を動かし始めた。絶頂の余韻から蠕動を続ける肉壁が、俺の陰茎を刺激している。初めはぎこちなかった動きも、既に慣れたのか、妙にスムーズで、彼方の上下運動に合わせて、女体化に伴い伸びた髪が、踊るように跳ね遊ぶ。そして、微笑。ああ。笑っている。嬉しそうに。お前がそんな風に笑うなんて、俺は、知らなかったよ。
「……もう、イキそうだ」
端的な宣言。我ながら、もう少し情緒的になれればいいとは思うのだが。少なくとも、お前の想いに僅かでも報いることが出来るなら、いいとは思うのだが。中々に、難しい。身体的な感覚を言葉にすることが幾らでも出来るが。それを口に出すことは、どうしても、陳腐に思え、憚られる。
「出してっ……中に……っ」
その言葉が呼び水となるように、身体の奥がどくんと脈打ち、堰き止められていた衝動が、白い本流となって、放出された。目が眩むような快楽の本流に、思わず腰が引ける。彼方は逃がさないとでも言うように、俺の肩を掴んで、自身の腰を押し付けてきた。亀頭が、狭い肉壁、その奥にある命の座の入り口にぴったりとくっつき、どくどくと、白濁液を叩き付けていく。
「……ふふ。あつい……」
虚脱感と眩暈に思わず息が漏れる。
「……満足、したか?」
「ふふ。まあまあかな。まあでも。今日は勘弁してやる」
そう言って微笑むと、彼方はゆっくりと、立ち上がる。抜け落ちた陰茎が、力なく倒れ、ぽっかりと広がった亀裂から、情欲の証である白い雫が、零れ落ちていく。その白の大量さに思わず頭を抱えたくなる。あんなに出したのか。俺は。彼方の身体に。彼方から誘ってきたとはいえ。
「退けてくれ」
「いやだ。もう少し、こうしていたい。……いいだろ?」
当然、拒否権は俺にはない。答える代わりに、彼方の背中に手を回して、抱き寄せる。
「ん……お前のが、中にあるのを感じる。こんなに出したんだし……責任取ってくれるよな? 赤ちゃん、出来るかも、知れないし?」
「……後天的性転換症候群の患者は、性転換してからおおよそ一年、初潮が来るまでは、妊娠しないんじゃなかったか?」
「……ちぇっ。知ってたか……」
当然、調べたので知っている。そうでなければ、避妊具も付けずにするものか。しかし。それにしても。
「赤ん坊か……」
彼方は、それを望んでいるのだろうか。そうならば、良いことだ。本当に、救われたのだな。お前は。
「……おい、またなんか、ごちゃごちゃ考えてるだろ」
「いや。別に」
「お前、分かってるか? お前は、俺のものなんだからな。俺の許可なく、余計なことを考えるのは禁止だ」
「無茶を言うな」
「無茶じゃない。お前は俺のことだけを考えてればいいんだ」
*
それから。俺達は至る所で、盛った。彼方風に言うのであれば、愛を確かめ合った。一番最悪だったのは、学校の屋上へと通じる階段の踊り場で、危うくバレそうになった。幸いなことに、登ってこようとする教師を何とか彼方が誤魔化し、事なきを得た。それで少しは懲りたかと思えば、放課後の教室でやりたいなどと言い出し、当然、俺には断れる筈もなく。
「……ふふ」
「笑ってる場合か。さっさと退けろ。そして片付けるのを手伝え」
撒き散らされた愛液の痕を、テッシュで拭いていると、自分の選択を後悔しそうになる。
「お前が俺の体液を片付けてるのを見てると、なんか、こう……征服感? 所有欲? みたいなのが湧いてきて、むらむらしてくるんだよな……」
「最悪だ。お前、女になって良かったな……男のままだったら、割と最悪だぞ」
「知ってる。ふふ。……ほら、俺のあそこも、拭いて……んっ」
そう言って、彼方は教壇に飛び乗って、脚を開く。誰か来たらどうするんだ。鍵は閉めてあるにしても。鍵の掛かった空き教室から男女が二人で出てきたら、弁明の余地もないだろうに。
開かれた亀裂からは、俺が吐き出した白濁が流れ出してくる。仕方ない。こうなったら、満足するまで付き合うしかないのだ。
「んっ……んぅ……ひんっ」
人差し指と中指を、ゆっくりと差し入れて、中の汚濁を掻き出してやる。度重なる性行為の故か。もう指二本くらいは容易く飲み込んでいく。
「あっ……あんっ……うぅ……」
ひくひくと、亀裂の周りの肉が、痙攣を始め、指をきつく締め付けてくる。相変わらず、感じやすい奴。そして、噴きやすい。何度顔に掛けられたことか。だが、俺はもう学習したのだ。身体を離し距離を──
「あっ……だめっ」
取れなかった。太腿で、顔を挟まれ、交差した脚が背に回される。冷静ならば、しゃがんで抜け出せただろうが。遅かった。ぎゅっっと。彼方の脚に力が入り、同時に噴出した体液に、顔面を穢される。こいつ。もはや怒りも沸いてこない。
「……ごめん」
「もういい。いつものことだ。考えてみれば、あの時よりマシだ。小便を洩らさなくなっただけ、進歩したな」
「そ、そのことは言うなっ」
まあ、今でも割と彼方の尿道は緩いが。これに関しては、仕方がないのかもしれない。後天的性転換症候群の患者は骨盤底筋辺りの神経に複雑な疾患があることが多く、括約筋が緩いというのは、良くある症例らしい。
「ちゃ、ちゃんと筋トレはしてる。ほら、締め付け、いいだろ? 指、もう一回入れてみろ」
「ああ、はいはい。分かってるから……早くそこから降りろ」
彼方の華奢な身体を抱き上げて、無理矢理教壇から引き摺り下ろす。不満そうに膨らませた頬を指で潰して、溜息を吐く。
「掃除。さっさとしろ。今日は、俺の家に泊るんだろ」
「! いいのか?」
「なんだ、いいのかって。お前が言ったんだろ。ほら、はやく掃除して、帰るぞ」
*
誰かのものになる、というのは。それほど、悪い気分ではない。存在を赦されている。そんな風に感じるのは、己の弱さを認めているかのようで、惨めに思うこともあるのだが。だが。いいのだ。それで。
彼方の奴は、家に入った途端に、服を全部脱ぎ散らかして、風呂場に突撃していった。俺はあいつが脱ぎ散らかした服を拾い集めながら、後を付いていく。
「お湯、張っても良いか?」
「別に構わないが……」
「一緒に入ろうぜ」
「別にいいが……一旦、服を着ろ。そんな直ぐには出来ん」
「ええー……お前にサービスしてやってるのに」
「余計なお世話だ」
彼方はぶつぶつと文句を言いながら、何故か洗濯前の俺のシャツを洗濯かごから取ると、それを羽織った。
「なあ……」
「なんだ」
「俺、この家にずっと居ても、いいよな?」
「……はあ?」
「高校、卒業して。大学に行って。大学を卒業しても。お前と、一緒に」
まるでプロポーズみたいだな、と。そう茶化そうとして。口を閉ざした。彼方の表情を見たら、そんなことを言えなくなってしまった。
「俺も。この家も……お前のものだ。お前の好きにすればいい」
「……ああ。そうする。お前はずっと、俺のものだからな!」